「誕生日」という日について本気で考えてみた

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)でございます。

 

 

昨日、4月18日は僕の誕生日だった。

 

 

 

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誕生日を迎える前日までは一週間ほど、

所用で本土に行って実家でぬくぬくと過ごしていた。

 

 

その際に、東京でとある方のコミュニティの集まりがあったので

そちらにも参加してきた。

↑会場は広尾にある素敵なお店。

 

↑料理も最高に美味しかった!!

 

 

そこでの懇親会では初めてお会いする方が多かったのだが、

皆さんとても優しい方ばかりで

超人見知りな僕でもすぐに馴染んだのである。

 

 

すると、4月生まれであるコミュニティの主様の誕生日を祝う流れになり

僕も同じ4月生まれとして一緒に皆から祝ってもらい

とても幸せな気持ちになった。

 

 

僕としては、祝ってもらうことはもちろん、

自分と近い誕生日の人がいたことが

非常に嬉しかった。

 

 

ちなみに誕生日当日、那覇のケーキ屋さんでケーキを買った時も、

見知らぬ人が友人の誕生日ケーキを買いに来てたようで

「この世界には自分と同じ(近い)誕生日の人がいるんだな」

と思ったら、人知れず仲間を見つけたような気分になったものだ。

 

 

実際、その日も世界の何処かで新たな命が生まれていたかもしれないし、

逆に失われた命もあるかと思うが、

それはそれで輪廻というか、

いろんなものが巡り巡って回っているのだろうと思う。

 

 

 

 

また、誕生日の前日のフライトで

羽だから沖縄に戻ってきたわけだが…

 

 

 

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↑相変わらず好き勝手過ごしている(笑)

 

 

飛行機の中で、

自分の誕生日と平成最後のフライトを浮かれて祝っていたときに

 

「誕生日ってなんだろう」

 

って思うようになった。

 

 

さて、

「誕生日」は何かと言うと

他でもない、自分がこの世に生を受けた日である。

 

 

人によっては役所に届け出た日と

実際の誕生日が違う人もいるようだが

僕は恐らく同じだろう。

 

 

また、誕生日というのはすごく不思議な日で、

動物占いや数秘術、星座占いなど

強制的に占いの結果が決まってしまうのだから

すごく神秘的で、ある意味理不尽でもある。

(例えば…「あなたは牡羊座だから、こういう傾向があるよね」

などと占いによって決めつけられやすい。)

 

 

それは、誕生日というのが

「生まれて初めてこの世の光を浴びた日」だったり

「生まれて初めてこの世の空気に触れた日」だったり

色々な意味合いがあるからこそ

スピリチュアルな面も強くなるのだろうけど、

この辺はあまり詳しくないので、今回はあまり踏み込まない。

 

ただ、僕自身、スピリチュアルなことや

数秘術やマヤ暦などには興味津々なので、これから学んでいこうと思う。

 

 

 

それ以外の一般的な「誕生日」の認識としては、

 

「誕生日を皆から祝ってもらう」のが主流である。

 

 

 

かつては僕もそう思っていたし、

ついつい周囲から祝ってもらうのを

期待している自分がいる…

それもまた事実だった。

 

 

元々歳の離れた末っ子で、

欲しいものはほぼ与えてもらっていたからか、

それがなんとなく当たり前のように感じてしまっていたんだろうね。

 

 

そう考えると、本当は自分自身は豊かで満たされているのに

いつもどこか満たされない気持ちを抱えていたのだ。

昔から悩んでいた人間関係や性別不一致の問題も原因だったとは思うが。

 

 

しかし、こういった不満足になりやすい人々を始め、

「自分を特別と思うが故の他者への期待」

誰しもがあるはずだ。

 

 

相手が「わかってくれる」「察してくれる」と思い

自分自身の意思や要望を伝えない割に、

他者へ過剰な期待を抱いてしまうのだ。

 

特に日本人はこの傾向が強いと言われる。

 

 

しかし…

 

自分が心地よいと思う条件や環境、

大切にしている価値観というのは、人それぞれである。

 

それは予め伝えておかないと、

他者との健全な付き合い方が出来なくなる可能性があるのだ。

 

 

他者へ期待をする前に、

あなたがあなた自身を満足させられるように

「自分が最も快適に過ごせるにはどうすればよいか」を

常に考えて実行できるようにすることが肝心である。

 

 

 

つまり、これを誕生日として考えると、

 

「私は今日誕生日なんです!祝って下さーい!」

 

と言うことで、周囲の人が気持ちよくお祝いできる環境が出来上がるのだ。

 

 

僕も先日の懇親会で、それを実行することができた。

 

 

昔の僕なら遠慮してしまった可能性があるのだが、

ちょっとした勇気を振り絞ったおかげで

自分も含め、皆がハッピーになれたわけだし、

自己主張ができて本当に良かったと思う。

(酒の力もあったけど笑)

 

↑誕生日ケーキは別に用意されてあったけど、

コースの中で提供されたスイーツも美味だった。

 

 

↓このような「自分が快適に過ごせる考え方」については

以下の記事も参考にしてみてね。

 

 

 

一方で、

「他者の期待に応えようとした結果、生まれる悲劇」

というのも存在する。

 

 

例えば、お互いの絆が強い大所帯のコミュニティや

パリピの方々の間では

「大切な仲間」のためにお誕生日パーティを頻繁に開くことで

自分も含めた「大切な仲間」たちが金欠になりがち

…という深刻な事実もあるようだ。

 

 

さらに、普段から他者への気配りや思いやりを欠かせない人にとっては、

「自分が他の誰かを祝ってあげたのに、他の人からは祝ってもらえない」

…といった自体があったときに

不満を抱える人もいることだろう。

 

 

僕自身、一時期は自分が好かれるための義務感として人付き合いをしていたし

それ故自己犠牲的になり、不満を抱える傾向があったようにも思う。

 

 

だから、そういう付き合いで被害者意識を抱くようになったり

人間関係がギクシャクしたりするくらいなら

誕生日なんて別に祝ってもらわなくても良いかな?

と思うようにもなった。

 

 

基本的に誕生日当日は一人で過ごすことが多いので

それはそれで楽しいではあるのだが、

それでも、誰からも祝ってもらえないときは

ちょっと寂しい気持ちにもなったものだ。

(↑とことん面倒くさい奴)

 

 

 

 

しかし、ある日僕は疑問に思ったのだ。

 

 

 

「一体俺は誰のおかげでこの世に生まれてきたんだ?」

 

と。

 

 

「自分が生を受けたのは、紛れもなく、両親のおかげだ。」

 

 

「そして、ここまで生きてこれたのは

家族も含め、今まで支えてくれた周囲の人達のおかげだ。」

 

 

などと考えるようになったのだ。

 

 

そう、

 

 

誕生日は、自分が生まれてきたこと、

自分がこれまで関わってきた全ての人に

感謝する日なのである。

 

 

この考えに至ったおかげか、

今年は当日は休みをとってたということもあり、

今までの誕生日よりも穏やかに過ごせたような気がする。

 

 

いや、これまでの誕生日もほとんどが素晴らしいものだったのだが、

一度だけ、北海道のとあるゲストハウスに泊まったときに

理由はよくわからないが、オーナーさんから

塩対応(?)をされてしまったことがある。

 

彼は僕が誕生日だということを知らなかったようなので

仕方ないと言えば仕方ないのだが、

今では僕自身も学ぶことが多かった、貴重な経験だと思っている。

 

それは恐らく、彼自身も他者へ過剰な期待をしてしまい

彼自身が傷つくことや、他者を恐れているところがあったからだと思う。

 

宿のトイレに禁止事項というか、

過去の迷惑ゲストへの不満が書いてあったのだが

その内容がなんだか挑発的だったのだ。

あれではお客さんを不快に思わせるだけだろう。

 

↑その宿のチェックアウト後、支笏湖に立ち寄ったのだが

なんだか物悲しい気持ちにもなっていた。

 

 

しかし、実際に自分が民泊のホストだった時に

その時の経験が何度も頭をよぎったのだ。

 

「ゲスト(お客さん)を恐れるあまり、自分もあの時のオーナーと

似たようなことをしてしまっていはいないか?」と。

 

そして、色々と考えた結果、

 

「相手や自分にとって心地よい空間を作るのは、自分の心次第」

「自分が恐れていると、少なからず相手に伝わる」

 

という結論に行き着き、

「お互いに不快に思わずにサービスを提供するにはどうすれば良いか」

それを考える良いきっかけにもなったのだ。

 

 

 

その後は様々な経験を経て、

今の僕は「自分はこういうものだ」と開き直れるようになったし、

ネット上の発信もストレスなく出来るようになった。

 

さらに、「他者の問題は他者の問題」

と割り切れるようになったことで、

他者を必要以上に恐れなくなった。

 

口論はあまり得意じゃないから争いごとは極力避けたいけど、

すれ違う他人にイライラすることは激減したと思う。

 

 

その代わり、手に入れたのは

「全ての人に対する愛情」である。

 

 

見知らぬ他人や遠くの知人がSNS上で幸せにしていると

嫉妬心に駆られず、焦りを感じることもなく、

ただただ「良かったね」とほっこりした気分になれるのだ。

 

 

以前は人間嫌いの部分もあり、

どこか斜に構えていたところがあったものだが、

「全ての人の幸せを願うことが、自分の幸福度を高める」

と思うようになった。

 

 

ただ、自分が嫌いな人に対しても感謝し、愛おしく思うのは

正直、まだちょっと抵抗がある。

 

その場合は、無理にその人のことを考えなくても良いとは思う。

 

でも、その人がいたおかげで反骨精神を覚えた結果、

今の自分があるのなら

むしろ一番に感謝しなきゃいけない存在なのかもな。

 

 

そのような人々にも

いつか心から「ありがとう」と思えるようになれば良いね。

 

 

 

さて、幸運なことに元号が変わる直前、

平成最後の2019年4月に誕生日を迎えることができた。

 

 

これまでのことをまとめると…

今年の誕生日からは以下のことを学んだ。

 

「自分が幸せになるための要望を伝えることで

周囲の人も幸せになれる」

 

「祝ってもらった事実に対してだけではなく、

周囲の人に感謝の気持ちを伝える」

 

「すべての人々に愛を与える」

 

 

与えられる何かを依存的に待っているのではなく、

 

 

自分自身が常に「与える」「返す」精神を持ちながら

自分自身を幸せにしていくことが大切なのだと思った。

 

 

 

僕も、実際に親にメールで

「生んでくれてありがとう」

と送ったのだ。

 

 

ちょっと照れくさかったけど、その一言が全てだ。

 

後悔しないように、言いたいことは言えるときに言っておこう。

 

 

そう思いながら、美しい桜のように儚いこの命を

しみじみと感じたのだった。

 

 

「黒歴史」は過去のものじゃない まさに現在進行系である

思い出したくない過去

 

人目に晒されたくない過去

 

永遠に葬り去りたい過去

 

 

それらは誰にだって存在する。

 

 

それを一般的に「黒歴史」というのだろう。

 

 

 

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まるで黒猫を愛でるように「他人の黒歴史は好き」という人はいても、

「自分の黒歴史」が好きな人はあまりいないだろうね。

 

 

 

さて、今回はこの「黒歴史」について

僕自身の見解を吐き散らかしてみることにする。

 

 

まず、

 

 

「歴史」は「歴史」でも

「黒歴史」は、「過去」のものじゃない。

 

 

…と僕は思う。

 

「黒歴史」というのは、

現在進行系、未来形で作られていくものなのだ。

 

 

つまり、人間の歴史というものは

過去から未来まで全て黒いのである。

 

真っ黒なのである。

 

 

 

英語のように表現すると

 

過去形:I 黒ed.

現在形:I am 黒ing.

未来形:I will 黒.

 

というような感じで、常に黒いのである。

(※↑そんな単語は存在しません。)

 

 

 

そして、これらの「黒」というのは

厨ニっぽく言ってみれば、「闇属性」なのである。

 

 

触れたものを全て飲みこんでしまうかのようなブラックホールのように

人々にも、自分にも大きな衝撃を与える可能性があるものなのである。

 

 

 

もうさっきまでの自分の言動や創ったものが、

下手すら数秒後にはめちゃくちゃ恥ずかしくなる瞬間が訪れる可能性すらある。

 

 

 

それくらい大きな破壊力があるのだ。

 

 

 

しかし、なぜこのように、

人は自分を恥ずかしいと思うようになるのかというと、

 

人間というのは常に成長している生き物だからである。

 

自分がより幸せに生きるためには、今の自分に満足したままではいけないのだ。

 

 

 

例えば、創作をする人であればわかっていただけるかと思うが、

過去に自分自身が描いた絵や漫画というのは

もう見たくもないくらい恥ずかしいことだろう。

 

 

他にもブログなどの発信を行っている人は、

過去に書いた記事などを無性に消し去りたくなる時もあることだろう。

 

 

僕も小学校の時に描いた漫画なんてとっくの昔に捨てたわ。

恐らく身内の誰かがそれを晒そうものなら

一生恨んでやる可能性だってあるわけだが(笑)

 

その気持ちは、誰でも確実にわかるだろう!!!!

理由は後述する。

 

 

その他にも、全然社交的じゃない根暗なのに無理をしてパリピぶって

パーティや飲み会に参加しまくったりして

無理をして違う自分を演じていた時期がある人もいることだろう。

 

 

胡散臭いカリスマの存在するMLM(マルチ商法)や宗教にハマってしまったり

上の人の言うことを真に受けて自分自身も自由になれると思いこんで

多額のお金を失ってしまった人もいることだろう。

 

 

他体育会系色が強いコミュニティやブラック企業などで

ルールや上下関係にやたら厳しいことを当たり前に思っていて、

パワハラなど人に嫌なことを強制したり、嫌な人の元で違和感を覚えたりながらも、

一生懸命人に貢献したり、働いていたりした時期がある人もいることだろう。

 

 

もう思い出しただけで穴に入りたいというか、

一生この「思い出」が掘り返さないように穴に埋めたくなる気持ちになるよね。

 

埋葬じゃ飽き足らないから

火葬してチリほども無くしてしまいたい気持ちにもなるだろう。

 

 

 

しかし…

 

 

大丈夫だ!!!!

 

 

上に書いたような一連の「黒歴史」は

僕にだって当てはまることだから!!!!

 

 

「黒歴史」は受け入れられないから辛いのであって

認めてしまえば何も怖くなくなるのだ。

 

 

では、「黒歴史」を受け入れるために

「黒歴史」とどのように付き合っていけばよいのか…

 

 

 

これは…もうね…

 

 

「黒歴史が生まれるのは仕方ない」って割り切るしか無いのだ!!!!

 

 

 

 

「何もせずにほったらかしで〇〇万円!!」

 

というネット上の広告は見たことはあるかもしれないけれど…

 

黒歴史こそが本当の意味で、

 

「何もせずにほったらかしで増殖する」ものなのである。

 

もはや増えていくものを止めることなんて、誰にもできないんだよね…。

 

 

 

でも、それを嘆く必要なんて無い。

 

 

 

「自分にはお金はないかもしれないけれど、

黒は生み出すことが出来る。

 

…というか黒しか生まれないのなら、

いっそのこと真っ黒に塗りつぶしてやる!!!!」

 

 

そんな風に吹っ切れる事ができたら

何も怖くないのでは?と思うんだ。

 

 

 

 

しかし…僕もそうだけど、

皆、どうして黒歴史が嫌なのだろうか?

 

 

それは…

 

自分自身の浅はかさ、未熟さ、軽率さを実感してしまうからなんだよね。

 

 

でも過去はもう変えられないことだし、

やってしまったことを責めたって仕方がないのだ。

 

 

むしろ、

 

「この黒歴史があったおかげで、今の自分があるんだ。」

 

と過去の自分に感謝することで

今の自分を丸ごと愛することが出来るのだ。

 

 

そう考えたら、「黒歴史」もなんだか愛おしく感じられないだろうか?

 

 

少なくとも

自分には手におえないくらい「巨大なブラックホール」だったものが

「真っ黒くてちっさくてモソモソ動く(?)マリモ」

くらいには感じられるようになるかと思う。

 

 

「コイツぅ☆なんだか可愛いゾ☆」

といった感じで、思わず突っつきたくもなるだろう。

 

 

しかし、一方で、

他人から笑われたり、色々言われたり、軽蔑されたりする可能性を考えて、

皆、自分自身の黒歴史を何としても隠したがるんだよね。

 

 

もちろん、言いたくないことは言わなくてよいし、

人に知られたくないことは隠してしまって構わない。

 

 

ただ、「人がどう思うか」という懸念に関しては

それは「他人の領域」なのだから、あなたにはどうしようもないことである。

 

 

 

僕も今この記事を書いているだけで

 

おそらく後々から

 

「ヒョエーーーーーーーーーー

 

ナニコレハズカシーーーーーィ//////

 

穴ガアッタラ土ヲカケテ埋メターーーーーィ//////

 

 

…と、自分で書いた記事を消したくなることは確実にあり得るだろう。

 

 

(↑※ちなみにどうでも良いことだが、

「穴を埋めるだけ」なら、穴がそこからなくなるだけである。

何もその中に隠しはしない。

つまり、特に意味はない行動である(笑)。)

 

 

僕もかつては自分のドメインではなく、無料ブログをやっていたのだが、

その時のブログもとい記事は全て消してしまっている。

 

 

当時は「消す」という作業が断捨離となり、

自分をリセットさせるものとして大切だと思っていたのだが、

 

 

今後は、例え読んでいて恥ずかしく感じるような記事が出てきても

一切消すことはないだろう。

 

 

そのかわり、修正はするかもしれないが。

 

 

というのは、自分が「これはダメだ」「駄作だ」と思っているようなものでも

案外、他の人にとってはそうでもないケースもあるからである。

 

 

受け取り方は人それぞれなわけだし、

僕の黒歴史に触れて「元気が出た」という人が少なからずいるのであれば、

「それは絶対に残しておくべきだろう」と思うようになったのだ。

 

 

もしかしたら「明日死のう」と絶望の淵に立たされていた人を

「明日も生きよう」という夢と希望とワクワクに満ち溢れた人へと変える…

そんなことだってできる可能性だってあるわけだ。

 

 

もし、そうなったら黒歴史は「黒」じゃなくなる。

 

 

本来「黒」という色はとても強い色なのだ。

 

 

 

 

絵の具を使ったことがある人ならわかるかもしれないが、

黒に他の色を混ぜても他の色を殺してしまいかねないし、

少しでも黒が混ざれば明るい色へ変えることが難しくなる。

 

 

つまり、作品を作る上では、

非常に気をつけて扱わないといけない色なのだ。

 

 

 

 

ところが…

 

 

なかなか消すことのできない、受け入れがたい自分の中の「黒」を

「それでも良いよ」と受け入れてくれる人が現れる…

 

 

そうなると、

全ての「黒」をまっさらな「白」に変えてしまう、

奇跡のような現象さえ生み出してしまうのかもしれない。

 

 

そう思ったら、

「黒」しか生み出せないような自分でも

 

例え自分の歩いた道が全て「黒」に染まるばかりで、

その「黒」によってこれからも他の誰かに迷惑をかける可能性があったとしても

 

 

「むしろそれで良いんじゃない?」

 

 

と思えることだろう。

 

 

 

僕だってあなただって

 

「自分自身が思っているほど、他の人は何とも思ってないわけである。」

 

 

それが事実ならば(…というか、事実だけど)、

もう考えるだけ無駄というか、

 

 

「人に迷惑をかけないように」と自分の行動を制限させてしまったり、

人の顔色を伺ったり、

失敗をすることに過剰な恐怖を抱いたり、

 

…こういった「あなた自身が息苦しくなる行動」を

しなくて済むようになる。

 

 

「自分はこう生きたい!

自分の生き方をどう思うのかは完全に相手任せだ。」

 

 

…と思いながら、「自分の領域」と「他人の領域」を割り切ることで、

自分の要求や気持ちに素直になれるかと思う。

 

 

相手の問題と自分の問題を切り分ける方法についてはこちら↓

 

自分の機嫌を取る方法についてはこちら↓を参考にしてね。

 

 

 

まとめると…

 

「人生はまさに 現在進行系の暗黒世界」

 

 

 

 

これこそ黒歴史確定の厨ニワードになってしまったが(笑)

 

 

誰も彼も生きていれば当然、

ブラックな部分があるわけだし

ブラックな部分に人間的な魅力を感じることもあるわけだ。

 

 

「黒くなるのは仕方がない」

「黒い自分を愛したい」

「黒いあなたのことも受け入れたい」

 

 

自分自身にしろ相手にしろ

「黒だからダメ」なんじゃなくて

消し去りたりたい、隠したくなるような部分も丸ごと認めて愛することで、

虹色に輝く人間の多様性を、しっかり噛み締めて味わえるのではないか?

 

 

そう考えたら、僕の場合、自分自身の嫌な部分も、

あまり嫌だと思わなくなった。

 

 

「そうか〜あの時はこうしたかったんだね。」

「自分を認めてほしかったんだね。」

「ナメられるのが本当に嫌だったんだね。」

「でも不器用だから、うまく自分を表現できなかったんだよね。」

「大丈夫だよ。俺は全部わかってるから。」

 

 

そうやって過去の自分を受け入れてあげることで、

まるで我が子のようにギューーーーってハグしたくなるくらい

自分自身を愛せるようになったのだ。

 

同様に、他人に対しても寛容になれた。

 

 

最近では「リア充」というか

キラキラした発信が流行っているわけだし

それを否定しようとは思わない。

 

 

しかし、

 

「自分の中にある”黒”は決して悪いものじゃない。

むしろ自分の学びを皆に教えて、役に立ってもらおう。

自分の恥ずかしい過去を面白おかしく笑い飛ばそう。」

 

 

一見すると人様に見せるのも躊躇してしまうようなことでも、

あるがままのあなたを表現することで

より魅力的なあなたに人が集まってくることだろう。

 

 

また、人に共有して肯定的な意見をもらうことで、

「黒歴史を作り出しているあなた自身」を

過剰に怖がることもなくなるはずだ。

 

 

黒歴史を生み出すことを恐れず、

あなた自身の人生と向き合えたら

黒だけじゃない、あなたにしか生み出せない色が見つけられて

まだ目にしたことのない、新たな世界が開かれることだろう。

 

 

 

 

「レッツメイキング黒歴史。」

人生は城づくり〜あなただけの「心の城」を築く方法〜

僕はこれまでに「人生」を様々なものに例えてきた。

 

 

具体的には、星空、パレット、監督、宝探し…などなど。

「劇場」に例えていた時期もあった。

 

 

 

 

 

 

このように、

これまでに「自分の人生」をより良く、自分らしく楽しく生きるために

様々な思考を巡らせてきたわけだが…

 

 

今の僕は、「人生とは城作りだ。」と考えている。

 

 

↑天空の城(ドラゴンクエスト)

 

 

さらに言えば、

 

「人生とは城作りだ。

それは他の人には決して作ることはできず、

自分だからこそ作れる城である。

 

自分だけの心地よい空間があって、

揺るぎない掟(信条、哲学など)があり、

自分の好きな人しか入ることができない、

自分が揺るぎない一国の主となる…

 

失敗したならば建て直し、

傷ついたならば修復し、

攻めらたならば守りを固め、

挑戦をするならば攻めとなる武器を強化すればよい。

 

自分自身の一生をかけて”世界に唯一つしかない城”を築いていく

決して完成することのないサグラダ・ファミリアのような存在。

 

それが私が目指す”人生の城”である。」

 

 

 

思いの外長くなったけど(笑)

これこそが、僕が理想としている「人生=城作り」論である。

 

 

 

まず、この考えに至ったきっかけとして

僕の動物占いが関係している。

 

 

動物占いだと僕は「猿」に該当する。

 

 

以下のサイトを参考にしてもらえればわかるが、

動物占いは大きく分けて「月・地球・太陽」という3つのグループが存在する。

 

 

言い換えると、これらはそれぞれ「人・城・大物」グループとなり、

各グループごとに大きな特徴がある。

 

 

つまり、僕の動物である「猿」は地球グループなので

城グループとなるのだ。

 

 

動物占いのサイトはこちら↓

 

 

また、地球グループ(城思考)の特徴について

詳しい説明が載っているサイトを見つけた。↓

 

こちらの文章を読んで「まさしく俺じゃん!」と思ったものだ(笑)。

 

 

 

その他、月(人思考)について↓

 

太陽(大物思考)について↓

 

 

※ちなみに自分自身としてはマイペースな変人なの自覚していて

他の人から敬遠されがちな個性の強い変人さんすらも好む傾向もあるから

性格的にも「狼」が一番近いと思っていたのだが

5アニマルにさえも存在しないのはすごく不思議なのである。

同じ地球である虎とコアラはあるのに…。

 


より詳しく自分を分析できる「5アニマル」に関する本↑

 

 

ただ、占いというのは「自分の声質としてこういう傾向がある」というものなので

あまり過信しすぎるのも問題だけど、

参考にすることで生き辛さの原因がなんとなくわかるよねーって話。

 

 

話が逸れたが…

 

 

例えきっかけが「動物占い」という万人にとっつきやすい占いだったとしても、

僕はこの「城」という表現が自分の中ですごくしっくり来たのだ。

 

 

 

「自分はどんな人生を送りたいのか?」

 

「何のために、誰のために生きているのか?」

 

「なんだかよくわからない世の中の”常識”や”ルール”に縛られたいと思うか?」

 

「他の人と全く同じ人生を自分も生きたいと思うのか?」

 

「辛かった精神状態や依存的な状況からようやく脱却して

今自分なりに楽しい人生を送ろうとしているのは何故なのか?」

 

 

こういったことを自問自答していくうちに

 

 

「自分にしか築けない城の一国一城の主でありたい。」

と考えるようになったのだ。

 

 

そして、この考え方はあなたにとっても役に立つと思う。

 

 

あなたが動物占いで城思考かどうかは関係ない。

どのグループに入ろうとも、

 

あなたにしか生きられない人生を生きるためには

あなただけにしか築けない城を設計して、

どんな環境でも揺るぎない強固な城を築き上げる必要がある

 

…と僕は考える。

 

 

でないと、芯の部分がぶれてしまい

あなた自身がどうなりたいか、

どう生きたいかが明確にならないからだ。

 

一生、誰かの意見や感情、情報に左右されることになるだろう。

 

 

以上の理由により、全ての人が自分らしく生きるためにも

「人生は城作り」を強く勧めていきたい。

 

 

 

いかにしてあなたが「心地よい」と感じる城を作れるかが

人生において大切なことなのではないだろうか。

 

 

 

実際の城は建造物なので、

災害や戦争などで壊れてしまうこともあるかもしれない。

心無い来訪者にいたずらや落書きなどをされてしまうかもしれない。

 

 

↑復旧工事中の熊本城。完成したらまたお目にかかりたい。

 

 

それはそれで考えさせるものがあるのだが…

 

一方で、「あなたの城」というのは実際に存在するものではなく、

「あなたの心の中にある城」なのだ。

 

 

「核となる部分」と言ったほうが正しいかもしれない。

 

 

震災が起ころうが革命が起きようがトラブルが起きようが

揺るぎない「あなた自身」を保つことが出来るもの…

それがあなたの城である。

 

 

まずは、信念となる土台さえしっかりとできていれば、

誰にも邪魔されないあなただけの城が出来上がる。

 

 

あとはあなた好みにどうアレンジしても良いのだ。

 

 

時に世の中の人は、あなたに対して様々な攻撃を仕掛けてくるだろう。

 

 

常識や固定観念を押し付けたり、

コントロールしようとしてきたり、

不平不満、怒りなどのマイナスエネルギーをぶつけてきたりもする。

 

 

しかし、ここでいちいち折れてしまったりようでは

まだまだあなたの城が築けていないのかもしれない。

 

 

しかし、外部からの攻撃を受けたことで、

あなた自身も様々なことを学び、

「城(人生)の設計図」そのものを変えることにもなるかもしれない。

 

 

敵を寄せ付けないために

武者返しを作ったり大砲を装備したりもするかもしれない。

 

 

↑下関市にて

 

そんな時は

 

「よし!今ならまだまだ作り直せるな!

前よりも強くてかっこよくて快適な城を作るぞー。」

 

 

などと思って、一度初心に帰って1からスタートしていけば良いだけ。

 

 

そう、「城(人生)の設計図」は

あなたが好きな時に、

好きなように書き換えて良いのだ。

 

 

どんな城にしたいかはあなたの自由である。

 

 

もちろん、素敵な人の生き方をマネをしたり

誰かに憧れたりするのは構わない。

 

 

しかし、その人はそもそもあなたと生まれ育った環境も違うわけだし

彼・彼女なりの努力があったからこそ

今のその人が実現しているわけだ。

 

 

あなたが全く同じようにはなれないのである。

 

 

「他の人と同じ城は作れない。

でも私には私にしか作れない、魅力的な城があるのだ。

 

 

それを理解した上で、

「あなただけの城」を築いていってみてはいかがだろうか。

 

 

↑中城城跡(沖縄)のデカいスケール感も好きだ。

 

 

ちなみに僕の城はどんなものかというと…

 

 

「明確な形がない。」

 

 

城を建てろだの設計図だの何だのこれだけ言っておいてだが(笑)

 

そもそも素材すらも決まっていない状態である。

 

 

当初は西洋よりかは日本の城が好きだから

木造が良いかなと思っていたけど

伝統的なものは飽きてしまう可能性もある。

 

それならばハイテクなものを組み合わせれば

現代風な城にはなるかもしれないが。

 

もしくは変形が自由自在なスライムでも良いだろうし

城としては前代未聞で面白いよな。

夜になると光るかもしれないし(笑)

 

最近は自然が好きだから

岩や木など自然のものだけでできた城も十分あり得るし

自然発生的に出来た城でも良いかもしれない。

与那国の遺跡みたいに海底に存在するのもアリかもね。

 

 

いや…もしかしたら…

「僕の城」は今後も永久に形が存在しない可能性だってあるわけである。

 

 

形としては永久に存在しないだろうけれど、

自分の中で確かに存在している城。

 

 

それこそが、

僕が現時点で目指しているというか、

自分の中で認識している「”理想の城”像」なのかもしれない。

 

 

 

こんな感じで

夏のビーチで砂の城を作る子供のように夢中になって

自由な発想で「お城作り」をしていくことで

人生をちょっと楽しくすることが出来る。

 

 

 

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具体的な設計図を絵に描いてみても良いしね。

 

 

ぜひあなただけのオリジナリティ溢れるお城をイメージしてみてね。

人生はキャンバスではない。パレットだ。

Life is a great big canvas;
throw all the paint on it you can.
人生はとても大きなキャンバス(画布)だ。
可能な限りその上に有るだけの絵の具を投げかけなさい。

 

という名言がある。

 

人生は自分自身で描いていくもの、という意味だろうか。

 

 

僕も昔はこの言葉に共感していた。

 

 

しかし今は、逆だと思う。

 

 

むしろ、人生とは…

 

現在起きている事象に

自分がどう意味づけしていくかが重要になる。

 

そう考えるようになった。

 

そう考えると人生はキャンバスではなくて、

どちらかと言えば、パレットだと思う。

パレットは色を作る道具ね。

 

これは画用紙だが。
 

 

すべての物事は意味があるようでいて、意味が無い。

 

 

では、誰が意味づけしているのかというと、

他でもない、人間だ。

 

 

過去から現在において、

世の中の人が作った「価値感」だとか「伝統」だとか

そういうもので意味づけされている。

 

 

それなら、自分の好きなように色を塗ったってかまわないだろう。

自分で好きなように色を作って塗っていく、

 

 

つまりすでにある「意味あるもの」に自分で意味づけをしていくのだ。

 

 

大抵の人は幼少時代から大人まで完全に一人で生きてきたわけではないだろう。

 

 

むしろ、自分自身で人生をコントロールできた人なんて

ほとんどいないのではないか。

 

 

しかも、多くの場合は大人の影響で洗脳を受けているから、

さらに自分の行動を制限するようになる。

 

 

そうなると、自分自身で生み出せる色(意味)の数も限られてくる。

 

 

他にたくさんの種類の色があるのかもしれないのに、

緑しか知らなければ、緑を使うしか無いしな。

 

 

いや、もしかしたら本当は、

赤色は青色なのかもしれないし、

青色は赤色なのかもしれない…。

 

 

しかし、何も考えずに生きていると、

そんな可能性すら考える余地すら無くなる。

 

 

…まぁこれ以上言うとただの頭おかしい奴だから、ここまでにしておくけど。

 

 

ちなみに僕は最近、何かイラストなどを見た時に、

その人がどのような画風の絵を描くかというよりも、

 

その人がどのような配色をするのか

その人がどのような色づくりをするのか

 

他人の彩色や配色に関するセンスが気になってきたのである。

 

 

 

上のイラストは、

LGBTのビーチパーティを開催した時に配布したフライヤーのデザインだ。

 

 

これは僕が作ったもの。

 

 

これを見て、とある人が聞いてきたんだ。

 

 

「コリュって沖縄の人なの?」って。

 

 

いや、僕は本土出身の妖怪だけど?

 

 

どうやら、沖縄の人は原色というか、鮮やかな色を好む人が多いらしい。

その人は僕のこの色使いを見て、沖縄の人っぽいと判断したそうだ。

 

 

ちなみに、沖縄の子供達の絵を見ていると、

本土の子供達との色使いの差が顕著に現れると聞いたことがある。

 

 

僕は教育者じゃないからわからないけど、

本土出身の、もしくは本土での生活経験がある美術の先生だったら、

それに気づくこともあるのかな。

 

 

もしくは逆のパターン。

沖縄の人が本土の学校で教えている場合だと、

本土の子供達の色使いに驚くことがあるのかな。

 

 

僕はたまたま自分の色使いが沖縄の人寄りだったんだろう。

和物が好きだし、淡い色の日本色も好きなんだけどな。

自分の表現においては、わりとハッキリした色使いをする傾向になるらしい。

 

普段あまり自己主張しない性格だから、

コントラストを強めることで自分の内面を吐き出しているのかもしれないな。

 

 

いずれにせよ、その人の生まれ育った環境が

その人の感性に大きく影響することは間違いない。

 

 

他の人の絵を見ていると、

自分じゃできないような色使いに驚かされることがある。

 

 

逆に、自分が当たり前のように使っている色も、

他の国や地域の人から見ればとても珍しいんだろうな。

 

 

キャンバスに何を描くかよりも、

どのように色付けをしていくか。

どのような色を作るか。

 

未完の絵に、皆が予想もできない配色で

独自の色で色を付けられたら…

自分にしか描けない人生と価値観が生まれるのだろう。

 

 

そして、「人生はパレットだ」と言ったところで、

星空でもあると思うんだ。

 

 

一つ一つの星…点と点を繋げて大きな線にしていく。

 

 

その線自体には大きな意味はないのかもしれないが、

自分で「星座」を作っていくなら、その線は重要な要素になり得る。

 

 

…偉そうなこと言ってるけど、

結局これら全て僕自身が作った「意味付け」だしね。

 

 

それに共感するのかしないのかも

逆にあなた自身がどう捉えるのかも

全てはあなた自身の「色」にかかっているのかもしれない。

 

 

 

最終的には皆が「これは青だ!」と言うのを

「いや、赤だ!」と言い張るような、

 

 

そんな人間を目指してみるのも良いんじゃないかな?

 

 

少なくとも僕は、そんな妖怪になりたい。

自分を理解するには「具体」と「抽象」を繰り返そう

前回の記事では、夢や目標を実現するために、

「未来の自分」と対話しようということを語った。

 

↑前回の記事

 

「過去〜現在〜未来」という時系列を意識して、

過去を受け入れつつ未来に向かって自問自答していくことも大切だ。

 

今回は、「今この瞬間」をより深掘りしていくこと

について語りたいと思う。

 

※ただ、僕自身、この内容についてまだ研究段階なので
わかりにくい表現が多々あると思う。
その場合はぜひコメントにてご質問ください。

 

 

 

「今この瞬間」にあなたが考えられること

 

 

それは…

 

 

「具体と抽象を行ったり来たりすること。」

 

 

 

…もうこの文章からして抽象的でよくわからないかもしれない。

 

 

 

なので、まずは練習してみよう。

 

 

 

まず、「あなた」という人間を具体的に、

そして抽象的に語ってみよう。

 

 

僕の場合だと、僕の名前は「天海夜 煌琉」である。

一応これは人物名(ハンドルネームだけど)なので、超具体的。

 

(そうか?と思われるかもしれないが、

皆さんの場合であればご自身の本名として思ってもらえれば良い。

それ以外の存在などいないはずなので。)

 

 

それでは、僕というキャラクターを抽象的に語るとどうなるか。

 

僕は、

「沖縄県民」「本土出身」「セクシュアルマイノリティ」「アラサー」

などといったグループに属する。

 

 

これら住んでいる場所や職業、年齢や属性・性別などと言った要素は、

このうち一つだけの要素では僕を語れないので、

「抽象的な要素」と考える。

 

僕はいろいろな「抽象的」要素で出来ている。
 

もっと僕を抽象的に説明しよう。

抽象的なので、なんでもかまわない。

 

「一人で行動するのが好き」

「知らないところを旅するのが好き」

「V系など地下路線の音楽が好き」

「集団が苦手」

「自己中心的な人間が嫌い」

 

などといった好き・嫌いの要素を挙げていっても良い。

 

これら一つ一つもまた、現在の僕を語る抽象的な要素である。

 

 

というわけで

あなたが抽象的にあなた自身を語るには

「自分の属性」

「何が好きか・嫌いか」

「どんなことを心地よいと思うか、ストレスを感じるか」

「やりたいことは何か、やりたくないことは何か」

「現在抱えている問題・取り組んでいる課題」

などをたくさん挙げていくと良いだろう。

 

これをすることで、「あなた」という具体的な自分像が見えてくるからだ。

 

 

 

それでは、これを未来の自分に当てはめてみよう。

 

 

未来の自分では、「こうありたい像」を明確にすることが具体的となる。

 

 

有名になりたいとか、お金持ちになりたいとか、

社会に還元したいとか、クリエイティブなことをしたいとか…

 

 

こういったものは非常にふわふわしているので、抽象的となる。

 

 

確かに、未来に向かってモチベーションを上げて行動していくには、

将来の抽象的な、ふわっとしたイメージを持つことは大切。

しかし、抽象的なものを夢にしているだけでは、現実とはならない。

 

 

何故かと言うと、

それだけではその夢に向かって何をしたら良いのか、

具体的にわからないからである。

 

 

未来の自分を具体的に語るには、

未来の自分のライフスタイル、

未来の自分のあり方を

具体的にイメージしてみることが大切。

 

 

 

僕の場合だと

 

 

「沖縄県内で民泊を利用したプロジェクトを始めたい。

そこでは、福祉やセクシュアルマイノリティの援助もしながら、

自殺を考える人々・生きづらさを感じている人々がキャラクターを通して癒される空間を作りたい。

 

そして、自分自身は新時代を定義するアニメーターになって、

常に世の中に疑問を投げかけながら、日本や日本人の魅力を世界に伝えていきたい。

 

クライアントから依頼されたものをこなすのではなく、

全てを自分で生み出す仕事をして、楽しみながら安定した収入を得ていきたい。」

 

 

これは超具体的。

 

 

まぁこれでもまだ抽象的だとは思うが、

以前の「何をしたいのかよくわからない」状態の自分と比べたら

まだ具体的に自分の夢を語れるようになったと思う。

 

 

なぜこのようなことが出来るようになったかと言うと、

世の中と対話しながら、

自分自身の「抽象」と「具体」の作業を徹底的に行ったからだ。

 

 

なりたい自分になるためには、

未来の自分を抽象的にイメージすることは大切。

 

しかし、やりたいことを実現するためには、

具体的な要素が必要となる。

 

 

それをするために必要なもの、手段、資金など…

これらを全て洗い出してみないといけない。

 

 

というわけで、まずは手始めにアマゾンでデザイナーとして起業する本を注文した↓。

 

 

以前からフリーでやりたいと考えていたのに、今更遅すぎるとは思うが、

昨年開業届を提出して、起業なんて誰でも気軽に始められるとわかったので、

ちょっとずつ進めていけたらと思う。

 

 

なんだかんだ理由をつけて何もしない自分とは、決別することに決めたのだ。

 

 

 

さて、前回の記事と合わせて

「あなたがなりたい自分像を実現していく方法」をまとめてみよう。

 

 

①過去から未来の自分を見つめながら、

②自分という存在をひたすら抽象的に、具体的に、考える。

③①と②ををひたすら繰り返す。

 

 

そうすることで、本当にあなたがしたいこと、

世の中に対してできることは何かが明確になるかと思う。

 

 

ちょっとむずかしいと思うけど、

自分が一番しっくり来る「自分のあり方」を通して、

「未来の自分像」を見つけてみてください。