ラルクのある曲によって突きつけられた「真実を知る勇気」

コリュにちはお日柄も良く…

天海夜 煌琉だよ。

 

さて、先日は、L’Arc~en~Cielのサブスク解禁に伴い

いろいろヒャッハーしていたことについて書いたのだが…

 

前回の内容↓

 

今回は、その中でも「とある曲」に焦点を当てて、

自ら感じたことを書いていきたいと思う。

 

僕の好きなラルクの曲の中で、「bravery」という曲がある。

収録アルバムは「REAL」だ。

 

↑神アルバム。

 

braveryの歌詞はこちら↓から確認できる。

 

上のリンク先にある歌詞を見ていただければわかるが、

この曲は穏やかな曲調の割に、歌詞がストレートで攻撃的である。

 

ちなみに、作詞はhydeさんではなく、TETSU(現・TETSUYA)さんだ。

約20年前の当時から、

「メンバーによって歌詞や曲のスタイルは違う」というのは、

子供ながらなんとなくわかっていたが

今だからこそ、より一層わかる気がした。

 

僕は最初この曲を聴いた時、

古い価値観にしがみついていてやたら保守的な性格な

「老害」に対するアンチテーゼの曲かと思っていた。

 

しかし、色々調べていてわかったことだが、

制作当時の彼らを否定して昔を懐かしんでばかり…

そんな一部のファンに向けられたもの、とも読み取れるのだ。

 

いわゆる「懐古厨」ってやつだね。

 

ちなみに「懐古厨」とはこういう意味↓の2ちゃん用語だ。

 

「昔のほうが良かった」といった言葉を連発し、

むやみやたらに現在あるものを否定したがる人たちのことである。

※参考→ニコニコ大百科:懐古厨

 

そうとわかって曲を聴けば、確かにそうだな〜といった感じ。

まぁ、雑誌などのインタビューを読んだわけじゃないから

厳密にはわからないけど。

 

ただ、彼らに限ったことではなく、

誰かを応援するファンである限り…

好きなアーティストの音楽性が変化したり

人気が出て一般向けの曲を量産するようになったり

ファンのマナーが悪くなったりなどすれば

「昔のほうが良かった」と言ってしまうことなんて

誰しもがありえるだろう。

 

一般的に、大人気のアーティストには

このように下積み時代から応援してくれるファンが居て、

初期の頃の音楽性やライブの雰囲気などが好きなファンからしてみれば、

アーティストの方向性や音楽性の路線変更は

受け入れ難く感じる人もいるだろう。

 

それで、文句を言いながらもファンを続けることもあるだろうし、

別のものに興味を向けるようになることもあるだろう。

 

人によっては、自分が受けた嫌な体験や考え方の相違により

アンチになってしまうこともあるかもしれない。

 

一方で、アーティスト側からしてみれば

もっと自分たちの活動を拡大していきたいだろうし

より多くのファンを獲得していかなければいけない。

 

もちろん、自分たちを支えてくれた

古い時代からのファンも大切にしていきたいだろう。

 

しかし、メジャー級のミュージシャンになるとあれば

どうしたって「売れる曲」も作っていかなきゃいけない。

 

一番優先しなきゃいけないのは

「見知らぬ誰か」ではなく「自分たちの夢」だし、

もっと活動の幅と、活躍できる世界を広げたい。

 

やむを得ない事情で

メンバーの変更を余儀なくされることもあるだろうし、

意見がぶつかれば、それだけメンバー間のトラブルだってあるだろう。

 

業界の嫌な関係者から、圧力をかけられることもあるかもしれない。

 

しかし、それらを乗り越えて素晴らしい作品を作っていけるわけだし、

様々なアーティストとの出会いを増やすこともできる。

 

いつまでも昔のまま変化も成長もなく、

細々と活動をしていくわけにはいかないだろう。

 

このように、アーティスト側の視点から見てみれば、

「今の自分たちを見てくれ!」

と、ファンに対して思うのは当然のことだろう。

 

というか、アーティストやクリエイターでなくても、

昔の自分と今の自分を、悪い意味で比較する人たちというのは、

鬱陶しいことこの上ないだろう。

 

僕だって、赤の他人から自分勝手なワガママなんて聞かされたくない。

なので、僕はファンとアーティスト、

どちらの気持ちもわかる(というか、憶測できる)。

 

このように、思いのすれ違いで、

アーティストが夢を追うほど、

「昔のほうが良かった」

「メジャーに行かないでほしい」

「(メンバーの変更があった場合)前任の人が良かった」

などと言うファンは、どうしたって出てくるのだ。

 

下積み時代のある大人気のスターには、

以上のような現象は付き物だろう。

 

なお、ファンに対して何か思うことがあった時に、

彼らにメッセージを作品の中に表現する人達もいれば、

雑誌のインタビューなどで表現する人達もいる。

 

某カリガリの石○さんみたいに

「テメーらいいかげんにして下さい。」

と言っちゃう人もいる。笑

 

それはそれで良いとして…

ここで一つだけ、

この世界にいる全ての、「誰か」のファンであるあなたに、

ぜひ知っておいてほしいことがある。

 

全ての物事は、表に出ているだけが全てではないのだ。

 

この図を見てほしい。

 

 

木だ。

 

木だね。

 

紛れもなく、木だ。

 

木に異論はない。

 

明らかに「木」というより、

「木と草原」だろっていうツッコミはとりあえず置いておいて…

 

この「木」の全体像を見ると、どうだろう?

 

このように↓なる。

 

 

根も含まれるのだ。

 

根だね。

 

上から読んでもしたから読んでも…「ねだね」。

 

きっと、とある演歌歌手なら

「ねだねったら、ねだね♪」

と歌うことだろう。

 

…つまり何が言いたいと言うと、

この木の図は

「物事の見える部分・見えない部分」

の対比を表しているのだ。

 

 

僕はこの「bravery」という曲と

この木の図に重なる点があると思った。

 

braveryという曲から察して、

「とある一流アーティスト」としての事情や心情を想像してみる。

 

そして、その中で、

彼らに関して「見える部分」と「見えない部分」を

この木の図に照らし合わせると、こうなる↓。

 

 

上の図にて、

黒い文字が「表・見えている肯定的な内容」であり

白い文字が「裏・見えていない否定的な内容」である。

 

※念の為もう一度言っておくが、

これらの文字は「とある一流アーティスト」を例に想像しているので、

ラルクのことを言っているわけではない。

 

そう、一見輝かしい成功を収めている人々は、

見えない部分で、他の人の倍以上努力をしたり、

苦悩や葛藤、人間関係などに悩まされたりしているということだ。

 

特に、それほどコアなファンでもなく、

身近にいる関係者でも家族でもなんでもなければ、

わかることよりも、わからないことのほうが圧倒的に多いだろうし、

もちろん、本人だけにしかわからないこともあるだろう。

 

ただ、誰しもが皆、自分の意見を持っているわけだから、

「思ったことを言ってはならない」

というルールはないのだけれど…

 

 

それでも、上の図が示すように、

「すべての物事には表と裏がある」という考え方で

世の中を見れるようになれば、

凝り固まった考えに固執すること無く、

自分自身の視野も広がるのではないか?と思う。

 

そのため、僕はこの「表と裏」という考え方に気付いてからは、

たとえ自分に辛く当たってくる人がいたとして、

一時的に腹は立ったりするものの

「まぁ仕方ないかな?」

…と、スルーできるようになった。

 

むしろ、

「その人はその人で大変なんだろうな…」

と思ったら、

変に恨みつらみの感情を抱くよりも、

自分自身が楽になるのだ。

 

もちろん、「許すかどうか」は、また別問題になるけど、

自分自身のアンガーコントロールとしては、有効な方法である。

 

 

「見える部分(表)」と「見えない部分(裏)」

 

それぞれは独立しているわけではなく、一つの物体である。

 

上の図であれば、幹や葉・枝の部分も根の部分も

全て含めて「木」という一つの物体であることは事実だ。

 

このような「表と裏」の考え方は、いろいろなことに応用できる。

 

例えば、トラブルなどの問題が起きた時も、

相手の事情を考慮せず、一方的に決めつけたり、

相手の人格否定をしたりするのではなく、

相手の見えない部分(感情やプライベートな問題)に配慮した上で、

「その現象が再び起こらない仕組み」を考えることに

思考を凝らしていけたら、

建設的な解決に繋がるだろうなと思う。

 

というわけで、

全国の誰かのファンやフォロワー、ヲタク、信者の皆様へ。

 

あなたの信じている人が、違う方向へ舵をとった時に

「違う!」と言うのは簡単だ。

 

メンバーや関係者に対して、

どうしても言いたい意見があるなら、

それを言うかどうかはご自由にどうぞ。

 

しかし、一度、その人の立場に立って

考えてみてはいかがだろうか?

 

もしかすると、あなたの考えは

必ずしも正しいわけじゃないかもしれない。

 

それでも違和感があるのであれば、

そこから離れて、別の興味対象を探せば良いとは思うが、

せめて、相手の事情も察してあげてほしい。

 

なぜなら、

「真実は常に共有されない」からだ。

 

ちなみに↑この言葉は、

「bravery」の曲の歌詞に出てくる英語の歌詞の和訳である。

 

他人の考えなんてわからないし、

真実が何か?なんて、共有されない限りわからないのだ。

 

…とまぁ、以上のような「表と裏」の考え方を元に、

僕自身も一方的に物事を判断せず、

常に誰かに対する配慮と敬意を忘れず、

自分を磨いて成長していけたら良いなと思い、

この文章を書いたまでだ。(←雑なまとめ)

 

自分だって、

他人から勝手に決めつけられて、あーだこーだ言われたり

「自分はあなたのことをなんでも知っている」

みたいな態度でマウント取られたり、

憶測で有る事無い事言われたら嫌だしね。

 

そして、もし今後、自分が偏見で物事を決めつけたり、

知ったかぶりをしたり、

自分が本当にしたいことを挑戦しなかったり、

自分自身の信念から逃げたりするようなことがあれば…

 

その時は「bravery」の歌詞に出てくる、

もう一つの英語の詞の訳である、

「真実を知る勇気はお前たちにはない」

という言葉を、自分に浴びせようと思う。

 

 

木々は存在しているだけで、真実だ。