学校や会社なんて行かなくて良い理由

僕が人生で最も後悔していること。

 

それは好きでもない、むしろ嫌いだった学校に通い続け、
学生時代を病みながら過ごしたことだ。

 

毎朝嘔吐しながら無理矢理にでも学校に行くことなんて、
何もメリットがなかった。

 

親の機嫌や人の目なんて考えずに、
自分の気持ちを優先したら良かったのだ。

 

それは、堀江貴文さんの

「すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~」という本を読んで

確信した。

 

 

「なぜ学校に行くのだろう?」
「なぜ勉強するのだろう?」

 

これらは、日本国内で生きる誰もが必ず一度は抱く疑問だと思うが、
それも押し付けられたものだから、当然のことだろう。

 

本来、学びというものは自発的にするものだからだ。

 

自分が好きなもの、夢中になれるもの、没頭できるものに
時間や食事を忘れて打ち込むこと。

 

 

そうすることで、その分野に関しては詳しくなるし、
技術的なものであれば上達もする。

 

自分にとって好きなものだから、ストレスもないし、
我慢をする必要なんて無い。

 

楽しみながら成長できるのだ。

 

だから僕も最近では、「今を楽しもう」「夢中になろう」と
呼びかけているのである。

 

ところで、この書籍を読んで、
人間にはG型とL型というものがあるということを知った。

 

Gはグローバル、Lはローカル。

 

…ということでざっくり説明すると、

 

G型は世界規模で活動する人間。

天海夜 煌琉さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿


たけしさんも世界中から絶大な支持を受けている人の一人。

 

 

対するL型は特定の地域において活動する人間。

天海夜 煌琉さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿


沖縄で生活していると、当然かもだけどローカルな有名人がたくさんいることに驚かされる。

 

要するに活動の拠点や判断基準が数カ所かつ外向きなのか
一箇所かつ内向きなのかということだろう。

 

だから、一見すると外向的か内向的かという分け方のようにも見えるが
おそらくそれは違くて、
外向的でもL型の人はいるだろうし、
内向的でもG型の人はいるだろう。

 

僕はおそらくG型よりのL型だと思う。

 

僕にとっては沖縄は地元ではないし、
好きではあるし可能性がある場所と考えてはいるが
ずっとそこにい続けるということもないかもしれない。

 

しかし、機会があれば今後、タイなどの国に移住することも考えているし、
それがいつになるかもわからない。

 

それから、自分が好きなものに関しても
G型やL型を当てはめてみた。

 

僕は最近色んなアーティストの曲を聞くのだが、
そのアーティストがG型とL型、
どちらよりの性格を持っているのかも気になるようになった。

 

アイドルやV系はファンとの一体感やストーリーを大切にしているので、
L型が圧倒的に多いとは思うが、
現在世界規模で活躍しているBABYMETALや
解散してしまったけれど世界中に沢山のファンがいたギルガメッシュなどは
G型に当てはまるのかなと思う。

 

メンバー個人の性格ではなく、グループとして考えたらそんな印象である。

 

 

…いや、もしかしたら人間、誰しもG型とL型、
どちらかの要素や性格があると思う。

 

書籍の中にあった比較表を見てみたけど
僕にはどちらの性質もバランス良く存在してたようだし。

 

好みや価値観など、自分の選択によってどちらになるかというものなのだろうな。

 

どちらにせよ、自分の可能性に蓋をするのは
最もやってはいけないことだし、
「教育」や「洗脳」によってそれをしてしまう人が多数いること。
人に価値観を押し付けて人の夢を奪ってしまう人も多数いること。

 

それが「生きていてもつまらない世界」を生み出すことになり、
「生きづらさ」を感じてしまう人もいることだろう。

 

現に日本はそういう国になっている。
だから自殺者が後をたたないのだ。

 

「幸せの形」なんて千差万別なのに、
世の中の一定の「幸せの価値基準」に当てはまらないから、
希望が見えないと思い込んでしまう人も多数いるのだ。

 

人間は本来やりたいことを好きなようにすることがニュートラルなあり方である。

 

それが、教育を受けてしまうことで、
N型人間というものになってしまう。

 

N=日本ということで、Nationalなのかな。
会社の言いなりになって動くような人間、
自分の頭で考えることができない人間と解釈している。

 

これは戦時中の「お国のため」思考を未だに引きずっているものであり、
最もあってはいけないあり方だそうな。

 

そんな人間になってしまうと、
「正解」を求めるような人間になってしまう。

 

これの何がいけないのかというと、
何かにつけて「答え探し」をするようになってしまう。

 

誰かが「正解」をくれるだろう、
そうすることで、自分は損をしない。

 

そんな他者依存をするような発想になってしまうのだ。

 

被害妄想という最も最悪な考え方も身についてしまうし、
自分自身が人の人権を無視して
他人を奴隷みたいに扱うようになってしまう可能性すらある。

 

現に日本はサービス業の人に対してちょっと厳しいところがあるし。
やってくれたことに感謝できなくなったら、人間として終わりだよね。
もちろん、世の中に「正解」など無いし、
誰か偉い人が与えてくれるものでもない。

 

それは自分で毎日を丁寧に生きながら探していくものである。

他の人に合ったやり方でも、自分に合うとは限らない。

自分の生き方は、自分で学びながら見つけていくものなのだ。

 

その人間が本来あるべき姿を捻じ曲げてしまうのが、

「学校」であり、

「教育」という名の「洗脳」である。

 

今、学校に行きたくないと本気で思っている子がいたら、
登校拒否をして好きなものに打ち込んで構わない。

 

僕はそれを推奨する。

 

現に、学校で学ぶことなんて、ほとんど無駄だからだ。

 

今はオンラインで好きな先生を選んで
興味のある分野に関しての学びが得られるからね。

 

嫌いな先生や苦手な先生、合わない先生から
受けたくもない授業を受ける必要なんて無いわけよ。

 

学校は人間関係や集団行動を学ぶ場所?

 

その発想すらが古いと思う。

 

 

自分の趣味や好みが合う人達、
人間的に尊敬できる人達と交わっていけばいいじゃん。

 

そんなコミュニティなら
皆自分のことを一人間として認めてくれる人ばかりだろうから、
健全な人格が出来上がってくるだろうし。

むしろ理想のあり方だよ。

 

住んでいる地域や専攻しているコースが一緒、
はたまた同じ歳などという理由だけで
無理やりクラスを組まされて、
好きでもない奴と長い時間同じ空間を共にする必要なんて無い。

 

大好きな友達だけ、個人的に会えばいいじゃん。

 

実際僕も中学の時、学校に行くのは地獄だったけど、
ダンス教室に行くのはとても楽しかったな。
毎日好きな音楽を聴いて、好きなだけ絵を描いて、
当時のめりこんでいたダンスに一生懸命になっていれば良かったのだ。

 

でも過去のことを後悔したって仕方ないし、
どうにもならない。

だから、これからの時代の子供達に向けて
今言えることを発信しているのである。

 

実際、学校に行くかどうかはその子自身が決めるものだが、
学校に行くか会社に行くのかだけが人生の選択肢ではないこと。
それは頭の隅にでも入れておいて欲しい。

 

命を断つなんて早合点過ぎる。

確かに世の中にはくだらない人間も多いが、
それ以上に素晴らしい人達もたくさんいる。

 

それに気づくのが早ければ早いほど、
自分の生き方を模索できるようになるから。

 

会社だって辞めたって構わない。

 

辞めたことが経歴のキズになるとか、
良い大学をでていれば就職に有利になるとか、
資格を持っていれば良いとか。

 

そんなもので人の価値を判断するような会社なんて
ロクなものがないだろうし。

 

実際僕も仕事の面接を受ける上で
「失礼な奴だな」と思うような人間を何人も見てきた。
現に一緒に働くことにならなかっただけ、マシだったのかな。
そういう人間は腐るほどいるし、
現に嫌な奴の下で働いたこともある。

 

でも、負けちゃいけない。

 

ビビりながらも、自分なりに反発したさ。

 

古い価値観を押し付けてくるような人間の意見なんて
聞く必要なんて無いんだよ。

 

その人があなたの人生に責任を取ってくれるわけじゃないし。

 

「自分の人生は自分で責任を持つこと。」

 

そんな考えで自分の好きなように行動していくことで、気持ちが楽になるからだ。

 

好きな人達と一緒に、好きな仕事ができたら最高だよね。

 

 

誰かが提示したものではない

「自分の生き方」を

試行錯誤しながら探してみよう。

 

それはあなたにしかわからないものだから。

 

 

 

正解などなくても、泥臭くても良い。

 

 

 

複雑に絡み合った木の根のようにもがきながら

天に向けて真っ直ぐそびえ立つ木の幹のように

全力で生きている人は美しい。

 

 

 

 

と、僕は思う。

「叱咤激励」という言葉の気持ち悪さ

僕は「叱咤激励」という言葉が大嫌いだ。

 

いや、誤解のないよう一言言っておくが、
言葉そのものは元々あるものだからどうでも良い。

 

厳密に言うと、
「叱咤激励」という言葉を当たり前に使っている人が大嫌い。

 

意見やアドバイスをもらいたい時に
素直に「アドバイスを下さい。」なら良いのだけど、
「叱咤激励して下さい!」という言葉を見かけるたびに、
なんだか引いてしまうのだ。

 

なんというか…
一見、「あなたの言葉はどんなことでも受け入れます」
というような潔さが感じられるんだけど、

 

人から「叱られたい」「応援されたい」「褒められたい」
そんな甘えが見えてしまう。

 

だから嫌いなんだ。

 

まぁ人間だし応援してもらいたいという感情を持つのは当然だとは思う。
なので、それをアピールするのも良いと思うけど、
「応援してね♪」というお願いではなく、
「強い口調で怒って欲しい」っていうのがよくわからない。

 

ドMなのか?

 

僕は他人の指図一切受けたくない人間、
ましてや命令されるなんて言語道断な人間だから、
全く気持ちがわからないんだよね。

 

特に日本人は叱られたいという感情が根付いてしまっている傾向があると思う。

 

僕は琉大在学時にとある学生団体の中で孤立していることがあった。
思い出すと辛くなるから、なるべく思い出さないようにしているんだけど。

 

その時は、僕のことを気にかけてくれているらしい人から、

 

「批判されているうちが花だよ」なんて言われたけど、

 

「は?何言ってんの?」って思ったものだ。

 

(「一番怖いのは、嫌われることではなく無関心」という意味なら
まぁわかる気もするが)

 

本当に心の底から自分のことを思って言ってくれている人は
その態度や言葉からもわかる。

 

だから、僕はそういう人の言葉ならわりと素直に受け入れるところがある。
それが感じなければ全部その人のエゴ、正義の押し付け、
クソリプに過ぎない。

 

それをある年齢の時から見抜いていた。

 

批判する人間、文句を言う人間って大抵人の話を聞いてないからな。
Twitterなどで誰か特定の人を皆がこぞって叩いているのも、「雰囲気」や「空気」もあるだろうし。
日本人は特に「村八分」みたいな傾向が強いし。

 

大抵の人が「怒られると成長する」「だから、悪いところがあったら叩く」
そう思い込んでいるのは、教育の影響なのかな?

 

その団体の人達も「辛いことがあるから成長する」と思い込んでいる人が多数だった。
加入当初はいろんなイベントを企画できて楽しいと思ってたけど、
なんだかカルト宗教みたいで気持ち悪いなと思って辞めた。

別に宗教自体を否定はしないが、
誤った価値観を信じ込んで人に害を与えることが問題なのである。

 

良い面に目をつければ良いんじゃない?と思うが。

 

でも、教育者にしろ、親にしろ、大抵悪い部分を注意するから。
その延長なんだろうな。

 

ハッキリ言って、やっていることはいじめと変わらないからね。

 

でも、その「いじめ」に負けてしまう人が多いのも事実。

 

芸能人や人気者は心無いリプが来ることもあると思うけど、
応援メッセージだけじゃなくて
毎日のように罵声を浴びせられたらそりゃ病んでしまうよね。

 

結果、謝る必要が無いことでも、謝ってしまう人だっているし。
発信や活動を辞めてしまう人もいる。

 

一方で、反抗期の子だとかグレる子とか
病んでしまう子とかが生まれてしまうのも、
結局は「誰か本気で叱ってくれる人」「自分を気にかけてくれる人」が欲しいからだ。

 

親や先生から一方的にガミガミ怒られていると、
そんな子が出てくるのも無理は無いと思う。

 

というか、すごく気持ちがわかる。

 

だから、わざと悪態をついたり、
相手を試すようなことをしたりしてしまうのだ。

 

それは厳密に言うと、「愛」を欲しているからの行動なのだろうけど。

 

決して誰かから罵倒されたいわけじゃない。

 

 

しかし、もう成人してしまったら立派な大人だ。

何もかもを他者に委ねてしまうのは問題がある。

 

大人だからということよりも、自分自身が幸せになれないからだ。

 

相手の気持ちを試すなんてことをいちいちしていても、
虚しくなるだけ。

 

自分自身も含め、結局は皆自分のことにしか興味ないからね。

 

大人なら、自分の幸せも自分自身で築いていかないといけない。

 

いつまでも過去のトラウマや物事の正義に拘っていてはいけない。
過去は過去だからだ。

 

 

俺だってジジイになっても
「世の中なんてくだらない」みたいな考えで死にたくは無い。

 

「素晴らしい世界に生まれて、俺は幸せだ」
そう思いながら死ねたら最高だよね。

 

そう考えたら、いつまでもひねくれた目で世界を見ていたらいけないと思った。

 

それに、物事の欠点ばかり目について文句を言ってばかりじゃ、
自分自身が生きていて楽しくないはずだ。

 

 

話を戻すと、

 

 

「叱咤激励」されることを待ち望んでいる人も、
「これから頑張るぞ!」と自立しているように見えるけれど、
結局は他者依存の精神が根付いている。
その精神が見え隠れしているのだ。

 

人から何かを指図されることが習慣になってしまったら、
結局のところ、自分自身も人を嫌な目に遭わせてしまう可能性すらある。

 

クソリプをかましてばかりの人間になってしまう可能性だ。

 

そうならないためには、自分自身で気づいて変えていかないといけない。

 

叱咤激励されて、
誰かに言われたからやる。

 

そうじゃなくて

 

常に自分の気持ちに従う。
常に自分でやる気を起こす。

 

やる気が起きる起きないは生理現象だし、
行動を起こすか起こさないかも自分自身だから、
自分自身が毎日を楽しく生きられるように工夫するしか無いと思う。

 

それにはワクワクすること、夢中になれることを追求すること。

 

僕も以前は依存心の強い人間だった。

 

でも今はできるだけ、自己責任だと思うようにしている。
自らがそう思うことで、他の人の言動に対してもそのような考えが持てるからだ。

 

だから、他人の顔色なんて伺わなくて済むし、
神経すり減らせてしまうほど他人に気を使わなくて済む。

 

かなりのコミュ症だったけど、

必要なことは勇気を出して人に聞けるようになった。

 

その結果、勝手な思い込みで相手を一方的に悪者扱いすることもなくなってきた。

 

今の自分があるのも、
自分の身にふりかかったことも、
全て自己責任。

 

逆に、良いことが起きたら、誰かのおかげ。
お世話になった人達に感謝の気持ちを持つ。

 

そう思うことで、より自分らしく生きられる…

 

それがわかりかけてきた。

 

何か困ったことが起きた時に
誰かに相談するのは良いことだ。

 

でも、他人に何と言われようが、
最終的な決定権を下すのは自分。

 

今の自分を本気で変えようと思った時に、
「叱咤激励の言葉」なんていらない。

 

 

「自分の好き嫌い」「やりたいことやりたくないこと」をハッキリさせながら、
目の前のことに、一生懸命取り組むこと。

 

 

やりたいこと、好きなことは気が済むまでやればよいし、
やりたくないこと、嫌いなことはやらなくたって良い。

 

 

とにかく、「今」を生きることだ。

 

 

「今の自分」や「心から夢中になれるもの」に興味がある人は、

他人の悪口を言うこと、クソリプを飛ばすことに興味がない。

 

そんなことしていても時間の無駄だからだ。

 

人生は長いようで短い。

 

少しでも楽しくなるように工夫しながら、のんびりと生きましょう。