人の悪口を聞いてしまったら

誰かが誰かの悪口を言っているのを聞いた。

 

 

言動に対する批判なら、考え方の違いだからまだ仕方ない部分もあるだろう。

 

 

しかし、実際の内容は

 

 

「◯ね」とか

 

「ウゼェ」とか

 

その人の容姿や属性に関する中傷だとか

 

 

ネットに書かれているような低俗なものばかりで不愉快極まりなかったし、

なぜだろう…他人事ながら物凄くショックだった。

 

まぁ確かに心の中だったら

自分も含めそういうことを思う人もたくさんいるかもしれないけど、

他の人がいる所で明らかに不快な言葉を使うって理解に苦しむな。

 

ネット上ならまだ見ないようにするということもできるだろうけど、

職場など拘束されている場を、

一部の人間の憂さ晴らしに使ってほしくはない。

 

 

そういえば、ネット上で奥様の容姿を中傷されたとして、

野球選手が訴訟を起こしたのは記憶に新しい。

 

 

その奥様、調べてみたらむしろ綺麗な方だったので、

醜い嫉妬心からの書き込みだとは思うが、

かつては事実と違うことや誹謗中傷をネット上に書かれて

泣き寝入りするしかなかった人達も、

これからはこうやって実際に行動を起こしていく人達が増えていくのかなと思う。

 

 

ネット世代が生まれてきている中、

オンラインの世界もオフラインの世界も全くの別物ではなく、

同一線上にあるというのを実感してきているし。

 

 

今日聞いた悪口も、現にその人が発した言葉を僕が聞いてるしね。

 

 

もちろん悪口を言われていたその人にはその事実を伝えないけど、

公共の場、他の人がいる場でそういう発言をするということは、

そういうことなんだよ。

 

誰かに聞かれている、見られている自覚が足りない。

 

井戸端会議と同じ感覚で、公共の場で発言や書き込みをしてしまっている。

 

自分だけが良ければ良いという

自分勝手な感情で動いているということだ。

 

 

どうしても悪口でスッキリしたければ、

王様の耳はロバの耳のごとく誰にも見られないTwitterの鍵アカウントなどを作って

そこにひたすら好き放題呟けばよいだろう。

 

 

結局のところ、人間て誰しもが良い部分もあれば悪い部分もある。

 

 

完ぺきな人間などいない。

 

 

人の悪いところばかり目について悪口ばかり言っていると、

そういう人間ばかりが集まってしまう。

 

 

 

もし気づいたら誰かの批判をしているようであれば、

自分はそういう傾向がある人間なんだと疑ってかかるべき。

 

 

 

自分と違う人が居たら、無理に同調しなくても良いから、

「そういう意見もある」「そういう人もいる」とまずは事実を受け入れる。

 

 

 

どうしても合わなければ、

できるだけ嫌な人、苦手な人との接触を避ける。

 

 

 

選択肢はいくらでもある。

 

 

 

今の自分は自分が作っているし、変えたければ変えることが出来る。

 

 

 

その悪口を言っている人が、自分の選択でそうしているのだと気づくまで、

そういう人間や嫌な出来事を引き寄せ続けてしまうだろう。

 

 

僕もかつてメンタルがだいぶ追い込まれていた時期は、

嫌な波動を放っていたと思うけど、

自ら気づいてより悪化することがないように、

感情を整理する特訓を始めた。

 

 

食生活だって長年かかって大方改善できた僕だから、

一番難しいと感じているメンタル面も

自分が納得できる形でコントロールしていけたらと思う。

 

 

こちらもやもやした気分の時は、

ヘルシーなスイーツで癒やされましょう。

 

 

金山のベトナム料理店で食べたチェーは美味しかった。

 

 

 

脱・悪口で汚染された空気。

脱・豆腐メンタル。