一生、檻の中で飼いならされる猿のままで良いのかい?

ぶっちゃけた話、僕は過去にいくつかのMLMをやったことがある。

 

 

ただ、友達があまり多くないのと、

それもあってかとにかく嫌われるのが嫌だったため、

ビジネスとして行うまでには至らなかったが。

 

 

世の中には

「これをやればお金を稼げるよ!」

「すぐに儲かるよ!」

「一生遊んで暮らせるよ!」

などといった甘い話が転がっている。

 

 

それはまるでスイーツのようにすぐに飛びたくなるくらい

魅力的である。

 

実際はそんなことはないわけだし、

例えうまくいって大金を稼げたとしても

さらなる労働が待ち構えているという事実がある。

 

 

眼の前のスイーツだけに気をとらわれて

肥えてきたところを魔女に食べられるようなものだ。

 

 

本当に、夢を見る若い人達の思いを踏みにじる行為である。

 

 

しかし、恥ずかしながら僕も以前はそんな話を素直に信じていた。

豊かに楽しそうに毎日を生きている人達を見て

なぜ自分はうまくいかないのか…と悩んでいた。

 

 

その理由は簡単である。

 

 

自分の心の奥底にある”声”を聞こうとしなかったからだ。

 

 

それは「違和感」として

あなたの右斜め後ろくらいから

常にあなたの耳元へ囁いているのである。

 

 

 

何かの事業やプロジェクトなどの仕事に関わっているときもそう、

「一生を共に添い遂げたい」と思っていたパートナーと一緒にいるときもそう、

「気の合う友人」と思っていた人と接しているときもそう、

本来なら一匹狼なのにウェイ系の集まりに混じっているときもそう、

「成功者」の話に「〇〇さんはすごい!」「そうですね!」と同調しているときもそう、

 

 

「やめたほうが良いよ…」と囁いてくる

 

 

そんな「違和感」が常に心の奥底にあるのだ。

 

 

 

 

 

世の中を見回してみてみると、

大半の人々は「見ざる、聞かざる、言わざる」状態だ。

 

 

不都合なことを見て見ぬふりをし、

不都合なことを聞いても聞かないふりをし、

疑問や本音を言えないでいる。

 

 

猿には猿にしか出来ないことがある。

 

 

ライオンの真似したり象の真似したり

無理して他の動物になろうとしなくたって良いのだ。

 

 

「存在しないバナナ」のために

芸をし続ける必要もない。

 

 

つまり、本来もらえないお金のために

あくせく働く必要も全く無いのだ。

 

 

誰にも飼いならされない。

 

 

本来あるべき姿の猿に戻って

食べたいときに必要なだけ

大好きなバナナを食べれば良いのだ。

 

 

 

僕はもう心に決めた「やりたいこと」がある。

 

 

それに集中して、目に見えた結果が出るまでは

もう他のものには一切目もくれないだろう。

 

 

だからもう、惑わされることもない。

 

 

さらに、もともと直感が鋭いところもあり、

嫌なことも楽しいことも様々な経験をした上で、

「物事の本質」も見えるようになってきた。

 

 

もっと自分の感覚を信じて良い。

 

 

僕の魂は自由なものだ。

 

 

もっともっと遠くまで行きたがっているし、

もしかしたら宇宙を目指しているかもしれないのだ。

 

 


 

肉体として生きるために伴う

世の中の「ルール」や「マナー」「常識」

そんなものに縛られることは出来ないくらい

無限大の可能性を秘めている。

 

 

あなただってきっとそうだ。

 

 

どうか、あなた自身の魂がどこに行きたがっているのか

あなた自身の心に問いかけてみてほしい。

 

 

今はどこにも行きたくないなら、「その時」ではないのだろう。

 

逆に、外に飛び出す赦しが出たら、いよいよ飛び立つとき。

 

 

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あなた自身を開放してあげて、

あなたが本来生きるべき人生を歩んでいこう。

「見た目は小動物、中身が獣フレンズ」な女性との会話で得た「友人づくりの基本」

以前僕が本土(大阪〜三重〜名古屋の電車の旅)へ旅行に行ったときのことだ。

 

 

↑伊勢神宮にて

 

 

「一見すると柔らかい雰囲気の優しそうな女の子だが

めちゃくちゃ芯が強く自立した女性」

 

とお茶をした時のことを書きたい。

 

 

その人は元々知り合いだった本土の方で、

僕がたまたまライブの遠征に名古屋まで行ったついで

会う約束を取り付けたのだった。

 

 

検索をかけたら、ベトナム料理が美味しそうなお店があったので

そこで会う約束をした。

 

 

 

↑やかんが可愛らしい。

 

 

 

まず、僕は見た目と中身にギャップがあり

昔からそれに悩まされている。

 

 

というのも、第一印象がそれなりに良くても

中身は意外と我が強い部分があるので、

あとは下がっていくしかないからだ。

 

 

どちらかと言えば損なタイプである。

 

 

それで嫌われてしまうということも結構あったし、

かといって、「都合が良い人」と一方的に思われるのも大嫌いである。

 

 

最近ではそれで非常に苛ついたことがあり、

自分の過去を思い出したりして

自分のことことについてまた考え込んだりしてしまったため、

以下のような記事を書いたのだった。

 

※↑一部口悪い表現あるので閲覧注意。

 

 

 

そう、僕と彼女、両者に共通しているのは

 

 

「一見すると”種や木の実しか食べなそう”な癒し系小動物だけど

中身が”狙った獲物は絶対逃さない系(?)”の肉食獣」

 

 

 

だということ。

 

 

 

僕はそんな彼女を始め、

男っぽいタイプの人を勝手に「獣フレンズ」と呼ぶことにした。

 

 

 

ちなみに某アニメとは全く関係ないのでご容赦いただきたい。

 

 

 

ベトナム料理を食べながら、

久しぶりに会う彼女と

近況のことや普段考えていることなどを楽しく語り合った。

 

 

 

 

↑普段、ベトナム料理はあまり食べる機会がないんだけど、

フォーがとても美味しかった。

 

 

 

その中で、僕が最も共感したことで

なおかつ今後の「友人づくり」で参考になる話があった。

 

 

それを語っていきたいと思う。

 

 

 

 

まず、その子も元来は非常に芯が強いタイプなのだが、

優しそうな見た目のために「変な人」が寄って来やすいそうだ。

 

 

 

「優しそう」という印象だけで

相手が勝手な期待を抱いてくるそうで

嫌な経験もたくさんしてきたと話してくれた。

見た目も綺麗だから「変な男」も寄ってくるだろうしね。

 

 

 

具体的には…

 

その子はいかにも

 

「まるで聖母マリアのように

あらゆる全てのものを優しく包み込んで受け入れてくれそう」

 

 

というような柔らかい雰囲気があるためか、

 

 

彼女がちょっと内面を出すと

相手(特に男)が「裏切られた」気持ちになるようで

 

 

「思っていたのと違う!」

 

 

と勝手に失望したような反応をしてくるそうだ。

 

 

 

 

そして

 

 

相手が嫌なことを言ってきたり…

すぐに去っていってしまったり…

 

そんな経験をたくさんしてきたそうだ。

 

 

 

そうやって、その子は傷つき悩んで

最終的に「とある考え」に行き着いたそうだ。

 

 

僕もその内容に「全くそのとおりだなー」って同感した。

 

 

その内容とは…

 

 

「私の内面を見せたところで、

こちらに勝手な期待をしてくる、

依存的な考えの人間は去っていくだろう。

 

逆に、それでも私のところに残ってくれて

私を受け入れてくる

自立した人だけと付き合っていけば良い。」

 

 

とのこと。

 

 

まさにそうだよなー。

 

 

仮にあなたが他人から都合よく思われていたとしても

そんなものは

「表面上うまくやっていくためのもの」

と割り切っていれば良いし、

 

 

あなたがストレスを感じる、

我慢できないレベルの人物と遭遇した時…

例えばあなたのことを全く人として尊重してくれていない人、

確実に見下して来る人などに対しては

毅然とした態度で接すれば良いのだ。

 

 

 

僕の場合だと、

「僕を怒らない仏のような存在と思っている」人が

実は人間嫌いという僕の内面を知ったら

こちらを嫌ってくる可能性も高いだろうし

皮肉まみれの僕のブログを見たらきっと引くだろうなwと思う。

 

 

だから、リアルの知り合いには

あまりブログを見られたくないなって気持ちが正直あるし、

逆に、僕の内面を理解してもらうためにも

見てほしいなっていう気持ちもある。

 

自分が何を考えているのかとか

プライベートなこととか

周囲の人にはほとんど話さないから。

 

 

いろいろ複雑なのだが、僕の内面を知ってもなお、

 

「コリュさんって面白い」

「コリュさんのこと、もっと知りたい」

「(ブログの読者様なら)むしろ会いたい!」

 

そう思っていただける方々のことを大切にしていきたいなと思う。

 

 

 

日本は未だに慎ましくしているのが良い、

目上の人に逆らってはいけないみたいな風潮がある。

 

 

ハッキリ言って、そんなものは古い発想だ。

 

 

相手が誰だって構わない。

 

 

「あなたが大切にしているもの」を粗末にする奴とは戦えばよいし、

これ以上関わりたくないと感じたらすぐに去っていけばよいだろう。

 

 

僕も以前は過剰に人の顔色を伺っていたし、

相手に嫌われないよう、

相手の意見にすぐ同意してしまっていたようなところがあったのだが、

 

 

「相手がどう受け取るのか、どう感じるのかは相手の問題だ」

 

…と割り切るようにしたことで、だいぶ楽になった。

 

 

 

あなたが自分自身に無理を強いるような関係性は長く続かない。

 

 

相手を完全に受け入れる前に、

あなたの心身の健康を害してしまうからだ。

 

 

そうならないよう、ちょっとした会話の中で

「私って実はこういうところあるので〜」

と予防線を張っておくことも有効な方法だろう。

 

 

それで警戒するような人は自分から徐々に離れていってくれるだろうし、

あまり気にしなそうな人であれば

あなたそのものを受け入れてくれる可能性も高まるからだ。

 

 

 

僕みたいに他者とのコミュニケーションを避ける者にありがちなのが、

 

 

「自分の弱みを見せたくないから、

自分を知られたくないから、嫌われたくないから、

自分の内面を全く見せないし、話したくもない。」

 

というのは

かえって相手の期待に答えようと無理をしてしまう可能性も高まり

あなた自身にとっても良くないことなのだ。

 

 

相手がどう受け取るのかを過剰に考えすぎず、

あなたの気持ちを素直に伝えたら良いのではないかと思った。

 

 

類は友を呼ぶ。

 

 

僕はLGBT含め、中身が男性的な女性と友人になることが多い。

 

 

しかもその中には過去にスキンヘッド経験者や

ベリーショート経験者も多数いる。

 

 

友達じゃなくてもそんな人はいたな。

 

高校生時代によく通っていた美容室の美容師さんも

過去にスキンヘッド経験があったそうで

なんとなく波長が合うのかその方ばかりよく指名していた。

 

 

世の中にはギャルのような方々や

読者モデルのようなファッションの可愛らしい女性が多い中、

彼女たちのような異端ぶりは絶滅危惧種並みにすごく貴重な存在である。

 

 

要するに、「レッドリスト並に超貴重な獣フレンズ」なのである。

 

 

 

 

僕はそういう貴重な獣…人達と親交があったことを

非常に誇りに思う。

 

 

まぁそういう人は「自分と話が合う、良き友人」であって

恋愛対象としては全然見れないけど。

 

 

僕はどちらかと言えば

幸薄そうで慎ましい雰囲気の女性が好みだからだ。

 

↑はい、どうでも良い情報。

 

 

 

…というわけで今回は

 

「あなたと似たような人を

絶滅危惧種を守るが如く大切にしていこう」

 

という話だったのであった。(雑なまとめ)

 

 

 

俺、刈り上げはよくするんだけどな…

スキンヘッドは未だないな。

 

 

まぁ機会があったらそのうち。

(多分やらないと思う)

あなたの「地雷」を「宝」に変えてしまう方法

狐と狸の両性具有妖怪・天海夜 煌琉でござい。

 

 

最近では、何か怒りを感じたりイラッと来たり

負の感情が湧き上がるようなことや気になることが起きても

 

「これは学びだ、勉強だ」と思ったり

「これは自分にとって必要なことだから起こった出来事だ」と言い聞かせたり

「この人はこういうところがある」と諦めたりすることで

 

自分の感情をコントロールしていた。

 

 

 

そのため、以前の「ウニみたいにトゲトゲした自分」と比べれば

自分や他人をあるがままに受け入れられるようになり

過去のことをズルズルと引きずらなくなってきたし

無意味にピリピリすることもなくなってきた。

 

 

 

 

しかし、本日久々に地雷案件というか

朝から夜までずっとモヤモヤが消えない状態が続き

以前の「トゲトゲウニ」な僕に戻ってしまった出来事があった。

 

 

 

 

その内容はというと、

 

先日上げた記事の話とも関係する。

 

 

 

上の記事で

 

「コリュさんみたいに怒らない人が羨ましい」

と言ってきた人が

まーーーた僕に同じことを言ってきたのだ。

 

 

「私、コリュさんみたいに(怒らない人に)なりたい」

「いっつも穏やかだし何言われても文句一つ言わない」

「次生まれ変わったらそうしよ!コリュさんみたいになーーーろう!」

 

 

多分、この文章だけで見ると

僕がこの言葉にどれだけ苛ついたのか

多くの人は理解できないかもしれない。

 

 

しかし僕は

 

 

「黙れク○BBA。くだらねーことほざいてる暇があったら仕事しろ。」

 

 

という口汚い言葉が喉元まで出そうになったほど

心の中でブチ切れていたのだ。

 

 

 

その言葉を言ってきた人は、

上の記事でいう僕の「A面」だけで僕の全てを判断しているらしく、

「表面的な僕の性格=本来の僕の性格」

という、自分に都合の良い解釈をしているようだ。

 

そのため、僕のことを「怒らない仏のような人」と思っているのかもしれない。

 

 

 

しかし、残念なことに、僕は元来エベレスト並にプライド高く我が強い。

(↑たまたま読んだ誕生日の本にそんな感じのことが書いてあったw当たってるw)

 

その反面、尊敬されたい気持ちが強いため

人から嫌われたくないという願望を持ってしまってもいる。

 

それ故、過度に周囲に気を使うので、優しいといえば優しいかもしれないが

どちらかといえば「人間嫌い」が根底にあるため

他人との深い関わりを面倒臭がって避けてきたし

無駄な争いでさらに自分が傷つくなら我慢したほうがマシと思い続けてきたし

未だに自分でも他人とどう接したら良いのかよくわからない部分がある。

だからあまり怒らないし、怒れない。

 

 

そのため、面倒な輩も寄ってきやすく、

都合の良い人と思われたり、舐められたりされやすかった。

これは今なお続く、自分の中での悩みの種であり、

思春期など一時期は「俺に近づくな」オーラを放っていた。

そのおかげでだんだんと感情を表に出せるようになり、

「敵」と認識した相手には怒りを露わにし、口論が出来るようにはなった。

 

 

しかし、過去の経験で、こちらには都合の良いように扱ってくるのに

自分が勇気を出して怒ったり言い返したりしても相手が反省してくれず、

かえって逆ギレされたり、人格否定をされた経験をたくさん重ねてきたので、

(しかも残念なことに、原因は家族でもあった。)

「怒っても無駄」、「何を言っても無駄」

「摩擦を起こすだけエネルギーの無駄遣い」

「人間ってそういう生き物だから」

みたいな諦めの精神が身についてしまったのだ。

 

 

そんな僕にとって他人からの「怒らない」という評価は

どうしても皮肉にしか聞こえないのだ。

 

 

精神的に病みながらも、

今の自分は血の滲むような努力で築いてきたもの。

 

 

「お前に何がわかる?」とまで思ってしまうのだ。

 

 

地雷オブ地雷なのである。

 

 

仮に、同じように僕のことを「怒らない」「大人しい」と解釈している人でも

 

「コリュさんはあまり喋らないし、腹の中では何を考えているのかわからないので、

なんか話しかけにくいし、苦手だ。」

 

という印象を抱く人がいたとする。

 

このような意見のほうが

まだ客観的で「なるほどなぁー」と思える。

 

 

 

つまり、

 

「肯定だろうか否定だろうが、

自分のことを表面だけではなく、

その人なりの視点で分析してくれる」

 

それ自体をありがたいと思えるようになった。

 

 

逆に、土足で踏み込んでくると言うか

表面だけ、一部だけで全部知ったような顔をしてくる人はすごく迷惑。

 

 

肯定、否定に関わらず

土足で踏み込まれる感じの一方的な意見や要求、

完全に的はずれな言葉は基本的に嫌なのである。

 

 

仮に肯定意見だっとして、

その意見を言った本人としては「褒めている」つもりなのかもしれないけれど、

僕自身、「嫌われる勇気」の影響でアドラー心理学を取り入れるようになり、

「”褒める”という行為自体が上から目線で失礼な行為だよなー」

って思うようになってきたし、

基本的に他人の”人格”に対して”褒める”ことはあまりしない。

その人のブログや書籍などを読まない限り、

過去の経験や心の中などわかるわけないからである。

 

 

※逆に、「相手の印象について、良いと思った部分を相手に伝える」だけなら

失礼にはならないと考えている。

その辺の線引が難しいなとは思う。

 

 

 

でも、こうやっていろいろ書き出すことで

「なぜ地雷なのか?」

という理由がわかってきた。

 

 

恐らく、僕もそうなのだが、

世の中の多くの人にとって

原因は家庭、学校だな。

 

 

つまり過去のトラウマだね。

 

 

 

あなたにもきっとあるはずだ。

 

 

他人にはきっと理解出来ないであろう、

でも絶対に触れられたくない地雷、

埋めたことすらも思い出したくない地雷が。

 

 

 

その時は一度冷静になって

 

「なぜ私はこんなことで怒るんだろう?」

「その原因は何?」

「誰のどんな言葉に反応したの?」

「過去に同様なことをしてきた人は誰?」

「その時あなたはどんなことを思った?」

 

 

…というように、感情を深掘りしてみると良い。

 

 

 

「真面目な良い子を演じ続けなきゃいけなくなり、自己主張ができなくなってしまった。」

「授業中に指されて、答えを間違えてしまい皆に笑われて恥ずかしかった。」

「周囲の期待に答えようとしたけれど、落胆させてしまい自分はダメだと思った。」

 

など、過去の経験が思い出されて、

そこからヒントが得られるかもしれない。

 

こういった出来事があなたの「地雷の原因」となっているはずだ。

 

 

そういった出来事から

「真面目でいないといけない」とか

「失敗しちゃいけない」とか

「周囲の期待に答えなくちゃいけない」とか

 

自分に対する脅迫感が地雷となり、

 

「私はこう生きたい!」という

本来のあなた自身とのギャップを生み出しているのかもしれない。

 

 

このように、「地雷の原因」がわかったら

そこからあなた自身を遠ざけるように

徐々にでも良いから、あなた自身を開放してあげると良い。

 

 

「真面目じゃなくても大丈夫な自分」

「失敗しても大丈夫な自分」

「期待に答えなくても大丈夫な自分」

 

 

こんな感じで悩み続けてきたことに対して、

真逆の自分を受け入れてあげられるようにしよう。

 

 

ただし、その際には「地雷」の形成に関与してきた人を責めてはいけない。

 

 

仮に原因はその人だったとしても、

「地雷」を作り出したのは他でもない、あなた自身だからだ。

 

 

逆に言えば、自分で作り出した「地雷」は自分で「取り除く」ことが出来る。

 

 

心の何処かに埋められたあなたの地雷。

 

 

その埋めた場所がどこかわかっているのは、あなたしかいないからだ。

 

 

また、「地雷を取り除く」ということは

あなた自身の劣等感と向き合うことなのだから

時に「したくない」ことも「する」必要があるかもしれない。

 

 

地雷だからこそ、向き合うのが怖くて今まで避けてきた。

 

 

しかし、地雷を何度も踏まれて爆発しまくって

傷ついた心をそのままにしておくのは

今後も似たような事象を引き起こしてしまうことだろう。

 

あなたの心がさらに傷ついてしまうかもしれない。

 

 

だからこそ、今、ちゃんと向き合って、

癒やしてあげることが大切だ。

 

 

 

 

…しかし、今回の「地雷」な出来事は最終的な結論として、

「ありがたい出来事」だと思うようにはなった。

 

 

最近、僕自身が「感情をコントロールできるようになった」

と思えるようになってきたからか、

ちょっと自惚れていたところもあるのかもしれない。

 

 

今回の出来事はそれを戒める意味でも必要だったのかもな、って思う。

 

 

「地雷がある」ということは、

「まだまだ自分にとって課題がある」ということなのだ。

 

 

以前よりもだいぶ改善されたとはいえ、

まだまだ「本来の自分じゃ愛されない」という恐怖心があるのか、

行動にブレーキをかけているのかもしれないね。

 

 

そうやって問題にぶち当たるたびに、

「どうしたら自分自身が生きやすく、やりやすくなるのだろう?」

「どうやって他人とコミュニケーションを取れば誤解されないんだろう?」

と悩みだしたらキリがなく、

ネット上で同様の悩みを持っている人のブログや掲示板などで

答えを探そうとしてしまうのだ。

 

 

しかし、結局答えなんて見つからず、

さらにわからなくなって悩んでしまう。

 

 

 

そこで行き着いたんだ。

 

 

「答えなんてない。」

 

「自分自身が、今の自分を愛せば良いんだ。」

 

って。

 

 

今のあなたのままでOK。

間違ってもOK。

嫌われてもOK。

 

 

あなたも自分自身に「OK」サインをたくさん出していこう。

 

 

 

行動に制限をすることがなくなれば、

モヤモヤしていた感情がシンプルスッキリになっていき、

「地雷のありか」もわかるようになるだろうし、

最終的に「地雷のありか」を

「宝のありか」へと変えることも出来るかもしれないんだ。

 

 

「宝」はもちろん「あなた自身の課題」だ。

 

あなた自身をさらに魅力的な人物へ

成長させてくれる鍵となるものだ。

 

だから

 

「地雷」と思われる出来事と遭遇したらむしろラッキー。

 

と思わなきゃいけないね。

 

 

「地雷?よっしゃ!100億くらい埋まってるかも?」

 

そう思えるくらいまでは、強くなりたいものだ。

 

 

 

さて、今回は「”地雷”を”宝”に変えるための方法」について

自分の経験も交えて語ってみた。

 

まとめると…

 

あなたもモヤモヤするような「地雷」が見つかったら

ひとまず、その感情を客観的に眺めて、

自分自身に質問をしていきながら、

過去の出来事や感情を深掘りしていこう。

 

 

そして

「どうしたら、どんな自分になれたら、

その地雷で自分がこれ以上傷つかないのか?」

そこから行き着いた解決方法を徐々にでも実行していく。

 

 

ぜひ、憎むべき「地雷」を、

かけがえのない「宝」へと変えてみてね。

人の悪口を言うくらいなら、悪口を言われる人物になれ!

妖怪「性別知らず」天海夜 煌琉でございます。

 

今回は、「人から悪口を言われる人物になれ!」

 

というテーマについて語っていこうと思う。

 

 

 

まず、「悪口」というくくりで人を見た時に、

世の中にはそれぞれ以下のタイプの人間がいると思う。

 

 

・「悪口を言う人」と「悪口を言わない人」

・「悪口を言われる人」と「悪口を言われない人」

 

 

要するに、「自分が他人に対する悪口を言うかどうか」

もしくは

「他人から自分に対する悪口を言われるかどうか」

という観点で、その人の人間性が予想できる。

 

 

実際、この組み合わせを変えると4パターンの人間が存在する。

今からそれを一つずつ、僕なりの雑な解釈を交えながら

テキトーに見ていこうと思う。

 

 

①「自分は人の悪口を言わないが、人から悪口を言われる人」

 

 

→いるよねこういう芸人さん(笑)。

本人はいたってポジティブで自分の人生を楽しんでいるのだが、なぜか人からは叩かれまくる。

自分らしく、好きなように生きている人、キャラが濃い人が多い印象。

そのためか、その叩かれる大半の理由が本人ではなく

「嫉妬」なのでは?と思うこともちらほら。

 

 

 

②「自分も人の悪口を言わないし、人からも悪口を言われない人」

 

 

→こういう人はさぞ素晴らしい人、良い人なんだと思う。

キングオブゴッド(神)だね。

しかしながら人間としては無難すぎて、これといった特徴も魅力もないという印象。

 

 

③「自分は人の悪口を言うが、人からは悪口を言われない人」

 

 

→外面だけは完璧な仮面を作れているので、他人ともうまくやっていける人。

でもネットやSNSで人の悪口や愚痴を書きなぐっている。裏の顔を知っているのは一部の人。

人間として特別魅力もないし、特別興味を持たれないという印象。

仮面ではない本来の良い部分を外に出せていけたら、少しは不満も解消できるのでは?と思う。

 

 

④「自分も人の悪口を言うし、人からも悪口を言われる人」

 

 

→これは日本の一般ピープルほとんどの人が当てはまると思うけど、

言葉だけで見ると性格になんらかの問題がある印象を受ける。

人の悪口を言うのは自分自身に満足していないことの裏返し。

自分自身の魅力に気づいて、他の人の良いところにも目を向けるようにしよう。

 

 

 

 

…こんな感じで、かなり雑だが

それぞれの人間の印象(+ちょっとしたアドバイス)を述べてみた。

 

 

このうち僕が思う、

「人として理想とする姿」はどれか。

 

 

 

 

 

それは………

 

 

 

 

①「自分は人の悪口を言わないが、人から悪口を言われる人」

 

 

 

である。

 

 

 

 

 

え?

 

 

 

②「自分も人の悪口を言わないし、人からも悪口を言われない人」

 

じゃないの?

 

 

 

 

そう思う人もいるかもしれない。

 

 

 

ゴメンなハニー。

 

 

確かにそうかもしれない。

 

 

「超ポジティブナルシスト芸人」と「神」だったら、

当然「神」のほうが良いはずだ。

 

 

「キモい」「ウザい」と避難されるよりも

「マジ神!」と崇め奉られたほうが良いに決まってるもんね。

 

 

しかし、

 

 

なぜ悪口は言われたほうが良いのか?

 

 

その理由を説明したいと思う。

 

 

あなたが誰かが誰かの悪口を言っている場面に遭遇した時、

あなたがその人達と同意見ならば、

仲間を見つけたようで嬉しい、安心した気分になるかもしれないが、

そうではない場合、大抵の人は嫌な気分になると思う。

 

 

それでも悪口を言うような人というのは、

その人なりの「正義」があるから言っているわけだ。

 

 

要するに、「自分が正義であいつがおかしい、間違っている」

ということを再確認するために悪口を言うのだ。

 

 

 

 

さらに突き詰めて考えよう。

 

 

 

「なぜ人はその人なりの”正義”を貫くために、他人の悪口を言うのか?」

 

 

というと…

 

 

「悪口のターゲットになっている人が、

悪口を言う人の”正義”や”価値観”に反しているからだ」

 

 

と考える。

 

 

 

つまり、大抵の人は

 

「価値観や考えが合う人の悪口は言わない」が、

「価値観や考えが合わない人の悪口を言う」のだ。

 

 

さらに言えば、

 

 

「価値観や考えが合わない=一般的な常識に反している」

 

 

という可能性も考えられる。

 

 

一見、一般常識に反している人、

人から避難されるような言動をする人って

人間性に問題があるように思う。

 

 

しかし、僕も何度かブログで語っているが

 

「世の中には正解などない」のである。

 

 

※「正しさ」だけですべての物事を判断するのが、

いかに虚しいことかをこちら↓で説明している。

 

 

あなたが「正義」と思っていることが

他の人にとっての「正義」とは限らないし、

 

逆にあなたが「間違っている」と思っていることは

他の人も同じように「間違っている」と思っているとも限らないのだ。

 

 

 

つまり、一般常識に反して悪口を言われるような人というのは

その人自体が、一般的な常識や価値観に対して疑問を投げかける存在なのだ。

 

 

その人の存在自体が既成概念を打ち破ってくれてるんだよね。

 

 

 

なので、

その考えに共感できる人が、その人に集まってくるわけだし、

逆に理解できない人達が、その人に対する悪口を言うのである。

 

 

だから、

どうかあなたも

 

「あいつムカつく!!!!」

 

とか

 

「この人のこういう部分はどうかと思う。」

 

とか

 

嫌な感情や疑問が湧き上がってきて、

イライラしたり、モヤモヤしたりしてしまったら…

 

 

一旦その感情はどこかに置いておこう。

 

 

そして、その人に対する悪口を言う前に、

 

 

「この人は自分に何を伝えようとしているのか?」

「この人が大切にしていることはなにか?」

「この人から学べることはなにか?」

 

 

などと考えてみてほしい。

 

 

その人は自分に何かを気づかせようとしているのだ。

 

だから、むしろ感謝しなきゃいけないよね。

 

 

そう。

 

「誰かに気づきを与えられる人」というのは、

「誰かを成長させることが出来る人」なんだ。

 

 

つまり、「悪口を言われる人」というのは…

 

 

「誰かに気づきを与えて、世の中を変える可能性がある人」なんだ。

 

 

そう思ったら、誰かの悪口を言っている暇はないよね。

 

 

世の中にはなんだか「悪口は言ったもん勝ち」みたいな風潮があって、

まぁその発想自体、幼稚でくだらないと僕は思っているけど

 

 

あえてこの言い方をすれば…

 

 

「悪口は言われたもん勝ち。」だと思う。

 

 

 

嫌われたくない、批判されたくない、

悪口を言われたくない…

 

 

あなたがそう思って、自分を抑えつけてしまっては

無難な言動しか生まれない。

 

 

まぁ、人から好かれはするだろうが、

「相手にとって都合の良い人物」と思われている可能性だってあるわけだし、

誰もあなた自体に興味を持たないだろう。

 

 

逆に、たとえ誰かから悪口を言われたとしても

あなたが以下のような考えを持つことで、

多くの人を魅了し、人が集まってくるはずだ。

 

 

「人の悪口を言うことには興味がないから、私は言わない。

悪口を言ったって意味がないし、自分が惨めになるだけ。

 

私の悪口を言いたい奴には、好きなように言わせておけば良いし、

誰がなんと言おうと、私が一番大切にしているものは譲れない。

 

私は私の人生を好きなように生きる!!」

 

 

あなた自身は好き勝手に生きているから

人から反感を買い、悪く言われることもあるかもしれない。

 

 

それは「あなたが自分自身の人生を生きていくための代償」と思えば良い。

あなたが自分自身を出せば出すほど反発をする人は必ずいるのだから、

それはやむを得ないものだし、割り切るしかない。

 

 

 

しかし、あなた自身が悪口という負のエネルギーを周囲に撒き散らさず

自分自身の人生を思い切り楽しんでいれば

自然と良いことは起こるようになるものだ。

 

 

あなたの周りには「あなたが大好きで、あなたに優しい人」ばかりが

集まってくるようになるだろう。

 

 

それなら人の悪口を言っているような人達と

あなたが一緒にいる理由なんて全くないよね。

 

 

愚痴や文句、悪口は人のエネルギーを奪うし、

一緒にいるだけ時間の無駄だ。

 

 

そんな人達と離れたいなら、

あなた自身の考えや生き方をハッキリさせることで、

そんな人達からも嫌われて悪口を言われるので

むしろ丁度よいのではないかな?

 

 

大衆の意見なんかよりも、

もっとあなた自身が大切にしているもの、

あなた自身が大切にしたいと思う人、

そういうものに目を向けていこう。

 

 

 

というわけで今回は

 

「悪口を言うような人間ではなく

悪口を言われるような人間になろう!」

 

というテーマについて語ったが、いかがだったろうか?

 

 

あなたがちょっとでも人の悪口を言いそうになったら

そんな自分を「目ん玉ロケット」で宇宙から眺めてみよう。

 

自分を客観的に眺めることで

「悪口なんてくだらない」と思えるようになるかもね。

 

「目ん玉ロケット」とは何か?

こちら↓で説明しているのでご参考までに。

 

 

誰かからの「批判や悪口」を恐れるのではなく、

それらを一瞬にして全て「気づき」へと変えてしまい

世の中の「固定観念」や「一般常識」など全てを破壊してしまう…

 

 

そんなハイパー人間を目指していきませう。

俯瞰的な視点を身につけるには 目ん玉ロケット発動せよ

今回の記事では

「物事を宇宙レベルで俯瞰的に捉えられるようにするには?」

をテーマに話をしたい。

 

 

「俯瞰的に物事を考えること」…

 

なぜこの考え方が必要なのかというと、

あなたが世の中の「価値観」や「正しさ」から逃れて

もっと広い視野で物事を考えられるようにするためである。

 

 

この考え方が身につくことで

 

「こうしなきゃいけない」

「ああしなきゃいけない」

「これが自分ができない自分はだめだ」

「あれができないからあの人には価値がない」

 

…などといった、一辺倒な価値観や考えに縛られなくなり

あなた自信が楽になるはずだ。

 

 

例えば、

誰かが人の悪口を言っていたり

他人の噂話をしていたりするとしよう。

 

 

言っている本人は楽しいかもしれないけれど

なんか嫌な気分になるよね。

 

 

一時的ならまだしも、

そんな光景を毎日のように職場や学校で目にしていたら、

人によっては憂鬱な気分になってしまうことだろう。

 

 

可能ならそんな人達がいる場所からは離れることが最善の策だろうが、

なかなかそうもいかないことも多いよね。

 

 

自分自身の気分は自分自身でコントロールする。

 

 

それができたら、周囲にどんなことが起きても動じない人間になれるはずだ。

 

 

では、そんな人物になるために

具体的にどうすればよいかと言うと…

 

 

 

目 ん 玉 ロ ケ ッ ト 発 動 !!!!

 

 

 

イラストのように、

自分の視点を宇宙まで飛ばしてしまおう。

 

 

日頃あなたは「あなたの肉体にある目」によって

周囲の景色なり状況なりを見ていると思う。

 

 

そこから得られた情報から

あなた自身の頭で判断していることも多いだろう。

 

 

でも、あなた自身で考えたことも

残念ながら正しいとは限らないのだ。

 

 

また別の「正義」を持った誰かから見れば

あなたの考えはたちまち「悪」へと変貌を遂げる。

 

 

しかし、宇宙まで視点を飛ばしてしまえば

もうこちらのものだ。

 

 

自らの「正義」から一旦身を引き、

広い視野で物事を観察できるからである。

 

 

 

大抵、世の中の人々は皆、それぞれの「正義」の中で

喧嘩をしたり、意見を主張し合ったり、

愚痴や悪口、不平不満や批判を言ったり

狭い世界の中でガチャガチャゴチャゴチャワチャワチャグチャグチャやっているものだ。

 

 

そういった世界に身をおいてしまうと

他の人達に巻き込まれて、

あなた自身のエネルギーも下がってしまう。

 

 

赤の他人のくだらないやり取りに

あなたまで巻き込まれなきゃいけない義務など無いのだ。

 

 

それに気づくことがない限り、

他の人達と同じ世界の中で、

あなたも同じように自らの「正義」にこだわり

皆と一緒にガチャガチャゴチャゴチャワチャワチャグチャグチャやっていることだろう。

 

 

 

目ん玉ロケットで自分の視点を宇宙まで飛ばし

 

宇宙から他の人のことや現象を観察することで、

 

「あれ?なんで皆こんなことしてんの?」

 

と不思議に思えるようになるはずだ。

 

 

 

というのは、

宇宙全体には本来、たくさんの生命があるだけで、

誰かが決めた善やらも悪やらも

そういった面倒なことは一切ないからだ。

 

 

つまり、あなたが現世で降りかかる出来事は

一つ一つの現象でしか無いのだ。

 

 

なので、本当ならば、

たとえ失敗したとしてもいつまでも後悔して引きずる必要はないし

自分を責める必要だってない。

 

あなたに嫌なことをしてきた人がいても、

いつまでも恨みに思って、かえってあなたの身をほろぼしてしまうことも

ましてや勿体無いことなのである。

 

 

世の中の「正しさ」だったり

「暗黙のルール」だったり

「誰かが決めた価値観」に

僕たちはどうしても縛られてしまいがちだ。

 

 

それで「こうしなければ!」と自分の首を締めてしまい

生きにくさを感じている人も少なくない。

 

 

しかし、世界は…というか宇宙は

あなたが思っている以上にずっともっと広い。

 

 

…つっても、僕も宇宙には行ったことがないからわからないけどさ。

 

 

ただ…

 

美しい景色に遭遇したり

自然の驚異を感じたり

宇宙のことを考えたりするたびに

自分の小ささを再確認することはある。

 

 

というか、再確認しないと放漫になる原因になるから

強制的に再確認する必要がある。

 

 

狭い世界を自分の全てと勘違いして

ガチャガチャゴチャゴチャワチャワチャグチャグチャやっていること…

 

 

そんな事象を軽く笑い飛ばせたら

きっと宇宙に一歩近づけるかと思う。

 

 

 

バベルの塔ではないが、

神の怒りに触れない程度には

宇宙さんとお近づきになっても良いんじゃない?

 

 

じゃああなた自身の視点をロケットで宇宙まで飛ばすに限るね。

 

 

 

 

…というわけで、今回は

 

「狭くて偏った価値観に影響されそうになったら、

目ん玉ロケットで宇宙まで視点を飛ばし

俯瞰的に世界を見渡そう。」

 

 

といった話をした。

 

 

あなたも周囲からの悪い影響は一切受けることなく、

宇宙レベルでシンプルに物事を考えられる、壮大な人物になろう。