ラルクのある曲によって突きつけられた「真実を知る勇気」

コリュにちはお日柄も良く…

天海夜 煌琉だよ。

さて、先日は、L’Arc~en~Cielのサブスク解禁に伴い

いろいろヒャッハーしていたことについて書いたのだが…

前回の内容↓

今回は、その中でも「とある曲」に焦点を当てて、

自ら感じたことを書いていきたいと思う。

僕の好きなラルクの曲の中で、

「bravery」という曲がある。

収録アルバムは「REAL」だ。

↑神アルバム。

braveryの歌詞はこちら↓から確認できる。

上のリンク先にある歌詞を見ていただければわかるが、

この曲は穏やかな曲調の割に

歌詞がストレートで攻撃的である。

ちなみに、作詞はhydeさんではなく、TETSU(現・TETSUYA)さんだ。

約20年前の当時から、

「メンバーによって歌詞や曲のスタイルは違う」というのは、

子供ながらなんとなくわかっていたが

今だからこそ、より一層わかる気がした。

僕は最初この曲を聴いた時、

古い価値観にしがみついていてやたら保守的な性格な

「老害」に対するアンチテーゼの曲かと思っていた。

しかし、色々調べていてわかったことだが、

制作当時の彼らを否定して昔を懐かしんでばかり…

そんな一部のファンに向けられたもの、とも読み取れるのだ。

いわゆる「懐古厨」ってやつだね。

ちなみに「懐古厨」とはこういう意味↓の2ちゃん用語だ。

「昔のほうが良かった」といった言葉を連発し、

むやみやたらに現在あるものを否定したがる人たちのことである。

※参考→ニコニコ大百科:懐古厨

そうとわかって曲を聴けば、確かにそうだな〜といった感じ。

まぁ、雑誌などのインタビューを読んだわけじゃないから

厳密にはわからないけど。

ただ、彼らに限ったことではなく、

誰かを応援するファンである限り…

好きなアーティストの音楽性が変化したり

人気が出て一般向けの曲を量産するようになったり

ファンのマナーが悪くなったりなどすれば

「昔のほうが良かった」と言ってしまうことなんて

誰しもがありえるだろう。

一般的に、大人気のアーティストには

このように下積み時代から応援してくれるファンが居て、

初期の頃の音楽性やライブの雰囲気などが好きなファンからしてみれば、

アーティストの方向性や音楽性の路線変更は

受け入れ難く感じる人もいるだろう。

それで、文句を言いながらもファンを続けることもあるだろうし、

別のものに興味を向けるようになることもあるだろう。

人によっては、自分が受けた嫌な体験や考え方の相違により

アンチになってしまうこともあるかもしれない。

一方で、アーティスト側からしてみれば

もっと自分たちの活動を拡大していきたいだろうし

より多くのファンを獲得していかなければいけない。

もちろん、自分たちを支えてくれた

古い時代からのファンも大切にしていきたいだろう。

しかし、メジャー級のミュージシャンになるとあれば

どうしたって「売れる曲」も作っていかなきゃいけない。

一番優先しなきゃいけないのは

「見知らぬ誰か」ではなく「自分たちの夢」だし、

もっと活動の幅と、活躍できる世界を広げたい。

やむを得ない事情で

メンバーの変更を余儀なくされることもあるだろうし、

意見がぶつかれば、それだけメンバー間のトラブルだってあるだろう。

業界の嫌な関係者から、圧力をかけられることもあるかもしれない。

しかし、それらを乗り越えて素晴らしい作品を作っていけるわけだし、

様々なアーティストとの出会いを増やすこともできる。

いつまでも昔のまま変化も成長もなく、

細々と活動をしていくわけにはいかないだろう。

このように、アーティスト側の視点から見てみれば、

「今の自分たちを見てくれ!」

と、ファンに対して思うのは当然のことだろう。

というか、アーティストやクリエイターでなくても、

昔の自分と今の自分を、悪い意味で比較する人たちというのは、

鬱陶しいことこの上ないだろう。

僕だって、赤の他人から自分勝手なワガママなんて聞かされたくない。

なので、僕はファンとアーティスト、

どちらの気持ちもわかる(というか、憶測できる)。

このように、思いのすれ違いで、

アーティストが夢を追うほど、

「昔のほうが良かった」

「メジャーに行かないでほしい」

「(メンバーの変更があった場合)前任の人が良かった」

などと言うファンは、どうしたって出てくるのだ。

下積み時代のある大人気のスターには、

以上のような現象は付き物だろう。

なお、ファンに対して何か思うことがあった時に、

彼らにメッセージを作品の中に表現する人達もいれば、

雑誌のインタビューなどで表現する人達もいる。

某カリガリの石○さんみたいに

「テメーらいいかげんにして下さい。」

と言っちゃう人もいる。笑

それはそれで良いとして…

ここで一つだけ、

この世界にいる全ての、「誰か」のファンであるあなたに、

ぜひ知っておいてほしいことがある。

全ての物事は、表に出ているだけが全てではないのだ。

この図を見てほしい。

木だ。

木だね。

紛れもなく、木だ。

木に異論はない。

明らかに「木」というより、

「木と草原」だろっていうツッコミはとりあえず置いておいて…

この「木」の全体像を見ると、どうだろう?

このように↓なる。

根も含まれるのだ。

根だね。

上から読んでもしたから読んでも…「ねだね」。

きっと、とある演歌歌手なら

「ねだねったら、ねだね♪」

と歌うことだろう。

…つまり何が言いたいと言うと、

この木の図は

「物事の見える部分・見えない部分」

の対比を表しているのだ。

僕はこの「bravery」という曲と

この木の図に重なる点があると思った。

braveryという曲から察して、

「とある一流アーティスト」としての事情や心情を想像してみる。

そして、その中で、

彼らに関して「見える部分」と「見えない部分」を

この木の図に照らし合わせると、こうなる↓。

上の図にて、

黒い文字が「表・見えている肯定的な内容」であり

白い文字が「裏・見えていない否定的な内容」である。

※念の為もう一度言っておくが、

これらの文字は「とある一流アーティスト」を例に想像しているので、

ラルクのことを言っているわけではない。

そう、一見輝かしい成功を収めている人々は、

見えない部分で、他の人の倍以上努力をしたり、

苦悩や葛藤、人間関係などに悩まされたりしているということだ。

特に、それほどコアなファンでもなく、

身近にいる関係者でも家族でもなんでもなければ、

わかることよりも、わからないことのほうが圧倒的に多いだろうし、

もちろん、本人だけにしかわからないこともあるだろう。

ただ、誰しもが皆、自分の意見を持っているわけだから、

「思ったことを言ってはならない」

というルールはないのだけれど…

それでも、上の図が示すように、

「すべての物事には表と裏がある」という考え方で

世の中を見れるようになれば、

凝り固まった考えに固執すること無く、

自分自身の視野も広がるのではないか?と思う。

そのため、僕はこの「表と裏」という考え方に気付いてからは、

たとえ自分に辛く当たってくる人がいたとして、

一時的に腹は立ったりするものの

「まぁ仕方ないかな?」

…と、スルーできるようになった。

むしろ、

「その人はその人で大変なんだろうな…」

と思ったら、

変に恨みつらみの感情を抱くよりも、

自分自身が楽になるのだ。

もちろん、「許すかどうか」は、また別問題になるけど、

自分自身のアンガーコントロールとしては、有効な方法である。

「見える部分(表)」と「見えない部分(裏)」、

それぞれは独立しているわけではなく、一つの物体である。

上の図であれば、幹や葉・枝の部分も根の部分も

全て含めて「木」という一つの物体であることは事実だ。

このような「表と裏」の考え方は、いろいろなことに応用できる。

例えば、トラブルなどの問題が起きた時も、

相手の事情を考慮せず、一方的に決めつけたり、

相手の人格否定をしたりするのではなく、

相手の見えない部分(感情やプライベートな問題)に配慮した上で、

「その現象が再び起こらない仕組み」を考えることに

思考を凝らしていけたら、

建設的な解決に繋がるだろうなと思う。

というわけで、

全国の誰かのファンやフォロワー、ヲタク、信者の皆様へ。

あなたの信じている人が、違う方向へ舵をとった時に

「違う!」と言うのは簡単だ。

メンバーや関係者に対して、

どうしても言いたい意見があるなら、

それを言うかどうかはご自由にどうぞ。

しかし、一度、その人の立場に立って

考えてみてはいかがだろうか?

もしかすると、あなたの考えは

必ずしも正しいわけじゃないかもしれない。

それでも違和感があるのであれば、

そこから離れて、別の興味対象を探せば良いとは思うが、

せめて、相手の事情も察してあげてほしい。

なぜなら、

「真実は常に共有されない」からだ。

ちなみに↑この言葉は、

「bravery」の曲の歌詞に出てくる英語の歌詞の和訳である。

他人の考えなんてわからないし、

真実が何か?なんて、共有されない限りわからないのだ。

…とまぁ、以上のような「表と裏」の考え方を元に、

僕自身も一方的に物事を判断せず、

常に誰かに対する配慮と敬意を忘れず、

自分を磨いて成長していけたら良いなと思い、

この文章を書いたまでだ。(←雑なまとめ)

自分だって、

他人から勝手に決めつけられて、あーだこーだ言われたり

「自分はあなたのことをなんでも知っている」

みたいな態度でマウント取られたり、

憶測で有る事無い事言われたら嫌だしね。

そして、もし今後、自分が偏見で物事を決めつけたり、

知ったかぶりをしたり、

自分が本当にしたいことを挑戦しなかったり、

自分自身の信念から逃げたりするようなことがあれば、

その時は「bravery」の歌詞に出てくる、

もう一つの英語の詞の訳である、

「真実を知る勇気はお前たちにはない」

という言葉を、自分に浴びせようと思う。

木々は存在しているだけで、真実だ。

トランスで「彼女いない歴=年齢」の童貞だけど、何か文句ある?

ぶっちゃけると…というか

以前から度々言ってることだけど

 

 

 

僕には一切の性経験がない。

 

 

 

 

これを「気持ち悪!」

と思うのか、

「まぁ…人それぞれだし」

と思うのかは個人の自由だ。

 

 

僕にも、なんとなく「彼女欲しいな」と思っていた時期もあった。

 

 

今は全く思わない。

 

 

じゃあ彼氏が欲しいのかというと…決してそんなこともない。

 

 

 

彼女というか、恋人を作るのを単純に「面倒くさい」というのもあるし、

自分のことにしか興味が無いのかもしれない。

 

 

立場上だけで実質会う機会のほとんどない「恋人」ならいても良いと思うが、

そんな形だけの「恋人」も意味があるのか?と思ってしまうし。

 

 

それなら別にいなくても良いだろう。

 

 

一方で、性欲がないかというとそうでもない。

 

 

「緊縛」という性に関するアートをやってもいるのだ。

 

参考↓

 

 

単純に縄が美しいなと思うのと、

縄のアートって人体と縄さえあれば出来るわけだから

極めて原始的な部分も惹かれる要因であるのと、

縄酔いしている女性の表情や身体の様子が非常に艶っぽいからである。

(一方で男性はよっぽど美しい人じゃない限り何とも思わない。)

 

 

 

こちらも完全にアートとして縛り手として楽しんでいるものであり、

プレイとしての経験は皆無なのだが、

それでも18禁ものの動画や画像、本を見るのは好きな普通?の変態ノンケ男子なのである。

 

 

要するに、アセクシュアルではないということだ。

 

 

 

このように、僕と似た人々…つまり

「性欲は人並みにあるけど、恋人は別に欲しくないし、結婚願望もない。」

現状でこのような考えの人々が増えていると思うし、

これからますます増えていくはずだ。

 

 

これは世の中の流れとして防ぎようがないというか、

個人の生き方なのだし、

こういった人々を批判することは誰にも出来ないのである。

 

 

 

ただ、一方で、僕自身の現状としては、

「自分自身がするSEX」にも恋愛にも興味が無いということを

周囲に伝えていることはあまり無い気がする。

 

 

というか、セクシュアリティ関係なく、

自身の性についてあまり語りたがらない人は少なくないだろう。

 

 

そのためか、GIDやセクシュアルマイノリティのコミュニティや

友人との会話の中でも

 

「彼女できた?」

 

という話は普通にされるわけである。

 

 

 

確かに以前の僕だったら

「男として彼女を持つこと」に強い憧れを持っていたわけだし、

トランスジェンダーやGIDのコミュニティにおいて

男(性自認の性)としての会話、

つまり「一般的な男として恋人を持つかどうか」という、

自然な会話のやり取りを楽しむのも良いだろう。

 

 

というか、トランスに限らず、

「当事者自身のセクシュアリティに合致した会話」というのは、

マイノリティ当事者に好まれる傾向はある。

 

 

これは当然だ。

例えばゲイの人は男の話をするほうが楽しいわけだし、

ビアンの人は女性に関する会話のほうが喜ぶだろう。

自分が自然体でいられるんだからね。

 

 

しかし、そういったコミュニティの中ですらも、

自分がちょっとでも外れてしまうと、

相手の「常識」を押し付けられるケースも決して少なくないわけだ。

 

 

例えば、僕が「彼女いない」と言えば

 

「なんでー?早く作らんばー?」(何故かうちなーぐち)

 

というような反応が返ってくるのである。

 

 

しかし、これはある意味、「楽しむ」ために行われる会話のやり取りである。

 

 

こういう「本来の自分に合った会話」をすることで、

「恋人いない」というのが自虐的かつ他人をいじる要素にもなるわけだし、

これらは一般的なノンケ(異性愛者)の人々でも行われている「普通の会話」でもある。

 

 

「本来の自分」を実感できる「普通の会話」をすることで、

これまで押さえられていた部分が開放され、

同じ気持ちを共感できる仲間といることが、喜びに感じられるのである。

 

 

ただ、「恋人いない」というのは、

それだけで「その場のネタ」として楽しく終わればよいのだが、

こういったことが積み重なると、

 

「他の人は可愛い彼女さん連れてきているのに…。

 彼女もできないしモテない自分なんてダメだ。」

 

と劣等感を感じるようになってしまう危険性もある。

 

 

 

僕自身もどこかでそう感じていた部分があるのかもしれないし、

「恋人いない人には、本人に何かしら問題があるからできないんじゃないか」

というような社会の風潮も手伝って、

なおさら自己否定につながっていったところもあるかと思う。

 

 

 

しかし、以下の記事を読んで、

「別に恋人を無理して作る必要もないのかな?」

と思うようになってきたのだ。

 

 

むしろ…

 

 

「恋人を作らないことを選択する」

 

 

そんな生き方を楽しもうとさえ思ったのだ。

 

その記事がこちら↓

 

 

記事を読んでいるだけで元気になるというか、

まさに自分が求めていた内容である。

 

 

特に僕がこの記事を読んで、一番響いたのがこの部分だ。

 

 

息をするように「普通はこうでしょ」とか「それが常識でしょ」と言ってしまえる人は、あまり信用しないほうがいいでしょう。「普通」や「常識」がいかにアテにならないか、無邪気に振りかざすことがいかにタチが悪いか、そこにまったく気付かないのは、けっこう残念なポイントです。まあ、悪い人ではないかもしれませんけど。

 

 

この文章を見て、先日たまたま目に入ったこちらのツイートを思い出したのだ。

 

 

 

 

そうだ。

 

 

今、何かしらの「常識」を周囲から押さえつけられ

生きづらく感じている人はたくさんいるかと思う。

 

 

そんなあなたが第一に考えるべきことは

 

「大衆に好かれること」よりも

 

「自分が、大切な人が、どうしたら幸せになれるか」

 

ということだけで良いのだ。

 

 

 

だって「大衆」はほとんど何も考えていないからだ。

 

 

 

「大衆」は、眼の前にある「常識」をいとも当然のようにむさぼるだけだ。

 

 

 

だから、人付き合いをしていると、

 

「悪気がない、いい人だけど、一緒にいることに何だか違和感を覚える。」

 

そんな機会が増えてくるのである。

 

 

 

そんな「いい人たち」というのは、例えるならば、

 

まるで動物園の檻の中で一生を終える

「見せ物としての動物」なのである。

 

 

 

 

 

自分が住んでいる世界以外に、世界があることを知らない。

 

毎日決まった時間、飼育員に差し出される餌に、当たり前のように食らいつく

 

…そんな状態なのだ。

 

 

そんな動物たちに

 

「外の世界ってもっとずっと広くて面白いらしいよ!行ってみようぜ!」

 

と言ったところで、

 

 

「また変なこと吹き込まれたんだね。」

「危ないからやめたほうが良いよ。」

「飼育員さんが檻から出ちゃダメって言ってるでしょう。」

 

こんな感じで返されるのがオチである。

 

 

 

あなたはなんとなーーーーーく周囲から心配されてしまい、

 

瞬く間になんとなーーーーーく浮いてしまうだろう。

 

 

そんな環境の中に居続けたら

「自分っておかしいのか?」とも思うようになり、

モヤモヤした日々を送ることになるだろう。

 

 

我慢しながら自分を抑えながら

そんな「いい人」たちと付き合って

あなたに何のメリットがあるだろうか?

 

 

むしろ…

 

 

一緒に「外の世界」へ飛び出してくれる仲間。

 

 

あなたの言葉に

「いいね!」「やってみようか!」

と答えてくれる仲間。

 

 

そんな仲間たちを探すことに熱意を注いだほうが

あなた自身が大きく成長する可能性が高まるのではないだろうか?

 

 

 

 

 

どんな人と付き合うのかは、あなた次第だ。

 

 

環境も、住む場所も、毎日をどう楽しむかも

全て、あなた自身が選べるのである。

 

 

 

いちいち人のせい、環境のせいにしてばかりいると

自分ではどうにもならずに苦しくなるばかりだけれど、

 

自分の選択により引き起こしたことなら、

「自分で選んだんだから自分の責任」

と思えるようになるわけだし、

「それならば、変えることができる」

と考えられるようにもなる。

 

 

そういった「自己決定」の考えが当たり前になってくると非常に楽だし、

あなたの人生をより良くすることも、能動的にできるようになる。

 

 

 

また、あなた自身が誰かから嫌われるかどうかよりも、

あなたが気持ちよく心地よく

自然体でいられる相手といかにして関係を築くかが重要である。

 

 

言葉選びに過剰な気を使う相手からは離れる。

 

 

「〇〇すると良いよ。」とあなたのためを装って

コントロールしてくるような相手からは離れる。

 

 

あなたが怖い思いをした時、嫌な思いをした時、

悩み相談をしても反応が薄い(味方になってくれない)相手からは離れる。

 

 

「社会人として」とか「常識」とか「固定観念」とか

「多数派の正しさ」を押し付けて来る人からは離れる。

 

 

自分がなんとなく軽んじられている気がする相手からは離れる。

 

 

自分がいてもいなくても関係ないなら、そのコミュニティとは距離を置く。

 

 

その代わり、人間的に惹かれる、誠実な人だけと個別に関係を深めていく。

 

 

 

繰り返すと、こういった「誰と付き合うか」も全て、自分の責任。

 

 

 

あなたが自然体で振る舞ってもストレスに思わない人々、

あなたが常識から外れた一面を持っていることに寛容である人々、

あなたの全てを肯定的に捉えてくれる人、

 

 

「童貞」の話からは逸れたけど、

別に誰が何でも良いわけだし、

どんな考えを持っていても良いわけである。

 

 

その考えが世界を変える可能性もあるわけだし、

誰かの「代弁者」になることだってあり得るのだ。

 

 

まずはあなた自身が「体現者」になって、

自分自身の人生を思い切り楽しむ。

 

そんなあなたの生き方が、

多くの人々にとっての共感を生むことになるだろう。

 

 

あとはあなたに共感してくれた人と一緒に

 

「幸せの種」を世界中に撒いていき

 

美しい花々を咲かせていけば良いだけ。

 

 

 

 

「こんな荒れ果てた荒野に花なんか咲かないだろう。」

 

そんな人々の常識を覆すことこそが

 

あなたが生まれてきた使命なのだ。

 

 

 

「常識から外れたあなた自身の存在」を否定するな。

 

 

 

「私が存在することで、人々に気づきを与えることができる。

 

私は非常に尊くて貴重な存在で、愛される価値もある。

 

否定する輩、乱暴に扱う輩は全て、木っ端微塵に焼き尽くす(笑)。」

 

 

誰かの心無い一言によって少しでも心が折れかけたなら

「あなたのためを思って」を免罪符に誰かからの人格攻撃を受けたなら

ぜひこの↑言葉を思い出してみてほしい(笑)。

 

 

「童貞でも良いじゃん。」

「周囲の価値観に合わせなくても良いじゃん。」

「変わり者で良いじゃん。」

 

 

それだけを伝えたいがために書いたこの文章が…

 

少しだけでも良い。

 

あなたの心の支えとなることを願う。

一生、檻の中で飼いならされる猿のままで良いのかい?

ぶっちゃけた話、僕は過去にいくつかのMLMをやったことがある。

 

 

ただ、友達があまり多くないのと、

それもあってかとにかく嫌われるのが嫌だったため、

ビジネスとして行うまでには至らなかったが。

 

 

世の中には

「これをやればお金を稼げるよ!」

「すぐに儲かるよ!」

「一生遊んで暮らせるよ!」

などといった甘い話が転がっている。

 

 

それはまるでスイーツのようにすぐに飛びたくなるくらい

魅力的である。

 

実際はそんなことはないわけだし、

例えうまくいって大金を稼げたとしても

さらなる労働が待ち構えているという事実がある。

 

 

眼の前のスイーツだけに気をとらわれて

肥えてきたところを魔女に食べられるようなものだ。

 

 

本当に、夢を見る若い人達の思いを踏みにじる行為である。

 

 

しかし、恥ずかしながら僕も以前はそんな話を素直に信じていた。

豊かに楽しそうに毎日を生きている人達を見て

なぜ自分はうまくいかないのか…と悩んでいた。

 

 

その理由は簡単である。

 

 

自分の心の奥底にある”声”を聞こうとしなかったからだ。

 

 

それは「違和感」として

あなたの右斜め後ろくらいから

常にあなたの耳元へ囁いているのである。

 

 

 

何かの事業やプロジェクトなどの仕事に関わっているときもそう、

「一生を共に添い遂げたい」と思っていたパートナーと一緒にいるときもそう、

「気の合う友人」と思っていた人と接しているときもそう、

本来なら一匹狼なのにウェイ系の集まりに混じっているときもそう、

「成功者」の話に「〇〇さんはすごい!」「そうですね!」と同調しているときもそう、

 

 

「やめたほうが良いよ…」と囁いてくる

 

 

そんな「違和感」が常に心の奥底にあるのだ。

 

 

 

 

 

世の中を見回してみてみると、

大半の人々は「見ざる、聞かざる、言わざる」状態だ。

 

 

不都合なことを見て見ぬふりをし、

不都合なことを聞いても聞かないふりをし、

疑問や本音を言えないでいる。

 

 

猿には猿にしか出来ないことがある。

 

 

ライオンの真似したり象の真似したり

無理して他の動物になろうとしなくたって良いのだ。

 

 

「存在しないバナナ」のために

芸をし続ける必要もない。

 

 

つまり、本来もらえないお金のために

あくせく働く必要も全く無いのだ。

 

 

誰にも飼いならされない。

 

 

本来あるべき姿の猿に戻って

食べたいときに必要なだけ

大好きなバナナを食べれば良いのだ。

 

 

 

僕はもう心に決めた「やりたいこと」がある。

 

 

それに集中して、目に見えた結果が出るまでは

もう他のものには一切目もくれないだろう。

 

 

だからもう、惑わされることもない。

 

 

さらに、もともと直感が鋭いところもあり、

嫌なことも楽しいことも様々な経験をした上で、

「物事の本質」も見えるようになってきた。

 

 

もっと自分の感覚を信じて良い。

 

 

僕の魂は自由なものだ。

 

 

もっともっと遠くまで行きたがっているし、

もしかしたら宇宙を目指しているかもしれないのだ。

 

 


 

肉体として生きるために伴う

世の中の「ルール」や「マナー」「常識」

そんなものに縛られることは出来ないくらい

無限大の可能性を秘めている。

 

 

あなただってきっとそうだ。

 

 

どうか、あなた自身の魂がどこに行きたがっているのか

あなた自身の心に問いかけてみてほしい。

 

 

今はどこにも行きたくないなら、「その時」ではないのだろう。

 

逆に、外に飛び出す赦しが出たら、いよいよ飛び立つとき。

 

 

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あなた自身を開放してあげて、

あなたが本来生きるべき人生を歩んでいこう。

僕が思う「マイペースさ」と「運気」の関係性

2019年 あけましておめでとうござりんす。

 

 

大晦日と元旦は仕事だったし

何よりも一人暮らしなので「正月らしさ」とは無縁だったのだけど、

1月2日には実家に帰るべく飛行機で本土へ向かった。

 

 

 

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正月休みといえど1月2日に移動する人は少なく、

LCCのVanilla Airでも隣に人がいなかったのは最高だった。

 

これからどんな航空会社を使うにしても

オンシーズンを避けるか

オンシーズンの中の微妙なオフシーズンを狙うかして

快適な空の旅を楽しみたいと思う。

 

 

さて、久しぶりに成田を利用したけど

そこから電車に乗るまでが一苦労だった。

 

 

飛行機が到着した滑走路から第3ターミナル、

第3ターミナルから第2ターミナルまで

それぞれバスで移動する必要があったからだ。

 

 

何回もバスに乗らないといけないのと

思ったより時間がかかって、

予定していた電車に乗れなかったこともあり

ちょっとストレスに感じたのだった。

 

 

そして

「今後はちょっとくらい高くても羽田を利用しよう…」

と心に決めたのだった。

 

 

今回のフライトはLCCのほうが圧倒的に安かったけど

数千円の違いだったら最終的な金額もあまり変わらないしな。

 

 

南関東の人だったら成田でも良いかもしれないけど

僕の地元は宇都宮。

バスが出ているとは言ってもさすがに成田までは遠い。

 

 

ただ、時間に余裕がある時にちょっとした旅を楽しむくらいだったら

たまには成田空港を利用するのも良いかもね。

 

 

実際窓から見える風景は成田のほうが面白いしな。

 

 

飛行機代で悩むことがないよう

マイルもガンガン増やしていかなければ。

 

 

とはいえ、久しぶりに成田を利用したので

色々目新しいものがあった。

第3ターミナルのフードコートも沢山種類があって楽しそうだったし。

今後時間に余裕がある時は色々回ってみようかな。

 

 

 

…で、 長い前振りになったけれど

タイトルにもあるように、

 

 

「マイペースさ」「運気」について考えたことを書こう。

 

 

人のために、自分がよく見られたいために、

ついつい無理をしてしまう自分。

 

 

去年はそんな自分から少し脱却できて

楽な考え方に移行できるようになったけれど、

あまり過剰に考えすぎず、

もっと自分のペース、自分のやり方を貫けるようになりたい。

 

 

あなただって、

人に気を使わなくても、

人から好かれようとしなくても、

あなた自身を受け入れてくれる人は必ずいるから大丈夫。

 

 

それに気づいたからには、

もっとあなた自身が好きなように行動して良いのだ。

 

 

皆あなたが思っているほど他人のことを考えていないんだし、

取越苦労であなたが疲れてしまうんだったら

あなたが楽になる方向で考えるようにしたほうがずっと楽だろう。

 

 

あなたが自分自身を大切にしていけばその分良いこともたくさん起こる。

 

 

さらに、ありのままの出来事を受け入れられるよう成長できたら、

運気だって必ず上がるし幸せな出来事もたくさん起こるだろう。

 

 

一般的に言われているのが

 

「悲惨な経験をした人が救われる」

「努力した人が報われる」

 

 

などといったことだが…

 

 

実際の世の中の全ての事象が情緒で動いているわけじゃないから、

残念ながらそんなことはただの願望に過ぎない。

 

 

厳密に言えば

それらの経験や事象はすべて「あなたに何かを学ばせるため」にあるもので、

それ自体が直接「あなた自身の幸せ」と結びつくのではないのだ。

 

例えば、いじめなどのトラウマがなくて、裕福な家に生まれて幸せに暮らしていけるなら

誰だってその方が良いわけだし。

 

でも世の中には貧乏一家に生まれていじめられたような人でも

幸せに生きている人がたくさんいるわけだ。

 

 

世の中には2種類の人間がいて、

いくら恵まれた環境に生まれたところで、自分は不幸せだと嘆く人と

過酷な環境の中でも、少しでも自分なりの幸せを見つけて生きている人がいる。

 

 

全てはその人自身の考え方次第なんだよね。

 

 

ただ、最後まで諦めず、自分自身を信じた人だけに

幸運が訪れるんじゃないか…

 

 

僕はそう考えている。

 

 

そのため、

目標に向かってやるべきことをし続けた人は、その努力は必ず実るのだし

辛い過去を経験した人は、

その経験を生かしてメッセージを発信するなり人を救おうとするなりするから、

最終的には沢山の人がその人に集まり、その人自身が救われるのである。

 

 

過去の僕は自ら壁を作っていたから

人ももちろんだけど、同時に運気もシャットアウトしてしまっていたんだ。

 

 

それに気づいてからは、ちょっとでも自分自身を変えようと思った。

 

 

だから僕自身のことを信じてくれる人がいる限り、

発信をやめることは絶対にないだろう、と思う。

 

 

 

 

さて、まだまだ世間ではお正月モード。

 

 

僕は今、大好きなみかんを食べながらこのブログを書いている。

 

 

1月3日の夜、混み合っていない時間帯に

地元の神社へ訪れた。

 

 

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僕はここ数年正月を沖縄で過ごしているせいか、

初詣はいつも正月明けた後の休みの日にしている。

 

 

なので、「3日までに初詣をする必要なんて無い」

と思っているくらいなのだけど、

今年に限っては僕にしては珍しく世間に合わせたことになる。

ただ時間をずらしただけだけど。

 

 

誤解を恐れず言うが、

いくらパワースポットとはいえ、

多くの人がわんさかいる場所は避けたいのだ。

 

 

お祭りだったら人混みも良いけど、お参りはまた違うからね。

できるだけ静かな環境で行いたいものだろう。

 

 

それに、人がたくさんいることで、

ご利益を受けようと沢山の人が訪れるわけだから

その分自分の運気を吸い取られてしまいそうな、

むしろ逆効果な気がしているのだ。

 

 

僕は自分の運気が下がりそうなことは極力したくない。

 

 

ちなみに運気が下がることをどうやって嗅ぎ分けるかと言うと、

「何かを奪う」発想かどうか、

「自分の品格を下げる」発想かどうかなどである。

 

 

要するにあなた自身が直感で

 

「嫌だ」「こんなことをする人とは関わりたくない」

「こんなことをしたら自分の信念を汚してしまう」

 

などと感じることを避けていけばよいだろう。

 

 

人が避けるような人は運からも見放されるからね。

 

逆に、運気を味方につけるには、

自分の運気を上げるにはどうすればよいかというと、

 

「自分にとって嫌なこと、自分のイメージを下げることは一切しないこと。」

 

と考えている。

 

 

「運気」は「あなたのマイペースさ」にも関係してくる。

 

 

例えば、これは僕自身が個人的に考えてることだけど、

初詣だって混雑のストレスを受けながらお参りをするんじゃなくて、

自分の行きたいときにするのが一番良いのでは?

その方が神様ともゆっくりお話できると思うんだよね。

 

 

これはお参りだけではなく、様々なケースでも言えることだ。

 

 

というわけで年明け早々、僕は安定のマイペースさを実行したのだった。

 

 

 

あとは対人とのやり取りにおいて

いかにして自分のペースを優先できるかが重要だ。

 

 

あなただってもっと自分自身を大切にして良い。

 

 

あなた自身を犠牲にしたって良いことなんてなにもない。

そうなると考え方がネガティブになりがちだし、

むしろ運気が下がるだけだ。

 

 

もっとあなた自身を大切にして、

信念を持ってマイペースさを実行していけば、

あなたがやりやすくなるし、毎日が楽しくなる。

運気だって絶対に上がるはず。

 

 

まとめると、運気を上げるためには

以下のことをちょっとずつ実践していこう。

 

 

・どんな些細なことでも幸せに思えるようになること

・世の中の常識に疑問を持つこと

・人とは違った行動をすること

・人とズレたタイミングで行動をすること

・一般論ではなく、自分の考えをしっかり持つこと

・焦らず急がず慌てず、マイペースに行動していくこと

 

 

皆がしないことを積極的にチャレンジしていきましょう。

 

 

 

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さて、戌年はもう終わっちゃったけど

亥年も愛せるように猪を皆で愛でよう。

 

 

↑2015年ごろにネオパーク(沖縄)で撮影したイノシシ。

 

 

あーかわいい。かわいいよぉ。

 

ちなみに僕、去年の四国・高松への旅では

猪とニアミスの危機(?)に遭っている。

 

 

なので、今年はなんだかスリリングで楽しい年になりそうだ(?)。

 

 

その時の旅の様子はこちらから↓

 

 

 

というわけで、今年も自分の好きなことや考えたこと、LGBT関係、

まだ書いていない旅の記録や思い出を思う存分語っていこうと思う。

 

 

 

2019年もこの変態ブログを

どうぞよろしくお願いいたしますぞえ。

さらば、義務(ギブ)&洗脳(テイク)

世の中には

 

「〇〇しなければいけない」

「〇〇しないと〇〇になれない」

「〇〇してはいけない」

 

みたいな義務や洗脳があまりにも多いと思う。

 

 

いや、思う、じゃなくて…

 

 

実際多いよなぁ。

 

 

いやはやまったく息苦しいよなぁ。

 

 

 

…そう思わないかい?

 

 

 

「メェ?」
 

 

…………。

 

 

 

最近気づいたんだけど…

 

「やらなきゃいけないこと」って
大抵別にしなくても良いことなんだよね。

 

もしかしたら自分自身で「やらなきゃいけない」と妄想しているのかもしれないし、
ただ、やらなかった場合の恐怖に対して動かされているのかもしれない。

 

 

色んな本を読んでわかったけれど、
恐怖で動くことはあまり良くないことがわかった。

 

いや、むしろやめたほうが良い。
それくらい身体に対するストレスが大きいからだ。

 

 

むしろ、「いかに遊ぶか」が重要。

 

 

 

 

自分にとって心地良いことだけを考えていくほうが、
心から幸せになれると思うし、
若々しくて健康的な身体を手に入れることができるはずだ。

 

 

これでも多くの人はまだ

 

「会社には3年以上務めなければいけない」とか

 

「良い会社に入るためには良い大学に出なければいけない」とか

 

「結婚して家庭を築かないといけない」とか

 

「周りに迷惑かけてはいけない」とか

 

いろんな義務感や焦り、不安で動いている人が多いと思う。

 

 

「その通りにならないといけない」と考えながら
親や周囲の人間からのプレッシャーを受けて、
失敗を恐れて行動している人もいることだろう。

 

 

自分や他人の生き方にあまりにも制限や条件ばかり付けていたら
自分自身が生きやすくならないだけじゃなくて、
常に緊張感でガチガチだったら身体も壊すよね。

 

 

…でもこんな生きにくい生き方というのはもう昔前の話。

 

今は時代と共に価値観が変わってきているし、
インターネットの発達とともに自分を表現する機会や場所が増えた。

 

実際に僕の回りには
自分をありのままに出すことで人が集まってくる人が多いし、
楽しそうにお金を稼いでいる人もたくさんいる。

 

確かに、僕だって不安が全くないわけではない。

 

でもどうにか以前よりも楽になれたのは、
上に挙げたような「自分に正直に生きている人たち」と出会えたおかげだ。

 

もしこれが生まれてから今まで一定の価値観しかないコミュニティに
身を置いていたらと思うと非常にゾッとする。

 

要するに「家庭」だよね。

 

 

僕は以前、↑の記事でも言っていたことがあるが、
真の意味で自分が楽に生きるようになるためには、
安心できる「家庭」から離れるしか無い。

 

その安心感は本当の意味で自分を癒やしてはくれない偽物だからだ。

 

暗い自分のままだったら、それはそれは変化がなくて楽だけど、
自分が一番苦しいのだ。

 

しかし、自分自身を変えるには、
これまで身を置いていた考え方や価値観を手放さないと
なかなか変わることができないと思う。

 

僕も他者に対する恐怖だったり依存だったり自意識だったりが非常に強かったから
この辺のマインドを作り上げるのに時間がかかった。

 

もちろん今も発展途上ではあるが、
自分がどう見られているか、嫌われないか、ということよりも
どうしたら周囲の人を助けられるか…という考えに変わってきたように思う。

 

そして、何かをやるにつけてハナから「無理だ」と決めつけるよりかは、
「やってみないとわからないな」という考えに変わってきた。

 

ただ、一番の足かせになっているのは、
性格上、出来るだけ自分で解決したいという気持ちが少し強いようだ。
もっと素直に人に相談できたら良いなと思うんだけどね。

 

世の中にはすぐに結果が出る人となかなか結果が出ない人がいると思うけど、
素直な人は悩んだり疑心暗鬼になったりする間もなく行動に移すから
成長のスピードが早いんだと思う。

 

慎重になるのは仕方がないけれど、
あまりにもひねくれたものの見方だけはしないようにしたいね。

そうならないように、
不満があったらなるべく言うようにするだけでも良いのかもしれない。

 

 

だから僕は出来るだけ色んな人と会うようにしている。

特にこれまで自分が内心嫌でモヤモヤと感じていた固定観念やらなんやら
それらを否定してくれる人達の存在が必要だと感じているのだ。

 

確かに、これまで生きていた中で自分に酷い扱いをしてきた人達もいたけれど、
そんな人達よりも自分を大切にしてくれる人が遥かに多い。
自分の未熟さが原因で粗相をしても、許してくれる人だってたくさんいる。

 

そうやって「自分が価値のある存在」であることに気づいて、
周囲の人々に心から「ありがとう」と思う気持ちを持つ。
体験を一つずつ積み重ねていくしかないんだよね。

 

それは何年かかるかわからないけれど、焦らなくていい。

 

別に誉められなくたって良い。

 

「ありがとう」の言葉があれば良い。

 

実際にそれだけで自分の存在が許されている気がする、魔法の言葉だからだ。

 

 

僕も少し前まではギブ&テイクの考えだったけれど、
最近はだいぶ緩んでいる。

 

「ギブ&テイク」は、「義務&洗脳」でもあるからだ。

 

 

自分の身を犠牲にする「ギブ&テイク」じゃなくて、

「自分が楽しみながら無償の愛で世に貢献できる」

これが理想だ。

 

 

当たり前になっている価値観から抜け出そう。

 

 

それにはまず、自分が遊ぶことから始まる。

 

 

※ハウステンボスにだって一人で行ってしまうくらい遊ぶの大好き、なのである。