自分の「病気」を曝け出すということ

Live.meで最上もがちゃんの”もがミーティング”があったので見ていた。

 

 

この子はすごいな。なかなか鋭い。

 

 

以前から彼女の発信やブログは興味があり読んでいたのだが、

人と向き合おう、わかり合おうという気持ちが強いのがわかる。

 

↓もがちゃんのブログ

 

特にすごいなと感じたのは、

大抵僕も含め多くの人は

苦手な人、嫌な人と関わることになった場合、

その人から離れる、という発想が楽だと思うけど、

そうもいかない場合の解決法を糸のようにするすると引き出せるというところだ。

 

僕が似たような質問をされたら、まず考えてしまうし、
「辞めちまえよ」「逃げちまえよ」くらいしか言えないと思うな(笑)

 

彼女はもともと引きこもりだと言うけれど、

もしかしたら人とうまく向き合おうとして、

なかなかうまくいかないこともあるのかもしれない。

 

僕は逆に人と向き合うのが恐いから引きこもりがちというタイプだし、

色々なタイプの人がいるんだなと思う。

 

 

完ぺきを求めるなとは言われても、

ついつい求めてしまうのが人間である。

 

 

 

嫌なことはしない。

自分の力以上のことはしない。

仕事であれば時給以上の仕事はしない。

 

 

そういう考えでいたいし、

ミスもあってこその人間だと思うけど、

 

「良い人に見られたい」

 

という発想が自分自身にも強いらしい。

 

 

 

無理をしてしまうのである。

 

 

 

そんなことをしても、虚しいことはわかっているのだが。

 

 

 

人は誰しもが病気を持っている。

 

 

 

人が気にならないことを気にしてしまうとか、

逆に驚くほど鈍感な人もいる。

 

 

 

それぞれ真逆のタイプの人から見れば、

お互いのことを理解が出来ないので、

皆が皆何らかの病気なんだと思う。

 

 

 

しかし、病気という短所は突き詰めていけば長所にもなる。

 

 

 

人の悪い面に目を向けて不平不満を抱くよりも、

その人の良い面を見つけて、自分が成長することに意識を向けるようにしたい。

 

 

 

どうしても自分のメンタルが持たない、

我慢できない時は離れるという選択肢もあって良いけどね。

全ての人と仲良くする必要なんてないから。

 

 

そして他人に媚びる必要もない。

必要最低限の表面だけ取り繕って、大人な関係を築けていれば良い。

 

 

自分の人権を阻害する人物を目の前にした時は、

出来るだけ戦うつもりではいるけど。

 

 

人間関係は多くの人が抱く一番の悩みで、

大変な世の中ではある。

だけど、苦手な人を生み出しているのも自分の心のあり方な気もするから、

相手からの刺激に挑発されないように、

あまり頑固になりすぎず成長していくしかないんだよな〜。

 

 

…と、最近になって思うようになってきた。

 

 

(※ちなみに相手から挑発を受けて、自分の正義のために戦うのと、

相手の何気ない言動により不安や不快な気持ちで心が揺さぶられるのとでは全く違う。

特に悪態をつかれたわけではないのに自分が「苦手に感じる人」というのは、

相手の行動が単なる自分自身の「何か」に引っかかっているだけの可能性が高い。)

 

 

どうしても自分自身が好きな人だけと付き合いたいという場合は、

自分の許容範囲を広げていくのも大事だけど、

基本的に自分自身の興味関心にだけ目を向けていれば、

自然と付き合う人も変わっていく。

 

 

 

ずっと同じ人と一緒、という方が逆に問題なのだ。

成長する機会を得ていないということだから。

 

 

 

なので、たとえ今いる環境に不満を覚えていても、

それは永続的なものじゃないから大丈夫。

 

言葉は言霊だから、会社を辞めたければ「辞めたい」と言えばそのうち実現するし、

義務感で付き合っている友人がいたら、

違うことに興味を持っているうちに徐々に距離が生まれてくるはず。

 

 

 

それから先が肝心なのは言うまでもないけど、行動は自然とついていく。

ただ、それが人によって実現するペースが違うというだけ。

うまくいかないからと言って焦る必要は全く無い。

 

 

だから、いくら文章が苦手でも、

自分自身のことを考えたり、このように発信したりしたほうが、

生きづらい社会を生きていく上で最も有効な方法であるというのは、

多くの人に伝えていきたい。

 

 

 

僕のやっていることは、学生時代にノートにひたすら書いていたこととさほど変わらない。

 

ただ、当時は世の中への不満で攻撃性の高いものばかりだったのが、
年を経た今はある程度見識も広がり、

「人から見られるもの」を意識するようになっただけの話。

(性格上、今も稀に言葉がキツくなるが)

 

 

当時はそんな病的なものを見たいものなど誰もいないと思っていたが、

ある種の病気である自分の脳内で生み出された言葉の数々が、

意外なほどに誰かから反応を得られるということもわかった。

 

 

 

自分自身の何気ない独り言が、

誰かにとっての気づきになるかもしれない。

 

 

 

「誰かのために」も良いけど、

「自分のために」やっていることが最終的に社会全体に潤いをもたらせたら、

自分の「病気」もそんなに悪くないものだと思えるかもね。