あなたの「地雷」を「宝」に変えてしまう方法

狐と狸の両性具有妖怪・天海夜 煌琉でござい。

 

 

最近では、何か怒りを感じたりイラッと来たり

負の感情が湧き上がるようなことや気になることが起きても

 

「これは学びだ、勉強だ」と思ったり

「これは自分にとって必要なことだから起こった出来事だ」と言い聞かせたり

「この人はこういうところがある」と諦めたりすることで

 

自分の感情をコントロールしていた。

 

 

 

そのため、以前の「ウニみたいにトゲトゲした自分」と比べれば

自分や他人をあるがままに受け入れられるようになり

過去のことをズルズルと引きずらなくなってきたし

無意味にピリピリすることもなくなってきた。

 

 

 

 

しかし、本日久々に地雷案件というか

朝から夜までずっとモヤモヤが消えない状態が続き

以前の「トゲトゲウニ」な僕に戻ってしまった出来事があった。

 

 

 

 

その内容はというと、

 

先日上げた記事の話とも関係する。

 

 

 

上の記事で

 

「コリュさんみたいに怒らない人が羨ましい」

と言ってきた人が

まーーーた僕に同じことを言ってきたのだ。

 

 

「私、コリュさんみたいに(怒らない人に)なりたい」

「いっつも穏やかだし何言われても文句一つ言わない」

「次生まれ変わったらそうしよ!コリュさんみたいになーーーろう!」

 

 

多分、この文章だけで見ると

僕がこの言葉にどれだけ苛ついたのか

多くの人は理解できないかもしれない。

 

 

しかし僕は

 

 

「黙れク○BBA。くだらねーことほざいてる暇があったら仕事しろ。」

 

 

という口汚い言葉が喉元まで出そうになったほど

心の中でブチ切れていたのだ。

 

 

 

その言葉を言ってきた人は、

上の記事でいう僕の「A面」だけで僕の全てを判断しているらしく、

「表面的な僕の性格=本来の僕の性格」

という、自分に都合の良い解釈をしているようだ。

 

そのため、僕のことを「怒らない仏のような人」と思っているのかもしれない。

 

 

 

しかし、残念なことに、僕は元来エベレスト並にプライド高く我が強い。

(↑たまたま読んだ誕生日の本にそんな感じのことが書いてあったw当たってるw)

 

その反面、尊敬されたい気持ちが強いため

人から嫌われたくないという願望を持ってしまってもいる。

 

それ故、過度に周囲に気を使うので、優しいといえば優しいかもしれないが

どちらかといえば「人間嫌い」が根底にあるため

他人との深い関わりを面倒臭がって避けてきたし

無駄な争いでさらに自分が傷つくなら我慢したほうがマシと思い続けてきたし

未だに自分でも他人とどう接したら良いのかよくわからない部分がある。

だからあまり怒らないし、怒れない。

 

 

そのため、面倒な輩も寄ってきやすく、

都合の良い人と思われたり、舐められたりされやすかった。

これは今なお続く、自分の中での悩みの種であり、

思春期など一時期は「俺に近づくな」オーラを放っていた。

そのおかげでだんだんと感情を表に出せるようになり、

「敵」と認識した相手には怒りを露わにし、口論が出来るようにはなった。

 

 

しかし、過去の経験で、こちらには都合の良いように扱ってくるのに

自分が勇気を出して怒ったり言い返したりしても相手が反省してくれず、

かえって逆ギレされたり、人格否定をされた経験をたくさん重ねてきたので、

(しかも残念なことに、原因は家族でもあった。)

「怒っても無駄」、「何を言っても無駄」

「摩擦を起こすだけエネルギーの無駄遣い」

「人間ってそういう生き物だから」

みたいな諦めの精神が身についてしまったのだ。

 

 

そんな僕にとって他人からの「怒らない」という評価は

どうしても皮肉にしか聞こえないのだ。

 

 

精神的に病みながらも、

今の自分は血の滲むような努力で築いてきたもの。

 

 

「お前に何がわかる?」とまで思ってしまうのだ。

 

 

地雷オブ地雷なのである。

 

 

仮に、同じように僕のことを「怒らない」「大人しい」と解釈している人でも

 

「コリュさんはあまり喋らないし、腹の中では何を考えているのかわからないので、

なんか話しかけにくいし、苦手だ。」

 

という印象を抱く人がいたとする。

 

このような意見のほうが

まだ客観的で「なるほどなぁー」と思える。

 

 

 

つまり、

 

「肯定だろうか否定だろうが、

自分のことを表面だけではなく、

その人なりの視点で分析してくれる」

 

それ自体をありがたいと思えるようになった。

 

 

逆に、土足で踏み込んでくると言うか

表面だけ、一部だけで全部知ったような顔をしてくる人はすごく迷惑。

 

 

肯定、否定に関わらず

土足で踏み込まれる感じの一方的な意見や要求、

完全に的はずれな言葉は基本的に嫌なのである。

 

 

仮に肯定意見だっとして、

その意見を言った本人としては「褒めている」つもりなのかもしれないけれど、

僕自身、「嫌われる勇気」の影響でアドラー心理学を取り入れるようになり、

「”褒める”という行為自体が上から目線で失礼な行為だよなー」

って思うようになってきたし、

基本的に他人の”人格”に対して”褒める”ことはあまりしない。

その人のブログや書籍などを読まない限り、

過去の経験や心の中などわかるわけないからである。

 

 

※逆に、「相手の印象について、良いと思った部分を相手に伝える」だけなら

失礼にはならないと考えている。

その辺の線引が難しいなとは思う。

 

 

 

でも、こうやっていろいろ書き出すことで

「なぜ地雷なのか?」

という理由がわかってきた。

 

 

恐らく、僕もそうなのだが、

世の中の多くの人にとって

原因は家庭、学校だな。

 

 

つまり過去のトラウマだね。

 

 

 

あなたにもきっとあるはずだ。

 

 

他人にはきっと理解出来ないであろう、

でも絶対に触れられたくない地雷、

埋めたことすらも思い出したくない地雷が。

 

 

 

その時は一度冷静になって

 

「なぜ私はこんなことで怒るんだろう?」

「その原因は何?」

「誰のどんな言葉に反応したの?」

「過去に同様なことをしてきた人は誰?」

「その時あなたはどんなことを思った?」

 

 

…というように、感情を深掘りしてみると良い。

 

 

 

「真面目な良い子を演じ続けなきゃいけなくなり、自己主張ができなくなってしまった。」

「授業中に指されて、答えを間違えてしまい皆に笑われて恥ずかしかった。」

「周囲の期待に答えようとしたけれど、落胆させてしまい自分はダメだと思った。」

 

など、過去の経験が思い出されて、

そこからヒントが得られるかもしれない。

 

こういった出来事があなたの「地雷の原因」となっているはずだ。

 

 

そういった出来事から

「真面目でいないといけない」とか

「失敗しちゃいけない」とか

「周囲の期待に答えなくちゃいけない」とか

 

自分に対する脅迫感が地雷となり、

 

「私はこう生きたい!」という

本来のあなた自身とのギャップを生み出しているのかもしれない。

 

 

このように、「地雷の原因」がわかったら

そこからあなた自身を遠ざけるように

徐々にでも良いから、あなた自身を開放してあげると良い。

 

 

「真面目じゃなくても大丈夫な自分」

「失敗しても大丈夫な自分」

「期待に答えなくても大丈夫な自分」

 

 

こんな感じで悩み続けてきたことに対して、

真逆の自分を受け入れてあげられるようにしよう。

 

 

ただし、その際には「地雷」の形成に関与してきた人を責めてはいけない。

 

 

仮に原因はその人だったとしても、

「地雷」を作り出したのは他でもない、あなた自身だからだ。

 

 

逆に言えば、自分で作り出した「地雷」は自分で「取り除く」ことが出来る。

 

 

心の何処かに埋められたあなたの地雷。

 

 

その埋めた場所がどこかわかっているのは、あなたしかいないからだ。

 

 

また、「地雷を取り除く」ということは

あなた自身の劣等感と向き合うことなのだから

時に「したくない」ことも「する」必要があるかもしれない。

 

 

地雷だからこそ、向き合うのが怖くて今まで避けてきた。

 

 

しかし、地雷を何度も踏まれて爆発しまくって

傷ついた心をそのままにしておくのは

今後も似たような事象を引き起こしてしまうことだろう。

 

あなたの心がさらに傷ついてしまうかもしれない。

 

 

だからこそ、今、ちゃんと向き合って、

癒やしてあげることが大切だ。

 

 

 

 

…しかし、今回の「地雷」な出来事は最終的な結論として、

「ありがたい出来事」だと思うようにはなった。

 

 

最近、僕自身が「感情をコントロールできるようになった」

と思えるようになってきたからか、

ちょっと自惚れていたところもあるのかもしれない。

 

 

今回の出来事はそれを戒める意味でも必要だったのかもな、って思う。

 

 

「地雷がある」ということは、

「まだまだ自分にとって課題がある」ということなのだ。

 

 

以前よりもだいぶ改善されたとはいえ、

まだまだ「本来の自分じゃ愛されない」という恐怖心があるのか、

行動にブレーキをかけているのかもしれないね。

 

 

そうやって問題にぶち当たるたびに、

「どうしたら自分自身が生きやすく、やりやすくなるのだろう?」

「どうやって他人とコミュニケーションを取れば誤解されないんだろう?」

と悩みだしたらキリがなく、

ネット上で同様の悩みを持っている人のブログや掲示板などで

答えを探そうとしてしまうのだ。

 

 

しかし、結局答えなんて見つからず、

さらにわからなくなって悩んでしまう。

 

 

 

そこで行き着いたんだ。

 

 

「答えなんてない。」

 

「自分自身が、今の自分を愛せば良いんだ。」

 

って。

 

 

今のあなたのままでOK。

間違ってもOK。

嫌われてもOK。

 

 

あなたも自分自身に「OK」サインをたくさん出していこう。

 

 

 

行動に制限をすることがなくなれば、

モヤモヤしていた感情がシンプルスッキリになっていき、

「地雷のありか」もわかるようになるだろうし、

最終的に「地雷のありか」を

「宝のありか」へと変えることも出来るかもしれないんだ。

 

 

「宝」はもちろん「あなた自身の課題」だ。

 

あなた自身をさらに魅力的な人物へ

成長させてくれる鍵となるものだ。

 

だから

 

「地雷」と思われる出来事と遭遇したらむしろラッキー。

 

と思わなきゃいけないね。

 

 

「地雷?よっしゃ!100億くらい埋まってるかも?」

 

そう思えるくらいまでは、強くなりたいものだ。

 

 

 

さて、今回は「”地雷”を”宝”に変えるための方法」について

自分の経験も交えて語ってみた。

 

まとめると…

 

あなたもモヤモヤするような「地雷」が見つかったら

ひとまず、その感情を客観的に眺めて、

自分自身に質問をしていきながら、

過去の出来事や感情を深掘りしていこう。

 

 

そして

「どうしたら、どんな自分になれたら、

その地雷で自分がこれ以上傷つかないのか?」

そこから行き着いた解決方法を徐々にでも実行していく。

 

 

ぜひ、憎むべき「地雷」を、

かけがえのない「宝」へと変えてみてね。