「自分に嘘をつく人生」と「自分を騙す人生」、どちらがお好き?

「自分に嘘をつくこと」と

「自分を騙すこと」

 

 

これらは一体どう違うのか?

 

 

考えていきたいと思う。

 

 

…とその前に

「嘘」がタイトルの好きな曲を一つ貼っておこう。

 

 

 

シドの「嘘」。

いつ聞いても良い曲だよね〜。

 

 

 

 

V系ってマイナーで歌詞も過激なものが多いし

誰もが知っている歌って限られる。

 

この曲はそんなに親しくない人とのカラオケでは必ず歌っていたほど

定番の曲だったな。

アニメの主題歌にもなってたしね。

 

 

↑収録アルバム「hikari」

 

 

 

 

 

他にも「嘘」がタイトルに入っている曲は

ムック(MUCC)の「嘘で歪む心臓」も大のお気に入りだ。

 

こちらの曲はベースラインがとても好きで、

自分でも耳コピしてベースで練習したほどだ。

 

もちろん曲のメロディーも好きで、

昭和の懐かしい感じと、ドロドロと暗い歌詞がたまらない。

 

個人的には、ベースは最近練習サボってるから

久しぶりに触ってあげなきゃなと思う。

 

↑収録アルバム「カップリング・ワースト」

 

 

上に挙げた2曲は、画像のリンク先でも試聴ができるので

機会があったらぜひ聞いてみてほしい。

 

 

…まぁそれは置いておいて…

 

 

最近、僕は寝る前にこう言ってから眠りにつくことにしている。

 

 

「よし、今日も5億人の命を救った☆」

 

 

もちろん、実際は救えてないんだけど(笑)

 

 

 

もちろん、誰かに対して

「私は5億人の命を救ってます」

などと言ったら嘘を付くことになるのだが、

(…というか、言われた方も「お前どこぞの教祖だよ」って思うだろうし

間違いなく病院行きを勧められるだろう。)

 

 

そうではなく…

 

 

その言葉に隠された本来の意味が

 

 

「お前はそれくらいのことを出来るポテンシャルがある!」

「お前はこんなところでくすぶっている場合じゃない!」

「お前を必要としてくれる人がいるんだぞ!」

 

 

といった意味だったら?

 

 

それなら自分自身に対して言うのは問題ないと思っている。

 

 

しかし、実際はそこまでの結果を出せていない。

 

 

つまり、「自分を騙している」ことになるのだ。

 

 

 

 

 

もしかしたらもしかすると、

あなたはなにかミスをしてしまった時に

このようなことを思うことはないだろうか?

 

 

「俺って何をやってもダメだ。」

「私ってこんな簡単なことも出来ないからクズだ。」

 

 

何だその暗いおまじないは。

あなたは暗黒世界の魔女なのか。

違うのなら今すぐやめなさい。

 

 

しかし、実をいうと、

僕も前はそういったネガティブな言葉ばかりを

自分にかけ続けていた。

 

 

自分の価値を下げるような言葉で自分を責め続けていたんだ。

 

 

 

 

 

しかし、気づいたんだ。

 

 

 

こうやって自分を責め続けることは、

悪い意味で「自分を騙している」ことになる。

 

 

本当は、自分自身はそんなに「ダメな奴」じゃないのに。

 

 

「自分は価値がない」と自らを騙すことで

自分の価値を低いものと決めつけてしまっていたのだ。

 

 

しかし、自分が自分自身の価値を下げることがどんなに虚しいことなのか…

 

他人が何を言ったところで、

最終的には嫌でも自分が自分を受け入れるしか無いんだぞ?

 

 

そう思ったら自分を否定することが

いかに愚かで意味のないことなのかがわかったんだ。

 

 

 

「嘘をつく人は信用できない。」

 

一般的にはそんな人が多いだろう。

 

 

僕も基本的に嘘は嫌いだ。

 

 

自分や誰かを守るために

つかざるを得ない時もあるのだが、

出来ることなら言いたくないと思う。

 

 

 

しかし、最近の僕は

 

「誰かが幸せになれる嘘や、

 誰も傷つかない嘘ならついてよいのでは?」

 

と思うようになった。

 

 

もちろん内容にもよるが。

 

 

僕が嘘を肯定するようになった理由は何故かというと…

 

 

まず、「自分に嘘をつくこと」と

「自分をだますこと」の違いを考えてみよう。

 

 

「自分に嘘をつく」のは

自分のやっていることに内心不安や違和感を持ちつつも

その気持ちに嘘をついて無理にでもポジティブに考え、

現状維持しよう、物事を進めようとすることだ。

 

 

例えば、なんとなーく入社した会社が

「なんとなーく社内の雰囲気悪いし

上司もまるで剥がすのに失敗したガムテープみたいにネチネチした性格で意地悪だなー

社食もクッソまずいしクレーマー多くて給料低いしきついなー」

 

 

などと思って嫌な予感がしているものの

「ここは大丈夫だ、」「あの人はきっといい人だ。」

「自分の選択は間違っていない。」

…といったように、無理矢理にでも自分に言い聞かせようとしていることだ。

 

そんなブラック企業とっととやめちまえ

 

つまり、自分に嘘をつくということは、

自分が感じている本当の気持に、蓋をしてしまっている状態ということだね。

 

 

これではいずれストレスが溜まって

身体を壊したり精神的に病んだりしてしまうだろう。

 

 

 

一方で「自分を騙す」ことは

 

現在の自分が「目標・憧れとしている状態」と程遠くても、

自分をその気にさせて自己肯定感を高め、

モチベーションを上げていくことである。

 

それを繰り返すことによって、

少しでも「目標・憧れとしている状態」に近づくことができる。

 

 

ある意味騙されてるぞ。

 

 

また、「自分を騙す」ことは良い使い方も悪い使い方も出来るものであり、

先に上げた例(「自分はダメだ」と思うこと)のように

自己肯定感を下げて自分を虐げる方法に使うことも出来る。

 

 

さらに、「自分を騙す」ことは他者にも使うことが可能だ。

つまり、ポジティブな言葉、もしくはネガティブな言葉を用いて

「相手を騙す」こともできるのだ。

 

 

その「相手を騙す」一例として、

 

女性にはどんな人にも「可愛い」と言ったほうが良い。

 

…というのがある。

 

 

 

「可愛い」と言われ続けることで、その人がもっと魅力的に可愛くなれるというのだ。

 

 

 

 

また、子供には「天才」と言い続けたほうが良い。

 

 

そうすることで自分を愛し自分に自信を持てる子になり、

どんな困難な目標も達成できる人物になる可能性が高まるからだ。

 

 

 

このように

「相手が欲しがっている言葉で(ある意味)相手をだますこと」

いくらでもやって良いと思うんだ。

 

 

もちろん嫌がってたらすぐに辞めるべきだけど

(可愛いと言われるのが嫌いな女性だっているわけだし)、

良い言葉をかけられて悪い気をする人はいないはずだ。

 

 

それで「騙された」相手がその気になって

自分が本来持っている力よりも

さらに高い力を発揮するようになれば「嘘も方便」であるし、

もしかしたら元々嘘でもないのかもしれない。

 

 

それが、「可愛い」と言われ続けた女性が美しくなり、

「天才」と言われ続けた子供が夢を叶えやすい性格になる所以である。

 

 

 

 

 

だから僕は

「現状よりもさらに良くなる確信がある、自分(相手)を騙す嘘」

であれば、嘘も悪くないと思うようになったんだ。

 

 

「お前はダメな奴だ」

なんて言ったって何も良いことなど起こらない。

 

 

負けず嫌いなタイプの人は闘争心を燃やすだろうが、

ネガティブな言葉を言われ続けることで、

大抵の人は自己否定をするようになってしまう。

 

 

リーズナブルなのに大盛り無料の定食屋のように

120%くらいボリューム増し増しで

ちょっとオーバーなくらいで良い。

 

相手や自分自身の良いところを

あなたなりの言葉で表現してあげよう。

 

(「褒める」って言えばわかりやすいのかもしれないが

僕は「褒める」って言葉自体あまり好きじゃない。

なんとなく上から目線でお前何様?感があるからだ。)

 

 

…というわけで今回は

「自分に嘘をつく」と「自分を騙すこと」の違いについて語った。

 

 

これらをまとめると

 

 

「自分に嘘をつく」のは良いことなど何もない!

 

「自分(相手)を騙す」ならポジティブな言葉を

(ちょっとくらいオーバーでも良いから)かけ続けろ!

 

 

あなたが自分自身を騙す言葉を見つけるのが難しければ、

まずは身近な人の良いところを見つけてみるのもありかもしれない。

 

 

「元気で明るい」「優しい」「デキる人」「面白い」「個性的」

「細かいところに気がつく」「いつも笑顔」「挨拶をしてくれる」

 

…などなど

 

こういった言葉の中に、心底自分が欲している言葉のヒントがあるかもしれない。

 

 

 

ぜひ、他人の良いところを探しながら

あなた自身の良いところを見つけ出し、

「なりたい自分像」になるために

自分自身を騙し続けてみてほしい。

 

 

騙されたと思ってやってみれば、

いつか本当に「なりたい自分」になれる日が来るかもしれない。