さらば、義務(ギブ)&洗脳(テイク)

世の中には

 

「〇〇しなければいけない」

「〇〇しないと〇〇になれない」

「〇〇してはいけない」

 

みたいな義務や洗脳があまりにも多いと思う。

 

 

いや、思う、じゃなくて…

 

 

実際多いよなぁ。

 

 

いやはやまったく息苦しいよなぁ。

 

 

 

…そう思わないかい?

 

 

 

「メェ?」
 

 

…………。

 

 

 

最近気づいたんだけど…

 

「やらなきゃいけないこと」って
大抵別にしなくても良いことなんだよね。

 

もしかしたら自分自身で「やらなきゃいけない」と妄想しているのかもしれないし、
ただ、やらなかった場合の恐怖に対して動かされているのかもしれない。

 

 

色んな本を読んでわかったけれど、
恐怖で動くことはあまり良くないことがわかった。

 

いや、むしろやめたほうが良い。
それくらい身体に対するストレスが大きいからだ。

 

 

むしろ、「いかに遊ぶか」が重要。

 

 

 

 

自分にとって心地良いことだけを考えていくほうが、
心から幸せになれると思うし、
若々しくて健康的な身体を手に入れることができるはずだ。

 

 

これでも多くの人はまだ

 

「会社には3年以上務めなければいけない」とか

 

「良い会社に入るためには良い大学に出なければいけない」とか

 

「結婚して家庭を築かないといけない」とか

 

「周りに迷惑かけてはいけない」とか

 

いろんな義務感や焦り、不安で動いている人が多いと思う。

 

 

「その通りにならないといけない」と考えながら
親や周囲の人間からのプレッシャーを受けて、
失敗を恐れて行動している人もいることだろう。

 

 

自分や他人の生き方にあまりにも制限や条件ばかり付けていたら
自分自身が生きやすくならないだけじゃなくて、
常に緊張感でガチガチだったら身体も壊すよね。

 

 

…でもこんな生きにくい生き方というのはもう昔前の話。

 

今は時代と共に価値観が変わってきているし、
インターネットの発達とともに自分を表現する機会や場所が増えた。

 

実際に僕の回りには
自分をありのままに出すことで人が集まってくる人が多いし、
楽しそうにお金を稼いでいる人もたくさんいる。

 

確かに、僕だって不安が全くないわけではない。

 

でもどうにか以前よりも楽になれたのは、
上に挙げたような「自分に正直に生きている人たち」と出会えたおかげだ。

 

もしこれが生まれてから今まで一定の価値観しかないコミュニティに
身を置いていたらと思うと非常にゾッとする。

 

要するに「家庭」だよね。

 

 

僕は以前、↑の記事でも言っていたことがあるが、
真の意味で自分が楽に生きるようになるためには、
安心できる「家庭」から離れるしか無い。

 

その安心感は本当の意味で自分を癒やしてはくれない偽物だからだ。

 

暗い自分のままだったら、それはそれは変化がなくて楽だけど、
自分が一番苦しいのだ。

 

しかし、自分自身を変えるには、
これまで身を置いていた考え方や価値観を手放さないと
なかなか変わることができないと思う。

 

僕も他者に対する恐怖だったり依存だったり自意識だったりが非常に強かったから
この辺のマインドを作り上げるのに時間がかかった。

 

もちろん今も発展途上ではあるが、
自分がどう見られているか、嫌われないか、ということよりも
どうしたら周囲の人を助けられるか…という考えに変わってきたように思う。

 

そして、何かをやるにつけてハナから「無理だ」と決めつけるよりかは、
「やってみないとわからないな」という考えに変わってきた。

 

ただ、一番の足かせになっているのは、
性格上、出来るだけ自分で解決したいという気持ちが少し強いようだ。
もっと素直に人に相談できたら良いなと思うんだけどね。

 

世の中にはすぐに結果が出る人となかなか結果が出ない人がいると思うけど、
素直な人は悩んだり疑心暗鬼になったりする間もなく行動に移すから
成長のスピードが早いんだと思う。

 

慎重になるのは仕方がないけれど、
あまりにもひねくれたものの見方だけはしないようにしたいね。

そうならないように、
不満があったらなるべく言うようにするだけでも良いのかもしれない。

 

 

だから僕は出来るだけ色んな人と会うようにしている。

特にこれまで自分が内心嫌でモヤモヤと感じていた固定観念やらなんやら
それらを否定してくれる人達の存在が必要だと感じているのだ。

 

確かに、これまで生きていた中で自分に酷い扱いをしてきた人達もいたけれど、
そんな人達よりも自分を大切にしてくれる人が遥かに多い。
自分の未熟さが原因で粗相をしても、許してくれる人だってたくさんいる。

 

そうやって「自分が価値のある存在」であることに気づいて、
周囲の人々に心から「ありがとう」と思う気持ちを持つ。
体験を一つずつ積み重ねていくしかないんだよね。

 

それは何年かかるかわからないけれど、焦らなくていい。

 

別に誉められなくたって良い。

 

「ありがとう」の言葉があれば良い。

 

実際にそれだけで自分の存在が許されている気がする、魔法の言葉だからだ。

 

 

僕も少し前まではギブ&テイクの考えだったけれど、
最近はだいぶ緩んでいる。

 

「ギブ&テイク」は、「義務&洗脳」でもあるからだ。

 

 

自分の身を犠牲にする「ギブ&テイク」じゃなくて、

「自分が楽しみながら無償の愛で世に貢献できる」

これが理想だ。

 

 

当たり前になっている価値観から抜け出そう。

 

 

それにはまず、自分が遊ぶことから始まる。

 

 

※ハウステンボスにだって一人で行ってしまうくらい遊ぶの大好き、なのである。

既存の「ルール」や「伝統」を疑う生き方

社会のルール、会社の規則、校則…

 

僕たちはありとあらゆる常識やルールに囲まれて生きてきた。
今も、そしてこれからも社会で生きていく上でそれらのルールから逃げることはできないだろう。

 

その前に、何故ルールや規則が存在するのだろう?

 

それはそのルールを守っていることで節度が守られる云々というのももちろんあるけれど、

「ルールを守り続けていく必要性が果たしてあるのか」

という疑いの姿勢と疑問は常に持っていた方が良い。

 

そして仮にそのルールを守るとしても、

「その団体や組織に属する上で現在の自分や周囲の人を守るために
とりあえずその考え(ルール)を取り入れる」

という感覚で守る方が良いだろう。

 

そうすることで、いざそのルールがなくなってしまったとしても、
パニックにならなくて済むのだ。

 

というのも、例え心のなかでは嫌だ、面倒だと思っていても、
皆「ルール」というものがあることで自分自身の心の安定が保たれているんだよね。

 

「ルール」がないと無法地帯にもなる可能性だってあるし、それはそれでカオスだなと。
皆が不愉快に感じることを平気でするような人も出てきちゃうしね。
それだったら「ルール」があったほうが安心でしょ?

 

 

日常生活で欠かせない習慣で例えると、

仮に「明日から歯磨きするな!」って言われたら皆絶対嫌なはず。

 

歯磨きしない生活に慣れるためにもしばらくの間は時間が必要になるしね。

 

…これは極端な例かもしれない。

他にも昔から当たり前に行われていることとか、
伝統的なものとか色々あるかと思うけど、

当たり前になりすぎていて一切の疑問を感じないとか、
「なんとなく」その伝統やルールを引き継いでしまっているとか、
そんなケースも多々あるだろう。

 

かなり乱暴なことを言ってしまえば…

 

自分にとって存在意義が理解できない伝統なんて捨ててしまって構わないし、

無理に参加する必要性もない。

 

僕だってバレンタインデーやホワイトデーといった行事が嫌いだと常々言っている。

 

もちろんこういったイベントに参加するしないは個人の自由だし、

強制されるものではないだろう。

 

LGBTの子であれば、
こどもの日や桃の節句に雛人形や五月人形を飾るなどしない…
そんな選択肢も当然あって良いと思うし、
それは祝われる本人の気持ちが最優先されるべきなのだ。

 

でも実質何かしらのグループや団体に属していることで、
嫌なものでもほぼ半強制的に参加させられることもあるだろう。

 

以下の記事でも少し話しているが、
清明(沖縄の行事)でお墓を掃除するのが嫌と話す人がいた。

 

 

僕は本土の妖怪だから異なる地域の文化に対して偉そうなことは言えないが、

子供達にそういう感情が生まれてしまうのは明らかに大人の責任である。

何故そういうことをするのか…
子供に納得してもらえるようにきちんと説明できていないのだろう。

 

 

別に先祖を敬うような伝統がダメだということでは一切なくて、
思考停止してしまう、自分で考えない、
自分や相手の意思を尊重しないことがいけないことだと思うんだ。

 

「なんとなく」皆が同じことをしているから、自分も同じことをする。

 

それが当たり前のことになってしまうと、
「世間一般の価値観」で自分という人格が塗り固められてしまうし、
自分がどのような考えでどのような生き方がしたいのかが
わからなくなってしまう恐れがある。

 

もちろん、心から「楽しい!」「続けていきたい」と思えるものであれば、
条件なしに続けていくことはむしろ良いと思う。

 

しかし、一方的に決められたルールなんて
場合によっては破っても差し支えないことだってあるだろうし、
心底納得していなければ、表面だけ守っているように見せかけるのもよくある光景だ。

 

つまり先生の前では良い子ぶっているのに、
禁止されているお菓子を授業中に隠れて食べている…みたいな光景などだ。

 

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まぁお菓子を隠れて食べるという行為自体の善悪は置いといて、
なぜ授業中にお菓子を食べてはいけないのかという疑問が生じるのも無理はないし、
つまらない授業を少しでも楽しく快適に過ごしたいというのは誰だってあるだろう。

 

僕だってお菓子は持ち込まなかったにしても、
真面目に先生の話を聞いているように見せかけて、
頭の中では全く違うこと考えてたこともしょっちゅうあったしね。

 

とにかく、既存のルールや伝統と付き合っていくには

・提示されているものを絶対視しないようにする
・とりあえず今の自分を守るためにあるものと認識する
・場合によっては逃げても良いし、許される範囲なら破っても構わない

という感覚でよいかと思う。

 

世間一般で当たり前となっていることも自分はやらない、というのもアリだ。

 

例えば僕は別に死んでもお墓に入らなくて良いかな〜なんて思っているし、
今後仮に結婚したとしても結婚式なんて行わなくて良いと思っている。
(パートナーが「どうしてもやりたい」と懇願するならば考えるかもしれないが)

 

理由はというと、特に意味を感じないからだ。
家族に負担を強いるようなこともしたくないしね。
周囲の人が当たり前にやっていることも、
やらなくて良いことであれば別にやらなくても良いと思う。
生き方や選択なんて人それぞれだし、誰かが強制するようなものではない。

 

今自分がすがりついているもの…
それは本当は不要な物だったりお金だったり、
色々あるかもしれない。

 

 

それらを一度手放してみてはどうだろう。

 

 

僕は、今の自分って本当に何もないなって思う。

でも何もないからこそ気楽なんだよね。

 

 

もしこれが影響力の強い立場の人間になったらどうなるか…。

Twitterなんてあまりにもフォロワー数が多いと自由度が下がるというか、
発言にも制限が出てくるでしょ?

 

別に何を言われても全く気にならなければ良いけれど、

何気ない発言が誤解や波紋を生み出してしまうことだってあるから難しいんだよね。

 

 

お金のことで言えば、

僕自身はかつて貯金がたくさんあった時がある。

 

今はほとんどない(笑)

 

でも自分よりも将来への不安感は少なくなっているし、
むしろ開き直ってさえいる。

 

当時は高校生で働くことに対する恐怖や不安があって蓄えを持っていたのだが、

今は学校よりもむしろ働くほうが楽だし

かつての地獄と比べればだいぶマシとさえ思ってるくらいだ。

 

これで完全に仕事をやめてしまえば、また違った世界が開けてくるのかもしれない。

 

それに向けて今出来ることを徐々にしていければと思う。

 

 

自分が所有しているもの
知らず知らずのうちにすがりついているもの
当たり前になっていること
何気なくやってしまっていること

 

 

まずは一つ一つ疑ってみよう。

 

 

もしかしたらそこから本当の自分の気持ちを見出だせるかもしれないし、
自分が本当に希望する生き方を実現できたら
今よりも少しだけ楽になれるかもね。

 

学校や会社なんて行かなくて良い理由

僕が人生で最も後悔していること。

 

それは好きでもない、むしろ嫌いだった学校に通い続け、
学生時代を病みながら過ごしたことだ。

 

毎朝嘔吐しながら無理矢理にでも学校に行くことなんて、
何もメリットがなかった。

 

親の機嫌や人の目なんて考えずに、
自分の気持ちを優先したら良かったのだ。

 

それは、堀江貴文さんの

「すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~」という本を読んで

確信した。

 

 

「なぜ学校に行くのだろう?」
「なぜ勉強するのだろう?」

 

これらは、日本国内で生きる誰もが必ず一度は抱く疑問だと思うが、
それも押し付けられたものだから、当然のことだろう。

 

本来、学びというものは自発的にするものだからだ。

 

自分が好きなもの、夢中になれるもの、没頭できるものに
時間や食事を忘れて打ち込むこと。

 

 

そうすることで、その分野に関しては詳しくなるし、
技術的なものであれば上達もする。

 

自分にとって好きなものだから、ストレスもないし、
我慢をする必要なんて無い。

 

楽しみながら成長できるのだ。

 

だから僕も最近では、「今を楽しもう」「夢中になろう」と
呼びかけているのである。

 

ところで、この書籍を読んで、
人間にはG型とL型というものがあるということを知った。

 

Gはグローバル、Lはローカル。

 

…ということでざっくり説明すると、

 

G型は世界規模で活動する人間。

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たけしさんも世界中から絶大な支持を受けている人の一人。

 

 

対するL型は特定の地域において活動する人間。

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沖縄で生活していると、当然かもだけどローカルな有名人がたくさんいることに驚かされる。

 

要するに活動の拠点や判断基準が数カ所かつ外向きなのか
一箇所かつ内向きなのかということだろう。

 

だから、一見すると外向的か内向的かという分け方のようにも見えるが
おそらくそれは違くて、
外向的でもL型の人はいるだろうし、
内向的でもG型の人はいるだろう。

 

僕はおそらくG型よりのL型だと思う。

 

僕にとっては沖縄は地元ではないし、
好きではあるし可能性がある場所と考えてはいるが
ずっとそこにい続けるということもないかもしれない。

 

しかし、機会があれば今後、タイなどの国に移住することも考えているし、
それがいつになるかもわからない。

 

それから、自分が好きなものに関しても
G型やL型を当てはめてみた。

 

僕は最近色んなアーティストの曲を聞くのだが、
そのアーティストがG型とL型、
どちらよりの性格を持っているのかも気になるようになった。

 

アイドルやV系はファンとの一体感やストーリーを大切にしているので、
L型が圧倒的に多いとは思うが、
現在世界規模で活躍しているBABYMETALや
解散してしまったけれど世界中に沢山のファンがいたギルガメッシュなどは
G型に当てはまるのかなと思う。

 

メンバー個人の性格ではなく、グループとして考えたらそんな印象である。

 

 

…いや、もしかしたら人間、誰しもG型とL型、
どちらかの要素や性格があると思う。

 

書籍の中にあった比較表を見てみたけど
僕にはどちらの性質もバランス良く存在してたようだし。

 

好みや価値観など、自分の選択によってどちらになるかというものなのだろうな。

 

どちらにせよ、自分の可能性に蓋をするのは
最もやってはいけないことだし、
「教育」や「洗脳」によってそれをしてしまう人が多数いること。
人に価値観を押し付けて人の夢を奪ってしまう人も多数いること。

 

それが「生きていてもつまらない世界」を生み出すことになり、
「生きづらさ」を感じてしまう人もいることだろう。

 

現に日本はそういう国になっている。
だから自殺者が後をたたないのだ。

 

「幸せの形」なんて千差万別なのに、
世の中の一定の「幸せの価値基準」に当てはまらないから、
希望が見えないと思い込んでしまう人も多数いるのだ。

 

人間は本来やりたいことを好きなようにすることがニュートラルなあり方である。

 

それが、教育を受けてしまうことで、
N型人間というものになってしまう。

 

N=日本ということで、Nationalなのかな。
会社の言いなりになって動くような人間、
自分の頭で考えることができない人間と解釈している。

 

これは戦時中の「お国のため」思考を未だに引きずっているものであり、
最もあってはいけないあり方だそうな。

 

そんな人間になってしまうと、
「正解」を求めるような人間になってしまう。

 

これの何がいけないのかというと、
何かにつけて「答え探し」をするようになってしまう。

 

誰かが「正解」をくれるだろう、
そうすることで、自分は損をしない。

 

そんな他者依存をするような発想になってしまうのだ。

 

被害妄想という最も最悪な考え方も身についてしまうし、
自分自身が人の人権を無視して
他人を奴隷みたいに扱うようになってしまう可能性すらある。

 

現に日本はサービス業の人に対してちょっと厳しいところがあるし。
やってくれたことに感謝できなくなったら、人間として終わりだよね。
もちろん、世の中に「正解」など無いし、
誰か偉い人が与えてくれるものでもない。

 

それは自分で毎日を丁寧に生きながら探していくものである。

他の人に合ったやり方でも、自分に合うとは限らない。

自分の生き方は、自分で学びながら見つけていくものなのだ。

 

その人間が本来あるべき姿を捻じ曲げてしまうのが、

「学校」であり、

「教育」という名の「洗脳」である。

 

今、学校に行きたくないと本気で思っている子がいたら、
登校拒否をして好きなものに打ち込んで構わない。

 

僕はそれを推奨する。

 

現に、学校で学ぶことなんて、ほとんど無駄だからだ。

 

今はオンラインで好きな先生を選んで
興味のある分野に関しての学びが得られるからね。

 

嫌いな先生や苦手な先生、合わない先生から
受けたくもない授業を受ける必要なんて無いわけよ。

 

学校は人間関係や集団行動を学ぶ場所?

 

その発想すらが古いと思う。

 

 

自分の趣味や好みが合う人達、
人間的に尊敬できる人達と交わっていけばいいじゃん。

 

そんなコミュニティなら
皆自分のことを一人間として認めてくれる人ばかりだろうから、
健全な人格が出来上がってくるだろうし。

むしろ理想のあり方だよ。

 

住んでいる地域や専攻しているコースが一緒、
はたまた同じ歳などという理由だけで
無理やりクラスを組まされて、
好きでもない奴と長い時間同じ空間を共にする必要なんて無い。

 

大好きな友達だけ、個人的に会えばいいじゃん。

 

実際僕も中学の時、学校に行くのは地獄だったけど、
ダンス教室に行くのはとても楽しかったな。
毎日好きな音楽を聴いて、好きなだけ絵を描いて、
当時のめりこんでいたダンスに一生懸命になっていれば良かったのだ。

 

でも過去のことを後悔したって仕方ないし、
どうにもならない。

だから、これからの時代の子供達に向けて
今言えることを発信しているのである。

 

実際、学校に行くかどうかはその子自身が決めるものだが、
学校に行くか会社に行くのかだけが人生の選択肢ではないこと。
それは頭の隅にでも入れておいて欲しい。

 

命を断つなんて早合点過ぎる。

確かに世の中にはくだらない人間も多いが、
それ以上に素晴らしい人達もたくさんいる。

 

それに気づくのが早ければ早いほど、
自分の生き方を模索できるようになるから。

 

会社だって辞めたって構わない。

 

辞めたことが経歴のキズになるとか、
良い大学をでていれば就職に有利になるとか、
資格を持っていれば良いとか。

 

そんなもので人の価値を判断するような会社なんて
ロクなものがないだろうし。

 

実際僕も仕事の面接を受ける上で
「失礼な奴だな」と思うような人間を何人も見てきた。
現に一緒に働くことにならなかっただけ、マシだったのかな。
そういう人間は腐るほどいるし、
現に嫌な奴の下で働いたこともある。

 

でも、負けちゃいけない。

 

ビビりながらも、自分なりに反発したさ。

 

古い価値観を押し付けてくるような人間の意見なんて
聞く必要なんて無いんだよ。

 

その人があなたの人生に責任を取ってくれるわけじゃないし。

 

「自分の人生は自分で責任を持つこと。」

 

そんな考えで自分の好きなように行動していくことで、気持ちが楽になるからだ。

 

好きな人達と一緒に、好きな仕事ができたら最高だよね。

 

 

誰かが提示したものではない

「自分の生き方」を

試行錯誤しながら探してみよう。

 

それはあなたにしかわからないものだから。

 

 

 

正解などなくても、泥臭くても良い。

 

 

 

複雑に絡み合った木の根のようにもがきながら

天に向けて真っ直ぐそびえ立つ木の幹のように

全力で生きている人は美しい。

 

 

 

 

と、僕は思う。

アイドルの強制わいせつ罪について〜世の中に蔓延るセクハラ問題〜

TOKIOの山口達也さんが強制わいせつ罪で書類送検されたのだとか。

 

僕はたまたま夕食を取るために入った、
那覇市内の軽食屋さんのテレビでこのことを知った。

 

確かに衝撃的な内容ではあったが、

「山口メンバーって何?」

と心の中でツッコんでいたし、
数分間のニュースながらなんだか混沌としていた印象を覚えた。

 

複雑な気持ちで食事をして、次の目的地へ向かうためその場を後にした。

 

 

僕自身は、なんとなくこの件が他人事のように思えない。

 

 

僕自身、少し前に自分の好きなバンドのメンバーが大麻所持で捕まってしまって
非常にショックだったからだ。
今ではもう彼は復帰しているので、
完全に信頼を取り戻せるよう頑張れという思いで応援しているが。
そもそもそのメンバーに対しては、正直言ってさほど興味がなかったし、
そのバンドが今までと同じように活動してくれればそれで良い。

 

なので、今回の件も、TOKIOというグループのファンはもちろん、
特に山口さん個人のファンなど、
ショックを受けている人々の心中は察する。
特に今回は、内容が内容だけにね。

 

 

しかし、このような強制わいせつ罪などの性犯罪や
セクハラなどの問題が起こった時に、
僕は基本的に被害者側の味方である。
もちろん、免罪の可能性がないのが前提であるが。

 

なので、今回の件も当然、許されないことだと思うが、
まぁ当然このような人達が出てくるだろうと予想してはいたけど、
被害者叩きの現状は、やはり酷いものだなと思った。

 

被害者叩きに関しては、
もしかしたら関係ない人達が暇つぶしにやっていることなのかもしれない。
というか、そういう人達が「自分の正義」を盾に
人の領域を荒らしているんだろうな。

 

皆、ある種の「犯人探し」をしている状態である。

 

その行為で加害者の家族や被害者、関係者(メンバーなど)が傷ついている…

 

それがわからない限りは、
ひたすら「○○が悪い」みたいな論争で
誰かを傷付ける行為をするのが、「大衆」というやつだと思う。

 

僕はもう「大衆」になることをやめたから、
彼を責める気にもならないな。

 

まぁこのような問題は、どのようなケースにも見られることである。
犯罪以外にも責任の追求だとか失言だとか
あとは価値観だとか動物愛護だとかLGBTとか
「私が正義で、それ以外は悪。」みたいな考えの人は未だに多いと思う。

 

それよりも、どうしたらこのような問題を起こさない社会にするか考えたほうが、
一番懸命な方法だと思うのだが。

 

 

それを考えた時に、
この問題で一番厄介だと思ったのが、
事件を起こした本人が、日本を代表するトップアイドルだったことである。

なので、影響する人々や企業も多数いるということだ。
まぁこれは当然といえば当然のことだ。

 

しかし、これが社会的地位がほとんどない人間だったらどうだろう。

 

似たようなことが世の中でたくさん行われているのに、
それが闇に葬られているケースもたくさんあること。
報道もされなければ、周囲に認知もされない。
その事実は知っておく必要がある。

 

日本は未だに社会の中、会社の中など、
あちこちでセクハラ行為が行われている状態のようだ。

 

つまり、犯罪をしているのに、
捕まらずのうのうと生きている奴らがたくさんいるってことだ。

 

そういう人間が、セクハラを美学みたいに思っているところがあるのだろう。

 

それが当たり前になってしまうこと。
傷ついている人がいるのに、声を上げられないこと。

 

それが最も恐ろしいことであるし、
いつ自分の身に降り掛かってくるかわからない。

 

男であれ女であれLGBTであれ、
誰もがセクハラや性犯罪の被害者になる可能性があるからだ。

 

 

だから、事件を起こした本人や被害者を叩く前に
自分がそのようなことをしてないか、
自分が被害に遭っていないか、
今一度考えてみたらどうだろう。

 

 

それと、話は変わるが、
僕は今、お酒をほとんど飲まなくなった。

 

 

健康としてもだし、感情面としてもだし、
アルコールのリスクというものを考えるようになった。

 

確かに酔っていると
どのように人格が崩壊してしまうかわからないし、
自分が自分じゃないみたいな感覚になる。

 

それで何か問題を起こしてしまったら、
誰かを傷つけてしまったら恐いな、とも思うし。

 

今のところそのようなことはないけれど、
飲みすぎて迷惑かけてしまったな、と思うことは多々ある。

 

「飲む」以外の選択肢に、
何か自分で気を紛らわせられることがないか。
酒を一滴を飲まずに打ち込めることはないか。

 

それを探す方が大切だと思うようになったのだ。

 

お酒を飲んだ翌日の不快感も感じなくなるし、
自分の意志でリスクを抑えられるなら、
その方が良いと思って。

 

もちろん、好きな人や気の合う人とお酒を飲むのが楽しいなら、
それは気晴らしになるし良いとは思う。

 

なので、飲み会など誰かと一緒にいる日は、飲むこともある。
ただ、それがない限りはほとんど飲んでないな。
飲み会や趣味の会合だって月1、2回程度しかないし。

 

 

皆さんも、風俗店などではない場所で、若い子とお酒を飲むのももちろん良いのだけれど、
せめて「自分は絶対に手を出さない(特に未成年には)」と誓ってくれたらと思う。

 

相手は相手自身の人権があってこそ、
「自分と同じ場所」にいるだけであって、
決して、自分の性欲を満たすために存在してるわけじゃないのだから。

 

そこは勘違いしないで頂きたい。

 

 

ちなみにTOKIOは小学生の時、一時的にだがめちゃくちゃ好きだった記憶がある。

 

 

自分が高校生くらいの時に発表された「宙船」は、彼らを見直した楽曲の1つだし。
その時に、彼らが出したジャニーズのカヴァーアルバムを聴いてみたのだが、
いずれの楽曲もクオリティの高さに驚いた。

 

ただのカヴァーではなく、「彼らのもの」になっているのだ。
それがすごいなと思った。
それからというもの、ほぼ毎日のように聴いていた記憶がある。

 

なので、僕にとって思い出深いバンドの1つでもある。
最近では農業にも精を出しているということもあり、
ジャンルという域を超えて、自分達で楽しくやりたいことをやっている人達という印象もある。

 

事務所との解約という残念な結果にはなってしまったようだが、
今後どのような形であれ、音楽活動は続けていってほしいし、
どんどん新しいことに挑戦して、世の中に可能性を提示していって欲しい、

…と、一音楽ファンとしては思うのだった。

(ここまでで、ファンの方にとってもし不快な表現があったとしたら申し訳なく思います。
部外者として問題を起こした本人を責めたいわけではなく、
どちらかと言えば「社会に対して何を打ち出せるか」という意見であることは、
重々承知頂きたいです。)

「叱咤激励」という言葉の気持ち悪さ

僕は「叱咤激励」という言葉が大嫌いだ。

 

いや、誤解のないよう一言言っておくが、
言葉そのものは元々あるものだからどうでも良い。

 

厳密に言うと、
「叱咤激励」という言葉を当たり前に使っている人が大嫌い。

 

意見やアドバイスをもらいたい時に
素直に「アドバイスを下さい。」なら良いのだけど、
「叱咤激励して下さい!」という言葉を見かけるたびに、
なんだか引いてしまうのだ。

 

なんというか…
一見、「あなたの言葉はどんなことでも受け入れます」
というような潔さが感じられるんだけど、

 

人から「叱られたい」「応援されたい」「褒められたい」
そんな甘えが見えてしまう。

 

だから嫌いなんだ。

 

まぁ人間だし応援してもらいたいという感情を持つのは当然だとは思う。
なので、それをアピールするのも良いと思うけど、
「応援してね♪」というお願いではなく、
「強い口調で怒って欲しい」っていうのがよくわからない。

 

ドMなのか?

 

僕は他人の指図一切受けたくない人間、
ましてや命令されるなんて言語道断な人間だから、
全く気持ちがわからないんだよね。

 

特に日本人は叱られたいという感情が根付いてしまっている傾向があると思う。

 

僕は琉大在学時にとある学生団体の中で孤立していることがあった。
思い出すと辛くなるから、なるべく思い出さないようにしているんだけど。

 

その時は、僕のことを気にかけてくれているらしい人から、

 

「批判されているうちが花だよ」なんて言われたけど、

 

「は?何言ってんの?」って思ったものだ。

 

(「一番怖いのは、嫌われることではなく無関心」という意味なら
まぁわかる気もするが)

 

本当に心の底から自分のことを思って言ってくれている人は
その態度や言葉からもわかる。

 

だから、僕はそういう人の言葉ならわりと素直に受け入れるところがある。
それが感じなければ全部その人のエゴ、正義の押し付け、
クソリプに過ぎない。

 

それをある年齢の時から見抜いていた。

 

批判する人間、文句を言う人間って大抵人の話を聞いてないからな。
Twitterなどで誰か特定の人を皆がこぞって叩いているのも、「雰囲気」や「空気」もあるだろうし。
日本人は特に「村八分」みたいな傾向が強いし。

 

大抵の人が「怒られると成長する」「だから、悪いところがあったら叩く」
そう思い込んでいるのは、教育の影響なのかな?

 

その団体の人達も「辛いことがあるから成長する」と思い込んでいる人が多数だった。
加入当初はいろんなイベントを企画できて楽しいと思ってたけど、
なんだかカルト宗教みたいで気持ち悪いなと思って辞めた。

別に宗教自体を否定はしないが、
誤った価値観を信じ込んで人に害を与えることが問題なのである。

 

良い面に目をつければ良いんじゃない?と思うが。

 

でも、教育者にしろ、親にしろ、大抵悪い部分を注意するから。
その延長なんだろうな。

 

ハッキリ言って、やっていることはいじめと変わらないからね。

 

でも、その「いじめ」に負けてしまう人が多いのも事実。

 

芸能人や人気者は心無いリプが来ることもあると思うけど、
応援メッセージだけじゃなくて
毎日のように罵声を浴びせられたらそりゃ病んでしまうよね。

 

結果、謝る必要が無いことでも、謝ってしまう人だっているし。
発信や活動を辞めてしまう人もいる。

 

一方で、反抗期の子だとかグレる子とか
病んでしまう子とかが生まれてしまうのも、
結局は「誰か本気で叱ってくれる人」「自分を気にかけてくれる人」が欲しいからだ。

 

親や先生から一方的にガミガミ怒られていると、
そんな子が出てくるのも無理は無いと思う。

 

というか、すごく気持ちがわかる。

 

だから、わざと悪態をついたり、
相手を試すようなことをしたりしてしまうのだ。

 

それは厳密に言うと、「愛」を欲しているからの行動なのだろうけど。

 

決して誰かから罵倒されたいわけじゃない。

 

 

しかし、もう成人してしまったら立派な大人だ。

何もかもを他者に委ねてしまうのは問題がある。

 

大人だからということよりも、自分自身が幸せになれないからだ。

 

相手の気持ちを試すなんてことをいちいちしていても、
虚しくなるだけ。

 

自分自身も含め、結局は皆自分のことにしか興味ないからね。

 

大人なら、自分の幸せも自分自身で築いていかないといけない。

 

いつまでも過去のトラウマや物事の正義に拘っていてはいけない。
過去は過去だからだ。

 

 

俺だってジジイになっても
「世の中なんてくだらない」みたいな考えで死にたくは無い。

 

「素晴らしい世界に生まれて、俺は幸せだ」
そう思いながら死ねたら最高だよね。

 

そう考えたら、いつまでもひねくれた目で世界を見ていたらいけないと思った。

 

それに、物事の欠点ばかり目について文句を言ってばかりじゃ、
自分自身が生きていて楽しくないはずだ。

 

 

話を戻すと、

 

 

「叱咤激励」されることを待ち望んでいる人も、
「これから頑張るぞ!」と自立しているように見えるけれど、
結局は他者依存の精神が根付いている。
その精神が見え隠れしているのだ。

 

人から何かを指図されることが習慣になってしまったら、
結局のところ、自分自身も人を嫌な目に遭わせてしまう可能性すらある。

 

クソリプをかましてばかりの人間になってしまう可能性だ。

 

そうならないためには、自分自身で気づいて変えていかないといけない。

 

叱咤激励されて、
誰かに言われたからやる。

 

そうじゃなくて

 

常に自分の気持ちに従う。
常に自分でやる気を起こす。

 

やる気が起きる起きないは生理現象だし、
行動を起こすか起こさないかも自分自身だから、
自分自身が毎日を楽しく生きられるように工夫するしか無いと思う。

 

それにはワクワクすること、夢中になれることを追求すること。

 

僕も以前は依存心の強い人間だった。

 

でも今はできるだけ、自己責任だと思うようにしている。
自らがそう思うことで、他の人の言動に対してもそのような考えが持てるからだ。

 

だから、他人の顔色なんて伺わなくて済むし、
神経すり減らせてしまうほど他人に気を使わなくて済む。

 

かなりのコミュ症だったけど、

必要なことは勇気を出して人に聞けるようになった。

 

その結果、勝手な思い込みで相手を一方的に悪者扱いすることもなくなってきた。

 

今の自分があるのも、
自分の身にふりかかったことも、
全て自己責任。

 

逆に、良いことが起きたら、誰かのおかげ。
お世話になった人達に感謝の気持ちを持つ。

 

そう思うことで、より自分らしく生きられる…

 

それがわかりかけてきた。

 

何か困ったことが起きた時に
誰かに相談するのは良いことだ。

 

でも、他人に何と言われようが、
最終的な決定権を下すのは自分。

 

今の自分を本気で変えようと思った時に、
「叱咤激励の言葉」なんていらない。

 

 

「自分の好き嫌い」「やりたいことやりたくないこと」をハッキリさせながら、
目の前のことに、一生懸命取り組むこと。

 

 

やりたいこと、好きなことは気が済むまでやればよいし、
やりたくないこと、嫌いなことはやらなくたって良い。

 

 

とにかく、「今」を生きることだ。

 

 

「今の自分」や「心から夢中になれるもの」に興味がある人は、

他人の悪口を言うこと、クソリプを飛ばすことに興味がない。

 

そんなことしていても時間の無駄だからだ。

 

人生は長いようで短い。

 

少しでも楽しくなるように工夫しながら、のんびりと生きましょう。