「人を心配すること」は毒でしかないが、「人を応援すること」は愛でしかない。

「俺はお前のことが心配だ。」

 

このようなことを言われたことがある。

 

率直に言うと、僕はこのような形でマウントを取ってくる人を

友人や仲間として信頼できない。

 

また、過剰にこちらの心配をしてくる人とも

一緒にやっていきたいと思わない。

 

上から目線でこちらを下に見てくる人とは

対等な関係を築けないからである。

 

 

まず、あなたに理解してほしいことがある。

 

 

皆、それぞれ様々な経験や学びを通して、

自分自身で考えて行動して

試行錯誤を繰り返しながら

自分なりに成長していこうとしているんだ。

 

あなたが知らないところで努力をしているのだ。

 

それを何も知らないあなたが全否定したらどうだろう。

 

相手からしたら「余計なお世話」でしかない。

 

 

あなた自身、また相手に必要なのは

「心配」や「否定」ではない。

 

「応援」なのだ。

 

 

相手のことを心から信頼して、

愛情を込めて見守り、

相手がうまくいくように応援すること。

 

 

こういった気持ちが大切だと思うし、

応援することが自然と出来る人は誰にも喜んでもらえる。

 

また、「返報性の法則」で逆の立場に立ったとき、

自分のことも応援してもらえることになるだろう。

 

「応援すること」を心がけたら、

人間関係だってきっとうまくいくし、

闇雲に敵を作ることもないはずだ。

 

 

一方で、「心配」は何も生まれない。

 

 

もちろん、僕もどちらかと言えばいろんなシミュレーションをしてしまうタイプだし、

最悪の事態を想定して行動することで防げることもあるという点では

「心配性」や「マイナス思考」は大切な要素である。

 

 

しかし、「心配」というのは、

「状況」に対して行うのは良いが、

「個人」に対して行うのは、相手に毒しか与えない行為だと思っている。

 

 

ちなみに、僕は親から過保護に心配されまくった挙げ句、

「自分がどうしたいか?」という以前に

「親や他の人が自分を心配しないように行動しなきゃ!」

と、人の目を優先するようになってしまった。

また、自分自身が傷つくことをやたら恐れるようになってしまった。

 

 

要するに、心配性で取越苦労が多く、

他人軸で行動するようになってしまったのだ。

自分の気持を押さえつけて同調してばかりいる

「良い子」になってしまったのである。

 

 

しかし、今ではその出来事は必要なことであったと解釈している。

 

 

マイナス思考を前提に、色んなシミュレーションを頭の中で行うことで、

その中から最短かつ最善の方法をとることを得意とするようになったからだ。

 

 

僕のこういった特性は、

僕が数年前に試したことがある「ストレングス・ファインダー」で見つけた結果でもある。

 


  ↑新版が出たようだね。

 

 

 

僕が当時、こちらを試してみた時の結果は

「戦略性、最上志向、着想、慎重さ、内省」

これら5つの要素を含んでいるとのことだった。

 

「失敗したくない」という思いが強く

確実な方法を歩んでいきたいのが「慎重」であり、

 

物事をよりよくしたい、自分自身が成長したいという「最上志向」でもある。

 

また、「着想」では皆が思いつかないようなアイデアを組み合わせることが出来て、

 

それを「内省」することでさらに考えを深めたら、

 

「戦略性」を生かして、そのアイデアをうまく生かしていくにはどうすればよいか?

…を考えることが出来るようだ。

 

 

…以上のように、僕は自分の持っている「強み」をこのように解釈したのだ。

 

 

※ちなみに、それぞれの素質についてはこちらのサイト↓で確認が可能である。

あなたが受けた結果を元にこちらで自分自身の強みを確認できるし、

これから受ける場合も参考になるかと思う。

 

 

特に「内省」と「慎重」は

一人で考える時間を持つことが好きな人に多いようだし、

 

「自分はダメだからもっと良くなりたい」というネガティブさから生まれたのが

「最上志向」や「戦略性」にも繋がると考えている。

 

「着想」は元々僕自身が持っている武器のようなものだろう。

過去の経験や気になるものから共通点を見出し、

様々なものをかけ合わせて、新しい提案をするのが好きなようだ。

もしかしたらこれは、引きこもりがちなアーティストの素質があるからこそ

得られた宝物なのかもしれない。

 

 

…結局何が言いたいかと言うと、

ネガティブな性格であったことや

対人関係において強い劣等感や苦手意識を感じていたからこそ、

自分にしか得られない能力、強みが身についたということだ。

 

 

僕のような劣等感の塊みたいだった奴にでも、

こんなにたくさんの、誰にも負けない得意技があるのである。

 

 

もちろん、組み合わせや種類は異なるものの、

あなたにだって何かしらの「強み」があるはずだ。

 

 

その強みを生かして、世の中に貢献することだって出来るのだ。

 

 

そう考えると、人は誰しもが人から心配される要素など全く無いわけだし、

その人自身が「完全体」な存在なのである。

 

 

「自分が苦手に感じること」をわざわざ得意になるように

無理をする必要なんてない。

 

自分が嫌だと思っていることを好きだと言う人は必ずいるわけだし、

それは他の人がカバーしてくれる。

 

だから、生きていく上で心配する必要なんて全く無い。

 

「自分は大丈夫。」

「あの子は大丈夫。」

「あの人は大丈夫。」

 

そうやってあなた自身や周りの人を信じていてあげよう。

 

 

 

もう一度言うけど、

誰かのことを心配するのは毒でしかない。

 

 

あなたにとっても、相手にとってもだ。

 

 

お互いの良さや長所を理解して、応援し合える、支え合える…

 

 

そんな関係を築いていけたら、きっともっと生きやすくなるだろうし

あなたの未来において、心配することは何もなくなるだろう。

 

 

あなたがもし、嫌になって距離を置きたいと思った人物がいるとしても、

その人を憎らしく思ってばかりでは、あなたが辛くなるだけである。

その人を信じて応援しながら離れることが大切だ。

 

 

それができたら、その後は一切関わらなくてもよいと思うし、

「相手から逆恨みを買って、自分に不都合なことが起こる」

…などという事態も避けられるだろう。

 

 

無償の愛は、永遠の愛となり

絶対的で揺るぎない可能性を生む。

 

 

そう考えたら、

どうも胡散臭いと感じていた「愛は地球を救う」という言葉も、

あながち間違いではないと思うようにもなってきたのだ。

 

 

世界規模で物事を考えるのも良いけれど、

まずは出来ることから始めることが大切。

 

 

あなたもぜひ「無償の愛」を与えながら、

自分の周りにいる人を「応援」してあげよう。

「見た目は小動物、中身が獣フレンズ」な女性との会話で得た「友人づくりの基本」

以前僕が本土(大阪〜三重〜名古屋の電車の旅)へ旅行に行ったときのことだ。

 

 

↑伊勢神宮にて

 

 

「一見すると柔らかい雰囲気の優しそうな女の子だが

めちゃくちゃ芯が強く自立した女性」

 

とお茶をした時のことを書きたい。

 

 

その人は元々知り合いだった本土の方で、

僕がたまたまライブの遠征に名古屋まで行ったついで

会う約束を取り付けたのだった。

 

 

検索をかけたら、ベトナム料理が美味しそうなお店があったので

そこで会う約束をした。

 

 

 

↑やかんが可愛らしい。

 

 

 

まず、僕は見た目と中身にギャップがあり

昔からそれに悩まされている。

 

 

というのも、第一印象がそれなりに良くても

中身は意外と我が強い部分があるので、

あとは下がっていくしかないからだ。

 

 

どちらかと言えば損なタイプである。

 

 

それで嫌われてしまうということも結構あったし、

かといって、「都合が良い人」と一方的に思われるのも大嫌いである。

 

 

最近ではそれで非常に苛ついたことがあり、

自分の過去を思い出したりして

自分のことことについてまた考え込んだりしてしまったため、

以下のような記事を書いたのだった。

 

※↑一部口悪い表現あるので閲覧注意。

 

 

 

そう、僕と彼女、両者に共通しているのは

 

 

「一見すると”種や木の実しか食べなそう”な癒し系小動物だけど

中身が”狙った獲物は絶対逃さない系(?)”の肉食獣」

 

 

 

だということ。

 

 

 

僕はそんな彼女を始め、

男っぽいタイプの人を勝手に「獣フレンズ」と呼ぶことにした。

 

 

 

ちなみに某アニメとは全く関係ないのでご容赦いただきたい。

 

 

 

ベトナム料理を食べながら、

久しぶりに会う彼女と

近況のことや普段考えていることなどを楽しく語り合った。

 

 

 

 

↑普段、ベトナム料理はあまり食べる機会がないんだけど、

フォーがとても美味しかった。

 

 

 

その中で、僕が最も共感したことで

なおかつ今後の「友人づくり」で参考になる話があった。

 

 

それを語っていきたいと思う。

 

 

 

 

まず、その子も元来は非常に芯が強いタイプなのだが、

優しそうな見た目のために「変な人」が寄って来やすいそうだ。

 

 

 

「優しそう」という印象だけで

相手が勝手な期待を抱いてくるそうで

嫌な経験もたくさんしてきたと話してくれた。

見た目も綺麗だから「変な男」も寄ってくるだろうしね。

 

 

 

具体的には…

 

その子はいかにも

 

「まるで聖母マリアのように

あらゆる全てのものを優しく包み込んで受け入れてくれそう」

 

 

というような柔らかい雰囲気があるためか、

 

 

彼女がちょっと内面を出すと

相手(特に男)が「裏切られた」気持ちになるようで

 

 

「思っていたのと違う!」

 

 

と勝手に失望したような反応をしてくるそうだ。

 

 

 

 

そして

 

 

相手が嫌なことを言ってきたり…

すぐに去っていってしまったり…

 

そんな経験をたくさんしてきたそうだ。

 

 

 

そうやって、その子は傷つき悩んで

最終的に「とある考え」に行き着いたそうだ。

 

 

僕もその内容に「全くそのとおりだなー」って同感した。

 

 

その内容とは…

 

 

「私の内面を見せたところで、

こちらに勝手な期待をしてくる、

依存的な考えの人間は去っていくだろう。

 

逆に、それでも私のところに残ってくれて

私を受け入れてくる

自立した人だけと付き合っていけば良い。」

 

 

とのこと。

 

 

まさにそうだよなー。

 

 

仮にあなたが他人から都合よく思われていたとしても

そんなものは

「表面上うまくやっていくためのもの」

と割り切っていれば良いし、

 

 

あなたがストレスを感じる、

我慢できないレベルの人物と遭遇した時…

例えばあなたのことを全く人として尊重してくれていない人、

確実に見下して来る人などに対しては

毅然とした態度で接すれば良いのだ。

 

 

 

僕の場合だと、

「僕を怒らない仏のような存在と思っている」人が

実は人間嫌いという僕の内面を知ったら

こちらを嫌ってくる可能性も高いだろうし

皮肉まみれの僕のブログを見たらきっと引くだろうなwと思う。

 

 

だから、リアルの知り合いには

あまりブログを見られたくないなって気持ちが正直あるし、

逆に、僕の内面を理解してもらうためにも

見てほしいなっていう気持ちもある。

 

自分が何を考えているのかとか

プライベートなこととか

周囲の人にはほとんど話さないから。

 

 

いろいろ複雑なのだが、僕の内面を知ってもなお、

 

「コリュさんって面白い」

「コリュさんのこと、もっと知りたい」

「(ブログの読者様なら)むしろ会いたい!」

 

そう思っていただける方々のことを大切にしていきたいなと思う。

 

 

 

日本は未だに慎ましくしているのが良い、

目上の人に逆らってはいけないみたいな風潮がある。

 

 

ハッキリ言って、そんなものは古い発想だ。

 

 

相手が誰だって構わない。

 

 

「あなたが大切にしているもの」を粗末にする奴とは戦えばよいし、

これ以上関わりたくないと感じたらすぐに去っていけばよいだろう。

 

 

僕も以前は過剰に人の顔色を伺っていたし、

相手に嫌われないよう、

相手の意見にすぐ同意してしまっていたようなところがあったのだが、

 

 

「相手がどう受け取るのか、どう感じるのかは相手の問題だ」

 

…と割り切るようにしたことで、だいぶ楽になった。

 

 

 

あなたが自分自身に無理を強いるような関係性は長く続かない。

 

 

相手を完全に受け入れる前に、

あなたの心身の健康を害してしまうからだ。

 

 

そうならないよう、ちょっとした会話の中で

「私って実はこういうところあるので〜」

と予防線を張っておくことも有効な方法だろう。

 

 

それで警戒するような人は自分から徐々に離れていってくれるだろうし、

あまり気にしなそうな人であれば

あなたそのものを受け入れてくれる可能性も高まるからだ。

 

 

 

僕みたいに他者とのコミュニケーションを避ける者にありがちなのが、

 

 

「自分の弱みを見せたくないから、

自分を知られたくないから、嫌われたくないから、

自分の内面を全く見せないし、話したくもない。」

 

というのは

かえって相手の期待に答えようと無理をしてしまう可能性も高まり

あなた自身にとっても良くないことなのだ。

 

 

相手がどう受け取るのかを過剰に考えすぎず、

あなたの気持ちを素直に伝えたら良いのではないかと思った。

 

 

類は友を呼ぶ。

 

 

僕はLGBT含め、中身が男性的な女性と友人になることが多い。

 

 

しかもその中には過去にスキンヘッド経験者や

ベリーショート経験者も多数いる。

 

 

友達じゃなくてもそんな人はいたな。

 

高校生時代によく通っていた美容室の美容師さんも

過去にスキンヘッド経験があったそうで

なんとなく波長が合うのかその方ばかりよく指名していた。

 

 

世の中にはギャルのような方々や

読者モデルのようなファッションの可愛らしい女性が多い中、

彼女たちのような異端ぶりは絶滅危惧種並みにすごく貴重な存在である。

 

 

要するに、「レッドリスト並に超貴重な獣フレンズ」なのである。

 

 

 

 

僕はそういう貴重な獣…人達と親交があったことを

非常に誇りに思う。

 

 

まぁそういう人は「自分と話が合う、良き友人」であって

恋愛対象としては全然見れないけど。

 

 

僕はどちらかと言えば

幸薄そうで慎ましい雰囲気の女性が好みだからだ。

 

↑はい、どうでも良い情報。

 

 

 

…というわけで今回は

 

「あなたと似たような人を

絶滅危惧種を守るが如く大切にしていこう」

 

という話だったのであった。(雑なまとめ)

 

 

 

俺、刈り上げはよくするんだけどな…

スキンヘッドは未だないな。

 

 

まぁ機会があったらそのうち。

(多分やらないと思う)

人の悪口を言うくらいなら、悪口を言われる人物になれ!

妖怪「性別知らず」天海夜 煌琉でございます。

 

今回は、「人から悪口を言われる人物になれ!」

 

というテーマについて語っていこうと思う。

 

 

 

まず、「悪口」というくくりで人を見た時に、

世の中にはそれぞれ以下のタイプの人間がいると思う。

 

 

・「悪口を言う人」と「悪口を言わない人」

・「悪口を言われる人」と「悪口を言われない人」

 

 

要するに、「自分が他人に対する悪口を言うかどうか」

もしくは

「他人から自分に対する悪口を言われるかどうか」

という観点で、その人の人間性が予想できる。

 

 

実際、この組み合わせを変えると4パターンの人間が存在する。

今からそれを一つずつ、僕なりの雑な解釈を交えながら

テキトーに見ていこうと思う。

 

 

①「自分は人の悪口を言わないが、人から悪口を言われる人」

 

 

→いるよねこういう芸人さん(笑)。

本人はいたってポジティブで自分の人生を楽しんでいるのだが、なぜか人からは叩かれまくる。

自分らしく、好きなように生きている人、キャラが濃い人が多い印象。

そのためか、その叩かれる大半の理由が本人ではなく

「嫉妬」なのでは?と思うこともちらほら。

 

 

 

②「自分も人の悪口を言わないし、人からも悪口を言われない人」

 

 

→こういう人はさぞ素晴らしい人、良い人なんだと思う。

キングオブゴッド(神)だね。

しかしながら人間としては無難すぎて、これといった特徴も魅力もないという印象。

 

 

③「自分は人の悪口を言うが、人からは悪口を言われない人」

 

 

→外面だけは完璧な仮面を作れているので、他人ともうまくやっていける人。

でもネットやSNSで人の悪口や愚痴を書きなぐっている。裏の顔を知っているのは一部の人。

人間として特別魅力もないし、特別興味を持たれないという印象。

仮面ではない本来の良い部分を外に出せていけたら、少しは不満も解消できるのでは?と思う。

 

 

④「自分も人の悪口を言うし、人からも悪口を言われる人」

 

 

→これは日本の一般ピープルほとんどの人が当てはまると思うけど、

言葉だけで見ると性格になんらかの問題がある印象を受ける。

人の悪口を言うのは自分自身に満足していないことの裏返し。

自分自身の魅力に気づいて、他の人の良いところにも目を向けるようにしよう。

 

 

 

 

…こんな感じで、かなり雑だが

それぞれの人間の印象(+ちょっとしたアドバイス)を述べてみた。

 

 

このうち僕が思う、

「人として理想とする姿」はどれか。

 

 

 

 

 

それは………

 

 

 

 

①「自分は人の悪口を言わないが、人から悪口を言われる人」

 

 

 

である。

 

 

 

 

 

え?

 

 

 

②「自分も人の悪口を言わないし、人からも悪口を言われない人」

 

じゃないの?

 

 

 

 

そう思う人もいるかもしれない。

 

 

 

ゴメンなハニー。

 

 

確かにそうかもしれない。

 

 

「超ポジティブナルシスト芸人」と「神」だったら、

当然「神」のほうが良いはずだ。

 

 

「キモい」「ウザい」と避難されるよりも

「マジ神!」と崇め奉られたほうが良いに決まってるもんね。

 

 

しかし、

 

 

なぜ悪口は言われたほうが良いのか?

 

 

その理由を説明したいと思う。

 

 

あなたが誰かが誰かの悪口を言っている場面に遭遇した時、

あなたがその人達と同意見ならば、

仲間を見つけたようで嬉しい、安心した気分になるかもしれないが、

そうではない場合、大抵の人は嫌な気分になると思う。

 

 

それでも悪口を言うような人というのは、

その人なりの「正義」があるから言っているわけだ。

 

 

要するに、「自分が正義であいつがおかしい、間違っている」

ということを再確認するために悪口を言うのだ。

 

 

 

 

さらに突き詰めて考えよう。

 

 

 

「なぜ人はその人なりの”正義”を貫くために、他人の悪口を言うのか?」

 

 

というと…

 

 

「悪口のターゲットになっている人が、

悪口を言う人の”正義”や”価値観”に反しているからだ」

 

 

と考える。

 

 

 

つまり、大抵の人は

 

「価値観や考えが合う人の悪口は言わない」が、

「価値観や考えが合わない人の悪口を言う」のだ。

 

 

さらに言えば、

 

 

「価値観や考えが合わない=一般的な常識に反している」

 

 

という可能性も考えられる。

 

 

一見、一般常識に反している人、

人から避難されるような言動をする人って

人間性に問題があるように思う。

 

 

しかし、僕も何度かブログで語っているが

 

「世の中には正解などない」のである。

 

 

※「正しさ」だけですべての物事を判断するのが、

いかに虚しいことかをこちら↓で説明している。

 

 

あなたが「正義」と思っていることが

他の人にとっての「正義」とは限らないし、

 

逆にあなたが「間違っている」と思っていることは

他の人も同じように「間違っている」と思っているとも限らないのだ。

 

 

 

つまり、一般常識に反して悪口を言われるような人というのは

その人自体が、一般的な常識や価値観に対して疑問を投げかける存在なのだ。

 

 

その人の存在自体が既成概念を打ち破ってくれてるんだよね。

 

 

 

なので、

その考えに共感できる人が、その人に集まってくるわけだし、

逆に理解できない人達が、その人に対する悪口を言うのである。

 

 

だから、

どうかあなたも

 

「あいつムカつく!!!!」

 

とか

 

「この人のこういう部分はどうかと思う。」

 

とか

 

嫌な感情や疑問が湧き上がってきて、

イライラしたり、モヤモヤしたりしてしまったら…

 

 

一旦その感情はどこかに置いておこう。

 

 

そして、その人に対する悪口を言う前に、

 

 

「この人は自分に何を伝えようとしているのか?」

「この人が大切にしていることはなにか?」

「この人から学べることはなにか?」

 

 

などと考えてみてほしい。

 

 

その人は自分に何かを気づかせようとしているのだ。

 

だから、むしろ感謝しなきゃいけないよね。

 

 

そう。

 

「誰かに気づきを与えられる人」というのは、

「誰かを成長させることが出来る人」なんだ。

 

 

つまり、「悪口を言われる人」というのは…

 

 

「誰かに気づきを与えて、世の中を変える可能性がある人」なんだ。

 

 

そう思ったら、誰かの悪口を言っている暇はないよね。

 

 

世の中にはなんだか「悪口は言ったもん勝ち」みたいな風潮があって、

まぁその発想自体、幼稚でくだらないと僕は思っているけど

 

 

あえてこの言い方をすれば…

 

 

「悪口は言われたもん勝ち。」だと思う。

 

 

 

嫌われたくない、批判されたくない、

悪口を言われたくない…

 

 

あなたがそう思って、自分を抑えつけてしまっては

無難な言動しか生まれない。

 

 

まぁ、人から好かれはするだろうが、

「相手にとって都合の良い人物」と思われている可能性だってあるわけだし、

誰もあなた自体に興味を持たないだろう。

 

 

逆に、たとえ誰かから悪口を言われたとしても

あなたが以下のような考えを持つことで、

多くの人を魅了し、人が集まってくるはずだ。

 

 

「人の悪口を言うことには興味がないから、私は言わない。

悪口を言ったって意味がないし、自分が惨めになるだけ。

 

私の悪口を言いたい奴には、好きなように言わせておけば良いし、

誰がなんと言おうと、私が一番大切にしているものは譲れない。

 

私は私の人生を好きなように生きる!!」

 

 

あなた自身は好き勝手に生きているから

人から反感を買い、悪く言われることもあるかもしれない。

 

 

それは「あなたが自分自身の人生を生きていくための代償」と思えば良い。

あなたが自分自身を出せば出すほど反発をする人は必ずいるのだから、

それはやむを得ないものだし、割り切るしかない。

 

 

 

しかし、あなた自身が悪口という負のエネルギーを周囲に撒き散らさず

自分自身の人生を思い切り楽しんでいれば

自然と良いことは起こるようになるものだ。

 

 

あなたの周りには「あなたが大好きで、あなたに優しい人」ばかりが

集まってくるようになるだろう。

 

 

それなら人の悪口を言っているような人達と

あなたが一緒にいる理由なんて全くないよね。

 

 

愚痴や文句、悪口は人のエネルギーを奪うし、

一緒にいるだけ時間の無駄だ。

 

 

そんな人達と離れたいなら、

あなた自身の考えや生き方をハッキリさせることで、

そんな人達からも嫌われて悪口を言われるので

むしろ丁度よいのではないかな?

 

 

大衆の意見なんかよりも、

もっとあなた自身が大切にしているもの、

あなた自身が大切にしたいと思う人、

そういうものに目を向けていこう。

 

 

 

というわけで今回は

 

「悪口を言うような人間ではなく

悪口を言われるような人間になろう!」

 

というテーマについて語ったが、いかがだったろうか?

 

 

あなたがちょっとでも人の悪口を言いそうになったら

そんな自分を「目ん玉ロケット」で宇宙から眺めてみよう。

 

自分を客観的に眺めることで

「悪口なんてくだらない」と思えるようになるかもね。

 

「目ん玉ロケット」とは何か?

こちら↓で説明しているのでご参考までに。

 

 

誰かからの「批判や悪口」を恐れるのではなく、

それらを一瞬にして全て「気づき」へと変えてしまい

世の中の「固定観念」や「一般常識」など全てを破壊してしまう…

 

 

そんなハイパー人間を目指していきませう。

俯瞰的な視点を身につけるには 目ん玉ロケット発動せよ

今回の記事では

「物事を宇宙レベルで俯瞰的に捉えられるようにするには?」

をテーマに話をしたい。

 

 

「俯瞰的に物事を考えること」…

 

なぜこの考え方が必要なのかというと、

あなたが世の中の「価値観」や「正しさ」から逃れて

もっと広い視野で物事を考えられるようにするためである。

 

 

この考え方が身につくことで

 

「こうしなきゃいけない」

「ああしなきゃいけない」

「これが自分ができない自分はだめだ」

「あれができないからあの人には価値がない」

 

…などといった、一辺倒な価値観や考えに縛られなくなり

あなた自信が楽になるはずだ。

 

 

例えば、

誰かが人の悪口を言っていたり

他人の噂話をしていたりするとしよう。

 

 

言っている本人は楽しいかもしれないけれど

なんか嫌な気分になるよね。

 

 

一時的ならまだしも、

そんな光景を毎日のように職場や学校で目にしていたら、

人によっては憂鬱な気分になってしまうことだろう。

 

 

可能ならそんな人達がいる場所からは離れることが最善の策だろうが、

なかなかそうもいかないことも多いよね。

 

 

自分自身の気分は自分自身でコントロールする。

 

 

それができたら、周囲にどんなことが起きても動じない人間になれるはずだ。

 

 

では、そんな人物になるために

具体的にどうすればよいかと言うと…

 

 

 

目 ん 玉 ロ ケ ッ ト 発 動 !!!!

 

 

 

イラストのように、

自分の視点を宇宙まで飛ばしてしまおう。

 

 

日頃あなたは「あなたの肉体にある目」によって

周囲の景色なり状況なりを見ていると思う。

 

 

そこから得られた情報から

あなた自身の頭で判断していることも多いだろう。

 

 

でも、あなた自身で考えたことも

残念ながら正しいとは限らないのだ。

 

 

また別の「正義」を持った誰かから見れば

あなたの考えはたちまち「悪」へと変貌を遂げる。

 

 

しかし、宇宙まで視点を飛ばしてしまえば

もうこちらのものだ。

 

 

自らの「正義」から一旦身を引き、

広い視野で物事を観察できるからである。

 

 

 

大抵、世の中の人々は皆、それぞれの「正義」の中で

喧嘩をしたり、意見を主張し合ったり、

愚痴や悪口、不平不満や批判を言ったり

狭い世界の中でガチャガチャゴチャゴチャワチャワチャグチャグチャやっているものだ。

 

 

そういった世界に身をおいてしまうと

他の人達に巻き込まれて、

あなた自身のエネルギーも下がってしまう。

 

 

赤の他人のくだらないやり取りに

あなたまで巻き込まれなきゃいけない義務など無いのだ。

 

 

それに気づくことがない限り、

他の人達と同じ世界の中で、

あなたも同じように自らの「正義」にこだわり

皆と一緒にガチャガチャゴチャゴチャワチャワチャグチャグチャやっていることだろう。

 

 

 

目ん玉ロケットで自分の視点を宇宙まで飛ばし

 

宇宙から他の人のことや現象を観察することで、

 

「あれ?なんで皆こんなことしてんの?」

 

と不思議に思えるようになるはずだ。

 

 

 

というのは、

宇宙全体には本来、たくさんの生命があるだけで、

誰かが決めた善やらも悪やらも

そういった面倒なことは一切ないからだ。

 

 

つまり、あなたが現世で降りかかる出来事は

一つ一つの現象でしか無いのだ。

 

 

なので、本当ならば、

たとえ失敗したとしてもいつまでも後悔して引きずる必要はないし

自分を責める必要だってない。

 

あなたに嫌なことをしてきた人がいても、

いつまでも恨みに思って、かえってあなたの身をほろぼしてしまうことも

ましてや勿体無いことなのである。

 

 

世の中の「正しさ」だったり

「暗黙のルール」だったり

「誰かが決めた価値観」に

僕たちはどうしても縛られてしまいがちだ。

 

 

それで「こうしなければ!」と自分の首を締めてしまい

生きにくさを感じている人も少なくない。

 

 

しかし、世界は…というか宇宙は

あなたが思っている以上にずっともっと広い。

 

 

…つっても、僕も宇宙には行ったことがないからわからないけどさ。

 

 

ただ…

 

美しい景色に遭遇したり

自然の驚異を感じたり

宇宙のことを考えたりするたびに

自分の小ささを再確認することはある。

 

 

というか、再確認しないと放漫になる原因になるから

強制的に再確認する必要がある。

 

 

狭い世界を自分の全てと勘違いして

ガチャガチャゴチャゴチャワチャワチャグチャグチャやっていること…

 

 

そんな事象を軽く笑い飛ばせたら

きっと宇宙に一歩近づけるかと思う。

 

 

 

バベルの塔ではないが、

神の怒りに触れない程度には

宇宙さんとお近づきになっても良いんじゃない?

 

 

じゃああなた自身の視点をロケットで宇宙まで飛ばすに限るね。

 

 

 

 

…というわけで、今回は

 

「狭くて偏った価値観に影響されそうになったら、

目ん玉ロケットで宇宙まで視点を飛ばし

俯瞰的に世界を見渡そう。」

 

 

といった話をした。

 

 

あなたも周囲からの悪い影響は一切受けることなく、

宇宙レベルでシンプルに物事を考えられる、壮大な人物になろう。

あなたの「A面」も「B面」も全て受け入れてくれる人を探そう

「あなた」という人間は様々な面から出来ている。

 

 

例えば、この人にはあなたのことを

「A面のあなた」という印象として見えているが

別の人にはあなたについて

また別の「B面のあなた」という印象を持っているとする。

 

 

一つ言えることが、

A面とB面はどちらも他人があなた自身について抱いている印象であり、

それらは決して間違ってはいないのだが、

どちらもあなたが持つキャラクターの一つの側面にすぎないということだ。

 

 

 

 

こんな感じで「A面」や「B面」、以下「C面、D面、E面…α面、β面」など

あなた自身のキャラを構成する様々な「面」、

その「面」をいかにして使い分けながら

自分が付き合いたい人だけとストレスのない関係性を築いていくのか…

 

その方法について話していきたい。

 

 

 

 

 

つい最近、こんな経験があった。

 

 

とある人に

 

「コリュさんってあまり怒らないよね。私もそうなりたい。」

「何言われても文句言わないから偉いね。」

 

と言われたのだった。

 

 

ぶっちゃけると、

 

「あ、こいつ全然俺の事わかってねーな。」

 

と思った。

 

 

まぁ赤の他人だからわかってなくて全然良いわけだし、

別にその人も間違ったことは何一つ言って無いと思う。

 

 

ただ、「その人にはそう見えるんだー。」といった印象だ。

 

 

 

一方で、また別の人から言われた言葉も印象的だった。

 

 

 

その人からは冗談交じりに

 

「お前のそういうとこ、本当にしたたかなんだよな。」

「いつからそんな”ふてぇ奴”(ふてぶてしい奴)になったんだ。」

 

ということを言われた。

 

 

僕はそれを言われて怒るどころか、

 

「お、この人さすが!!よくわかってるぅ〜!!!!」

 

と、逆にその人に対して興味を持ったものだ。

 

まぁ人によって感じ方違うし、

相手との関係性もあるだろうから

何が正しいとは言えないけれど、

ただ、その人のDISは自分にとって光栄だったのだ。

 

 

ちなみにその後日、

その人はこちらがちょっと気を利かせた行動をとった時に、

 

「お前のそういうとこ、良いよな!」

 

と評価してくれたのだ。

 

 

 

 

このように「自分を評価してくる人間」をざっくり分けると、

 

 

①表面の自分だけで評価をしてくる人

②裏面の自分を知った上で評価をしてくる人

 

 

この2つのタイプに当てはまることがわかった。

 

 

先の例で言えば、

僕を大人しいと思っている人が①で

僕を強かだと皮肉ってくる人が②である。

 

 

学校のクラスメイトや職場の同僚など、

知り合い程度の関係性であれば①がほとんどだと思うが、

ちょっと仲良くなると②に当てはまる人も増えていくかと思う。

(もちろん、内面を知られて嫌われる場合もあるが。)

 

 

実は僕にとって過去自分と関わってきた人も含め、

②のような関係性の人は非常に少ない。

 

 

僕にとって②のような関係性の人で思い出されるのは、

高校2、3年の時の担任の先生だった。

 

 

それまでの学校の先生や担任は

皆俺のこと「真面目」としか言わなくて

「家でも勉強してるんだろう」と勝手に思われていて

どれも皆同じ感じだと思っていたし

自分もそれに答えなきゃいけないと思ってしまっていた。

 

ま、今思えば、自分がそういう見られ方を選択していたんだから

自己責任なんだけどね。

 

 

でも…

 

 

「どうせ俺は地味で根暗で、

成績が良いことと絵がちょっと描けることや

マイナーな音楽について他の奴より詳しい以外に取り柄のない奴だし。」

 

 

そんな風に自分を捉えてたから、

無理して「いい子」を演じようとしていたんだね。

 

 

なので、僕自身があまり自分のことを話さない分、

「実は勉強してない」「サボりたい」「怠けたい」

という本音を引き出してくれて、

 

実は頑固で負けず嫌い、無駄や努力が嫌いで要領よくやろうとする…

 

そんな「本当の僕」をわかってくれる人達って貴重だと思ったし、

 

それでも受け入れてくれる人達こそ、大切にしていきたいと思ったんだ。

 

 

 

ただ、きっとあなたも似たような経験があると思うが、

「良い子」などの表面だけで決めつけられるのは誰だって嫌だよね。

なんか「レッテル」を貼られてるみたいで。

 

 

そうやって「他者によって自分に貼られたレッテル」

「周囲が見ている自分像」に合わせるために

無理に自分を演じてしまう人、

「良い人」で居続けることが辛いから

仕事も学校、人間関係などを心から楽しめない人、

無理をしすぎて鬱などの病気になってしまう人、

日本はそんな感じで生きづらさを感じている人も多いかと思う。

 

 

僕自身も「良い子」「良い人」でいるのが辛かったし

それが何らかのきっかけで爆発するとブチ切れて勝手な行動をとり、

かえって周囲に多大な迷惑をかけるような奴だった。

 

 

自分の欲求を押さえつけすぎてしまうこと、

無理して人に好かれようとすることって

良いことなんて何一つ無いんだよね。

 

 

だからか、

自分勝手に好き勝手生きていて

なおかつ穏やかで楽しそうな人達が羨ましくもあり、

嫉妬心で憎らしく思うこともあった。

 

 

でもね、最近では「良い子」「良い人」と思われているってことは

逆にラッキーだと思うようになったんだ。

 

 

僕自身、何かあった時に結構イライラしてしまうし、

譲れないことがあった時は反論というか怒っているつもりだったし、

しかも理不尽な出来事に対しては全く容赦しないし冷徹な態度を取ることもある。

 

 

そういった態度が行き過ぎるとむしろ感情的になりすぎたな、

周囲の人にも悪いなと思っているほどだったのだが、

 

 

逆に「大人しくて我慢強くて真面目な人」

みたいな印象を持ってくれているのか!!!!

 

 

そうわかったら逆にこっちのもんだ。

 

 

例え嫌なことがあった時にも、

もっと自分の気持を最優先させて良い、

もっと自己主張しても良いんだと思った。

 

 

必要な時に必要なことしか言わない分、

説得力や気迫が生まれるから相手がショック受けやすいしね。

 

 

それでこちらのことを都合の良いやつと思っている人は

勝手に逆恨みして離れていくんだろうし、

 

逆に、その時は不快な気持ちにさせたとしても、

きちんと反省してくれる人、

こちらの欲求を受け入れて合わせてくれる人だけと付き合っていけば良いのだ。

 

 

というわけで今回は

 

「A面もB面もC面もD面もα面もβ面も、あなたの魅力的な一面である。」

「例えA面だけしか見えてない相手でも、それ以外の一面を見せてみても良いではないか。」

「あなたのあらゆる面を受け入れて、大切にしてくれる人を大切にしよう。」

 

 

と言ったことについて話した。

 

 

人とうまくやろうとして自分を押さえつける必要なんて全く無い。

 

 

色んな面があってこそのあなたである。

 

 

相手との距離をより縮めるためにも、

あなたにとって本当に必要な人と仲良くなるためにも

そして何より、あなたがより魅力的な人物になるためにも

 

 

A面・B面があるカセットテープを

聞きたい曲に合わせてひっくり返すように

(↑今の若い人達にはわからないかな?w)

 

 

必要な場面に合わせて

あなたの一面をいろいろひっくり返しながら

あなた自身の色んな面をどんどん出してみてはいかがだろうか。

 

 

 

僕も今までずっと人を避けてきた部分はあった。

 

 

しかし、最近では、

 

憎まれ口と言うか「愛のある毒」を言い合える、

気が置けない関係性の人を見つけるのが自分の課題なのかもしれない…

 

そう思うようになった。

 

 

僕の希望としては、皮肉やブラックジョークがわかる人が良いな。

本当に相手を信頼していないと言えないからね、そういうのは。

 

 

言っても仕方がない人の悪口や愚痴ばかりを吐き散らすんじゃなくて、

自分に降り掛かったどんな出来事も皮肉を交えながら笑い飛ばし

ウィットに富んだ大人な会話を楽しんでみたいなぁ。

 

 

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