トランスで「彼女いない歴=年齢」の童貞だけど、何か文句ある?

ぶっちゃけると…というか

以前から度々言ってることだけど

 

 

 

僕には一切の性経験がない。

 

 

 

 

これを「気持ち悪!」

と思うのか、

「まぁ…人それぞれだし」

と思うのかは個人の自由だ。

 

 

僕にも、なんとなく「彼女欲しいな」と思っていた時期もあった。

 

 

今は全く思わない。

 

 

じゃあ彼氏が欲しいのかというと…決してそんなこともない。

 

 

 

彼女というか、恋人を作るのを単純に「面倒くさい」というのもあるし、

自分のことにしか興味が無いのかもしれない。

 

 

立場上だけで実質会う機会のほとんどない「恋人」ならいても良いと思うが、

そんな形だけの「恋人」も意味があるのか?と思ってしまうし。

 

 

それなら別にいなくても良いだろう。

 

 

一方で、性欲がないかというとそうでもない。

 

 

「緊縛」という性に関するアートをやってもいるのだ。

 

参考↓

 

 

単純に縄が美しいなと思うのと、

縄のアートって人体と縄さえあれば出来るわけだから

極めて原始的な部分も惹かれる要因であるのと、

縄酔いしている女性の表情や身体の様子が非常に艶っぽいからである。

(一方で男性はよっぽど美しい人じゃない限り何とも思わない。)

 

 

 

こちらも完全にアートとして縛り手として楽しんでいるものであり、

プレイとしての経験は皆無なのだが、

それでも18禁ものの動画や画像、本を見るのは好きな普通?の変態ノンケ男子なのである。

 

 

要するに、アセクシュアルではないということだ。

 

 

 

このように、僕と似た人々…つまり

「性欲は人並みにあるけど、恋人は別に欲しくないし、結婚願望もない。」

現状でこのような考えの人々が増えていると思うし、

これからますます増えていくはずだ。

 

 

これは世の中の流れとして防ぎようがないというか、

個人の生き方なのだし、

こういった人々を批判することは誰にも出来ないのである。

 

 

 

ただ、一方で、僕自身の現状としては、

「自分自身がするSEX」にも恋愛にも興味が無いということを

周囲に伝えていることはあまり無い気がする。

 

 

というか、セクシュアリティ関係なく、

自身の性についてあまり語りたがらない人は少なくないだろう。

 

 

そのためか、GIDやセクシュアルマイノリティのコミュニティや

友人との会話の中でも

 

「彼女できた?」

 

という話は普通にされるわけである。

 

 

 

確かに以前の僕だったら

「男として彼女を持つこと」に強い憧れを持っていたわけだし、

トランスジェンダーやGIDのコミュニティにおいて

男(性自認の性)としての会話、

つまり「一般的な男として恋人を持つかどうか」という、

自然な会話のやり取りを楽しむのも良いだろう。

 

 

というか、トランスに限らず、

「当事者自身のセクシュアリティに合致した会話」というのは、

マイノリティ当事者に好まれる傾向はある。

 

 

これは当然だ。

例えばゲイの人は男の話をするほうが楽しいわけだし、

ビアンの人は女性に関する会話のほうが喜ぶだろう。

自分が自然体でいられるんだからね。

 

 

しかし、そういったコミュニティの中ですらも、

自分がちょっとでも外れてしまうと、

相手の「常識」を押し付けられるケースも決して少なくないわけだ。

 

 

例えば、僕が「彼女いない」と言えば

 

「なんでー?早く作らんばー?」(何故かうちなーぐち)

 

というような反応が返ってくるのである。

 

 

しかし、これはある意味、「楽しむ」ために行われる会話のやり取りである。

 

 

こういう「本来の自分に合った会話」をすることで、

「恋人いない」というのが自虐的かつ他人をいじる要素にもなるわけだし、

これらは一般的なノンケ(異性愛者)の人々でも行われている「普通の会話」でもある。

 

 

「本来の自分」を実感できる「普通の会話」をすることで、

これまで押さえられていた部分が開放され、

同じ気持ちを共感できる仲間といることが、喜びに感じられるのである。

 

 

ただ、「恋人いない」というのは、

それだけで「その場のネタ」として楽しく終わればよいのだが、

こういったことが積み重なると、

 

「他の人は可愛い彼女さん連れてきているのに…。

 彼女もできないしモテない自分なんてダメだ。」

 

と劣等感を感じるようになってしまう危険性もある。

 

 

 

僕自身もどこかでそう感じていた部分があるのかもしれないし、

「恋人いない人には、本人に何かしら問題があるからできないんじゃないか」

というような社会の風潮も手伝って、

なおさら自己否定につながっていったところもあるかと思う。

 

 

 

しかし、以下の記事を読んで、

「別に恋人を無理して作る必要もないのかな?」

と思うようになってきたのだ。

 

 

むしろ…

 

 

「恋人を作らないことを選択する」

 

 

そんな生き方を楽しもうとさえ思ったのだ。

 

その記事がこちら↓

 

 

記事を読んでいるだけで元気になるというか、

まさに自分が求めていた内容である。

 

 

特に僕がこの記事を読んで、一番響いたのがこの部分だ。

 

 

息をするように「普通はこうでしょ」とか「それが常識でしょ」と言ってしまえる人は、あまり信用しないほうがいいでしょう。「普通」や「常識」がいかにアテにならないか、無邪気に振りかざすことがいかにタチが悪いか、そこにまったく気付かないのは、けっこう残念なポイントです。まあ、悪い人ではないかもしれませんけど。

 

 

この文章を見て、先日たまたま目に入ったこちらのツイートを思い出したのだ。

 

 

 

 

そうだ。

 

 

今、何かしらの「常識」を周囲から押さえつけられ

生きづらく感じている人はたくさんいるかと思う。

 

 

そんなあなたが第一に考えるべきことは

 

「大衆に好かれること」よりも

 

「自分が、大切な人が、どうしたら幸せになれるか」

 

ということだけで良いのだ。

 

 

 

だって「大衆」はほとんど何も考えていないからだ。

 

 

 

「大衆」は、眼の前にある「常識」をいとも当然のようにむさぼるだけだ。

 

 

 

だから、人付き合いをしていると、

 

「悪気がない、いい人だけど、一緒にいることに何だか違和感を覚える。」

 

そんな機会が増えてくるのである。

 

 

 

そんな「いい人たち」というのは、例えるならば、

 

まるで動物園の檻の中で一生を終える

「見せ物としての動物」なのである。

 

 

 

 

 

自分が住んでいる世界以外に、世界があることを知らない。

 

毎日決まった時間、飼育員に差し出される餌に、当たり前のように食らいつく

 

…そんな状態なのだ。

 

 

そんな動物たちに

 

「外の世界ってもっとずっと広くて面白いらしいよ!行ってみようぜ!」

 

と言ったところで、

 

 

「また変なこと吹き込まれたんだね。」

「危ないからやめたほうが良いよ。」

「飼育員さんが檻から出ちゃダメって言ってるでしょう。」

 

こんな感じで返されるのがオチである。

 

 

 

あなたはなんとなーーーーーく周囲から心配されてしまい、

 

瞬く間になんとなーーーーーく浮いてしまうだろう。

 

 

そんな環境の中に居続けたら

「自分っておかしいのか?」とも思うようになり、

モヤモヤした日々を送ることになるだろう。

 

 

我慢しながら自分を抑えながら

そんな「いい人」たちと付き合って

あなたに何のメリットがあるだろうか?

 

 

むしろ…

 

 

一緒に「外の世界」へ飛び出してくれる仲間。

 

 

あなたの言葉に

「いいね!」「やってみようか!」

と答えてくれる仲間。

 

 

そんな仲間たちを探すことに熱意を注いだほうが

あなた自身が大きく成長する可能性が高まるのではないだろうか?

 

 

 

 

 

どんな人と付き合うのかは、あなた次第だ。

 

 

環境も、住む場所も、毎日をどう楽しむかも

全て、あなた自身が選べるのである。

 

 

 

いちいち人のせい、環境のせいにしてばかりいると

自分ではどうにもならずに苦しくなるばかりだけれど、

 

自分の選択により引き起こしたことなら、

「自分で選んだんだから自分の責任」

と思えるようになるわけだし、

「それならば、変えることができる」

と考えられるようにもなる。

 

 

そういった「自己決定」の考えが当たり前になってくると非常に楽だし、

あなたの人生をより良くすることも、能動的にできるようになる。

 

 

 

また、あなた自身が誰かから嫌われるかどうかよりも、

あなたが気持ちよく心地よく

自然体でいられる相手といかにして関係を築くかが重要である。

 

 

言葉選びに過剰な気を使う相手からは離れる。

 

 

「〇〇すると良いよ。」とあなたのためを装って

コントロールしてくるような相手からは離れる。

 

 

あなたが怖い思いをした時、嫌な思いをした時、

悩み相談をしても反応が薄い(味方になってくれない)相手からは離れる。

 

 

「社会人として」とか「常識」とか「固定観念」とか

「多数派の正しさ」を押し付けて来る人からは離れる。

 

 

自分がなんとなく軽んじられている気がする相手からは離れる。

 

 

自分がいてもいなくても関係ないなら、そのコミュニティとは距離を置く。

 

 

その代わり、人間的に惹かれる、誠実な人だけと個別に関係を深めていく。

 

 

 

繰り返すと、こういった「誰と付き合うか」も全て、自分の責任。

 

 

 

あなたが自然体で振る舞ってもストレスに思わない人々、

あなたが常識から外れた一面を持っていることに寛容である人々、

あなたの全てを肯定的に捉えてくれる人、

 

 

「童貞」の話からは逸れたけど、

別に誰が何でも良いわけだし、

どんな考えを持っていても良いわけである。

 

 

その考えが世界を変える可能性もあるわけだし、

誰かの「代弁者」になることだってあり得るのだ。

 

 

まずはあなた自身が「体現者」になって、

自分自身の人生を思い切り楽しむ。

 

そんなあなたの生き方が、

多くの人々にとっての共感を生むことになるだろう。

 

 

あとはあなたに共感してくれた人と一緒に

 

「幸せの種」を世界中に撒いていき

 

美しい花々を咲かせていけば良いだけ。

 

 

 

 

「こんな荒れ果てた荒野に花なんか咲かないだろう。」

 

そんな人々の常識を覆すことこそが

 

あなたが生まれてきた使命なのだ。

 

 

 

「常識から外れたあなた自身の存在」を否定するな。

 

 

 

「私が存在することで、人々に気づきを与えることができる。

 

私は非常に尊くて貴重な存在で、愛される価値もある。

 

否定する輩、乱暴に扱う輩は全て、木っ端微塵に焼き尽くす(笑)。」

 

 

誰かの心無い一言によって少しでも心が折れかけたなら

「あなたのためを思って」を免罪符に誰かからの人格攻撃を受けたなら

ぜひこの↑言葉を思い出してみてほしい(笑)。

 

 

「童貞でも良いじゃん。」

「周囲の価値観に合わせなくても良いじゃん。」

「変わり者で良いじゃん。」

 

 

それだけを伝えたいがために書いたこの文章が…

 

少しだけでも良い。

 

あなたの心の支えとなることを願う。