人の悪口を言うくらいなら、悪口を言われる人物になれ!

妖怪「性別知らず」天海夜 煌琉でございます。

 

今回は、「人から悪口を言われる人物になれ!」

 

というテーマについて語っていこうと思う。

 

 

 

まず、「悪口」というくくりで人を見た時に、

世の中にはそれぞれ以下のタイプの人間がいると思う。

 

 

・「悪口を言う人」と「悪口を言わない人」

・「悪口を言われる人」と「悪口を言われない人」

 

 

要するに、「自分が他人に対する悪口を言うかどうか」

もしくは

「他人から自分に対する悪口を言われるかどうか」

という観点で、その人の人間性が予想できる。

 

 

実際、この組み合わせを変えると4パターンの人間が存在する。

今からそれを一つずつ、僕なりの雑な解釈を交えながら

テキトーに見ていこうと思う。

 

 

①「自分は人の悪口を言わないが、人から悪口を言われる人」

 

 

→いるよねこういう芸人さん(笑)。

本人はいたってポジティブで自分の人生を楽しんでいるのだが、なぜか人からは叩かれまくる。

自分らしく、好きなように生きている人、キャラが濃い人が多い印象。

そのためか、その叩かれる大半の理由が本人ではなく

「嫉妬」なのでは?と思うこともちらほら。

 

 

 

②「自分も人の悪口を言わないし、人からも悪口を言われない人」

 

 

→こういう人はさぞ素晴らしい人、良い人なんだと思う。

キングオブゴッド(神)だね。

しかしながら人間としては無難すぎて、これといった特徴も魅力もないという印象。

 

 

③「自分は人の悪口を言うが、人からは悪口を言われない人」

 

 

→外面だけは完璧な仮面を作れているので、他人ともうまくやっていける人。

でもネットやSNSで人の悪口や愚痴を書きなぐっている。裏の顔を知っているのは一部の人。

人間として特別魅力もないし、特別興味を持たれないという印象。

仮面ではない本来の良い部分を外に出せていけたら、少しは不満も解消できるのでは?と思う。

 

 

④「自分も人の悪口を言うし、人からも悪口を言われる人」

 

 

→これは日本の一般ピープルほとんどの人が当てはまると思うけど、

言葉だけで見ると性格になんらかの問題がある印象を受ける。

人の悪口を言うのは自分自身に満足していないことの裏返し。

自分自身の魅力に気づいて、他の人の良いところにも目を向けるようにしよう。

 

 

 

 

…こんな感じで、かなり雑だが

それぞれの人間の印象(+ちょっとしたアドバイス)を述べてみた。

 

 

このうち僕が思う、

「人として理想とする姿」はどれか。

 

 

 

 

 

それは………

 

 

 

 

①「自分は人の悪口を言わないが、人から悪口を言われる人」

 

 

 

である。

 

 

 

 

 

え?

 

 

 

②「自分も人の悪口を言わないし、人からも悪口を言われない人」

 

じゃないの?

 

 

 

 

そう思う人もいるかもしれない。

 

 

 

ゴメンなハニー。

 

 

確かにそうかもしれない。

 

 

「超ポジティブナルシスト芸人」と「神」だったら、

当然「神」のほうが良いはずだ。

 

 

「キモい」「ウザい」と避難されるよりも

「マジ神!」と崇め奉られたほうが良いに決まってるもんね。

 

 

しかし、

 

 

なぜ悪口は言われたほうが良いのか?

 

 

その理由を説明したいと思う。

 

 

あなたが誰かが誰かの悪口を言っている場面に遭遇した時、

あなたがその人達と同意見ならば、

仲間を見つけたようで嬉しい、安心した気分になるかもしれないが、

そうではない場合、大抵の人は嫌な気分になると思う。

 

 

それでも悪口を言うような人というのは、

その人なりの「正義」があるから言っているわけだ。

 

 

要するに、「自分が正義であいつがおかしい、間違っている」

ということを再確認するために悪口を言うのだ。

 

 

 

 

さらに突き詰めて考えよう。

 

 

 

「なぜ人はその人なりの”正義”を貫くために、他人の悪口を言うのか?」

 

 

というと…

 

 

「悪口のターゲットになっている人が、

悪口を言う人の”正義”や”価値観”に反しているからだ」

 

 

と考える。

 

 

 

つまり、大抵の人は

 

「価値観や考えが合う人の悪口は言わない」が、

「価値観や考えが合わない人の悪口を言う」のだ。

 

 

さらに言えば、

 

 

「価値観や考えが合わない=一般的な常識に反している」

 

 

という可能性も考えられる。

 

 

一見、一般常識に反している人、

人から避難されるような言動をする人って

人間性に問題があるように思う。

 

 

しかし、僕も何度かブログで語っているが

 

「世の中には正解などない」のである。

 

 

※「正しさ」だけですべての物事を判断するのが、

いかに虚しいことかをこちら↓で説明している。

 

 

あなたが「正義」と思っていることが

他の人にとっての「正義」とは限らないし、

 

逆にあなたが「間違っている」と思っていることは

他の人も同じように「間違っている」と思っているとも限らないのだ。

 

 

 

つまり、一般常識に反して悪口を言われるような人というのは

その人自体が、一般的な常識や価値観に対して疑問を投げかける存在なのだ。

 

 

その人の存在自体が既成概念を打ち破ってくれてるんだよね。

 

 

 

なので、

その考えに共感できる人が、その人に集まってくるわけだし、

逆に理解できない人達が、その人に対する悪口を言うのである。

 

 

だから、

どうかあなたも

 

「あいつムカつく!!!!」

 

とか

 

「この人のこういう部分はどうかと思う。」

 

とか

 

嫌な感情や疑問が湧き上がってきて、

イライラしたり、モヤモヤしたりしてしまったら…

 

 

一旦その感情はどこかに置いておこう。

 

 

そして、その人に対する悪口を言う前に、

 

 

「この人は自分に何を伝えようとしているのか?」

「この人が大切にしていることはなにか?」

「この人から学べることはなにか?」

 

 

などと考えてみてほしい。

 

 

その人は自分に何かを気づかせようとしているのだ。

 

だから、むしろ感謝しなきゃいけないよね。

 

 

そう。

 

「誰かに気づきを与えられる人」というのは、

「誰かを成長させることが出来る人」なんだ。

 

 

つまり、「悪口を言われる人」というのは…

 

 

「誰かに気づきを与えて、世の中を変える可能性がある人」なんだ。

 

 

そう思ったら、誰かの悪口を言っている暇はないよね。

 

 

世の中にはなんだか「悪口は言ったもん勝ち」みたいな風潮があって、

まぁその発想自体、幼稚でくだらないと僕は思っているけど

 

 

あえてこの言い方をすれば…

 

 

「悪口は言われたもん勝ち。」だと思う。

 

 

 

嫌われたくない、批判されたくない、

悪口を言われたくない…

 

 

あなたがそう思って、自分を抑えつけてしまっては

無難な言動しか生まれない。

 

 

まぁ、人から好かれはするだろうが、

「相手にとって都合の良い人物」と思われている可能性だってあるわけだし、

誰もあなた自体に興味を持たないだろう。

 

 

逆に、たとえ誰かから悪口を言われたとしても

あなたが以下のような考えを持つことで、

多くの人を魅了し、人が集まってくるはずだ。

 

 

「人の悪口を言うことには興味がないから、私は言わない。

悪口を言ったって意味がないし、自分が惨めになるだけ。

 

私の悪口を言いたい奴には、好きなように言わせておけば良いし、

誰がなんと言おうと、私が一番大切にしているものは譲れない。

 

私は私の人生を好きなように生きる!!」

 

 

あなた自身は好き勝手に生きているから

人から反感を買い、悪く言われることもあるかもしれない。

 

 

それは「あなたが自分自身の人生を生きていくための代償」と思えば良い。

あなたが自分自身を出せば出すほど反発をする人は必ずいるのだから、

それはやむを得ないものだし、割り切るしかない。

 

 

 

しかし、あなた自身が悪口という負のエネルギーを周囲に撒き散らさず

自分自身の人生を思い切り楽しんでいれば

自然と良いことは起こるようになるものだ。

 

 

あなたの周りには「あなたが大好きで、あなたに優しい人」ばかりが

集まってくるようになるだろう。

 

 

それなら人の悪口を言っているような人達と

あなたが一緒にいる理由なんて全くないよね。

 

 

愚痴や文句、悪口は人のエネルギーを奪うし、

一緒にいるだけ時間の無駄だ。

 

 

そんな人達と離れたいなら、

あなた自身の考えや生き方をハッキリさせることで、

そんな人達からも嫌われて悪口を言われるので

むしろ丁度よいのではないかな?

 

 

大衆の意見なんかよりも、

もっとあなた自身が大切にしているもの、

あなた自身が大切にしたいと思う人、

そういうものに目を向けていこう。

 

 

 

というわけで今回は

 

「悪口を言うような人間ではなく

悪口を言われるような人間になろう!」

 

というテーマについて語ったが、いかがだったろうか?

 

 

あなたがちょっとでも人の悪口を言いそうになったら

そんな自分を「目ん玉ロケット」で宇宙から眺めてみよう。

 

自分を客観的に眺めることで

「悪口なんてくだらない」と思えるようになるかもね。

 

「目ん玉ロケット」とは何か?

こちら↓で説明しているのでご参考までに。

 

 

誰かからの「批判や悪口」を恐れるのではなく、

それらを一瞬にして全て「気づき」へと変えてしまい

世の中の「固定観念」や「一般常識」など全てを破壊してしまう…

 

 

そんなハイパー人間を目指していきませう。

ストレスフリーの人間関係は…「相手に諦めさせろ!」

今回は「楽な人間関係を構築する方法」について話したい。

 

 

以前投稿した記事で

あるがままに生きる」という書籍についての感想を書いた。

 

 

↓その時の記事はこちら

 

 

 

この追記的な内容として、

著者の足立氏が、

楽な人間関係を構築するには、「相手に諦めてもらうこと」が大切

ということを説いていた。

 

 

 

つまりそれはどういうことかと言うと、

「本来の自然体のあなたのままで、相手に許してもらう」

ということである。

 

 

 

日本社会はガチガチのルールや固定観念で固められている。

 

 

「こうするべき」「こうあるべき」といった理想像を押し付けられ、

挙句の果てには暗黙のルールまで存在する。

 

 

子供の頃から「学校」や「教育」というもので

本来の自分ではない自分像になるように矯正されてしまい、

その自分像に合わせるために無理を強いることになってしまう。

 

 

それで登校拒否になったり、

ストレスによるいじめなどの問題も起こるようになったり、

鬱になったり、

最悪の場合…命を絶ったりしてしまうこともある。

 

 

それは大人になっても同じようなもので、

会社でも「パワハラ」などの暴力が自らの身に降りかかる場合もあれば、

人間関係などの様々な問題が起こって働きにくさを感じることもあるだろう。

 

 

 

相手の顔色を伺って自分の意見を押し殺してしまう、

あなた自身の意志や希望ではなく、相手にとって楽な方法を選択してしまうなど、

他人を軸とした判断が癖になってくると、

「空気を読む」「人に気を使う」など、無理をすることが多くなる。

 

 

あなた自身が好きなように行動することができなくなり、

不満を抱えてしまう原因にもなる。

 

 

本来ならば、「無理をしない程度に人に合わせられる」ことが

最も無難で円滑な人間関係であるが…

 

 

中にはものすごくわがままな人や、

自分の意見を絶対に曲げない頑固な人、

あなたの意見を聞きいれようとしてくれない人、

そんな人だってたくさんいるだろう。

 

 

また、あなた自身がちょっとでも好きにやろうとすると、

あなた自身が楽になるように動こうとすると、

嫉妬心からなのかか、はたまた自分にとって都合が悪くなるからか、

いろいろ理由をつけて文句を言ってくる人もいると思う。

 

 

そういった人と出会った時に

あなたは不満やストレスを感じることになるだろう。

 

 

 

それでは、どうすればあなた自身が

ストレスを感じないようになるかというと、

 

 

「相手に諦めてもらえるように行動していく」ことだ。

 

 

「私はこれがありのままの私で、私の魅力なんです。

だから許してね〜。」

 

と言わんばかりに開き直って自由に振る舞ってしまうのだ。

 

 

相手も最初は戸惑ったり怒ったりするかもしれないが、

それでも気にせずに自分のやりたいように行動していく。

 

 

それを繰り返していくうちに

やがては「〇〇さん(あなた)はこういう人なんだ」と思ってもらえて、

相手に受け入れてもらえる、諦めてくれるようになることだろう。

 

 

そのかわり、自分のワガママばかり言って

相手のワガママを全く聞いてあげないのはいけない。

 

 

自分にとって都合の悪いことや

相手の困った部分があっても

 

「この人は、こういう人なんだ」

 

と思って、ありのままの相手を受け入れてあげること。

 

 

 

人間関係はバランスだ。

 

 

 

あまりにも一方の要望が強すぎると、

一方に無理を強いることになり、

関係性が壊れてしまう原因になりかねない。

 

 

あなたが我慢し続けていると

人間関係の天秤はいずれ壊れてしまうだろう。

 

 

そうならないように、

お互いに「諦めること」「譲歩すること」で

円滑な関係を築くことが出来るのだ。

 

 

ただ、やっぱり自分にとって「合う人」「合わない人」はいるだろう。

 

 

「諦めること」「諦めてもらうこと」が出来そうにない、難しいと判断したら、

その相手や職場、グループとは離れることも考えよう。

 

 

 

…とは言っても人に気を使ってしまう人にとっては

なかなかうまく行動できないものだろうし

ちょっとでも相手が不満を露わにすれば、

自己否定をしたり申し訳なく思ったりしまうこともあるだろう。

 

 

もうこの際言おう。

 

 

 

全然気にしないで良いよ。

 

 

 

僕がかつてのアルバイト先でシフトの希望を提出した時のことだ。

 

 

「この日人がいなくなりそうなんで出てほしいんですけど、できますか?」とお願いされて、

「良いですよ。」と自分の予定を調整した。

 

 

 

しかし、実際にその「相手の希望日」に出勤した時だ。

 

 

 

「コリュさん、今日出勤でしたっけ?」

 

と言われてしまったのだ。

 

 

 

「はぁぁぁぁぁ?????

 

お前が頼んだんだろ!!!!

 

そのために他の予定も調整したんだよ!!!!

 

自分の言ったことには責任持てよ!!!!」

 

 

とイラついたものだ。

 

 

 

今では、この人はちょっと抜けている部分があったんだなとわかったし、

面倒なら断ればよいのに、お願いを受けてしまった自分が悪いって解釈してるけどね。

 

 

このように、

 

「あなたが相手のためにやってあげたことが、

相手が全くそれを感謝していないどころか

完全に忘れてしまっている。」

 

きっとあなたにも、そんな経験があるんじゃないかと思う。

 

 

 

僕がこの経験を通して得られたことは

 

「自分が思っているほど相手は自分のことを把握していないし、気にしていない。」

 

ということだ。

 

 

 

もしかしたら

 

「興味すらないのかもしれない。」

 

…ということにも気づくきっかけにもなった。

 

 

 

その一方で、僕自身が1週間くらいの長期休みをとった時、

相手にちょっと困ったような反応をされたことがあった。

 

 

しかし、後々になって

「この時期こんなに休んでましたっけ?」

と言われたのである。

 

 

 

その時に

 

「別に遠慮なんかする必要ないんだな」

 

って思ったよ。

 

 

 

休みたい時は休めばよいし

やめたい時はやめれば良い。

 

 

もしかしたら、あなたの性格や相手との関係性により

意見や要望が言いにくいこともあるかもしれない。

 

 

しかし、実際相手にあなたの希望や要望を言ったところで、

その時は文句を言われるかもしれないが、

大抵の場合は、意外と大丈夫だろう。

 

 

あなたが自分を優先して行動したところで、

相手から面倒臭い、厄介な人と思われたり、

愚痴や不満を漏らされたりするくらいで、

少なくとも命の危機を感じる事態にはならないはずだ。

 

 

こういうことを続けていくうちに、

いずれ相手が「あるがままのあなたのキャラ」に慣れてくるはず。

 

 

そうなったらもうこっちのものである。

 

 

相手に「〇〇さん(あなた)はこういう人だ」と諦めてもらえたら、

あなた自身がやりやすくなるはずだ。

 

 

あなたが好きなように行動することで、もし恨みに思われたとしても、

それはその人自身の問題なんだから、あなたが気を使う義務なんてまったくない。

 

 

相手の問題は相手の問題であり、

あなたの問題はあなたの問題だ。

 

 

一緒にせずに切り分けて考えよう。

 

 

 

 

さて、今回は

 

一方的なルールや価値観の押しつけなどでガチガチになりがちな社会で

あなた自身が少しでも楽になるようにするには…

 

 

あなたがありのままの自分で生きること、好きなように行動することを、

「相手に諦めてもらうこと」が大切。

 

その上で「あなた自身も相手を受け入れて諦めること」で

円滑な人間関係を築くことができる。

 

 

…ということについて話した。

 

 

お互いの「要望と許容」のバランスが良ければ

人間関係の天秤も保たれる!

 

 

 

夢や目標は諦めない!!

 

 

…とよく言われるだろう。

 

 

でも…

 

 

人間関係は諦めが肝心!!

 

 

自分自身のこだわりが強い人も

ちょっとだけ他の人のことを諦めて、許してあげよう。

 

 

 

そうすれば本来の自分自身も許し、愛することができるはず。

 

 

 

以前のあなたよりちょっとでも諦められるように

相手に「ありのままのあなた」を受け入れてもらえるように

少しずつあなた自身を開放していきましょう。

相手が自分の領域を犯してきたら戦争しろ!

「戦争」なんてなんだか物騒な言葉を使ってしまったけど、

まぁタイトルのとおりだね。

 

 

ただ僕は、国家間や宗教間などの「戦争」について語りたいわけじゃないから

それを目当てに来てしまった人はブラウザをそっと閉じていただきたい。

 

 

僕が話したい「戦争」というのは

 

「自分を守るための戦争」

「人と健全な関係性を築くための戦争」

 

である。

 

コミュニケーションにおける戦争…

まぁ言ってみれば「喧嘩」や「口論」「自己主張」だね。

 

 

それを踏まえて、

 

「相手と戦争(バトル)して自分の領域を守ること」

 

の重要性について語っていきたい。

 

 

 

先日、とある会社のセールスの人が家に訪れた。

 

恐らく日本中でも大半の人が迷惑しているであろう

あの企業の訪問員だ。

 

 

その人はなぜかアパートの事情を知っていて、

一方的にこちらの事情を決めつけてきた。

 

僕は直感で「こいつは悪質なやつだ」と判断した。

 

 

出かける間際だったし

「急いでいるのですが。」

「さっきも言ったように…。」

とあれこれ説明しても信じるどころか全く聞き入れてくれない。

 

 

それどころか、

相手も「絶対に契約させる」勢いだったのか

何回も何回も同じことを聞いてくるのだ。

 

 

あまりにしつこいから最終的に

「だから言ったでしょ!?」

とキレて無理やり振り払うかのように相手を追い返した。

 

 

とりあえず申し込み用紙だけもらっておけば

相手も納得するだろうと思い、それは妥協したが。

(もちろん申し込むつもりはない。)

 

 

このように無礼な相手、

こちらの「人としての権利」を無視してくる相手、

自分の縄張りを犯そうとしてくる相手etc…には

僕は非常に厳しい態度をとる。

 

 

自分の「領域」を犯そうとしてくるから当然のことだ。

 

 

ちなみに「領域」とは国のように

自分の縄張りのようなものと思ってくれて良い。

 

 

それでもピンとこなければ

こちら↓でも軽く説明しているので参考にしてほしい。

 

 

 

…しかし…

こういう「赤の他人に自分の領域を侵される」経験は

きっと多くの人にあるはずだ。

 

 

 

例えば子供の頃を思い出してほしい。

 

 

親など大人たちから指図や命令をされたことはないだろうか?

 

 

「宿題しなさい」

「部屋を片付けなさい」

「あれやりなさい」

「これやりなさい」

 

 

まぁこんな細かいこといちいち言われてばっかりじゃ

 

 

「うるせーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」

「じぶんでやるわーーーーーー!!!!!!!!!!!」

 

 

ってキレたくもなるよね(笑)。

 

 

でも、従わないと怒られる、叩かれるなどされた人もいるはず。

 

 

そのたびに、相手に対して反発心を抱いてしまう。

 

反抗期では荒れてた人も多いんじゃないかな。

 

今リアルタイムで荒れてる人もいるかもしれないね。

 

 

それはまだ良い。

嵐はいずれ治まるときが来るだろうから。

 

 

問題なのは

「これが出来ない自分はダメなんだ」と

自分自身を否定するようになって、

 

大人になった今でもその呪縛から逃れられず

苦しんでいる人も少なくないはずだ。

 

 

親だけでなく、上司や先輩からも似たようなことをされている人もいるだろうね。

 

 

逆に、人をまとめる立場にある人なら、

人に対してそのようなことをしてしまう人もいるだろう。

 

 

こういった

「相手に対して指図をしてしまう」

もしくは

「相手の言うことに嫌々従ってしまう」

 

それは

「相手の領域を犯す」

もしくは

「相手が自分の領域に入るのを許してしまう」

ということにもなる。

 

 

 

「自分らしい生き方」をする上でも、

「相手との依存的ではない健全な関係性を築く」上でも

全く良いことではない。

 

 

 

 

 

それなのにも関わらず、

「本当はこういう事情があるのに…」

といった気持を言葉にできず

逆らえない人は多いだろう。

 

 

しかし、自分の気持ちを押し殺して人の言うことを聞いてばかりいると

全て相手の基準で物事を考えるようになってしまい、

自分の気持がわからなくなってくる。

 

 

「自分はどう考えているのか」

「自分にとって何が嫌なのか」

「自分は何を望んでいるのか」

 

 

こういった「自分の気持ち」がわからなくなってくると

相手が全ての判断基準になってしまい、

常に相手の顔色を伺うようになり

自分らしく自然体に振る舞うことができなくなる。

 

 

「自分の軸」ではなく「他人の軸」で物事を考えてしまうからだ。

 

 

※「自分の軸」「他人の軸」についてはこちら↓を参考にしてほしい。

 

 

「他人の軸」つまり「他者の気持ち優先」で物事を考えると、

自分が何をするにも相手が優先になる「共依存の関係性」になってしまう。

 

 

いつまでも子離れできない過保護な親とか。

DV彼氏と別れられない彼女とか。

 

 

「この子がいなきゃ…」

「この人がいなきゃ…」

と常に自分がいなきゃいけないと思う込んでいる状態のことだ。

 

 

そうしたことを続けていくと、あなた自身も被害妄想にとらわれやすくなる。

 

 

こうした共依存は、

「相手の存在」で「自分自身の存在意義」が保たれているからである。

 

 

いざその関係性がなくなり

(恋人と別れる、親なら子供が勝手にどこかへ行ってしまうなど)、

あなたにとって不都合な状況(破産や病気など)が訪れた時に

 

 

「あの人のせいだ」

「あいつが悪い」

「あの子が〇〇してくれない」

 

という考えに陥りやすいからである。

 

 

これは人を恨んでばかりの人生だ。

 

そんな人生を送るようになってしまうと、

怒りや悲しみのエネルギーを湧き上がらせたまま毎日を過ごすことになり、

あなたが幸せに生きられなくなる。

 

 

なので、今すぐにそれを断ち切ろう。

 

 

「革命」の始まりだ。

 

 

DV彼氏(彼女)を持った恋人は

今すぐに同棲しているアパートから出ていくべきだし、

 

 

子供に干渉してしまう親は

「子供が幸せなら何をしていても構わない」と

良い意味で子供に対して「無関心」になる必要がある。

 

 

逆もあるよね。

 

 

親のことを「鬱陶しい」と思うのなら、

今すぐにでも一人暮らし出来るアパートを見つけよう。

連絡はたまに行えば十分だし、

なんなら海外まで行ってしまっても構わない。

 

 

僕だって一人になりたくて、

ほぼ海外みたい沖縄を選んだんだから。

 

 

「革命」の後には「戦争」が起こる。

 

 

もしそれでも相手が自分に依存してくるのであれば、

「戦争(バトル)」をしよう。

 

 

↑お前こそ口悪すぎだから自重しろ

 

 

自分が思っていることを相手にぶつける。

 

 

僕もそうだが、日本人には口論が苦手な人は多い。

 

怖いかもしれない。

面倒なことになるかもしれない。

 

 

でもね、

「自分の気持を吐き出すこと」は

自分のためでもあり、

相手のためでもあるのだ。

 

 

少しでもあなたを思いやってくれる人なら自分自身で考えるだろうし、

その人自身が自立して人生が良い方向に向かっていくかもしれない。

 

 

逆に、依存的な考えが抜けない人はいつまでも同じことを繰り返すし、

別の「依存させてくれる人」のところへ去っていくかもわからない。

 

 

でも、それは全て「相手の責任」なんだから、

あなたが心配して気にする必要なんてないんだよ。

 

 

少なくともあなたの「思い」を外にだすことで、

相手が成長する可能性を与えることになる。

 

自分の中で悶々としたままでは

その可能性すら0になるんだ。

 

だから、「言葉にする」ことは大切なことなんだよ。

 

 

それでも相手が

 

「あなたに対して過剰な期待をしてくる」

「あなたに対して依存心を抱いている」

「言うことを聞かせようと支配的な態度を取ってくる」

 

 

その状態であなたのところへまた来ようものなら、

完全にスルーして良い。

 

 

もしくは自分の考えをぶつけて、毅然とした態度で追い払えば良い。

しつこいセールスマンに対処するかのように。

 

 

 

「相手と戦争」をすること…

つまり、あなたが自分の考えを主張することは、

少なくともその人にとっては「意味があること」に繋がるはずだ。

 

 

もしそれで

「相手が怒る」「他の人からも責められる」

などの不都合なことが起きてしまっても、

それは放っておいて構わない。

 

 

厳密に言うと、

「受け取り方は人それぞれなのだから、徹底的に相手に任せる」

ということだ。

 

 

 

あなたに覚えていてほしいのが、

「相手が相手自身で考えて処理をするべき課題や問題」は

確実に「相手の領域」

なんだよね。

 

 

少なくても「あなたの領域」ではないはずだ。

 

つまり、あなたが相手の問題を解決する義務はないということ。

相手の問題なのだから。

 

あなたが相手を思い通りにさせたい、

相手に言うことをきかせたいと思い、

相手の「領域」に無理やり入り込んでいくのであれば

相手に反発されても仕方がないだろう。

 

相手だって相手の「領域」を守る権利があるんだから。

 

逆に言えば、

相手が自分の領域に無理やり入っていくのであれば

反発しても良いし、自分の言いたいことを言って構わない。

あまりにも執拗な行為をするのであれば逃げてしまって構わないし、

他の人に助けを求めるのもアリだ。

 

 

…てなわけでまとめると、

 

 

人に振り回されてばかりで疲れている人が

「人の顔色を伺わず、自分の気持ちを最も優先できる生き方」

ができるようになるには

 

 

「相手と自分との問題を明確に区別し、

必要以上に干渉してくる相手には毅然とした態度をとること。

もしくは必要以上に相手に干渉せずに突き放すこと。」

 

 

こういったことが大切なのだ。

 

 

「自分のことは自分で決める」

「相手のことは相手が決める」

 

それを前提にある程度の距離を置いた関係を築くこと。

 

 

それが本当の意味で

「お互いを信頼し、尊重できる」

自立した大人同士の理想の関係だと思うな。

「自分自身の監督」になって、自分の人生をセルフプロデュースしよう

僕は最近、

 

「他人の感情には振り回されるな。自分自身の気持ちを優先しろ。」

 

といった内容の文章を書いている。

 

 

逆に言うと、それは自分自身にも当てはまることで、

「自分の感情には振り回されるな。」とも言える。

 

 

「自分の感情に振り回されず、自分を客観視する。」

 

 

もしかしたら、この生き方を意識することで、

他人の批評も一切気にならなくならず、

ほんとうの意味で自分らしい人生を送れるのでは?と思った。

 

 

というわけで、今日は

 

「自分の感情に振り回されず、自分を客観視する。」

 

…このテーマについて考えていこうと思う。

 

 

 

最近…に限ったことじゃないけど、

街中、特に買い物している時とか、テレビをみている時とか

やたら感情を煽る表現が多いなと思う。

 

「あなたはこのままではダメですよ」

「今のままでは将来〇〇ですよ」

 

というような…

 

購買欲を煽るためなのか、

やたら不安にさせるような言葉をよく見かけるし、

 

「タイムセール中!」

 

「今買わないと損ですよ!」

 

といったセールもよく見かける。

 

実際それに飛びついて別に欲しくなかったものを

買ってしまった方も多いかと思う。

 

 

大丈夫、僕もその経験たくさんあるから(笑)。

 

 

その他、人の感情を煽る表現としては、

過激な活動家がヘイトスピーチを行っているデモとか

パワハラ、セクハラ上司がいる職場とか

 

 

まぁ色々あると思う。

 

 

…もう数え上げたらキリがないよね。

 

 

そんな人の言うことをいちいち真に受けていたら

身が持たないし、自分を見失ってしまうだろう。

 

 

疲れちゃうよね。

 

 

さて、こんなにたくさんの情報に溢れた現代。

 

 

こんな時、しっかりと自分を持って、

誰にも振り回されず、狼狽えないようにするにはどうすれば良いんだろう?

 

 

 

僕は以前、このような記事を書いたことがある。

 

 

 

「自分の人生の”主人公”にはなるな。」

 

 

これはつまり、どういうことかと言うと、

 

 

「自分の人生の主人公になる」というのは、

「自分の主観」で生きている状態ということなんだ。

 

 

それは結果どうなるというと、

いつまでも「動かされる側」になっちゃうんだよね。

 

 

感情的なものに左右されてしまうし、

基本、「情に厚い良い人」だからお涙頂戴の演出にも弱い。

要するに「カモ」的な扱いを受けてしまうこともあるだろう。

 

 

 

そういう「常に何かに煽られる生き方」をやめて、

 

「流行りには惑わされない。」

 

「自分は自分の選んだものだけを信じて生きる」

 

そんなかっこいい生き方をしたい!!

 

 

そんな生き方を実現するにはどうすればよいか。

 

 

そのためには…

 

 

 

「自分自身を一歩引いて見つめる存在」を

自分の中で作ってしまおう。

 

 

わかりやすく言うと、「監督」だ。

 

 

監督は監督でも、自分の人生の「監督」だ。

 

 

映画やアニメなどはもちろん、スポーツにも「監督」という存在は必要だよね。

 

 

自分をコントロールする「監督」がいるから、

作品は出来上がるし、選手なら勝てるように動いていける。

(かなり雑な表現だけど、実際そうだよね笑)

 

 

アートとスポーツで違うけれど、

両者に共通しているのは、

「目標(ゴール)を達成すること。」

 

 

これを自分の人生に当てはめると、

自分の中の監督が決めた「目標(ゴール)」。

つまり、「なりたい自分像」を明確にすることで

それに向かって「自分という人間」を動かしていける。

 

 

つまり、

 

「目標(ゴール)に向かって自分に指示する監督を、自分の中で作ろう」

 

ということなのだ。

 

 

 

「俺の人生」の主導権を握るのはこの俺だ!(By.監督)

 

 

例えば…

 

 

自分の中で「痩せたい!」という目標を決めたとする。

 

 

主人公である自分は「目の前のラーメンを食べたい。」という気持ちを抑えられない。

いや、もしかしたら欲望に勝てず食べてしまうかもしれないね。

 

 

 

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でも、外から見ているもう一人の自分、つまり監督が

「今後、こいつ(自分)は痩せるというシナリオにする。でなきゃ困る。」

って言うんだったらもうそれに従うしかない。

 

 

一度それを決めたら、ラーメンを目の前にしても、

「とりあえず我慢するか。」

「低カロリーのもので置き換えよう。」

という選択肢が生まれるはず。

 

それがなかなかうまくいかないから、困っている人もいるかもしれない。

 

でも僕だって昔太ってたのに

今は「細すぎ」と言われるくらいまでになったから、

やろうと思えばできるんだよ。

 

今だって結構大食らいだけど、

旅行と人と一緒にいる時以外は1日1.5食にしているからか、

食べてもあまり太らない。

 

しかも、好みも変わってくるのか、

昔ほど甘いものを好まなくなった。

 

 

…なぜそうなったかと言うと、

「こういう自分になりたい」

というイメージを明確にしていたからだと思う。

 

その時ちょうどヴィーガン料理にハマっていたから、

そんな自分が好きだというのもあったかもしれない。

今はもうしんどくなってやめた(笑)。

 

それにぷくぷくした自分よりもスッキリした自分のほうがかっこいいから

今の自分を維持しているわけ。

夜のストレッチとスクワット以外、特に運動はしてないけどね。

なるべく自転車で行動するようにはしているけど。

 

 

自分を客観視して、目標を決める監督が

「痩せる」という目標を決めたから、

「できている部分」と「できていない部分」も把握できるようになって、

自分(主人公)をコントロールできるようになったからだ。

 

 

わかりやすくダイエットを例にしたけれど、

これと似たようなことがどんなことにも応用できる。

 

 

「物事に応じない」自分になりたいのだったら、

いろんな出来事に慣れていくしかない。

 

「余裕のある」自分になりたいのだったら、

とにかく収入を増やして、時間を作るようにすること。

どうしたらそういう自分になれるのかを考えて

いろいろ勉強したり人の話を聞いたりしていく。

 

そういった過程の中で、自分にとって必要なことを取り入れて

いらないものを捨てていく。

 

成長するにはとにかく学んでいく、経験を積むしかないわけだし。

 

 

僕だってまだまだ成長したいと思っている。

 

挫折しそうになったこともあるけれど、

昔ほど不安から物を溜め込んでしまったり、

余計なものを買うこともなくなった。

 

 

寂しさや虚しさで必要以上に飲み会に参加することもなくなった。

 

 

それは僕の中の「監督」が

 

「お前(自分)はもうそれはそれは臆病者だし

どこに行っても浮いてしまって社会不適合者みたいな奴だ。

 

でも、この先、“自分自身の生き方がまさにアートだ”と言えるような、

将来的にカリスマ性のある奴になっていくんだ。

 

それにはそれに恥じない人格を、今から作っていく必要があるのだ。」

 

って決めているからだ。

 

 

 

いやーーー困った困った。

 

 

俺、超絶コミュ症だけどそんな風になれるのかな?

 

 

でも、そのおかげで

例え今苦しいことや嫌なことがあったとしても、

「大丈夫。」と思えるんだよね。

 

 

そう。

 

 

「監督」である自分は自分に支持を出せるわけだし、

「主人公」である自分はその過程を楽しむことができる。

 

 

うまくいかなくても、

例え人からバカにされたとしても、

その過程すら「美味しい」と思えるようになる。

何かにつけて一喜一憂しなくなるんだ。

 

 

だから…

 

 

どうせ人生の主人公になるなら、

監督から脚本まで何から何まで自分でセルフプロデュースできる、

そんな人物を目指していくのはいかがだろうか。

 

 

例えると、チャップリンみたいな!!!!

 

 

 

 

まとめると…

 

感情だけで自分を動かさない。というか、誰にも動かされない。

 

 

「人生の監督である自分」を自分の中に作って、

一歩引いた上で自分を見つめ、

その上で「なりたい自分」「目標(ゴール)」に向かって

「人生の主人公である自分」を動かしていこう。

 

 

そして…

 

誰も経験したことがない。他の誰にも置き換えられない。

 

「これが自分の人生!」

 

そう胸を張って言えるような人生を送りましょう。

負の感情も他人の攻撃も気にならなくなる魔法の言葉

最近はついイラッとしてしまう自分に目を向けて
これはいけないと思い、いろいろ対処するようにしている。

 

その場合は一旦冷静になってこう思うことにしている。

 

「自分はまだ自分の問題が解決できていない。」

 

この言葉の意味は明白で、自分自身がまだ未熟だから
他人の言動によって自分の感情が左右されるというもの。
怒りや悲しみなどの「負の感情」が湧き上がってきてしまうのだ。

そうならないように日々学んで成長していきたいよね。

 

一方で、自分の周囲において嫌な言動をする人は最近では少なくなったけど、
街中だとどうしても赤の他人と関わることになるわけだし
理不尽な思いをするケースだってあるわけだ。

 

相手の悪意ある言動の被害を受けてしまうことだってあるだろう。

 

 

その場合も同様に、

 

「相手はまだ相手の問題が解決できてない。」

 

と思えば良い。

 

 

自分自身で湧き上がらせている負の感情も
相手からの悪意ある理不尽な言動も
自分の成長のチャンスになるわけだ。

 

そう考えると、傷つくことや不快な気持ちになることを
過剰に恐れずに済むのでは?と思う。

 

人は本来、人を傷つけることなんて出来ない。

 

ナイフなど物理的に人を傷つけることは出来るし、
実際刺されたら怪我するし下手したら死ぬし
刺した人は逮捕されるわけだが…

 

一方で、悪口や非難、その他罵詈雑言など負の要素を含む
「言葉のナイフ」というものは…

 

「避けられる」

「ガードできる」

「刺さってもすぐに傷口を消せる」

 

などという選択肢だって存在するわけだ。

 

考えてみたらいくらでも自分でどうにかできるんだから、
実際に刺されるよりかはマシだよね。

 

 

ナイフに催眠術かけようとしたけどダメだった…。
 

 

つまり、他者からの物理的でない、「精神的な暴力」に関しては
自分自身で「なかったことにできる」のだ。

 

こうなると
「言葉のナイフを刺した奴を養護するのか」
と思われそうだが、そうではない。

 

自分の人生を楽しく生きるか、自分らしく生きるかどうかについて、

「自分の人生は自分で決めるもの。」

という考えがある。

 

 

「相手が暴力的な言動をした」という事実はあったとして、
それを実際罪に問うべきものなのかどうかはとりあえず置いておいて、

嫌な出来事に対して自分をどんな人物像に仕立て上げるかは、
他の誰でもない、自分の人生に対する責任なのだ。

 

 

仮に「救世主」があなたの元に現れて心の傷を癒やしてくれたとしても、
あなたの生き方や考え方について変えることが出来るのは、
他の人じゃできないからね。

 

 

救世主がいないと生きられない、弱々しい「村人A」として生きるのか、
世の中や特定の人物に対する恨みつらみが消えずに、「悪の化身」と化して世界を闇に葬るのか、
救世主のおかげで自分は助かった、じゃあ今度は自分が人々を助けようと
「ヒーロー(ヒロイン)」のようなカリスマ的存在として生きるのか

 

…などなど

 

全てあなたが自由に生き方を決められるのだ。

 

 

もしあなたが「傷つかない」という選択肢をとれるようになりたいというのであれば、
心を鍛えていく必要がある。

 

 

筋肉はジムや日々のトレーニングで鍛えられるが
「心を鍛える」というのはジム通いじゃできない。

 

 

ではどうすればよいのかというと、

 

「少しでも多くの言葉や価値観、物の見方を知っておく。」

 

必要がある。

 

 

ちょっとしたことでも傷つく人もいれば、
何を言っても無反応な人がいるように、
一つの物事にしてもいろんな解釈と反応、考え方があるわけだ。

 

だったらできるだけ反応しないほうが良い。

 

その方が精神衛生上自分が楽になるのである。

 

そのためには

相手を「人間ではない、一つの現象」

みたいにバッサリ捉えてしまうというのもアリだ。

 

 

 

こちらの書籍でわかったことだが…

 

自分がマイナスの感情を放つから
失敗して怒られた時にも相手の感情を逆なでさせて
ますます怒られてしまうことになるのだ。

 

それに自分が影響を受けて病んでしまうのでは
自分自身が一番苦しくなるだけ。

 

先に自分で反省して自分の中で解決してしまえば、
あとは怒られても平謝りしておけば良いだけ。
相手も平然な人には反応しないからそれ以上怒られることはない。

 

「失敗しちゃいけない」
「ちゃんとやらなきゃ」
と萎縮したり緊張したりしてまた失敗してしまう、
また怒られるということも避けられる。

 

(↑引用するのが面倒だから僕自身の言葉で書いてるけど、
書籍のほうが素敵な文章なので、気になる方はぜひ書籍を読んでいただきたい。)

 

 

相手からの一方的な価値観の押しつけ、
相手からの理不尽かつ暴力的な言動、
相手のミスや勘違いなのに自分が怒られた、

 

…などというのであれば
なおさら「反応しない」ことが必要になる。

 

 

だから、この言葉が意味をなすのだ。

 

「相手はまだ相手の問題が解決できていない。」

 

あなたが自分の感情を自分でコントロールできるのと同じように、
相手が負の感情を生み出すのかどうかも相手が決めることである。

 

それが出来てないということは相手の課題でもあるし、
本来、あなたには関係ないのだ。

 

 

それを受け取ってしまうと、
「相手の課題」を「自分の課題」にしてしまうことになる。

 

 

僕も正直な性格だから
嫌いな人間には基本塩対応だったり、
明らか避けてるの(苦手に思っているの)見え見えだったり
悪気なくても誤解されるような言動もしてしまったりしたから
過去の人間関係においてトラブルも多かった。

 

 

まぁやたら協調性やルール、一方的な価値観を押し付ける日本社会が異常なだけであって
トラブルが全く無いという人の方がむしろいないのかもしれないが、
相手を刺激させない程度のスルー力は身に付けたいし、
つまらない衝突は避けていつでものらりくらり生きていたいよね。

 

そのためには「自分」と「相手」の境界を
明確にしておかないとね。

 

 

「相手の問題と自分の問題を切り分けて考える」

 

このことについても今後深掘りして詳しく説明できたらと思う。

 

 

以前購入したこの本もまた読み返してみようかな。

 

 

 

 

のらりくらりと。

(↑最近、気に入ってる言葉らしい。)