「自分に嘘をつく人生」と「自分を騙す人生」、どちらがお好き?

「自分に嘘をつくこと」と

「自分を騙すこと」

 

 

これらは一体どう違うのか?

 

 

考えていきたいと思う。

 

 

…とその前に

「嘘」がタイトルの好きな曲を一つ貼っておこう。

 

 

 

シドの「嘘」。

いつ聞いても良い曲だよね〜。

 

 

 

 

V系ってマイナーで歌詞も過激なものが多いし

誰もが知っている歌って限られる。

 

この曲はそんなに親しくない人とのカラオケでは必ず歌っていたほど

定番の曲だったな。

アニメの主題歌にもなってたしね。

 

 

↑収録アルバム「hikari」

 

 

 

 

 

他にも「嘘」がタイトルに入っている曲は

ムック(MUCC)の「嘘で歪む心臓」も大のお気に入りだ。

 

こちらの曲はベースラインがとても好きで、

自分でも耳コピしてベースで練習したほどだ。

 

もちろん曲のメロディーも好きで、

昭和の懐かしい感じと、ドロドロと暗い歌詞がたまらない。

 

個人的には、ベースは最近練習サボってるから

久しぶりに触ってあげなきゃなと思う。

 

↑収録アルバム「カップリング・ワースト」

 

 

上に挙げた2曲は、画像のリンク先でも試聴ができるので

機会があったらぜひ聞いてみてほしい。

 

 

…まぁそれは置いておいて…

 

 

最近、僕は寝る前にこう言ってから眠りにつくことにしている。

 

 

「よし、今日も5億人の命を救った☆」

 

 

もちろん、実際は救えてないんだけど(笑)

 

 

 

もちろん、誰かに対して

「私は5億人の命を救ってます」

などと言ったら嘘を付くことになるのだが、

(…というか、言われた方も「お前どこぞの教祖だよ」って思うだろうし

間違いなく病院行きを勧められるだろう。)

 

 

そうではなく…

 

 

その言葉に隠された本来の意味が

 

 

「お前はそれくらいのことを出来るポテンシャルがある!」

「お前はこんなところでくすぶっている場合じゃない!」

「お前を必要としてくれる人がいるんだぞ!」

 

 

といった意味だったら?

 

 

それなら自分自身に対して言うのは問題ないと思っている。

 

 

しかし、実際はそこまでの結果を出せていない。

 

 

つまり、「自分を騙している」ことになるのだ。

 

 

 

 

 

もしかしたらもしかすると、

あなたはなにかミスをしてしまった時に

このようなことを思うことはないだろうか?

 

 

「俺って何をやってもダメだ。」

「私ってこんな簡単なことも出来ないからクズだ。」

 

 

何だその暗いおまじないは。

あなたは暗黒世界の魔女なのか。

違うのなら今すぐやめなさい。

 

 

しかし、実をいうと、

僕も前はそういったネガティブな言葉ばかりを

自分にかけ続けていた。

 

 

自分の価値を下げるような言葉で自分を責め続けていたんだ。

 

 

 

 

 

しかし、気づいたんだ。

 

 

 

こうやって自分を責め続けることは、

悪い意味で「自分を騙している」ことになる。

 

 

本当は、自分自身はそんなに「ダメな奴」じゃないのに。

 

 

「自分は価値がない」と自らを騙すことで

自分の価値を低いものと決めつけてしまっていたのだ。

 

 

しかし、自分が自分自身の価値を下げることがどんなに虚しいことなのか…

 

他人が何を言ったところで、

最終的には嫌でも自分が自分を受け入れるしか無いんだぞ?

 

 

そう思ったら自分を否定することが

いかに愚かで意味のないことなのかがわかったんだ。

 

 

 

「嘘をつく人は信用できない。」

 

一般的にはそんな人が多いだろう。

 

 

僕も基本的に嘘は嫌いだ。

 

 

自分や誰かを守るために

つかざるを得ない時もあるのだが、

出来ることなら言いたくないと思う。

 

 

 

しかし、最近の僕は

 

「誰かが幸せになれる嘘や、

 誰も傷つかない嘘ならついてよいのでは?」

 

と思うようになった。

 

 

もちろん内容にもよるが。

 

 

僕が嘘を肯定するようになった理由は何故かというと…

 

 

まず、「自分に嘘をつくこと」と

「自分をだますこと」の違いを考えてみよう。

 

 

「自分に嘘をつく」のは

自分のやっていることに内心不安や違和感を持ちつつも

その気持ちに嘘をついて無理にでもポジティブに考え、

現状維持しよう、物事を進めようとすることだ。

 

 

例えば、なんとなーく入社した会社が

「なんとなーく社内の雰囲気悪いし

上司もまるで剥がすのに失敗したガムテープみたいにネチネチした性格で意地悪だなー

社食もクッソまずいしクレーマー多くて給料低いしきついなー」

 

 

などと思って嫌な予感がしているものの

「ここは大丈夫だ、」「あの人はきっといい人だ。」

「自分の選択は間違っていない。」

…といったように、無理矢理にでも自分に言い聞かせようとしていることだ。

 

そんなブラック企業とっととやめちまえ

 

つまり、自分に嘘をつくということは、

自分が感じている本当の気持に、蓋をしてしまっている状態ということだね。

 

 

これではいずれストレスが溜まって

身体を壊したり精神的に病んだりしてしまうだろう。

 

 

 

一方で「自分を騙す」ことは

 

現在の自分が「目標・憧れとしている状態」と程遠くても、

自分をその気にさせて自己肯定感を高め、

モチベーションを上げていくことである。

 

それを繰り返すことによって、

少しでも「目標・憧れとしている状態」に近づくことができる。

 

 

ある意味騙されてるぞ。

 

 

また、「自分を騙す」ことは良い使い方も悪い使い方も出来るものであり、

先に上げた例(「自分はダメだ」と思うこと)のように

自己肯定感を下げて自分を虐げる方法に使うことも出来る。

 

 

さらに、「自分を騙す」ことは他者にも使うことが可能だ。

つまり、ポジティブな言葉、もしくはネガティブな言葉を用いて

「相手を騙す」こともできるのだ。

 

 

その「相手を騙す」一例として、

 

女性にはどんな人にも「可愛い」と言ったほうが良い。

 

…というのがある。

 

 

 

「可愛い」と言われ続けることで、その人がもっと魅力的に可愛くなれるというのだ。

 

 

 

 

また、子供には「天才」と言い続けたほうが良い。

 

 

そうすることで自分を愛し自分に自信を持てる子になり、

どんな困難な目標も達成できる人物になる可能性が高まるからだ。

 

 

 

このように

「相手が欲しがっている言葉で(ある意味)相手をだますこと」

いくらでもやって良いと思うんだ。

 

 

もちろん嫌がってたらすぐに辞めるべきだけど

(可愛いと言われるのが嫌いな女性だっているわけだし)、

良い言葉をかけられて悪い気をする人はいないはずだ。

 

 

それで「騙された」相手がその気になって

自分が本来持っている力よりも

さらに高い力を発揮するようになれば「嘘も方便」であるし、

もしかしたら元々嘘でもないのかもしれない。

 

 

それが、「可愛い」と言われ続けた女性が美しくなり、

「天才」と言われ続けた子供が夢を叶えやすい性格になる所以である。

 

 

 

 

 

だから僕は

「現状よりもさらに良くなる確信がある、自分(相手)を騙す嘘」

であれば、嘘も悪くないと思うようになったんだ。

 

 

「お前はダメな奴だ」

なんて言ったって何も良いことなど起こらない。

 

 

負けず嫌いなタイプの人は闘争心を燃やすだろうが、

ネガティブな言葉を言われ続けることで、

大抵の人は自己否定をするようになってしまう。

 

 

リーズナブルなのに大盛り無料の定食屋のように

120%くらいボリューム増し増しで

ちょっとオーバーなくらいで良い。

 

相手や自分自身の良いところを

あなたなりの言葉で表現してあげよう。

 

(「褒める」って言えばわかりやすいのかもしれないが

僕は「褒める」って言葉自体あまり好きじゃない。

なんとなく上から目線でお前何様?感があるからだ。)

 

 

…というわけで今回は

「自分に嘘をつく」と「自分を騙すこと」の違いについて語った。

 

 

これらをまとめると

 

 

「自分に嘘をつく」のは良いことなど何もない!

 

「自分(相手)を騙す」ならポジティブな言葉を

(ちょっとくらいオーバーでも良いから)かけ続けろ!

 

 

あなたが自分自身を騙す言葉を見つけるのが難しければ、

まずは身近な人の良いところを見つけてみるのもありかもしれない。

 

 

「元気で明るい」「優しい」「デキる人」「面白い」「個性的」

「細かいところに気がつく」「いつも笑顔」「挨拶をしてくれる」

 

…などなど

 

こういった言葉の中に、心底自分が欲している言葉のヒントがあるかもしれない。

 

 

 

ぜひ、他人の良いところを探しながら

あなた自身の良いところを見つけ出し、

「なりたい自分像」になるために

自分自身を騙し続けてみてほしい。

 

 

騙されたと思ってやってみれば、

いつか本当に「なりたい自分」になれる日が来るかもしれない。

他人のあら捜しを今すぐやめるべき理由

「人は他人を理解することは不可能」

 

そんなことはわかっている。

 

 

しかし、ちょっとでもわかり合いたい、

心が通じ合いたいと思うのが人間というものだろう。

 

 

それが出来ないと、相手のあら捜しをし始める…

そんな人が本当に多い。

 

 

僕自身も以前は壁を作っていたこともあり、

あまり人付き合いが得意な方ではなかった。

 

集団の中にいても、浮いてしまうことが多かった。

 

今だって必要以上に深い人間関係を構築しないタイプではあるが、

周囲の雰囲気に対しては非常に敏感に察知してしまい、

あれこれ考えてしまうことがある。

 

 

例えば…

 

 

皆が誰か特定の人の悪口を言っている光景を目にするたびに、

 

 

「なぜあの人は浮いているのか?」

「皆が言うほど悪い人ではないんじゃないか?」

「というか、色んな人がいる所で人の悪口言うなんてすごく迷惑。」

 

などと思ってしまうのだ。

 

 

その際に、「いいや、俺には関係ないし」って思おうとしても

嫌でもその「浮いている人」と「自分」が重なって見えてしまうのだ。

 

 

パワハラなど人に意地悪をする人間なら嫌われて当然と思うが、

悪気なく自己中な考え方の人や仕事ができない人、

不器用でうまく人間関係を築けない人も世の中には沢山いるわけであって

そういう人達がどんなことを考えているのか

僕は非常に興味があるのだ。

 

 

心の中ではありがとうと思っていても

うまく気持ちに表せないだけかもしれないし、

平静を取り繕ってひょうひょうとしているけれど、

実は人との距離を感じて寂しさや虚無感を感じているのかもしれないし。

 

 

だから、出来るだけ人を嫌いにならないようにしたいとは思う。

 

 

しかし、人は「わからない」ことに関しては恐怖や不安を覚えるもの。

 

 

自分自身が「相容れない、理解できないタイプの人」と出会うと

どうしても警戒してしまうんだろうね。

 

 

だから、口数少なく誤解されやすいタイプの人や

一般常識からズレているちょっと変わった人というのは、

相手から勝手に決めつけられて損をすることが多くなる。

 

 

その人を受け入れる余裕のない相手からすると

一つ一つの行動が悪気のあるものにしか見えなくなるからね。

 

 

まぁそれは受け取る相手の問題だからどうすることもできない…

そうやって割り切るしかないんだろうけど。

 

 

 

しかし、今の日本社会では

 

「仕事ができるかできないか」

「協調性があるかないか」

「気遣いができるかできないか」

 

…などといった偏った価値観で人を判断しがちだ。

 

 

これらの項目に当てはまらないと、

またたく間に「浮いた人」になってしまい、

皆がその人に対する愚痴や悪口、陰口、噂話大会をするわけである。

 

職場で他の人がいるのもお構いなしに不満を垂れ流す人達もいれば、

本人がいる空間でコソコソと話す人達もいる。

(↑この光景を見るたびに、「いやそれ絶対聞こえてるから」って思うが…。)

 

 

その場にいるすべての人があなたと同じ考え方とは限らないと思うが、

その可能性を想像することすらできないのだ。

 

 

それで、実際に嫌いな人とコミュニケーションをとるとなると、

多くの人が表面上穏やかに取り繕っているが

最悪の場合、いじめなどに発展する可能性だってあるわけだ。

 

 

そうして今の日本は勤務時間だけがやたら長く

給料も少なくて人間関係や職場環境も最悪の

働きづらい職場が多く存在するわけである。

 

 

こういった環境を生み出さないためにも、

 

まずはあなた自身が、

 

「皆が自分と同じ意見だと錯覚をすること」

 

という考え方にならないように注意する必要がある。

 

 

例えば…

 

「私だって我慢してるんだから、あなたも我慢するのが当然でしょ?」

 

という考え方に一度陥ってしまうと、

否定的な見方でしか相手のことを見られなくなる。

 

 

我慢している自分を肯定するために、

「あの人は〇〇してくれない。」

などと相手に対して勝手に期待して、

相手のあら探しをするわけだ。

 

 

それで共感してくれる相手を探して、

悪口大会に発展してしまうわけである。

 

 

しかし、それって非常に視野が狭い考え方だなって僕は思う。

 

 

 

視野が狭いということは、

隙間から覗くようなものだ。

 

 

 

 

つまり、見えている部分が限られてくる。

 

 

そうなると、良くも悪くも相手のことをピンポイントでしか見れなくなるのだ。

 

 

相手のことを好きすぎれば盲目になって

相手の人物像を自分の都合が良いように妄想したり期待したりようになるし

(↑いわゆる「脳内お花畑」ってやつだね。)

 

逆に、嫌いすぎれば否定ばかりするようになる。

(↑いわゆる「アンチ」ってやつだね。)

 

 

どちらも、相手の一部分しか見えていないからだ。

 

 

徐々にでも良いから、視野は広くしていこう。

 

 

視野を広くすれば、見えている部分が多くなっていく。

 

相手のことだって「景色の一つ」と思えるようになるし、

相手のちょっとした欠点も気にならなくなる。

 

 

 

 

 

あなたが見ている世界(景色)の魅力的な一部として、

ありのままの相手を愛せるようになる。

 

 

そもそも人は完璧ではない。

 

 

あなたがよく思っていない相手について、

もしかしたらその仕事はその人にとって向かないのかもしれないが、

その他の分野できっと輝ける場があるはずだ。

 

眼の前の相手を「こういう人だ」とただただ受け入れる…

それで良いじゃないか。

 

 

人によって能力に差があるのだから、

出来ないこと、苦手なことがあるのは当然だし

僕やあなただって

自分自身が出来ないことを他の人にカバーしてもらっているわけだから

皆お互い様なのだ。

 

 

さらに、もしあなたが今自分自身が置かれている状況を

「我慢している」と思うのなら

ちょっとでも「我慢しない」ような方向へもっていくように

あなた自身が努力するのも一つの手である。

 

 

例えば…

 

①人生の学びや人間の研究だと割り切って今の環境に居続ける。

②快適な環境に身をおくために、思い切って抜け出してしまう。

 

などあると思う。

 

 

仕事だと転職が後者に当たると思うが、

「今の環境がどうしても耐えられない」と感じたら

自分から早々に立ち去るのがいち大人としてのマナーだと僕は思う。

 

 

被害妄想を抱えながら不平不満を言いながら仕事をするのは

自らマイナスの波動を放って他の人や環境を汚染させてしまい、

あなた自身もその放った言葉で汚染されてしまう。

 

 

不平不満、悪口や陰口、愚痴などエネルギーを下げる言葉を放っても

その状況が良くなるわけじゃない。

 

むしろ悪くなるばかりだ。

 

 

 

だから、悪口は今すぐにやめよう。

 

それが出来なければ、仕事自体をやめよう。

 

 

僕だって以前はギブアンドテイクの考え方になりがちだった。

 

 

ギブアンドテイク…

この考え方はビジネスなど、人と何かを交渉する上では必要かもしれないけれど、

あなた自身を本当の意味で開放するには、

あまり良くない考え方だと僕は思っている。

 

 

ギブアンドテイクの考え方による悪い影響について

詳しくはこちらの記事↓を参考にしていただきたい。

 

 

ギブアンドテイクではなく、

「ギブ&ギブ」の精神になることが大切だ。

 

 

それはつまり…無償の愛。

 

眼の前の相手に愛を与えることだ。

 

 

 

 

さて、あなたは今、どこか人と「ズレている」部分があって

生きづらさを感じてはいないだろうか?

 

 

 

僕は、自分自身が仲間だと認識している人に関しては、

出来るだけその人のことを受け入れて理解したいし

僕自身もその人を通していろんなことを学びたいと思っている。

 

 

 

あなた自身だってきっと良い部分がたくさんあると思う。

 

 

無理に資格や技術なんて得ようとしなくても、

まずはあなた自身のことを十分に愛してほしい。

 

 

それが出来たらきっと、

相手のちょっとしたミスや欠点も気にならなくなるはずだ。

 

 

 

あなたにしろ相手にしろ

 

「そのままで十分に価値がある存在」

 

そう思えるようになるだろうし、

自然と、何もかもを許せるようになるはずだ。

 

 

そしたら、眼の前の人を愛せる余裕が生まれるはずだし、

素晴らしい世界(景色)が目の前に広がっていくはずだ。

 

 

 

そんな世界(景色)を毎日眺めることが出来たら、

生きるのがちょっとだけ楽になるだろう。

「自分探し」の人生より、「宝探し」の人生のほうが簡単。

僕は自分のこだわりがあまりにも強い。

 

短気だし。気分屋だし。

 

良い人ぶって大人しくしているうちは害がないのだが、
そういう我が強い部分が出ていると非常に面倒くさい奴だと思う。

 

なので、他人のちょっとした言動を
必要以上に気にしたり、
イライラしたりしてしまうことが多かった。

 

相手の言葉一つとっても

 

「今のどういう意味だったんだろう?」
「俺のこと嫌いなのかな?」

 

 

…という

端から見ればどうでも良いことを細かく気にしてしまうので

 

 

 

まぁーーー気が休まらなかったね。

 

 

 

 

でも、最近ようやく気づいたんだ。

 

 

「人が自分が快適に過ごせるようにしてくれるのかを気にするよりも、

自分が人と一緒に成長していく…

そんな風に考えたほうが楽だし楽しくないか?」

 

 

って。

 

 

今までの僕は、すぐに人と自分を比べては

劣等感を感じてしまっていた。

 

 

自意識過剰で

「どう見られるか」「どう思われるか」

やたら気にしていたし。

 

 

一つの出来事をネガティブに捉えてしまうものだから

卑屈で皮肉屋で斜に構えすぎていた時期もあった。

 

 

 

 

しかし…

こういった一連の行為は全て自分を苦しめるものだ。

 

 

自分を受け入れられない、愛せていない。

 

 

「より自分を嫌いになるために」

自分自身で選んだ行為なのだ。

 

 

ついつい他人のせいにしてしまっていたけれど、

過去に起こった出来事はもう既に過去のことだし、

それに執着するのも時間が勿体無い。

 

 

そもそもその行為に他人は関係ないのだ。

 

 

「自分の人生なのだから、全てが自分の責任。」

 

 

…この言葉に納得するには時間がかかったけれど、

徐々にでも考えを改めるようになった。

 

 

そして、気づいたんだ。

 

 

これからは人の顔色を伺わないで

自分の機嫌だけとれば良いんだって。

 

 

相手の感情は相手の責任であり、

相手が引き起こしたことは相手の責任だからである。

 

 

もちろん同様に、

自分の感情の責任も自分で取らないといけないし、

自分が引き起こしたことも自分の責任となる。

 

 

一見すると、これって苦痛に見える。

 

 

しかし、これって逆に言えば、

 

 

「どんなに大変な状況を引き起こしてしまったとしても

自分の解釈次第で嫌な出来事にも良い出来事にでもなる」

 

ということだ。

 

 

 

 

つまりこれって、

「判断を他者に委ねない、自分の好きにできるからめちゃくちゃ楽」

なんだよ。

 

 

嫌な出来事を良い出来事として解釈できるようになるには、

日頃から自分の成長を実感していけば良い。

 

 

一見すると自分が悪くないものでも、

自分で引き起こしたことだと思えば、

その経験を生かして次に繋げることができる。

 

 

「他者が自分を快適にさせてくれるかどうか」や

「他社によって自分が傷つかないか」

 

 

ということに目を向けていては

常ににそのことばかり意識を取られてしまい、

大きく成長することはできないだろう。

 

 

自分のことしか考えていない、

視野が狭まっている状態だからである。

 

 

その上、何かを恨んでいる暗い自分のままでは、

自分を愛せていないゆえに不満も多く、

「自分が愛せない自分」であり続けるために

いつまでもやりたいことを実現できないし、

付き合う人も限られていくことにもなる。

 

 

こういった性格から脱却するためにも

「良い人」を演じることをしなくなるためにも

「傷つきたくない」という目的のために

無理に予防線を張ることもなく、

ありのままの自分で生きるためにも

好きなように振る舞ったら良いのだ。

 

 

行きたいところに行けば良いし、

やりたいことをやれば良い。

 

とにかく

 

「頭に描いている自分のイメージを

すぐに実践して体現させること。」

 

 

 

それに気づいてから楽になった。

 

 

僕の場合は旅行で全国を飛び回ることかな。

 

 

自分がどう振る舞おうと、

相手の感情までコントロールできないんだし。

 

 

それならいっそのこと

「自分はこうだから」って

開き直ってしまったほうが良いだろう。

 

 

結果、僕の場合だが、

自分の機嫌を取ることにしか興味がなくなった。

 

 

その結果…

 

「他人の言動が自分を不快にさせるかどうか」

 

以前に比べてあまり気にならなくなった。

 

 

まぁ失礼な奴がいたら相応の態度は取るかもしれないけど、

基本的にはスルーすれば良いし

人が自分をどう思うかあまり深く考えない。

 

 

「相手がどう感じるか、どう考えるのか」

こういった相手の思考は相手の問題だし

そこは自分の踏み込むべき領域じゃないからだ。

 

 

同様に、

「相手が自分をどう思うか」も、

自分にはどうにでもできないことだし

相手の自由にさせておけば良いだろう。

 

 

不幸な人生を送りたい人は

悲劇のヒーロー(ヒロイン)ぶって被害妄想を続けるだろうし、

 

 

自分の人生を変えたい、成長したいと思っている人は

どんな出来事からも学ぶことが出来るからだ。

 

 

全ての出来事はね、必要があるから起こるんだ。

 

 

「目の前の相手が何を求めて伝えようとしているのか?」

「過去にどういう経緯があって今こういう状況なのか?」

 

 

相手がどんなメッセージを発しているのかを考えるようにすることで、

自分自身の成長にも繋がる。

 

 

すべての人と仲良くする必要はないかもしれないが、

理解しようと努めることで大きな気付きにもなる。

 

 

自分の本当の気持がわからない人、

やりたいことがわからない人、

もやもやしながら毎日を送っている人、

世の中にはそんな人達がたくさんいることだろう。

 

 

僕は、自分探しの人生もいいけど、

宝探しの人生を送る方がもっと簡単だと思う。

 

 

「宝」とは「学び」のことだ。

 

 

何気なく過ごしている毎日でも

自分の成長となるための「宝」が

そのへんに転がっているはず。

 

 

より多くの「宝」を見つけるために、

普段のあなたではあまり見ないような部分にも

目を向けていってみてはいかがだろうか。

 

 

もしかしたら巨大な財宝が隠されているかもしれない…。

 

「完璧な自分」という偶像崇拝からの脱出

自分の人生を自分らしく生きていく上で、
「こういう自分でありたい」
という気持ちは誰でも持っているものだ。

 

 

 

自分が健全に成長していくために
「なりたい自分」という目標は欠かせないもの。

 

しかし、それが行き過ぎると「完璧な自分」を求めるようになってしまう。

 

こうなると注意が必要だ。

 

「完璧な自分」を絶対的な存在として捉えてしまうと、
今の自分が「ダメな存在」に思えてしまうのだ。

 

「”完璧な自分”じゃなきゃ愛されない。」

「認めてもらえない。」

 

…このように一度自分を否定しだすと泥沼にハマってしまうのだ。

 

 

よくよく考えていただきたいのだが、
今あなたの身の回りにいる人は
「あなたが完璧だから」受け入れてくれているのだろうか?

 

 

今あなたがハマっている漫画やアニメ、ドラマなどの主人公は
「そのキャラクターが完璧だから」好きなのだろうか?

 

 

 

 

「完璧」ってどんなものかというと、

具体的には…

 

・失敗なんてしたことがない
・文武両道で運動もできて知識も豊富
・弱点や欠点が一切ない
・生まれてから今まで不自由などしたことがない
・誰にでも優しく誰からも嫌われない

 

みたいな?

 

そんな人物、苦労という言葉を知らないというか、
コンプレックスの欠片すら感じられなくて、
人間的として全く魅力的に思えないのは僕だけではないはず。

 

逆に不自然で機械みたいで気持ちが悪いというか、そんな人物いるのか?という印象だ。

 

人は、どこか「人間らしい生々しさ毒々しさ」があるからこそ

自分と共通点を感じて惹かれるのだと思う。

 

実際、あなたの身近にいる魅力的な人は
「その人が完璧だから」一緒にいたいと思うのだろうか。

 

大抵の場合、そんなことはないはずだ。

 

「気が合う」とか「優しい」とか

「一緒にいて楽しい」とか「尊敬できる」とか

 

その人自身が人として魅力だから付き合っていけるはずだ。

 

そう、多くの人は「そのまま」で十分魅力的なのだ。

 

ただ、自分をより魅力的に魅せる方法を知らないだけ。

 

それを自覚した上で日々学んで試行錯誤して

素敵な人間へ成長していこうとする…

それは極めて自然なことなのだ。

 

その前には、今の自分を十分に愛することが欠かせない。

 

その上で「理想の自分像」へと成長していけるよう、
日々努力していけば良い。

 

その成長過程で「今日も私(俺)、頑張ったなぁ。」と

「今の自分」を精一杯愛せば良い。

 

でないと、完璧な自分像を実現できたところで、

「まだ自分はダメだ。」と自分を否定し続けてしまう。

 

これではいつまで経ってもあなたの心が望まないことや
無理を自分に強いてしまうことになる。

 

 

もしあなたの頭の中で
「完璧な自分像」がこう囁き始めたら…

 

「お前はそのままではダメだ」
「価値がない人間だ」

 

などとあなたにプレッシャーを与え苦しめるのならば…

 

 

そんなもの、今すぐ壊してしまえ。

 

 

 

 

 

ほら、頭から「完璧な自分像」がなくなった。

 

 

前代未聞の自分革命だ。

 

 

「こうでなきゃいけない自分」から開放されて
スッキリしたはず。

 

 

自分を苦しめる自分がいなくなれば
あとはもっと楽になれるよう、
自分自身の「王国」を築いていけばよいだけ。

 

 

もう自分が毎日を過ごしていく上で
「完璧な自分像」の言葉を聞かなくて良いんだ。

 

 

 
「あなたの あなたによる あなたのための自分革命」
 

完璧でなくて良い。

 

あなたが「自分らしく楽しく生きられる楽園」を
あなた自身で好きなように実現させていこう。

「美しい蝶」ではなく、「蛹」の自分が一番美しい

自分はこれでもかというほど自己肯定感が低い生き物だったので
「今の自分じゃダメだ」と常に思い、

 

色々なことに興味を持っては夢中になる…
(途中で飽きて中途半端に終わることもしばしばだが)

 

そんなことを繰り返してきた。

 

これまでハマってきたものは…

イラスト、ダンス、DTM、縄、音楽(楽器の演奏、ライブ参戦)、

料理、投資…などなど。

(現在もハマっているもの、興味のあることもあるが)

 

 

 

あなたも、興味の対象を行っていることで自分が楽しい、
また、それをしている時の自分が好きというのであれば、
いろんなことに挑戦することはむしろやるべきことだと思うんだ。

 

でも、あまりにも「自分には何もない」と思い込んで、

 

・周囲の求める「ジェンダー」や「価値観」などに合った自分を演じようとする


・興味のかけらもないジャンルの資格を無理にでも取ろうとする

・あまり続けられなそうなことでお金を稼ごうとする

・気が向かないのに友人知人に合わせて趣味を始める

・周囲が皆結婚しているからなどの理由で、焦って婚活や出会いの場を求める

・SNSで見栄を張るために偽りの自分像をアピールする

・自分自身を美しくないと思いこんで整形にハマってしまう

 

…などなど。

 

こういうことはやめたほうが良い。

 

 

「挑戦すること」と、「やらされていること」は全く異なるものだ。

 

 

一見すると自発的にやっているように見えて、
全くそうでもないこともあるかもしれない。

 

 

仕事でも趣味でも家庭でもどんなことでも、

 

「それは本当に大好きなことなのか?」

「自分が心から必要としている、求めていることなのか?」

「周囲の意見に左右されていないか?」

「周りからの目を気にしていないか?」

 

 

このように、
自分の心に聞いてみよう。

 

 

もしかしたら、「嫌」という声が聞こえてくるかもしれない。

 

 

「他人のため」を思ってしていることではなく、
「他人の機嫌をうかがうため」にしていることは、
全て必要がないことだ。

 

 

人を喜ばせたくてすることではなく、
人からどう見られているかを気にして行動することは、
自分しか見えなくなってしまう状態だからだ。

 

 

自分しか見えないと、
一つの価値観に固執してしまいがちである。

 

 

「自分を必要以上に良く見せたい。」
「結婚しなきゃいけない。」
「女(男)らしくならなきゃいけない。」

 

などの「焦り」が生じてくることだろう。

 

 

何故、焦る必要があるのだろう。

 

 

周囲の人の声なんて「その人自身の意見」にすぎないんだから、
「そういう考えの人もいるんだな」と思っていれば良い。

 

 

他人の要求に従う必要なんて全く無いんだよ。

 

 

本当に「心地よいと感じる自分の状態」を開放してあげて、
自分の生き様をどう見せるのか…

 

それが一番大事なことだ。

 

誰かに見せるための「完璧」な自分は不自然だ。

 

自分が心地よく生きられるための「完全体」な自分で良いのだ。

 

 

「完璧」と「完全体」は違う。

 

 

今のあなたはまだ蛹かもしれない。

 

 

まだ蝶にもなっていない段階で

 

「美しい蝶にならなければいけない」
「自分が思い描く蝶の姿にならなければ愛してもらえない」

 

といった「完璧さ」を求めたって意味がない。

 

蝶になったらなったでその姿を受け入れる必要がある。

 

勘違いしないでほしいのが、
蛹は蛹の状態でも「完全体」なのである。

 

その状態を受け入れて、今の蛹の状態を楽しめば良い。

 

理想を諦めろということではない、
「完璧」を目指すなということだ。

 

「『完璧』な自分じゃなきゃ人に受け入れられない…。」
それは全て周囲の人の影響や過去の経験により、
自分自身が作り上げた「幻想」なのである。

 

 

 

例えば、僕が思う「魅力的な美人像」というものがある。

 

 

それは完璧な顔の作りではない。
ちょっと欠損(一般的に言うとコンプレックス)があるからこそ努力をするのだし、
その欠損があるからこそ人間らしい愛嬌さがある。

 

 

もちろん、性別だってそうだ。
僕は「女性になりたいMTFさん」のほうが
一般的なシスジェンダーの女性より女性らしいなと感じることが多々ある。

 

 

それは「完璧な女性」ではないからこその魅力があるからだと思う。
生きていく過程で苦しんだこと、努力してきたことなど、
その人ならではの「味わい」が出るからだ。

 

結果、その人独自の色気や醸し出される雰囲気に
非常に惹きつけられるのだ。

 

生き様が表れているというか、そんな感じ。

 

 

 

というわけで、

たとえ今のあなたが幼虫だろうが蛹だろうが蝶だろうが

今の自分を大切にしよう。

 

 

 

他人の嗜好に自分を合わせる必要なんて無い。

 

 

別に整形する人を否定はしないけれど、
そのままでも十分愛らしい人はいくらでもいる。

 

ほんのちょっと形を変える、
見栄えを良くするくらいだったら良いかもしれないけど、
「他人の好みや他人の理想像」に自分を合わせてしまうと、
本来の自分が持っている魅力が歪んでしまう危険性もあるからだ。

 

それで「もっともっと」と「完璧さ」を追求していくうちに
整形にハマってしまう人もいるかもしれないね。

 

 

「整形」は何も顔や体に限ったことじゃない、

 

 

性格的なもの、自分の生き方を無理矢理に「整形」してしまって
苦しんでいる人もたくさんいるし、
むしろ、そういった「内面的な整形」は精神的なものだから、
お金をかけずに気軽にできてしまうわけだし、
外見的な「整形」をする人よりもはるかに多いのではないか。

 

人として美しくある為にも、今の自分自身を愛することが大切。

 

仮に将来どんな姿になったとしても、その姿を隅から隅まで愛せる…

 

そんな自分になろう。

 

 

その上で、もっと美しく見えるように、
自分の魅力をさらに引き出す努力をしていけば良いんじゃないかな。

 

 

 

 

 

「自分を愛すること」についてより深掘りしたければ、
こちら↓の記事も参考にしてみてね。

 

 

 

あなたは今のままで十分美しい。

 

 

 

ちなみに今日のBGMは天野月子さん。

 

 

 

 

↑収録アルバム

 

 

 

だからかちょっとエモい気分になっている…そんな土曜の夜だった。