ラルクのある曲によって突きつけられた「真実を知る勇気」

コリュにちはお日柄も良く…

天海夜 煌琉だよ。

さて、先日は、L’Arc~en~Cielのサブスク解禁に伴い

いろいろヒャッハーしていたことについて書いたのだが…

前回の内容↓

今回は、その中でも「とある曲」に焦点を当てて、

自ら感じたことを書いていきたいと思う。

僕の好きなラルクの曲の中で、

「bravery」という曲がある。

収録アルバムは「REAL」だ。

↑神アルバム。

braveryの歌詞はこちら↓から確認できる。

上のリンク先にある歌詞を見ていただければわかるが、

この曲は穏やかな曲調の割に

歌詞がストレートで攻撃的である。

ちなみに、作詞はhydeさんではなく、TETSU(現・TETSUYA)さんだ。

約20年前の当時から、

「メンバーによって歌詞や曲のスタイルは違う」というのは、

子供ながらなんとなくわかっていたが

今だからこそ、より一層わかる気がした。

僕は最初この曲を聴いた時、

古い価値観にしがみついていてやたら保守的な性格な

「老害」に対するアンチテーゼの曲かと思っていた。

しかし、色々調べていてわかったことだが、

制作当時の彼らを否定して昔を懐かしんでばかり…

そんな一部のファンに向けられたもの、とも読み取れるのだ。

いわゆる「懐古厨」ってやつだね。

ちなみに「懐古厨」とはこういう意味↓の2ちゃん用語だ。

「昔のほうが良かった」といった言葉を連発し、

むやみやたらに現在あるものを否定したがる人たちのことである。

※参考→ニコニコ大百科:懐古厨

そうとわかって曲を聴けば、確かにそうだな〜といった感じ。

まぁ、雑誌などのインタビューを読んだわけじゃないから

厳密にはわからないけど。

ただ、彼らに限ったことではなく、

誰かを応援するファンである限り…

好きなアーティストの音楽性が変化したり

人気が出て一般向けの曲を量産するようになったり

ファンのマナーが悪くなったりなどすれば

「昔のほうが良かった」と言ってしまうことなんて

誰しもがありえるだろう。

一般的に、大人気のアーティストには

このように下積み時代から応援してくれるファンが居て、

初期の頃の音楽性やライブの雰囲気などが好きなファンからしてみれば、

アーティストの方向性や音楽性の路線変更は

受け入れ難く感じる人もいるだろう。

それで、文句を言いながらもファンを続けることもあるだろうし、

別のものに興味を向けるようになることもあるだろう。

人によっては、自分が受けた嫌な体験や考え方の相違により

アンチになってしまうこともあるかもしれない。

一方で、アーティスト側からしてみれば

もっと自分たちの活動を拡大していきたいだろうし

より多くのファンを獲得していかなければいけない。

もちろん、自分たちを支えてくれた

古い時代からのファンも大切にしていきたいだろう。

しかし、メジャー級のミュージシャンになるとあれば

どうしたって「売れる曲」も作っていかなきゃいけない。

一番優先しなきゃいけないのは

「見知らぬ誰か」ではなく「自分たちの夢」だし、

もっと活動の幅と、活躍できる世界を広げたい。

やむを得ない事情で

メンバーの変更を余儀なくされることもあるだろうし、

意見がぶつかれば、それだけメンバー間のトラブルだってあるだろう。

業界の嫌な関係者から、圧力をかけられることもあるかもしれない。

しかし、それらを乗り越えて素晴らしい作品を作っていけるわけだし、

様々なアーティストとの出会いを増やすこともできる。

いつまでも昔のまま変化も成長もなく、

細々と活動をしていくわけにはいかないだろう。

このように、アーティスト側の視点から見てみれば、

「今の自分たちを見てくれ!」

と、ファンに対して思うのは当然のことだろう。

というか、アーティストやクリエイターでなくても、

昔の自分と今の自分を、悪い意味で比較する人たちというのは、

鬱陶しいことこの上ないだろう。

僕だって、赤の他人から自分勝手なワガママなんて聞かされたくない。

なので、僕はファンとアーティスト、

どちらの気持ちもわかる(というか、憶測できる)。

このように、思いのすれ違いで、

アーティストが夢を追うほど、

「昔のほうが良かった」

「メジャーに行かないでほしい」

「(メンバーの変更があった場合)前任の人が良かった」

などと言うファンは、どうしたって出てくるのだ。

下積み時代のある大人気のスターには、

以上のような現象は付き物だろう。

なお、ファンに対して何か思うことがあった時に、

彼らにメッセージを作品の中に表現する人達もいれば、

雑誌のインタビューなどで表現する人達もいる。

某カリガリの石○さんみたいに

「テメーらいいかげんにして下さい。」

と言っちゃう人もいる。笑

それはそれで良いとして…

ここで一つだけ、

この世界にいる全ての、「誰か」のファンであるあなたに、

ぜひ知っておいてほしいことがある。

全ての物事は、表に出ているだけが全てではないのだ。

この図を見てほしい。

木だ。

木だね。

紛れもなく、木だ。

木に異論はない。

明らかに「木」というより、

「木と草原」だろっていうツッコミはとりあえず置いておいて…

この「木」の全体像を見ると、どうだろう?

このように↓なる。

根も含まれるのだ。

根だね。

上から読んでもしたから読んでも…「ねだね」。

きっと、とある演歌歌手なら

「ねだねったら、ねだね♪」

と歌うことだろう。

…つまり何が言いたいと言うと、

この木の図は

「物事の見える部分・見えない部分」

の対比を表しているのだ。

僕はこの「bravery」という曲と

この木の図に重なる点があると思った。

braveryという曲から察して、

「とある一流アーティスト」としての事情や心情を想像してみる。

そして、その中で、

彼らに関して「見える部分」と「見えない部分」を

この木の図に照らし合わせると、こうなる↓。

上の図にて、

黒い文字が「表・見えている肯定的な内容」であり

白い文字が「裏・見えていない否定的な内容」である。

※念の為もう一度言っておくが、

これらの文字は「とある一流アーティスト」を例に想像しているので、

ラルクのことを言っているわけではない。

そう、一見輝かしい成功を収めている人々は、

見えない部分で、他の人の倍以上努力をしたり、

苦悩や葛藤、人間関係などに悩まされたりしているということだ。

特に、それほどコアなファンでもなく、

身近にいる関係者でも家族でもなんでもなければ、

わかることよりも、わからないことのほうが圧倒的に多いだろうし、

もちろん、本人だけにしかわからないこともあるだろう。

ただ、誰しもが皆、自分の意見を持っているわけだから、

「思ったことを言ってはならない」

というルールはないのだけれど…

それでも、上の図が示すように、

「すべての物事には表と裏がある」という考え方で

世の中を見れるようになれば、

凝り固まった考えに固執すること無く、

自分自身の視野も広がるのではないか?と思う。

そのため、僕はこの「表と裏」という考え方に気付いてからは、

たとえ自分に辛く当たってくる人がいたとして、

一時的に腹は立ったりするものの

「まぁ仕方ないかな?」

…と、スルーできるようになった。

むしろ、

「その人はその人で大変なんだろうな…」

と思ったら、

変に恨みつらみの感情を抱くよりも、

自分自身が楽になるのだ。

もちろん、「許すかどうか」は、また別問題になるけど、

自分自身のアンガーコントロールとしては、有効な方法である。

「見える部分(表)」と「見えない部分(裏)」、

それぞれは独立しているわけではなく、一つの物体である。

上の図であれば、幹や葉・枝の部分も根の部分も

全て含めて「木」という一つの物体であることは事実だ。

このような「表と裏」の考え方は、いろいろなことに応用できる。

例えば、トラブルなどの問題が起きた時も、

相手の事情を考慮せず、一方的に決めつけたり、

相手の人格否定をしたりするのではなく、

相手の見えない部分(感情やプライベートな問題)に配慮した上で、

「その現象が再び起こらない仕組み」を考えることに

思考を凝らしていけたら、

建設的な解決に繋がるだろうなと思う。

というわけで、

全国の誰かのファンやフォロワー、ヲタク、信者の皆様へ。

あなたの信じている人が、違う方向へ舵をとった時に

「違う!」と言うのは簡単だ。

メンバーや関係者に対して、

どうしても言いたい意見があるなら、

それを言うかどうかはご自由にどうぞ。

しかし、一度、その人の立場に立って

考えてみてはいかがだろうか?

もしかすると、あなたの考えは

必ずしも正しいわけじゃないかもしれない。

それでも違和感があるのであれば、

そこから離れて、別の興味対象を探せば良いとは思うが、

せめて、相手の事情も察してあげてほしい。

なぜなら、

「真実は常に共有されない」からだ。

ちなみに↑この言葉は、

「bravery」の曲の歌詞に出てくる英語の歌詞の和訳である。

他人の考えなんてわからないし、

真実が何か?なんて、共有されない限りわからないのだ。

…とまぁ、以上のような「表と裏」の考え方を元に、

僕自身も一方的に物事を判断せず、

常に誰かに対する配慮と敬意を忘れず、

自分を磨いて成長していけたら良いなと思い、

この文章を書いたまでだ。(←雑なまとめ)

自分だって、

他人から勝手に決めつけられて、あーだこーだ言われたり

「自分はあなたのことをなんでも知っている」

みたいな態度でマウント取られたり、

憶測で有る事無い事言われたら嫌だしね。

そして、もし今後、自分が偏見で物事を決めつけたり、

知ったかぶりをしたり、

自分が本当にしたいことを挑戦しなかったり、

自分自身の信念から逃げたりするようなことがあれば、

その時は「bravery」の歌詞に出てくる、

もう一つの英語の詞の訳である、

「真実を知る勇気はお前たちにはない」

という言葉を、自分に浴びせようと思う。

木々は存在しているだけで、真実だ。

「無意識」を意識して、心のままに生きる

「社会人としてのモラルが必要だ」

「そんなんじゃ社会人としてやっていけないよ」

「社会人なら常識でしょ」

 

あなたもよくこのような言葉を耳にするだろう。

 

 

そして、自分自身に対して投げかけられた心配の言葉として、

 

もしくは、あなた自身も人に対して言ったことがある言葉として、

 

この言葉は当然のように語られる。

 

 

さらには、

常に「社会人」という言葉が脳裏に焼き付いて離れないくらい

しかもそれが自分の目指すイメージとして知らず知らず意識してしまうくらい

 

「人に迷惑をかけない、礼儀正しいだけの社会人」

 

になってしまっている人もいるかと思う。

 

 

 

ちなみに、僕には昔から「社会人」という言葉には

違和感しか感じられない。

 

 

 

そもそも「社会人」て何なんだろうね?????

 

 

 

というのも、

「社会人」を自称している多くの人は

ただ会社のルールに縛られて、

人に「常識」を押し付けるだけの「会社人」だと、

僕は思うのだ。

 

 

それに、「人に迷惑をかけない」ための常識が

人に押し付けることにより、

実際迷惑になっていることもまた事実である。

 

 

大抵、自分自身が信じている「常識」は

自分の会社や学校(その他コミュニティ)、家族や地域社会などなど…

実際には自分自身の周辺でしか通用しない。

 

 

しかし、その「限定的な範囲の常識」が

「全世界で通用する常識」

だと、多くの人が思いこんでいる「常識(最強)」である。

 

 

ただそれだけだと思うのだ。

 

 

 

だから、僕は、

「社会人」であることを押し付けるような「会社人」には

人として全く魅力を感じないのだ。

 

 

僕は、

「社会人として」どうのこうのよりも、

「自分の生き方として」どうのこうの考える方が、

より魅力的で、周囲に影響を与えられる人物になれるのでは?

 

…と考えている。

 

 

 

 

先日、このような記事を読んだ。

 

 

 

 

詳しい内容に関してはリンク先で確認してほしいが、

僕としては、全体的に、非常に共感できる内容であった。

 

 

僕はオーストラリアが自由で寛大な社会であることは耳にしていた。

(↑行ったことはないけどね。)

 

それに対して、日本って

「あれはダメ」「これはダメ」「〇〇してはいけない」

みたいな義務が多すぎて

非常に窮屈だなって思うこともある。

 

 

一方で、日本はオタク文化も発達しているので、

その反動でコスプレなどの趣味に没頭している人々がいるのは

日本独自の素晴らしい現象ではあるし、

 

実際に、多方面において

日本人は非常に高いエネルギーを秘めた民族だと

海外の人から言われているのも事実。

 

 

オーストラリアが良くて、日本が悪いということは、一切無い。

逆も然りだ。

 

 

どこの国も素晴らしい点はある。

 

 

ただ、日本人は周囲の視線を気にするために、

自分が心地よく生きていくという、

「自分自身の生き方」を知らない人が多いのではないか?と思う。

 

そのため生き辛さを感じる人もいるというわけだ。

 

 

誰かが敷いたレールに沿って

 

「学校に行けば良い」

「就職すれば安泰だ」

 

それを信じて歩いていったために…

 

 

いつの間にか

「社会が自分をどう見るか?」という、

「他者」「社会」を基準として物事を判断するようになり、

 

 

「自分がどう生きたいのか?」と

「自分自身」を基準にして考えることがなくなっていた…。

 

 

それで、自分の意志ではなく、

他者に重きをおいた人達の価値基準から見れば…

 

人様から認められれば、立派な「社会人」になれるのだろう。

 

 

これでは、自分の生き方がわからなくなるのも当然だ。

 

 

 

 

実際僕もそうだった。

 

 

自分が「こうしたい」という思いがあっても

ついつい「他人からどう思われるか」を考えがちだったのである。

 

 

自分自身の無意識が発している「心の声」を聞かなかったために

我慢を続けた結果、限界がきてしまい、

嫌な結果を招いてしまったこともあった。

 

 

しかし、その過去の出来事(失敗)があったおかげで

「今後はできるだけ、自分自身の要求を優先しよう」

と、思うようになったのだ。

 

 

「社会が自分をどう見るか?」を、意識的なものとすれば、

「自分がどう生きたいのか?」は、無意識的なものになる。

 

 

きっと、大半の人はこの

「意識」と「無意識」の間で

自分の好きなことが何かわからず、

悶々とした日々を送っていることだろう。

 

 

 

 

 

「意識」していることは自覚できる。

 

 

では、「無意識」は一体どのようにして自覚できるのか?

 

 

 

「無意識」とは、「心の声」である。

 

虫の知らせと言うか、「直感」とも言えるだろう。

 

 

直感を高めるためには、

瞑想をしたり、自然と触れ合ったり、

自分自身の感覚を高めていく習慣が効果的だ。

 

 

あとは、

これまで経験したことのないことをやってみたり、

逆に普段はしないこともあえてやってみることも

大切ではないかと思う。

 

 

様々な経験を増やすことで、

「これは好き」「これは嫌い」という状況を

自分の中で認知しておけるし、

 

「こういうことをしていると楽しい!」など

これまで気づかなかった、新たな発見があるからだ。

 

 

あとは、将来的に何がしたいのか、欲しいものは何なのか

日常的に自分の欲望にも耳を傾けていく必要がある。

 

やりたいことをひたすらノートに書いていくのも有効だし、

小さな欲望(行ってみたかったところに行く、食べたいものを食べるなど)を、

毎日のように少しずつ実現させていけば、

常に自分の気持ちに従って生きているわけだから、

自分の心を見失う…ということはなくなるはずだ。

 

 

 

あなた自身の感覚が研ぎ澄まされば、

あなた自身の心の声にも耳を傾けられるようになり、

「本当にやりたいこと」

「実現したい生き方」がわかってくるようになるだろう。

 

 

あなた自身の「無意識」を蔑ろにしないためにも、

「違和感を感じたらそれ以上は行動しない、断る」など

あなた自身のルールを決めておくことも重要だ。

 

 

↓参考になりそうなものをいくつか貼っておくので

あなたの「無意識」を確かなものにして、

あなたが望む生き方を実現したいなら、

ぜひ確認してみてね。

 

 

 

 

 

自己中心的な性格は嫌われるけど、

もっと自分中心で生きていい。

 

 

 

他者よりも、自分自身を大切にしよう。

誰にも真似できない、「絶対的な存在」になるためには

コリュにちはお日柄もよく…

 

天海夜 煌琉だよ。

 

 

 

「インスタ映え」って言葉、流行ってたみたいだね。

 

 

 

 

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雨呑家(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿

 

↑自分のアカウント載せておくが、

写真はKOI Theさんで買ったタピオカドリンク。

ドリンクの味が甘すぎるティースタンドが多い中、

甘さと氷の量が調整できるのは素晴らしいと思った。

 

 

 

ところが、「インスタ映え」は、もう死語になりつつあるってさ。

 

 

言葉の移り変わりって、花のように儚いものだね。

 

 

 

 

…などと詩人ぶってみるのである。

 

 

 

というか、インスタ自体が以前に比べたら

下火になりつつあるな、とは確かに思う。

 

僕自身、最近ではあまりインスタにも投稿しなくなっちゃったし。

 

 

なぜかって?

 

それはね…

 

 

写真を加工するのが面倒くさいからだ。

 

 

 

ただそれだけ。

 

とはいっても完璧に辞めるつもりはなくて、

たまにちょっとした日記として投稿することはあるけどね。

それならストレス無くできるし。

 

でも今ではインスタの主な使いみちは、

犬猫の動画を眺めるためにやってるようなものだよ。笑

 

 

 

それに、僕自身がインスタをやっていて、

そして、さらに色々な人の投稿や

Instagram社の対応(「いいね!」の数字を非表示にするなど)

…などを見ていて思ったことなのだけど…

 

 

個人的に、お洒落なものは好きだけど、

自分自身が生み出し続けるには、限界があるなと思った。

 

 

なぜなら、お洒落を追求するということは、

いつもの自分よりちょっと背伸びした状態を続けるということである。

 

 

そこで、今回のテーマである

「誰にも真似できない絶対的な存在になるためには」

ということが関係していくのだが…

 

 

SNSで必要以上によく見せるなど、

無理している状態が自分自身にとってよくないというのは

もちろんのことなのだが、

 

「綺麗なだけの写真」を投稿するだけでは意味がない。

 

とも感じるようになった。

 

 

 

なぜなら、

 

コンテンツは真似されるし、複製されるからだ。

 

 

悲しいことだが、

実際ミュージシャンにしろ絵師や漫画家にしろ

「自分の作品が知らないところでネットに上げられていた」

などということは、避けられない状況になってしまっている。

 

 

しかし、世の中(というかネット上)がそんな状況だからこそ

たとえ他者からそんなことをされたとしても、

「絶対に干ばつになることがない土壌」を

耕しておく必要があるなと思っているのだ。

 

 

つまり、他者の介入や悪質な違反行為、嫌がらせにも

全く動じない強固な自分の基盤を作らなきゃいけないと思った。

 

 

それが「絶対的でオリジナルな存在」になることだと、思うのだ。

 

 

たとえば、綺麗な写真が撮れることで有名なスポットがあるとしよう。

 

 

しかし、そこは有名すぎるため、

自分がいくら綺麗に写真を撮ったところで、

同じような写真を撮る人が幾人もいるわけだ。

 

 

もしかしたら、あなたの使っているスマホのカメラよりも

さらに良い性能を持った機種を使って、

撮影している人もいるかもしれないし、

 

そもそもの話、同じスポットを撮ったところで、

カメラを趣味にしている人やカメラマンには敵わないだろう。

 

 

 

しかし、そこで「自分には無理だ」と嘆く必要はない。

 

 

 

あなたがするべきことは、他人と競争することではない。

競争や他人との比較はそれこそ毒で、

SNS疲れを引き起こしてしまうだけだろう。

 

 

そうならないためには、

 

決して誰にも真似できない、体験できないもの。

 

 

つまり、「あなたにしか生み出せないもの」を大切にして、

発信していけば良いと思うのだ。

 

 

 

それは具体的に何かと言うと…

 

 

「あなた自身」である。

 

 

 

もっと詳しく言うと、

 

「あなた自身の物語」である。

 

 

 

例えば、何人かが同じスポットを撮影したとして、

ただ写真があるものと、

何らかのエピソードやその時に考えたことを

一緒につけるのとでは、どう違うだろうか。

 

 

 

ある人にとっては

「恋人との絆を深めあった思い出の場所」かもしれないし

 

ある人にとっては

「久しぶりの友人と楽しく時間を過ごした場所」かもしれないし

 

ある人にとっては

「めったに取れない連休のなか、家族と一緒にかけがえのない時間を過ごせた場所」

かもしれない。

 

 

これだけでも三者三様である。

 

 

つまり、

そのスポットを訪れた人にも

それぞれに様々な物語があるということだ。

 

 

それは、どんなに技術のある人でも、決して真似できないことである。

 

 

その思いや過程は、単なる「インスタ映え」を目指すよりも

ずっと大切にすべきものなのだ。

 

 

 

 

 ↑同じ花を見ても、これだけ多くの解釈や物語がある。

 

 

それに、もう一つ、

「絶対的な存在」になるために知っておきたいこととして、

 

コピーや模倣は誰にでも出来る。

 

ということだ。

 

 

流行りだからといって皆の真似をしていても仕方がないし

有名ミュージシャンになりたいのに、

いつまでも有名曲のカヴァーばかりしていたって仕方がない。

(もちろん、カヴァーを主なスタイルとしている方々もいるだろうが)

 

 

大切なのは、真似や模倣をしたという事実よりかは、

そこから「何を得られるか」ということだ。

 

 

コピーとオリジナルとの決定的な違いは

「そこに己の哲学があるかどうか」だ

 

 

ただ外面だけ真似ても意味がない。

 

 

最終的には

「このような自分になりたい」

「世の中をこうしたい」

という熱意が人を動かすからだ。

 

 

確かに、人が成長していく上で「真似る」ことは大切だし

あなたが自身の方向性が確立されるまでは、

何度でもコピーをしたって良いけれど、

 

 

あなたがどのような思いで「真似」をしたのかも、重要だと思うのだ。

 

 

だから、人から影響を受けるのも良いと思うけど、

常日頃から、

「自分自身の考えや感情」を表に出すことを

怠ってはいけないな、と思う。

 

 

僕も数年間ブログをやってきて、

今までずっと自分がどんなコンセプトで

やっと掴みつつある。

 

 

少なくともこれまでは

セクシュアル・マイノリティの方々を主な視野に入れて

発信していた時期もあるのだが、

今は自分の発信には全く関係ないし、そこではないな、と思うのだ。

 

 

むしろ、自分のことを完全に理解してくれるかはともかく、

「悩みを抱えている人」をもっと広く捉えて、

 

「コリュさんの性別(←FTMです)は、正直よくわからないけれど、

いつも救われる言葉をかけてくれるから、

死ぬことを考えるのをやめて、生きてみようと思った。

だから、とても信頼できる。」

 

…そんなことを言われたほうが嬉しいと思ったのだ。

 

 

このような感じで、

 

「わからないなら、わからないなりに、とにかくやるしか無い」

 

それが、僕自身、行き着いた答えだ。

 

 

 

 

以上のような理由で、

 

今は、「結果」より「過程」が重要視される時代だ。

 

と、僕は思う。

 

 

だから、オンラインサロンやコミュニティなどを運営して、

作品が世に提供されるまでの過程や自分自身の思いをファンに見せて、

その思いに心を動かされたファンからの協力を得て、

そこからさらに新しいことにチャレンジしていく

そんな有名人達が増えているのだろう。

 

 

 

僕自身、昔はあまり自分のことを話すのを嫌がった。

 

自分の恥を晒すのが恥ずかしかったからだ。

 

 

 

しかし、誰にも真似できない、絶対的な存在になるために、

そして、より多くの人と表面的でないコミュケーションができるようになるためにも、

これからはどんどん自己開示をしていきたいと思う。

 

 

 

 

 

オンラインコミュニティもやりたいなぁ!!!!

人からもらった「悪いもの」なんて、いらない

天海夜 煌琉でございます。

 

 

今回のテーマは

「あなたが生きてきた過程で、人からもらった(悪い)ものなんて、いらない」

だ。

 

 

僕たちはどうしても、

生まれ育った環境や周囲の人の考え方に影響されがちである。

 

 

その、周囲の人の考え方が前向きで良いものだったら

その中で育った子供は、自立した考え方を持ち、

自己肯定感もあり、思いやりのある人物に成長することになるだろう。

 

 

しかし、大抵の場合は、

「あなたは〇〇だからできない」などと、

なにかと「できない理由」を決めつけられてしまいがちである。

 

 

 

そういった他者からの言動が積み重なると、

「自分って価値がない」

「自分ってダメな奴」など

自己肯定感を下げる原因にもなってしまう。

 

 

でも、よくよく考えてみよう。

 

 

「〇〇だから、自分にはできない」

「〇〇だから、自分はダメなんだ」

 

 

この「〇〇」だからという理由付け…

 

 

そんな考え方って、今のあなたが行動できないこと、

あなたが不安を抱えていることに関係あるのだろうか?

 

 

 

結論からすると…

 

「全く根拠はない」ということだ。

 

 

 

つまり、

あなたが行動する上で

「〇〇だからできない」と、

自分の可能性を決めつけることは、

全く無意味だということだ。

 

 

実際ハンデを利用して成功している人々、

逆境から立ち上がってきた人々なんて、

世の中にたくさんいるしね。

 

 

では、なんで根拠のないものを信じてしまっているのか?

 

 

それはたぶん、生きている過程で誰かから「もらった」んだろうね。

 

 

 

 

「もらった」というと

オカルトチックな話にも聞こえるが…

 

 

実際思い込んでしまっているということは、

「もらっちゃって」いるんだろう。

 

 

では、なぜ

本来なら生きていく上で必要のないものなのに

「もらっちゃった」んだろうか?

 

 

もし、あなたが嫌いなものを誰かが押し付けようとしたら、

あなたはそれを喜んで受け入れるだろうか?

 

 

いらないものは受け取る必要はない。

 

 

NOと言って拒否するか、

受け取ったふりして受け流すかして、

自分にとっていらないものは受け取らないこと、間に受けないことだ。

 

 

その時は

「断ったら相手に悪い」と思われるかもしれないが、

高い視点から見れば、その方法が自分にとっても相手にとっても、

良いことなのである。

 

 

ましてやあなたがネガティブになるような考え方なんて、全く不要だ。

 

 

なぜなら、全く根拠がないものだからだ。

 

 

 

それでも恐らく、あなたも含め、

多くの方がその「呪い」にかかってしまってるのだと思われる。

 

 

 

言い訳なんか、いらない。

 

嫌な思い込みも、いらない。

 

 

自分自身にかかった呪いは今すぐ解いてあげよう。

 

 

誰がその呪いを解くのか?

 

それは…

 

他の誰でもない。あなた自身だ。

 

 

あなた自身が本気になって考え方を変える決意をすれば、

いつだって呪いを解くことはできる。

 

 

「自分にはできない」

 

じゃなくて…

 

「やる」と決めたら、「やる」んだ。

 

 

 

人からもらった悪いものは、今すぐ捨てよう。

 

 

 

根拠なんて、ないから。

 

 

ちなみに、ネガティブな考え方を捨てる具体的な方法などは

当ブログでもいくつか紹介しているので、

ぜひ下記の記事などもご覧いただけたらと思う。

 

 

ハネジネズミのように天敵(嫌なこと)から身を護るための事前準備はこちら↓

 

「いろいろな意見があって当然」と思えるようになる考え方はこちら↓

 

SNSなどで「嫌われることを恐れなくなる」考え方はこちら↓

 

 

 

最後に…

 

あなたが本気で自分らしく自由に人生を送りたいなら、

あなたが必要なものだけを選択して、取り入れていこう。

 

 

いらないものは、断っちゃっていいから。

 

 

「居心地の悪さ」を、「最高の心地良さ」に変えよう

週明けに東京から沖縄へ帰ってきた。

 

基本的に僕は冬にあまり内地に行きたがらない。

 

理由は簡単。

 

寒いからだ。

 

寒いの嫌だ!!!!

 

 

それだけ。

 

 

でも、今回、東京までわざわざ足を運んだのは、

オンラインサロンを運営している方の勉強会に参加してきたからだ。

 

 

内容は詳しく言えないが、

その方や参加者の方と意見を交わすことができて、

たっくさんの新しいことを学ぶことができた。

 

 

とにかく濃い時間だった。

 

 

参加している人も熱心な方ばかりだから

自分自身のレベルもぐーーーんと引き上げられた。

 

 

 

で、これまでの自分だったら周囲の人と自分を比べて

 

「みんなすごい人ばっかり…」

「自分なんて何もないし…」

 

と自分を卑下しがちだったんだけど、

 

 

今では違う。

 

 

確かに、素晴らしい人がいっぱいいる環境にいる時に、

他者への羨望や嫉妬が全く無いというと嘘になるわけだが、

 

「この人は自分よりずっとずっと知識や能力がすごい!」

 

「この人たちと同じ土俵に立てるようになりたい!」

 

「もっともっと成長したい!」

 

なーんてことを思えるようになった。

 

 

それと同時に、

 

「これまで自分が満足していたような、ぬるい人間関係はいらない」

 

とも思えるようになったのだ。

 

 

「ぬるい」というのは、

特に目的なく一緒にダラダラした時間を過ごしてしまったり

「この人は自分にとって本当に合うのか?」

と思ってしまうような人間関係だ。

 

 

 

さて、家庭にしろ職場にしろ友人関係にしろ

今あなたがいるその空間は、

本当の意味であなたにとって「心地よい」場所なのか?

 

 

一見して「あなたが居心地良い場所」…

それは麻薬のような中毒性があるので、注意が必要だ。

 

 

たとえば…

 

 

あなたや周りの人が人の悪口や愚痴を言ってばかりで

「あなたは悪くない」みたいな会話ばかりして

お互いを慰め合うような環境にいるとどうなるか。

 

 

確かに、いろんな感情があってこその人間だし、

時には吐き出す機会も必要だ。

 

 

僕もどちらかと言えばネガティブなタイプなので、

そのような会話をしたくなる人達の気持ちも、よくわかる。

 

 

自分自身も、かつては理不尽な目に遭った時に

「あなたは悪くない」ということを言ってくれる人をむしろ必要としていた。

 

 

その場にいない人物を批判したり、同調したりして

お互いの絆を強める…そりゃ楽しいよね。

 

 

 

しかし、ある時から考え方が変わったのだ。

 

 

 

人の悪口や愚痴を言うくらいだったら

自分をそうさせてしまう環境や人から離れること、

もしくは離れられるように努力すること…

 

 

それが一番良くないか?

 

と思ったのだ。

 

 

自分自身がネガティブなことをし続ける環境にいると

「ネガティブな自分を肯定してくれる人」

ばかりしかいなくなるようになるのだ。

 

 

そうなると、人によっては

 

①「ネガティブな自分でい続ける」

②「成長しない」

③「『自分はだめだ…』とさらに自己肯定感が下がる」

①〜③の繰り返し…

 

 

という悪循環に陥ってしまう。

 

 

そうなると、あなたは「惨めな人」になり、

あなたの周囲の人も

「自分と同じ惨めな人」ばかり集まるようになる。

 

 

そんな時、あなたは

「周囲の人はつまらない人ばかり」

とまた愚痴をこぼすかもしれない。

 

 

そうなったら注意が必要だ。

 

 

なぜなら、周囲の人は悪くないからだ。

 

その人たちのせいにしちゃいけないんだ。

 

 

「あなたの周りにいる人は、あなた自身を映す鏡。」

 

 

…なーんて、よく言われるけれど…

 

たしかにそうだよね。

 

 

魅力的な人と付き合いたいなら、あなた自身が魅力的になろう。

 

 

 

そのためには、あなたが憧れるような魅力的な人が周囲にたくさんいて、

 

「自分がこんな場所にいていいのか?」

 

そんな「居心地悪い感覚」を常に感じるような空間に飛び込もう。

 

僕も自分が良い意味で「居心地悪くなる」空間を探し続けた結果、

 

今は偏見が強い人や被害者意識のある人、

文句ばかりを言うような人は周りにあまりいない。

 

 

「人のことより、自分が成長することに興味がある」

そんな感じで、向上心が強い人たちと付き合っていこうと決めたからだ。

 

 

僕のように人付き合いが苦手な方にとっては、

新しく出会う人達がたくさんいる環境って

初めはなんだか違う感覚があるかもしれないけど…

 

 

大丈夫!!!!

 

 

いずれ慣れる!!!!

 

 

 

かなーーーーり人見知りのおいらが言うんだから、間違いない!!!!

(↑根拠のない自信)

 

 

 

僕だって昔はキラキラ輝いている人気者に対して

「自分なんかがあの人に近づけるわけない」

なんて思っていたからね。

 

 

しかし、慎重で相手の出方を見る傾向は相変わらずだけど、

今は興味がある人には積極的に関われるようになったのだ。

 

 

それは、良い意味で「居心地悪い環境を探す」行為を繰り返していくだけ。

 

 

居心地の悪い環境を探すには、どうすればよいのかと言うと…

 

 

①人が集まっている場所やコミュニティに参加する

(コミュニティはビジネスや趣味、共通する悩みや目標があるなど、

テーマは何でも良い)

 

②一緒にいる人達が魅力的で、「自分はまだまだだな〜」と悔しい思いをする。

 

 

 

③コミュニティの集まりやイベントに参加し続けて、

他の人の良い部分を盗む(自分の中に取り入れる)!

 

 

 

④他の人からフィードバックをもらうなどして、

自分が成長していることを実感する!

 

 

 

こんな感じかな?

 

 

あなた自身がしっくりくるまで、

本当に心地良い感覚を得られるようになるまでは、

なかなか大変かもしれない。

 

 

しかし、

ちょっとした勇気は、あなた自身を大きく変えるのだ。

 

 

 

あなたもぜひ、素晴らしい才能を持った人達に囲まれて、

「居心地悪い感覚」をたくさん経験していって、

あなたが生きる上で「本当に心地良い場所」を見つけていってほしい。

 

 

見つけた場所がもし「違う」感じがしたら、

その時はまた次を探せば良い。

 

 

とにかく行動して、トライアンドエラーを繰り返すことが大切だ。

 

…と僕は思う。

 

 

荒波に飛び込もう。