L’Arc~en~Cielが全曲サブスク解禁したので、僕のラルク遍歴(+黒歴史)を語ろう

hyde氏みたいな顔に生まれたかったけど

自分の顔もそんなに嫌いじゃない天海夜 煌琉だよ。

 

 

ちなみに一時期は本気で自分の顔嫌いだったから

だいぶ自己肯定感上がったよ。

 

 

そんなことはどうでも良い。

 

 

皆聴いてくれ。

 

L’Arc~en~Cielがサブスク解禁したんだ!!!!

 

 

 

 

いやもう知ってるよって感じだろうけどさ。

 

 

嬉しいことは何度でも言いたいじゃないか。

 

 

僕の場合サブスク解禁したときに

ちょうど東京に行ったときだったので、

電車の中などSpotifyで聴いていた。

 

 

その間ひたすらラルクの曲をシャッフル再生していたのだが、

懐かしい曲が次々と雪崩のように流れてきて大感動だった。

 

その感動の嵐ったらwinter fallどころじゃないって話さ。

 

 

 

まぁよくわからなければそれで良いんだけど、

自分がこのような感じだから、

上にあるリンク先のサイトの方などに対しても、

勝手に仲間意識を持ってしまった。

 

 

しかも、僕は現在UQmobileを使っているのだが、

これだと「節約モード」にしても

問題なくサブスクが聴けるのは良かった。

 

 

てっきりオンラインで音楽聞いたら

かなり容量食って月末厳しいモードになるかと思ってただけに

これは喜ばしいことだ。

 

 

ただ、元々アルバム全曲集めているわけではないので、

知らない曲との出会いも当然ながらあった。

 

なので、これから聴き込んでいくうちに

好きになる曲が出てくる可能性も、

それはそれで楽しみなのである。

 

 

 

僕とラルクとの出会いは、flowerが発売されたあたりである。

 

 

この頃からラルクにドハマリし始めたのだが、

その時自分は小学生だったから

かれこれ20年くらい前のことである。

 

 

初めて買ったラルクのシングルはLies and Truthだ。

 

 

当時はCDがすり減るんじゃないかってくらい

好きで好きでリピート再生していたものだが…

 

この曲は今でも、ラルクの中でも上位に入るくらい好き。

 

 

 

当時はラルク好きの友人と一緒に、

hydeさんになりきって学校の窓に手を当てて歌うという、

Lies and TruthのPVのマネ…

 

 

つまり…

 

「君が見えなくてごっこ」をよくしていたものだ。

 

 

↑hydeサンニナリキレテナイ妖怪ノ図

 

 

これは

「窓さえあれば誰でもhydeさんになれる」

という素晴らしい遊びなので

ぜひラルクファンの方には試していただきたいものである。

 

 

 

ちなみにこのPVのロケ地である洋館は、埼玉の入間市にあるようなので

機会があったらぜひ行ってみたいと思う。

 

※ちなみに、flowerLies and Truthが両方聴けるアルバムは

Trueなので、気になった方はチェックしてみると良いだろう。

 

 

その他に買ったシングルは他にも、

Blurry EyesHoney

風にきえないでDIVE TO BLUE

先に挙げたLies and Truthの合わせて合計5枚だ。

 

 

そして、購入したアルバムは「ark」と「ray」の2枚だった。

 

 

↑ark

 
↑ray

 

この2枚のうち、どちらが好きかと聞かれれば、

これはこれでなかなか難しいところである…。

 

両方ともそれぞれに好きな曲があるし、

全体的な雰囲気も全然違うからだ。

 

 

 

それ以降は曲の好みがHIPHOPやパンク、

一般的なJ-POPや音ゲーなどに移るようになり、

ラルクとの思い出は次第に薄くなっていったが、

 

 

良いなと思う曲があれば、

SMILEなどのアルバムをレンタルすることもあった。

 

 

そして、READY STEADY GOのシングルで

各パートそれぞれが不在のバージョンを聴きまくって

 

 

「あーーーーーーーー

個人的にはこの中ならボーカル+リズム隊(ギター不在)バージョン、

次いでボーカル+竿隊(ドラム不在)バージョンが好きだけど

やっぱり誰が抜けてもラルクは成り立たないなー

 

などと感動したものだ。

 

 

話がよくわからなければ、

ぜひ各サブスクリプションサービスで

READY STEADY GOのシングルバージョンをチェックしてみてくれ。

 

 

 

それぞれのパートがいないことで、

聴き取りにくかった音が拾いやすくなり、

曲の雰囲気も全く変わってくるので、

新しい発見があることだろう。

 

 

ちなみに耳コピする上でも

このようなパート抜きバージョンがあるのはとても嬉しいし、

製作者の遊び心も感じられる。

 

特にベースが好きな自分としては

ベースラインがはっきり聴けるのは

とてもありがたい!!!!!!!!のだ。

(基本的にどのバンドもベースは低くて聴き取りづらいからね…)

 

 

…話が脱線しまくったが、

やはり20年以上もの時が経つとなると、

今でも好きな曲は好きだし、

逆に、当時は大して興味なかった曲が、今はすごく心に響くなど、

不思議な事も起こり得るのである。

 

 

 

時が経てば好みが変わるだけじゃなくて、

様々なアーティストの色んな楽曲に触れていく中で、

振れ幅が広がっていって、感性も磨かれていくのかな。

 

 

それとも単に歳の関係で、切ない曲に心が癒やされるようになったのか…。

それはわからないけど。笑

 

 

 

 

…ということで、

今後もSpotifyなどのサブスクサービスやアプリには、

長らくお世話になることだろう。

 

 

 

さて、やっとのことで本題に入ろう。

 

 

 

今回はサブスクで再び出会った、

ラルクの「とある曲」に感化されて、

文章を書きたいと思った。

 

 

 

別に小学生の時の黒歴史?である

「君が見えなくてごっこ」のことなんて

どうでも良いんだよ。

 

 

 

 

 

そんなつもりだったのだが…

 

 

前フリが思った以上に長くなってしまったので…

 

 

また次回に続く!!!!

 

 

 

 

「無意識」を意識して、心のままに生きる

「社会人としてのモラルが必要だ」

「そんなんじゃ社会人としてやっていけないよ」

「社会人なら常識でしょ」

 

あなたもよくこのような言葉を耳にするだろう。

 

 

そして、自分自身に対して投げかけられた心配の言葉として、

 

もしくは、あなた自身も人に対して言ったことがある言葉として、

 

この言葉は当然のように語られる。

 

 

さらには、

常に「社会人」という言葉が脳裏に焼き付いて離れないくらい

しかもそれが自分の目指すイメージとして知らず知らず意識してしまうくらい

 

「人に迷惑をかけない、礼儀正しいだけの社会人」

 

になってしまっている人もいるかと思う。

 

 

 

ちなみに、僕には昔から「社会人」という言葉には

違和感しか感じられない。

 

 

 

そもそも「社会人」て何なんだろうね?????

 

 

 

というのも、

「社会人」を自称している多くの人は

ただ会社のルールに縛られて、

人に「常識」を押し付けるだけの「会社人」だと、

僕は思うのだ。

 

 

それに、「人に迷惑をかけない」ための常識が

人に押し付けることにより、

実際迷惑になっていることもまた事実である。

 

 

大抵、自分自身が信じている「常識」は

自分の会社や学校(その他コミュニティ)、家族や地域社会などなど…

実際には自分自身の周辺でしか通用しない。

 

 

しかし、その「限定的な範囲の常識」が

「全世界で通用する常識」

だと、多くの人が思いこんでいる「常識(最強)」である。

 

 

ただそれだけだと思うのだ。

 

 

 

だから、僕は、

「社会人」であることを押し付けるような「会社人」には

人として全く魅力を感じないのだ。

 

 

僕は、

「社会人として」どうのこうのよりも、

「自分の生き方として」どうのこうの考える方が、

より魅力的で、周囲に影響を与えられる人物になれるのでは?

 

…と考えている。

 

 

 

 

先日、このような記事を読んだ。

 

 

 

 

詳しい内容に関してはリンク先で確認してほしいが、

僕としては、全体的に、非常に共感できる内容であった。

 

 

僕はオーストラリアが自由で寛大な社会であることは耳にしていた。

(↑行ったことはないけどね。)

 

それに対して、日本って

「あれはダメ」「これはダメ」「〇〇してはいけない」

みたいな義務が多すぎて

非常に窮屈だなって思うこともある。

 

 

一方で、日本はオタク文化も発達しているので、

その反動でコスプレなどの趣味に没頭している人々がいるのは

日本独自の素晴らしい現象ではあるし、

 

実際に、多方面において

日本人は非常に高いエネルギーを秘めた民族だと

海外の人から言われているのも事実。

 

 

オーストラリアが良くて、日本が悪いということは、一切無い。

逆も然りだ。

 

 

どこの国も素晴らしい点はある。

 

 

ただ、日本人は周囲の視線を気にするために、

自分が心地よく生きていくという、

「自分自身の生き方」を知らない人が多いのではないか?と思う。

 

そのため生き辛さを感じる人もいるというわけだ。

 

 

誰かが敷いたレールに沿って

 

「学校に行けば良い」

「就職すれば安泰だ」

 

それを信じて歩いていったために…

 

 

いつの間にか

「社会が自分をどう見るか?」という、

「他者」「社会」を基準として物事を判断するようになり、

 

 

「自分がどう生きたいのか?」と

「自分自身」を基準にして考えることがなくなっていた…。

 

 

それで、自分の意志ではなく、

他者に重きをおいた人達の価値基準から見れば…

 

人様から認められれば、立派な「社会人」になれるのだろう。

 

 

これでは、自分の生き方がわからなくなるのも当然だ。

 

 

 

 

実際僕もそうだった。

 

 

自分が「こうしたい」という思いがあっても

ついつい「他人からどう思われるか」を考えがちだったのである。

 

 

自分自身の無意識が発している「心の声」を聞かなかったために

我慢を続けた結果、限界がきてしまい、

嫌な結果を招いてしまったこともあった。

 

 

しかし、その過去の出来事(失敗)があったおかげで

「今後はできるだけ、自分自身の要求を優先しよう」

と、思うようになったのだ。

 

 

「社会が自分をどう見るか?」を、意識的なものとすれば、

「自分がどう生きたいのか?」は、無意識的なものになる。

 

 

きっと、大半の人はこの

「意識」と「無意識」の間で

自分の好きなことが何かわからず、

悶々とした日々を送っていることだろう。

 

 

 

 

 

「意識」していることは自覚できる。

 

 

では、「無意識」は一体どのようにして自覚できるのか?

 

 

 

「無意識」とは、「心の声」である。

 

虫の知らせと言うか、「直感」とも言えるだろう。

 

 

直感を高めるためには、

瞑想をしたり、自然と触れ合ったり、

自分自身の感覚を高めていく習慣が効果的だ。

 

 

あとは、

これまで経験したことのないことをやってみたり、

逆に普段はしないこともあえてやってみることも

大切ではないかと思う。

 

 

様々な経験を増やすことで、

「これは好き」「これは嫌い」という状況を

自分の中で認知しておけるし、

 

「こういうことをしていると楽しい!」など

これまで気づかなかった、新たな発見があるからだ。

 

 

あとは、将来的に何がしたいのか、欲しいものは何なのか

日常的に自分の欲望にも耳を傾けていく必要がある。

 

やりたいことをひたすらノートに書いていくのも有効だし、

小さな欲望(行ってみたかったところに行く、食べたいものを食べるなど)を、

毎日のように少しずつ実現させていけば、

常に自分の気持ちに従って生きているわけだから、

自分の心を見失う…ということはなくなるはずだ。

 

 

 

あなた自身の感覚が研ぎ澄まされば、

あなた自身の心の声にも耳を傾けられるようになり、

「本当にやりたいこと」

「実現したい生き方」がわかってくるようになるだろう。

 

 

あなた自身の「無意識」を蔑ろにしないためにも、

「違和感を感じたらそれ以上は行動しない、断る」など

あなた自身のルールを決めておくことも重要だ。

 

 

↓参考になりそうなものをいくつか貼っておくので

あなたの「無意識」を確かなものにして、

あなたが望む生き方を実現したいなら、

ぜひ確認してみてね。

 

 

 

 

 

自己中心的な性格は嫌われるけど、

もっと自分中心で生きていい。

 

 

 

他者よりも、自分自身を大切にしよう。

見返りを求めると、苦しくなる

コリュにちは。

天海夜 煌琉でございます。

 

 

今回は

「見返りを求めると、苦しくなる」

ということで、

その理由について、話をしていこう。

 

 

 

人はついつい見返りを求めてしまう。

 

 

 

家族のために身を粉にして頑張ってるのに、感謝されない。

 

会社のために尽くしているのに、認められない。

 

献身的にサポートしているのに、文句ばっかり言われる。

 

 

 

そりゃ〜嫌になるよね。

 

 

でもね、よくよく考えてみよう。

 

 

 

仮にあなたがペットを飼っているとして、

ペットに対して何か「見返り」を求めるだろうか?

 

 

 

もし、あなたが実際にペットを飼っているならば、

 

「将来的にこの子(ペット)が、自分に対して何かしてくれる」

 

なんてことを考えながら飼っているわけじゃないだろう?

 

 

 

 

さすがに上のイラストのような人はいないとは思うが…

 

 

 

もしいるとするならば、

老後とは言わず、今すぐ施設に入居することをおすすめする。

 

 

 

 

そう。

 

当然かもしれないが、

あなたは老後の世話を診てもらうために、

ペットを飼っているわけじゃないよね。

 

 

「とにかく可愛いから」だよね。

 

 

大抵、人が動物や小さい子供などを可愛がるのは

 

「条件付の愛」ではなく、「無償の愛」…

 

つまり、

 

「この子が好きで好きで、とっても愛おしい。」

と思うから、愛情を注ぐのだ。

 

 

お金がもらえるから、可愛がっているわけでも、

将来的な見返りを期待しているから、

可愛がっているわけでもないわけだよね。

 

 

 

 

ただ、これが赤の他人となると、また事情が違ってくると思う。

 

 

もしあなたが相手に親切にしているのにも関わらず、

 

 

相手が文句を言ってきたり

至らない点を攻撃してきたり

 

そんなことも多々あると思うし、

そんなワガママばかりの人に「愛情を注げ」と言われても、

無理な話である。

 

 

あなた自身が、相手に対して「愛おしい」と思えないからだ。

 

 

 

 

相手から何か嫌なことを言われる

感謝されない

 

その度に、

 

「なんでこれだけのことをしたのに、

そのようなことを言われてしまうんだろう。

 

「なんで感謝してくれないんだろう。」

 

と、怒りや悲しみを感じたり、

 

一方で、

「自分がダメだから相手が満足できなかった」

 

と思ってしまい、

相手に認められようとしたりする人もいることだろう。

 

 

そして、完璧主義に陥っちゃうんだよね。

 

 

しかし…

 

 

本来なら、

「相手が悪態をついてきたから」と言って、

怒りや悲しみを感じることも、

 

「相手に言われたから」と言って、

自分の悪い部分を直す必要も

 

 

全く無いんだよね。

 

 

 

というのも、

最近僕は「7つの習慣」の考え方に触れるなどして、

自分の考え方が一方的なものにならず、

俯瞰的なものの見方になるように

日々、自分の考え方を「調整」している。

 

 

そこでわかったことだが、

 

 

良い現象も悪い現象も、

 

 

人は、すべての出来事に対して

自分自身で「反応すること」を「選択」してしまっているのだ。

 

 

 

基本的に人は、

相手に嫌なことをされたり、嫌な反応が帰ってきた時に、

相手のせいにしがちである。

 

 

しかし…

 

自分が悪いとか、あいつが悪いとか…

「どちらが正義なのか」はともかくとして、

 

自分自身がとった行動には、自分で責任を持つ必要があるのだ。

 

 

「自分自身の過去にしてきた行動が、今の自分を作り上げている」

ということだね。

 

 

人に優しくしている人は優しい顔つきになるし、

意地悪ばかりしている人は悪人顔になる。

 

 

…とはよく聞くけれど…

 

 

それと同じようなことで、

あなたが、見返りを求めない人物

 

…つまり、「自分の幸せは自分で掴み取り、

周囲の反応は自分の幸せに関係無い」人物になりたいなら、

 

「見返りを求めない考え方」へ変えていく必要がある。

 

 

もし、あなたが人から見返りを求めず、

周囲からの反応ではなく、

自分の幸せを決める

自分の幸せは自分で掴みたいと思うのならば、

 

 

人の言動にできるだけ「反応」しないこと。

 

 

「スルーが一番」なのだ。

 

 

 

「見返りを求めている」ということは、

あなたが、他人の言動にスルーできず、

「反応」してしまっているということ。

 

 

つまりそれは、

「他人の言動によって、あなた自身の心が満たされるかどうかが決まる」

ということで、

依存的な状態になっているのだ。

 

 

あなた自身の幸せが

内的な要因(あなた自身の中)ではなく、

外的な要因(他人や周囲の環境)によって決まってしまうのである。

 

 

つまり…

 

スルーできれば、幸せになれるのに、

スルーできないから、幸せになれないんだよね。

 

 

他人からも、自らの感情にも振り回されちゃう。

 

 

↑どう考えても無理なんだから、スルーしちゃえば良いのにねぇ。

 

 

 

このままだと、

仮に経済的な自由を手に入れたとしても、

心の自由は手に入れることができないだろう。

 

 

あなただけじゃない。

 

 

相手は相手で

本人がされて嬉しいことと嫌なことに対して、

それぞれ反応してしまっているのだと思う。

 

 

そのため、お互いにスルースキルがなくて、

ネット上で喧嘩になったり暴言吐きあったり…

などといった現象が起こるのだ。

 

 

 

ここで、知っておきたいのが、

 

 

 

あなたが他人と接する時に

あなたがとった何気ない言動で

相手が喜んだとしても、

逆に相手が不愉快な気持ちになってしまったとしても、

 

 

どちらにせよ、

その人の反応は「その人自身の責任」であり、

あなたが取るべき責任ではない。

 

 

そのため、

それが喜びか怒りかに関わらず、

過去に起きたことを頭の中で何度も何度も反芻することは、

もうやめよう。

 

 

時間はもとに戻せないし、

あなたの力ではどうにもできないからだ。

 

 

あなたの感情に相手が絡んでいたとしても、

それはあなた自身の問題で

相手や第三者が解決できるものではない。

 

 

だから、嫌なことはできるだけ早く忘れるようにする。

心にモヤモヤやわだかまりがあっても、徐々に遠のかせていく。

いつまでも相手を憎らしく思うよりも、

自分を変える努力をしたほうが、生産的なのだ。

 

 

逆も同じで、

相手の感情にあなたが絡んでいたとしても、

それは相手の問題で

あなた自身が「どうにかしなきゃ」と思う必要もない。

 

 

あなたが本当の意味で心の自由を手に入れて、

周囲に振り回されない生き方を実現したいなら、

以上のようなことも、頭に入れておくと良いだろう。

 

 

 

 

最後に…

 

あなたが日々の感情をコントロールできるようになるには、

 

 

あなたがしたことに対して、

相手がどのような反応をしてきたとしても、

 

 

「自分は相手のためにこれだけのことをしたから、それで良い。

あとは相手が判断することだ。」

 

 

と思えば良いだけ。

 

 

相手に期待しないこと。

 

 

「相手に嫌がられるかも…?」と思って、

自分の行動を制限しないこと。

 

 

過去のことは過去のことだし、

未来のことは未来のことだし、

あなたが今、この瞬間に生きたいならば、

どちらも考えすぎてはいけない。

 

 

他人のことなら、なおさら考えすぎてはいけない。

 

 

その人の問題は、その人が解決すべきことだからだ。

 

 

 

そのため、相手がどのような反応をしたとしても、

あなたは「相手のために必要だからやった。」

と思うだけで良いのだ。

 

 

自分にとって都合の良い解釈をしてしまって大丈夫。

 

 

最終的にお互いにとって楽になるなら、

自己中心的でも全然大丈夫。

 

 

 

まずは先手、先手で、相手に働きかけることが大切なんだ。

 

 

 

もちろん、あなたがしたことに対して

相手が「こうされると嫌だ」「やってくれなくても大丈夫だよ」

「やめてほしい」などと言ってきたら

その配慮はしてあげよう。

 

 

その際は、情報を教えてくれた相手に対して、

「ありがとう」と、感謝の気持ちを持って

今後はしないと決めれば良い。

 

 

必要以上に自分を責めたり、

自分の行動を後悔したりしないこと。

 

 

過去は過去のことだから、もう反芻しない。

振り返らない。

 

 

失敗から学ぶのは良いけれど、

あなたの過去の行動が、

未来への挑戦の足かせになってはいけないのだ。

 

 

 

「なるようになれ。」

 

と、今を生きる。

 

 

そんな精神で

前を向いてチャレンジし続けていこう。

誰にも真似できない、「絶対的な存在」になるためには

コリュにちはお日柄もよく…

 

天海夜 煌琉だよ。

 

 

 

「インスタ映え」って言葉、流行ってたみたいだね。

 

 

 

 

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雨呑家(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿

 

↑自分のアカウント載せておくが、

写真はKOI Theさんで買ったタピオカドリンク。

ドリンクの味が甘すぎるティースタンドが多い中、

甘さと氷の量が調整できるのは素晴らしいと思った。

 

 

 

ところが、「インスタ映え」は、もう死語になりつつあるってさ。

 

 

言葉の移り変わりって、花のように儚いものだね。

 

 

 

 

…などと詩人ぶってみるのである。

 

 

 

というか、インスタ自体が以前に比べたら

下火になりつつあるな、とは確かに思う。

 

僕自身、最近ではあまりインスタにも投稿しなくなっちゃったし。

 

 

なぜかって?

 

それはね…

 

 

写真を加工するのが面倒くさいからだ。

 

 

 

ただそれだけ。

 

とはいっても完璧に辞めるつもりはなくて、

たまにちょっとした日記として投稿することはあるけどね。

それならストレス無くできるし。

 

でも今ではインスタの主な使いみちは、

犬猫の動画を眺めるためにやってるようなものだよ。笑

 

 

 

それに、僕自身がインスタをやっていて、

そして、さらに色々な人の投稿や

Instagram社の対応(「いいね!」の数字を非表示にするなど)

…などを見ていて思ったことなのだけど…

 

 

個人的に、お洒落なものは好きだけど、

自分自身が生み出し続けるには、限界があるなと思った。

 

 

なぜなら、お洒落を追求するということは、

いつもの自分よりちょっと背伸びした状態を続けるということである。

 

 

そこで、今回のテーマである

「誰にも真似できない絶対的な存在になるためには」

ということが関係していくのだが…

 

 

SNSで必要以上によく見せるなど、

無理している状態が自分自身にとってよくないというのは

もちろんのことなのだが、

 

「綺麗なだけの写真」を投稿するだけでは意味がない。

 

とも感じるようになった。

 

 

 

なぜなら、

 

コンテンツは真似されるし、複製されるからだ。

 

 

悲しいことだが、

実際ミュージシャンにしろ絵師や漫画家にしろ

「自分の作品が知らないところでネットに上げられていた」

などということは、避けられない状況になってしまっている。

 

 

しかし、世の中(というかネット上)がそんな状況だからこそ

たとえ他者からそんなことをされたとしても、

「絶対に干ばつになることがない土壌」を

耕しておく必要があるなと思っているのだ。

 

 

つまり、他者の介入や悪質な違反行為、嫌がらせにも

全く動じない強固な自分の基盤を作らなきゃいけないと思った。

 

 

それが「絶対的でオリジナルな存在」になることだと、思うのだ。

 

 

たとえば、綺麗な写真が撮れることで有名なスポットがあるとしよう。

 

 

しかし、そこは有名すぎるため、

自分がいくら綺麗に写真を撮ったところで、

同じような写真を撮る人が幾人もいるわけだ。

 

 

もしかしたら、あなたの使っているスマホのカメラよりも

さらに良い性能を持った機種を使って、

撮影している人もいるかもしれないし、

 

そもそもの話、同じスポットを撮ったところで、

カメラを趣味にしている人やカメラマンには敵わないだろう。

 

 

 

しかし、そこで「自分には無理だ」と嘆く必要はない。

 

 

 

あなたがするべきことは、他人と競争することではない。

競争や他人との比較はそれこそ毒で、

SNS疲れを引き起こしてしまうだけだろう。

 

 

そうならないためには、

 

決して誰にも真似できない、体験できないもの。

 

 

つまり、「あなたにしか生み出せないもの」を大切にして、

発信していけば良いと思うのだ。

 

 

 

それは具体的に何かと言うと…

 

 

「あなた自身」である。

 

 

 

もっと詳しく言うと、

 

「あなた自身の物語」である。

 

 

 

例えば、何人かが同じスポットを撮影したとして、

ただ写真があるものと、

何らかのエピソードやその時に考えたことを

一緒につけるのとでは、どう違うだろうか。

 

 

 

ある人にとっては

「恋人との絆を深めあった思い出の場所」かもしれないし

 

ある人にとっては

「久しぶりの友人と楽しく時間を過ごした場所」かもしれないし

 

ある人にとっては

「めったに取れない連休のなか、家族と一緒にかけがえのない時間を過ごせた場所」

かもしれない。

 

 

これだけでも三者三様である。

 

 

つまり、

そのスポットを訪れた人にも

それぞれに様々な物語があるということだ。

 

 

それは、どんなに技術のある人でも、決して真似できないことである。

 

 

その思いや過程は、単なる「インスタ映え」を目指すよりも

ずっと大切にすべきものなのだ。

 

 

 

 

 ↑同じ花を見ても、これだけ多くの解釈や物語がある。

 

 

それに、もう一つ、

「絶対的な存在」になるために知っておきたいこととして、

 

コピーや模倣は誰にでも出来る。

 

ということだ。

 

 

流行りだからといって皆の真似をしていても仕方がないし

有名ミュージシャンになりたいのに、

いつまでも有名曲のカヴァーばかりしていたって仕方がない。

(もちろん、カヴァーを主なスタイルとしている方々もいるだろうが)

 

 

大切なのは、真似や模倣をしたという事実よりかは、

そこから「何を得られるか」ということだ。

 

 

コピーとオリジナルとの決定的な違いは

「そこに己の哲学があるかどうか」だ

 

 

ただ外面だけ真似ても意味がない。

 

 

最終的には

「このような自分になりたい」

「世の中をこうしたい」

という熱意が人を動かすからだ。

 

 

確かに、人が成長していく上で「真似る」ことは大切だし

あなたが自身の方向性が確立されるまでは、

何度でもコピーをしたって良いけれど、

 

 

あなたがどのような思いで「真似」をしたのかも、重要だと思うのだ。

 

 

だから、人から影響を受けるのも良いと思うけど、

常日頃から、

「自分自身の考えや感情」を表に出すことを

怠ってはいけないな、と思う。

 

 

僕も数年間ブログをやってきて、

今までずっと自分がどんなコンセプトで

やっと掴みつつある。

 

 

少なくともこれまでは

セクシュアル・マイノリティの方々を主な視野に入れて

発信していた時期もあるのだが、

今は自分の発信には全く関係ないし、そこではないな、と思うのだ。

 

 

むしろ、自分のことを完全に理解してくれるかはともかく、

「悩みを抱えている人」をもっと広く捉えて、

 

「コリュさんの性別(←FTMです)は、正直よくわからないけれど、

いつも救われる言葉をかけてくれるから、

死ぬことを考えるのをやめて、生きてみようと思った。

だから、とても信頼できる。」

 

…そんなことを言われたほうが嬉しいと思ったのだ。

 

 

このような感じで、

 

「わからないなら、わからないなりに、とにかくやるしか無い」

 

それが、僕自身、行き着いた答えだ。

 

 

 

 

以上のような理由で、

 

今は、「結果」より「過程」が重要視される時代だ。

 

と、僕は思う。

 

 

だから、オンラインサロンやコミュニティなどを運営して、

作品が世に提供されるまでの過程や自分自身の思いをファンに見せて、

その思いに心を動かされたファンからの協力を得て、

そこからさらに新しいことにチャレンジしていく

そんな有名人達が増えているのだろう。

 

 

 

僕自身、昔はあまり自分のことを話すのを嫌がった。

 

自分の恥を晒すのが恥ずかしかったからだ。

 

 

 

しかし、誰にも真似できない、絶対的な存在になるために、

そして、より多くの人と表面的でないコミュケーションができるようになるためにも、

これからはどんどん自己開示をしていきたいと思う。

 

 

 

 

 

オンラインコミュニティもやりたいなぁ!!!!

「違和感」を無視してはいけない理由

天海夜 煌琉でござい。

 

今日は

「違和感」を無視してはいけない理由

というテーマで語っていきたい。

 

 

まず、僕は非常に嫌われることを恐れていた。

 

 

病的なまでに。

 

 

実際、距離を置かれたと感じたら

「嫌われたのかな…」

と気になってしまう。

 

 

というのも、自分が相手から距離を置く場合というのは、

大抵、相手が攻撃的だったり支配的だったり過干渉だったりなど…で

 

「本当に嫌われても構わないからとにかく離れたい」

「この人と一緒にいると、自分が不幸になってしまう」

「なんだか相手が驚異的に感じる」

 

などと判断したときである。

 

 

そのため、

自分がそのように距離を置かれると

「拒絶された」

「なんでだろう」

「あんなことしたからかな?」

などと思い悩んでしまうのである。

 

 

相手が何も言わずとも、人格否定をされたような気分になるのだ。

 

 

しかし、ここ数年は

「自分の気持ちに嘘をつかない生き方」を研究しまくっているため

「距離を置かれる」「拒絶される」「SNSでブロックされる」

などという行為も、

ストレス無く受け入れられるようになった。

 

 

逆に、僕自身も誰かと接している上で

「なんか嫌だな…」「なんか違う…」

などと「違和感」を感じたら

その違和感を最優先して、

その相手とは距離を置くことも、躊躇なくできるようになったのだ。

 

 

ただ、一口に違和感といっても、

「価値観は人それぞれ」なので、

 

自分が感じた「違和感」が

「この人はこういう人だ」と受け入れられるレベルだったり、

「この人というより、人間とはそういうものだ(自分もそうかもしれない)」

と割り切れることだったり、

もちろん、単なる誤解や思いすごしだったり

一時的にムカ着火ファイヤーなだっただけだったり

 

…などというのであれば、全く問題ない。

 

 

では、僕が

「この人とは距離を置こう」

と決断するレベルの違和感とは、

一体どれほどのものなのか。

 

 

それは、

「自分の信念を曲げて、

自分の気持に嘘をついて、

ストレスを感じてまで、

この人の価値観に合わせる必要がない」

 

と判断したときである。

 

 

つまり、僕自身の判断基準とは、

 

「相手の信念に、どうしても自分が賛同できない」

 

と感じた時である。

 

 

そこで、よくよく考えてみたら、

「自分が誰かと距離を置きたい」と思った時に、

その人のことが嫌いだからかというと、

必ずしもそうではないということがわかったのだ。

 

 

自分が「違和感」を感じるのは

相手自身がどうかというよりかは、

相手の考え、信念であることが多い。

 

 

 

 

そのため、逆に相手が僕から距離を置いたとしても、

それは必ずしも「嫌い」というわけではないだろうし、

万が一「嫌い」だからといって、

それは僕自身の価値を否定する意味でもない。

 

…ということがわかったのだ。

 

 

「相手の信念に合わせるか、合わせられないか」

「相手の価値観が合うか、合わないか」

ということが、判断基準となるのだ。

 

 

ここで大切なのは、

「自分が”相手の考え”をどう思うか」

であって、

「”相手自身”を否定しているかどうか」

ではない。

 

 

つまり、

相手の考えに賛同できないからという理由で距離を置くことは、

相手自身の人間性を、全面的に否定するわけではないのだ。

 

 

 

もちろん、

 

こちらを攻撃してくる人

こちらを尊重してくれる態度や心遣いが見られない人

権力を振りかざして、自分より弱い立場の人をいじめたりしている人

…など

 

こういう暴力的で攻撃的な地雷人間は徹底的に嫌うし、

距離を置くどころか縁を切ることにしているが。

 

 

 

 

わかりやすく動物に例えてみよう。

 

元々木の上で住むのに適した種と

土の中で住むのに適した種が

仲良く一緒に洞窟の中に住み始めたとする。

 

 

 

しかし、

元はといえば、それぞれが別の場所で生きるのに適していたから、

当然、だんだんと無理が生じてくるのである。

下手すりゃこのまま死んでしまうかもしれない。

 

誤解のないよう言っておくが

コリュ(作者)はリスさんももぐらさんも大好きですよ

 

 

そのため、それぞれが住むのに適した場所に戻っていくことにした。

 

 

 

 

 

すると、やはり元々の場所が一番住みやすく、

さらに、そこに住んでいる仲間と共生したら

皆同じような性質(価値観)であるため、

すごくウェイな気分になったり

 

かたや一人を満喫できるようになったり

 

それぞれにハッピーな毎日を送ったとさ。

 

 

 

…ということで、一件落着。

 

 

めでたしめでたし。

 

 

 

 

以上は今思いついた適当な物語だが、

なかなか理に適っていると思うし、

人間関係も同じようなものだと思われる。

 

 

ここで、種族が生き長らえることができ、

子孫をたくさん残せたのは、

自分自身の「違和感」に従ったからである。

 

 

そのため、

あなたがもし、特定の人に「違和感」を感じた時は

どうかその「心の声」を聞き逃さないでほしい。

 

 

その違和感を否定しようとするのではなく、

「なぜそう感じるのか?」と

深く心に問いかけてみてほしいんだ。

 

 

もしかしたら、その「違和感」には

あなたがより良く生きるためのヒントや、

次のステージに進むための階段が隠されているかもしれない。

 

 

「違和感」を感じたら、

それはあなた自身が発しているSOSである。

 

そのため、

「あなたが、あなた自身を知る良い機会」

だと考えれば、

むしろ違和感ウェルカムって思えるだろう。

 

 

日本で生きていると、同調圧力を感じることが多々あるかもしれない。

村八分やのけ者にされたり、いじめられたり…

それを恐れて、あなたは言いたいことを言えないのではないだろうか。

 

 

でもさ…

 

もっとわがままに生きて良いんだよ?

 

…と、僕は思う。

 

 

時代は目まぐるしいスピードで変化しているし、

人間だって本人が思う以上のスピードで成長する生き物だ。

 

 

誰かが決めた常識なんて、

きっといつかは滅びるだろう。

 

 

なぜ、そんな「誰が作ったかわからない、得体の知れないもの」にすがっているんだい?

 

なぜ、「誰かが作ったかわからない、得体の知れないもの」を

当然だと思っていて思考停止しているような人たちに

「嫌われたくない」と思うのかい?

 

そんな人達は、あなたにとって

「自分の信念を曲げてまでも尽くしたい、本当に大切な人たち」

なのか?

 

 

無理に周りに合わせようとして、

周囲の期待に応えようとして、

あなた自身の「違和感」を否定しないでほしい。

 

 

なぜなら、それはあなた自身にしか気づくことが出来ない、

「大切な宝物」なのだ。

 

 

権威ある学者だってお偉い政治家だって

その宝物に気づくことは出来ないだろう。

 

誰にも気づかれることが無ければ、

命が尽きるまで埋もれたままになってしまうのだ。

 

 

その宝物には

「世の中の既成概念を壊して、皆が幸せに生きられるアイデア」

が眠っているかもしれないのに。

 

 

これは非常にもったいないことだ。

 

 

そのアイデアが表に出て、世の中に広がっていくためには、

あなたが自分自身で気付いて、

その「違和感」という感情を呼び起こしていくしか無いのだ。

 

つまり、

あなた自身が、自分自身に嘘をつかずに生きていくことは

個人的なことでは決して無いのだ。

社会的な視点から見ても、とても大切なことなのだ。

 

 

たしかに、周りの人だって

それぞれの常識や価値観、信念を信じて生きている。

それを否定する必要はない。

 

 

そのかわり、

あなたは自分自身の常識や価値観、信念を守っていく必要がある。

 

誰に否定されたとしてもね。

 

 

なぜなら、

その信念は、あなたにしか守れないものだからだ。

 

それは、多数決で決まるものじゃないんだよ。

 

 

その信念を守るかどうかは、あなたが決めて良いことだ。

 

 

その信念が歪められる時に感じる「違和感」で

あなた自身の今後の生き方を決めることができる。

 

 

だから、その「違和感」は絶対に見落とさないでほしいし、

あなたの信念は、誰がなんと言おうと

絶対に守らないといけないんだよ。

 

 

 

「違和感」はしばし不安な感情を伴う。

他者に対して疑心暗鬼になることもある。

 

 

しかし僕は、「違和感」を

「僕が、僕自身を知ることができる機会」

だと思うようになってからは…

 

むしろ「違和感」を感じたら、

 

それは成長している証で、より自分自身が飛躍できる良いチャンスだ

 

そう思うようになったよね。

 

 

だから、他人から距離を置かれることで

自分を責めたり卑下したりする必要なんて全く無い。

 

相手は相手にとって心地良い生き方をしたいから、

こちらの考え方に迎合できなかっただけ。

 

 

嫌われても、嫌がられても仕方ない。

 

 

もっと自分の心に素直になって

自分の信念を貫いた生き方をしよう。

 

 

そう思ったんだ。

 

 

 

というわけで、「違和感」に関して

以上の内容をまとめると…

 

・あなた自身の信念を曲げてまで

違和感を感じる人に付き合う必要はない。

 

・あなたが誰かに「違和感」を感じたら、

それは自分の心が発している警告(SOS)だ。

その時はあなた自身の「心」に耳を傾けて、

あなた自身の「心」が発するメッセージに、素直に従おう。

 

・逆に、あなたから誰かが離れていったとしても、そっと見逃してあげよう。

その人はその人で大切にしているものがあり、

あなたがそれをコントロールする権利はない。

もちろん、あなたが誰かにコントロールされる義務も、全く無い。

 

・距離を置かれたからといって、必ずしも嫌われたとは限らないし、

あなた自身の価値観を否定されたわけではない。

ただし、あなた自身の大切なものを攻撃してくる人とは

今後、金輪際関わらなくて良い。

 

・「違和感」を感じたら、あなた自身がより成長できるチャンス。

その時は、環境を変えたり、新しいことを始めたり…

軌道修正していきながら、

「違和感のない」生き方を目指していこう。

 

 

 

ちなみに、今回の関連する内容として、

SNSのブロックに関して、以下のような考えも書いているので、

もし良ければこちら↓もご参考いただきたい。

 

 

 

 

「NO 違和感 , NO LIFE」

 

 

「違和感」がなければ人生じゃない。

 

 

「違和感」を、楽しもう。

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