人から信頼される人物になりたいのなら「正論」は言うな。

本日は

 

「正論ばっかり言っていると信頼されなくなっちゃうゾ☆」

 

というテーマで語ろうと思う。

 

 

…この言葉、

なんか自分へのブーメランみたいにも見えるので、

自戒を込める意味でも、書く!!!!

 

 

さて、僕は前回の記事で

 

「悪質な営業マンにしつこくされて不快な思いをした」

 

という話をした。

 

 

その時の記事がこちら↓

 

 

実は以前も似たような経験がある。

 

 

その時もかなり悪質で

そいつは22時頃に家へ訪れてきたのだ。

 

 

夜だぜ?夜。

人によってはもうスヤァ…の時間帯だろ。

俺だって今この記事書いてて猛烈に眠いわ!!!!

 

 

まぁドアを開けて出てしまった自分も自分だが

その時の僕は超真面目だったので

 

「家にいて返事してしまった以上でなきゃいけないのかな…」

 

って思ってしまったからだ。

 

 

その後、30分もの時間を何度も何度も同じ質問攻めに遭うことになり、

その時もキレながらしつこい相手に辟易することになった。

 

 

結果、僕もかなり頑固で負けず嫌いなものだから

絶対に相手の言いなりにならないと決めていて、

最終的には名刺だけもらってなんとか帰ってもらったのだった。

(もちろん、その名刺を元に翌日苦情を入れた。)

 

 

その後もイライラモヤモヤの感情が収まらなかった。

 

 

不快な感情もだけど、恐怖心もあり

すぐさま信頼できそうな友人に相談した。

 

 

そもそも夜遅くに家へけしかけてきた上に

30分もドアの前に居座るなんて

どう考えても犯罪である。

 

 

しかし、その「信頼できそうな友人」に相談したのは間違いだった。

 

 

その人もまた「自分なりの正義」を言ってきて

あまり寄り添ってくれるような感じではなかったのだ。

 

 

実はこの人、過去に僕がパワハラ同然で派遣先を切られて相談したときも

全面的に味方についてくれるような感じではなかった。

 

 

なので僕は決めたのだ。

 

 

「正論しか言ってこない人」には

大事なことはもう相談しない。

 

 

って。

 

 

…もしかしたら

あなたもそういう経験あるのでは?と思う。

 

 

仕事や学校、家庭…など嫌な思いをした時に

 

「この人なら話を聞いてくれそう」

 

と思って相談した相手が

 

 

「こちらの話を聞いてくれない。」

「相手が自分のことばかり話してくる。」

「一般的な常識やルールを押し付けてくるばかり。」

 

 

そんな人だとがっかりしないだろうか。

 

 

その人に対して「失望」という感情が生まれるだろうし、

「この人はこうなのか…」

「じゃあ自分とは合わないな」

という考えに行き着いて、

結果、心を閉ざしてしまう。

 

 

そうやって距離を置くようになり、

過去には「疎遠になっていった人」もいただろうし

 

 

逆に自分はなんとも思っていなくても

「疎遠になってしまった」人もいるかもしれない。

 

 

ただ、僕もどちらかと言えば

「正論を言う」タイプだったかもしれない。

 

 

元々超真面目だったので

会社や学校、世の中のルールに対して

割と従順な方だから

「ルールに背いて好き放題やってたり

無頓着だったりいい加減だったり

その結果自業自得な出来事を招いてしまった人」に対して

内心意地悪したくなるというか、疎ましく感じてしまうのは

ものすごくわかる。

 

 

真面目な人ほどある意味「融通がきかない」んだよね。

 

 

だから本当に困っている相手なら全力で助けるけど、

ちょっとでも「相手も悪いな」という要素があると

冷淡にあしらってしまう、みたいな。

 

 

まぁ確かに、そういう「真面目な人」って

言ってることは正しいんだよ。

 

 

決して間違ってはいない。

 

 

でも大抵

その「正しさ」が自分基準じゃないんだ。

 

 

「世の中」に対して同調しているだけであって

自分の考えがない。

 

 

だから目の前の相手やその時の状況に柔軟に対応できないし、

なにか意見を求められても「言えない」のだ。

 

僕の場合、自分自身を「価値がない」と思い込んでいたから、

自分の意見を言うのが苦手だった。

 

 

面倒くさい

自分の身を守りたい

誰かを傷つけたくない

 

 

そういう感情で「ルール」を優先させていたかもしれない。

 

 

少なくともルールを守って「正論」を言っていれば、

それが「隠れ蓑」になるから。

 

 

しかし…

 

 

何を聞いても

 

「ルールだから」

「そういう決まりだから」

 

の一点張りって果たしてどうなのだろうか。

 

 

たとえばあなたが何か困ったことが起きて、

相手に相談をしてそういう答えしか帰ってこないと、

その人の人間性が薄っぺらく感じてしまうだろう。

 

 

そうやって信頼を失っていくんだよね。

 

 

世の中はルールや決まりで片付けられるほど

単純なものじゃない。

 

 

皆それぞれ様々な事情を抱えているわけだし

価値観も考え方も国も文化も違うわけだ。

 

 

ある一定の文化によって築き上げられた「ルール」を押し付けることが

どんなに虚しいことか…

 

 

僕もかなり狭い考えを持っていたと思うが、

短い民泊ホスト経験で、外国のゲストさんを何組か受け入れてわかったのである。

 

「相手には相手が生まれ育って得てきた価値観やルールがある

 

それがあまり良くわかっていなかった頃は

普通に土足で家に上がって来られてビックリしたから(笑)

 

いや、欧米がそういう文化なのは知ってたけど

実際自分の家でやられると

「おいおいおいおいおい!!!!」ってなるよね。

 

 

日本の「空気を読め。」「マナーを守れ。」

というのはまず通用しないからね。

そういう意味では非常に良い経験だった。

 

日本人のほうがマナー悪いこともわかったし(笑)。

 

 

だから僕は「世の中の正しさ」で物事を語るのは

今後は一切しないことにした。

 

 

誰かが決めた「正しさ」を優先させてしまうと

自分の「正しさ」がわからなくなるし、

他人のことも思いやれなくなるからだ。

 

 

あ、もちろん

何か考えがあってそのルールを守っているのなら良いんだよ。

その人自身が自分の頭で考えて選んだことだから。

 

 

例えば

「車を運転中、赤信号で停まらないといけないのは

事故を起こす可能性があるから」

ってどう考えても納得できることだしね。

 

 

でも、そうではなくて、

「思考停止」の状態で「なんとなく」従っているだけなら

それはやめたほうが良いってことさ。

 

 

もちろんルールを楯に

守らない他人を「悪い」「悪くない」って

むやみにジャッジするのもナンセンス。

 

 

実は、

そういう行為は自分に対してしているのと同じで、

自分が苦しくなるだけだからね。

 

 

てなわけでまとめると…

 

 

「正論で語るな。

あなた自身の言葉で語れ。」

 

ということだ。

 

 

少なくても困っている相手が助けを求めてきたら、まずは助けてあげよう。

その人だって勇気を出してあなたに助けを求めているだから

その気持ちを思いやろう。

 

その上で、

「相談してくれてありがとう。」

と相手に感謝の気持ちを述べるんだ。

 

なにか意見やアドバイスなど言いたいことがあっても

そこは一度飲み込んで、相手の話を聴くのが最優先。

 

 

同意できない部分、理解できない部分があっても

「辛かったんですね。」

「嫌な思いをしたんですね。」

とせめて寄り添ってあげよう。

 

 

そうすれば、相手に

「この人は味方だ」「信頼できる人」と思ってもらえるし、

あなたに対する評判が周囲の人も巻き込んで、

その後も様々な面で良いことが訪れるようになるだろう。

 

 

…ちなみに

僕が「相談した相手」だが、

その人の人柄自体は好きなので今も仲良くしていただいている。

 

 

ただ、この人に限らず

 

人間って価値観が合わないと、

将来的には自然と離れていくことになるかもしれない

 

これは仕方がないことなのかなとは思っている。

 

 

だから、

嫌ってはいないけど、なんか合わない…っていう人に対しては

付かず離れずの良い距離感を保ちつつ

色んな人と知り合っていく上で

「この人なら価値観が合うな、似てるな。」

「この人をもっと知りたい!仲良くしたい!」

って人と付き合うようにしていけば良いと思うよ。

 

 

価値観が変わるっていうのは自分が成長しているっていうことだからね。

 

 

生まれてから死ぬまでずっと一緒にいたい人って

むしろいないんじゃないかって思う。

 

 

そう考えると結婚ってかなり無理がある制度だなって思うし

バンドや音楽グループの解散やメンバーの脱退も

ファンにとっては寂しいけれど、必要だから起こる現象なんだよ。

(↑※これは音楽ファンの自分へ言い聞かせている言葉でもある。)

 

 

自分の気持ちを誤魔化さない。

目の前の相手を責めることも一切しない。

 

 

ありのままの事実を受け入れてつつ

流れに身を任せて生きていこう。

 

2013年11月 京都にて撮影。

相手が自分の領域を犯してきたら戦争しろ!

「戦争」なんてなんだか物騒な言葉を使ってしまったけど、

まぁタイトルのとおりだね。

 

 

ただ僕は、国家間や宗教間などの「戦争」について語りたいわけじゃないから

それを目当てに来てしまった人はブラウザをそっと閉じていただきたい。

 

 

僕が話したい「戦争」というのは

 

「自分を守るための戦争」

「人と健全な関係性を築くための戦争」

 

である。

 

コミュニケーションにおける戦争…

まぁ言ってみれば「喧嘩」や「口論」「自己主張」だね。

 

 

それを踏まえて、

 

「相手と戦争(バトル)して自分の領域を守ること」

 

の重要性について語っていきたい。

 

 

 

先日、とある会社のセールスの人が家に訪れた。

 

恐らく日本中でも大半の人が迷惑しているであろう

あの企業の訪問員だ。

 

 

その人はなぜかアパートの事情を知っていて、

一方的にこちらの事情を決めつけてきた。

 

僕は直感で「こいつは悪質なやつだ」と判断した。

 

 

出かける間際だったし

「急いでいるのですが。」

「さっきも言ったように…。」

とあれこれ説明しても信じるどころか全く聞き入れてくれない。

 

 

それどころか、

相手も「絶対に契約させる」勢いだったのか

何回も何回も同じことを聞いてくるのだ。

 

 

あまりにしつこいから最終的に

「だから言ったでしょ!?」

とキレて無理やり振り払うかのように相手を追い返した。

 

 

とりあえず申し込み用紙だけもらっておけば

相手も納得するだろうと思い、それは妥協したが。

(もちろん申し込むつもりはない。)

 

 

このように無礼な相手、

こちらの「人としての権利」を無視してくる相手、

自分の縄張りを犯そうとしてくる相手etc…には

僕は非常に厳しい態度をとる。

 

 

自分の「領域」を犯そうとしてくるから当然のことだ。

 

 

ちなみに「領域」とは国のように

自分の縄張りのようなものと思ってくれて良い。

 

 

それでもピンとこなければ

こちら↓でも軽く説明しているので参考にしてほしい。

 

 

 

…しかし…

こういう「赤の他人に自分の領域を侵される」経験は

きっと多くの人にあるはずだ。

 

 

 

例えば子供の頃を思い出してほしい。

 

 

親など大人たちから指図や命令をされたことはないだろうか?

 

 

「宿題しなさい」

「部屋を片付けなさい」

「あれやりなさい」

「これやりなさい」

 

 

まぁこんな細かいこといちいち言われてばっかりじゃ

 

 

「うるせーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」

「じぶんでやるわーーーーーー!!!!!!!!!!!」

 

 

ってキレたくもなるよね(笑)。

 

 

でも、従わないと怒られる、叩かれるなどされた人もいるはず。

 

 

そのたびに、相手に対して反発心を抱いてしまう。

 

反抗期では荒れてた人も多いんじゃないかな。

 

今リアルタイムで荒れてる人もいるかもしれないね。

 

 

それはまだ良い。

嵐はいずれ治まるときが来るだろうから。

 

 

問題なのは

「これが出来ない自分はダメなんだ」と

自分自身を否定するようになって、

 

大人になった今でもその呪縛から逃れられず

苦しんでいる人も少なくないはずだ。

 

 

親だけでなく、上司や先輩からも似たようなことをされている人もいるだろうね。

 

 

逆に、人をまとめる立場にある人なら、

人に対してそのようなことをしてしまう人もいるだろう。

 

 

こういった

「相手に対して指図をしてしまう」

もしくは

「相手の言うことに嫌々従ってしまう」

 

それは

「相手の領域を犯す」

もしくは

「相手が自分の領域に入るのを許してしまう」

ということにもなる。

 

 

 

「自分らしい生き方」をする上でも、

「相手との依存的ではない健全な関係性を築く」上でも

全く良いことではない。

 

 

 

 

 

それなのにも関わらず、

「本当はこういう事情があるのに…」

といった気持を言葉にできず

逆らえない人は多いだろう。

 

 

しかし、自分の気持ちを押し殺して人の言うことを聞いてばかりいると

全て相手の基準で物事を考えるようになってしまい、

自分の気持がわからなくなってくる。

 

 

「自分はどう考えているのか」

「自分にとって何が嫌なのか」

「自分は何を望んでいるのか」

 

 

こういった「自分の気持ち」がわからなくなってくると

相手が全ての判断基準になってしまい、

常に相手の顔色を伺うようになり

自分らしく自然体に振る舞うことができなくなる。

 

 

「自分の軸」ではなく「他人の軸」で物事を考えてしまうからだ。

 

 

※「自分の軸」「他人の軸」についてはこちら↓を参考にしてほしい。

 

 

「他人の軸」つまり「他者の気持ち優先」で物事を考えると、

自分が何をするにも相手が優先になる「共依存の関係性」になってしまう。

 

 

いつまでも子離れできない過保護な親とか。

DV彼氏と別れられない彼女とか。

 

 

「この子がいなきゃ…」

「この人がいなきゃ…」

と常に自分がいなきゃいけないと思う込んでいる状態のことだ。

 

 

そうしたことを続けていくと、あなた自身も被害妄想にとらわれやすくなる。

 

 

こうした共依存は、

「相手の存在」で「自分自身の存在意義」が保たれているからである。

 

 

いざその関係性がなくなり

(恋人と別れる、親なら子供が勝手にどこかへ行ってしまうなど)、

あなたにとって不都合な状況(破産や病気など)が訪れた時に

 

 

「あの人のせいだ」

「あいつが悪い」

「あの子が〇〇してくれない」

 

という考えに陥りやすいからである。

 

 

これは人を恨んでばかりの人生だ。

 

そんな人生を送るようになってしまうと、

怒りや悲しみのエネルギーを湧き上がらせたまま毎日を過ごすことになり、

あなたが幸せに生きられなくなる。

 

 

なので、今すぐにそれを断ち切ろう。

 

 

「革命」の始まりだ。

 

 

DV彼氏(彼女)を持った恋人は

今すぐに同棲しているアパートから出ていくべきだし、

 

 

子供に干渉してしまう親は

「子供が幸せなら何をしていても構わない」と

良い意味で子供に対して「無関心」になる必要がある。

 

 

逆もあるよね。

 

 

親のことを「鬱陶しい」と思うのなら、

今すぐにでも一人暮らし出来るアパートを見つけよう。

連絡はたまに行えば十分だし、

なんなら海外まで行ってしまっても構わない。

 

 

僕だって一人になりたくて、

ほぼ海外みたい沖縄を選んだんだから。

 

 

「革命」の後には「戦争」が起こる。

 

 

もしそれでも相手が自分に依存してくるのであれば、

「戦争(バトル)」をしよう。

 

 

↑お前こそ口悪すぎだから自重しろ

 

 

自分が思っていることを相手にぶつける。

 

 

僕もそうだが、日本人には口論が苦手な人は多い。

 

怖いかもしれない。

面倒なことになるかもしれない。

 

 

でもね、

「自分の気持を吐き出すこと」は

自分のためでもあり、

相手のためでもあるのだ。

 

 

少しでもあなたを思いやってくれる人なら自分自身で考えるだろうし、

その人自身が自立して人生が良い方向に向かっていくかもしれない。

 

 

逆に、依存的な考えが抜けない人はいつまでも同じことを繰り返すし、

別の「依存させてくれる人」のところへ去っていくかもわからない。

 

 

でも、それは全て「相手の責任」なんだから、

あなたが心配して気にする必要なんてないんだよ。

 

 

少なくともあなたの「思い」を外にだすことで、

相手が成長する可能性を与えることになる。

 

自分の中で悶々としたままでは

その可能性すら0になるんだ。

 

だから、「言葉にする」ことは大切なことなんだよ。

 

 

それでも相手が

 

「あなたに対して過剰な期待をしてくる」

「あなたに対して依存心を抱いている」

「言うことを聞かせようと支配的な態度を取ってくる」

 

 

その状態であなたのところへまた来ようものなら、

完全にスルーして良い。

 

 

もしくは自分の考えをぶつけて、毅然とした態度で追い払えば良い。

しつこいセールスマンに対処するかのように。

 

 

 

「相手と戦争」をすること…

つまり、あなたが自分の考えを主張することは、

少なくともその人にとっては「意味があること」に繋がるはずだ。

 

 

もしそれで

「相手が怒る」「他の人からも責められる」

などの不都合なことが起きてしまっても、

それは放っておいて構わない。

 

 

厳密に言うと、

「受け取り方は人それぞれなのだから、徹底的に相手に任せる」

ということだ。

 

 

 

あなたに覚えていてほしいのが、

「相手が相手自身で考えて処理をするべき課題や問題」は

確実に「相手の領域」

なんだよね。

 

 

少なくても「あなたの領域」ではないはずだ。

 

つまり、あなたが相手の問題を解決する義務はないということ。

相手の問題なのだから。

 

あなたが相手を思い通りにさせたい、

相手に言うことをきかせたいと思い、

相手の「領域」に無理やり入り込んでいくのであれば

相手に反発されても仕方がないだろう。

 

相手だって相手の「領域」を守る権利があるんだから。

 

逆に言えば、

相手が自分の領域に無理やり入っていくのであれば

反発しても良いし、自分の言いたいことを言って構わない。

あまりにも執拗な行為をするのであれば逃げてしまって構わないし、

他の人に助けを求めるのもアリだ。

 

 

…てなわけでまとめると、

 

 

人に振り回されてばかりで疲れている人が

「人の顔色を伺わず、自分の気持ちを最も優先できる生き方」

ができるようになるには

 

 

「相手と自分との問題を明確に区別し、

必要以上に干渉してくる相手には毅然とした態度をとること。

もしくは必要以上に相手に干渉せずに突き放すこと。」

 

 

こういったことが大切なのだ。

 

 

「自分のことは自分で決める」

「相手のことは相手が決める」

 

それを前提にある程度の距離を置いた関係を築くこと。

 

 

それが本当の意味で

「お互いを信頼し、尊重できる」

自立した大人同士の理想の関係だと思うな。

他人の感情なんて気にしなくていいのサ

以前、以下の記事↓で「自分の問題」と「相手の問題」を切り分ける、といった内容について説明した。

 

 

自分が楽になるためにも、相手を本当の意味で思いやるためにも、
「自分」と「相手」の領域は認識しておくことが大切なのだ。

 

今回はより情緒的な面、

「自分の感情」と「相手の感情」の切り分け方についてさらに深掘りしていきたい。

 

 

 

最近、ちょっと面倒なことが起きた。

 

 

いや、僕も言い方が悪かったなという反省はあったのだけれど、

 

 

明らかに相手が自分で事を招いたというか、
相手が勝手に思い込んで僕にきちんとした確認もせず勝手に話を進めていたのだ。

 

それで両者で認識が違っていたという事態が起きた。

 

さらに、自分で事を招いたにも関わらず、
「〇〇してもらえないと困るんですよ。」というようなことを僕に言ってきたのだ。

 

 

まぁ簡単に言うと…

 

 

「そんなの知るかよ(笑)。」と言いたくなるような出来事だった。

 

 

しかも、相手は相手でこちらを悪いと思っているフシがあるらしく、
自らの過失を認めつつも特にちゃんとした謝罪の言葉はなかった。

 

 

ただ、相手も一応相手自身のしたことは反省したようで、
事が起こった後はこちらにきちんと確認してきた。

 

 

そして、最終的には両者が妥協できる形で落ち着いたから別に良いんだけどね。

 

 

でもなんだかモヤッと来た、ぶっちゃけ。

 

 

俺が相手の立場だったら、きちんと確認しなかったこちらが悪いと思ってちゃんと謝るし、
実際、こちらの何気ない発言で相手が間違った認識で動いてしまっていたことは申し訳なく思った。

 

しかし、実際動く前に再確認するなどしてもらわなければ、そんな事情はわからないわけである。

 

さらに、「こちらも悪いところはあったけど、心底納得していない。」みたいな空気を
相手から感じ取ってしまったからだ。

 

 

あーーーーーーーーめんどくせーーーーーーー!!!!!!!!!

 

 

って思ったね(笑)。

 

 

…愚痴ってしまって申し訳ない。

 

 

でも、こういうトラブルって誰もが経験したことあると思うんだ。

 

 

「相手だって悪い部分があるのに、被害妄想が激しいなぁ。」

 

とか

 

「一方的にこちらが悪いみたいになるのは納得いかない。」

 

とか

 

このような感じで、

モヤモヤした感情になることはあなたも少なくないのではないか。

 

むしろ「そんなのしょっちゅうだよ!」っていう人もいるかもね。

 

 

でも、こういう出来事っていうのは、意味があって起こるんだよ。

 

 

 

こういう事態になった時、気をつけたいことがいくつかある。

 

 

まず…

 

相手のせいにするのは簡単だけれど、被害妄想的な考えにはならないこと。

 

 

起こってしまったことに対して、いつまでも怒っていたって仕方がない。

どう気をつけたら良いのか?自分の中での改善点を探し出すなり、

相手はどうしてほしかったのか?と考察するなりしよう。

 

次に…

 

例え相手があなたのせいにしてきても、そんなのは放っておこう。

 

 

これは簡単なことで、

そんなことに時間もエネルギーも奪われてしまうのは無駄なことだからだ。

 

自分のことは十分に愛せている分、自分に対する評価には無関心で、

「あぁ、そうですか。」と受け流す、

もしくは笑ってネタにするくらいが丁度よい。

 

※ちなみに僕としては、NON STYLEの井上さんみたいな生き方が理想だ。

 

自分のことを十分に愛せていれば、他人がなんと言おうか気にならない。
 

 

そして…

 

 

人がどう言おうと、あなたはあなたの内面だけに目を向けて、
自分が成長するような考え方を身に着けるようにしよう。

 

 

つまり、人間関係に置いて、こういうモヤッとした感情になった時に
ぜひ思い出してほしいことがある。

 

 

それは…

 

「相手の被害妄想、相手の自分に対する怒りの感情は相手の問題だ。」

 

ということである。

 

 

事態を招いた原因は、もちろん自分にもあるかもしれないが、
犯罪や暴力、権力の乱用などを除き、
大抵のことはどちらかが100%悪いということはないのである。

 

 

今回の場合、僕は

 

「僕自身も思い込みが強いため、

“もしかしたら”のことを考えて相手に確認しなかったのが問題だった。」

 

「相手が何も言わなければ(特に問題ないと思い込み)

こちらは何もしない、という受け身の姿勢が問題だった。」

 

という「自分の反省点」を明確にすることができた。

 

 

一方で、相手のことはどうだろう。

 

 

冒頭で相手の行為について「事前に確認してこなかった」と言ってしまったが、

相手は相手の問題なので、

正直、「推測はできるが、わからない。」というのが僕の答えだ。

 

 

誤解を恐れず言えば、

「相手の問題は相手の問題なんだから、僕には関係ない。」

ということである。

 

相手がキレようが泣こうがこちらのせいにしてこようが
徹底的に「他人は他人、自分は自分。」を貫く。

 

それが相手に対する本当の思いやりで、健全なメンタルを保つための姿勢なのだ。

 

一見逃げているように見えるけど、これがお互いにとってベストな考え方なんだよ。

 

どこまでが自分の責任で、自分が相手の機嫌を取らなくちゃいけなくて…

などと考え始めたらキリがないからね。

 

 

「自分が解決できる領域」と「自分には解決できない領域」

これらを区別することが大切なんだ。

 

 

自分の領域(問題、願望など)だけを把握しておこう。相手の領域は未知数なのだから。
 

 

 

ここで、「相手を迷惑をかけてしまって自分ってダメな奴」とか
「何をしたら自分に対する印象を良くしてくれるかなぁ?」とか…

 

相手の考え方や感情に踏み込むような、余計なことを考えてはいけない。

 

というか、そんな事を考えたって仕方がない。

 

直接相手に聞くならともかく、

勝手に自分自身で思い込んでいるからだ。

 

それは「自分にとって解決できない領域」なのである。

 

 

もし問題が起きて、

あなたが「〇〇してきたのは明らかに相手が悪いのに!」と思ってしまったら、

それは「相手の問題に踏み込んでしまっている」ということだ。

 

 

ここでもう一度思い出してほしい。

 

 

「相手の被害妄想、相手の自分に対する怒りの感情は相手の問題だ。」

 

 

私は私の好きなように生きる。

 

それを嫌だと思う、文句があるのならご自由にどうぞ。

 

 

自分の人生を楽しく生きるのも、誰かを嫌ったり恨んだりするのも、

その人の自由であり、

その人の人生における「その人自身の責任」なのだ。

 

あなたが自分の身を捧げて削ってまで解決するべきことじゃない。

 

相手のことは、相手を信頼して、相手に任せよう。

 

例え一時的に嫌な感情になったとしても、

自己成長できる人は自分自身できちんと考えてくれるから。

 

なので、起きたことに対していつまでも怒ったり悲しんだりしないこと。

 

 

というわけで、まとめると

 

「他人があなたのせいにしようがあなたに不満を抱こうがそんなの関係ない。

それは相手の人生に対する相手自身の責任だからだ。

 

あなたはあなたの人生を、自分自身のために生きればよい。

それがあなたの人生に対するあなた自身の責任だ。」

 

 

…ということだ。

 

 

ただし、相手が明らかに名誉毀損や営業妨害に当たる行為をしてきたときは、

あなた自身の「正義」を守るためにも、徹底的に戦って良いと思うよ。

 

 

でもあなた(もしくは相手)に悪意がなくてことが起こった場合、

大概のことは、相手(あなた)がどのように受け取ろうが自己責任の範囲である。

 

それを捻くれた認識で捉えすぎてしまうと、人間嫌いになってしまうのである。

 

↓これについて、もしよければこちらの記事も参考にしてほしい。

 

別に人が好きにならなくても良いけど、

人に対してさほど期待しなければ嫌いにもならないと思うんだ。

 

 

あなたに対して怒り狂っている相手がいたとしても、

それに怯むこと無く、

「ふーん、そうなんだー。」とただただ眺めていればいい。

 

それから、相手の事情を把握した上で、

自分を客観視して解決策(改善点など)を見出してみよう。

 

 

急には難しくても、少しずつ、実践してみてほしい。

 

 

 

日常で一つ一つの出来事や感情に対して、

「これは自分の問題か?」「これは相手の問題か?」

って考えるのもおすすめ!

 

 

こういったことを続けていくうちに、

 

周囲の人に気を使いすぎて、相手のことを考えすぎて疲れてしまう…

 

そんなこともなくなるはずだ。

 

 

というか…そんなこと、もうしなくて良い。

 

 

自分のために生きていこうよ。

「応援できる人」最強説。

今日はLGBTイベントの経験を通して得られた、
「誰かをサポート、応援すること」ということについて話していきたい。

 

 

今日はピンクドット那覇に行ってきた。

 

 

 

以下でもちょっと触れるが、身体の調子があまり良くないので

写真をバンバン撮ることはしなかった。

 

よって上の写真は数年前のイベント画像だけどね。

 

いつもこの会場に行く際、企業ブースで売られているフードを楽しみにしているところはある。

 

 

View this post on Instagram

 

天海夜 煌琉さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿


画像は去年会場で購入したレインボーサンドだ。

 

改めて、「レインボーってインスタ映えするよな」と実感。

 

 

 

…まぁ、それはさておき。

 

 

今年のピンクドットには、
僕はLGBT応援マガジン「空飛ぶ船」のスタッフとして参加した。

 

 

 

10月中にサイトと出版物、が出来上がり、
カフェもオープン予定なので、
随時こちらのブログでも紹介していく予定。

 

様々なLGBTの方を支援できたら良いな、と思う。

 

 

さて、ピンクドット当日は、
なんだか先日の夜から腕が痛くて痛くてなかなか寝付けず、
翌日も痛みが引かなかったので遅れていくことにした。

 

そういうわけか、ちょっと気持ちも落ち気味だったのである。

 

しかし、実際にブースにいる時や他団体さんのブースに行くと、
当事者やアライの方を問わず、
過去に僕が関わった方と出会い、懐かしい気分にもなった。

 

 

改めて、自分に敵対心を抱く人達よりも、
暖かく応援してくれる方の方が多かったんだなぁと実感。

 

 

でも、「思いがけない人と再会して応援された」り、
「思ってもいなかった人物に暖かく声をかけられた」り…

 

そんな経験って誰にでもあるのではないだろうか。

 

 

例えば、会社などで嫌なことを言われたり、
誰かが誰かの愚痴や悪口を言ってたり、
そんな後味悪い場面に遭遇したことってあなたもあるはずだ。

 

 

そうやって嫌な気持ちになっている時に、
「どうしたの?」と声をかけてもらったり、
ふとしたことで「いつもありがとう。」とお礼を言ってもらったり、
自分の仕事を評価してもらったり、

 

そんな些細な出来事で嬉しくなることはないだろうか。

 

声をかけてくれる人が、日頃親しくしている人ならともかく、
あまり話したことがない人であればなおさらである。

 

それから、何気なく上げた記事をフェイスブックで共有した際に、
思わぬ人から「いいね!」がついたことはないだろうか?

 

 

そんな時にも、
「この人は見てくれているんだ。」
と嬉しくなることだろう。

 

例え誰かからも反応がない日があったとしても、
それだけで報われたというか、
記事を書くこと自体は無意味じゃなかったと思えるだろう。

 

 

つまり、人は、「誰かから声をかけてもらえる」「反応してもらえる」というだけで、

「この人は自分を受け入れてくれる。」と思えるのだ。

 

 

「誰かを応援する」ということは、
「自分の可能性も認める。」ということ。

 

 

逆に、「誰かを批判する。」ということは、
「自分の可能性を制限する。」ということだ。

 

 

批判ばかりしている人は大抵、自分にも厳しい。

そのため、「自分はダメだ。」と、自分を卑下しがちなのである。

 

結果、「出来ること」の範囲もどんどん狭まっていくし、
夢を叶えづらい体質になってしまう。

 

 

一方で、誰かを応援したり、誰かの可能性を信じる人というのは、

自分に対しても、「何をやってもきっと大丈夫。」と思えるものである。

諦めることなく目標を達成できれば、自分の価値観の幅も一気に広がるしね。

 

 

 

僕は過去の記事にも、自分を徹底的に愛することを推奨してきた。

 

 

 

大切なのは、「正義」か「悪」かよりも、
自分も含め、「自分らしく幸せに生きられる人が一人でも増えること。」である。

 

それは自分を愛することから始まる。

 

自分が大好きになれば、批判や悪口、他人の評価も一切気にならなくなるから。

 

 

 

自分を愛しながら、誰かの応援もしていこうぜ?

 

 

さて、今回(2018年)のピンクドット那覇は
真剣にLGBTの活動に取り組んでいる団体さんが多く見られて良かった。

 

 

僕は自分の活動を応援してもらうことはもちろんのこと、
そんな人達のことも応援していきたい。

 

 

ということで、「本当に良いな。」と感じたものは、
こちらのブログでも紹介していくので、
その時はぜひあなたも応援にご協力いただければと思う。

 

 

もちろん、出来る範囲でで良いので…

よろしくお願いしますね。

 

 

さて、今回は

「自分自身が少しでも楽しく生きられるためにも、

誰かのことを批判することはやめて、気になっている人のことを暖かく応援しよう。

それが自分を愛すること、自分の可能性を広げることにもつながる。」

ということについて語ってみた。

 

 

もし良ければあなたも、様々なイベントに参加したり、ボランティア活動の協力をしたり、
ご自身のアンテナが立つところは積極的にしてみてはいかがだろうか。

 

 

思わぬ誰かが、あなたを見守っていてくれるかもしれないからね。

 

 

 

…そうだ、今年のピンクドットで楽しみにしていたフードのことだけれど、

 

 

今年はなんとピンクたい焼き!!

 

 

 

View this post on Instagram

 

天海夜 煌琉さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿

 

色は派手だけど美味しかった!!

 

 

来年はどんなフードが出るのか楽しみだなぁ。

自分を「価値がない存在」と思うのなら、「〇〇を与える存在」になろう。

「自分とは、本当の意味でどのような存在なのか?」

について考えていきたい。

 

 

かつての僕は

 

「自分には価値がない。」

 

と思い込み嘆いていた。

 

 

自分に対して好意的に接してくれる人なんてあまりいなかったりとか、

 

仕事でミスやヘマをしてしまったときとか、

 

憧れのアーティストや周囲にいる誰からも好かれる人と自分を比べてしまい、
劣等感を抱いてしてしまったりとか、

 

好奇心旺盛なのは良いんだけどすぐに飽きてしまって、
自分自身を中途半端で器用貧乏だと感じてしまったりとか、

 

好きな人、関係を深めたい人が近くにいることなんて少なくて、
いつも周りにはどうでもいい、面倒くさい人間が多かったりとか、

 

高校時代、かつて無いくらい強い想いを寄せていた女性がいた。
その際、自分自身のカミングアウトも兼ねて彼女の友人に恋愛の相談をしたら、
相談相手に「頭が痛くなるからこれ以上相談に乗れない。」と断られてしまい、
「自分なんて相手に迷惑をかけるだけの存在だ」と思ってしまったりとか、

 

「自分なんて変態なだけで何もできない存在だ」と思いこんで
思春期をただ闇雲に過ごしてしまっていたりとか、

 

 

そういったことが積み重なり、

 

「自分はダメだ」

 

「幸せになる権利がない人間なんだ」

 

「価値がない人間なんだ」

 

…などと思い込んでしまっていた時期もあった。

 

 

しかし、これってかつての僕だけではなく
世の中で生きづらさを感じている人の中には、そう思っている人もいることだろう。

 

「仕事に趣味に恋愛に、何をやってもうまくいかない。」

 

「貯金もないしお金の不安がある。」

 

「身も心も神経もすり減らしていてもう限界だ。」

 

「そんな自分はダメなんだ。生きている価値がないんだ。」

 

そんなことを感じてはいないだろうか?

 

 

つまり、何が言いたいかと言うと…

 

 

人はついつい自分にばかりフォーカスを当てて、

「自分は価値がないダメ人間だ」と思いがちなのである。

 

 

そもそも考えてみてほしい。

 

人間にだって動物にだって「価値」というものは存在しない。

 

 

いくら知名度が高かろうが低かろうが

世に功績を残しているか残していまいが関係ないことである。

 

 

誰もが平等であり、与えられた「生」を楽しむだけだ。

 

 

それに、あなたを育ててくれた人、優しくしてくれた人というのは、

「価値のないもの」に多大な時間と労力を費やしてくれたのだろうか?

 

自分を必要以上に卑下するのは、そのような人達への紛れもない冒涜である。

自分のことしか考えていない言葉なのだ。

 

 

 

ただ、無理に自分を「価値がある存在」と思わなくて良い、とは思う。

 

 

前述したように、人間には元々「価値」というものがないのだから。

 

 

ただし、「成長」はするよね。誰でも。

 

 

少なくとも、幼少期から今まで全く一緒なんて奴はいないはずだ。

 

いや、逆にいたら怖いし。

 

ゆりかごから墓場まで、コピペで人生楽しもう!(ガクブル)
 

 

 

何だよそのホラー。

 

 

 

だったら自分のことを

 

「相手にとって成長のきっかけになる存在」

 

と思うのはいかがだろうか。

 

 

そう思えば、必要以上に相手の顔色を伺わなくて済む。

 

 

「こんなことを言ったら申し訳ない、悪いな。」と思うことでも

思い切ってお願いしてみることで

相手は思ったより快く「いいよ!」と引き受けてもらえることだってある。

 

 

何より、「自分なんて…」という卑屈な気持ちがなくなるから、

本当の意味で相手や自分、世界のことを考えられる人になれるのだ。

 

 

仮に本当に自分のことを「価値がない」と思うのなら、

 

周囲にとって良いもの(成長のきっかけや、新たな考えを生み出すきっかけ)

を与える人になるためにも

何かしらの行動を起こしてみると良い。

 

 

相手が上司(後輩)だろうか部下(後輩)だろうか、

お年寄りだろうか子供だろうが、

ただ思ったことを素直に言えば良いんだよ。

 

 

何か相手に対して欲求があるのなら、お願いだけでもしてみると良い。

 

 

仮に最初は「大変だな」「困ったな」と感じていたとしても、

途中で「嫌だ」「逃げ出したい」と思わせることがあったとしても、

喧嘩をしたり文句を言われることがあったとしても、

あなたを通して問題に取り組んでいる内にその人自身が成長できることもあるのだ。

 

 

その時は実感していなくても、後にそれが響いてくる場合もある。

それが1年後か、はたまた10年先か20年先かはわからないけど。

相手だって成長していく内に、

ポジティブな経験もネガティブな経験も

最終的には「感謝」の気持ちを持てるようになってくるはずだ。

 

 

ただし、それは相手次第ではあるので、恨みの感情を持たれる可能性もあるにはあるけれど。

でもそんなのは「相手の問題」なのだ。

あなたには何の関係もないから気にしなくて良いんだよ。

 

 

※「自分の問題」と「相手の問題」の切り分けについて、
良かったら↓こちらの記事も参考にしてね。

 

 

だから僕はかつての自分に言ってやりたい。

 

 

「恋愛相談に乗ってくれたあの人は、

別にお前のこと迷惑だなんて思っちゃいねーよ。

 

むしろお前のことなんて忘れてるかもしれないな。

 

ま、その時は大変だったかもしれないけれど、

“その人自身が成長するきっかけ”と思ってくれてるかもしれないよな。」って。

 

 

だから今は「自分の言動が相手にとっての学びにもなるかもしれない。」

と、なるべく自分自身に言い聞かせ、

できるだけ言いたいことは言うことにしている。

 

 

ぶつかるのを恐れちゃ、傷つくことや傷つけることを恐れていては何も生まれないから。

新しいアイデアもイノベーションも起こせない。

 

それこそ本当に「価値の無いこと」で

虚しいことだと思わないかい?

 

 

というわけで本日は、

「自分の存在を”価値”で判断するな。」

「無理に良い人ぶらなくて良い。”相手が成長できる”存在になろう。」

ということについて語ってみた。

 

 

それでは、この記事を読んでいただいたあなたへ…。

 

今日からは

「自分は価値がない。」

「自分はダメ人間だ。」

といった思い込みを一切禁止します!!!!

 

約束だよ?

 

 

自分のことばかりに目を向けず、

相手の気持だけを気にかけることはなく、

 

「自分と相手にとって一番ベストな方法はなにか?」

 

を考えていってはいかがだろうか?

 

 

 

全力で、ぶつかろう。

 

 

というわけで当ブログでは

記事に対する(僕の心が折れない程度の)反論も随時受け止めます。

 

もちろん誹謗中傷や無礼な人には全力スルーだけどね。

 

こちらを尊重してくれた上でのコメントはありがたいもの。

 

 

 

ご意見ご感想バッチコーーーーーーーーーーーーーーーイ!!!!!!!