ストレスをエサにして、前に進むためのエネルギーに変える方法

ストレスもワサビ醤油にして食べちゃう、

日本食大好き”がちまやー”妖怪こと(?)

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)でございます。

 

 

 

 

先日のブログでは、「怒りを仲間にする方法」として

怒りなどのネガティブな感情を、

あなたが成長するために、むしろ利用してしまおうといった内容の話をした。

 

 

 

今日も、上記の手記に関連した内容ということで、

「ストレスをエサにして、前に進むためのエネルギーに変えよう」

ということで、話していきたい。

 

 

現代人はストレスフルな毎日を送っているかと思う。

 

将来への不安に対するストレス

お金がないストレス

時間がないストレス

好きなことができないストレス

学校や職場で感じるストレス

政策に対するストレス

 

 

…挙げればキリがないが、

僕自身も、そのようなストレスを理由に、

先延ばししたり、現実逃避してしまう癖があるのを

なんとなく自覚していた。

 

 

要は、何も出来ない原因を他者においていたとか、

何かにつけてやらない理由をつけてしまったりとか、

人や何かのせいにしがちというか、他責傾向にあったりしたのだ。

 

 

かといって、無理なポジティブ思考も意味がないというのも

過去の経験の中でわかったのである。

 

 

もしかしたら、あなたも過去に経験があるかもしれないが、

なんとなく違和感を覚えたまま「大丈夫!!」と思うのは

自分に嘘をついているような感覚がまとわりつくだろう。

 

 

僕自身も一時期は暗い性格の自分に悲観し、

「楽観的になりたい」と思って

無理に明るい人格像で振る舞っていた時期もあったものだが…

 

 

その違和感に違和感を重ねるような感覚が嫌で、

今はすっかりやめてしまった。

 

 

すぐに悲観的な思考をしてしまうので、

どう転んでも、根暗なヲタクがパリピや体育会系のようにはなれない。

仕事や与えられた役割によっては、そういう”フリ”をすることはできるけどね。

 

 

そのような経験からか、

やたらポジティブな言葉ばかりで

自分自身や人間のネガティブな部分を否定したがる

「ポジティブ論者」は胡散臭いとも思うようになったのだ。

(もちろん、ナチュラルなネアカ人間なら良いんだけどね。)

 

 

ということで、最近は、

付き合う人は限られるし、

内向的でマイペースな自分でも

「それで良い」と自分を受け入れられるようになってきたのだ。

 

 

それでも、自分自身が感じた嫌なことや大きなストレスは

なかなか癒えることができず、

ズルズルと長い間引きずってしまうことも多い。

 

 

挑戦したいことがあっても、完璧主義と飽きっぽさが災いして

中途半端な形で残ってしまっているものも多く、

このままで良いのか?と焦ることもある。

 

 

さらに、自分が嫌だと思うタイプの人に振り回されたり、

逆に嫌だと思うことをなかなか相手に伝えることが出来なかったりして

人間関係においても、大きなストレスを感じたままである。

 

 

一方で、フォローしている発信者やビジネスパートナーの中には魅力的な方が多く、

自己実現をしてストレスフリーな毎日を送っている方も多い。

 

 

「このままではいかん!!」と思い、

様々な書籍を読み漁ったり、

Eラーニングを試したりした。

 

 

その中で、最近読んだ書籍の中で学んだこととして、

 

「ストレスは力になる」

 

という事実があることを知ったのだ。

 

 

ストレスを感じたときは、

心臓の鼓動が高まるのを感じる方もいるだろう。

 

 

その時の不快な感覚と言ったらまるで

ぬかるみに両足を突っ込んだかのようで、

一度はまり込むと、なかなか抜けられないのだ。

 

抜けたと思ったら、足についた泥を取るのに苦労してしまう。

 

しかも、不注意に不注意が重なり、

さらにまた別のぬかるみに足を取られてしまう…

 

 

そんな、気持ち悪い感覚。

 

 

しかし、一方でストレスや不安などで感じるドキドキは

ワクワクした時の感情に近いという事実もあるそうだ。

 

このように、一つの物事を別の解釈で捉えることを

「リフレーミング」というようだ。

 

 

実際に不安も、興奮も、心拍数が上がって活性化し、

モチベーションも高まるという事実もあるらしい。

 

 

確かに、言われてみれば、

余裕があって気楽に構えている時と締切間際で不安にかられている時とでは、

自分の経験上、後者のほうがモチベーションが上がっている気がする。

 

 

自分の時間の割り振りが下手なだけといえば、それもそうだが…苦笑

 

 

まぁ、少なくとも、

ストレスは体にとって必ずしも害になるものではないようだ。

 

そうとわかれば、脳みそにこう錯覚させてやると良い。

 

 

「自分は今、猛烈にワクワクしているんだ。」

 

「自分はストレスを力にして、前に進もうとしている」

 

 

不安を感じたり、不快感を覚えたりしているのにワクワクしているというと、

これはこれで、自分に嘘をついているような感覚になるかもしれない。

 

 

しかし、先に述べたとおり、

不安や緊張を感じたときと、ワクワクを感じたときというのは、

「心拍数が高まる」という点で共通しているのもまた事実。

 

 

「自分に嘘をついて、思ってもいないポジティブなことを無理やり言い聞かせる」

というのではなくて、

身体の自然な反応を、味方にしてしまえばよいだけである。

 

 

「いや、これは違うんだ。

確かに今、自分はストレスを感じているかもしれないけれど、

これは自分が変わるための原動力にもなるんだ。

だから、これは未来の自分に対する期待感でもあるんだ。」

 

ということである。

 

発想の転換ということだね。

 

変化のリスクも、リスクを超えた先に行き着く未来の景色も、

過去の嫌な出来事も、その出来事を超えた先に得られた自分の力も、

すべて紙一重。

 

 

逆に考えれば、ストレスなどを何も感じないということは、

「変化」も「きっかけ」もないということである。

 

 

 

 

そのため、ストレスを上手く使うことができれば、

自分を騙して、大きく成長することが出来るのだ。

 

 

 

今のままの自分では、

メンタルが弱くて毎日がしんどいから、自分を本気で変えたい。

 

 

しかし、今の自分を変えるには、「変える」ことは避けられない。

 

 

環境を変える

住む場所を変える

付き合う人を変える

習慣を変える

仕事・職場を変える

やり方を変える

キャラを変える

いつもの通勤・通学ルートを変える

食べ物を変える

 

 

 

日々の生活の中で変化を実感するには、

ほんの小さな「挑戦」でも、積み重ねる必要がある。

 

 

 

しかし、ほんの僅かな変化でも、

挑戦にはストレスや不安など負の感情が伴うものである。

 

 

それくらい、脳みそというのは変化を恐れて、

現状維持を好んでいるというわけだ。

 

 

 

それらストレスを「恐怖の対象」として

なんとな〜〜〜く避けるのではなく、

 

 

「ストレスや不安を感じるのは当たり前のことであり、恥ずかしいことじゃない。

私は今、憧れの自分へと向かって、成長している最中なのだ。」

 

 

と思いつつ、ポジティブな感情だけじゃなく、

ストレスやネガティブな感情もまるごと平らげて

少しずつ向き合っていきましょう。

 

 

 

 

「自分に嘘を付くこと」と「自分を騙すこと」の違いとしては

以下の手記↓もチェックしてみてほしい。

 

 

 

 

というわけで今回は

 

「ストレスをエサにして、前へ進むエネルギーに変える方法」

ということで、

 

 

何かに挑戦することや嫌な経験をしたことで感じるストレスは

不快なだけじゃなくて、期待感やワクワクした感情でもあるのだ。

 

だから、自分の行動や能力を制限させる方向ではなくて、

前に向かうため、さらに成長するためのエネルギーにしてしまおう

 

 

ということを話した。

 

 

まずは、まさに「騙された」と思ってもらって良い。

 

 

あなたも何かしらストレスを感じたら、

ひとまず「ラッキー!成長のチャンスだ!」と

自分自身を「騙して」みてはいかがだろうか。

 

 

 

大きな変化が嫌なら、

何かしらの「ちょっとした変化」を取り入れつつ、

無理だと思ったらまた別の方法で「変化」を取り入れつつ、

その度に感じるストレスたちも、上手く吸収させて成長していきましょう。

 

 

今回の参考書籍はこちら↓↓↓

 

 

後悔しない超選択術

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見返りを求めると、苦しくなる

コリュにちは。

天海夜 煌琉でございます。

 

 

今回は

「見返りを求めると、苦しくなる」

ということで、

その理由について、話をしていこう。

 

 

 

人はついつい見返りを求めてしまう。

 

 

 

家族のために身を粉にして頑張ってるのに、感謝されない。

 

会社のために尽くしているのに、認められない。

 

献身的にサポートしているのに、文句ばっかり言われる。

 

 

 

そりゃ〜嫌になるよね。

 

 

でもね、よくよく考えてみよう。

 

 

 

仮にあなたがペットを飼っているとして、

ペットに対して何か「見返り」を求めるだろうか?

 

 

 

もし、あなたが実際にペットを飼っているならば、

 

「将来的にこの子(ペット)が、自分に対して何かしてくれる」

 

なんてことを考えながら飼っているわけじゃないだろう?

 

 

 

 

さすがに上のイラストのような人はいないとは思うが…

 

 

 

もしいるとするならば、

老後とは言わず、今すぐ施設に入居することをおすすめする。

 

 

 

 

そう。

 

当然かもしれないが、

あなたは老後の世話を診てもらうために、

ペットを飼っているわけじゃないよね。

 

 

「とにかく可愛いから」だよね。

 

 

大抵、人が動物や小さい子供などを可愛がるのは

 

「条件付の愛」ではなく、「無償の愛」…

 

つまり、

 

「この子が好きで好きで、とっても愛おしい。」

と思うから、愛情を注ぐのだ。

 

 

お金がもらえるから、可愛がっているわけでも、

将来的な見返りを期待しているから、

可愛がっているわけでもないわけだよね。

 

 

 

 

ただ、これが赤の他人となると、また事情が違ってくると思う。

 

 

もしあなたが相手に親切にしているのにも関わらず、

 

 

相手が文句を言ってきたり

至らない点を攻撃してきたり

 

そんなことも多々あると思うし、

そんなワガママばかりの人に「愛情を注げ」と言われても、

無理な話である。

 

 

あなた自身が、相手に対して「愛おしい」と思えないからだ。

 

 

 

 

相手から何か嫌なことを言われる

感謝されない

 

その度に、

 

「なんでこれだけのことをしたのに、

そのようなことを言われてしまうんだろう。

 

「なんで感謝してくれないんだろう。」

 

と、怒りや悲しみを感じたり、

 

一方で、

「自分がダメだから相手が満足できなかった」

 

と思ってしまい、

相手に認められようとしたりする人もいることだろう。

 

 

そして、完璧主義に陥っちゃうんだよね。

 

 

しかし…

 

 

本来なら、

「相手が悪態をついてきたから」と言って、

怒りや悲しみを感じることも、

 

「相手に言われたから」と言って、

自分の悪い部分を直す必要も

 

 

全く無いんだよね。

 

 

 

というのも、

最近僕は「7つの習慣」の考え方に触れるなどして、

自分の考え方が一方的なものにならず、

俯瞰的なものの見方になるように

日々、自分の考え方を「調整」している。

 

 

そこでわかったことだが、

 

 

良い現象も悪い現象も、

 

 

人は、すべての出来事に対して

自分自身で「反応すること」を「選択」してしまっているのだ。

 

 

 

基本的に人は、

相手に嫌なことをされたり、嫌な反応が帰ってきた時に、

相手のせいにしがちである。

 

 

しかし…

 

自分が悪いとか、あいつが悪いとか…

「どちらが正義なのか」はともかくとして、

 

自分自身がとった行動には、自分で責任を持つ必要があるのだ。

 

 

「自分自身の過去にしてきた行動が、今の自分を作り上げている」

ということだね。

 

 

人に優しくしている人は優しい顔つきになるし、

意地悪ばかりしている人は悪人顔になる。

 

 

…とはよく聞くけれど…

 

 

それと同じようなことで、

あなたが、見返りを求めない人物

 

…つまり、「自分の幸せは自分で掴み取り、

周囲の反応は自分の幸せに関係無い」人物になりたいなら、

 

「見返りを求めない考え方」へ変えていく必要がある。

 

 

もし、あなたが人から見返りを求めず、

周囲からの反応ではなく、

自分の幸せを決める

自分の幸せは自分で掴みたいと思うのならば、

 

 

人の言動にできるだけ「反応」しないこと。

 

 

「スルーが一番」なのだ。

 

 

 

「見返りを求めている」ということは、

あなたが、他人の言動にスルーできず、

「反応」してしまっているということ。

 

 

つまりそれは、

「他人の言動によって、あなた自身の心が満たされるかどうかが決まる」

ということで、

依存的な状態になっているのだ。

 

 

あなた自身の幸せが

内的な要因(あなた自身の中)ではなく、

外的な要因(他人や周囲の環境)によって決まってしまうのである。

 

 

つまり…

 

スルーできれば、幸せになれるのに、

スルーできないから、幸せになれないんだよね。

 

 

他人からも、自らの感情にも振り回されちゃう。

 

 

↑どう考えても無理なんだから、スルーしちゃえば良いのにねぇ。

 

 

 

このままだと、

仮に経済的な自由を手に入れたとしても、

心の自由は手に入れることができないだろう。

 

 

あなただけじゃない。

 

 

相手は相手で

本人がされて嬉しいことと嫌なことに対して、

それぞれ反応してしまっているのだと思う。

 

 

そのため、お互いにスルースキルがなくて、

ネット上で喧嘩になったり暴言吐きあったり…

などといった現象が起こるのだ。

 

 

 

ここで、知っておきたいのが、

 

 

 

あなたが他人と接する時に

あなたがとった何気ない言動で

相手が喜んだとしても、

逆に相手が不愉快な気持ちになってしまったとしても、

 

 

どちらにせよ、

その人の反応は「その人自身の責任」であり、

あなたが取るべき責任ではない。

 

 

そのため、

それが喜びか怒りかに関わらず、

過去に起きたことを頭の中で何度も何度も反芻することは、

もうやめよう。

 

 

時間はもとに戻せないし、

あなたの力ではどうにもできないからだ。

 

 

あなたの感情に相手が絡んでいたとしても、

それはあなた自身の問題で

相手や第三者が解決できるものではない。

 

 

だから、嫌なことはできるだけ早く忘れるようにする。

心にモヤモヤやわだかまりがあっても、徐々に遠のかせていく。

いつまでも相手を憎らしく思うよりも、

自分を変える努力をしたほうが、生産的なのだ。

 

 

逆も同じで、

相手の感情にあなたが絡んでいたとしても、

それは相手の問題で

あなた自身が「どうにかしなきゃ」と思う必要もない。

 

 

あなたが本当の意味で心の自由を手に入れて、

周囲に振り回されない生き方を実現したいなら、

以上のようなことも、頭に入れておくと良いだろう。

 

 

 

 

最後に…

 

あなたが日々の感情をコントロールできるようになるには、

 

 

あなたがしたことに対して、

相手がどのような反応をしてきたとしても、

 

 

「自分は相手のためにこれだけのことをしたから、それで良い。

あとは相手が判断することだ。」

 

 

と思えば良いだけ。

 

 

相手に期待しないこと。

 

 

「相手に嫌がられるかも…?」と思って、

自分の行動を制限しないこと。

 

 

過去のことは過去のことだし、

未来のことは未来のことだし、

あなたが今、この瞬間に生きたいならば、

どちらも考えすぎてはいけない。

 

 

他人のことなら、なおさら考えすぎてはいけない。

 

 

その人の問題は、その人が解決すべきことだからだ。

 

 

 

そのため、相手がどのような反応をしたとしても、

あなたは「相手のために必要だからやった。」

と思うだけで良いのだ。

 

 

自分にとって都合の良い解釈をしてしまって大丈夫。

 

 

最終的にお互いにとって楽になるなら、

自己中心的でも全然大丈夫。

 

 

 

まずは先手、先手で、相手に働きかけることが大切なんだ。

 

 

 

もちろん、あなたがしたことに対して

相手が「こうされると嫌だ」「やってくれなくても大丈夫だよ」

「やめてほしい」などと言ってきたら

その配慮はしてあげよう。

 

 

その際は、情報を教えてくれた相手に対して、

「ありがとう」と、感謝の気持ちを持って

今後はしないと決めれば良い。

 

 

必要以上に自分を責めたり、

自分の行動を後悔したりしないこと。

 

 

過去は過去のことだから、もう反芻しない。

振り返らない。

 

 

失敗から学ぶのは良いけれど、

あなたの過去の行動が、

未来への挑戦の足かせになってはいけないのだ。

 

 

 

「なるようになれ。」

 

と、今を生きる。

 

 

そんな精神で

前を向いてチャレンジし続けていこう。

人からもらった「悪いもの」なんて、いらない

天海夜 煌琉でございます。

 

 

今回のテーマは

「あなたが生きてきた過程で、人からもらった(悪い)ものなんて、いらない」

だ。

 

 

僕たちはどうしても、

生まれ育った環境や周囲の人の考え方に影響されがちである。

 

 

その、周囲の人の考え方が前向きで良いものだったら

その中で育った子供は、自立した考え方を持ち、

自己肯定感もあり、思いやりのある人物に成長することになるだろう。

 

 

しかし、大抵の場合は、

「あなたは〇〇だからできない」などと、

なにかと「できない理由」を決めつけられてしまいがちである。

 

 

 

そういった他者からの言動が積み重なると、

「自分って価値がない」

「自分ってダメな奴」など

自己肯定感を下げる原因にもなってしまう。

 

 

でも、よくよく考えてみよう。

 

 

「〇〇だから、自分にはできない」

「〇〇だから、自分はダメなんだ」

 

 

この「〇〇」だからという理由付け…

 

 

そんな考え方って、今のあなたが行動できないこと、

あなたが不安を抱えていることに関係あるのだろうか?

 

 

 

結論からすると…

 

「全く根拠はない」ということだ。

 

 

 

つまり、

あなたが行動する上で

「〇〇だからできない」と、

自分の可能性を決めつけることは、

全く無意味だということだ。

 

 

実際ハンデを利用して成功している人々、

逆境から立ち上がってきた人々なんて、

世の中にたくさんいるしね。

 

 

では、なんで根拠のないものを信じてしまっているのか?

 

 

それはたぶん、生きている過程で誰かから「もらった」んだろうね。

 

 

 

 

「もらった」というと

オカルトチックな話にも聞こえるが…

 

 

実際思い込んでしまっているということは、

「もらっちゃって」いるんだろう。

 

 

では、なぜ

本来なら生きていく上で必要のないものなのに

「もらっちゃった」んだろうか?

 

 

もし、あなたが嫌いなものを誰かが押し付けようとしたら、

あなたはそれを喜んで受け入れるだろうか?

 

 

いらないものは受け取る必要はない。

 

 

NOと言って拒否するか、

受け取ったふりして受け流すかして、

自分にとっていらないものは受け取らないこと、間に受けないことだ。

 

 

その時は

「断ったら相手に悪い」と思われるかもしれないが、

高い視点から見れば、その方法が自分にとっても相手にとっても、

良いことなのである。

 

 

ましてやあなたがネガティブになるような考え方なんて、全く不要だ。

 

 

なぜなら、全く根拠がないものだからだ。

 

 

 

それでも恐らく、あなたも含め、

多くの方がその「呪い」にかかってしまってるのだと思われる。

 

 

 

言い訳なんか、いらない。

 

嫌な思い込みも、いらない。

 

 

自分自身にかかった呪いは今すぐ解いてあげよう。

 

 

誰がその呪いを解くのか?

 

それは…

 

他の誰でもない。あなた自身だ。

 

 

あなた自身が本気になって考え方を変える決意をすれば、

いつだって呪いを解くことはできる。

 

 

「自分にはできない」

 

じゃなくて…

 

「やる」と決めたら、「やる」んだ。

 

 

 

人からもらった悪いものは、今すぐ捨てよう。

 

 

 

根拠なんて、ないから。

 

 

ちなみに、ネガティブな考え方を捨てる具体的な方法などは

当ブログでもいくつか紹介しているので、

ぜひ下記の記事などもご覧いただけたらと思う。

 

 

ハネジネズミのように天敵(嫌なこと)から身を護るための事前準備はこちら↓

 

「いろいろな意見があって当然」と思えるようになる考え方はこちら↓

 

SNSなどで「嫌われることを恐れなくなる」考え方はこちら↓

 

 

 

最後に…

 

あなたが本気で自分らしく自由に人生を送りたいなら、

あなたが必要なものだけを選択して、取り入れていこう。

 

 

いらないものは、断っちゃっていいから。

 

 

人から言われたことを気にする必要なんて、全く無い理由

「あなたの虹はどこから?」

「鼻から〜!」

 

…天海夜 煌琉でございます。

 

(↑最初の挨拶について、未だ試行錯誤中…というより迷走気味。)

 

 

さて、この前までずっと旅行記ばかり書いていたものだから、

自分の考えや日々の学びを書く機会が少なくなっていた。

 

 

なので、今日からは久しぶりに

「自分らしく気楽に生きるためのヒント」を

お伝えしたいと思う。

 

 

 

さて、今日のテーマは

 

「人から言われたことを気にする必要なんて、全く無い理由

 

ということで、話していきたいと思う。

 

 

 

 

とある一人の人物に対して、ある人は言う。

 

 

「あいつってさー、いつも自分のことしか考えてないよな。」

 

と。

 

 

それに対して、ある人は言う。

 

 

「え?あの人はだれよりもみんなのことを考えてるよ。」

 

と。

 

 

 

 

このようにとある対象に対して、

両者によって意見の違いが見られるのは

決して珍しいことではないと思う。

 

 

それは、人気の有名人や作品に対して、

ファンもいれば、アンチもいるということからも明白である。

 

 

 

この場合、

どちらの意見が正しいのだろうか。

 

 

 

結論から言うと、

「どちらも間違ってはいないのかもしれない。」

ということ。

 

 

 

なぜ「間違っていない」ではなく、

「かもしれない」かというと…

 

 

やはり、人間はどうしても何かを評価する際に、

個人的な感情が入ってしまうので、

 

実際よりも過剰に良い評価をしてしまったり、

逆に捻くれた解釈をして実際よりも悪い評価をしてしまったり

 

…などということもあるからだ。

 

 

 

その状態では、その人の下した評価が

必ずしも正しいとは言い切れないだろう。

 

 

 

 

繰り返すが、上の図の2人はそれぞれとある人に対して、

「良い評価(左)」と「悪い評価(右)」をしているかと思う。

 

 

同じ人物を評価しているのに、二人の解釈が違うのは、

「一人の人物」もとい「一つの対象」を違う視点から見ているからだ。

 

 

 

わかりやすいようにもっと簡素化して表現してみた。

 

 

 

 

図の物体は

一方から見ると青に見えるようだが、

もう一方から見ると、赤に見えるようだ。

 

そのため、それぞれが自分の見えている面の色を

主張していることがわかる。

 

 

このように、一つの対象を片方の面ばかり見ていると、

もう片方の面はどうしても見えなくなるので、

自分の見えている視点から、事実を主張することになる。

 

 

だから、同じ対象物を見ていても、

両者の意見は異なるということだ。

 

 

それは見ての通り、一つの側面から対象を判断しているからだ。

 

 

しかし、2人とも、

対象に対する客観的な評価としては

決して間違ってはいないのだ。

 

 

評価している人が、その人の視点から、

「あなたにはそう見えるだろうが、私にはこう見える。」

と、その人なりの見解を言っているからである。

 

 

 

赤に見えるのだったら、赤に見えるのだろうし、

青に見えるのだったら、青に見えるのだろう。

 

 

同様に、良い人に見えるんだったら、良い人なのだろうし、

逆に悪い人に見えるのであれば、悪い人なのだろう。

 

 

 

事実はともかく、

少なくとも「その人の視点」という意味では、

その意見は間違いではないのだ。

 

 

 

だまし絵などはよく知られているかと思う。

 

 

 

 

上の図については、

もしかしたら花瓶のような形のオブジェに見える人もいるかもしれない。

 

 

その一方で、

キスしようとしているのか変顔大会しているのかわからないが、

2人の人物が向かい合っていると思う人もいるだろう。

 

 

 

これも同じことで、一度どちらかで見えてしまったら、

なかなか別の見え方で捉えるのは難しいだろう。

 

 

でも、どちらも正しいのだ。

 

 

この原理と同じで、

当然一つの面ばかりを見て、

それが「これは〇〇だ」と思っていると、

他の意見が「正しい」とは、受け入れがたいものである。

 

 

しかも、どうしてもそこには「好き」とか「嫌い」とか

個人的な感情まで入ってきてしまうのだ。

 

 

そのため、自分と正反対の意見は

なかなか受け入れられない、全く理解できないということもあるだろう。

 

 

それは仕方がないことだ。

 

 

しかし、この世界をもっと柔軟に生きていくためには、

いくらあなたが理解できない、好きになれない人がいたとしても、

全く違う考えや意見の人がいたとしても、

 

「この人を好きだと感じる人もいるのは、

私とは見ている部分が違うからだ。」

 

「この人の考えは私にとって受け入れがたいが、

その考えを支持する人もいるのだ。」

 

などと思うだけでも、

 

「自分と違う意見の人たちがいて当たり前」

という事実を受け入れやすくなると思う。

 

 

 

そのため、もし、あなたと違う意見の人がいたとしても、

その意見を真っ向から否定したり

過剰に反応して激昂したりするのではなく、

「そういうものなのだ」と思うだけでも、

人の意見に振り回されることが無くなり、

だいぶ楽になれることだろう。

 

 

 

ちなみに、なぜこのような「違う意見の人を認める」という考えが良いのかと言うと、

この考えはあなたの場合にも当てはまるからだ。

 

 

 

つまり、評価される対象が他の誰かではなく、

「あなた」になった場合も

あなたへの評価が人によって違う…

その事実も全く気にならなくなるからだ。

 

 

 

 

そこにはあなたの全てを好意的に思って

温かく応援してくれる人もいれば、

 

 

あなたの苦手な部分、至らない部分やミスにだけ目を向けて

悪口や批判、誹謗中傷を言う人もいることだろう。

 

 

 

誰だって、嫌な言葉はできるだけ聞きたくない。

 

 

あなたのことを好きな人はともかくとして、

あなたを嫌いな人に対して、

精神衛生上、どのように考えるのが良いものなのか。

 

 

その場合も上で挙げたようなことと同じで、

 

 

「私を嫌いな人が私を見ている面は、私を好きな人とは異なるのだ。」

 

「私に対する悪評価は受け入れがたいが、

その人の視点から考えれば、そう思うのも仕方がないのだろう。」

 

 

…などといった感じである。

 

 

 

というのは、仮にあなたのことを嫌いな人があなたを悪く評価したとしても、

それは大抵その人の置かれている環境や過去の経験、心理状態も絡んでいて、

その上であなたに対して評価を下していることもあるからだ。

 

 

その場合は、必ずしもあなたに非があるわけではない。

 

 

だから、あなたのことを嫌いな人がいても

あなたがその人たちに対して萎縮したり、

悪いところを正そうと努力したり…

そんな必要なんて全く無いのだ。

 

 

むしろその時間が無駄なのである。

 

 

では、なぜ苦手な部分を直す必要がないのかというと、

 

仮に、あなたに苦手な部分があっても

それを受け入れて、カバーしてくれる人たちがいるからだ。

 

 

それは誰か?

 

 

…そう、「あなたのことを好きな人達」である。

 

 

あなたはきっと今まで努力をしてきただろう。

おそらく、辛い思いだって、たくさんしてきただろう。

 

 

それを一つの側面だけ見て切り取って文句を言ってくる…

そんな人たちの意見を優先してしまっては、

あなたの価値を本当に欲している人たちに、

届かなくなる可能性だってある。

 

 

嫌な人たちの意見を優先してしまった場合の末路として、

あなたの周りには「あなたにとって嫌な人」しか

寄ってこなくなるだろう。

 

 

嫌いな人にすり寄った結果、

本来のあなたを好きな人たちが、あなたから離れてしまうからだ。

 

これは非常に悲しいことである。

 

 

そのため、嫌いな人からの悪意ある言葉や意見は

 

「この人達は、私の一部だけを見て言いたいことを言っているだけ。」

「そういう意見もあるのか…まぁ参考にはなったな。」

 

などと適当にスルーしていれば良い。

 

 

↑相手の立場や視点を理解してはいるが

自分の意見を譲る様子はないようだ(笑)。

 

 

悪意ある言葉に対して、あなたが気に病む必要なんて全く無いのだし、

気にしたところで、悪意ある人達の思う壺である。

 

 

人生は短い。

 

 

短い人生を少しでも楽しく過ごして、

人生の質を高めたいなら、

あなたの努力や人柄を正しく理解してくれる人達を大切にしよう。

 

 

 

そして、

 

 

あなたのことを好きで、

かつ、あなたが好きだと思う人達がいること…

 

その人たちに対して、感謝の気持ちを持ち続けいていよう。

 

 

 

つまり、「両思いなら二人ともハッピー♪」というわけだ。

(↑表現が端的すぎるが…)

 

 

その、両思いの人達に

もっともっとあなたを好きになってもらえるように、

 

「実は、自分にはこういう面があるんだよ。」

と、話しづらいこともどんどん自己開示していくなどして、

あなたの多面的な姿を見せていこう。

 

 

その上で、弱い部分は支えてもらったり、

時には人にお願いしたり、

自分の得意分野の際はお手伝いをしたり、

お互いにとってWin-Winな関係になれば、

素敵な人間関係が築けることだろう。

 

 

というわけで、今回は

「あなたが人から言われたことを気にする必要なんて、全く無い理由」

について話した。

 

 

人に嫌われたくないと、嫌な部分を改善しようとするのではなく、

あなたを好きな人にもっと好きになってもらえるように、

あなたの好きなことや得意なこと、ワクワクするようなことに

チャレンジし続けていってはいかがだろうか。

「言っちゃいけないこと」なんてものは幻想だ

みんなの「コリュ」こと天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だお。

 

 

今回のテーマは

「言っちゃいけないこと」なんてものは幻想だ。

 

…というわけで、早速いってみよー。

 

 

 

 

 

 

近年、いろんな言葉が「差別用語」として認識されている。

 

 

ここに書くのはなんとなく気が引けてしまうような言葉も、

それらは皆、一昔前まで当たり前のように使われていた言葉だ。

 

 

確かに言葉は時代によって変化しつつあるものだから

「良くない言葉は廃止しよう」

という流れになるのは良いのかもしれない。

 

 

実際、僕も「オナベ」なんて言われたら

まず良い気持ちにはならないかな〜。

 

 

理由は「蔑称だから」じゃなくて、

一応「男として」生きようとしているからだ。

 

 

なので、悪気なく使ってしまっている人がいたら

それはそれで「仕方ない」と割り切ることにはしてるけど。

 

 

 

↑以前のブログで描いた漫画。ちなみにこれは実際にあった出来事である。

(そのため今とキャラデザ違うけど。)

 

 

てか、未だに「セクシュアルマイノリティ=夜の世界」みたいに思っている人って

逆にいるのだろうか…?(笑)

 

あと、性自認(自分自身を認識している性別)と

性対象(恋愛対象となる性別)は全くの別物だからね…。

 

 

 

 

 

しかし、このような「呼び方」を巡る問題だけでなく、

あなた自身もきっとこの漫画と似たような経験をしているはずだ。

 

 

 

例えば、

 

「自分が放った言葉で相手を怒らせてしまった」

「相手が何気なく言った言葉に傷ついてしまった」

 

という経験はないだろうか?

 

 

 

それが原因で人間関係のトラブルが起きたり

どちらかが(もしくはお互いに)距離を置くようになったりというのは

誰しも経験しているのではないかと思う。

 

 

もちろん、お互いに分かり合えることが一番良い結果ではあると思うが。

 

 

ただ、人によっては、

自分が何気なくしてしまったことや、

良かれと思ってやったことなどで

相手が気分を害してしまった場合、

もしくは、微妙な反応が返ってきた場合、

 

「自分のせいだ…」

「迷惑をかけてしまった…」

「自分ってダメな奴…」

 

などと過剰にネガティブに捉えてしまう人もいることだろう。

 

 

逆も同じで、

相手の何気ない一挙一動が気になり

 

「今の言葉はどういう意味だったんだろう…」

「もしかして嫌われてしまったのかな?」

「どうしてこの人は人が傷つくようなことを言うんだろう?」

 

などと深く考えすぎてしまい、

疲弊してしまうこともあるだろう。

 

 

 

僕も以前はこんな状態だった。

 

 

 

相手の気持ちに対してやたら敏感であり

また、非常に自意識過剰であり

他人が自分をどう思っているかをやたら気にしていた。

 

 

 

「自分は受け入れられているのだろうか…。」

「価値のある存在と思ってもらえているのだろうか…。」

「変な奴だと思われてないかな…。」

という相手に対する不安が常に胸の中に渦巻いていたし、

 

時には

「傷つけられた!!!!」

「裏切られた!!!!」

「騙された!!!!」

などと被害者意識に囚われることもあった。

 

 

 

しかし、こうした不安と戦いながら

他人に対する恐怖を抱えながら生きてきて

自分なりに調べながら考えながら、わかったことがある。

 

 

 

それは…

 

 

「誰も自分を傷つけることはできない。

 自分を傷つけているのは他でもない自分だ。」

 

ということだ。

 

 

あなたがあなたの視点や価値観で言葉を発しているように

相手だって相手の視点や価値観で言葉を発しているだけである。

 

 

だから、過剰に相手がどう思うかを推し量る必要はないし

相手の言動に対して過剰に反応する必要も、本来なら全く無いのである。

 

 

 

↑相手の言葉を「傷つけるもの」と認識するのは

自分自身の受け取り方の問題である

 

 

 

 

もし相手の言動で

 

「この人は偏見が強いな。」

 

「この人は私のことを表面だけ、一面だけで判断しているな。」

 

「私の気持ちを考えてくれないな。」

 

「『都合が良い奴』みたいに思ってるのかな。」

 

…などと思ってしまったら

 

 

 

 

このように考えよう。

 

 

 

 

「基本的に人は他人に興味がない。

 

 仮にそれが真実だろうと、真実ではなかろうと、

 この人が私に対して抱いた印象を言っただけ

 

 しかし、それでも良い。

 

 私は他人が思っている以上に色んな面があることを、

 私自身が一番良く知っているのだ。」

 

 

などと思って軽く流せば良いと思う。

(↑これはちょっと長いからもう少し端折っても良いけど。)

 

 

あなた自身の魅力や頑張りをあなた自身が気づいて認めてあげる。

(他人がそれを知っているかどうかは関係ない。)

 

 

それならば、相手が相手の価値観や視点で

あなたに対して勝手なことを発言したとしても

 

「それはその人の考えなので、必ずしも正しいとは限らない」

 

…と割り切ることが出来るし、

 

もちろん、迎合する必要もないわけだし、

 

否定的な発言を受けても、あまり気にならなくなるだろう。

 

 

 

↑自分の心を守るためには

自分自身にとって最も都合の良い考え方や対応をすることが大事。

 

 

 

 

というわけで、今回のテーマは

「言っちゃいけないこと」という幻想に囚われるな

について語ってみた。

 

 

あなたがあなた自身の言動にOKを出すためには

あなた自身の存在、あなた自身のしてきたことにOKを出すことが大切である。

そして、相手の存在や言動に対してもOKを出すことである。

 

 

相手は相手で苦労していることもあるかもしれないし、

あなたが相手の言動の裏側を知ろうとすることで、

あなた自身が最も報われることだろう。

 

 

もしそれでもイライラやモヤモヤ、不安などの感情が消えなければ

以下の記事↓にあるような方法を試して

自分の感情をコントロールしてみるのも良いかもね。

 

 

 

 

あなたが相手のことを理解しようという気持ちがあれば

きっと相手にも理解してもらえるはず。

 

 

相手の気持ちを思いやった上で

あなた自身がどうしてほしいのか、

逆に、してほしくないことは何なのか、

しっかり伝えてみてはいかがだろうか。

 

 

様々な価値観の人と付き合っていく中で

全く嫌な思いをしないのがむしろ難しいものだ。

 

 

お互いに干渉しない。

しかし、相手のことは心から尊重する。

そして、自分自身のことも心から受け入れる。

 

 

適度な距離感を保ちつつ、

素敵な人間関係を築き上げていきましょう。