暗くて捻くれていた僕を「毎日楽しく生きてる変態」に変えてくれた人

今日は僕が今フォローしている方について紹介したい。

 

 

僕は最近、メンタルに関する記事をたくさんあげているのだが、

それはこの方から大きな影響を受けている。

 

 

その名もウィックスあやみさん。

 

 

 

詳しくはリンク先を参照してほしいのだが…

 

 

かつては彼女も自分自身に対して

「何をやってもダメだ」と思い込んでしまうくらい

自己肯定感が低かったそうだ。

 

 

うつ病などで苦しんだ時期もあったらしい。

 

 

それが、人生が一変して年収何百万は軽く超えるセレブ女子になった。

 

 

しかし

 

「急に人生が変わるなんてあり得ないだろ。」

 

最初はそう思った。

 

 

しかし、発信の一つ一つにリアリティがあるから

嘘ややらせではないようだ。

 

「どうしてそうなったんだろう?」

 

僕は気になり、彼女を追いかけてみた。

 

 

そしてわかった。

 

 

彼女は自分なりに努力し続けた結果、今の姿を掴んだのだ。

 

 

カウンセリングもたくさん受けたし、

セラピストなどにもたくさん会ったそうだ。

学びに1,000万もの金額を自己投資していたのだ。

 

 

僕はその話を聞いて、強く心を打たれた。

 

 

そして、

 

彼女自身もWEBデザイナーであることと、

僕自身もクリエイティブ系であること、

 

 

また、スピ系ではないものの、

スピリチュアルなことについても興味関心が高い。

(あやみさんのほうが知識の量が半端ないが)

 

この点でも共通点があり、親近感を覚えた。

 

 

あとは旅が好きなこともね。

 

 

一般にセレブ系って言うと

「キラキラしているおしゃれな女性」って感じで

住む世界が全く違うって印象だった。

 

 

香港のリッツカールトン最上階にあるバー「OZONE」(わかりにくいけどw)。

バーだけなら宿泊者じゃなくても入れるし誰でもセレブ気分を味わえる。

 

 

しかし、現在オーストラリアに在住のあやみさんは

その性格もサバサバしていて行動的だからか

むしろ「自分と似ている」とさえ思ったほどだ。

 

 

僕の知り合いで現在マレーシアで暮らしている沖縄の女性がいる。

いや…現在別の国にいるんじゃないかってくらい神出鬼没で超行動的かつ破天荒。

その方とどことなく似ているなとも思ったし。

 

 

ということで、

なんとなく直感で「この人なら!」と思って、

彼女を信じてみることにした。

 

 

その結果…

 

 

今、毎日が超絶楽しい。

 

 

自分の「異質さ」「変態さ」をもっと出していいとさえ思うようになったし、

以前まで自分の中にあった「自意識過剰さ」がなくなった。

 

 

「他人を変えることは出来ない。」

 

「まずは自分が変わるしかない。」

 

 

 

よく言われる言葉であるが、

それを今、自分自身で実感している。

 

 

今までどんな自己啓発本や

メンタルに関する本を読んでも変わらなかったのに。

 

 

その理由は今ならわかる。

 

 

「理屈」では理解していても、

「納得」出来ていなかったからだ。

 

 

人は「納得」できないと、

モヤモヤしたり反発心を抱いたりしてしまうものだ。

 

 

ところが、あやみさんの言葉は全て納得できるものばかり。

自分にとって腑に落ちやすいものばかりだった。

 

 

だから、すんなり受け入れることができたのだ。

 

 

OZONEから撮影した景色…は上手く撮れていたものがなかった。

その代り香港の夜景をどうぞ。

 

 

こんな感じで旅行を楽しむことだってできるのだ。

 

 

 

 

宝くじなどで一攫千金を夢みる人は多いと思う。

 

 

 

しかし、それって本当にその人自身にとって良いことなのか?

 

 

 

自分の心に聞いて、考えてみてほしい。

 

 

宝くじで人生が破綻してしまった人もいるくらいだし、

本来、人間とはその人に見合った収入が得られることになっているのだ。

 

 

自己肯定感が低いままや、

世の中に対して不平不満を抱いたまま、

人をただのお金としか思っていない、

 

 

そんな状態だと一時的に稼げたとしても長くは続かない。

 

 

まずは自分を愛すること。

 

 

「今のままで良いんだよ。」って

 

「失敗したってヘマしたって大丈夫だよ。」って

 

 

自分を受け入れること。

 

 

そして様々な人と関わって様々なことを学び、

自然体の自分のままで成長していくこと。

 

 

その結果、自分にとってふさわしい金額の収入を得られるようになるのだ。

 

 

今やりたいことが特に無かったとしても、

毎日を楽しく生きている内に見つかるようになるんだ。

 

 

今は収入が低くて辛い思いをしている人もいるかもしれない。

 

 

でもね、「自分の幸せ」に「お金」は関係ないんだよ。

 

 

僕だって今収入そんなにないけど、自分なりに毎日を楽しんでいる。

 

 

「変態」であることに開き直って、

 

「変態」である自分を愛せるようになったからだ。

 

 

もし、

 

「生きるのが辛い」

「毎日仕事ばかりで心も身体も限界…」

 

 

そう感じている方がいたら、

まずはあやみさんの発信を追いかけてみるのも良いと思う。

 

彼女のLINEを友だちに追加すれば、

 

「パソコン1台、1日たった数時間で

月数百万もの安定した収入を得られるようになった方法」

 

こういったことを知ることが出来る。

 

 

もちろん、彼女自身も鬱を乗り越えたことから、

「楽になる考え方」についても教えてもらうことが出来る。

 

 

あやみさんのことが気になったらぜひ、

彼女のことを友だちに追加して

彼女の発信する音声や動画などを見てみてほしい。

 

 

※こちら↓無料で登録できます。

 

 

「働かずに一生遊んで暮らしたい!」

 

 

そう思っている人は多いと思うけど、

 

 

僕はそうは思わない。

 

 

「自分にとって余裕のある働き方で

安定した収入を得ながら好きなことをやって生きていきたい!」

 

「ありのままの自分で、世の中に大きく還元していきたい!」

 

 

そんなライフスタイルが理想だ。

 

 

 

「あなたは悪くない」というまやかしの言葉

何か落ち込んだり不愉快な思いを抱いている時に

 

「あなたは悪くないよ。」

 

という言葉をかけられたことがある人は多いかと思う。

 

 

もしくは、自分がそのような言葉をかけた経験もある人もいるだろう。

 

 

実際、いじめや暴力など何かしらの被害を受けた状況で
さらに多くの人から責められているなど四面楚歌の状態であれば
その言葉の効果は絶大だろう。

 

 

この言葉をかけられた人物は
その言葉をかけた相手に対して
「この人は私の味方だ。」と思い、
優しい、信頼できる人物などといった認識をするだろう。

 

 

しかし、この言葉こそ扱いに気をつけなければいけないものはない。

 

 

というのは、この言葉は傷ついた相手の傷口に
応急処置として薬を塗るだけにすぎないのである。

 

※これはハロウィンの時にやった偽の傷。
ビックリさせたらゴメンね。
 

残念ながら、根本的な解決法にはならない。

 

いや、場合によっては塩を塗ってしまうことになるかもしれない。

 

実はそれくらい注意が必要な言葉なのだ。

 

「自分は怪我をしやすいんだよね〜。」と言いつつ
毎回怪我をするたびに傷口を薬を塗ってもらうようなものだ。

 

たまに怪我をするくらいなら良いのかもしれないが、
頻繁に怪我をするようであれば、
怪我をしてしまう根本的な原因を除去する必要がある。

 

もしかしたら段差でつまづきやすい、
つい無理をしてしまい疲労で筋肉がうまく使えないなど
身体の使い方や癖に問題があるかもしれないし。

 

もしくは自分が怪我をしやすい体質だと自覚しているなら
仮に怪我をしてもすぐに治るような体質にしていかないといけない。

 

その場合、日頃の生活習慣を見直すことが改善のヒントになるのかもしれないし。
身体の機能がきちんと働いていれば自然治癒力も高まるからね。

 

 

つまり、「あなたは悪くない。」という言葉だけでは
本当の意味で自分(相手)を救うことは出来ないのだ。

 

根本的な考え方を変えたり、
嫌な出来事に対する対処法などを身に着けたりなどしていかないといけない。

 

でないと、いつまでも
「私は悪くない。」という被害妄想や依存的な考えに陥ってしまう。

 

 

それの何が悪いかというと、
マイナスのエネルギーを周囲に与えるのはもちろんだけど、

 

「あの人は〇〇してくれない。(私はやってあげたのに。)」

 

…というように
一方的な思い込みで周囲の人に不満を抱きやすくなり、
場合によっては攻撃的な態度に出てしまう可能性がある。

 

 

「あなたは悪くない。」

 

もしあなたがこの言葉をかけられたときは
一旦はこの言葉に甘えて良い。

 

でもだんだんと自分をなるべく苦しめない、
傷つけた人間に対して生まれる恨みつらみの感情に支配されない、
自分にとって幸せな考え方をするようにしていこう。

 

「あなたは悪くない。」

 

もしあなたが相手に対してその言葉をかけるときは、
ただの慰めだけでは無責任だ。

 

実のところ、自分自身の心の傷を癒せるかどうかは、
他者はあまり関係ない。

 

いくら心優しい人が自分を慰めてくれたところで、
その好意を受け取るかどうかは自分自身にしか選択できない。

 

つまり、自分の機嫌をとるのは自分自身にしかできないことなのだ。

 

本当にその人の為を思って言うのであれば、
あなたではなく、自分自身で傷を癒せるように
どのような考え方をすればよいのか教えてあげよう。

 

相手の問題にも必要以上に干渉しない。

 

相手が本当に強い人物になれるまで暖かく見守り、
相手が助けを求めたその時に手を差し伸べれば良い。

 

その人の傷が本当の意味で早く癒えるようになるには
それが一番の優しさなのだ。

 

正義感が強い人、白黒はっきり付けたがる人ほど
悪い、悪くないという視点にこだわりがちだけど、
それは「自分が楽に生きられるかどうか」ということにはあまり関係ない。

 

それなら自分が楽に生きられるように、
あまりこだわりすぎないのも一つの方法なんだよね。

 

「正義」にこだわらず、「依存心」を捨てていくには
良かったらこの辺↓の記事も参考にしてみてね。

 

↓”正義”にこだわるのか?それとも自分の”機嫌”を優先するのか?

 

↓人から何か言われるのを待っていてはいけない。依存的な考えから脱却しよう。

 

 

天海夜 煌琉さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿

 

こんにゃくのように強くしなやかに

ゆるく気楽に生きよう。

反比例のグラフみたいな生き方を目指せ

実は僕、芸術一直線の人間ではない。

 

絵を描いたりダンスをやったり音楽に興味持ったり
芸術的なことに関心は深かったものの、
高校では理系コースを選択していた。

 

元々数字が好きで計算するのも好きなのもあってか、
最近では数秘術にハマっている。

 

まぁその話はまた後日するとして、
今日は「数学」と「生き方」に関連づけて自分なりの持論を展開していきたい。

 

反比例の式ってご存知だろうか?

中学あたりで習うかと思う。

すっかり忘れてしまったけど。

 

式はa=xy、y=a/xだったっけ。

 

グラフにするとこうだ。

 

 

あーそうだこれだよこれ。

 

逆にこれy=axみたいな比例の図だと式の線が一直線になるんだよね。

 

しかし、僕は比例の式ではなく、

上のグラフのような、「反比例的生き方」を推奨したい。

 

上の図、y軸(縦の線)は式の通りyのままだが、
よく見るとx軸(横の線)がmになっているね。

 

このmは何かと言うと、
「me」の「m」、つまり私だ。

 

一方で、「y」は「you」になる。

つまりあなた、他者だ。

 

そういうわけで、

この「反比例的生き方」の式はy=a/mになる。

 

それも踏まえてわかりやすく表示するとこうだ。

 

 

グラフの線(y=a/m)が「あなたの優先度を表す式」だとすると、

mの横軸はあなたが自分自身に対して抱いている意識の強さを表している。

 

つまり、m軸に近ければ近いほど、

自分の気持に正直に生きているかどうか、

他者よりかは自分自身の気持ちを優先しているかどうかを表している。

 

 

0の部分を現在「他人を優先させてしまうあなた」だとすると
↑の図でもわかるようにグラフの線はy軸に近くなる。

 

つまり、0に近いほど自分の気持ちを犠牲にして、

「相手にとってやりやすいか」

「相手にとって迷惑がかからないか」

ということを判断の基準にしてしまっているということだ。

 

 

そうなると自分の気持ちに素直になれず、

生きにくさを感じてしまうこともあるかと思う。

 

 

なぜその状態が良くないかというと、

「自分が本当は何をしたいのか?」

「自分が世の中に対して出来ることは何なのか?」

などといったことがわからなくなる。

 

 

結果、自分が本当は望んでいない生き方をしてしまうのだ。

 

 

 

こちらの図のように、

 

①で何かにつけて他人を優先してしまい、辛いと感じている自分を自覚したら、

②で自分自身に意識を向けていくようにしよう。

 

自分自身に意識が向くようにすればするほど、
グラフの線がm軸に近くなっていくのがわかる。

 

そうなると③の状態になっていく。
m軸に近くなり、自然と自分の気持を優先できるようになるのだ。

 

「今何を食べたいか?」という相手の質問にも遠慮してしまい、
「あなたの好きなもので良いよ。」「何でも良い。」とうやむやに答えてしまうこともなくなる。

 

「中華が良いな!」などとはっきり自分の気持を表せるようになるかと思う。

 

「家族、友人、恋人などが自分に対して求めている自分像」に答えようと、
無理矢理に自分自身を演じることもなくなる。

 

自然の状態で生きられるようになるのだ。

 

 

 

僕が推奨する「反比例的生き方」をまとめると…

 

「あなたの判断基準や価値基準は、自分の気持ちを最優先させよう」

 

ということだ。

 

 

「相手に悪い」「迷惑かけちゃいけない」

 

自分の気持を押し込めて他者に気を使ってしまう。

そんなときはもう一度、この図を頭に思い浮かべてみてほしい。

 

 

最後に…

 

これ、aは何かと言うと

aによってyの数字が変わるという「単なる任意の数字」ではない。

 

y=a/mを書き換えるとa=my

つまり、a=me(私)×you(あなた)となる。

私とあなたがかけ合わさってA(答え)になるということだ。

 

 

こんなこと言っておいてなんだけど、

ぶっちゃけ「人生の答え」なんてはっきりしたものは存在しない。

自分自身で見つけていくものである。

 

しかし、反比例の式はm(自分)だけでは成り立たない。

y(他者)があってこそ成り立つものである。

 

 

自分がより自分らしく生きるためにも、

自分だけで答えを出そうとしないで、

目の前の相手に相談してみるのははいかがだろうか。

 

 

迷ったら、何かしら行動に移してみよう。

 

あなたが望んでいる答えが、もしかしたら見つかるかもしれない。

「完璧な自分」という偶像崇拝からの脱出

自分の人生を自分らしく生きていく上で、
「こういう自分でありたい」
という気持ちは誰でも持っているものだ。

 

 

 

自分が健全に成長していくために
「なりたい自分」という目標は欠かせないもの。

 

しかし、それが行き過ぎると「完璧な自分」を求めるようになってしまう。

 

こうなると注意が必要だ。

 

「完璧な自分」を絶対的な存在として捉えてしまうと、
今の自分が「ダメな存在」に思えてしまうのだ。

 

「”完璧な自分”じゃなきゃ愛されない。」

「認めてもらえない。」

 

…このように一度自分を否定しだすと泥沼にハマってしまうのだ。

 

 

よくよく考えていただきたいのだが、
今あなたの身の回りにいる人は
「あなたが完璧だから」受け入れてくれているのだろうか?

 

 

今あなたがハマっている漫画やアニメ、ドラマなどの主人公は
「そのキャラクターが完璧だから」好きなのだろうか?

 

 

 

 

「完璧」ってどんなものかというと、

具体的には…

 

・失敗なんてしたことがない
・文武両道で運動もできて知識も豊富
・弱点や欠点が一切ない
・生まれてから今まで不自由などしたことがない
・誰にでも優しく誰からも嫌われない

 

みたいな?

 

そんな人物、苦労という言葉を知らないというか、
コンプレックスの欠片すら感じられなくて、
人間的として全く魅力的に思えないのは僕だけではないはず。

 

逆に不自然で機械みたいで気持ちが悪いというか、そんな人物いるのか?という印象だ。

 

人は、どこか「人間らしい生々しさ毒々しさ」があるからこそ

自分と共通点を感じて惹かれるのだと思う。

 

実際、あなたの身近にいる魅力的な人は
「その人が完璧だから」一緒にいたいと思うのだろうか。

 

大抵の場合、そんなことはないはずだ。

 

「気が合う」とか「優しい」とか

「一緒にいて楽しい」とか「尊敬できる」とか

 

その人自身が人として魅力だから付き合っていけるはずだ。

 

そう、多くの人は「そのまま」で十分魅力的なのだ。

 

ただ、自分をより魅力的に魅せる方法を知らないだけ。

 

それを自覚した上で日々学んで試行錯誤して

素敵な人間へ成長していこうとする…

それは極めて自然なことなのだ。

 

その前には、今の自分を十分に愛することが欠かせない。

 

その上で「理想の自分像」へと成長していけるよう、
日々努力していけば良い。

 

その成長過程で「今日も私(俺)、頑張ったなぁ。」と

「今の自分」を精一杯愛せば良い。

 

でないと、完璧な自分像を実現できたところで、

「まだ自分はダメだ。」と自分を否定し続けてしまう。

 

これではいつまで経ってもあなたの心が望まないことや
無理を自分に強いてしまうことになる。

 

 

もしあなたの頭の中で
「完璧な自分像」がこう囁き始めたら…

 

「お前はそのままではダメだ」
「価値がない人間だ」

 

などとあなたにプレッシャーを与え苦しめるのならば…

 

 

そんなもの、今すぐ壊してしまえ。

 

 

 

 

 

ほら、頭から「完璧な自分像」がなくなった。

 

 

前代未聞の自分革命だ。

 

 

「こうでなきゃいけない自分」から開放されて
スッキリしたはず。

 

 

自分を苦しめる自分がいなくなれば
あとはもっと楽になれるよう、
自分自身の「王国」を築いていけばよいだけ。

 

 

もう自分が毎日を過ごしていく上で
「完璧な自分像」の言葉を聞かなくて良いんだ。

 

 

 
「あなたの あなたによる あなたのための自分革命」
 

完璧でなくて良い。

 

あなたが「自分らしく楽しく生きられる楽園」を
あなた自身で好きなように実現させていこう。

負の感情も他人の攻撃も気にならなくなる魔法の言葉

最近はついイラッとしてしまう自分に目を向けて
これはいけないと思い、いろいろ対処するようにしている。

 

その場合は一旦冷静になってこう思うことにしている。

 

「自分はまだ自分の問題が解決できていない。」

 

この言葉の意味は明白で、自分自身がまだ未熟だから
他人の言動によって自分の感情が左右されるというもの。
怒りや悲しみなどの「負の感情」が湧き上がってきてしまうのだ。

そうならないように日々学んで成長していきたいよね。

 

一方で、自分の周囲において嫌な言動をする人は最近では少なくなったけど、
街中だとどうしても赤の他人と関わることになるわけだし
理不尽な思いをするケースだってあるわけだ。

 

相手の悪意ある言動の被害を受けてしまうことだってあるだろう。

 

 

その場合も同様に、

 

「相手はまだ相手の問題が解決できてない。」

 

と思えば良い。

 

 

自分自身で湧き上がらせている負の感情も
相手からの悪意ある理不尽な言動も
自分の成長のチャンスになるわけだ。

 

そう考えると、傷つくことや不快な気持ちになることを
過剰に恐れずに済むのでは?と思う。

 

人は本来、人を傷つけることなんて出来ない。

 

ナイフなど物理的に人を傷つけることは出来るし、
実際刺されたら怪我するし下手したら死ぬし
刺した人は逮捕されるわけだが…

 

一方で、悪口や非難、その他罵詈雑言など負の要素を含む
「言葉のナイフ」というものは…

 

「避けられる」

「ガードできる」

「刺さってもすぐに傷口を消せる」

 

などという選択肢だって存在するわけだ。

 

考えてみたらいくらでも自分でどうにかできるんだから、
実際に刺されるよりかはマシだよね。

 

 

ナイフに催眠術かけようとしたけどダメだった…。
 

 

つまり、他者からの物理的でない、「精神的な暴力」に関しては
自分自身で「なかったことにできる」のだ。

 

こうなると
「言葉のナイフを刺した奴を養護するのか」
と思われそうだが、そうではない。

 

自分の人生を楽しく生きるか、自分らしく生きるかどうかについて、

「自分の人生は自分で決めるもの。」

という考えがある。

 

 

「相手が暴力的な言動をした」という事実はあったとして、
それを実際罪に問うべきものなのかどうかはとりあえず置いておいて、

嫌な出来事に対して自分をどんな人物像に仕立て上げるかは、
他の誰でもない、自分の人生に対する責任なのだ。

 

 

仮に「救世主」があなたの元に現れて心の傷を癒やしてくれたとしても、
あなたの生き方や考え方について変えることが出来るのは、
他の人じゃできないからね。

 

 

救世主がいないと生きられない、弱々しい「村人A」として生きるのか、
世の中や特定の人物に対する恨みつらみが消えずに、「悪の化身」と化して世界を闇に葬るのか、
救世主のおかげで自分は助かった、じゃあ今度は自分が人々を助けようと
「ヒーロー(ヒロイン)」のようなカリスマ的存在として生きるのか

 

…などなど

 

全てあなたが自由に生き方を決められるのだ。

 

 

もしあなたが「傷つかない」という選択肢をとれるようになりたいというのであれば、
心を鍛えていく必要がある。

 

 

筋肉はジムや日々のトレーニングで鍛えられるが
「心を鍛える」というのはジム通いじゃできない。

 

 

ではどうすればよいのかというと、

 

「少しでも多くの言葉や価値観、物の見方を知っておく。」

 

必要がある。

 

 

ちょっとしたことでも傷つく人もいれば、
何を言っても無反応な人がいるように、
一つの物事にしてもいろんな解釈と反応、考え方があるわけだ。

 

だったらできるだけ反応しないほうが良い。

 

その方が精神衛生上自分が楽になるのである。

 

そのためには

相手を「人間ではない、一つの現象」

みたいにバッサリ捉えてしまうというのもアリだ。

 

 

 

こちらの書籍でわかったことだが…

 

自分がマイナスの感情を放つから
失敗して怒られた時にも相手の感情を逆なでさせて
ますます怒られてしまうことになるのだ。

 

それに自分が影響を受けて病んでしまうのでは
自分自身が一番苦しくなるだけ。

 

先に自分で反省して自分の中で解決してしまえば、
あとは怒られても平謝りしておけば良いだけ。
相手も平然な人には反応しないからそれ以上怒られることはない。

 

「失敗しちゃいけない」
「ちゃんとやらなきゃ」
と萎縮したり緊張したりしてまた失敗してしまう、
また怒られるということも避けられる。

 

(↑引用するのが面倒だから僕自身の言葉で書いてるけど、
書籍のほうが素敵な文章なので、気になる方はぜひ書籍を読んでいただきたい。)

 

 

相手からの一方的な価値観の押しつけ、
相手からの理不尽かつ暴力的な言動、
相手のミスや勘違いなのに自分が怒られた、

 

…などというのであれば
なおさら「反応しない」ことが必要になる。

 

 

だから、この言葉が意味をなすのだ。

 

「相手はまだ相手の問題が解決できていない。」

 

あなたが自分の感情を自分でコントロールできるのと同じように、
相手が負の感情を生み出すのかどうかも相手が決めることである。

 

それが出来てないということは相手の課題でもあるし、
本来、あなたには関係ないのだ。

 

 

それを受け取ってしまうと、
「相手の課題」を「自分の課題」にしてしまうことになる。

 

 

僕も正直な性格だから
嫌いな人間には基本塩対応だったり、
明らか避けてるの(苦手に思っているの)見え見えだったり
悪気なくても誤解されるような言動もしてしまったりしたから
過去の人間関係においてトラブルも多かった。

 

 

まぁやたら協調性やルール、一方的な価値観を押し付ける日本社会が異常なだけであって
トラブルが全く無いという人の方がむしろいないのかもしれないが、
相手を刺激させない程度のスルー力は身に付けたいし、
つまらない衝突は避けていつでものらりくらり生きていたいよね。

 

そのためには「自分」と「相手」の境界を
明確にしておかないとね。

 

 

「相手の問題と自分の問題を切り分けて考える」

 

このことについても今後深掘りして詳しく説明できたらと思う。

 

 

以前購入したこの本もまた読み返してみようかな。

 

 

 

 

のらりくらりと。

(↑最近、気に入ってる言葉らしい。)