人から言われたことを気にする必要なんて、全く無い理由

「あなたの虹はどこから?」

「鼻から〜!」

 

…天海夜 煌琉でございます。

 

(↑最初の挨拶について、未だ試行錯誤中…というより迷走気味。)

 

 

さて、この前までずっと旅行記ばかり書いていたものだから、

自分の考えや日々の学びを書く機会が少なくなっていた。

 

 

なので、今日からは久しぶりに

「自分らしく気楽に生きるためのヒント」を

お伝えしたいと思う。

 

 

 

さて、今日のテーマは

 

「人から言われたことを気にする必要なんて、全く無い理由

 

ということで、話していきたいと思う。

 

 

 

 

とある一人の人物に対して、ある人は言う。

 

 

「あいつってさー、いつも自分のことしか考えてないよな。」

 

と。

 

 

それに対して、ある人は言う。

 

 

「え?あの人はだれよりもみんなのことを考えてるよ。」

 

と。

 

 

 

 

このようにとある対象に対して、

両者によって意見の違いが見られるのは

決して珍しいことではないと思う。

 

 

それは、人気の有名人や作品に対して、

ファンもいれば、アンチもいるということからも明白である。

 

 

 

この場合、

どちらの意見が正しいのだろうか。

 

 

 

結論から言うと、

「どちらも間違ってはいないのかもしれない。」

ということ。

 

 

 

なぜ「間違っていない」ではなく、

「かもしれない」かというと…

 

 

やはり、人間はどうしても何かを評価する際に、

個人的な感情が入ってしまうので、

 

実際よりも過剰に良い評価をしてしまったり、

逆に捻くれた解釈をして実際よりも悪い評価をしてしまったり

 

…などということもあるからだ。

 

 

 

その状態では、その人の下した評価が

必ずしも正しいとは言い切れないだろう。

 

 

 

 

繰り返すが、上の図の2人はそれぞれとある人に対して、

「良い評価(左)」と「悪い評価(右)」をしているかと思う。

 

 

同じ人物を評価しているのに、二人の解釈が違うのは、

「一人の人物」もとい「一つの対象」を違う視点から見ているからだ。

 

 

 

わかりやすいようにもっと簡素化して表現してみた。

 

 

 

 

図の物体は

一方から見ると青に見えるようだが、

もう一方から見ると、赤に見えるようだ。

 

そのため、それぞれが自分の見えている面の色を

主張していることがわかる。

 

 

このように、一つの対象を片方の面ばかり見ていると、

もう片方の面はどうしても見えなくなるので、

自分の見えている視点から、事実を主張することになる。

 

 

だから、同じ対象物を見ていても、

両者の意見は異なるということだ。

 

 

それは見ての通り、一つの側面から対象を判断しているからだ。

 

 

しかし、2人とも、

対象に対する客観的な評価としては

決して間違ってはいないのだ。

 

 

評価している人が、その人の視点から、

「あなたにはそう見えるだろうが、私にはこう見える。」

と、その人なりの見解を言っているからである。

 

 

 

赤に見えるのだったら、赤に見えるのだろうし、

青に見えるのだったら、青に見えるのだろう。

 

 

同様に、良い人に見えるんだったら、良い人なのだろうし、

逆に悪い人に見えるのであれば、悪い人なのだろう。

 

 

 

事実はともかく、

少なくとも「その人の視点」という意味では、

その意見は間違いではないのだ。

 

 

 

だまし絵などはよく知られているかと思う。

 

 

 

 

上の図については、

もしかしたら花瓶のような形のオブジェに見える人もいるかもしれない。

 

 

その一方で、

キスしようとしているのか変顔大会しているのかわからないが、

2人の人物が向かい合っていると思う人もいるだろう。

 

 

 

これも同じことで、一度どちらかで見えてしまったら、

なかなか別の見え方で捉えるのは難しいだろう。

 

 

でも、どちらも正しいのだ。

 

 

この原理と同じで、

当然一つの面ばかりを見て、

それが「これは〇〇だ」と思っていると、

他の意見が「正しい」とは、受け入れがたいものである。

 

 

しかも、どうしてもそこには「好き」とか「嫌い」とか

個人的な感情まで入ってきてしまうのだ。

 

 

そのため、自分と正反対の意見は

なかなか受け入れられない、全く理解できないということもあるだろう。

 

 

それは仕方がないことだ。

 

 

しかし、この世界をもっと柔軟に生きていくためには、

いくらあなたが理解できない、好きになれない人がいたとしても、

全く違う考えや意見の人がいたとしても、

 

「この人を好きだと感じる人もいるのは、

私とは見ている部分が違うからだ。」

 

「この人の考えは私にとって受け入れがたいが、

その考えを支持する人もいるのだ。」

 

などと思うだけでも、

 

「自分と違う意見の人たちがいて当たり前」

という事実を受け入れやすくなると思う。

 

 

 

そのため、もし、あなたと違う意見の人がいたとしても、

その意見を真っ向から否定したり

過剰に反応して激昂したりするのではなく、

「そういうものなのだ」と思うだけでも、

人の意見に振り回されることが無くなり、

だいぶ楽になれることだろう。

 

 

 

ちなみに、なぜこのような「違う意見の人を認める」という考えが良いのかと言うと、

この考えはあなたの場合にも当てはまるからだ。

 

 

 

つまり、評価される対象が他の誰かではなく、

「あなた」になった場合も

あなたへの評価が人によって違う…

その事実も全く気にならなくなるからだ。

 

 

 

 

そこにはあなたの全てを好意的に思って

温かく応援してくれる人もいれば、

 

 

あなたの苦手な部分、至らない部分やミスにだけ目を向けて

悪口や批判、誹謗中傷を言う人もいることだろう。

 

 

 

誰だって、嫌な言葉はできるだけ聞きたくない。

 

 

あなたのことを好きな人はともかくとして、

あなたを嫌いな人に対して、

精神衛生上、どのように考えるのが良いものなのか。

 

 

その場合も上で挙げたようなことと同じで、

 

 

「私を嫌いな人が私を見ている面は、私を好きな人とは異なるのだ。」

 

「私に対する悪評価は受け入れがたいが、

その人の視点から考えれば、そう思うのも仕方がないのだろう。」

 

 

…などといった感じである。

 

 

 

というのは、仮にあなたのことを嫌いな人があなたを悪く評価したとしても、

それは大抵その人の置かれている環境や過去の経験、心理状態も絡んでいて、

その上であなたに対して評価を下していることもあるからだ。

 

 

その場合は、必ずしもあなたに非があるわけではない。

 

 

だから、あなたのことを嫌いな人がいても

あなたがその人たちに対して萎縮したり、

悪いところを正そうと努力したり…

そんな必要なんて全く無いのだ。

 

 

むしろその時間が無駄なのである。

 

 

では、なぜ苦手な部分を直す必要がないのかというと、

 

仮に、あなたに苦手な部分があっても

それを受け入れて、カバーしてくれる人たちがいるからだ。

 

 

それは誰か?

 

 

…そう、「あなたのことを好きな人達」である。

 

 

あなたはきっと今まで努力をしてきただろう。

おそらく、辛い思いだって、たくさんしてきただろう。

 

 

それを一つの側面だけ見て切り取って文句を言ってくる…

そんな人たちの意見を優先してしまっては、

あなたの価値を本当に欲している人たちに、

届かなくなる可能性だってある。

 

 

嫌な人たちの意見を優先してしまった場合の末路として、

あなたの周りには「あなたにとって嫌な人」しか

寄ってこなくなるだろう。

 

 

嫌いな人にすり寄った結果、

本来のあなたを好きな人たちが、あなたから離れてしまうからだ。

 

これは非常に悲しいことである。

 

 

そのため、嫌いな人からの悪意ある言葉や意見は

 

「この人達は、私の一部だけを見て言いたいことを言っているだけ。」

「そういう意見もあるのか…まぁ参考にはなったな。」

 

などと適当にスルーしていれば良い。

 

 

↑相手の立場や視点を理解してはいるが

自分の意見を譲る様子はないようだ(笑)。

 

 

悪意ある言葉に対して、あなたが気に病む必要なんて全く無いのだし、

気にしたところで、悪意ある人達の思う壺である。

 

 

人生は短い。

 

 

短い人生を少しでも楽しく過ごして、

人生の質を高めたいなら、

あなたの努力や人柄を正しく理解してくれる人達を大切にしよう。

 

 

 

そして、

 

 

あなたのことを好きで、

かつ、あなたが好きだと思う人達がいること…

 

その人たちに対して、感謝の気持ちを持ち続けいていよう。

 

 

 

つまり、「両思いなら二人ともハッピー♪」というわけだ。

(↑表現が端的すぎるが…)

 

 

その、両思いの人達に

もっともっとあなたを好きになってもらえるように、

 

「実は、自分にはこういう面があるんだよ。」

と、話しづらいこともどんどん自己開示していくなどして、

あなたの多面的な姿を見せていこう。

 

 

その上で、弱い部分は支えてもらったり、

時には人にお願いしたり、

自分の得意分野の際はお手伝いをしたり、

お互いにとってWin-Winな関係になれば、

素敵な人間関係が築けることだろう。

 

 

というわけで、今回は

「あなたが人から言われたことを気にする必要なんて、全く無い理由」

について話した。

 

 

人に嫌われたくないと、嫌な部分を改善しようとするのではなく、

あなたを好きな人にもっと好きになってもらえるように、

あなたの好きなことや得意なこと、ワクワクするようなことに

チャレンジし続けていってはいかがだろうか。

悪口を言えば言うほど惨めになる理由

妖怪・性別知ラズ

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)見参!!

 

 

今回は

「悪口を言えば言うほど、惨めになる理由」

について考えていきたい。

 

 

 

 

僕はひっじょーーーーーーーーに寛大な性格なので

これまでに誰かの悪口を言ったことがない。

 

 

 

 

…といえば、もちろん嘘になると思うが(←オイ)、

なるべくなら悪口を言わないように意識はしている。

 

 

 

あなたがもし、どうしても人の悪口を言いたくなったら、

冗談交じりの皮肉やブラックジョークなら

笑いを生み出して生産活動にもなるので、良いと思う。

 

そこから新たな発見もあるかもしれないしね。

 

 

 

あと、誰かに対する悪口や批判により

あなた自身が学べることがあるのなら、

その経験から得た学びの内容をハッキリさせることで、

あなた自身が成長することもあるかもしれないよね。

 

 

 

それに対して、

誰かをただ罵るだけの会話、

文句や悪口だけを延々と言っている状態というのは

ハッキリ言って「悪」でしかない。

 

 

なぜなら、悪口というのは、

内容自体がネガティブなのはもちろんのこと、

視野が狭く一方的な見解により発せられていることが多いからだ。

 

 

いわば思考停止の状態なのだ。

 

 

思考停止からは何も生み出されない。

 

 

 

また、悪口を言うことのデメリットは、それだけではない。

 

 

「悪口を言うこと」があなた自身にとって毒なのは、

意識・無意識にかかわらず、

あなた自身の「とある感情」を無視している、

もしくは心の奥底に追いやってしているからである。

 

 

 

大抵、悪口というのは、

人の嫌な面が目についたり、

あなた自身が不快な思いをしたりした時に

発せられるものである。

 

 

その発言には当然、様々な形とはいえ、

「怒り」が伴うものだ。

 

 

これら全ての「怒り」の本質として

その「とある感情」が共通している。

 

 

 

それは、「嫉妬」である。

 

 

 

つまり、あなた自身の「嫉妬心」から目を背けたまま、

人の悪口を言っているということだ。

 

 

「嫉妬心」に向き合わないということは、

「あなた自身の本心と向き合わない」ということだ。

 

 

 

 

上の図のように、

悪口を言うと、一時的には気分がスッキリするが、

あなたの心の奥底に渦巻いている嫉妬心は

消えないままだろう。

 

 

なぜなら、その嫉妬心の影に隠れた

あなたの本心の願いや要求が

解決されていないからである。

 

 

あなたの本心がわかるのはあなただけだ。

 

 

本心の叫びにあなた自身が気づかないと、

この「嫉妬心」があなたの感情をコントロールするメイン装置として

半永久的に悪さをし続けることだろう。

 

 

 

さて、ここで、

「なぜ人は他者に対して嫉妬心を抱いてしまうのか?」

を考えてみよう。

 

 

 

その理由はぶっちゃけ、その人が報われていないからである。

 

 

もしくは、「自分ばかりが負担を強いられている」などと

被害者意識に囚われているからである。

 

 

 

例えば、あなたが真面目に仕事しているのに、

サボってばかりの同僚がいて、

しかも待遇も給料もあなたより良かったら

それは確かに嫉妬するかもしれないね。

 

 

怒りを感じて当然だ。

 

 

しかし、そんな時こそ、学びのチャンスだと思うことが肝心だ。

 

 

相手のことも、あなた自身も責めてしまうことなく、

「誰かと比べてしまっているあなた自身」に、いち早く気づこう。

 

 

もしかしたらその怒りや嫉妬心の中に隠れている、

あなたの無意識の本音は、こう言っているかもしれない。

 

 

「あの人は私よりも能力があって羨ましい」

「沢山お金もらえて良いなー」

「この会社こんな体制でよく社会で立ち回れているよね」

「俺だって運が良ければ、もっと認めてもらえるはずなのに」

 

…といった具合にだ。

 

↑俺もこんなこと言ってみてぇわ。

 

 

これらの本音に気づくことなく、

怒りがあなた自身を支配してきたら、

その怒りを相手や誰かにぶつけるのではなく、

 

 

一度冷静になって、あなた自身の本心に耳を傾けることが

重要ではないだろうか。

 

 

 

 

一方、人によっては「嫉妬」ではなく、

悪口の対象となる人の存在や発言が地雷となる場合、

その人がいるだけでストレスを抱えてしまうこともあるだろう。

 

 

その場合は、「悪口の対象となる人」の嫌な部分を

あなた自身に投影しているだけである。

 

 

相手に対して嫌悪感を覚えている部分が、

あなた自身の中にもあるから、悪口を言うのである。

 

 

例えば、

ランチをどれにするか決められなくて迷っているAさんを見て

Bさんが「早くしろよ!」とイライラしてしまう。

 

 

それでBさんが「あいつのウジウジしている部分が嫌」って

誰かにAさんの悪口を言うかもしれない。

 

 

ここで、Bさんが怒りを感じた原因は、

Bさんが「せっかちでイライラしやすい性質だから」とは限らない。

 

 

もしかしたら、Bさんが元々優柔不断な人である可能性も高く、

Aさんの嫌な部分を自分自身の中に見出している場合もあるのだ。

 

↑…………えっと…ソーキもてびちも豚肉なのだが…

 

 

その「嫌な部分」は過去の自分なのか、

現在の自分なのかはわからないけれど。

 

 

どちらにせよ、この出来事を客観的に見た時に、

「BさんがBさん自身を受け入れていない。」

と判断することも可能である。

 

 

自分自身を正しく愛せていないってことだね。

 

 

「他人は自分自身を写す鏡」だというが、まさにそれである。

 

 

自覚しているか否かに関わらず

あなた自身が抑圧させているあなた自身の嫌な部分を

相手の言動の中に見出しているということだ。

 

 

その事実を棚に上げて、

Bさん自身が自分の中にある「嫌な部分」を直視しないようにして、

「Aさんのこういうところが嫌」と

クレームをつけているだけであり、

根本的な原因を解決していないのである。

 

 

 

 

そのため、あなたが相手に対して嫌悪感を覚えたら、

悪口を言う前にまずはすべきことがある。

 

 

 

それは、

あるがままのあなた自身を受け入れること。

 

 

相手の全てを許せるようになれるには

まず、あなた自身の中にいる、

「あなた自身の小さな子供」を

優しく抱きしめてあげよう。

 

 

「自分には悪いところがある!」

「ここはダメ!」

「ここは直さなければいけない!」

 

…などと潔癖になる必要なんて全く無い。

 

 

自分にも他人にもダメ出しばかりしていたら

自分自身が辛くなるだけだ。

 

 

誰かの悪口を言うということは

あなたの中にいる「小さな子供」を傷つけているのと同じなのだ。

 

 

子供が求めているのは、海よりも深い愛情と、受容だ。

 

 

彼らのSOSにちょっとでも気づいたら、

人の悪口を言ってる場合じゃないよね。

 

 

彼ら…つまり「あなたの中にいる子供」を救うのが先だ。

 

 

 

 

 

最後にまとめると…

 

・言っても仕方がないだけの愚痴や悪口は、出来るだけ言わない。

 

・もしどうしても言いたくなったら、言う相手は厳選しよう。

 

・批判だけで終わらせず、何か学びを得るような形で考えていく。

 

・ネタとして冗談交じりに話すか、

 ブラックジョークで笑い飛ばすのは有効な方法。

 

・悪口を言うメカニズムは、「相手の嫌な部分≒自分の嫌な部分」を見出し、

 相手への嫌悪感を覚えている状態。

 さらに、相手を嫉妬心が湧き上がっている状態。

 

・嫉妬心が湧き上がったら、あなた自身の心が発している「本音」に気づこう。

 

・相手の言動に怒りを感じたら、

 「私は自分自身を愛せているだろうか?」と考えてみよう。

 

・自分自身にダメ出ししなくなれば、他人にもダメ出しをしなくなり、

 あなた自身が楽になる。

 

・どうしても耐えられない相手ならば、距離を置くなどの対策を考えるか、

 誰かに相談すること。

 

 

あなたも誰かに怒りを感じて悪口を言いそうになったら、

言葉の裏にある「あなた自身の本心」を探ってみよう。

 

過去の出来事でトラウマの原因となるものがあるのなら、

そこからヒントを得てみるのも良いだろう。

 

 

もしかしたら、その怒りは相手の問題じゃなくて

実はあなた自身に対してなのかもしれないし、

 

「本当はこんなルールに従いたくないんだ!」

 

「私はなんでこんな不遇を強いられているんだ!」

 

…などという、社会の仕組みそのものに対してかもしれないしね。

 

 

 

とはいえ、我慢は禁物。

 

 

あなた自身が気持ちを整理したり、

考えていることをまとめたりする目的ならば、

誰かに愚痴を聞いてもらうことは決して悪いことではない。

 

 

信頼できる友人に話をするか、

友人がいないのであれば、

全く無関係の第三者に相談するのも良いかと思う。

 

 

誰かの愚痴や悪口ではないけれど、

実際僕も自分自身の「性別違和」に苦しんでいた時は

「全く無関係の第三者」に相談したからね。

 

 

知らない人の方が自分のことを話しやすいので、

その点ではとてもおすすめ。

 

 

 

重要なのは、自分一人で何もかも抱え込みすぎず、

誰かへの怒りで、自分自身を傷つけないこと。

 

 

たとえ世間から悪口や批判の嵐を受けて大災害状態になったとしても、

「あなたの中にいる小さな子ども」は

何としても守り抜きましょう。

 

 

他にも、「悪口」や「他者からの非難」をテーマにした記事を

過去にはいくつか書いているので

もし良ければ参考にしてみてね。

 

 

「言っちゃいけないこと」なんてものは幻想だ

みんなの「コリュ」こと天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だお。

 

 

今回のテーマは

「言っちゃいけないこと」なんてものは幻想だ。

 

…というわけで、早速いってみよー。

 

 

 

 

 

 

近年、いろんな言葉が「差別用語」として認識されている。

 

 

ここに書くのはなんとなく気が引けてしまうような言葉も、

それらは皆、一昔前まで当たり前のように使われていた言葉だ。

 

 

確かに言葉は時代によって変化しつつあるものだから

「良くない言葉は廃止しよう」

という流れになるのは良いのかもしれない。

 

 

実際、僕も「オナベ」なんて言われたら

まず良い気持ちにはならないかな〜。

 

 

理由は「蔑称だから」じゃなくて、

一応「男として」生きようとしているからだ。

 

 

なので、悪気なく使ってしまっている人がいたら

それはそれで「仕方ない」と割り切ることにはしてるけど。

 

 

 

↑以前のブログで描いた漫画。ちなみにこれは実際にあった出来事である。

(そのため今とキャラデザ違うけど。)

 

 

てか、未だに「セクシュアルマイノリティ=夜の世界」みたいに思っている人って

逆にいるのだろうか…?(笑)

 

あと、性自認(自分自身を認識している性別)と

性対象(恋愛対象となる性別)は全くの別物だからね…。

 

 

 

 

 

しかし、このような「呼び方」を巡る問題だけでなく、

あなた自身もきっとこの漫画と似たような経験をしているはずだ。

 

 

 

例えば、

 

「自分が放った言葉で相手を怒らせてしまった」

「相手が何気なく言った言葉に傷ついてしまった」

 

という経験はないだろうか?

 

 

 

それが原因で人間関係のトラブルが起きたり

どちらかが(もしくはお互いに)距離を置くようになったりというのは

誰しも経験しているのではないかと思う。

 

 

もちろん、お互いに分かり合えることが一番良い結果ではあると思うが。

 

 

ただ、人によっては、

自分が何気なくしてしまったことや、

良かれと思ってやったことなどで

相手が気分を害してしまった場合、

もしくは、微妙な反応が返ってきた場合、

 

「自分のせいだ…」

「迷惑をかけてしまった…」

「自分ってダメな奴…」

 

などと過剰にネガティブに捉えてしまう人もいることだろう。

 

 

逆も同じで、

相手の何気ない一挙一動が気になり

 

「今の言葉はどういう意味だったんだろう…」

「もしかして嫌われてしまったのかな?」

「どうしてこの人は人が傷つくようなことを言うんだろう?」

 

などと深く考えすぎてしまい、

疲弊してしまうこともあるだろう。

 

 

 

僕も以前はこんな状態だった。

 

 

 

相手の気持ちに対してやたら敏感であり

また、非常に自意識過剰であり

他人が自分をどう思っているかをやたら気にしていた。

 

 

 

「自分は受け入れられているのだろうか…。」

「価値のある存在と思ってもらえているのだろうか…。」

「変な奴だと思われてないかな…。」

という相手に対する不安が常に胸の中に渦巻いていたし、

 

時には

「傷つけられた!!!!」

「裏切られた!!!!」

「騙された!!!!」

などと被害者意識に囚われることもあった。

 

 

 

しかし、こうした不安と戦いながら

他人に対する恐怖を抱えながら生きてきて

自分なりに調べながら考えながら、わかったことがある。

 

 

 

それは…

 

 

「誰も自分を傷つけることはできない。

 自分を傷つけているのは他でもない自分だ。」

 

ということだ。

 

 

あなたがあなたの視点や価値観で言葉を発しているように

相手だって相手の視点や価値観で言葉を発しているだけである。

 

 

だから、過剰に相手がどう思うかを推し量る必要はないし

相手の言動に対して過剰に反応する必要も、本来なら全く無いのである。

 

 

 

↑相手の言葉を「傷つけるもの」と認識するのは

自分自身の受け取り方の問題である

 

 

 

 

もし相手の言動で

 

「この人は偏見が強いな。」

 

「この人は私のことを表面だけ、一面だけで判断しているな。」

 

「私の気持ちを考えてくれないな。」

 

「『都合が良い奴』みたいに思ってるのかな。」

 

…などと思ってしまったら

 

 

 

 

このように考えよう。

 

 

 

 

「基本的に人は他人に興味がない。

 

 仮にそれが真実だろうと、真実ではなかろうと、

 この人が私に対して抱いた印象を言っただけ

 

 しかし、それでも良い。

 

 私は他人が思っている以上に色んな面があることを、

 私自身が一番良く知っているのだ。」

 

 

などと思って軽く流せば良いと思う。

(↑これはちょっと長いからもう少し端折っても良いけど。)

 

 

あなた自身の魅力や頑張りをあなた自身が気づいて認めてあげる。

(他人がそれを知っているかどうかは関係ない。)

 

 

それならば、相手が相手の価値観や視点で

あなたに対して勝手なことを発言したとしても

 

「それはその人の考えなので、必ずしも正しいとは限らない」

 

…と割り切ることが出来るし、

 

もちろん、迎合する必要もないわけだし、

 

否定的な発言を受けても、あまり気にならなくなるだろう。

 

 

 

↑自分の心を守るためには

自分自身にとって最も都合の良い考え方や対応をすることが大事。

 

 

 

 

というわけで、今回のテーマは

「言っちゃいけないこと」という幻想に囚われるな

について語ってみた。

 

 

あなたがあなた自身の言動にOKを出すためには

あなた自身の存在、あなた自身のしてきたことにOKを出すことが大切である。

そして、相手の存在や言動に対してもOKを出すことである。

 

 

相手は相手で苦労していることもあるかもしれないし、

あなたが相手の言動の裏側を知ろうとすることで、

あなた自身が最も報われることだろう。

 

 

もしそれでもイライラやモヤモヤ、不安などの感情が消えなければ

以下の記事↓にあるような方法を試して

自分の感情をコントロールしてみるのも良いかもね。

 

 

 

 

あなたが相手のことを理解しようという気持ちがあれば

きっと相手にも理解してもらえるはず。

 

 

相手の気持ちを思いやった上で

あなた自身がどうしてほしいのか、

逆に、してほしくないことは何なのか、

しっかり伝えてみてはいかがだろうか。

 

 

様々な価値観の人と付き合っていく中で

全く嫌な思いをしないのがむしろ難しいものだ。

 

 

お互いに干渉しない。

しかし、相手のことは心から尊重する。

そして、自分自身のことも心から受け入れる。

 

 

適度な距離感を保ちつつ、

素敵な人間関係を築き上げていきましょう。