全ての「出会い」と「別れ」があなたに教えてくれるもの

明日の天気は晴れ?雨?

私の性は男?女?

 

妖怪「性別知らず」天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)でございまする。

(↑気軽に「コリュ」と呼んでね。)

 

 

今回のテーマは

「全ての”出会い”と”別れ”があなたに教えてくれるもの」ということで

全ての出会いも別れも自然に受け入れて

「怖いものなし!」の人間になるための考え方を伝えようと思う。

 

 

 

 

平成31年4月…

 

 

 

新元号「令和」が発表され、

平成もあと残りわずかとなった。

 

 

 

僕は「自分自身の性別も自分のことも

なんだかよくわからない妖怪」として生まれ

早30年ちょっとが過ぎた。

 

 

そして来週、また一つ年を取ろうとしている。

 

 

 

3月とはシーズン的に主に別れが多い季節と思うが、

この4月という時期は新年度が始まるということで

様々な出会いが訪れることだろう。

 

 

当然、僕にだってこれまでに様々な出会いがあった。

そして、その分の別れがあった。

 

 

プラスもあれば当然、マイナスもあるわけだ。

 

 

出会えてなきゃ、別れだって存在しない。

 

 

ネットやSNS上でのメッセージのやり取りだって立派な「出会い」であるわけだし、

果たして「出会ってもいない人との別れがあった」という事実などあり得るのか?

 

 

「別れるはずのない人との別れ」が存在するなんて…

新作のホラー映画でも出来そうだよな。

 

 

 

 

…まぁそんなことはどうでも良い。

 

 

 

ところで、一概に「別れ」と言っても様々なケースがあるよね。

 

 

引っ越しや転職、転校など、相手が物理的に離れてしまう場合

なんとなく合わなくなって疎遠になる場合

喧嘩別れになる場合

死別の場合

…などなど。

 

 

パターンが違えど、

全ての別れに共通しているのは「寂しさ」や「悲しさ」「辛さ」などの

ネガティブな感情がしばしつきまとうことだ。

 

 

中には当然、苦手な人、嫌いな人など、

別れたことで「スッキリした」「楽になった」「セイセイする」などの

ポジティブな感情を実感する人もいるかも知れないが。

 

というか…ぶっちゃけ僕もたまーーーーーーーーに思う(笑)。

 

 

ただ、仮にその別れ自体があなたにとって気分の良いものだったとしても、

その別れが訪れるまでに

「怒り」や「悲しみ」、「苛立ち」などのネガティブな感情を

伴っていたかもしれないね。

 

 

そういう意味では

「”別れ”に至るまで、”全ての出会い”にネガティブな感情は付き物」だと言える。

 

 

 

ただ、例えあなたが、

訪れた別れを「寂しい」と思ったとしても

「良かった」と思ったとしても

向き合ってほしい事実がある。

 

 

それは…

 

「良くも悪くも、”その人の存在”があったからこそ”今のあなた”がある」

 

ということだ。

 

 

周囲の人に見守られている状況と言えど、

基本的に人間は一人で生まれ、

一人で死んでいく生き物である。

 

 

そして、世界中には人間はもちろん、

他の生物も含めると数多の生命が存在するということ。

 

 

そんな中、あなたが「一人の人間」として生まれ

出会った人々と「一人の人間」として出会えた事実というのは

あなたに与えられた貴重な恵み…いわば「宝物」なのである。

 

…というと、ちょっとスピリチュアルな考えになるわけだが、

実際に何でもかんでも「あいつは悪い奴」だと決めつけて

被害者意識に陥ってしまうことは、あなたにとって悪でしか無い。

 

 

というのは、

「誰が悪いか、悪くないか」というのは、

明らかな犯罪でないほとんどのケースの場合、虚しい議論でしかないからだ。

 

 

逆に、自分自身にも反省すべきことがあると認めた上で

 

「どうして別れが訪れてしまったのか」

「(もし可能であれば)どうしたらその別れを防げたのか」

「自分自身が面倒な人々を引き寄せないようにするにはどうしたら良いか」

「自分自身が楽になるためにどのように生きていけば良いのか…」

 

などと内省する方が、よほど今後のためにもなるわけである。

 

 

↓※ちなみにこちらはこれまで何かにつけて正義と悪を判断していた僕が

「自己責任」で生きようと決心した時の記事。

 

 

その人との出会いがあなたにとって良いことだとしても、

悪いことだとしても、

その分、別れに意味を見出すことが出来るのだ。

 

 

あなた自身が考えて出した結論に納得したら、

いつまでもくよくよ考えずに「次いこ、次!」という感じで、

新たに訪れる出会いを楽しみにすれば良いのではないだろうか。

 

 

つまり…

 

 

あなたが過去に出会ってきた人々というのは

あなたにとって良いものをもたらす人もいれば

悪いものをもたらす人もいたかもしれない。

 

 

いずれの場合も

「その人と出会ったことで、自分はその人から何を学んだのか?」

と考えることが大切だということだ。

 

 

ただただ別れる悲しさを嘆いたり

相手のことを恨みに思ったりするよりも

 

 

「その人との出会いから別れまで」という経験を通して

あなた自身が自分自身の成長にどう生かしていくのか…

 

 

それを考えることが当たり前のように出来るようになれば、

きっとどんな「出会い」も「別れ」も

自然と受け入れられるようになるし、

あなたの人生も好転していくことだろう。

 

 

 

…最後に、

「全ての”出会い”と”別れ”があなたに教えてくれるもの」

とは何かをまとめると…

 

 

全ての人との出会った喜びを味わい、

全ての人があなたにくれたメッセージを読み取り、

全ての出来事を学びや教訓として今後の人生に活かし

これまで出会ってきた人全てに「ありがとう」と感謝すること。

 

 

新学期が始まったり、

新入社員が入社してきたりと、

様々な出会いが訪れるこの季節。

 

 

 

 

新しく出会った人に対して

「この人から自分を何を学べるか?」と思いながら

恐らくいつかは訪れるであろう「別れ」も笑顔で受け入れられるように

 

 

どんな喜びも困難も楽しみながら

その人との貴重なかけがえのない時間を、

一緒に過ごしてみてはいかがだろうか。

人生は城づくり〜あなただけの「心の城」を築く方法〜

僕はこれまでに「人生」を様々なものに例えてきた。

 

 

具体的には、星空、パレット、監督、宝探し…などなど。

「劇場」に例えていた時期もあった。

 

 

 

 

 

 

このように、

これまでに「自分の人生」をより良く、自分らしく楽しく生きるために

様々な思考を巡らせてきたわけだが…

 

 

今の僕は、「人生とは城作りだ。」と考えている。

 

 

↑天空の城(ドラゴンクエスト)

 

 

さらに言えば、

 

「人生とは城作りだ。

それは他の人には決して作ることはできず、

自分だからこそ作れる城である。

 

自分だけの心地よい空間があって、

揺るぎない掟(信条、哲学など)があり、

自分の好きな人しか入ることができない、

自分が揺るぎない一国の主となる…

 

失敗したならば建て直し、

傷ついたならば修復し、

攻めらたならば守りを固め、

挑戦をするならば攻めとなる武器を強化すればよい。

 

自分自身の一生をかけて”世界に唯一つしかない城”を築いていく

決して完成することのないサグラダ・ファミリアのような存在。

 

それが私が目指す”人生の城”である。」

 

 

 

思いの外長くなったけど(笑)

これこそが、僕が理想としている「人生=城作り」論である。

 

 

 

まず、この考えに至ったきっかけとして

僕の動物占いが関係している。

 

 

動物占いだと僕は「猿」に該当する。

 

 

以下のサイトを参考にしてもらえればわかるが、

動物占いは大きく分けて「月・地球・太陽」という3つのグループが存在する。

 

 

言い換えると、これらはそれぞれ「人・城・大物」グループとなり、

各グループごとに大きな特徴がある。

 

 

つまり、僕の動物である「猿」は地球グループなので

城グループとなるのだ。

 

 

動物占いのサイトはこちら↓

 

 

また、地球グループ(城思考)の特徴について

詳しい説明が載っているサイトを見つけた。↓

 

こちらの文章を読んで「まさしく俺じゃん!」と思ったものだ(笑)。

 

 

 

その他、月(人思考)について↓

 

太陽(大物思考)について↓

 

 

※ちなみに自分自身としてはマイペースな変人なの自覚していて

他の人から敬遠されがちな個性の強い変人さんすらも好む傾向もあるから

性格的にも「狼」が一番近いと思っていたのだが

5アニマルにさえも存在しないのはすごく不思議なのである。

同じ地球である虎とコアラはあるのに…。

 


より詳しく自分を分析できる「5アニマル」に関する本↑

 

 

ただ、占いというのは「自分の声質としてこういう傾向がある」というものなので

あまり過信しすぎるのも問題だけど、

参考にすることで生き辛さの原因がなんとなくわかるよねーって話。

 

 

話が逸れたが…

 

 

例えきっかけが「動物占い」という万人にとっつきやすい占いだったとしても、

僕はこの「城」という表現が自分の中ですごくしっくり来たのだ。

 

 

 

「自分はどんな人生を送りたいのか?」

 

「何のために、誰のために生きているのか?」

 

「なんだかよくわからない世の中の”常識”や”ルール”に縛られたいと思うか?」

 

「他の人と全く同じ人生を自分も生きたいと思うのか?」

 

「辛かった精神状態や依存的な状況からようやく脱却して

今自分なりに楽しい人生を送ろうとしているのは何故なのか?」

 

 

こういったことを自問自答していくうちに

 

 

「自分にしか築けない城の一国一城の主でありたい。」

と考えるようになったのだ。

 

 

そして、この考え方はあなたにとっても役に立つと思う。

 

 

あなたが動物占いで城思考かどうかは関係ない。

どのグループに入ろうとも、

 

あなたにしか生きられない人生を生きるためには

あなただけにしか築けない城を設計して、

どんな環境でも揺るぎない強固な城を築き上げる必要がある

 

…と僕は考える。

 

 

でないと、芯の部分がぶれてしまい

あなた自身がどうなりたいか、

どう生きたいかが明確にならないからだ。

 

一生、誰かの意見や感情、情報に左右されることになるだろう。

 

 

以上の理由により、全ての人が自分らしく生きるためにも

「人生は城作り」を強く勧めていきたい。

 

 

 

いかにしてあなたが「心地よい」と感じる城を作れるかが

人生において大切なことなのではないだろうか。

 

 

 

実際の城は建造物なので、

災害や戦争などで壊れてしまうこともあるかもしれない。

心無い来訪者にいたずらや落書きなどをされてしまうかもしれない。

 

 

↑復旧工事中の熊本城。完成したらまたお目にかかりたい。

 

 

それはそれで考えさせるものがあるのだが…

 

一方で、「あなたの城」というのは実際に存在するものではなく、

「あなたの心の中にある城」なのだ。

 

 

「核となる部分」と言ったほうが正しいかもしれない。

 

 

震災が起ころうが革命が起きようがトラブルが起きようが

揺るぎない「あなた自身」を保つことが出来るもの…

それがあなたの城である。

 

 

まずは、信念となる土台さえしっかりとできていれば、

誰にも邪魔されないあなただけの城が出来上がる。

 

 

あとはあなた好みにどうアレンジしても良いのだ。

 

 

時に世の中の人は、あなたに対して様々な攻撃を仕掛けてくるだろう。

 

 

常識や固定観念を押し付けたり、

コントロールしようとしてきたり、

不平不満、怒りなどのマイナスエネルギーをぶつけてきたりもする。

 

 

しかし、ここでいちいち折れてしまったりようでは

まだまだあなたの城が築けていないのかもしれない。

 

 

しかし、外部からの攻撃を受けたことで、

あなた自身も様々なことを学び、

「城(人生)の設計図」そのものを変えることにもなるかもしれない。

 

 

敵を寄せ付けないために

武者返しを作ったり大砲を装備したりもするかもしれない。

 

 

↑下関市にて

 

そんな時は

 

「よし!今ならまだまだ作り直せるな!

前よりも強くてかっこよくて快適な城を作るぞー。」

 

 

などと思って、一度初心に帰って1からスタートしていけば良いだけ。

 

 

そう、「城(人生)の設計図」は

あなたが好きな時に、

好きなように書き換えて良いのだ。

 

 

どんな城にしたいかはあなたの自由である。

 

 

もちろん、素敵な人の生き方をマネをしたり

誰かに憧れたりするのは構わない。

 

 

しかし、その人はそもそもあなたと生まれ育った環境も違うわけだし

彼・彼女なりの努力があったからこそ

今のその人が実現しているわけだ。

 

 

あなたが全く同じようにはなれないのである。

 

 

「他の人と同じ城は作れない。

でも私には私にしか作れない、魅力的な城があるのだ。

 

 

それを理解した上で、

「あなただけの城」を築いていってみてはいかがだろうか。

 

 

↑中城城跡(沖縄)のデカいスケール感も好きだ。

 

 

ちなみに僕の城はどんなものかというと…

 

 

「明確な形がない。」

 

 

城を建てろだの設計図だの何だのこれだけ言っておいてだが(笑)

 

そもそも素材すらも決まっていない状態である。

 

 

当初は西洋よりかは日本の城が好きだから

木造が良いかなと思っていたけど

伝統的なものは飽きてしまう可能性もある。

 

それならばハイテクなものを組み合わせれば

現代風な城にはなるかもしれないが。

 

もしくは変形が自由自在なスライムでも良いだろうし

城としては前代未聞で面白いよな。

夜になると光るかもしれないし(笑)

 

最近は自然が好きだから

岩や木など自然のものだけでできた城も十分あり得るし

自然発生的に出来た城でも良いかもしれない。

与那国の遺跡みたいに海底に存在するのもアリかもね。

 

 

いや…もしかしたら…

「僕の城」は今後も永久に形が存在しない可能性だってあるわけである。

 

 

形としては永久に存在しないだろうけれど、

自分の中で確かに存在している城。

 

 

それこそが、

僕が現時点で目指しているというか、

自分の中で認識している「”理想の城”像」なのかもしれない。

 

 

 

こんな感じで

夏のビーチで砂の城を作る子供のように夢中になって

自由な発想で「お城作り」をしていくことで

人生をちょっと楽しくすることが出来る。

 

 

 

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具体的な設計図を絵に描いてみても良いしね。

 

 

ぜひあなただけのオリジナリティ溢れるお城をイメージしてみてね。

すべての出来事はあなたにとってベストなタイミングで訪れる

沖縄で一人暮らしをしている僕にとって、

別荘みたいな家がある。

 

 

それは、数年前に亡くなった僕の祖父母と叔父の家だ。

 

実家は栃木県なのだが、その祖父母の家は群馬県にある。

 

 

 

先日、後者…

つまり祖父母の家が売られることが決まったのだ。

 

 

どのような家かというと

2階建ての家で広い庭がある。

 

 

いわゆる庭付き一戸建てのマイホームってやつだ。

 

 

恵まれた自然に囲まれ、

子育てをしたり動物を飼ったり

植物を育てたりするなら絶好のロケーションである。

 

 

 

↑山にも近い。写真は近すぎるのでほどよい距離感を保ちたいところ。

 

 

実際に祖母は植物を育てていたし、

叔父も柴犬を飼っていた。

 

 

誰にでもフレンドリーで、非常に可愛く穏やかな性格の犬だったし

僕もその犬のことが大好きだった。

 

 

ちなみに僕は数日前、iPhoneに買い換えた。

 

 

 

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その際に、7年間所持していたガラケーを手放したのだが、

 

待受の画像は

ずーーーーーーーーーーーーーっとその犬だった。

 

 

 

↑実際待受だった画像。

ガラケーの画質で申し訳ない…)

 

 

 

単純に画像を変更するのが面倒くさいというのもあったが、

「犬は買い主に似る」という言葉どおり、

その犬も叔父や祖母の優しい人柄を反映したかのような犬だったので

見ているだけで癒やされたのだ。

 

 

 

子供の頃にはよく祖父母の家へ遊びに来て従兄弟たち(同年代)と遊んだものだ。

 

 

一度だけ、子供だけででかけことがあり、

バスに乗り間違えて迷ってしまったことがある。

 

 

その時は祖父が迎えに来てくれた。

 

 

祖父はドーナツをよく買ってきてくれた。

ス○バでもド○ールでもなく「レトロな喫茶店」が似合いそうな風貌で、

長身でかっこいいと子供ながらに憧れていた。

 

 

 

↑その影響か?僕もレトロなカフェや喫茶店が大好き。

 

 

 

実家や学校での出来事は、

正直思い出したくないこともたくさんあったのだが、

祖父母の家に関しては、こういう懐かしい出来事を思い出したら

楽しいことばかりが浮かんでくる。

 

 

僕にとって祖父母の家は

 

「実家でのつまらない日常から開放してくれる憧れの存在」

 

だったのだ。

 

 

 

 

しかし、そんな思い出に溢れた家を

売りに出すことが決まったわけである。

 

 

 

実は数年前から

 

「電車代もかかるし車の維持費も余計にかかるし

家族の誰も住むつもりがないんじゃ売るかもしれない。」

 

という話を親から聞いていた。

 

 

それがとうとう実行されることになったのである。

 

 

確かに僕も、「祖父母の家で暮らしてみたい」

と思ったことはある。

 

 

僕自身もその家へたまに来るだけなら良いのだけど、

住むにはあまりにも不便すぎると思っていたし、

自治会に入らなければいけなくなるのがネックだったので

実際に住むことはないだろうと思っていた。

 

 

前述したように、全く不便なわけでもないが、

一人暮らしするにはあまりにも辺鄙な場所だと刺激が少なすぎる

…というのが正直な印象だった。

 

 

田舎特有のご近所付き合いも面倒臭そうだし

僕は自分のペースでのんびり生きたいのだ。

 

自然を感じながらのんびり生きるなら田舎は良いよね。

 

 

もちろん、僕や兄弟が住むつもりであれば

その家をその人の名義で引き継がれせてもらえることになるのだが、

刺激が豊富で自然も豊富な沖縄での生活が楽しいので

他の土地に引っ越すのはあまり気が向かなかったのだった。

 

 

売りに出されるのなら、

親の資産なんだから親の好きにすれば良いと思っていたし。

 

 

寂しいとは思ったけど、強く反対することはなかった。

 

 

 

さて、実際、祖父母の家を売りに出すにあたって、

購入希望者を探すのはとある不動産屋さんに任せたそうだが、

 

内覧の際、特に母親に連絡もなく勝手に家の中に入ってカーテンなどを勝手にいじられるなど、

対応にはいろいろ不満があったらしい。

 

 

さらに、その買い手もいつの間にか決まってしまったという。

 

 

親は少々納得がいかない様子だったが、

もう決まったことだし、相手も買うつもりになっているし、

お金も必要なので…と

渋々了承する形になったそうだ。

 

 

僕もその話を聞き、

 

 

「あの家ももうなくなるのか…

いざとなると寂しいなぁ…。」

 

 

と思いながらも、

祖母の家で最後の正月を過ごそうと

飛行機のチケットを確保し、

「この日に帰る」ということを親に伝えた。

 

 

 

しかし、そのたった数日後…

 

 

「転機」は突然訪れた。

 

 

 

買主との契約日のほんの2、3日前のことだった。

 

 

「数年後、家からさほど遠くない所に道の駅が出来る」

 

という情報を親から得たのである。

 

 

 

僕は当初、祖父母の家を民泊として運営していきたいと思っていて、

数年かけて親を説得していたのだった。

 

 

 

 

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今回の件とは関係ないが、

上の写真のような群馬県内の道の駅にはいくつか訪れたことがあるので、

「近くに道の駅が出来たら毎日が楽しくなりそうだな」

と思い、さっそく新しい道の駅に関する情報を得ようとググってみたところ、

それらしき情報がヒットした。

 

 

思ったより大規模なプロジェクトだった。

 

 

僕は震えた。

 

 

そして…直感的にこう思った。

 

 

「もしこの道の駅が実現したら、

このエリアに多くの人が訪れるようになるはず。

 

 

将来発展していく可能性があるし、

土地の価格だって上がるはずだ。

 

 

家を売ってしまうのは勿体無い。

 

 

民泊や貸しスペースを運営すれば

きっと多くの人に利用してもらえるはずだ!」

 

 

そう思い、

家主であり、実際に不動産屋さんとやりとりをしている親に

契約を断れないだろうかと頼んだ。

 

 

親も本当は家を売りたくないので、

「買い手が決まり売ることになった」現実に関しては

ほぼあきらめモードになっていたのだが、

 

 

「どうしてもダメなのか?

ダメだったらあきらめるけど…」

と念を押してみた。

 

 

僕は人と交渉する上でも何かを実現する上でも

諦めが早いという欠点がある。

 

 

しかし、そんな僕に、様々な人から様々な教えを享受していただいたことで、

 

 

「人を動かすのはルールではなく、熱意や思い」

 

「他人ではなく、”自分がどうしたいのか”で行動する」

 

「最後まで諦めない」

 

という考えが自分の中に培われていたのだった。

 

 

※「他人」ではなく「自分」の気持ちを優先する考え方については

こちら↓を参考にしてみてね。

 

 

すると、「あんたが住んでくれるなら…」と親も喜んでくれて、

断る方向に話を進めてくれたのだった。

 

 

 

そして、その家は無事「売らない」という結果になったのである。

 

 

契約前だから違約金なども発生しないし

タイミングとしても非常にラッキーというか

ギリギリセーフだった。

 

 

 

今回、家を売らないきっかけとなった道の駅の情報自体は

数年前から存在したようだが、

「契約日の前」というギリギリのタイミングで得られたのには意味があると思う。

 

 

 

というのは、契約を断った後に、

相手の方が不動産会社を通して親と話したいと言ってきたようで、

実際に面談をしたそうだ。

 

 

その面談の中で、相手のご家族が

 

「2年くらい前から今まで100件ほど見てきた中で一番良い。」

 

「6歳の子供が気に入っている。」

 

と言ってくれたらしい。

 

 

以前の僕は、その家を「良いところだけど辺鄙で不便な場所」にあると思っていて、

他の人にとっても利用価値があるか微妙なところだと判断していた。

 

 

だから、仮にその家で民泊やゲストハウスなどをやりたいと思っていても、

うまくいくか自信がなかった。

 

 

 

ただ、僕もかつて、車じゃないと訪れることが難しい、

自然が豊富なロケーションの素敵な民宿を利用したことはあった。

なので、場所はあまり関係ないのかもしれないが。

 

 

 

しかし、その話を聞いた時、

そして、今回お断りしたご家族含め、

熱意のある購入希望者も何人かいたという話を聞き、

その家が人様から見ても非常に良いロケーションであることがわかったからだ。

 

 

また、親によると、祖父がこの家を購入する際には

「絶対、土地の価格が上がるから」と言われたらしい。

 

 

そのため、この祖父母の家を守ることで彼らが喜ぶ、

車さえ手放せばあと数年なら僕が帰るまでなんとか維持できるだろうと言ってくれた。

 

 

確かに、

「お金がない”から”、泣く泣く家を売る」

 

のではなく

 

「お金がない”こそ”、家を維持できるように工夫する」

 

という発想の転換は重要だよね。

 

 

前向きに物事を考えられるようになった親を見て

僕自身も大きく進歩した。

 

 

というわけで、

 

「数年後は祖父母の家に住んで民泊を運営する。」

 

 

これが僕にとっての目標となったのだった。

 

 

駅からは遠いから、車がないとアクセスが厳しいではあるものの、

かといって国道からさほど離れていないので

買い物や遊びにも問題なくいけるし、

場所や形態を選ばなければ就労先にも困らない。

 

 

ストレスフリーでやりたいことを実現するには絶好の場所だと思った。

 

 

ただ、今沖縄にいるのも理由があって

それは多少苦労してでもやりたいことが沢山あるからだ。

 

 

自分自身が今思い描いていること、

ぜんぶ一つ一つ実現していきたいと思うし、

仮に本土へ帰ることになったとしても、

またいつでも自分が沖縄に帰れるように

沖縄で強いネットワークを築いていきたい。

 

 

そのために、興味のあることにはどんどん挑戦したいし

人とのつながりを大切にしていきたいなと思う。

 

 

とりあえず、まずは行動だ。

 

 

民泊の手続きに関することは

実際にそのエリアで民泊を運営している知人の方に教えてもらい、

正月の仕事始めに役所へ訪れることに決めた。

そこでひとまず実際に民泊ができるのか、相談をしたいと思う。

 

 

家の写真をその知人の方に見せたら

「とても良い!」と絶賛してくれたから

需要はあるとは思うし、

それから先のことはこれから考えていけば良い。

 

 

期待に胸が高鳴る。

 

 

今回の経験は、

 

「すべての物事は自分にとってベストなタイミングでやってくる」

 

ということに気づくきっかけになった。

 

 

もし最初から売りに出さなければ

「購入希望者」という客観的な立場の人々から

意見を得られることもなかっただろうし

親類間だけの「素敵な家」で終わっていただろう。

 

 

それに、僕自身も何も考えずに祖父母の家へ引っ越しして、

沖縄での生活を終わらせてしまうということもしないで済んだ。

 

 

自分がやりたいことの夢や目標をある程度果たすまでは

出来るだけ沖縄には住み続けたいという思いがあるからだ。

 

 

親も購入希望者と話して、

気に入ってもらえたことに対しては「嬉しい」と言っていた。

 

 

このような出来事の数々が

今の自分が本当に必要としていることを

もたらしてくれるんだなって思った。

 

 

もし仮に家を売ってしまうことになったとしても、

それはそれで別の学びがあっただろうし。

その時に「自分がどう捉えるか」を考えれば良いだけだ。

 

 

良いことはもちろん、

一見悪いことや不都合なことも

すべての出来事に感謝できるようになるのが目標。

 

 

 

そして、すべての出来事の「内容」はもちろん、

「タイミング」も、

 

「この出来事は、自分にとって一番良いタイミングだからこそ今起こったんだ。」

 

 

…と、

自分に訪れるすべての物事を感謝して受け入れられるようにしたい。

 

人生はキャンバスではない。パレットだ。

Life is a great big canvas;
throw all the paint on it you can.
人生はとても大きなキャンバス(画布)だ。
可能な限りその上に有るだけの絵の具を投げかけなさい。

 

という名言がある。

 

人生は自分自身で描いていくもの、という意味だろうか。

 

 

僕も昔はこの言葉に共感していた。

 

 

しかし今は、逆だと思う。

 

 

むしろ、人生とは…

 

現在起きている事象に

自分がどう意味づけしていくかが重要になる。

 

そう考えるようになった。

 

そう考えると人生はキャンバスではなくて、

どちらかと言えば、パレットだと思う。

パレットは色を作る道具ね。

 

これは画用紙だが。
 

 

すべての物事は意味があるようでいて、意味が無い。

 

 

では、誰が意味づけしているのかというと、

他でもない、人間だ。

 

 

過去から現在において、

世の中の人が作った「価値感」だとか「伝統」だとか

そういうもので意味づけされている。

 

 

それなら、自分の好きなように色を塗ったってかまわないだろう。

自分で好きなように色を作って塗っていく、

 

 

つまりすでにある「意味あるもの」に自分で意味づけをしていくのだ。

 

 

大抵の人は幼少時代から大人まで完全に一人で生きてきたわけではないだろう。

 

 

むしろ、自分自身で人生をコントロールできた人なんて

ほとんどいないのではないか。

 

 

しかも、多くの場合は大人の影響で洗脳を受けているから、

さらに自分の行動を制限するようになる。

 

 

そうなると、自分自身で生み出せる色(意味)の数も限られてくる。

 

 

他にたくさんの種類の色があるのかもしれないのに、

緑しか知らなければ、緑を使うしか無いしな。

 

 

いや、もしかしたら本当は、

赤色は青色なのかもしれないし、

青色は赤色なのかもしれない…。

 

 

しかし、何も考えずに生きていると、

そんな可能性すら考える余地すら無くなる。

 

 

…まぁこれ以上言うとただの頭おかしい奴だから、ここまでにしておくけど。

 

 

ちなみに僕は最近、何かイラストなどを見た時に、

その人がどのような画風の絵を描くかというよりも、

 

その人がどのような配色をするのか

その人がどのような色づくりをするのか

 

他人の彩色や配色に関するセンスが気になってきたのである。

 

 

 

上のイラストは、

LGBTのビーチパーティを開催した時に配布したフライヤーのデザインだ。

 

 

これは僕が作ったもの。

 

 

これを見て、とある人が聞いてきたんだ。

 

 

「コリュって沖縄の人なの?」って。

 

 

いや、僕は本土出身の妖怪だけど?

 

 

どうやら、沖縄の人は原色というか、鮮やかな色を好む人が多いらしい。

その人は僕のこの色使いを見て、沖縄の人っぽいと判断したそうだ。

 

 

ちなみに、沖縄の子供達の絵を見ていると、

本土の子供達との色使いの差が顕著に現れると聞いたことがある。

 

 

僕は教育者じゃないからわからないけど、

本土出身の、もしくは本土での生活経験がある美術の先生だったら、

それに気づくこともあるのかな。

 

 

もしくは逆のパターン。

沖縄の人が本土の学校で教えている場合だと、

本土の子供達の色使いに驚くことがあるのかな。

 

 

僕はたまたま自分の色使いが沖縄の人寄りだったんだろう。

和物が好きだし、淡い色の日本色も好きなんだけどな。

自分の表現においては、わりとハッキリした色使いをする傾向になるらしい。

 

普段あまり自己主張しない性格だから、

コントラストを強めることで自分の内面を吐き出しているのかもしれないな。

 

 

いずれにせよ、その人の生まれ育った環境が

その人の感性に大きく影響することは間違いない。

 

 

他の人の絵を見ていると、

自分じゃできないような色使いに驚かされることがある。

 

 

逆に、自分が当たり前のように使っている色も、

他の国や地域の人から見ればとても珍しいんだろうな。

 

 

キャンバスに何を描くかよりも、

どのように色付けをしていくか。

どのような色を作るか。

 

未完の絵に、皆が予想もできない配色で

独自の色で色を付けられたら…

自分にしか描けない人生と価値観が生まれるのだろう。

 

 

そして、「人生はパレットだ」と言ったところで、

星空でもあると思うんだ。

 

 

一つ一つの星…点と点を繋げて大きな線にしていく。

 

 

その線自体には大きな意味はないのかもしれないが、

自分で「星座」を作っていくなら、その線は重要な要素になり得る。

 

 

…偉そうなこと言ってるけど、

結局これら全て僕自身が作った「意味付け」だしね。

 

 

それに共感するのかしないのかも

逆にあなた自身がどう捉えるのかも

全てはあなた自身の「色」にかかっているのかもしれない。

 

 

 

最終的には皆が「これは青だ!」と言うのを

「いや、赤だ!」と言い張るような、

 

 

そんな人間を目指してみるのも良いんじゃないかな?

 

 

少なくとも僕は、そんな妖怪になりたい。

自分を形成するものは 全て積み木の欠片である

このところ、発信を続けてきてよかった、と思うようになった
意外な方からの反応を頂けるようになったのだ。

 

僕がブログで発信を始めたのは、2013年頃。

 

2012年にはTwitterも始めていた。

 

それまでは興味のある人の発信をROMっているだけだったし、

 

「ブログを持つ意味ってあんの?」

 

「芸能人とか見知らぬ他人のブログなんか読んで何が楽しいの?」

 

「Twitterで他人のどうでも良い呟きを見る意味がわからない。」

 

 

などと随分と斜に構えていた。

 

 

しかし、大学3年の時に、

京都でお会いした方から紹介頂いた起業家さんのメルマガを読むようになってから、

発信の重要さに気づいて、自分で媒体を持つようになったのだ。

 

 

それまではmixiを使ってたことはあった。

そこでもくだらないこと書いてたけど。

 

 

ブログを始めたは良いものの、初めのうちは手応えが感じられなかった。

 

こんな暗い人間のブログなんて誰も見ないだろうと思ってたから、

暴言に近い内容も書いてたことあったし。

 

 

今となっては「何言ってんだお前」ってぶっ飛ばしたくなるくらいだが。

 

だから消したんだけど(笑)

 

 

最近では、今のブログではないけど、

前のブログで僕にわざわざコンタクトを取って頂いた方もいて、

現在は友人となっている。

 

 

その友人たちと、新しいことをしようという話も出ていて、

これからの動向が楽しみでもある。

 

僕は基本的にブログを作っては消し作っては消しの繰り返しで、

このブログは恐らく4つ目くらいにはなる。

 

 

自分のスタイルを迷走してたから、

しっくりくるやり方を見つけるのにも時間がかかったし。

 

 

今では名前まで変えている。

 

 

例えば進学や引越し後に人間関係がリセットされるから、

その場所土地ではキャラも変わるという人もいるかと思う。

 

 

僕はそういうことはないかな。

(とはいえ、大学の初めの時期は無理して明るいキャラ振る舞ってたのは事実w)

 

 

扱う内容が多少変わっただけであって、

芯の部分では、今までと変わらない。

 

 

さらに、自分が思うように動けずについつい周りの目を気にしてたのも、

過去に様々な弊害を受けていたからなのだなと思った。

 

 

おもったより長く辛い失業期間かつ就活期間を経験したことで、

「自分はこういう人間なんです。」と言えるようになった。

 

 

過去は過去、今は今だ。

 

 

これから有益になることをしていけば良い。

 

 

それで離れる人々がいたら仕方がないし、

新しく来てくれる人々がいたら迎えてあげれば良いだけだ。

 

 

一つ一つの記事は大した内容じゃなくても、

積み上げていくことで大きな財産になる。

 

 

インターネットはそれの繰り返しだ。

 

 

急に一攫千金になるなんて絶対にありえない。

権利収入を得たくても、準備すること、積み上げていくことが必要だ。

 

 

うまく行かなかったこともあるが、自分のやり方にも問題があったし、

他人に相談できない、自己主張できないという最大の壁があったのが問題だった。

 

 

今はガンガン人にお願いできるようになった。

 

 

以前と比べれば、ね。

 

それでもまだまだ躊躇してしまうけれど、

 

遠慮がなくなったのは男性ホルモンの影響もあるかもわからない。

 

 

自分が思っているほど、他人は迷惑に思っていないのだと

常に思い聞かせているからだろう。

 

 

 

本を読んだり、言葉を書いたり、

 

 

新しいことに挑戦してみたり。

 

 

常にそれの繰り返し。

 

 

そうやって自分自身が出来上がっていく。

 

 

人間は「経験の積み木」で出来上がっている。

 

 

作っては崩し。作っては崩し。

 

 

でもそれを作り上げる「欠片」自体が変わるわけじゃない。

 

 

積み上げ方を変えるだけだ。

 

 

それは皆同じだ。

 

 

今のあなた自身は、

あなた自身の「財産」であって、

無駄でもなんでもない。

 

 

1つでも「欠片」をなくしてしまったら、

今の自分自身を、自分の望むように積み上げられなくなるだろう。

 

 

 

あなたはあなたのままで良い。

 

今の自分を大切にしよう。