「黒歴史」は過去のものじゃない まさに現在進行系である

思い出したくない過去

 

人目に晒されたくない過去

 

永遠に葬り去りたい過去

 

 

それらは誰にだって存在する。

 

 

それを一般的に「黒歴史」というのだろう。

 

 

 

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まるで黒猫を愛でるように「他人の黒歴史は好き」という人はいても、

「自分の黒歴史」が好きな人はあまりいないだろうね。

 

 

 

さて、今回はこの「黒歴史」について

僕自身の見解を吐き散らかしてみることにする。

 

 

まず、

 

 

「歴史」は「歴史」でも

「黒歴史」は、「過去」のものじゃない。

 

 

…と僕は思う。

 

「黒歴史」というのは、

現在進行系、未来形で作られていくものなのだ。

 

 

つまり、人間の歴史というものは

過去から未来まで全て黒いのである。

 

真っ黒なのである。

 

 

 

英語のように表現すると

 

過去形:I 黒ed.

現在形:I am 黒ing.

未来形:I will 黒.

 

というような感じで、常に黒いのである。

(※↑そんな単語は存在しません。)

 

 

 

そして、これらの「黒」というのは

厨ニっぽく言ってみれば、「闇属性」なのである。

 

 

触れたものを全て飲みこんでしまうかのようなブラックホールのように

人々にも、自分にも大きな衝撃を与える可能性があるものなのである。

 

 

 

もうさっきまでの自分の言動や創ったものが、

下手すら数秒後にはめちゃくちゃ恥ずかしくなる瞬間が訪れる可能性すらある。

 

 

 

それくらい大きな破壊力があるのだ。

 

 

 

しかし、なぜこのように、

人は自分を恥ずかしいと思うようになるのかというと、

 

人間というのは常に成長している生き物だからである。

 

自分がより幸せに生きるためには、今の自分に満足したままではいけないのだ。

 

 

 

例えば、創作をする人であればわかっていただけるかと思うが、

過去に自分自身が描いた絵や漫画というのは

もう見たくもないくらい恥ずかしいことだろう。

 

 

他にもブログなどの発信を行っている人は、

過去に書いた記事などを無性に消し去りたくなる時もあることだろう。

 

 

僕も小学校の時に描いた漫画なんてとっくの昔に捨てたわ。

恐らく身内の誰かがそれを晒そうものなら

一生恨んでやる可能性だってあるわけだが(笑)

 

その気持ちは、誰でも確実にわかるだろう!!!!

理由は後述する。

 

 

その他にも、全然社交的じゃない根暗なのに無理をしてパリピぶって

パーティや飲み会に参加しまくったりして

無理をして違う自分を演じていた時期がある人もいることだろう。

 

 

胡散臭いカリスマの存在するMLM(マルチ商法)や宗教にハマってしまったり

上の人の言うことを真に受けて自分自身も自由になれると思いこんで

多額のお金を失ってしまった人もいることだろう。

 

 

他体育会系色が強いコミュニティやブラック企業などで

ルールや上下関係にやたら厳しいことを当たり前に思っていて、

パワハラなど人に嫌なことを強制したり、嫌な人の元で違和感を覚えたりながらも、

一生懸命人に貢献したり、働いていたりした時期がある人もいることだろう。

 

 

もう思い出しただけで穴に入りたいというか、

一生この「思い出」が掘り返さないように穴に埋めたくなる気持ちになるよね。

 

埋葬じゃ飽き足らないから

火葬してチリほども無くしてしまいたい気持ちにもなるだろう。

 

 

 

しかし…

 

 

大丈夫だ!!!!

 

 

上に書いたような一連の「黒歴史」は

僕にだって当てはまることだから!!!!

 

 

「黒歴史」は受け入れられないから辛いのであって

認めてしまえば何も怖くなくなるのだ。

 

 

では、「黒歴史」を受け入れるために

「黒歴史」とどのように付き合っていけばよいのか…

 

 

 

これは…もうね…

 

 

「黒歴史が生まれるのは仕方ない」って割り切るしか無いのだ!!!!

 

 

 

 

「何もせずにほったらかしで〇〇万円!!」

 

というネット上の広告は見たことはあるかもしれないけれど…

 

黒歴史こそが本当の意味で、

 

「何もせずにほったらかしで増殖する」ものなのである。

 

もはや増えていくものを止めることなんて、誰にもできないんだよね…。

 

 

 

でも、それを嘆く必要なんて無い。

 

 

 

「自分にはお金はないかもしれないけれど、

黒は生み出すことが出来る。

 

…というか黒しか生まれないのなら、

いっそのこと真っ黒に塗りつぶしてやる!!!!」

 

 

そんな風に吹っ切れる事ができたら

何も怖くないのでは?と思うんだ。

 

 

 

 

しかし…僕もそうだけど、

皆、どうして黒歴史が嫌なのだろうか?

 

 

それは…

 

自分自身の浅はかさ、未熟さ、軽率さを実感してしまうからなんだよね。

 

 

でも過去はもう変えられないことだし、

やってしまったことを責めたって仕方がないのだ。

 

 

むしろ、

 

「この黒歴史があったおかげで、今の自分があるんだ。」

 

と過去の自分に感謝することで

今の自分を丸ごと愛することが出来るのだ。

 

 

そう考えたら、「黒歴史」もなんだか愛おしく感じられないだろうか?

 

 

少なくとも

自分には手におえないくらい「巨大なブラックホール」だったものが

「真っ黒くてちっさくてモソモソ動く(?)マリモ」

くらいには感じられるようになるかと思う。

 

 

「コイツぅ☆なんだか可愛いゾ☆」

といった感じで、思わず突っつきたくもなるだろう。

 

 

しかし、一方で、

他人から笑われたり、色々言われたり、軽蔑されたりする可能性を考えて、

皆、自分自身の黒歴史を何としても隠したがるんだよね。

 

 

もちろん、言いたくないことは言わなくてよいし、

人に知られたくないことは隠してしまって構わない。

 

 

ただ、「人がどう思うか」という懸念に関しては

それは「他人の領域」なのだから、あなたにはどうしようもないことである。

 

 

 

僕も今この記事を書いているだけで

 

おそらく後々から

 

「ヒョエーーーーーーーーーー

 

ナニコレハズカシーーーーーィ//////

 

穴ガアッタラ土ヲカケテ埋メターーーーーィ//////

 

 

…と、自分で書いた記事を消したくなることは確実にあり得るだろう。

 

 

(↑※ちなみにどうでも良いことだが、

「穴を埋めるだけ」なら、穴がそこからなくなるだけである。

何もその中に隠しはしない。

つまり、特に意味はない行動である(笑)。)

 

 

僕もかつては自分のドメインではなく、無料ブログをやっていたのだが、

その時のブログもとい記事は全て消してしまっている。

 

 

当時は「消す」という作業が断捨離となり、

自分をリセットさせるものとして大切だと思っていたのだが、

 

 

今後は、例え読んでいて恥ずかしく感じるような記事が出てきても

一切消すことはないだろう。

 

 

そのかわり、修正はするかもしれないが。

 

 

というのは、自分が「これはダメだ」「駄作だ」と思っているようなものでも

案外、他の人にとってはそうでもないケースもあるからである。

 

 

受け取り方は人それぞれなわけだし、

僕の黒歴史に触れて「元気が出た」という人が少なからずいるのであれば、

「それは絶対に残しておくべきだろう」と思うようになったのだ。

 

 

もしかしたら「明日死のう」と絶望の淵に立たされていた人を

「明日も生きよう」という夢と希望とワクワクに満ち溢れた人へと変える…

そんなことだってできる可能性だってあるわけだ。

 

 

もし、そうなったら黒歴史は「黒」じゃなくなる。

 

 

本来「黒」という色はとても強い色なのだ。

 

 

 

 

絵の具を使ったことがある人ならわかるかもしれないが、

黒に他の色を混ぜても他の色を殺してしまいかねないし、

少しでも黒が混ざれば明るい色へ変えることが難しくなる。

 

 

つまり、作品を作る上では、

非常に気をつけて扱わないといけない色なのだ。

 

 

 

 

ところが…

 

 

なかなか消すことのできない、受け入れがたい自分の中の「黒」を

「それでも良いよ」と受け入れてくれる人が現れる…

 

 

そうなると、

全ての「黒」をまっさらな「白」に変えてしまう、

奇跡のような現象さえ生み出してしまうのかもしれない。

 

 

そう思ったら、

「黒」しか生み出せないような自分でも

 

例え自分の歩いた道が全て「黒」に染まるばかりで、

その「黒」によってこれからも他の誰かに迷惑をかける可能性があったとしても

 

 

「むしろそれで良いんじゃない?」

 

 

と思えることだろう。

 

 

 

僕だってあなただって

 

「自分自身が思っているほど、他の人は何とも思ってないわけである。」

 

 

それが事実ならば(…というか、事実だけど)、

もう考えるだけ無駄というか、

 

 

「人に迷惑をかけないように」と自分の行動を制限させてしまったり、

人の顔色を伺ったり、

失敗をすることに過剰な恐怖を抱いたり、

 

…こういった「あなた自身が息苦しくなる行動」を

しなくて済むようになる。

 

 

「自分はこう生きたい!

自分の生き方をどう思うのかは完全に相手任せだ。」

 

 

…と思いながら、「自分の領域」と「他人の領域」を割り切ることで、

自分の要求や気持ちに素直になれるかと思う。

 

 

相手の問題と自分の問題を切り分ける方法についてはこちら↓

 

自分の機嫌を取る方法についてはこちら↓を参考にしてね。

 

 

 

まとめると…

 

「人生はまさに 現在進行系の暗黒世界」

 

 

 

 

これこそ黒歴史確定の厨ニワードになってしまったが(笑)

 

 

誰も彼も生きていれば当然、

ブラックな部分があるわけだし

ブラックな部分に人間的な魅力を感じることもあるわけだ。

 

 

「黒くなるのは仕方がない」

「黒い自分を愛したい」

「黒いあなたのことも受け入れたい」

 

 

自分自身にしろ相手にしろ

「黒だからダメ」なんじゃなくて

消し去りたりたい、隠したくなるような部分も丸ごと認めて愛することで、

虹色に輝く人間の多様性を、しっかり噛み締めて味わえるのではないか?

 

 

そう考えたら、僕の場合、自分自身の嫌な部分も、

あまり嫌だと思わなくなった。

 

 

「そうか〜あの時はこうしたかったんだね。」

「自分を認めてほしかったんだね。」

「ナメられるのが本当に嫌だったんだね。」

「でも不器用だから、うまく自分を表現できなかったんだよね。」

「大丈夫だよ。俺は全部わかってるから。」

 

 

そうやって過去の自分を受け入れてあげることで、

まるで我が子のようにギューーーーってハグしたくなるくらい

自分自身を愛せるようになったのだ。

 

同様に、他人に対しても寛容になれた。

 

 

最近では「リア充」というか

キラキラした発信が流行っているわけだし

それを否定しようとは思わない。

 

 

しかし、

 

「自分の中にある”黒”は決して悪いものじゃない。

むしろ自分の学びを皆に教えて、役に立ってもらおう。

自分の恥ずかしい過去を面白おかしく笑い飛ばそう。」

 

 

一見すると人様に見せるのも躊躇してしまうようなことでも、

あるがままのあなたを表現することで

より魅力的なあなたに人が集まってくることだろう。

 

 

また、人に共有して肯定的な意見をもらうことで、

「黒歴史を作り出しているあなた自身」を

過剰に怖がることもなくなるはずだ。

 

 

黒歴史を生み出すことを恐れず、

あなた自身の人生と向き合えたら

黒だけじゃない、あなたにしか生み出せない色が見つけられて

まだ目にしたことのない、新たな世界が開かれることだろう。

 

 

 

 

「レッツメイキング黒歴史。」