相手が自分の領域を犯してきたら戦争しろ!

「戦争」なんてなんだか物騒な言葉を使ってしまったけど、

まぁタイトルのとおりだね。

 

 

ただ僕は、国家間や宗教間などの「戦争」について語りたいわけじゃないから

それを目当てに来てしまった人はブラウザをそっと閉じていただきたい。

 

 

僕が話したい「戦争」というのは

 

「自分を守るための戦争」

「人と健全な関係性を築くための戦争」

 

である。

 

コミュニケーションにおける戦争…

まぁ言ってみれば「喧嘩」や「口論」「自己主張」だね。

 

 

それを踏まえて、

 

「相手と戦争(バトル)して自分の領域を守ること」

 

の重要性について語っていきたい。

 

 

 

先日、とある会社のセールスの人が家に訪れた。

 

恐らく日本中でも大半の人が迷惑しているであろう

あの企業の訪問員だ。

 

 

その人はなぜかアパートの事情を知っていて、

一方的にこちらの事情を決めつけてきた。

 

僕は直感で「こいつは悪質なやつだ」と判断した。

 

 

出かける間際だったし

「急いでいるのですが。」

「さっきも言ったように…。」

とあれこれ説明しても信じるどころか全く聞き入れてくれない。

 

 

それどころか、

相手も「絶対に契約させる」勢いだったのか

何回も何回も同じことを聞いてくるのだ。

 

 

あまりにしつこいから最終的に

「だから言ったでしょ!?」

とキレて無理やり振り払うかのように相手を追い返した。

 

 

とりあえず申し込み用紙だけもらっておけば

相手も納得するだろうと思い、それは妥協したが。

(もちろん申し込むつもりはない。)

 

 

このように無礼な相手、

こちらの「人としての権利」を無視してくる相手、

自分の縄張りを犯そうとしてくる相手etc…には

僕は非常に厳しい態度をとる。

 

 

自分の「領域」を犯そうとしてくるから当然のことだ。

 

 

ちなみに「領域」とは国のように

自分の縄張りのようなものと思ってくれて良い。

 

 

それでもピンとこなければ

こちら↓でも軽く説明しているので参考にしてほしい。

 

 

 

…しかし…

こういう「赤の他人に自分の領域を侵される」経験は

きっと多くの人にあるはずだ。

 

 

 

例えば子供の頃を思い出してほしい。

 

 

親など大人たちから指図や命令をされたことはないだろうか?

 

 

「宿題しなさい」

「部屋を片付けなさい」

「あれやりなさい」

「これやりなさい」

 

 

まぁこんな細かいこといちいち言われてばっかりじゃ

 

 

「うるせーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!」

「じぶんでやるわーーーーーー!!!!!!!!!!!」

 

 

ってキレたくもなるよね(笑)。

 

 

でも、従わないと怒られる、叩かれるなどされた人もいるはず。

 

 

そのたびに、相手に対して反発心を抱いてしまう。

 

反抗期では荒れてた人も多いんじゃないかな。

 

今リアルタイムで荒れてる人もいるかもしれないね。

 

 

それはまだ良い。

嵐はいずれ治まるときが来るだろうから。

 

 

問題なのは

「これが出来ない自分はダメなんだ」と

自分自身を否定するようになって、

 

大人になった今でもその呪縛から逃れられず

苦しんでいる人も少なくないはずだ。

 

 

親だけでなく、上司や先輩からも似たようなことをされている人もいるだろうね。

 

 

逆に、人をまとめる立場にある人なら、

人に対してそのようなことをしてしまう人もいるだろう。

 

 

こういった

「相手に対して指図をしてしまう」

もしくは

「相手の言うことに嫌々従ってしまう」

 

それは

「相手の領域を犯す」

もしくは

「相手が自分の領域に入るのを許してしまう」

ということにもなる。

 

 

 

「自分らしい生き方」をする上でも、

「相手との依存的ではない健全な関係性を築く」上でも

全く良いことではない。

 

 

 

 

 

それなのにも関わらず、

「本当はこういう事情があるのに…」

といった気持を言葉にできず

逆らえない人は多いだろう。

 

 

しかし、自分の気持ちを押し殺して人の言うことを聞いてばかりいると

全て相手の基準で物事を考えるようになってしまい、

自分の気持がわからなくなってくる。

 

 

「自分はどう考えているのか」

「自分にとって何が嫌なのか」

「自分は何を望んでいるのか」

 

 

こういった「自分の気持ち」がわからなくなってくると

相手が全ての判断基準になってしまい、

常に相手の顔色を伺うようになり

自分らしく自然体に振る舞うことができなくなる。

 

 

「自分の軸」ではなく「他人の軸」で物事を考えてしまうからだ。

 

 

※「自分の軸」「他人の軸」についてはこちら↓を参考にしてほしい。

 

 

「他人の軸」つまり「他者の気持ち優先」で物事を考えると、

自分が何をするにも相手が優先になる「共依存の関係性」になってしまう。

 

 

いつまでも子離れできない過保護な親とか。

DV彼氏と別れられない彼女とか。

 

 

「この子がいなきゃ…」

「この人がいなきゃ…」

と常に自分がいなきゃいけないと思う込んでいる状態のことだ。

 

 

そうしたことを続けていくと、あなた自身も被害妄想にとらわれやすくなる。

 

 

こうした共依存は、

「相手の存在」で「自分自身の存在意義」が保たれているからである。

 

 

いざその関係性がなくなり

(恋人と別れる、親なら子供が勝手にどこかへ行ってしまうなど)、

あなたにとって不都合な状況(破産や病気など)が訪れた時に

 

 

「あの人のせいだ」

「あいつが悪い」

「あの子が〇〇してくれない」

 

という考えに陥りやすいからである。

 

 

これは人を恨んでばかりの人生だ。

 

そんな人生を送るようになってしまうと、

怒りや悲しみのエネルギーを湧き上がらせたまま毎日を過ごすことになり、

あなたが幸せに生きられなくなる。

 

 

なので、今すぐにそれを断ち切ろう。

 

 

「革命」の始まりだ。

 

 

DV彼氏(彼女)を持った恋人は

今すぐに同棲しているアパートから出ていくべきだし、

 

 

子供に干渉してしまう親は

「子供が幸せなら何をしていても構わない」と

良い意味で子供に対して「無関心」になる必要がある。

 

 

逆もあるよね。

 

 

親のことを「鬱陶しい」と思うのなら、

今すぐにでも一人暮らし出来るアパートを見つけよう。

連絡はたまに行えば十分だし、

なんなら海外まで行ってしまっても構わない。

 

 

僕だって一人になりたくて、

ほぼ海外みたい沖縄を選んだんだから。

 

 

「革命」の後には「戦争」が起こる。

 

 

もしそれでも相手が自分に依存してくるのであれば、

「戦争(バトル)」をしよう。

 

 

↑お前こそ口悪すぎだから自重しろ

 

 

自分が思っていることを相手にぶつける。

 

 

僕もそうだが、日本人には口論が苦手な人は多い。

 

怖いかもしれない。

面倒なことになるかもしれない。

 

 

でもね、

「自分の気持を吐き出すこと」は

自分のためでもあり、

相手のためでもあるのだ。

 

 

少しでもあなたを思いやってくれる人なら自分自身で考えるだろうし、

その人自身が自立して人生が良い方向に向かっていくかもしれない。

 

 

逆に、依存的な考えが抜けない人はいつまでも同じことを繰り返すし、

別の「依存させてくれる人」のところへ去っていくかもわからない。

 

 

でも、それは全て「相手の責任」なんだから、

あなたが心配して気にする必要なんてないんだよ。

 

 

少なくともあなたの「思い」を外にだすことで、

相手が成長する可能性を与えることになる。

 

自分の中で悶々としたままでは

その可能性すら0になるんだ。

 

だから、「言葉にする」ことは大切なことなんだよ。

 

 

それでも相手が

 

「あなたに対して過剰な期待をしてくる」

「あなたに対して依存心を抱いている」

「言うことを聞かせようと支配的な態度を取ってくる」

 

 

その状態であなたのところへまた来ようものなら、

完全にスルーして良い。

 

 

もしくは自分の考えをぶつけて、毅然とした態度で追い払えば良い。

しつこいセールスマンに対処するかのように。

 

 

 

「相手と戦争」をすること…

つまり、あなたが自分の考えを主張することは、

少なくともその人にとっては「意味があること」に繋がるはずだ。

 

 

もしそれで

「相手が怒る」「他の人からも責められる」

などの不都合なことが起きてしまっても、

それは放っておいて構わない。

 

 

厳密に言うと、

「受け取り方は人それぞれなのだから、徹底的に相手に任せる」

ということだ。

 

 

 

あなたに覚えていてほしいのが、

「相手が相手自身で考えて処理をするべき課題や問題」は

確実に「相手の領域」

なんだよね。

 

 

少なくても「あなたの領域」ではないはずだ。

 

つまり、あなたが相手の問題を解決する義務はないということ。

相手の問題なのだから。

 

あなたが相手を思い通りにさせたい、

相手に言うことをきかせたいと思い、

相手の「領域」に無理やり入り込んでいくのであれば

相手に反発されても仕方がないだろう。

 

相手だって相手の「領域」を守る権利があるんだから。

 

逆に言えば、

相手が自分の領域に無理やり入っていくのであれば

反発しても良いし、自分の言いたいことを言って構わない。

あまりにも執拗な行為をするのであれば逃げてしまって構わないし、

他の人に助けを求めるのもアリだ。

 

 

…てなわけでまとめると、

 

 

人に振り回されてばかりで疲れている人が

「人の顔色を伺わず、自分の気持ちを最も優先できる生き方」

ができるようになるには

 

 

「相手と自分との問題を明確に区別し、

必要以上に干渉してくる相手には毅然とした態度をとること。

もしくは必要以上に相手に干渉せずに突き放すこと。」

 

 

こういったことが大切なのだ。

 

 

「自分のことは自分で決める」

「相手のことは相手が決める」

 

それを前提にある程度の距離を置いた関係を築くこと。

 

 

それが本当の意味で

「お互いを信頼し、尊重できる」

自立した大人同士の理想の関係だと思うな。

暗くて捻くれていた僕を「毎日楽しく生きてる変態」に変えてくれた人

今日は僕が今フォローしている方について紹介したい。

 

 

僕は最近、メンタルに関する記事をたくさんあげているのだが、

それはこの方から大きな影響を受けている。

 

 

その名もウィックスあやみさん。

 

 

 

詳しくはリンク先を参照してほしいのだが…

 

 

かつては彼女も自分自身に対して

「何をやってもダメだ」と思い込んでしまうくらい

自己肯定感が低かったそうだ。

 

 

うつ病などで苦しんだ時期もあったらしい。

 

 

それが、人生が一変して年収何百万は軽く超えるセレブ女子になった。

 

 

しかし

 

「急に人生が変わるなんてあり得ないだろ。」

 

最初はそう思った。

 

 

しかし、発信の一つ一つにリアリティがあるから

嘘ややらせではないようだ。

 

「どうしてそうなったんだろう?」

 

僕は気になり、彼女を追いかけてみた。

 

 

そしてわかった。

 

 

彼女は自分なりに努力し続けた結果、今の姿を掴んだのだ。

 

 

カウンセリングもたくさん受けたし、

セラピストなどにもたくさん会ったそうだ。

学びに1,000万もの金額を自己投資していたのだ。

 

 

僕はその話を聞いて、強く心を打たれた。

 

 

そして、

 

彼女自身もWEBデザイナーであることと、

僕自身もクリエイティブ系であること、

 

 

また、スピ系ではないものの、

スピリチュアルなことについても興味関心が高い。

(あやみさんのほうが知識の量が半端ないが)

 

この点でも共通点があり、親近感を覚えた。

 

 

あとは旅が好きなこともね。

 

 

一般にセレブ系って言うと

「キラキラしているおしゃれな女性」って感じで

住む世界が全く違うって印象だった。

 

 

香港のリッツカールトン最上階にあるバー「OZONE」(わかりにくいけどw)。

バーだけなら宿泊者じゃなくても入れるし誰でもセレブ気分を味わえる。

 

 

しかし、現在オーストラリアに在住のあやみさんは

その性格もサバサバしていて行動的だからか

むしろ「自分と似ている」とさえ思ったほどだ。

 

 

僕の知り合いで現在マレーシアで暮らしている沖縄の女性がいる。

いや…現在別の国にいるんじゃないかってくらい神出鬼没で超行動的かつ破天荒。

その方とどことなく似ているなとも思ったし。

 

 

ということで、

なんとなく直感で「この人なら!」と思って、

彼女を信じてみることにした。

 

 

その結果…

 

 

今、毎日が超絶楽しい。

 

 

自分の「異質さ」「変態さ」をもっと出していいとさえ思うようになったし、

以前まで自分の中にあった「自意識過剰さ」がなくなった。

 

 

「他人を変えることは出来ない。」

 

「まずは自分が変わるしかない。」

 

 

 

よく言われる言葉であるが、

それを今、自分自身で実感している。

 

 

今までどんな自己啓発本や

メンタルに関する本を読んでも変わらなかったのに。

 

 

その理由は今ならわかる。

 

 

「理屈」では理解していても、

「納得」出来ていなかったからだ。

 

 

人は「納得」できないと、

モヤモヤしたり反発心を抱いたりしてしまうものだ。

 

 

ところが、あやみさんの言葉は全て納得できるものばかり。

自分にとって腑に落ちやすいものばかりだった。

 

 

だから、すんなり受け入れることができたのだ。

 

 

OZONEから撮影した景色…は上手く撮れていたものがなかった。

その代り香港の夜景をどうぞ。

 

 

こんな感じで旅行を楽しむことだってできるのだ。

 

 

 

 

宝くじなどで一攫千金を夢みる人は多いと思う。

 

 

 

しかし、それって本当にその人自身にとって良いことなのか?

 

 

 

自分の心に聞いて、考えてみてほしい。

 

 

宝くじで人生が破綻してしまった人もいるくらいだし、

本来、人間とはその人に見合った収入が得られることになっているのだ。

 

 

自己肯定感が低いままや、

世の中に対して不平不満を抱いたまま、

人をただのお金としか思っていない、

 

 

そんな状態だと一時的に稼げたとしても長くは続かない。

 

 

まずは自分を愛すること。

 

 

「今のままで良いんだよ。」って

 

「失敗したってヘマしたって大丈夫だよ。」って

 

 

自分を受け入れること。

 

 

そして様々な人と関わって様々なことを学び、

自然体の自分のままで成長していくこと。

 

 

その結果、自分にとってふさわしい金額の収入を得られるようになるのだ。

 

 

今やりたいことが特に無かったとしても、

毎日を楽しく生きている内に見つかるようになるんだ。

 

 

今は収入が低くて辛い思いをしている人もいるかもしれない。

 

 

でもね、「自分の幸せ」に「お金」は関係ないんだよ。

 

 

僕だって今収入そんなにないけど、自分なりに毎日を楽しんでいる。

 

 

「変態」であることに開き直って、

 

「変態」である自分を愛せるようになったからだ。

 

 

もし、

 

「生きるのが辛い」

「毎日仕事ばかりで心も身体も限界…」

 

 

そう感じている方がいたら、

まずはあやみさんの発信を追いかけてみるのも良いと思う。

 

彼女のLINEを友だちに追加すれば、

 

「パソコン1台、1日たった数時間で

月数百万もの安定した収入を得られるようになった方法」

 

こういったことを知ることが出来る。

 

 

もちろん、彼女自身も鬱を乗り越えたことから、

「楽になる考え方」についても教えてもらうことが出来る。

 

 

あやみさんのことが気になったらぜひ、

彼女のことを友だちに追加して

彼女の発信する音声や動画などを見てみてほしい。

 

 

※こちら↓無料で登録できます。

 

 

「働かずに一生遊んで暮らしたい!」

 

 

そう思っている人は多いと思うけど、

 

 

僕はそうは思わない。

 

 

「自分にとって余裕のある働き方で

安定した収入を得ながら好きなことをやって生きていきたい!」

 

「ありのままの自分で、世の中に大きく還元していきたい!」

 

 

そんなライフスタイルが理想だ。

 

 

 

君も「雨人(あめんちゅ)」にならないかい?

晴れやかで穏やかな日は最高だ。

 

 

どこにだって行けるし、

旅行やレジャー、屋外でのスポーツなどは晴れの方がもちろん良いだろう。

 

 

しかし、僕は日本各地を旅行している中で、

雨の日に旅することも多かった。

 

別に雨乞いをしたわけでは一切ないのだが(笑)

「雨は良いぞ!」と言いたくなるような写真もいくつかある。

 

 

 

 

 

 

 

上5枚の写真は2017年3月、知覧武家屋敷庭園にて。

 

 

 

 

 

上5枚の写真は2016年12月、吉野ヶ里歴史公園にて。

 

ちなみに2015年4月には奈良の吉野山に行ったけれど、

その日も最初の方は雨で靄がかかっていた。

でも逆にそれがとても良かった。

その時の写真が選びきれないので、後日また記事として上げられたらと思う。

 

 

こういった名所を雨天歩き回るのも大変ではあったが、

雨で滲んだ和の情趣にしみじみした。

 

 

晴れほど写りは良くなくても、独特の雰囲気がたまらない。

 

雨の日は、晴れの日とはまた違った味があるのだ。

 

 

さて、僕は最近ブログにて、

 

「自然体で生きよう」

「自分が心から望んでいることをしよう」

 

というようなことを言っているが、

 

今ここに

 

「本来の自分に還ろう」

 

という言葉も追加したい。

 

 

そのヒントとなるのが「雨」なのである。

 

 

僕はまるで「晴」を象徴するかのような

開放感があってカラッとした人も人間的に好きなのだが、

「雨」のようにどこか影がある人々により魅力を感じるのだ。

 

 

 

雨というのは、降っては流れて蒸発し、また降っては流れて…を繰り返す。

 

「恵みの雨」として大地に命を与えてくれる。

 

その一方で、非常に気まぐれで、

降ったと思ったらまた止んで、

時には災害をもたらすかもしれない。

 

 

そんな一面もある。

 

 

人々に「憂い」や「恵み」も与え、

時には荒ぶることもあるけれど、

そこにその人独特の魅力があるのだ。

 

 

 

そうやって「雨」は永遠に循環して

自身もいろいろな経験をしていく。

 

 

様々な場所へ旅をしながら、

結局は元の自分に帰ることが出来る。

 

吹割の滝。(群馬県沼田市)また行きたいなぁ…。

 

 

「嬉しさ」や「悲しさ」…どんな感情も経験もすべて受け入れて、

「本来の自分」として生きられるようになるのだ。

 

 

そうやって思いついたのが

「雨呑家(あめのみや)」という言葉だ。

 

「雨呑家」は自身の活動名というか、屋号みたいなもの。

 

ブログタイトルでもある「雨呑み者(あめのみやー、アミヌミヤー)」は

かつて沖縄で虹を意味していた。

 

そのため、虹の象徴、LGBTである僕にもぴったりだと思ったのだ。

 

この写真、当時(2011年らしい)ガラケーで撮ったのだが

なかなかハッキリ撮れているなぁ。

 

 

というわけで、そんな私「雨呑家」と同様、

「雨のような人」を増やしていきたいと思い、

「雨のような人」を「雨人(あめんちゅ)」と呼ぶことにした。

 

 

「自分自身」を「ありのままの存在」として受け入れ、

自然体で振る舞い、

その人にしか歩めない人生を楽しむ。

 

必要以上に人に気を使わない、

自分にとって嫌だと思うことはしない。

好きなことだけをして生きる。

 

自身の感情や思いを抑圧させること無く、

遠慮なく曝け出すことが出来る。

 

ふらっとどこにでも行くから地に足ついていないようでいて、

芯の部分がしっかりしているからどこでも生きられる。

 

自分自身がそんな生き方を体現することで、

人に安らぎと癒やし、時には笑顔を与えることも出来る。

 

それが美しく儚くもたくましい

「雨人(あめんちゅ)」しての生き方である。

 

 

…うん、なんか筋が通っているようでいて

結構メチャクチャなこと言ってるけど、

要するに「変人」を増やしたいってことさ。

 

 

そんな変人・「雨人(あめんちゅ)」を増やして、

殺伐としているこの世に恵みを与えていけたら良いなと思い、

これからもこのブログでは、様々なことをお伝えしていくつもりだ。

 

 

 

ちなみに紫陽花と上の睡蓮の写真は

2017年6月、大分の別府(地獄巡り)にて撮影したものだ。

(地獄そのものの写真についてはまた旅の話をした時にでも。)

 

 

このように僕は時間を見つけて、日本各地をアクティブに巡ってもいるのだ。

 

 

あなたが雨のように様々な場所へ気軽に旅ができるようになるためにも、

旅に関する情報も提供していきたいと思う。

 

 

というわけで、

あなたもぜひ「雨人(あめんちゅ)」になりませんか?

 

 

「雨人(あめんちゅ)として本来の自分に還って

様々な場所を旅してみたい!」

 

 

そう思っていただけたのであれば、

僕の想いに共感していただけたのであれば、

ぜひ今後も僕の発信をご参考いただければと思います。

 

 

ブログなどで人生のヒントや旅の楽しさをお伝えしていきます。

 

 

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これからは「こだわり」を捨てて「直感」と「自然体」で生きる時代

また一冊の本を読み終えた。

 

もしかしたら、岡本太郎氏の「自分の中に毒を持て」に続き、

人生のバイブルになるんじゃないかって思えるくらいの本と出会った。

 

 

 

それは、足立幸子氏による「あるがままに生きる」だ。

 

 

僕はこの書籍を読んだ時、

身体に電流が走ったかのような衝撃を受けた。

 

「波動を上げる」だの「人は誰でも超能力者」だの

「脳はろくなことを考えない」だの

「ぼーっとしているのが良い」だの

著者が語っていることは一見斬新なように思えるのだが、

自分には通じるものがあったらしい。

 

 

「まさにこれまでの自分が触れてきたもの、学んできたことの集大成だ」

と思ったのだ。

 

 

それくらい自分にとって、どんな有名な書籍よりも

ネット上で売られているセミナー動画やメルマガなどよりも

すんなり受け入れられやすいと言うか、しっくりくる内容だったのだ。

 

 

逆に自分がもっと若い頃にこの本を読んでも、

ピンとくるものがあったかどうかわからない。

 

この本と出会ったのは、出会うべくして出会ったんだな、という印象だ。

 

今、僕が情報をとっている中で、様々な人が言っていること、

この本の中でそのすべてが語られているのだ。

 

いわば、「まとめ」的な存在。

 

もはや10年前の本とは思えないくらい。

もうこの本さえあれば他に何もいらないのでは?と思ったほどだ。

 

それくらい、なんというか、自分と波長が合う気がした。

 

 

だからかえってブログでは何も語りたくないのだ。

 

 

なので、とりあえずの感想としては、

「波動を上げる」ように精進していこうと思った。

 

 

 

「波動を上げるってなんだ?」

と思った方もいるかもしれない。

 

 

一応僕なりに説明しておくと、

僕自身はこの言葉を、

自分自身が「宇宙」に近くなることだと解釈している。

 

 

 

まだよくわからないよね(笑)

 

 

 

要するに、「自然と一体になって生きる」ってことで良いと思う。

 

 

 

もし何かに迷ったら、「自分の心」に聞くのが一番じゃないかなって思うんだ。

 

誰かの意見よりも、情報よりも、自分自身の「直感」を大切にする。

 

その直感がより鋭くなるように、日頃から「直感」を鍛えるようにする。

 

お出かけ先を選ぶにしても、飲食店でメニューを選ぶにしても、

できるだけ「情報」ではなく「直感」で物事を選択していくようにする。

 

 

書籍の内容として伝えられるのはこれくらい。

 

 

基本、僕は「感覚的に生きてる妖怪」で、

直感として「なんとなく」で感じてしまうので、

言葉にするのが難しい。

 

だから、足立氏の言葉を、「なんとなく」実践していくことで、

その姿を皆さんにお伝えできればと思った。

 

 

その代り、「波動をあげる三つの条件」として
著者が以下3つのことを挙げているので、
参考にしていただければと。

 

①あらゆるこだわりを取り除く

②行動に移す

③深い部分の自分(神我・真我・本当の自分)が望んでいることをやる

 

それぞれについては作中で詳しく説明しているので、
気になる方はぜひ読んでみてほしい。

 

 

要するにこれらも簡単にまとめると、

 

「こだわりを捨てて、自然体で生きろ」ってことだ

(…と僕は解釈している。)

 

 

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僕の場合の「こだわり」というのは

「執着」とか「完璧主義」だと思っている。

 

 

過去や特定の人物に対する恨みつらみだとか、

仕事でも創作でも完璧にやらないと気がすまない質で、

逆にそれが自分にストレスを与えてしまっていた。

 

 

マナー違反をする人、デリカシーのない人に対して

蔑視してしまうところがあるけれど、

よくよく考えたらだね、

「それって自分にとって本当に大切なことなのか?」

とも思うようにもなったし。

 

 

そのことにようやく、最近になって気がついたのだ。

 

 

 

 

「物」に対する執着もすごかったと思う。

「これがなくなったらどうしよう」という脅迫めいたものがあるんだろうね。

 

確かに、お金やカード関係は慎重に扱っているけども。

 

今は「必要なものだけあればよい」という考えになって
余計なものを買わなくなった。

 

むしろ「買いたい」欲よりも
「捨てたい」「手放したい」欲の方が強いように思う。

 

有形のものよりも、目に見えない「無形のもの」に価値を感じるようになった。

 

 

…それが僕のここ数年で実感している、自分の中の大きな変化だな。

 

 

ちなみに、この書籍の中で

足立氏は「やがて医者などはいらなくなる」というようなことを言っているのだが、

 

この部分を読んだ翌日、僕はこのような記事を目にした。

 

 

もしかして、「引き寄せ」ってこのことを言うのかな…?

 

「医者がなくなる」

 

ぶっちゃけ、未来のことだから「わからない」のだが、

実際、その可能性はなくもないと思う。

 

10年も前の本なのに、将来を見通せる人はいるんだなって。

 

 

ちなみに、高学歴者の多い職業・取得の難しい資格の職業がなくなるという現実が

実際に待ち受けているのかどうかはわからないが、

何かしら動いていたほうが良いことは事実。

 

 

だってこれからは、一人ひとりが「自然体」で生きる時代になるからだ。

 

もう古い価値観が塗り替えられて、
今後は皆が一人一人あるがままの自分で生きられるようになって、
自分をもっと出していい世の中になっていくんだ。

 

なので、お子さんをお持ちの方は、

どうか子供の安定を優先するのではなく、

「子供が心から夢中になれること」

を優先させて応援してあげてほしい。

 

 

そういえば、僕が中学の頃(2000年台前半)に

「真面目な子が殺人を犯してしまう」

というニュースがよく話題になっていた。

 

 

僕の中学では有志?による寸劇が行われたほど、

当時は深刻な問題だったと記憶しているし、

「自分もそうなってしまうのでは?」という恐怖を抱いていた。

 

 

対人恐怖だったけれど、自分自身が一番怖かったのかもしれない。

 

 

今思えば、そうした事件ってきっと

威圧的な世の中に対してエネルギーを反発させた

「良い子」たちの反乱だったんだよね。

 

 

自分が壊れてしまわないように、自分自身の人生を楽しむには、

「自然体で生きる」

「人に良い顔をするのをやめる」

「出来る人・完ぺきな人を演じるのをやめる」

これしかないんだよ。

 

ありのままの自分で、やりたいことをやること。

自分自身に「もっと気楽に生きていい」って許しを与えること。

 

自分の中にあるエネルギーを抑圧させちゃダメだ。

 

そのエネルギーって自分自身が思っている以上に

ものすごいものなんだよ?

 

だから、抑圧すると何かしら病気になる。

 

 

それでも、今も減らない自殺率。

 

 

もう世の中に期待したって仕方がない。

 

他人を変えることは出来ないからだ。

 

「自分自身が変わらない限り、何も変わらない。」

 

 

だから僕はもう無難な「良い子」であることをやめた。

 

 

たとえどう思われようが、

変人として、周囲の人に何かしらのメッセージを与えられる存在になる。

 

 

それが皆にとっての「良い未来」に繋がると信じているからだ。

 

 

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さて、今後もコリュのブログでは、

私コリュのような「変人」「妖怪」をたくさん生み出せるよう、

人生のヒントになる情報をたくさん伝えていきます。

 

 

もし今後もブログの更新情報や哲学、人生のちょっとしたヒントを受け取りたければ、

記事の最後の方↓で紹介しているLINE@にもご登録くださいね。

 

 

レッツゴー変人。

他人の感情なんて気にしなくていいのサ

以前、以下の記事↓で「自分の問題」と「相手の問題」を切り分ける、といった内容について説明した。

 

 

自分が楽になるためにも、相手を本当の意味で思いやるためにも、
「自分」と「相手」の領域は認識しておくことが大切なのだ。

 

今回はより情緒的な面、

「自分の感情」と「相手の感情」の切り分け方についてさらに深掘りしていきたい。

 

 

 

最近、ちょっと面倒なことが起きた。

 

 

いや、僕も言い方が悪かったなという反省はあったのだけれど、

 

 

明らかに相手が自分で事を招いたというか、
相手が勝手に思い込んで僕にきちんとした確認もせず勝手に話を進めていたのだ。

 

それで両者で認識が違っていたという事態が起きた。

 

さらに、自分で事を招いたにも関わらず、
「〇〇してもらえないと困るんですよ。」というようなことを僕に言ってきたのだ。

 

 

まぁ簡単に言うと…

 

 

「そんなの知るかよ(笑)。」と言いたくなるような出来事だった。

 

 

しかも、相手は相手でこちらを悪いと思っているフシがあるらしく、
自らの過失を認めつつも特にちゃんとした謝罪の言葉はなかった。

 

 

ただ、相手も一応相手自身のしたことは反省したようで、
事が起こった後はこちらにきちんと確認してきた。

 

 

そして、最終的には両者が妥協できる形で落ち着いたから別に良いんだけどね。

 

 

でもなんだかモヤッと来た、ぶっちゃけ。

 

 

俺が相手の立場だったら、きちんと確認しなかったこちらが悪いと思ってちゃんと謝るし、
実際、こちらの何気ない発言で相手が間違った認識で動いてしまっていたことは申し訳なく思った。

 

しかし、実際動く前に再確認するなどしてもらわなければ、そんな事情はわからないわけである。

 

さらに、「こちらも悪いところはあったけど、心底納得していない。」みたいな空気を
相手から感じ取ってしまったからだ。

 

 

あーーーーーーーーめんどくせーーーーーーー!!!!!!!!!

 

 

って思ったね(笑)。

 

 

…愚痴ってしまって申し訳ない。

 

 

でも、こういうトラブルって誰もが経験したことあると思うんだ。

 

 

「相手だって悪い部分があるのに、被害妄想が激しいなぁ。」

 

とか

 

「一方的にこちらが悪いみたいになるのは納得いかない。」

 

とか

 

このような感じで、

モヤモヤした感情になることはあなたも少なくないのではないか。

 

むしろ「そんなのしょっちゅうだよ!」っていう人もいるかもね。

 

 

でも、こういう出来事っていうのは、意味があって起こるんだよ。

 

 

 

こういう事態になった時、気をつけたいことがいくつかある。

 

 

まず…

 

相手のせいにするのは簡単だけれど、被害妄想的な考えにはならないこと。

 

 

起こってしまったことに対して、いつまでも怒っていたって仕方がない。

どう気をつけたら良いのか?自分の中での改善点を探し出すなり、

相手はどうしてほしかったのか?と考察するなりしよう。

 

次に…

 

例え相手があなたのせいにしてきても、そんなのは放っておこう。

 

 

これは簡単なことで、

そんなことに時間もエネルギーも奪われてしまうのは無駄なことだからだ。

 

自分のことは十分に愛せている分、自分に対する評価には無関心で、

「あぁ、そうですか。」と受け流す、

もしくは笑ってネタにするくらいが丁度よい。

 

※ちなみに僕としては、NON STYLEの井上さんみたいな生き方が理想だ。

 

自分のことを十分に愛せていれば、他人がなんと言おうか気にならない。
 

 

そして…

 

 

人がどう言おうと、あなたはあなたの内面だけに目を向けて、
自分が成長するような考え方を身に着けるようにしよう。

 

 

つまり、人間関係に置いて、こういうモヤッとした感情になった時に
ぜひ思い出してほしいことがある。

 

 

それは…

 

「相手の被害妄想、相手の自分に対する怒りの感情は相手の問題だ。」

 

ということである。

 

 

事態を招いた原因は、もちろん自分にもあるかもしれないが、
犯罪や暴力、権力の乱用などを除き、
大抵のことはどちらかが100%悪いということはないのである。

 

 

今回の場合、僕は

 

「僕自身も思い込みが強いため、

“もしかしたら”のことを考えて相手に確認しなかったのが問題だった。」

 

「相手が何も言わなければ(特に問題ないと思い込み)

こちらは何もしない、という受け身の姿勢が問題だった。」

 

という「自分の反省点」を明確にすることができた。

 

 

一方で、相手のことはどうだろう。

 

 

冒頭で相手の行為について「事前に確認してこなかった」と言ってしまったが、

相手は相手の問題なので、

正直、「推測はできるが、わからない。」というのが僕の答えだ。

 

 

誤解を恐れず言えば、

「相手の問題は相手の問題なんだから、僕には関係ない。」

ということである。

 

相手がキレようが泣こうがこちらのせいにしてこようが
徹底的に「他人は他人、自分は自分。」を貫く。

 

それが相手に対する本当の思いやりで、健全なメンタルを保つための姿勢なのだ。

 

一見逃げているように見えるけど、これがお互いにとってベストな考え方なんだよ。

 

どこまでが自分の責任で、自分が相手の機嫌を取らなくちゃいけなくて…

などと考え始めたらキリがないからね。

 

 

「自分が解決できる領域」と「自分には解決できない領域」

これらを区別することが大切なんだ。

 

 

自分の領域(問題、願望など)だけを把握しておこう。相手の領域は未知数なのだから。
 

 

 

ここで、「相手を迷惑をかけてしまって自分ってダメな奴」とか
「何をしたら自分に対する印象を良くしてくれるかなぁ?」とか…

 

相手の考え方や感情に踏み込むような、余計なことを考えてはいけない。

 

というか、そんな事を考えたって仕方がない。

 

直接相手に聞くならともかく、

勝手に自分自身で思い込んでいるからだ。

 

それは「自分にとって解決できない領域」なのである。

 

 

もし問題が起きて、

あなたが「〇〇してきたのは明らかに相手が悪いのに!」と思ってしまったら、

それは「相手の問題に踏み込んでしまっている」ということだ。

 

 

ここでもう一度思い出してほしい。

 

 

「相手の被害妄想、相手の自分に対する怒りの感情は相手の問題だ。」

 

 

私は私の好きなように生きる。

 

それを嫌だと思う、文句があるのならご自由にどうぞ。

 

 

自分の人生を楽しく生きるのも、誰かを嫌ったり恨んだりするのも、

その人の自由であり、

その人の人生における「その人自身の責任」なのだ。

 

あなたが自分の身を捧げて削ってまで解決するべきことじゃない。

 

相手のことは、相手を信頼して、相手に任せよう。

 

例え一時的に嫌な感情になったとしても、

自己成長できる人は自分自身できちんと考えてくれるから。

 

なので、起きたことに対していつまでも怒ったり悲しんだりしないこと。

 

 

というわけで、まとめると

 

「他人があなたのせいにしようがあなたに不満を抱こうがそんなの関係ない。

それは相手の人生に対する相手自身の責任だからだ。

 

あなたはあなたの人生を、自分自身のために生きればよい。

それがあなたの人生に対するあなた自身の責任だ。」

 

 

…ということだ。

 

 

ただし、相手が明らかに名誉毀損や営業妨害に当たる行為をしてきたときは、

あなた自身の「正義」を守るためにも、徹底的に戦って良いと思うよ。

 

 

でもあなた(もしくは相手)に悪意がなくてことが起こった場合、

大概のことは、相手(あなた)がどのように受け取ろうが自己責任の範囲である。

 

それを捻くれた認識で捉えすぎてしまうと、人間嫌いになってしまうのである。

 

↓これについて、もしよければこちらの記事も参考にしてほしい。

 

別に人が好きにならなくても良いけど、

人に対してさほど期待しなければ嫌いにもならないと思うんだ。

 

 

あなたに対して怒り狂っている相手がいたとしても、

それに怯むこと無く、

「ふーん、そうなんだー。」とただただ眺めていればいい。

 

それから、相手の事情を把握した上で、

自分を客観視して解決策(改善点など)を見出してみよう。

 

 

急には難しくても、少しずつ、実践してみてほしい。

 

 

 

日常で一つ一つの出来事や感情に対して、

「これは自分の問題か?」「これは相手の問題か?」

って考えるのもおすすめ!

 

 

こういったことを続けていくうちに、

 

周囲の人に気を使いすぎて、相手のことを考えすぎて疲れてしまう…

 

そんなこともなくなるはずだ。

 

 

というか…そんなこと、もうしなくて良い。

 

 

自分のために生きていこうよ。