そろそろ「意見を言うのが正義」という風潮、やめにしない?

タイトルのとおりだが…

 

 

 

いい加減うんざりしてる。

 

 

 

世の中の

 

「意見を言える人が正しい」

 

「意見を言わない人は悪い」

 

と、何でもかんでも決めつける風潮に。

 

 

確かに、あなたが生きていく上で、

思っていることや感情を口や態度で表現したり

自分の思いを言葉にできたりしたほうが

大切な人とより親密な関係を築いていけることは間違いない。

 

 

親しい人との人間関係でも

建前よりも本音を言い合える関係のほうが

お互いにストレスなく付き合っていけるだろう。

 

 

さらに、明らかに間違っていること、

誰かが一方的に不利な状況を押し付けられている場合などで声を上げることは

自分たちが生きやすい社会を作っていくためにも大切なことである。

 

 

 

 

しかし、相手の事情を全く考慮せず、

なんでもかんでもいつでもどこでも

自分の意見を言ってもよいものなのか?

 

 

すごく疑問に思うんだ。

 

 

 

僕自身は、ビジネスにしろ、職場にしろ、普段の人間関係にしろ、

「常に自己主張をすること」

が美徳とは全く思わない。

 

 

というのは、現代の日本人の多くは

「自分の意見を言える人が、勘違いしがちなこと」

 

 

これがわからずに自分の意見ばかり言って、

周囲からの反感を買うケースが多々あるように感じるのだ。

 

 

 

もちろん、これらの要素はすべての人に当てはまるわけではない。

 

「相手の意見も尊重しながら、自分の意見もきちんと言う。」

 

このやり方を実践している人はページを閉じていただいて構わない。

 

 

しかし、

 

「相手が意見や要望を言ってくれない。」

「どうにも自分の元から人が離れていってしまう気がする。」

「自分の意見を言わない人の気持ちが全く理解できず、イライラしてしまう。」

 

 

こういう方は、相手の気持ちや生き方を尊重していない可能性がある。

 

 

僕みたいに「日和ることも美徳」と考えている奴もいるという事実も踏まえた上で

以下の内容を参考に、ご自身のコミュニケーションに変えるべきところがあるのか

考えていただけたらと思う。

 

 

 

 

まず、僕はどちらかというと

積極的には自分の意見や思ったことを言わない、

仮面をかぶっているようなタイプだ。

 

 

 

ゲームの話になるけど、

「ドラゴンクエスト」では呪われた装備品は

一度身につけてしまうと外せなくなる。

 

 

僕が身に着けている仮面も、

まさにその「呪われた仮面」なのである。

 

 

実際ドラクエのアイテムに例えると、

「E:般若の面」という状態なのだ。

 

 

※ちなみに包丁持っているのは人を○すためではなく

飲食店だからである。(←紛らわしい)

 

 

呪われているから、なかなか外れないし、外さない。

 

 

一般的に人は、仮面をつけた人と親しくなりたいとは思わないだろう。

 

しかもこんな鬼の形相してたんじゃね。

 

 

 

まぁ確かに自分が相手の立場だったとして、

そんな状態の奴と会話しようとか、

仲良くなりたいとか思わないよね。

 

 

でも、それが狙いなのだ。

 

 

実際、一部の人には「なんとなく気軽に話しかけにくいオーラ」

を感じ取ってもらえているらしい。

 

 

 

ただ、僕の場合は怖い印象の仮面ではなく、

「優しそうな印象」という仮面をつけている。

 

 

そのため、特別嫌いな人でない限り、

仕事中の会話はフレンドリーに交わすことができるし、

それ以外の世間話として何か聞かれれば答えることはできる。

 

 

職場の雰囲気を良くするために、協力をすることだってできるし、

基本的には他の人のお役に立ちたいと思っている。

 

 

その理由は簡単で、仕事自体は好きだから

自分がその職場で働き続けることができる雰囲気を作りたいし、

仲間にも「自分と一緒に仕事をすることのメリット」を感じてもらうためだ。

 

 

そうすることで、例え職場に不満を抱いているような人がいたとしても、

献身的にサポートすることで少しでも長く働きたいと思ってもらえるかもしれないし、

結果的に自分も得するからだ。

 

 

そのためには一切の文句も不平不満・愚痴も言わず(言ったとしても回数自体が少ない)、

多少無理をしても人に尽くすところさえある。

 

 

(本音を言うと、「仕事なんか辞めて起業したほうが良いよ」

とアドバイスしたくなるのだが

相手自身が本気で「今の生活を本当に変えたい」と言ってこない限り、

僕が自らそれを口にすることは無いだろう。)

 

 

 

ちなみに「般若の面」は装備すると常時混乱した状態になるので、

実際にここまでとは言わなくとも、

職場での「仮面をかぶった行動」もある意味混乱しているのかもしれない。

 

 

しかし、一方で、

 

職場や多くのコミュニティでの僕は、非常に割り切った考え方である。

 

 

 

特に仕事上では

 

「余計な友達、全然いらない。」

 

とさえ思っているのだ。

 

 

これは虚勢ではない。

 

 

職場なんて別に自分が心から付き合いたくて付き合っている人たちじゃないわけだし

お金を稼ぐため「だけ」に毎日出社しているわけである。

 

 

僕自身にとって、必要以上に仲良くする理由がよくわからないのだ。

 

もちろん、人間的に本当に魅力だな、面白いなと感じる人は

仕事抜きでぜひお近づきになりたいものだが。

 

ただ、例え今僕に対しては優しい人だとしても、

仕事や会社に対して文句ばかりの面倒な人と仲良くなってしまって

この先しんどい思いをする可能性があるなら、

孤独のほうが100倍楽だとは思う。

(別に会社を擁護しているわけではなくて、

被害妄想をする人かどうかは見極めたいところである。)

 

 

だから仕事上問題ない「大人の」対応をしていても

「あ、これ以上はちょっと^^」

という感じで、周囲とは常にどこか一線を引くようにはしている。

 

 

というのは僕自身、

「他者に対する気遣いが抜けた時、言葉が辛辣になる」

という自分の性質を理解しているからである。

 

 

例えば、本音を言ってしまえば、

「仕事に対して文句言っている人」に対しては

僕はそれに対して全く同情も共感もせず、

「嫌なら辞めればいいじゃん。」と思っているのだ。

 

 

今は「皆大変なんだなー。」

「こういう時に人って不平不満を言うんだなー。」くらいに思うだけで、

どうでも良くなったが。

 

 

しかし、考えてもみてほしい。

本当の意味でも、あなたが自分自身にとってストレスフリーで

幸せを実現させたいと本気で願うのなら、

「自分に合わない場所からはすぐに離れる」のが一番である。

 

 

仮に、職場の雰囲気を悪くする原因が他にあるのは事実だとしても

あなたの置かれている状況や発した言葉はあなた自身の責任なのだ。

 

 

環境はあなた自身で決めること。

 

 

今の職場にあなたが働いているのも、自己責任なのである。

 

 

愚痴や文句、人の悪口を言うほどあなた自身が惨めになることに、

あなた自身が気づいていないのだ。

 

 

…しかし、下の記事でも書いたように、

 

「不満を抱いている人たちに対して必要なのは共感であり、

正論は害悪でしかない。」のである。

 

 

正論なんて言ってしまったら、

相手の神経を逆なでさせて、

その後自分がやりにくくなる可能性があるし

反論されて面倒なことになる可能性だってある。

 

 

 

まぁ自分可愛さと言ったらそれまでだと思うが、

その場所で永久に働き続けなきゃいけないわけでもないし

嫌ならすぐに辞めても良いのだ。

 

そう考えたら、流れるまま流されるままなのは

すごく楽なのである。

 

 

「表面上の関係」なのだから余計なエネルギーは使いたくない。

 

 

これが本音だ。

 

 

自分にとって不利な状況を生み出す可能性があるなら

黙っていたほうが良い時もあるだろうと考えることもあるのだ。

 

 

どんな過酷な状況だったとしても、別に死ぬわけじゃないんだし、

自分が眼の前の仕事さえ黙々とこなしていればそれで十分と思っている。

 

 

僕自身、自分のした仕事に対しては誇りを持っていてすごく頑固なところがあり

本当にカチンと来たときには反論するなどはしているが

別に何とも思っていないことをわざわざ意見したり

腹を割って話したりすることの必要性を全く感じないのだ。

 

 

 

しかし、一方で「苦言を呈することができる人」がいるのも

僕は全く問題ないと思っているし、

むしろ、その人の存在は必要で有り難いとは思っている。

 

 

ただ、そういう人々の中には、

偏った正義感で勘違いしている人がいるのも事実である。

 

 

特に、

 

・「我こそが正義」と思いがち

・「周囲の人は自分と全く同じ考えだ」と思いがち

 

 

そんな脳内お花畑の人の頭の中にも、

花壇のちょっとしたスペースに一輪の花を植える余裕はあるはずだ。

 

その狭いスペースにも、

以下に示すようなちょっとした「知識という花」を植えてみてほしい。

(わざわざ妙な言い方をしたが、要するに、「頭に入れてほしい」ということだ。)

 

 

 

その「知識の花」というのは…

 

 

「世の中には、正しいことも間違っていることも存在しない」のである。

 

 

 

ちなみに僕が一番迷惑しているのが

 

 

「あなただって不満に思ってるんでしょ?ハッキリ言いなさいよ!」

「〇〇は〇〇ですよ(意見)!ね〜コリュ君?(同調を求める)」

「文句言わずに頑張っていて偉いね。」

 

 

…みたいなことを言われることである。

 

 

要するに、不満を口にさせるように一方的に仕向けさせられたり、

同情されたり、

同調圧力を向けられたりするのがすごく苦手なのだ。

 

 

一方的に「俺を味方にしようとしている」危機感を覚える。

 

実際は誰の肩も持ちたくない中立派でいたいのに。

 

 

僕自身、元々正義感が強く弱者に寄り添うタイプでもあるし、

一方で最近では、経営者など立場が強い人に対しても

「まぁ色々大変なんだろうなー」と思えるようになってきたのだ。

 

 

そのため、両者の言い分も事情も理解は出来るのだから

偏った意見を言うと相手に誤解される可能性があるのだ。

 

 

元々口数少ないし、下手に口を開けば辛辣なことを言う可能性があるし

穏やかなものの言い方ができないものだからどう伝えたら良いのかわからず

結局黙るしか無いし、反応に困ってしまうのだ。

 

 

だから優柔不断な印象を与えるかもしれない。

 

 

しかし、周囲が思っている以上に、頭の中では色んなことを考えているのだ。

それにもどかしさを感じることもある。

 

 

一見あまり周囲の人のことを考えていないようで、

実際には周囲の人のことを考えすぎて頭がパンクしそうになっているくらいだが、

僕自身やたらプライドが高いため、それを表に出すこともあまり好まない。

 

 

その結果、「何考えているかわからない。」

と僕を不気味に思う人がいてもおかしくないが、

それはそれで、僕がどうすることもできない問題だから仕方がない。

 

 

誤解されるのは悲しいことではあるが、

 

「例え自分のことが理解されなくても、

全ての物事はなんだかんだで問題なく進んでるし、

自分があえて自分からなにか事を起こす必要性もない。

自分は自分の好きな人とだけ深い関係性を築いていくから別に構わない。」

 

と割り切っているので別にそれで良いと思っている。

 

 

基本的に他人はあなたに興味がない。

 

 

こうやってネット上で発信している場合は別だとして、

日常生活において、何かにつけてあなたの全てをわかってもらう必要なんて

果たしてあるのだろうか?と思うんだよね。

 

「わかってもらえない孤独感」に苦しむのも辛いだろうが、

必要以上に「わかってもらいたい脅迫感」を感じてしまうと

本来は抱えなくて良いストレスを抱えてしまう羽目になるのでは?とも思う。

 

 

上で挙げたような同調圧力を押し付けるような言葉を発する人は

普段から自分の意見を言っている人だろうから何も思わないのかもしれないが、

 

あなたの正義はとりあえず横に置いておいて、

「今目の前にいる人は、自分と違う考えを持っているかもしれない。」

という想像力を働かせてみるのも良いと思う。

 

そしたら、その気持ちが伝わって、

相手も自分の考えを言ってくれるかもしれないし、

人のあら捜しをすることもなくなると思う。

 

 

※「他人のあら捜しをすること」の害悪については

↓こちらでも詳しく説明している。

 

 

ただ、僕の場合、自分の意見を言わないのは、先述したとおり、

「別に大して親しくないんだから表面の関係だけで十分」

と判断しているからだ。

 

激しい対立の間で意見を求められると閉口してしまう原因の一つに

「声を発しないことを悪とする」彼ら彼女らに

「俺がいやすい場所づくり計画」が、

その言葉で危ぶまれる危険性があるからだ。

 

 

自分本位で計算高い考えかもしれないけど、

これが自分なんだから仕方ない。

 

まぁ自分にとって嫌だと思うことは

大抵無視したり生返事したり適当にスルーしたりしてるけどね。

 

そんな人に反論したって時間と体力の無駄だからだ。

 

 

相手にわかってもらえる確証があるなら、

それを言うことで世の中が良くなる可能性があるなら、

その時は自分の意見も言うかもしれないが、

 

 

僕は無駄が大嫌いなのである。

 

 

余計なエネルギーは使いたくないのだ。

 

 

それなら、黙って無関心でいるのも一つの選択肢だろう、と思う。

 

 

 

最後に…

 

 

世の中の多くの人が

好きでもない仕事をしたり

働きたくもない職場にいたり

別にいたくもないコミュニティにいたりしているわけである。

 

 

先程も伝えたが、

それは全て自分の責任なのだ。

 

 

それを変えるために意見を言うのか、

「別にどうでも良い」と思って流されるままに日和るのかも、

各人で自由に決めてよいはずなのだ。

 

 

逆に言えば、

どうしても嫌だったら、すぐに辞める、離れることだって

自由にできるわけだ。

 

 

いつも「意見を言うのが正しくて、言わないのが悪」などという

一方的な決めつけはやめてほしい。

 

皆それぞれの考えがあって

どれも尊重されるべきものなのだ。

 

 

 

 

 

さて、このように、僕はブログでは現実世界と違い、

皮肉なども含め、言いたいことを言いまくってる。

 

実際に自分のビジネスをする場合も、

自分の意見は言うようにしている。

 

 

その理由は簡単で、共感できる人に共感してもらえれば良いからだ。

 

 

自分自身のコミュニティを作るなら、

自分の好き嫌いはハッキリさせておいたほうが予防線にもなるわけだし、

それが「なーなーでもやっていけるコミュニティ」との違いである。

 

 

また、最近ではとあるビジネスのコミュニティで

新しい事業に取り組んでるわけだが、

 

本当に必要に感じたときだけ、求められたときだけ、自分の意見を伝える。

 

それが本当の意味で、正しいコミュニケーションだと思うようになってきた。

 

 

かといって、関わっている人は皆、依存的ではないし、

意見交換の場もあるから楽しくお話ができるし、

本当にお互いが独立しているのに、協調性も高くチームワークもあるし、

これまでに関わった中で

最高のサポート体制ができているコミュニティだと実感している。

 

 

 

今の日本はパワハラブラック企業の影響で

「相手の領域に踏み込んで相手を説教する。」

「他者の問題を自分の問題と思い込み、解決しようと相手にあれこれ指示する。」

それを正しいコミュニケーションと勘違いして、

「言わなきゃわからない。」と偉そうに人に苦言を呈する人達がいるわけである。

 

 

しかし、こういったコミュニケーションは

アドラー心理学的には良くないことを理解しておいてほしい。

 

相手の問題は相手の問題で、あなたの問題ではないのだ。

 

※「問題の切り分け」や「領域」の問題については

以下の記事を参考にしてみてね。

 

 

(ちなみに↑「領域」の話では、相手と口論することの重要性を説いてるが、

これは親しい人や関係性が深い人、

永久に会わないであろう人に対するコミュニケーション方法である。

自分が「無」でいたい、日和見に徹したい状況の場合は

あまりおすすめしない。)

 

 

長くなったが、

 

 

「世の中がには自分と違う考えの人もいて、どれが正しいわけではない。」

「自分の味方を増やそうと、他者へむやみに同調圧力をかけない。」

「余計な波風を立てることが損になることもある。」

「自分に合わない意見の人々が多い環境からは出来るだけ早く離れる。」

 

 

こういったことを考えつつ、相手の意見にも耳を傾けながら、

「たまには日和ること」の必要性も感じてみてはいかがだろうか。