さらば、義務(ギブ)&洗脳(テイク)

世の中には

 

「〇〇しなければいけない」

「〇〇しないと〇〇になれない」

「〇〇してはいけない」

 

みたいな義務や洗脳があまりにも多いと思う。

 

 

いや、思う、じゃなくて…

 

 

実際多いよなぁ。

 

 

いやはやまったく息苦しいよなぁ。

 

 

 

…そう思わないかい?

 

 

 

「メェ?」
 

 

…………。

 

 

 

最近気づいたんだけど…

 

「やらなきゃいけないこと」って
大抵別にしなくても良いことなんだよね。

 

もしかしたら自分自身で「やらなきゃいけない」と妄想しているのかもしれないし、
ただ、やらなかった場合の恐怖に対して動かされているのかもしれない。

 

 

色んな本を読んでわかったけれど、
恐怖で動くことはあまり良くないことがわかった。

 

いや、むしろやめたほうが良い。
それくらい身体に対するストレスが大きいからだ。

 

 

むしろ、「いかに遊ぶか」が重要。

 

 

 

 

自分にとって心地良いことだけを考えていくほうが、
心から幸せになれると思うし、
若々しくて健康的な身体を手に入れることができるはずだ。

 

 

これでも多くの人はまだ

 

「会社には3年以上務めなければいけない」とか

 

「良い会社に入るためには良い大学に出なければいけない」とか

 

「結婚して家庭を築かないといけない」とか

 

「周りに迷惑かけてはいけない」とか

 

いろんな義務感や焦り、不安で動いている人が多いと思う。

 

 

「その通りにならないといけない」と考えながら
親や周囲の人間からのプレッシャーを受けて、
失敗を恐れて行動している人もいることだろう。

 

 

自分や他人の生き方にあまりにも制限や条件ばかり付けていたら
自分自身が生きやすくならないだけじゃなくて、
常に緊張感でガチガチだったら身体も壊すよね。

 

 

…でもこんな生きにくい生き方というのはもう昔前の話。

 

今は時代と共に価値観が変わってきているし、
インターネットの発達とともに自分を表現する機会や場所が増えた。

 

実際に僕の回りには
自分をありのままに出すことで人が集まってくる人が多いし、
楽しそうにお金を稼いでいる人もたくさんいる。

 

確かに、僕だって不安が全くないわけではない。

 

でもどうにか以前よりも楽になれたのは、
上に挙げたような「自分に正直に生きている人たち」と出会えたおかげだ。

 

もしこれが生まれてから今まで一定の価値観しかないコミュニティに
身を置いていたらと思うと非常にゾッとする。

 

要するに「家庭」だよね。

 

 

僕は以前、↑の記事でも言っていたことがあるが、
真の意味で自分が楽に生きるようになるためには、
安心できる「家庭」から離れるしか無い。

 

その安心感は本当の意味で自分を癒やしてはくれない偽物だからだ。

 

暗い自分のままだったら、それはそれは変化がなくて楽だけど、
自分が一番苦しいのだ。

 

しかし、自分自身を変えるには、
これまで身を置いていた考え方や価値観を手放さないと
なかなか変わることができないと思う。

 

僕も他者に対する恐怖だったり依存だったり自意識だったりが非常に強かったから
この辺のマインドを作り上げるのに時間がかかった。

 

もちろん今も発展途上ではあるが、
自分がどう見られているか、嫌われないか、ということよりも
どうしたら周囲の人を助けられるか…という考えに変わってきたように思う。

 

そして、何かをやるにつけてハナから「無理だ」と決めつけるよりかは、
「やってみないとわからないな」という考えに変わってきた。

 

ただ、一番の足かせになっているのは、
性格上、出来るだけ自分で解決したいという気持ちが少し強いようだ。
もっと素直に人に相談できたら良いなと思うんだけどね。

 

世の中にはすぐに結果が出る人となかなか結果が出ない人がいると思うけど、
素直な人は悩んだり疑心暗鬼になったりする間もなく行動に移すから
成長のスピードが早いんだと思う。

 

慎重になるのは仕方がないけれど、
あまりにもひねくれたものの見方だけはしないようにしたいね。

そうならないように、
不満があったらなるべく言うようにするだけでも良いのかもしれない。

 

 

だから僕は出来るだけ色んな人と会うようにしている。

特にこれまで自分が内心嫌でモヤモヤと感じていた固定観念やらなんやら
それらを否定してくれる人達の存在が必要だと感じているのだ。

 

確かに、これまで生きていた中で自分に酷い扱いをしてきた人達もいたけれど、
そんな人達よりも自分を大切にしてくれる人が遥かに多い。
自分の未熟さが原因で粗相をしても、許してくれる人だってたくさんいる。

 

そうやって「自分が価値のある存在」であることに気づいて、
周囲の人々に心から「ありがとう」と思う気持ちを持つ。
体験を一つずつ積み重ねていくしかないんだよね。

 

それは何年かかるかわからないけれど、焦らなくていい。

 

別に誉められなくたって良い。

 

「ありがとう」の言葉があれば良い。

 

実際にそれだけで自分の存在が許されている気がする、魔法の言葉だからだ。

 

 

僕も少し前まではギブ&テイクの考えだったけれど、
最近はだいぶ緩んでいる。

 

「ギブ&テイク」は、「義務&洗脳」でもあるからだ。

 

 

自分の身を犠牲にする「ギブ&テイク」じゃなくて、

「自分が楽しみながら無償の愛で世に貢献できる」

これが理想だ。

 

 

当たり前になっている価値観から抜け出そう。

 

 

それにはまず、自分が遊ぶことから始まる。

 

 

※ハウステンボスにだって一人で行ってしまうくらい遊ぶの大好き、なのである。

既存の「ルール」や「伝統」を疑う生き方

社会のルール、会社の規則、校則…

 

僕たちはありとあらゆる常識やルールに囲まれて生きてきた。
今も、そしてこれからも社会で生きていく上でそれらのルールから逃げることはできないだろう。

 

その前に、何故ルールや規則が存在するのだろう?

 

それはそのルールを守っていることで節度が守られる云々というのももちろんあるけれど、

「ルールを守り続けていく必要性が果たしてあるのか」

という疑いの姿勢と疑問は常に持っていた方が良い。

 

そして仮にそのルールを守るとしても、

「その団体や組織に属する上で現在の自分や周囲の人を守るために
とりあえずその考え(ルール)を取り入れる」

という感覚で守る方が良いだろう。

 

そうすることで、いざそのルールがなくなってしまったとしても、
パニックにならなくて済むのだ。

 

というのも、例え心のなかでは嫌だ、面倒だと思っていても、
皆「ルール」というものがあることで自分自身の心の安定が保たれているんだよね。

 

「ルール」がないと無法地帯にもなる可能性だってあるし、それはそれでカオスだなと。
皆が不愉快に感じることを平気でするような人も出てきちゃうしね。
それだったら「ルール」があったほうが安心でしょ?

 

 

日常生活で欠かせない習慣で例えると、

仮に「明日から歯磨きするな!」って言われたら皆絶対嫌なはず。

 

歯磨きしない生活に慣れるためにもしばらくの間は時間が必要になるしね。

 

…これは極端な例かもしれない。

他にも昔から当たり前に行われていることとか、
伝統的なものとか色々あるかと思うけど、

当たり前になりすぎていて一切の疑問を感じないとか、
「なんとなく」その伝統やルールを引き継いでしまっているとか、
そんなケースも多々あるだろう。

 

かなり乱暴なことを言ってしまえば…

 

自分にとって存在意義が理解できない伝統なんて捨ててしまって構わないし、

無理に参加する必要性もない。

 

僕だってバレンタインデーやホワイトデーといった行事が嫌いだと常々言っている。

 

もちろんこういったイベントに参加するしないは個人の自由だし、

強制されるものではないだろう。

 

LGBTの子であれば、
こどもの日や桃の節句に雛人形や五月人形を飾るなどしない…
そんな選択肢も当然あって良いと思うし、
それは祝われる本人の気持ちが最優先されるべきなのだ。

 

でも実質何かしらのグループや団体に属していることで、
嫌なものでもほぼ半強制的に参加させられることもあるだろう。

 

以下の記事でも少し話しているが、
清明(沖縄の行事)でお墓を掃除するのが嫌と話す人がいた。

 

 

僕は本土の妖怪だから異なる地域の文化に対して偉そうなことは言えないが、

子供達にそういう感情が生まれてしまうのは明らかに大人の責任である。

何故そういうことをするのか…
子供に納得してもらえるようにきちんと説明できていないのだろう。

 

 

別に先祖を敬うような伝統がダメだということでは一切なくて、
思考停止してしまう、自分で考えない、
自分や相手の意思を尊重しないことがいけないことだと思うんだ。

 

「なんとなく」皆が同じことをしているから、自分も同じことをする。

 

それが当たり前のことになってしまうと、
「世間一般の価値観」で自分という人格が塗り固められてしまうし、
自分がどのような考えでどのような生き方がしたいのかが
わからなくなってしまう恐れがある。

 

もちろん、心から「楽しい!」「続けていきたい」と思えるものであれば、
条件なしに続けていくことはむしろ良いと思う。

 

しかし、一方的に決められたルールなんて
場合によっては破っても差し支えないことだってあるだろうし、
心底納得していなければ、表面だけ守っているように見せかけるのもよくある光景だ。

 

つまり先生の前では良い子ぶっているのに、
禁止されているお菓子を授業中に隠れて食べている…みたいな光景などだ。

 

天海夜 煌琉さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿

まぁお菓子を隠れて食べるという行為自体の善悪は置いといて、
なぜ授業中にお菓子を食べてはいけないのかという疑問が生じるのも無理はないし、
つまらない授業を少しでも楽しく快適に過ごしたいというのは誰だってあるだろう。

 

僕だってお菓子は持ち込まなかったにしても、
真面目に先生の話を聞いているように見せかけて、
頭の中では全く違うこと考えてたこともしょっちゅうあったしね。

 

とにかく、既存のルールや伝統と付き合っていくには

・提示されているものを絶対視しないようにする
・とりあえず今の自分を守るためにあるものと認識する
・場合によっては逃げても良いし、許される範囲なら破っても構わない

という感覚でよいかと思う。

 

世間一般で当たり前となっていることも自分はやらない、というのもアリだ。

 

例えば僕は別に死んでもお墓に入らなくて良いかな〜なんて思っているし、
今後仮に結婚したとしても結婚式なんて行わなくて良いと思っている。
(パートナーが「どうしてもやりたい」と懇願するならば考えるかもしれないが)

 

理由はというと、特に意味を感じないからだ。
家族に負担を強いるようなこともしたくないしね。
周囲の人が当たり前にやっていることも、
やらなくて良いことであれば別にやらなくても良いと思う。
生き方や選択なんて人それぞれだし、誰かが強制するようなものではない。

 

今自分がすがりついているもの…
それは本当は不要な物だったりお金だったり、
色々あるかもしれない。

 

 

それらを一度手放してみてはどうだろう。

 

 

僕は、今の自分って本当に何もないなって思う。

でも何もないからこそ気楽なんだよね。

 

 

もしこれが影響力の強い立場の人間になったらどうなるか…。

Twitterなんてあまりにもフォロワー数が多いと自由度が下がるというか、
発言にも制限が出てくるでしょ?

 

別に何を言われても全く気にならなければ良いけれど、

何気ない発言が誤解や波紋を生み出してしまうことだってあるから難しいんだよね。

 

 

お金のことで言えば、

僕自身はかつて貯金がたくさんあった時がある。

 

今はほとんどない(笑)

 

でも自分よりも将来への不安感は少なくなっているし、
むしろ開き直ってさえいる。

 

当時は高校生で働くことに対する恐怖や不安があって蓄えを持っていたのだが、

今は学校よりもむしろ働くほうが楽だし

かつての地獄と比べればだいぶマシとさえ思ってるくらいだ。

 

これで完全に仕事をやめてしまえば、また違った世界が開けてくるのかもしれない。

 

それに向けて今出来ることを徐々にしていければと思う。

 

 

自分が所有しているもの
知らず知らずのうちにすがりついているもの
当たり前になっていること
何気なくやってしまっていること

 

 

まずは一つ一つ疑ってみよう。

 

 

もしかしたらそこから本当の自分の気持ちを見出だせるかもしれないし、
自分が本当に希望する生き方を実現できたら
今よりも少しだけ楽になれるかもね。