極度の人見知りだった僕が自分の意見を言えるようになった方法

ここのところ毎日のようにブログを更新するようになった。

 

ブログ自体は形を変えながらも数年前から続けている。

 

結構暴論だなと思うようなことも平気で書いている。

 

 

これは以前自分がノートに書いていたことの延長線というか、
ほぼ独り言のようなものだからね。

 

 

僕だって以前は自分の意見をまともに言えない人間だった。

 

 

もともと人見知りが激しく対人恐怖症のような感じだったので、
人前や慣れないグループ内で喋るのが苦痛というのもあるし、
何か振られたとしても、まず言葉が出てこない。

 

さらに、何を言おうか考えている時に

「こう思うけど、これを言ったら怒られるだろう」とか
「こう言いたいけど、相手が傷つくんじゃないか」とか

余計なことを考えてしまうのだ。

 

それでさらに言葉が詰まってしまう。

 

結果として、「意見が言えない奴」みたいな烙印を押されてしまうのだ。

 

僕はどうも伝え方が不器用だからオブラートに包むことが出来なくて
悪気はなくとも相手をイラッとさせてしまうことがある。

 

相手が何で不快に思ったのかわからないから、
相手の顔色ばかり伺うようになる。

 

しかしそれではいつになっても臆病者のままだ。

 

もっと本音で話さないと、本当の関係は築けない。

 

中途半端な馴れ合いは一番嫌いだ。

 

しかし、本当は頭で色々考えているのに、何故か出てこない。

 

伝える口があるのに伝えられないということほど
不幸なことはない。

 

 

ということで訓練をし始めた。

 

 

一人暮らしでペットもいないルームシェアでもない
ましてや恋人もいない僕が出来ることと言えば、
ブログで自分の気持ちを整理することだと思った。

 

 

こうやってブログを書くことで
自分が今何を考えているかを可視化出来る。

 

 

最初は上手く行かなくてもとにかく習慣にしてしまうこと。
何かしら書き続けていることで、自然と文字を打てるようになってくる。

 

 

上手く言葉で綴ろうとしなくても、とにかく書くことが大切だと心がける。
そうすることで、完璧主義も捨てられる。
それで僕はあえて「誰でも読みやすいブログ」は作らないと決めているのだ。

 

あとは読書も効果的だなと思った。
有名な人のメルマガを読むのも良いかも。

 

様々な考えに触れていることで
表現の仕方も身についてくるし、
感想文やレビューを書いたりアウトプットをしたりすることで
自分の考えも自然と身についてくるし、
迷いながらも取捨選択していって
最終的に一貫した考えを持てるようになってくると思う。

 

そんなこんなで、今は昔に比べてだいぶ自分の意見が言えるようになったと思う。

 

何か不満や改善点があるのに黙っていて、
勝手に被害妄想になっても、自分も含め誰も得しないし、
世界が良くならないしね。

 

 

ただし、言い方を間違えたり感情的になったりしてしまうと
クレームやクソリプみたいにはなると思うから、

 

「○○して頂いてありがとうございます。
○○は素晴らしいと思うけど、○○は改善の必要があります(理由は○○だからです)。」

 

これは一種のテンプレだけど、

①感謝②良いところ③改善点(場合によっては④理由も)

これらをしっかり伝えれば相手に必ず伝わるはず。

 

皆、自分を大切にしてほしいと思っているはずだから、
その気持さえ伝われば仮に意見の相違があっても
不愉快な気持ちにはならないだろうし。

 

まぁ僕自身もかなり職人気質だからかなり頑固だし、
かと言って素直な面もある。
そんな時に人の意見を聞けるのは、
「好きな人が自分のために言ってくれている」のかどうかが
判断基準となるからね。

 

自分がしてほしいことを相手にもするというのは鉄則だと思ったのだ。

 

…ちなみに僕の考えだが、接客業の人に接客を教育するよりも、
接客業の人に対して悪態付く人にも教育した方が良いとも思っている(笑)。
そうすれば理不尽なことでストレスを抱える人も減るだろうにね。

 

 

話は逸れたけど…

 

 

今自分の意見がないとか、
自分の頭で考えることが苦手とか、
そのようなことで悩んでいる方がいれば、
ぜひ、毎日のように何かしら発信してみて欲しい。

 

ブログでも良いしツイッターでも良いし。
人目にさらされるのが嫌なのであれば、鍵をかけられるし。

 

発信媒体を持つことを勧めるのは、
何と言ってもあなた自身のためだ。

 

フォロワーや読者のことなど一切考えず、
自分が呟きたいように呟けばよいし、
自分が興味のあることだけ発信すれば良いと思うよ。

 

知識に関しても完ぺきじゃなくて良い。

 

今ある知識で言えることだけを発信していけば良い。

 

知識や経験はあとからいくらでもついてくる。

 

人間は成長する生き物だから、その過程を楽しんでくれる人だっているしね。

 

 

興味がある人の興味があるものなら、
自然と興味を抱く人もたくさんいるだろうしね。

 

むしろ学べることのほうが多いはずだ。

 

 

それに、好みが合うかどうかは実際あまり重要じゃないんじゃないかな…
って最近になって思うんだ。

 

 

自分にとって異なる属性の人でも、
価値観とか、雰囲気とか、馬が合うかとか…
そういう直感的なもので惹きつけられるというのもあると思う。

 

例え離れていく人がいたとしても、
本当にあなたが好きな人のことだけ考えていれば大丈夫!

 

ぜひとも「強烈な自分」という存在を、
全世界にアピールしてみてください。

むやみに敵を作らずに、人から嫌ってもらえる方法

何かしら発信をしていると、あなたの思想や個性が色濃く反映される。

 

 

毒々しければ毒々しいほど、強烈な個性となるし、
より魅力的な人物像が浮かび上がってくる。

 

そのため、あなたの価値観に似ている人は寄ってくるし、
合わない人は自然と離れていくか、
最初からフォローすらもしてこないはずだ。

 

人間関係とは本来そうあるべきで、よっぽど特別な関係性でない限り、
「ずっと一緒」という方がむしろ不気味だとさえ感じるようになったのだ。

 

世の中では会社に勤め始めたら、長年同じ会社に勤めている人が多数いるかと思う。
結果、会社の人とも長い付き合いになるのだろうけど、
その人達って、あなたが本当に心から付き合いたいと思える人間なのだろうか?

 

それならそれで構わないのだけれど、
本音を言えない関係性の人間と長年付き合ったところで、
その人にとって「本当の幸せ」が手に入るのかどうかはわからない。

 

皆、「もっとああしたい」「こうしたい」という欲求があったとしても、
どこかしら妥協してしまっている部分はあるんじゃないかな。

 

まぁ本当に幸せだと思っているなら、別に良いんだけどね。

 

 

 

僕は最近、こう考えている。

 

人間はそもそも嫌われて生きることで、
自分の幸せを掴むことが出来るのではないか…。

 

国や文化によって一見「正しく」捻じ曲げられた人格ではなく、
自由に生きることが、ほんとうの意味で「正しい」人間のあり方なんじゃないかって。

 

そのためには自らの好き嫌いや、
やりたいことやりたくないことをハッキリさせることで、
自分自身が生きやすくなるはずだ。

 

 

ただ、嫌われた方が良いとは言え、むやみに敵を作ることは推奨しない。

 

 

しかし、人間だからどうしても誤解をさせてしまうことはあるし、
いくら言葉に気をつけて、人に気を使った生き方をしていても、
言葉の表現に寄っては意図していない人を傷つけてしまう可能性もあるから、
難しいところでもあるのだけど。

 

 

一番厄介なのが、ファンがアンチになってしまうケースである。

 

 

大好きだからこそ失望した時に嫌いになってしまうのだろうが、
元々自分のことを嫌いだった人よりも自分に対して詳しい分、
足を引っ張る可能性だってあるわけである。

 

 

僕も自分の弱さ、そしてコミュニケーションのとり方がわからないということもあり、
人の気持ちを考えないことを言ってしまったことが多々あると思う。

 

 

それを後悔し始めたらキリがないのだが、
過去のことは過去のことだし、
後悔したって現実が変わるわけじゃないんだからもう仕方がない。

 

 

それに、そんな言動をしてしまったのだって、
中途半端に他人に好かれようとしてストレスもたまっていたから、
ちょっとしたことでキレたり、爆発したり、
もうどうでも良いと思って理解不能な行動に走ったりしてしまったのだろうし。

 

 

そう考えたら、

「誰かの顔色を伺って生きる」ことは

害悪でしかないと思うのだ。

 

 

それならばもういっそのこと開き直って、
最初から「好かれよう」という気持ちを捨ててしまったほうが良いのではないかと思う。

 

中途半端に好かれようとするから、
何か相手の意に反するような言動をした時に、
相手へのダメージも大きくなってしまうのだろう。

 

もう、「自分はこういう人間なんだ」って開き直ってしまおう。

 

それならば人から期待をされることもなくなるし、
相手の都合で失望されてもダメージが少ない。

 

 

つまり、あえて嫌われるようなやり方をする。

 

 

かっこよく自分を見せようとしない。
かっこ悪い、最低な自分を曝け出すことを恐れない。
誰かに気を使ったような、中途半端な湾曲的な表現はしない。

 

 

開き直るんだ。

 

「そういう発言をすると、不快に思う人がいるんです!」
というのは、何かしら発信をしている人にとってよく見受けられるクソリプの類だろう。

 

それが納得できる内容であれば、受け入れる必要もあるのかもしれないけど、
大抵は「知らんがな。」となるだろう。

 

あくまでも今の自分で見ている世界で物事を語っているだけ。
全てを知ろうとして、全ての人に納得してもらえる表現をしようと思ったらキリがないし、
そもそも誰からも嫌われない方法なんて、絶対に無理がある。

 

 

人間の可能性は無限大だけど、断言する。
この「誰からも嫌われない」事象に関しては、絶対に無理だ。

 

でないと、世の中の人間が全員同じ考えの人間となってしまうし、
それは、学校や会社で他者から強制された人間や価値観と同じで、
不自然で気味が悪い現象なんだよ。

 

「世の中には、自分と異なる意見や考えの人もいる。」

 

それを受け入れた上で、

 

「自分は無知で愚か者。」

 

「だからこそ言葉を発する意味がある。」

 

そう思うこと。

 

 

でないと、何も行動を起こせない。

 

 

誰かの顔色を伺うことなく、自らの信念を主張していくことで、
自分の言葉を必要としてくれる人に伝わる。

 

 

もう、年収やフォロワー数などの「数字」で勝負する時代は終わった。

 

 

今は、どれだけ自らを開示できるか、
誰に自分の言葉を届けられるか。

 

 

量より質へ転換する時代だと考えている。

 

 

属性とか立場とかそんなの関係なしに、
中途半端に他者に気を使ったり、
他者から攻撃されることをむやみに心配したり必要もなく、
皆思ったことを言えば良いんじゃないかな?

 

 

その方が、「生きている」実感が湧いてくるはずだ。

 

 

少なくとも僕は、本音をぶつけている発信をし続けている限り、
自分の中に湧き上がってくるエネルギーを感じている。

 

 

それは、表面だけ取り繕った今までの生き方では、
絶対に得られることはなかっただろう。

 

 

 

というわけで、僕はこれからどんどん様々な経験と出会いを通して、
学びながら成長していくだろうし、
どんどん嫌われてもいくと思う。

 

 

 

それが自分の「正しい」あり方だから。

他人の悪口を言うことは、魚の鱗を食らうようなもの

人は良い面もあれば、悪い面もある。
自分の好きな人を引き寄せるためにも、自分の言動を少しずつ変えていこう。

…というようなことを以前の記事でもお伝えした。

 

 

タイトルにもあるように、

 

他人の悪口や陰口、噂話をする人間というのは、
魚の鱗を食べているようなものなのだ。

 

「身」ではなく、「鱗」ね。

 

 

 

鱗、つまり外側の部分だけ剥いで、肝心な中身をポイッと捨てているようなものだ。

 

他に美味しい部位もあることを知った上で、皮や鱗を食べているなら良い。
人の好みなんて人それぞれだし。
それに、中身を誰かにあげる前提で食べているのなら、まだ無駄にはならないだろう。

 

焼いた皮はサクサクしていて美味しいしね。

 

問題なのは、

「他に美味しい部位があることも知らずに、

皮や鱗が美味しいと信じ込んでいる状態」だ。

 

要するに、物事の一部分しか見ていない、理解していない状態で、
その人の批判をしているわけだ。

 

まるでその人の全てをわかっているかのように。

 

良い部分や本質を理解した上で批判するならまだ良い。
それを発言することで世の中が良くなる、救われる人がいるという考えがあるなら。

 

そうではなく、表面だけの情報しか見ていない状態…

 

それが問題なのである。

 

例えば噂話の場合、真偽はどうあれ、
「その人に対する情報」の一部分しか見てない状態で、
その人のことを判断してしまっているわけである。

 

この「偏った視点」こそ、自分を不幸たらしめるものの1つだ。

 

例えば有名人なんて特に色々言われている格好の餌食だけれど、

結局のところ、本人や関係者しかわからない情報も多々ある。

 

その人が本当に良い人なのか悪い人なのかは

結局のところ自分の直感と審美眼で判断するしか無い。

 

誰かが発した真偽の不確かな情報を鵜呑みにしてしまう前に、

それが本当に正しいのかどうかを考えたほうが良い。

 

でないと、情報に踊らされて本質が見えなくなってしまうからだ。

 

 

あと、最近はInstagramで食べ物の写真を撮って、食べ物の捨てる人間もいるらしいね。

お寿司のネタだけ取ってシャリを捨てる人間とか。

飲食店で大人数分のコース予約を取っておいて音信不通になる客とか。

 

似たようなケースで、例を挙げればキリがないと思うけど。

 

これらの行為も、魚の鱗を食べる行為(人の悪口・噂話を言う行為)と同じようなものだ。

 

物事の本質を理解していない(理解しようとしない)人間がする行為なのだ。

 

 

 

食べ物だけでなく、人や物事の食わず嫌いはやめよう。
見せかけだけの「いいね!」をもらうためだけのインスタ映えもやめよう。

 

たとえ写真としては地味でも、
その人の本質が知れる内容のほうが、素晴らしいと思わないか?

どうか見た目だけの情報、表面だけの情報に惑わされないでほしい。

 

 

特にあなたが親ならば、一つ一つの言葉に気をつける必要がある。
なんとも思っていないあなたの発言が、幼い子供の心に重くのしかかってくるのだ。

 

あなたが人の悪口や陰口、噂話ばかり言っていると、
子供もその考えが身についてしまう。

 

そして、最悪のケースはその考えが子供に向かってしまった場合だ。

 

そう、子供に対する批判や愚痴を本人の前でし始めた場合や、
子供が理解してない状態でむやみに子供を怒った場合などだ。

 

それなら子供にお菓子や肉ばかり与えている家庭の方がまだマシだ。
長い月日がかかるとは言え、努力次第で食生活は変えることが出来るからだ。

 

一方、メンタルの方はと言うと、一度傷ついてしまった幼い心はなかなか戻ることはない。
人を批判する癖やひねくれた視点が身についてしまうと、
それが当たり前のようになってしまう。

 

それでまた傷つく人が増えていくのだ。

 

負の連鎖。

 

皮や鱗ばかり食べていても、良いことなんて何一つ無い。

 

自分なりの「魚の食べ方」

 

つまり

 

自分なりの「人の愛し方」を探っていこう。

 

「○○は良いよ!」

「○○のこの部分が好き!」

「○○の魅力を、もっと多くの人に知ってほしい!」

 

〇〇はモノでも人でも企業でも作品でもなんでもかまわない。

 

それを人に伝えていくだけで、

「幸せの連鎖」が生まれるはずだ。

(※自分でこんなスピリチュアルっぽいことを言うのはなんだか違和感あるのだけど、

これは単なる理想論ではなく、事実だと思う。)

 

観賞用の魚も良いよね。
 

 

…とは言え酒の肴には人の悪口が美味いという気持ちもわからなくもない。

にんげんだもの。愚痴の1つや2つ言いたくなるよね。

 

ただし、まだ気の合う人だったら良いのかもしれないが、
無理やり聞かされる方はたまったもんじゃないから、
相当気心知れてない限りはやめたほうが良い。

 

美味しい魚料理や楽しい話をたらふく食べたら、
いつの間にか満足していることもあるかもしれないね。

 

 

 

結局のところ、自分が幸せに生きるには「忘れる」のが一番。
いつまでも人のせいにしてたって何も生まれないから、
上手く自分の機嫌を取っていきましょう。

 

感情のコントロール方法を身に着けたい方は、ぜひ以下の記事も参考にしてみてね。

 

 

余談だけど、上の写真は2017年2月に下関市の唐戸市場で食べた海鮮丼。
もう山口の魚を食べたら他では食べたくない…
それくらい絶品OF絶品だった。

 

 

また魚介を食べに山口県まで行きたい!!!!

 

 

あ…いや…他の県の魚が不味いって言ってるわけじゃないよ?

 

 

もっと魚が美味い場所ももしかしたらあるのかもしれないけどさ…

 

そこは…

 

食わず嫌いをしてるんじゃなくて、ただ知らないだけ!!

 

 

…ということで、情報の偏食家にならないよう

もっと色々な場所を巡ってみたいし、

色んな人とも会ってみたいのである。

(無理やりまとめました。)

人の悪口を聞いてしまったら

誰かが誰かの悪口を言っているのを聞いた。

 

言動に対する批判なら、考え方の違いだからまだ仕方ない部分もあるだろう。

 

しかし、実際の内容は

「◯ね」とか

「ウゼェ」とか

その人の容姿や属性に関する中傷だとか

 

ネットに書かれているような低俗なものばかりで不愉快極まりなかったし、
なぜだろう…他人事ながら物凄くショックだった。

 

まぁ確かに心の中だったら自分も含めそういうことを思う人もたくさんいるかもしれないけど、
他の人がいる所で明らかに不快な言葉を使うって理解に苦しむな。

 

ネット上ならまだ見ないようにするということもできるだろうけど、
職場など拘束されている場を、一部の人間の憂さ晴らしに使ってほしくはない。

 

そういえば、ネット上で奥様の容姿を中傷されたとして、野球選手が訴訟を起こしたのは記憶に新しい。

 

その奥様、調べてみたらむしろ綺麗な方だったので、醜い嫉妬心からの書き込みだとは思うが、
かつては事実と違うことや誹謗中傷をネット上に書かれて泣き寝入りするしかなかった人達も、
これからはこうやって実際に行動を起こしていく人達が増えていくのかなと思う。

ネット世代が生まれてきている中、
オンラインの世界もオフラインの世界も全くの別物ではなく、
同一線上にあるというのを実感してきているし。

 

今日聞いた悪口も、現にその人が発した言葉を僕が聞いてるしね。
もちろん悪口を言われていたその人にはその事実を伝えないけど、
公共の場、他の人がいる場でそういう発言をするということは、そういうことなんだよ。

 

誰かに聞かれている、見られている自覚が足りない。
井戸端会議と同じ感覚で、公共の場で発言や書き込みをしてしまっている。
自分だけが良ければ良いという自分勝手な感情で動いているということだ。

どうしても悪口でスッキリしたければ、
王様の耳はロバの耳のごとく誰にも見られないTwitterの鍵アカウントを作って
そこにひたすら好き放題呟けばよいだろう。

 

結局のところ、人間て誰しもが良い部分もあれば悪い部分もある。

 

完ぺきな人間などいない。

 

人の悪いところばかり目について悪口ばかり言っていると、
そういう人間ばかりが集まってしまう。

 

もし気づいたら誰かの批判をしているようであれば、
自分はそういう傾向がある人間なんだと疑ってかかるべき。

 

自分と違う人が居たら、無理に同調しなくても良いから、
「そういう意見もある」「そういう人もいる」とまずは事実を受け入れる。

 

どうしても合わなければ、
できるだけ嫌な人、苦手な人との接触を避ける。

 

選択肢はいくらでもある。

 

今の自分は自分が作っているし、変えたければ変えることが出来る。

 

その悪口を言っている人が、自分の選択でそうしているのだと気づくまで、
そういう人間や嫌な出来事を引き寄せ続けてしまうだろう。

 

僕もかつてメンタルがだいぶ追い込まれていた時期は、嫌な波動を放っていたと思うけど、
自ら気づいてより悪化することがないように、今日から感情を整理する特訓を始めた。

 

食生活だって長年かかって大方改善できた僕だから、
一番難しいと感じているメンタル面も自分が納得できる形でコントロールしていけたらと思う。

 

 

こちらもやもやした気分の時は、ヘルシーなスイーツで癒やされましょう。
金山のベトナム料理店で食べたチェーは美味しかった。

 

 

脱・悪口で汚染された空気。

脱・豆腐メンタル。

自分の「病気」を曝け出すということ

Live.meで最上もがちゃんの”もがミーティング”があったので見ていた。

 

この子はすごいな。なかなか鋭い。

 

以前から彼女の発信やブログは興味があり読んでいたのだが、
人と向き合おう、わかり合おうという気持ちが強いのがわかる。

 

大抵僕も含め多くの人は嫌な人から離れる、という発想が楽だと思うけど、
そうもいかない場合の解決法をするすると引き出せるのがすごいなと感じた。

 

僕が似たような質問をされたら、まず考えてしまうし、
「辞めちまえよ」「逃げちまえよ」くらいしか言えないと思うな(笑)

 

彼女はもともと引きこもりだと言うけれど、
人と向き合おうとして、なかなかうまくいかないこともあるのかもしれない。

 

僕は逆に人と向き合うのが恐いから引きこもりがちというタイプだし、
色々なタイプの人がいるんだなと思う。

 

完ぺきを求めるなとは言われても、
ついつい求めてしまうのが人間である。

 

嫌なことはしない。
自分の力以上のことはしない。
仕事であれば時給以上の仕事はしない。

 

そういう考えでいたいし、
ミスもあってこその人間だと思うけど、
「良い人に見られたい」
という発想が自分自身にも強いらしい。

 

無理をしてしまうのである。

 

そんなことをしても、虚しいことはわかっているのだが。

 

人は誰しもが病気を持っている。

 

人が気にならないことを気にしてしまうとか、
逆に驚くほど鈍感な人もいる。

 

それぞれ真逆のタイプの人から見れば、
お互いのことを理解が出来ないので、
皆が皆何らかの病気なんだと思う。

 

しかし、病気という短所は突き詰めていけば長所にもなる。

 

人の悪い面に目を向けて不平不満を抱くよりも、
その人の良い面を見つけて、自分が成長することに意識を向けるようにしたい。

 

どうしても自分のメンタルが持たない、我慢できない時は離れるという選択肢もあって良いけどね。
全ての人と仲良くする必要なんてないから。

 

そして他人に媚びる必要もない。
必要最低限の表面だけ取り繕って、大人な関係を築けていれば良い。

 

自分の人権を阻害する人物を目の前にした時は、出来るだけ戦うつもりではいるけど。

 

人間関係は多くの人が抱く一番の悩みで、大変な世の中だけど、
苦手な人を生み出しているのも自分の心のあり方な気もするから、
相手からの刺激に挑発されないように、あまり頑固になりすぎず成長していくしかないんだよな〜。

 

…と、最近になって思うようになってきた。

(※ちなみに相手から挑発を受けて、自分の正義のために戦うのと、
相手の何気ない言動により不安や不快な気持ちで心が揺さぶられるのとでは全く違う。
特に悪態をつかれたわけではないのに苦手に感じる人というのは、
相手の行動が単なる自分自身の「何か」に引っかかっているだけの可能性が高い。)

 

どうしても自分自身が好きな人だけと付き合いたいという場合は、
自分の許容範囲を広げていくのも大事だけど、
基本的に自分自身の興味関心にだけ目を向けていれば、
自然と付き合う人も変わっていく。

 

ずっと同じ人と一緒、という方が逆に問題なのだ。
成長する機会を得ていないということだから。

 

なので、たとえ今いる環境に不満を覚えていても、それは永続的なものじゃないから大丈夫。
言葉は言霊だから、会社を辞めたければ「辞めたい」と言えばそのうち実現するし、
義務感で付き合っている友人がいたら、
違うことに興味を持っているうちに徐々に距離が生まれてくるはず。

 

それから先が肝心なのは言うまでもないけど、行動は自然とついていく。
ただ、それが人によって実現するペースが違うというだけ。
うまくいかないからと言って焦る必要は全く無い。

 

だから、いくら文章が苦手でも、
自分自身のことを考えたり、このように発信したりしたほうが、
生きづらい社会を生きていく上で最も有効な方法であるというのは、
多くの人に伝えていきたい。

 

 

僕のやっていることは、学生時代にノートにひたすら書いていたこととさほど変わらない。
ただ、当時は世の中への不満で攻撃性の高いものばかりだったのが、
年を経た今はある程度見識も広がり、「人から見られるもの」を意識するようになっただけの話。
(性格上、今も稀に言葉がキツくなるが)

当時はそんな病的なものを見たいものなど誰もいないと思っていたが、
ある種の病気である自分の脳内で生み出された言葉の数々が、
意外なほどに誰かから反応を得られるということもわかった。

 

自分自身の何気ない独り言が、
誰かにとっての気づきになるかもしれない。

 

「誰かのために」も良いけど、
「自分のために」やっていることが最終的に社会全体に潤いをもたらせたら、
自分の「病気」もそんなに悪くないものだと思えるかもね。