「応援できる人」最強説。

今日はLGBTイベントの経験を通して得られた、
「誰かをサポート、応援すること」ということについて話していきたい。

 

 

今日はピンクドット那覇に行ってきた。

 

 

 

以下でもちょっと触れるが、身体の調子があまり良くないので

写真をバンバン撮ることはしなかった。

 

よって上の写真は数年前のイベント画像だけどね。

 

いつもこの会場に行く際、企業ブースで売られているフードを楽しみにしているところはある。

 

 

View this post on Instagram

 

天海夜 煌琉さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿


画像は去年会場で購入したレインボーサンドだ。

 

改めて、「レインボーってインスタ映えするよな」と実感。

 

 

 

…まぁ、それはさておき。

 

 

今年のピンクドットには、
僕はLGBT応援マガジン「空飛ぶ船」のスタッフとして参加した。

 

 

 

10月中にサイトと出版物、が出来上がり、
カフェもオープン予定なので、
随時こちらのブログでも紹介していく予定。

 

様々なLGBTの方を支援できたら良いな、と思う。

 

 

さて、ピンクドット当日は、
なんだか先日の夜から腕が痛くて痛くてなかなか寝付けず、
翌日も痛みが引かなかったので遅れていくことにした。

 

そういうわけか、ちょっと気持ちも落ち気味だったのである。

 

しかし、実際にブースにいる時や他団体さんのブースに行くと、
当事者やアライの方を問わず、
過去に僕が関わった方と出会い、懐かしい気分にもなった。

 

 

改めて、自分に敵対心を抱く人達よりも、
暖かく応援してくれる方の方が多かったんだなぁと実感。

 

 

でも、「思いがけない人と再会して応援された」り、
「思ってもいなかった人物に暖かく声をかけられた」り…

 

そんな経験って誰にでもあるのではないだろうか。

 

 

例えば、会社などで嫌なことを言われたり、
誰かが誰かの愚痴や悪口を言ってたり、
そんな後味悪い場面に遭遇したことってあなたもあるはずだ。

 

 

そうやって嫌な気持ちになっている時に、
「どうしたの?」と声をかけてもらったり、
ふとしたことで「いつもありがとう。」とお礼を言ってもらったり、
自分の仕事を評価してもらったり、

 

そんな些細な出来事で嬉しくなることはないだろうか。

 

声をかけてくれる人が、日頃親しくしている人ならともかく、
あまり話したことがない人であればなおさらである。

 

それから、何気なく上げた記事をフェイスブックで共有した際に、
思わぬ人から「いいね!」がついたことはないだろうか?

 

 

そんな時にも、
「この人は見てくれているんだ。」
と嬉しくなることだろう。

 

例え誰かからも反応がない日があったとしても、
それだけで報われたというか、
記事を書くこと自体は無意味じゃなかったと思えるだろう。

 

 

つまり、人は、「誰かから声をかけてもらえる」「反応してもらえる」というだけで、

「この人は自分を受け入れてくれる。」と思えるのだ。

 

 

「誰かを応援する」ということは、
「自分の可能性も認める。」ということ。

 

 

逆に、「誰かを批判する。」ということは、
「自分の可能性を制限する。」ということだ。

 

 

批判ばかりしている人は大抵、自分にも厳しい。

そのため、「自分はダメだ。」と、自分を卑下しがちなのである。

 

結果、「出来ること」の範囲もどんどん狭まっていくし、
夢を叶えづらい体質になってしまう。

 

 

一方で、誰かを応援したり、誰かの可能性を信じる人というのは、

自分に対しても、「何をやってもきっと大丈夫。」と思えるものである。

諦めることなく目標を達成できれば、自分の価値観の幅も一気に広がるしね。

 

 

 

僕は過去の記事にも、自分を徹底的に愛することを推奨してきた。

 

 

 

大切なのは、「正義」か「悪」かよりも、
自分も含め、「自分らしく幸せに生きられる人が一人でも増えること。」である。

 

それは自分を愛することから始まる。

 

自分が大好きになれば、批判や悪口、他人の評価も一切気にならなくなるから。

 

 

 

自分を愛しながら、誰かの応援もしていこうぜ?

 

 

さて、今回(2018年)のピンクドット那覇は
真剣にLGBTの活動に取り組んでいる団体さんが多く見られて良かった。

 

 

僕は自分の活動を応援してもらうことはもちろんのこと、
そんな人達のことも応援していきたい。

 

 

ということで、「本当に良いな。」と感じたものは、
こちらのブログでも紹介していくので、
その時はぜひあなたも応援にご協力いただければと思う。

 

 

もちろん、出来る範囲でで良いので…

よろしくお願いしますね。

 

 

さて、今回は

「自分自身が少しでも楽しく生きられるためにも、

誰かのことを批判することはやめて、気になっている人のことを暖かく応援しよう。

それが自分を愛すること、自分の可能性を広げることにもつながる。」

ということについて語ってみた。

 

 

もし良ければあなたも、様々なイベントに参加したり、ボランティア活動の協力をしたり、
ご自身のアンテナが立つところは積極的にしてみてはいかがだろうか。

 

 

思わぬ誰かが、あなたを見守っていてくれるかもしれないからね。

 

 

 

…そうだ、今年のピンクドットで楽しみにしていたフードのことだけれど、

 

 

今年はなんとピンクたい焼き!!

 

 

 

View this post on Instagram

 

天海夜 煌琉さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿

 

色は派手だけど美味しかった!!

 

 

来年はどんなフードが出るのか楽しみだなぁ。

自分を「価値がない存在」と思うのなら、「〇〇を与える存在」になろう。

「自分とは、本当の意味でどのような存在なのか?」

について考えていきたい。

 

 

かつての僕は

 

「自分には価値がない。」

 

と思い込み嘆いていた。

 

 

自分に対して好意的に接してくれる人なんてあまりいなかったりとか、

 

仕事でミスやヘマをしてしまったときとか、

 

憧れのアーティストや周囲にいる誰からも好かれる人と自分を比べてしまい、
劣等感を抱いてしてしまったりとか、

 

好奇心旺盛なのは良いんだけどすぐに飽きてしまって、
自分自身を中途半端で器用貧乏だと感じてしまったりとか、

 

好きな人、関係を深めたい人が近くにいることなんて少なくて、
いつも周りにはどうでもいい、面倒くさい人間が多かったりとか、

 

高校時代、かつて無いくらい強い想いを寄せていた女性がいた。
その際、自分自身のカミングアウトも兼ねて彼女の友人に恋愛の相談をしたら、
相談相手に「頭が痛くなるからこれ以上相談に乗れない。」と断られてしまい、
「自分なんて相手に迷惑をかけるだけの存在だ」と思ってしまったりとか、

 

「自分なんて変態なだけで何もできない存在だ」と思いこんで
思春期をただ闇雲に過ごしてしまっていたりとか、

 

 

そういったことが積み重なり、

 

「自分はダメだ」

 

「幸せになる権利がない人間なんだ」

 

「価値がない人間なんだ」

 

…などと思い込んでしまっていた時期もあった。

 

 

しかし、これってかつての僕だけではなく
世の中で生きづらさを感じている人の中には、そう思っている人もいることだろう。

 

「仕事に趣味に恋愛に、何をやってもうまくいかない。」

 

「貯金もないしお金の不安がある。」

 

「身も心も神経もすり減らしていてもう限界だ。」

 

「そんな自分はダメなんだ。生きている価値がないんだ。」

 

そんなことを感じてはいないだろうか?

 

 

つまり、何が言いたいかと言うと…

 

 

人はついつい自分にばかりフォーカスを当てて、

「自分は価値がないダメ人間だ」と思いがちなのである。

 

 

そもそも考えてみてほしい。

 

人間にだって動物にだって「価値」というものは存在しない。

 

 

いくら知名度が高かろうが低かろうが

世に功績を残しているか残していまいが関係ないことである。

 

 

誰もが平等であり、与えられた「生」を楽しむだけだ。

 

 

それに、あなたを育ててくれた人、優しくしてくれた人というのは、

「価値のないもの」に多大な時間と労力を費やしてくれたのだろうか?

 

自分を必要以上に卑下するのは、そのような人達への紛れもない冒涜である。

自分のことしか考えていない言葉なのだ。

 

 

 

ただ、無理に自分を「価値がある存在」と思わなくて良い、とは思う。

 

 

前述したように、人間には元々「価値」というものがないのだから。

 

 

ただし、「成長」はするよね。誰でも。

 

 

少なくとも、幼少期から今まで全く一緒なんて奴はいないはずだ。

 

いや、逆にいたら怖いし。

 

ゆりかごから墓場まで、コピペで人生楽しもう!(ガクブル)
 

 

 

何だよそのホラー。

 

 

 

だったら自分のことを

 

「相手にとって成長のきっかけになる存在」

 

と思うのはいかがだろうか。

 

 

そう思えば、必要以上に相手の顔色を伺わなくて済む。

 

 

「こんなことを言ったら申し訳ない、悪いな。」と思うことでも

思い切ってお願いしてみることで

相手は思ったより快く「いいよ!」と引き受けてもらえることだってある。

 

 

何より、「自分なんて…」という卑屈な気持ちがなくなるから、

本当の意味で相手や自分、世界のことを考えられる人になれるのだ。

 

 

仮に本当に自分のことを「価値がない」と思うのなら、

 

周囲にとって良いもの(成長のきっかけや、新たな考えを生み出すきっかけ)

を与える人になるためにも

何かしらの行動を起こしてみると良い。

 

 

相手が上司(後輩)だろうか部下(後輩)だろうか、

お年寄りだろうか子供だろうが、

ただ思ったことを素直に言えば良いんだよ。

 

 

何か相手に対して欲求があるのなら、お願いだけでもしてみると良い。

 

 

仮に最初は「大変だな」「困ったな」と感じていたとしても、

途中で「嫌だ」「逃げ出したい」と思わせることがあったとしても、

喧嘩をしたり文句を言われることがあったとしても、

あなたを通して問題に取り組んでいる内にその人自身が成長できることもあるのだ。

 

 

その時は実感していなくても、後にそれが響いてくる場合もある。

それが1年後か、はたまた10年先か20年先かはわからないけど。

相手だって成長していく内に、

ポジティブな経験もネガティブな経験も

最終的には「感謝」の気持ちを持てるようになってくるはずだ。

 

 

ただし、それは相手次第ではあるので、恨みの感情を持たれる可能性もあるにはあるけれど。

でもそんなのは「相手の問題」なのだ。

あなたには何の関係もないから気にしなくて良いんだよ。

 

 

※「自分の問題」と「相手の問題」の切り分けについて、
良かったら↓こちらの記事も参考にしてね。

 

 

だから僕はかつての自分に言ってやりたい。

 

 

「恋愛相談に乗ってくれたあの人は、

別にお前のこと迷惑だなんて思っちゃいねーよ。

 

むしろお前のことなんて忘れてるかもしれないな。

 

ま、その時は大変だったかもしれないけれど、

“その人自身が成長するきっかけ”と思ってくれてるかもしれないよな。」って。

 

 

だから今は「自分の言動が相手にとっての学びにもなるかもしれない。」

と、なるべく自分自身に言い聞かせ、

できるだけ言いたいことは言うことにしている。

 

 

ぶつかるのを恐れちゃ、傷つくことや傷つけることを恐れていては何も生まれないから。

新しいアイデアもイノベーションも起こせない。

 

それこそ本当に「価値の無いこと」で

虚しいことだと思わないかい?

 

 

というわけで本日は、

「自分の存在を”価値”で判断するな。」

「無理に良い人ぶらなくて良い。”相手が成長できる”存在になろう。」

ということについて語ってみた。

 

 

それでは、この記事を読んでいただいたあなたへ…。

 

今日からは

「自分は価値がない。」

「自分はダメ人間だ。」

といった思い込みを一切禁止します!!!!

 

約束だよ?

 

 

自分のことばかりに目を向けず、

相手の気持だけを気にかけることはなく、

 

「自分と相手にとって一番ベストな方法はなにか?」

 

を考えていってはいかがだろうか?

 

 

 

全力で、ぶつかろう。

 

 

というわけで当ブログでは

記事に対する(僕の心が折れない程度の)反論も随時受け止めます。

 

もちろん誹謗中傷や無礼な人には全力スルーだけどね。

 

こちらを尊重してくれた上でのコメントはありがたいもの。

 

 

 

ご意見ご感想バッチコーーーーーーーーーーーーーーーイ!!!!!!!