他人の感情なんて気にしなくていいのサ

以前、以下の記事↓で「自分の問題」と「相手の問題」を切り分ける、といった内容について説明した。

 

 

自分が楽になるためにも、相手を本当の意味で思いやるためにも、
「自分」と「相手」の領域は認識しておくことが大切なのだ。

 

今回はより情緒的な面、

「自分の感情」と「相手の感情」の切り分け方についてさらに深掘りしていきたい。

 

 

 

最近、ちょっと面倒なことが起きた。

 

 

いや、僕も言い方が悪かったなという反省はあったのだけれど、

 

 

明らかに相手が自分で事を招いたというか、
相手が勝手に思い込んで僕にきちんとした確認もせず勝手に話を進めていたのだ。

 

それで両者で認識が違っていたという事態が起きた。

 

さらに、自分で事を招いたにも関わらず、
「〇〇してもらえないと困るんですよ。」というようなことを僕に言ってきたのだ。

 

 

まぁ簡単に言うと…

 

 

「そんなの知るかよ(笑)。」と言いたくなるような出来事だった。

 

 

しかも、相手は相手でこちらを悪いと思っているフシがあるらしく、
自らの過失を認めつつも特にちゃんとした謝罪の言葉はなかった。

 

 

ただ、相手も一応相手自身のしたことは反省したようで、
事が起こった後はこちらにきちんと確認してきた。

 

 

そして、最終的には両者が妥協できる形で落ち着いたから別に良いんだけどね。

 

 

でもなんだかモヤッと来た、ぶっちゃけ。

 

 

俺が相手の立場だったら、きちんと確認しなかったこちらが悪いと思ってちゃんと謝るし、
実際、こちらの何気ない発言で相手が間違った認識で動いてしまっていたことは申し訳なく思った。

 

しかし、実際動く前に再確認するなどしてもらわなければ、そんな事情はわからないわけである。

 

さらに、「こちらも悪いところはあったけど、心底納得していない。」みたいな空気を
相手から感じ取ってしまったからだ。

 

 

あーーーーーーーーめんどくせーーーーーーー!!!!!!!!!

 

 

って思ったね(笑)。

 

 

…愚痴ってしまって申し訳ない。

 

 

でも、こういうトラブルって誰もが経験したことあると思うんだ。

 

 

「相手だって悪い部分があるのに、被害妄想が激しいなぁ。」

 

とか

 

「一方的にこちらが悪いみたいになるのは納得いかない。」

 

とか

 

このような感じで、

モヤモヤした感情になることはあなたも少なくないのではないか。

 

むしろ「そんなのしょっちゅうだよ!」っていう人もいるかもね。

 

 

でも、こういう出来事っていうのは、意味があって起こるんだよ。

 

 

 

こういう事態になった時、気をつけたいことがいくつかある。

 

 

まず…

 

相手のせいにするのは簡単だけれど、被害妄想的な考えにはならないこと。

 

 

起こってしまったことに対して、いつまでも怒っていたって仕方がない。

どう気をつけたら良いのか?自分の中での改善点を探し出すなり、

相手はどうしてほしかったのか?と考察するなりしよう。

 

次に…

 

例え相手があなたのせいにしてきても、そんなのは放っておこう。

 

 

これは簡単なことで、

そんなことに時間もエネルギーも奪われてしまうのは無駄なことだからだ。

 

自分のことは十分に愛せている分、自分に対する評価には無関心で、

「あぁ、そうですか。」と受け流す、

もしくは笑ってネタにするくらいが丁度よい。

 

※ちなみに僕としては、NON STYLEの井上さんみたいな生き方が理想だ。

 

自分のことを十分に愛せていれば、他人がなんと言おうか気にならない。
 

 

そして…

 

 

人がどう言おうと、あなたはあなたの内面だけに目を向けて、
自分が成長するような考え方を身に着けるようにしよう。

 

 

つまり、人間関係に置いて、こういうモヤッとした感情になった時に
ぜひ思い出してほしいことがある。

 

 

それは…

 

「相手の被害妄想、相手の自分に対する怒りの感情は相手の問題だ。」

 

ということである。

 

 

事態を招いた原因は、もちろん自分にもあるかもしれないが、
犯罪や暴力、権力の乱用などを除き、
大抵のことはどちらかが100%悪いということはないのである。

 

 

今回の場合、僕は

 

「僕自身も思い込みが強いため、

“もしかしたら”のことを考えて相手に確認しなかったのが問題だった。」

 

「相手が何も言わなければ(特に問題ないと思い込み)

こちらは何もしない、という受け身の姿勢が問題だった。」

 

という「自分の反省点」を明確にすることができた。

 

 

一方で、相手のことはどうだろう。

 

 

冒頭で相手の行為について「事前に確認してこなかった」と言ってしまったが、

相手は相手の問題なので、

正直、「推測はできるが、わからない。」というのが僕の答えだ。

 

 

誤解を恐れず言えば、

「相手の問題は相手の問題なんだから、僕には関係ない。」

ということである。

 

相手がキレようが泣こうがこちらのせいにしてこようが
徹底的に「他人は他人、自分は自分。」を貫く。

 

それが相手に対する本当の思いやりで、健全なメンタルを保つための姿勢なのだ。

 

一見逃げているように見えるけど、これがお互いにとってベストな考え方なんだよ。

 

どこまでが自分の責任で、自分が相手の機嫌を取らなくちゃいけなくて…

などと考え始めたらキリがないからね。

 

 

「自分が解決できる領域」と「自分には解決できない領域」

これらを区別することが大切なんだ。

 

 

自分の領域(問題、願望など)だけを把握しておこう。相手の領域は未知数なのだから。
 

 

 

ここで、「相手を迷惑をかけてしまって自分ってダメな奴」とか
「何をしたら自分に対する印象を良くしてくれるかなぁ?」とか…

 

相手の考え方や感情に踏み込むような、余計なことを考えてはいけない。

 

というか、そんな事を考えたって仕方がない。

 

直接相手に聞くならともかく、

勝手に自分自身で思い込んでいるからだ。

 

それは「自分にとって解決できない領域」なのである。

 

 

もし問題が起きて、

あなたが「〇〇してきたのは明らかに相手が悪いのに!」と思ってしまったら、

それは「相手の問題に踏み込んでしまっている」ということだ。

 

 

ここでもう一度思い出してほしい。

 

 

「相手の被害妄想、相手の自分に対する怒りの感情は相手の問題だ。」

 

 

私は私の好きなように生きる。

 

それを嫌だと思う、文句があるのならご自由にどうぞ。

 

 

自分の人生を楽しく生きるのも、誰かを嫌ったり恨んだりするのも、

その人の自由であり、

その人の人生における「その人自身の責任」なのだ。

 

あなたが自分の身を捧げて削ってまで解決するべきことじゃない。

 

相手のことは、相手を信頼して、相手に任せよう。

 

例え一時的に嫌な感情になったとしても、

自己成長できる人は自分自身できちんと考えてくれるから。

 

なので、起きたことに対していつまでも怒ったり悲しんだりしないこと。

 

 

というわけで、まとめると

 

「他人があなたのせいにしようがあなたに不満を抱こうがそんなの関係ない。

それは相手の人生に対する相手自身の責任だからだ。

 

あなたはあなたの人生を、自分自身のために生きればよい。

それがあなたの人生に対するあなた自身の責任だ。」

 

 

…ということだ。

 

 

ただし、相手が明らかに名誉毀損や営業妨害に当たる行為をしてきたときは、

あなた自身の「正義」を守るためにも、徹底的に戦って良いと思うよ。

 

 

でもあなた(もしくは相手)に悪意がなくてことが起こった場合、

大概のことは、相手(あなた)がどのように受け取ろうが自己責任の範囲である。

 

それを捻くれた認識で捉えすぎてしまうと、人間嫌いになってしまうのである。

 

↓これについて、もしよければこちらの記事も参考にしてほしい。

 

別に人が好きにならなくても良いけど、

人に対してさほど期待しなければ嫌いにもならないと思うんだ。

 

 

あなたに対して怒り狂っている相手がいたとしても、

それに怯むこと無く、

「ふーん、そうなんだー。」とただただ眺めていればいい。

 

それから、相手の事情を把握した上で、

自分を客観視して解決策(改善点など)を見出してみよう。

 

 

急には難しくても、少しずつ、実践してみてほしい。

 

 

 

日常で一つ一つの出来事や感情に対して、

「これは自分の問題か?」「これは相手の問題か?」

って考えるのもおすすめ!

 

 

こういったことを続けていくうちに、

 

周囲の人に気を使いすぎて、相手のことを考えすぎて疲れてしまう…

 

そんなこともなくなるはずだ。

 

 

というか…そんなこと、もうしなくて良い。

 

 

自分のために生きていこうよ。

コミュニティやイベントは「見えない想い」の宝物庫

トランス仲間とビーチパーティだった。

 

一応当事者向けの企画だったので、新規の方の参加もあった。

 

イベントごとにいつも会う仲間とも楽しく話せたし、
新しい方とも話せて新しい発見があった。

 

↑えらく波が激しかった昨年。これじゃ泳げん。
 

台風が近海を通っていたものの波も穏やかだったので、
久しぶりに海に入れてスッキリした。

 

 

僕が最近実践しているアーシングだけど、
海で泳ぐだけでもその効果があるらしいしね。

 

確かに海で泳ぐとさっぱりした気持ちになるし、
さらに仲間と楽しく過ごすことでストレスが緩和されていく気がした。

 

「病は気から」という言葉通り、
一人で悶々としてばかりではストレスが溜まってしまうし、
視野も狭くなりがち。

 

様々なコミュニティを持って、
色んな人と話をしたり思い切り遊んだりすることで、
見えていなかったものが見えるようになるし、
いろんな情報も得られるようになる。

 

どうしても一人で過ごしがちだけれど、
こういう時間をもっと増やす必要もあるんだろうなぁ。

 

というわけで、出来るだけ引きこもらずに
アンテナ立てて行動範囲を広げていきたい。

 

僕は基本的に、どんな人とも関係を築いていきたいと思っているが、
やっぱり同じ悩みを抱えている人同士って通じるものがあるし、
一緒にいて楽しい。

 

僕と同じ旅行好きな人も結構いるので
その情報についても共有できたし。

 

バーやコミュニティ、イベントなどの場で皆が出会いを求めているのも同じような感じで、
「繋がり」を求めるのは、人として自然な行為なんだよね。

 

単細胞生物だって性行為をするらしいしね。↓

 

 

最近僕は、LGBTの会社設立のスタッフとして関わらせてもらっていて、
「マイノリティの人達が生きやすい場所づくり」
「マイノリティの人達が求めている情報」
を提供するのに協力していきたいと思っている。

 

 

もちろんこうやって個人で発信するのもそうだし、
近日個人サイトを作る予定もあるし、
僕なりに世の中に対してどんどんメッセージを打ち出していきたいと考えている。

 

 

…ちなみに、この日は安室さんのライブがあったこともあり、
終日その話題で持ちきりだったのだ。

 

「沖縄中の居酒屋にファンの方が集まっているんだろうねー」
という話もしていた。

 

 

僕はギルガメッシュというバンドの解散ライブに行ったことがあるけど、
「終」を連想するライブやコンサートというのは、
やっぱりいたたまれない気持ちになるものだよね。

 

未だになんだか切なくなることもあるし。

 

その分ライブ当日は感動も大きかったけれど。

 

そんな時に同じ思いをしている人達が近くにいれば、心強いと思う。

 

その時はTwitterをやっていたから、
まだ他の人と「繋がっている」感を実感することが出来た。

 

だからこそ救われたし、物事を前向きに捉えられたのである。

 

それがなかったら、完全に打ち塞がれた状態で過ごしてしまった可能性もある。

 

実際、バンド解散後、わずか1年も立たない内に、
東京でギルガメッシュ中心のクラブイベントが行われた。
(もちろんクラブイベントなので本人は不在。)

 

そのイベントは、岩瀬ガッツさん(ファンキーディスコボーイズ)を中心に行われ、

 

「ギルガメッシュに復活してほしい!」
「ギルガメッシュの音楽でまた暴れまくりたい!」
「ギルガメッシュって本当に凄いバンドなんだぜ!」

 

…というような、「同じ思い」を抱いた人達が集まったイベントである。

恐らくだが、少なくとも僕はそう認識した。

 

↓ガッツさんによる第一回目のイベントの感想はこちら。

 

 

実際バンドメンバーの本人は誰もいないし、
僕自身は特にイベントに参加した誰ともお話したわけではないが、
どういうわけか楽しかった。

 

 

上に挙げたような、「ギルガメッシュを愛する」気持ちが
「空気」として伝わってきたからである。

 

バンドメンバーご本人もイベント前に来場し、花を贈ってきたそうである。

 

 

要するに、「一体感」が会場を超えて色んな人に伝わっていくんだよね。

 

その後も定期的にそのイベントは行われているらしい。

 

なかなか本土に行く機会が限られてしまっているけれど、ぜひまた行きたい。

 

 

そういう気持ちに自然となるのは、
「理屈」ではなく「思い」に人は動かされるからなのだと思う。

 

 

というわけで、どのようなジャンルや状況においても、
人は、「安心感」や「同じ思い」を共有するために
「出会い」や「繋がり」を求めていることがわかった。

 

 

そういう「皆が抱いている見えない言葉」を形にしていくことが
「生きやすい社会」を作ることになるのだ。

 

 

その上で重要となるのが、「コミュニティ」という存在だ。

 

 

日本人は基本的にTwitterなどで鬱憤晴らしをするくらい、
ストレスや悩み、苦しみ、不安…などといった気持ちを抱えている人が多い。

 

 

恐らくそれは気持ちの奥深くでモヤモヤしていて、
実態のないものも多い。

 

 

似たような思いや境遇の人同士でしかわかりえないことも多いので、
そんな人達との出会いが少ない場合、
職場や学校ではその思いを抑えて過ごすことになるからだ。

 

 

 

でも、今後は皆が「自分らしさ」をもっと出して良い時代になってくるはず。

 

 

そのためにも、このモヤモヤした思いを解決するには
「その思いを具体的に形にしたもの」を見つけ出していく必要があるのだ。

 

 

「その思いを具体的に形にしたもの」に人が集まってくるからだ。

 

 

それは何かと言うと、この記事で取り上げた内容としては、

僕が実際に行った「解散したバンドをテーマにしたクラブイベント」や、

今関わっているこのGID(トランス)のコミュニティなのだ。

 

LGBTの会社で今後打ち出していくサービス(場所や情報などの提供)もそれに該当するだろう。

 

そして、安室さんの場合でも、彼女のコンサートやそれに関連するイベント、
各地やSNSに存在するコミュニティなどがきっとあることだろう。

 

他にも、LGBT向けのイベントであれば、プライドパレードなどがあるし、
各地において当事者向けのバーや様々なコミュニティが存在する。

 

 

それらの「思いを具体的に形にしたもの」ももちろんのこと、

 

「皆が感じているはずなんだけれど、見えないし、気づいていない。」

 

この感覚にもっと敏感になっていこうと思った。

 

 

そこに宝の地図、つまり「皆が心底求めているもの」のヒントがある。

 

 

そして、宝のありかをより探しやすくするために、

「自分が抱いている熱い想い」をどんどん共有していこう。

 

 

その「想い」に対して、言葉に出来ないだけで気づいていない人も多いはずだ。

 

 

というわけで、

「やりたい!」と思ったことはやったら良いし、

「言いたい!」と思ったことはどんどん言ったほうが良い。

 

 

「正解」や「間違い」などないのだから、

皆の言葉や抱いている想いをヒントに、

自分の直感を信じて行動を起こしていこうと思う。

 

 

 

人生は宝探し。

 

人間、死ぬこと以外はかすり傷。

 

どんどん怪我しよう。

負の感情も他人の攻撃も気にならなくなる魔法の言葉

最近はついイラッとしてしまう自分に目を向けて
これはいけないと思い、いろいろ対処するようにしている。

 

その場合は一旦冷静になってこう思うことにしている。

 

「自分はまだ自分の問題が解決できていない。」

 

この言葉の意味は明白で、自分自身がまだ未熟だから
他人の言動によって自分の感情が左右されるというもの。
怒りや悲しみなどの「負の感情」が湧き上がってきてしまうのだ。

そうならないように日々学んで成長していきたいよね。

 

一方で、自分の周囲において嫌な言動をする人は最近では少なくなったけど、
街中だとどうしても赤の他人と関わることになるわけだし
理不尽な思いをするケースだってあるわけだ。

 

相手の悪意ある言動の被害を受けてしまうことだってあるだろう。

 

 

その場合も同様に、

 

「相手はまだ相手の問題が解決できてない。」

 

と思えば良い。

 

 

自分自身で湧き上がらせている負の感情も
相手からの悪意ある理不尽な言動も
自分の成長のチャンスになるわけだ。

 

そう考えると、傷つくことや不快な気持ちになることを
過剰に恐れずに済むのでは?と思う。

 

人は本来、人を傷つけることなんて出来ない。

 

ナイフなど物理的に人を傷つけることは出来るし、
実際刺されたら怪我するし下手したら死ぬし
刺した人は逮捕されるわけだが…

 

一方で、悪口や非難、その他罵詈雑言など負の要素を含む
「言葉のナイフ」というものは…

 

「避けられる」

「ガードできる」

「刺さってもすぐに傷口を消せる」

 

などという選択肢だって存在するわけだ。

 

考えてみたらいくらでも自分でどうにかできるんだから、
実際に刺されるよりかはマシだよね。

 

 

ナイフに催眠術かけようとしたけどダメだった…。
 

 

つまり、他者からの物理的でない、「精神的な暴力」に関しては
自分自身で「なかったことにできる」のだ。

 

こうなると
「言葉のナイフを刺した奴を養護するのか」
と思われそうだが、そうではない。

 

自分の人生を楽しく生きるか、自分らしく生きるかどうかについて、

「自分の人生は自分で決めるもの。」

という考えがある。

 

 

「相手が暴力的な言動をした」という事実はあったとして、
それを実際罪に問うべきものなのかどうかはとりあえず置いておいて、

嫌な出来事に対して自分をどんな人物像に仕立て上げるかは、
他の誰でもない、自分の人生に対する責任なのだ。

 

 

仮に「救世主」があなたの元に現れて心の傷を癒やしてくれたとしても、
あなたの生き方や考え方について変えることが出来るのは、
他の人じゃできないからね。

 

 

救世主がいないと生きられない、弱々しい「村人A」として生きるのか、
世の中や特定の人物に対する恨みつらみが消えずに、「悪の化身」と化して世界を闇に葬るのか、
救世主のおかげで自分は助かった、じゃあ今度は自分が人々を助けようと
「ヒーロー(ヒロイン)」のようなカリスマ的存在として生きるのか

 

…などなど

 

全てあなたが自由に生き方を決められるのだ。

 

 

もしあなたが「傷つかない」という選択肢をとれるようになりたいというのであれば、
心を鍛えていく必要がある。

 

 

筋肉はジムや日々のトレーニングで鍛えられるが
「心を鍛える」というのはジム通いじゃできない。

 

 

ではどうすればよいのかというと、

 

「少しでも多くの言葉や価値観、物の見方を知っておく。」

 

必要がある。

 

 

ちょっとしたことでも傷つく人もいれば、
何を言っても無反応な人がいるように、
一つの物事にしてもいろんな解釈と反応、考え方があるわけだ。

 

だったらできるだけ反応しないほうが良い。

 

その方が精神衛生上自分が楽になるのである。

 

そのためには

相手を「人間ではない、一つの現象」

みたいにバッサリ捉えてしまうというのもアリだ。

 

 

 

こちらの書籍でわかったことだが…

 

自分がマイナスの感情を放つから
失敗して怒られた時にも相手の感情を逆なでさせて
ますます怒られてしまうことになるのだ。

 

それに自分が影響を受けて病んでしまうのでは
自分自身が一番苦しくなるだけ。

 

先に自分で反省して自分の中で解決してしまえば、
あとは怒られても平謝りしておけば良いだけ。
相手も平然な人には反応しないからそれ以上怒られることはない。

 

「失敗しちゃいけない」
「ちゃんとやらなきゃ」
と萎縮したり緊張したりしてまた失敗してしまう、
また怒られるということも避けられる。

 

(↑引用するのが面倒だから僕自身の言葉で書いてるけど、
書籍のほうが素敵な文章なので、気になる方はぜひ書籍を読んでいただきたい。)

 

 

相手からの一方的な価値観の押しつけ、
相手からの理不尽かつ暴力的な言動、
相手のミスや勘違いなのに自分が怒られた、

 

…などというのであれば
なおさら「反応しない」ことが必要になる。

 

 

だから、この言葉が意味をなすのだ。

 

「相手はまだ相手の問題が解決できていない。」

 

あなたが自分の感情を自分でコントロールできるのと同じように、
相手が負の感情を生み出すのかどうかも相手が決めることである。

 

それが出来てないということは相手の課題でもあるし、
本来、あなたには関係ないのだ。

 

 

それを受け取ってしまうと、
「相手の課題」を「自分の課題」にしてしまうことになる。

 

 

僕も正直な性格だから
嫌いな人間には基本塩対応だったり、
明らか避けてるの(苦手に思っているの)見え見えだったり
悪気なくても誤解されるような言動もしてしまったりしたから
過去の人間関係においてトラブルも多かった。

 

 

まぁやたら協調性やルール、一方的な価値観を押し付ける日本社会が異常なだけであって
トラブルが全く無いという人の方がむしろいないのかもしれないが、
相手を刺激させない程度のスルー力は身に付けたいし、
つまらない衝突は避けていつでものらりくらり生きていたいよね。

 

そのためには「自分」と「相手」の境界を
明確にしておかないとね。

 

 

「相手の問題と自分の問題を切り分けて考える」

 

このことについても今後深掘りして詳しく説明できたらと思う。

 

 

以前購入したこの本もまた読み返してみようかな。

 

 

 

 

のらりくらりと。

(↑最近、気に入ってる言葉らしい。)

「美しい蝶」ではなく、「蛹」の自分が一番美しい

自分はこれでもかというほど自己肯定感が低い生き物だったので
「今の自分じゃダメだ」と常に思い、

 

色々なことに興味を持っては夢中になる…
(途中で飽きて中途半端に終わることもしばしばだが)

 

そんなことを繰り返してきた。

 

イラスト、ダンス、DTM、縄、音楽(楽器の演奏、ライブ参戦)、料理、投資…などなど。
(現在もハマっているもの、興味のあることもあるが)

 

 

興味の対象を行っていることで自分が楽しい、
また、それをしている時の自分が好きというのであれば、
いろんなことに挑戦することはむしろやるべきことだと思うんだ。

 

でも、あまりにも「自分には何もない」と思い込んで、

 

・周囲の求める「ジェンダー」や「価値観」などに合った自分を演じようとする
・興味のかけらもないジャンルの資格を無理にでも取ろうとする
・あまり続けられなそうなことでお金を稼ごうとする
・気が向かないのに友人知人に合わせて趣味を始める
・周囲が皆結婚しているからなどの理由で、焦って婚活や出会いの場を求める
・SNSで見栄を張るために偽りの自分像をアピールする
・自分自身を美しくないと思いこんで整形にハマってしまう

 

…などなど。

 

こういうことはやめたほうが良い。

 

 

「挑戦すること」と、「やらされていること」は全く異なるものだ。

 

 

一見すると自発的にやっているように見えて、
全くそうでもないこともあるかもしれない。

 

 

仕事でも趣味でも家庭でもどんなことでも、

 

「それは本当に大好きなことなのか?」
「自分が心から必要としている、求めていることなのか?」
「周囲の意見に左右されていないか?」
「周りからの目を気にしていないか?」

このように、
自分の心に聞いてみよう。

 

 

もしかしたら、「嫌」という声が聞こえてくるかもしれない。

 

 

「他人のため」を思ってしていることではなく、
「他人の機嫌をうかがうため」にしていることは、
全て必要がないことだ。

 

 

人を喜ばせたくてすることではなく、
人からどう見られているかを気にして行動することは、
自分しか見えなくなってしまう状態だからだ。

 

 

自分しか見えないと、
一つの価値観に固執してしまいがちである。

 

 

「自分を必要以上に良く見せたい。」
「結婚しなきゃいけない。」
「女(男)らしくならなきゃいけない。」

 

などの「焦り」が生じてくることだろう。

 

 

何故、焦る必要があるのだろう。

 

 

周囲の人の声なんて「その人自身の意見」にすぎないんだから、
「そういう考えの人もいるんだな」と思っていれば良い。

 

 

他人の要求に従う必要なんて全く無いんだよ。

 

 

本当に「心地よいと感じる自分の状態」を開放してあげて、
自分の生き様をどう見せるのか…

 

それが一番大事なことだ。

 

誰かに見せるための「完璧」な自分は不自然だ。

 

自分が心地よく生きられるための「完全体」な自分で良いのだ。

 

 

「完璧」と「完全体」は違う。

 

 

今のあなたはまだ蛹かもしれない。

 

 

まだ蝶にもなっていない段階で

 

「美しい蝶にならなければいけない」
「自分が思い描く蝶の姿にならなければ愛してもらえない」

 

といった「完璧さ」を求めたって意味がない。

 

蝶になったらなったでその姿を受け入れる必要がある。

 

勘違いしないでほしいのが、
蛹は蛹の状態でも「完全体」なのである。

 

その状態を受け入れて、今の蛹の状態を楽しめば良い。

 

理想を諦めろということではない、
「完璧」を目指すなということだ。

 

「『完璧』な自分じゃなきゃ人に受け入れられない…。」
それは全て周囲の人の影響や過去の経験により、
自分自身が作り上げた「幻想」なのである。

 

 

 

例えば、僕が思う「魅力的な美人像」というものがある。

 

 

それは完璧な顔の作りではない。
ちょっと欠損(一般的に言うとコンプレックス)があるからこそ努力をするのだし、
その欠損があるからこそ人間らしい愛嬌さがある。

 

 

もちろん、性別だってそうだ。
僕は「女性になりたいMTFさん」のほうが
一般的なシスジェンダーの女性より女性らしいなと感じることが多々ある。

 

 

それは「完璧な女性」ではないからこその魅力があるからだと思う。
生きていく過程で苦しんだこと、努力してきたことなど、
その人ならではの「味わい」が出るからだ。

 

結果、その人独自の色気や醸し出される雰囲気に
非常に惹きつけられるのだ。

 

生き様が表れているというか、そんな感じ。

 

 

 

というわけで、

たとえ今のあなたが幼虫だろうが蛹だろうが蝶だろうが

今の自分を大切にしよう。

 

 

 

他人の嗜好に自分を合わせる必要なんて無い。

 

 

別に整形する人を否定はしないけれど、
そのままでも十分愛らしい人はいくらでもいる。

 

ほんのちょっと形を変える、
見栄えを良くするくらいだったら良いかもしれないけど、
「他人の好みや他人の理想像」に自分を合わせてしまうと、
本来の自分が持っている魅力が歪んでしまう危険性もあるからだ。

 

それで「もっともっと」と「完璧さ」を追求していくうちに
整形にハマってしまう人もいるかもしれないね。

 

 

「整形」は何も顔や体に限ったことじゃない、

 

 

性格的なもの、自分の生き方を無理矢理に「整形」してしまって
苦しんでいる人もたくさんいるし、
むしろ、そういった「内面的な整形」は精神的なものだから、
お金をかけずに気軽にできてしまうわけだし、
外見的な「整形」をする人よりもはるかに多いのではないか。

 

人として美しくある為にも、今の自分自身を愛することが大切。

 

仮に将来どんな姿になったとしても、その姿を隅から隅まで愛せる…

 

そんな自分になろう。

 

 

その上で、もっと美しく見えるように、
自分の魅力をさらに引き出す努力をしていけば良いんじゃないかな。

 

 

 

 

 

「自分を愛すること」についてより深掘りしたければ、
こちら↓の記事も参考にしてみてね。

 

 

 

あなたは今のままで十分美しい。

 

 

 

ちなみに今日のBGMは天野月子さん。

 

 

だからかちょっとエモい気分になっている…そんな土曜の夜だった。

新ジャンル「自分萌え」の勧め☆

アイドルファンにとって「推し」の存在は絶大だ。

 

「推し」がいるだけで元気になれる。
明日も頑張ろうと思える。

 

↑もがちゃん尊い。
 

実際に「誰かに会いたい」というだけで
日本全国を飛び回る人々もいるわけだし、
ランキングで1位にさせようとCDを買いまくる。
関連するグッズも買いまくる。
握手会にも並ぶしチェキも撮る。

 

実際それらが経済の貢献にもなっている。

 

「推し」のためなら自分の内蔵なんて安いもの!

もしかしたらそう思っている人もいるかもしれない。

 

 

アイドルファンの活動を馬鹿にする人もいるかもしれないが、
誰かを愛することは素晴らしいことであるし、
決して恥じることではないよ。

 

そもそも趣味の世界だから理解されなくて当たり前。

 

その活動が実際に「推し」にとっての喜びになって、
自分が満足していれば良いんだよ。
(迷惑行為は論外だけどね。)

 

 

誰かを愛すること、
誰かを応援すること、
それは素晴らしいことなんだ。

 

なのでぜひ自信を持って、自分の活動を続けていってほしいと思う。

 

 

が!!!!

 

 

ここで僕はあえて”他人”ではなく”自分”を推すことを推奨する。

“自分推し”を推すということだ。

 

 

ひたすら自分を愛でること、
自分に貢ぐこと、
自分を許すこと。

 

 

その名も「自分萌え☆」

 

 

たとえ失敗しても

「私(俺)可愛いてへぺろ☆」

て自分を許しちゃう。

 

 

成功したらしたで

「私(俺)すごいよくできる子!」

て自分を褒め称えちゃう。

 

 

神棚に自分の写真を添えて

崇め奉っちゃう。

 

 

…というのはやりすぎだけど…

 

 

そもそも世の中の人は自分に厳しすぎなのね。

 

 

何かあるとすぐに

「自分なんて何をやってもダメだ…」

て凹んじゃう。

 

 

例え表面では平静にしていても、

「”自分”というジャンルこそ最強!」

「世界に変革をもたらす影の覇者」

「暁に燃える静寂の騎士」

「白濁の海に浮かぶ透明の膜」

くらい思っていても良いと思うよ?

(※ただしこれ↑は中二すぎて意味が崩壊してるというか最後はただの牛乳)

 

 

そしてとにかく自分への投資は欠かせない。

 

 

快適に生きるために
もっと賢くなるために
もっと美しく(かっこよく)なるために

 

いくらでも自分に貢ぐ。

 

貢いで貢いで貢ぎまくる。

 

しかしさすがにお金が足らない。

 

だから稼ぐことも考えていかないといけない。

 

自分も含め誰かを愛すること…

それはお金の問題と随時向き合っていくことになるのだ。

 

 

実際僕は最近になって

「物」への消費からほぼ脱却して
「自分」へ投資するようになった。

 

以前から自己投資はする人間だったが、
その金額も以前より多くなったのだ。

 

僕だってなかなかうまくいかないこともある。

 

でも、とにかく成長している自分が可愛くて仕方がない。

その過程を楽しめるのは、そばにいる人でもできるが、
自分が一番実感できると思う。

 

どんなに失敗したとしても常に挑戦し続け、
何かに対する努力を惜しまない、
そんな自分が大好き。

 

だから、自分にはどんどんお金をかけようと思う。

 

音楽は好きだし、
これからも素晴らしい音楽を届けてくれるアーティストには
お金を払っていきたいと思うが
優先順位はあくまでも自分。

 

目指す自分像をひたすら追求してみるのも
その過程の自分を愛してみるのも
楽しいんじゃないかな?

 

僕は最近おそ松さんが好きで
2019年春公開予定の映画も観ようと思っているくらいだが、
カラ松やトド松、トト子ちゃんくらいの「自分好き」さは
見習いたいくらいのレベルである。
(ちなみに僕は一松推しだが材木松…カラ松&トド松のコンビが一番好きである。)

 

特にトト子ちゃんは恐ろしいほどエキセントリックで破壊的なキャラなのに
「嫌い」と言っている人をあまり見ないんだよね。(個人的な感覚だけど)
声優さんのラジオでは「犬みたい」と評されていたが、
あれくらい自分の欲望に忠実だと人は魅力に感じるのかもしれない。

 

カラ松のクソタンクトップはさすがにゴメンだけど。
(↑それ以前の問題な気がしなくもない)
 

以前は自分アピールの激しい人はあまり好きじゃなかったんだよね。
でもそれは自分が自分らしく振る舞えずに嫉妬していたのかもしれない。

 

逆だったんだよ。

 

人に合わせて自分を抑えていたら自分が好きじゃなくなる。
“ニンゲン”が”人間”でいようとするから無理が生じるんだ。
もっと犬みたいに自分の欲望に素直になろう。

 

そしたらいつの間にか自分が大好きになるから。

 

もし悪気なく人を不快にさせたら反省したり謝ったりすれば良いし、
何をしても文句を言う人は言うのだから、
理不尽な批判や一方的な欲求は聞き流してしまえば良い。

 

そう気づいてからは、もっと自分を開放してよいのだと思うようになった。

 

 

人生は長いようで短い。

一瞬一瞬の自分を大切にして、

 

「今日も頑張っている私(俺)が愛しくて仕方がない」

 

…と、

 

まるで季節の変化を感じるかのように

「自分萌え」をしみじみ感じていよう。