ゾウリムシ先生と一緒に「性」について考よう

最近知った衝撃的事実。

 

どうやらゾウリムシはセックスをするらしいのだ。

 

あまり詳しくはわからないが「セックスのようなもの」をするらしい。

 

 

 

 

マジですかゾウリムシ先生。

 

 

ちょっと色気づきすぎでしょゾウリムシ先生。

 

 

単細胞だから分裂すれば良いのに?

 

 

そう思ったのだが、
実際のところ、そのセックスみたいな行為というのは
繁殖のために行うものではないようだ。

 

 

そう考えると、必ずしもセックスが
繁殖行為に結びつくわけじゃないのでは?と思った。

 

その行為に快感…が伴うのかはわからないが、
生き物として生きていく以上、
子孫繁栄はもちろんのこと、

 

「何か(誰か)と繋がりたい」

 

そう感じて行動を起こすことが、生物の本質であり本能なんじゃないかな。

 

だからSNSが流行るわけだし、
僕もそうだけど多くの方がネット上で発信をしているわけだ。

 

人間も他の動物も、親しい間柄の中では手をつないだり、頬に触れたりなど、
肌と肌との触れ合いが生じることがある。

 

肉体として繋がる前に精神的に繋がることが必要だし、
人間はそれを必要としている生き物なのだ。
昔からコミュニティを形成して生きてきた生物だからね。

 

 

なので、政治家の失言などでよく見られる
「生む道具」として人間を捉える考え方って極めてナンセンスだと思うし、
「セックス」という行為を見下している印象さえ受ける。

 

ただのエロスじゃないんだよ、セックスは。
一つの命と命がぶつかりあう、神々しいものなんだ。

 

もちろんLGBTを否定的なものとして捉える考え方も、
生き物としての自然な行為を否定している印象さえ受ける。

 

「子孫を残すことに貢献しないから」という理由で否定する人もいるかも知れないけれど、
それは絶対ウソだなって思うし。
その人が生まれ育った文化や価値観が大きく影響してるんじゃないかな。
もしくはその人自身が当事者の傾向があるから、
そんな自分を受け入れられないというのもあるかもしれないし。

 

どうしても受け入れられないならそれはそれで仕方がない。

 

しかし、「こうであるべき」という考え方があまりにも強いと、
それって結局自分自身の首を締める気がするんだ。

 

 

自分にしろ他人にしろ、何かを強く拒絶することで、
自ら幸せになる道を閉ざしているんだよ。

 

だったら、
まず第一にありのままの自分を受け入れる。

 

そして、他の人の生き方を受け入れてあげる。
許容してあげる。

 

固定観念に縛られている状態よりも、
その方が自分にとっても楽になれるんだよね。

 

 

今はピンとこない人もいるかも知れないけれど、
いずれわかる時が来る。

 

 

誰しも自分が自分であることを禁止されるほど
生きにくいことはないからね。

 

心に余裕が持てるようになれば、
自分がされて嫌なことは人にしなくなってくる。

 

昔の僕だったらLGBTを否定する人を強く拒絶していたかもしれないが、
もう否定はしない。
人それぞれだから。

 

もちろん考え方は合わないと思うし、攻撃的な人や面倒な人は避けるけどね。

 

ただただ、自分らしく生きられる人、
生きやすいと感じる人が増える世の中になれば良いなと思う。

 

 

そんなことをゾウリムシ先生と考えてた、今日この頃。

 

 

 

 

 

でも異種姦はあかんよ。