あなたの「地雷」を「宝」に変えてしまう方法

狐と狸の両性具有妖怪・天海夜 煌琉でござい。

 

 

最近では、何か怒りを感じたりイラッと来たり

負の感情が湧き上がるようなことや気になることが起きても

 

「これは学びだ、勉強だ」と思ったり

「これは自分にとって必要なことだから起こった出来事だ」と言い聞かせたり

「この人はこういうところがある」と諦めたりすることで

 

自分の感情をコントロールしていた。

 

 

 

そのため、以前の「ウニみたいにトゲトゲした自分」と比べれば

自分や他人をあるがままに受け入れられるようになり

過去のことをズルズルと引きずらなくなってきたし

無意味にピリピリすることもなくなってきた。

 

 

 

 

しかし、本日久々に地雷案件というか

朝から夜までずっとモヤモヤが消えない状態が続き

以前の「トゲトゲウニ」な僕に戻ってしまった出来事があった。

 

 

 

 

その内容はというと、

 

先日上げた記事の話とも関係する。

 

 

 

上の記事で

 

「コリュさんみたいに怒らない人が羨ましい」

と言ってきた人が

まーーーた僕に同じことを言ってきたのだ。

 

 

「私、コリュさんみたいに(怒らない人に)なりたい」

「いっつも穏やかだし何言われても文句一つ言わない」

「次生まれ変わったらそうしよ!コリュさんみたいになーーーろう!」

 

 

多分、この文章だけで見ると

僕がこの言葉にどれだけ苛ついたのか

多くの人は理解できないかもしれない。

 

 

しかし僕は

 

 

「黙れク○BBA。くだらねーことほざいてる暇があったら仕事しろ。」

 

 

という口汚い言葉が喉元まで出そうになったほど

心の中でブチ切れていたのだ。

 

 

 

その言葉を言ってきた人は、

上の記事でいう僕の「A面」だけで僕の全てを判断しているらしく、

「表面的な僕の性格=本来の僕の性格」

という、自分に都合の良い解釈をしているようだ。

 

そのため、僕のことを「怒らない仏のような人」と思っているのかもしれない。

 

 

 

しかし、残念なことに、僕は元来エベレスト並にプライド高く我が強い。

(↑たまたま読んだ誕生日の本にそんな感じのことが書いてあったw当たってるw)

 

その反面、尊敬されたい気持ちが強いため

人から嫌われたくないという願望を持ってしまってもいる。

 

それ故、過度に周囲に気を使うので、優しいといえば優しいかもしれないが

どちらかといえば「人間嫌い」が根底にあるため

他人との深い関わりを面倒臭がって避けてきたし

無駄な争いでさらに自分が傷つくなら我慢したほうがマシと思い続けてきたし

未だに自分でも他人とどう接したら良いのかよくわからない部分がある。

だからあまり怒らないし、怒れない。

 

 

そのため、面倒な輩も寄ってきやすく、

都合の良い人と思われたり、舐められたりされやすかった。

これは今なお続く、自分の中での悩みの種であり、

思春期など一時期は「俺に近づくな」オーラを放っていた。

そのおかげでだんだんと感情を表に出せるようになり、

「敵」と認識した相手には怒りを露わにし、口論が出来るようにはなった。

 

 

しかし、過去の経験で、こちらには都合の良いように扱ってくるのに

自分が勇気を出して怒ったり言い返したりしても相手が反省してくれず、

かえって逆ギレされたり、人格否定をされた経験をたくさん重ねてきたので、

(しかも残念なことに、原因は家族でもあった。)

「怒っても無駄」、「何を言っても無駄」

「摩擦を起こすだけエネルギーの無駄遣い」

「人間ってそういう生き物だから」

みたいな諦めの精神が身についてしまったのだ。

 

 

そんな僕にとって他人からの「怒らない」という評価は

どうしても皮肉にしか聞こえないのだ。

 

 

精神的に病みながらも、

今の自分は血の滲むような努力で築いてきたもの。

 

 

「お前に何がわかる?」とまで思ってしまうのだ。

 

 

地雷オブ地雷なのである。

 

 

仮に、同じように僕のことを「怒らない」「大人しい」と解釈している人でも

 

「コリュさんはあまり喋らないし、腹の中では何を考えているのかわからないので、

なんか話しかけにくいし、苦手だ。」

 

という印象を抱く人がいたとする。

 

このような意見のほうが

まだ客観的で「なるほどなぁー」と思える。

 

 

 

つまり、

 

「肯定だろうか否定だろうが、

自分のことを表面だけではなく、

その人なりの視点で分析してくれる」

 

それ自体をありがたいと思えるようになった。

 

 

逆に、土足で踏み込んでくると言うか

表面だけ、一部だけで全部知ったような顔をしてくる人はすごく迷惑。

 

 

肯定、否定に関わらず

土足で踏み込まれる感じの一方的な意見や要求、

完全に的はずれな言葉は基本的に嫌なのである。

 

 

仮に肯定意見だっとして、

その意見を言った本人としては「褒めている」つもりなのかもしれないけれど、

僕自身、「嫌われる勇気」の影響でアドラー心理学を取り入れるようになり、

「”褒める”という行為自体が上から目線で失礼な行為だよなー」

って思うようになってきたし、

基本的に他人の”人格”に対して”褒める”ことはあまりしない。

その人のブログや書籍などを読まない限り、

過去の経験や心の中などわかるわけないからである。

 

 

※逆に、「相手の印象について、良いと思った部分を相手に伝える」だけなら

失礼にはならないと考えている。

その辺の線引が難しいなとは思う。

 

 

 

でも、こうやっていろいろ書き出すことで

「なぜ地雷なのか?」

という理由がわかってきた。

 

 

恐らく、僕もそうなのだが、

世の中の多くの人にとって

原因は家庭、学校だな。

 

 

つまり過去のトラウマだね。

 

 

 

あなたにもきっとあるはずだ。

 

 

他人にはきっと理解出来ないであろう、

でも絶対に触れられたくない地雷、

埋めたことすらも思い出したくない地雷が。

 

 

 

その時は一度冷静になって

 

「なぜ私はこんなことで怒るんだろう?」

「その原因は何?」

「誰のどんな言葉に反応したの?」

「過去に同様なことをしてきた人は誰?」

「その時あなたはどんなことを思った?」

 

 

…というように、感情を深掘りしてみると良い。

 

 

 

「真面目な良い子を演じ続けなきゃいけなくなり、自己主張ができなくなってしまった。」

「授業中に指されて、答えを間違えてしまい皆に笑われて恥ずかしかった。」

「周囲の期待に答えようとしたけれど、落胆させてしまい自分はダメだと思った。」

 

など、過去の経験が思い出されて、

そこからヒントが得られるかもしれない。

 

こういった出来事があなたの「地雷の原因」となっているはずだ。

 

 

そういった出来事から

「真面目でいないといけない」とか

「失敗しちゃいけない」とか

「周囲の期待に答えなくちゃいけない」とか

 

自分に対する脅迫感が地雷となり、

 

「私はこう生きたい!」という

本来のあなた自身とのギャップを生み出しているのかもしれない。

 

 

このように、「地雷の原因」がわかったら

そこからあなた自身を遠ざけるように

徐々にでも良いから、あなた自身を開放してあげると良い。

 

 

「真面目じゃなくても大丈夫な自分」

「失敗しても大丈夫な自分」

「期待に答えなくても大丈夫な自分」

 

 

こんな感じで悩み続けてきたことに対して、

真逆の自分を受け入れてあげられるようにしよう。

 

 

ただし、その際には「地雷」の形成に関与してきた人を責めてはいけない。

 

 

仮に原因はその人だったとしても、

「地雷」を作り出したのは他でもない、あなた自身だからだ。

 

 

逆に言えば、自分で作り出した「地雷」は自分で「取り除く」ことが出来る。

 

 

心の何処かに埋められたあなたの地雷。

 

 

その埋めた場所がどこかわかっているのは、あなたしかいないからだ。

 

 

また、「地雷を取り除く」ということは

あなた自身の劣等感と向き合うことなのだから

時に「したくない」ことも「する」必要があるかもしれない。

 

 

地雷だからこそ、向き合うのが怖くて今まで避けてきた。

 

 

しかし、地雷を何度も踏まれて爆発しまくって

傷ついた心をそのままにしておくのは

今後も似たような事象を引き起こしてしまうことだろう。

 

あなたの心がさらに傷ついてしまうかもしれない。

 

 

だからこそ、今、ちゃんと向き合って、

癒やしてあげることが大切だ。

 

 

 

 

…しかし、今回の「地雷」な出来事は最終的な結論として、

「ありがたい出来事」だと思うようにはなった。

 

 

最近、僕自身が「感情をコントロールできるようになった」

と思えるようになってきたからか、

ちょっと自惚れていたところもあるのかもしれない。

 

 

今回の出来事はそれを戒める意味でも必要だったのかもな、って思う。

 

 

「地雷がある」ということは、

「まだまだ自分にとって課題がある」ということなのだ。

 

 

以前よりもだいぶ改善されたとはいえ、

まだまだ「本来の自分じゃ愛されない」という恐怖心があるのか、

行動にブレーキをかけているのかもしれないね。

 

 

そうやって問題にぶち当たるたびに、

「どうしたら自分自身が生きやすく、やりやすくなるのだろう?」

「どうやって他人とコミュニケーションを取れば誤解されないんだろう?」

と悩みだしたらキリがなく、

ネット上で同様の悩みを持っている人のブログや掲示板などで

答えを探そうとしてしまうのだ。

 

 

しかし、結局答えなんて見つからず、

さらにわからなくなって悩んでしまう。

 

 

 

そこで行き着いたんだ。

 

 

「答えなんてない。」

 

「自分自身が、今の自分を愛せば良いんだ。」

 

って。

 

 

今のあなたのままでOK。

間違ってもOK。

嫌われてもOK。

 

 

あなたも自分自身に「OK」サインをたくさん出していこう。

 

 

 

行動に制限をすることがなくなれば、

モヤモヤしていた感情がシンプルスッキリになっていき、

「地雷のありか」もわかるようになるだろうし、

最終的に「地雷のありか」を

「宝のありか」へと変えることも出来るかもしれないんだ。

 

 

「宝」はもちろん「あなた自身の課題」だ。

 

あなた自身をさらに魅力的な人物へ

成長させてくれる鍵となるものだ。

 

だから

 

「地雷」と思われる出来事と遭遇したらむしろラッキー。

 

と思わなきゃいけないね。

 

 

「地雷?よっしゃ!100億くらい埋まってるかも?」

 

そう思えるくらいまでは、強くなりたいものだ。

 

 

 

さて、今回は「”地雷”を”宝”に変えるための方法」について

自分の経験も交えて語ってみた。

 

まとめると…

 

あなたもモヤモヤするような「地雷」が見つかったら

ひとまず、その感情を客観的に眺めて、

自分自身に質問をしていきながら、

過去の出来事や感情を深掘りしていこう。

 

 

そして

「どうしたら、どんな自分になれたら、

その地雷で自分がこれ以上傷つかないのか?」

そこから行き着いた解決方法を徐々にでも実行していく。

 

 

ぜひ、憎むべき「地雷」を、

かけがえのない「宝」へと変えてみてね。

「自分探し」の人生より、「宝探し」の人生のほうが簡単。

僕は自分のこだわりがあまりにも強い。

 

短気だし。気分屋だし。

 

良い人ぶって大人しくしているうちは害がないのだが、
そういう我が強い部分が出ていると非常に面倒くさい奴だと思う。

 

なので、他人のちょっとした言動を
必要以上に気にしたり、
イライラしたりしてしまうことが多かった。

 

相手の言葉一つとっても

 

「今のどういう意味だったんだろう?」
「俺のこと嫌いなのかな?」

 

 

…という

端から見ればどうでも良いことを細かく気にしてしまうので

 

 

 

まぁーーー気が休まらなかったね。

 

 

 

 

でも、最近ようやく気づいたんだ。

 

 

「人が自分が快適に過ごせるようにしてくれるのかを気にするよりも、

自分が人と一緒に成長していく…

そんな風に考えたほうが楽だし楽しくないか?」

 

 

って。

 

 

今までの僕は、すぐに人と自分を比べては

劣等感を感じてしまっていた。

 

 

自意識過剰で

「どう見られるか」「どう思われるか」

やたら気にしていたし。

 

 

一つの出来事をネガティブに捉えてしまうものだから

卑屈で皮肉屋で斜に構えすぎていた時期もあった。

 

 

 

 

しかし…

こういった一連の行為は全て自分を苦しめるものだ。

 

 

自分を受け入れられない、愛せていない。

 

 

「より自分を嫌いになるために」

自分自身で選んだ行為なのだ。

 

 

ついつい他人のせいにしてしまっていたけれど、

過去に起こった出来事はもう既に過去のことだし、

それに執着するのも時間が勿体無い。

 

 

そもそもその行為に他人は関係ないのだ。

 

 

「自分の人生なのだから、全てが自分の責任。」

 

 

…この言葉に納得するには時間がかかったけれど、

徐々にでも考えを改めるようになった。

 

 

そして、気づいたんだ。

 

 

これからは人の顔色を伺わないで

自分の機嫌だけとれば良いんだって。

 

 

相手の感情は相手の責任であり、

相手が引き起こしたことは相手の責任だからである。

 

 

もちろん同様に、

自分の感情の責任も自分で取らないといけないし、

自分が引き起こしたことも自分の責任となる。

 

 

一見すると、これって苦痛に見える。

 

 

しかし、これって逆に言えば、

 

 

「どんなに大変な状況を引き起こしてしまったとしても

自分の解釈次第で嫌な出来事にも良い出来事にでもなる」

 

ということだ。

 

 

 

 

つまりこれって、

「判断を他者に委ねない、自分の好きにできるからめちゃくちゃ楽」

なんだよ。

 

 

嫌な出来事を良い出来事として解釈できるようになるには、

日頃から自分の成長を実感していけば良い。

 

 

一見すると自分が悪くないものでも、

自分で引き起こしたことだと思えば、

その経験を生かして次に繋げることができる。

 

 

「他者が自分を快適にさせてくれるかどうか」や

「他社によって自分が傷つかないか」

 

 

ということに目を向けていては

常ににそのことばかり意識を取られてしまい、

大きく成長することはできないだろう。

 

 

自分のことしか考えていない、

視野が狭まっている状態だからである。

 

 

その上、何かを恨んでいる暗い自分のままでは、

自分を愛せていないゆえに不満も多く、

「自分が愛せない自分」であり続けるために

いつまでもやりたいことを実現できないし、

付き合う人も限られていくことにもなる。

 

 

こういった性格から脱却するためにも

「良い人」を演じることをしなくなるためにも

「傷つきたくない」という目的のために

無理に予防線を張ることもなく、

ありのままの自分で生きるためにも

好きなように振る舞ったら良いのだ。

 

 

行きたいところに行けば良いし、

やりたいことをやれば良い。

 

とにかく

 

「頭に描いている自分のイメージを

すぐに実践して体現させること。」

 

 

 

それに気づいてから楽になった。

 

 

僕の場合は旅行で全国を飛び回ることかな。

 

 

自分がどう振る舞おうと、

相手の感情までコントロールできないんだし。

 

 

それならいっそのこと

「自分はこうだから」って

開き直ってしまったほうが良いだろう。

 

 

結果、僕の場合だが、

自分の機嫌を取ることにしか興味がなくなった。

 

 

その結果…

 

「他人の言動が自分を不快にさせるかどうか」

 

以前に比べてあまり気にならなくなった。

 

 

まぁ失礼な奴がいたら相応の態度は取るかもしれないけど、

基本的にはスルーすれば良いし

人が自分をどう思うかあまり深く考えない。

 

 

「相手がどう感じるか、どう考えるのか」

こういった相手の思考は相手の問題だし

そこは自分の踏み込むべき領域じゃないからだ。

 

 

同様に、

「相手が自分をどう思うか」も、

自分にはどうにでもできないことだし

相手の自由にさせておけば良いだろう。

 

 

不幸な人生を送りたい人は

悲劇のヒーロー(ヒロイン)ぶって被害妄想を続けるだろうし、

 

 

自分の人生を変えたい、成長したいと思っている人は

どんな出来事からも学ぶことが出来るからだ。

 

 

全ての出来事はね、必要があるから起こるんだ。

 

 

「目の前の相手が何を求めて伝えようとしているのか?」

「過去にどういう経緯があって今こういう状況なのか?」

 

 

相手がどんなメッセージを発しているのかを考えるようにすることで、

自分自身の成長にも繋がる。

 

 

すべての人と仲良くする必要はないかもしれないが、

理解しようと努めることで大きな気付きにもなる。

 

 

自分の本当の気持がわからない人、

やりたいことがわからない人、

もやもやしながら毎日を送っている人、

世の中にはそんな人達がたくさんいることだろう。

 

 

僕は、自分探しの人生もいいけど、

宝探しの人生を送る方がもっと簡単だと思う。

 

 

「宝」とは「学び」のことだ。

 

 

何気なく過ごしている毎日でも

自分の成長となるための「宝」が

そのへんに転がっているはず。

 

 

より多くの「宝」を見つけるために、

普段のあなたではあまり見ないような部分にも

目を向けていってみてはいかがだろうか。

 

 

もしかしたら巨大な財宝が隠されているかもしれない…。

 

負の感情も他人の攻撃も気にならなくなる魔法の言葉

最近はついイラッとしてしまう自分に目を向けて
これはいけないと思い、いろいろ対処するようにしている。

 

その場合は一旦冷静になってこう思うことにしている。

 

「自分はまだ自分の問題が解決できていない。」

 

この言葉の意味は明白で、自分自身がまだ未熟だから
他人の言動によって自分の感情が左右されるというもの。
怒りや悲しみなどの「負の感情」が湧き上がってきてしまうのだ。

そうならないように日々学んで成長していきたいよね。

 

一方で、自分の周囲において嫌な言動をする人は最近では少なくなったけど、
街中だとどうしても赤の他人と関わることになるわけだし
理不尽な思いをするケースだってあるわけだ。

 

相手の悪意ある言動の被害を受けてしまうことだってあるだろう。

 

 

その場合も同様に、

 

「相手はまだ相手の問題が解決できてない。」

 

と思えば良い。

 

 

自分自身で湧き上がらせている負の感情も
相手からの悪意ある理不尽な言動も
自分の成長のチャンスになるわけだ。

 

そう考えると、傷つくことや不快な気持ちになることを
過剰に恐れずに済むのでは?と思う。

 

人は本来、人を傷つけることなんて出来ない。

 

ナイフなど物理的に人を傷つけることは出来るし、
実際刺されたら怪我するし下手したら死ぬし
刺した人は逮捕されるわけだが…

 

一方で、悪口や非難、その他罵詈雑言など負の要素を含む
「言葉のナイフ」というものは…

 

「避けられる」

「ガードできる」

「刺さってもすぐに傷口を消せる」

 

などという選択肢だって存在するわけだ。

 

考えてみたらいくらでも自分でどうにかできるんだから、
実際に刺されるよりかはマシだよね。

 

 

ナイフに催眠術かけようとしたけどダメだった…。
 

 

つまり、他者からの物理的でない、「精神的な暴力」に関しては
自分自身で「なかったことにできる」のだ。

 

こうなると
「言葉のナイフを刺した奴を養護するのか」
と思われそうだが、そうではない。

 

自分の人生を楽しく生きるか、自分らしく生きるかどうかについて、

「自分の人生は自分で決めるもの。」

という考えがある。

 

 

「相手が暴力的な言動をした」という事実はあったとして、
それを実際罪に問うべきものなのかどうかはとりあえず置いておいて、

嫌な出来事に対して自分をどんな人物像に仕立て上げるかは、
他の誰でもない、自分の人生に対する責任なのだ。

 

 

仮に「救世主」があなたの元に現れて心の傷を癒やしてくれたとしても、
あなたの生き方や考え方について変えることが出来るのは、
他の人じゃできないからね。

 

 

救世主がいないと生きられない、弱々しい「村人A」として生きるのか、
世の中や特定の人物に対する恨みつらみが消えずに、「悪の化身」と化して世界を闇に葬るのか、
救世主のおかげで自分は助かった、じゃあ今度は自分が人々を助けようと
「ヒーロー(ヒロイン)」のようなカリスマ的存在として生きるのか

 

…などなど

 

全てあなたが自由に生き方を決められるのだ。

 

 

もしあなたが「傷つかない」という選択肢をとれるようになりたいというのであれば、
心を鍛えていく必要がある。

 

 

筋肉はジムや日々のトレーニングで鍛えられるが
「心を鍛える」というのはジム通いじゃできない。

 

 

ではどうすればよいのかというと、

 

「少しでも多くの言葉や価値観、物の見方を知っておく。」

 

必要がある。

 

 

ちょっとしたことでも傷つく人もいれば、
何を言っても無反応な人がいるように、
一つの物事にしてもいろんな解釈と反応、考え方があるわけだ。

 

だったらできるだけ反応しないほうが良い。

 

その方が精神衛生上自分が楽になるのである。

 

そのためには

相手を「人間ではない、一つの現象」

みたいにバッサリ捉えてしまうというのもアリだ。

 

 

 

こちらの書籍でわかったことだが…

 

自分がマイナスの感情を放つから
失敗して怒られた時にも相手の感情を逆なでさせて
ますます怒られてしまうことになるのだ。

 

それに自分が影響を受けて病んでしまうのでは
自分自身が一番苦しくなるだけ。

 

先に自分で反省して自分の中で解決してしまえば、
あとは怒られても平謝りしておけば良いだけ。
相手も平然な人には反応しないからそれ以上怒られることはない。

 

「失敗しちゃいけない」
「ちゃんとやらなきゃ」
と萎縮したり緊張したりしてまた失敗してしまう、
また怒られるということも避けられる。

 

(↑引用するのが面倒だから僕自身の言葉で書いてるけど、
書籍のほうが素敵な文章なので、気になる方はぜひ書籍を読んでいただきたい。)

 

 

相手からの一方的な価値観の押しつけ、
相手からの理不尽かつ暴力的な言動、
相手のミスや勘違いなのに自分が怒られた、

 

…などというのであれば
なおさら「反応しない」ことが必要になる。

 

 

だから、この言葉が意味をなすのだ。

 

「相手はまだ相手の問題が解決できていない。」

 

あなたが自分の感情を自分でコントロールできるのと同じように、
相手が負の感情を生み出すのかどうかも相手が決めることである。

 

それが出来てないということは相手の課題でもあるし、
本来、あなたには関係ないのだ。

 

 

それを受け取ってしまうと、
「相手の課題」を「自分の課題」にしてしまうことになる。

 

 

僕も正直な性格だから
嫌いな人間には基本塩対応だったり、
明らか避けてるの(苦手に思っているの)見え見えだったり
悪気なくても誤解されるような言動もしてしまったりしたから
過去の人間関係においてトラブルも多かった。

 

 

まぁやたら協調性やルール、一方的な価値観を押し付ける日本社会が異常なだけであって
トラブルが全く無いという人の方がむしろいないのかもしれないが、
相手を刺激させない程度のスルー力は身に付けたいし、
つまらない衝突は避けていつでものらりくらり生きていたいよね。

 

そのためには「自分」と「相手」の境界を
明確にしておかないとね。

 

 

「相手の問題と自分の問題を切り分けて考える」

 

このことについても今後深掘りして詳しく説明できたらと思う。

 

 

以前購入したこの本もまた読み返してみようかな。

 

 

 

 

のらりくらりと。

(↑最近、気に入ってる言葉らしい。)

「腹」で考える習慣をつけよう

先日こちらの記事↓で紹介した書籍を読み終えた。

 

 

呼吸法についてはあれこれ書籍が出ていると思うけど、
「何秒吸って、何秒吐いて。」などという法則や回数は
別に気にしなくて良いんだなと思った。

 

そもそもその回数や時間には理由があるのか?って話だし、
自分が無理なく出来るかどうかが一番なんだよね。

 

というわけで、呼吸が浅いなと感じたら
出来るだけ息を長く吐くようにしている。

 

常に無理して意識する必要はないから、
リラックスしている時や、仕事中比較的手が空いている時だけやる。

それだけでだいぶ違ってくるんじゃないかなと思う。

 

さらに、書籍には「正しい姿勢」についても書かれていた。

 

無理のない姿勢についてはつま先立ちになると良いらしい。
そして肩を上げ下げする。
無理なく上げ下げできるところがベストな肩の位置のようだ。

 

僕はかつて猫背を指摘されてから数々の書籍を読み漁り、
どのような姿勢になればよいのかを模索していた。
気づいた時に鏡を見て姿勢を正すなどしていくうちに
姿勢は良くなっては来たのだが、
やはり身体にはいろいろ無理が生じていたようだ。

 

もちろん猫背のままではいけないのだけど、
背筋をピンと張ろうとすると身体に無理な力が加わってしまう。

 

藤平光一氏の書籍によると、リラックスした状態の人間は一番強いらしい。
つま先立ちで肩を上げ下げすれば自然とリラックした姿勢になるので、
気づいた時に身体をリセットするべく行うようにしている。

 

 

それと、書籍の中では、
内面を常に穏やかに保つための考え方も書かれていて参考になった。

 

その鍵となるのが、「臍下の一点」

 

今後、感情的になりそうだったらこの「臍下の一点」を意識すれば良いらしい。

 

「頭にくる」などの言葉があるように、頭で考えようとするから感情的になる。
逆に、「腹を決める」「腹に落ちる」などの言葉があるように、
エネルギーを腹に持っていくことで消化することが出来るようだ。

 

 

ちなみに以前僕はブログの中で、
「ネガティブな感情が湧き上がってきたらその感情に振り回されず、
ブラックホールのようなものを見つめているような感覚になろう」
と良いということを提案した。

 

 

僕の大好きなおそ松さんの楽曲である「第四銀河大付属高校校歌」の中に

ブラックホールが卑猥に見える

という歌詞があるのだけど、

 

嫌なことがあってイライラした時に

 

「今自分の中にエロいものが湧き上がっている!!」

 

と思ったらなんだかバカバカしくなってくるのでちょっとおすすめ(笑)。

 

 

結局、自分の機嫌を取るのは自分の責任だから、
自分が楽しく納得できれば何でも良いんだよね。

 

急に自分を変えようとすると
ストレス溜まったり嫌になったりすることもあるだろうから、
無理せずストレスなく自分を楽にしていきましょう。

 

 

最後に、先日、「HEAL奇跡の治癒力」という映画を見たけど、
内面から健康になるにはどれも同じようなルールがあるんだなって思った。

 

↑上映会の感想はこちら。

 

僕のブログにもいろいろ楽に生きるためのヒントを書いているので、ぜひ読み漁ってみてね。

 

 

さて、「氣の呼吸法―全身に酸素を送り治癒力を高める」の感想をざっくり書いたけど、

書籍の内容には抽象的な表現が多い。

逆に自分が自然と一つになるような感覚など、イメージがしやすいところもある。

 

 

とはいえ自分自身では理解できることが限られてくるから
合氣道の道場に行ってみたほうが良さそうだな。

正しいやり方も教えてくれるだろうし、何より一緒に学ぶ仲間もできるのは大きい。

 

実際にやるかどうかはともかく、タイミングがあったら見学に足を運んでみようと思う。

心のバランスを保つには「ヒガメンタル」を意識しよう

さっそく本題に入るが、タイトルにもあるように心のバランスを保って

人生をより楽しく穏やかな気持ちで生きていくには

「ヒガ」を意識する!!!!ことが大切。

 

 

「ヒガ」というと僕の場合、まず先に思いつくのは「比嘉さん」だね。

 

沖縄に多い名字として知られていて、
沖縄だと職場のチームや学校のクラスに1人…いや下手すりゃ5人以上はいるんじゃないかと思われるくらい、
沖縄じゃかな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜りポピュラーな名字だ。

 

 

でもその「ヒガ」じゃないんだよなー。

 

 

僕が言っている「ヒガ」というのは

「彼我(ヒガ)」のことだ。

 

 

つまり、彼(相手、You)と我(自分、Me)という意味だ。

 

 

自分の心の状態が

 

①「彼(相手、You)」が優位な状態なのか

 

それとも

 

②「我(自分、Me)」が優位な状態なのか

 

それとも

 

③「彼」と「我」が両方共バランス良く保たれている状態なのか

 

…ということだ。

 

 

理想なのは紛れもなく

 

③両方共バランス良く保たれている状態なのか

 

だ。

 

つまり「彼」と「我」、どちらにも偏りすぎず釣り合っている状態のことだ。

 

 

そう、この状態!これが理想なんだ。

 

 

これを今日から「彼我(ヒガ)メンタル」と呼ぶことにしよう。

 

この青いやつ(彼)と赤いやつ(我)がどちらかに偏りすぎていると、
あらゆる面で生きづらさを感じてしまうだろう。

 

 

ではこの比嘉さん…じゃなかった
「彼我」を意識するにはどうすればよいのか。

 

 

 

 

上図のように今ちょっと自分本位になりすぎていると言うか、
「我」が強いなぁと感じたら
これは①「我(ガ)メンタル」になっている証拠。
少し抑えて周囲のことを気にするように心がける。

 

 

逆に、人のことを気にしすぎて自分の気持ちが疎かになっていたら
相手を優先しすぎている状態。
②「彼(ヒ)メンタル」になっている証拠。
自分の欲求を聞くように意識しよう。

 

 

人間はあらゆる欲求でできている生き物だからエゴなしでは生きていけないし
他者の言う事ばかり聞いているようじゃ自分の人生を生きていけない。

 

要するに、「彼」だけでもダメだし「我」だけでもダメだってこと。

どちらかが強すぎるとどちらにせよ自分を苦しめることになるのだ。

 

だからとにかくバランス、バランスが大事なんだ。

 

 

「我メンタル」でもなく

「彼メンタル」でもなく

「彼我(ヒガ)メンタル」

 

 

そう、この「彼我メンタル」…これが理想の境地なんだ。

 

 

それは神のように神々しいのだ。

 

 

というわけで(?)神々しさを表現するべく背景を黄色にしてみた。

 

 

ホラ見て、背景を黄色にしただけでなんかちょっと気持ちが明るくなったでしょ?

 

 

でも実際バランスが保たれているとこれくらい心の状態が安定するはずなんだ。

 

常にこの「彼我メンタル」の状態になれるように自分と会話をするようにしよう。

 

 

「あ、今ちょっと自己中心的だな。もっと人の気持ちに敏感になろう。」

「あ、今なんか人の顔色伺いすぎているな。もっと気楽になろう。」

 

 

という感じで。

 

それでも怒りが湧いてきたり不安を強く感じたりしているようであれば

上の図を思い出してみて。

 

 

無理しない程度で良いので、

自分の感情を客観的に見つめるようにしていこう。

 

 

逆にこの「彼我」を意識しすぎて
「ヒガ」のことばっかり考えてしまって
「比嘉さん」にうっかり恋心を抱いてしまうことように注意しよう。

 

 

ま、たまにはそんな恋愛も良いけどね!!!!

 

 

(なんだこの結論)