なにもない自分が、「捨てる」ことで気付いた「自分の力」

天海夜 煌琉でございます。

 

先日、こういう内容の文章を書いた。

 

 

 

個人的にここ最近の自分のテーマは「断捨離」だと思っている。

 

 

「捨てる」ということは、自分にとって必要なことだ。

 

 

今までの自分は「モノ」に執着していた。

 

ハマったジャンルのものは、とことんコレクションする傾向もあった。

 

それゆえに、なんだか「モノ」がないと自分が自分じゃないみたいな

不安定な状態にもなっていたんだ。

 

 

そして、僕自身、自分の心には埋められない空虚があるという自覚がある。

 

 

それ故に、本当は「いらないもの」でも、

何かに縋りたかったのだろう。

 

 

しかし、断捨離やミニマリストに関する情報を得るようになって、

本を読んだりYouTubeなどで動画を見るなど、

自分なりに色々と調べていった結果、

 

「いらないものを捨てることで、

本当にやりたいこと、会いたい人との時間を作ることが出来る」

 

って気付いたんだ。

 

 

今まで自分の周りに溢れていたモノや、

馴れ合いの延長線上のような、惰性的な人間関係では

寂しさが拭えるわけじゃない。

 

そして、誰かが作った

「これならうまくいくよ!」っていうノウハウなども

自分にとっては意味がないんだと思うようにもなった。

 

 

ブログに関しても

今までは、皆が読んでためになることを書かなくちゃって

気を張ってたんだなって思う。

 

自分を好きな人のことよりも、

自分のことを嫌いな人にどう思われるかを考えてしまう傾向にもあった。

 

 

でも、今はこうして

誰にどう思われるかあまり気にすること無く、

思ったことをそのまま書き起こすことが出来る。

 

 

それは「意味のないこだわり」を捨てられるよう

意識しているからだ。

 

 

それから、もしかしたら、

SNS関係はほとんどやめるかもしれない。

 

といのも、SNSというのは、実質監視社会だ。

 

 

僕自身、他者からの監視を嫌っているところがある。

 

 

僕が投稿しているのを見て、

 

「この人、この時間に投稿しているのに

なんで私のメッセージには返信してくれないの?」

 

などという面倒くさいことが起こり得るからだ。

 

そんなしがらみからは離れて、もっと自由に発信がしたい。

 

ブログの更新情報は載せたいから、アカウントは残しておくけど。

 

 

LINE@も廃止して、メルマガに変更するかもしれない。

 

読者様には申し訳ないが、僕自身、

LINEはなんだか「違う」と感じているからだ。

 

普段の知り合いとのやり取りも

LINEは手軽すぎるし既読マークもつくし

面倒だと感じ始めたグループもなかなかブロックできないし

「違う」とも思っているのだが、

多くの人にとって、連絡手段として主流になっているものだから

ある程度妥協するのは仕方がない。

(ちなみに、通知機能はオフにしている。)

 

いずれにせよ、

多くの人が勧める、「これが良いよ!」という方法や

多くの人が好んで使っている手段は

自分には合わないのかもしれない

 

…と思うようになってきたのだ。

 

 

何が自分にとって一番良い方法なのかは、自分にはわからない。

 

それは、誰に聞いてもわかるわけはない。

 

 

自分が一番しっくりくる方法を、自分自身で探していくしか無いし

自分が一番しっくりくる居場所も、自分自身で創り上げていくしか無いのだ。

 

 

 

それを明確にするには、どうすれば良いか?

 

 

それは、「捨てる」しかないのだろう。

 

 

いっぱいいっぱいの状態の箱では

物は詰められない。

 

 

四次元ポケットでもブラックホールでもあるまいし、

無限にものが入れられる空間なんてあるわけでもない。

 

 

皆が皆、持っている器はそれぞれ大きさが違うけど、

それでも、入れられるものには限界があるんだよ。

 

 

 

それに、生きている時間だって限られているしね。

 

明日もしかしたら事故に遭って死ぬかもしれない。

それは誰にもわからない。

 

 

 

だから僕らは、いらないものを捨てる必要があるんだ。

 

 

 

何かを捨てて生まれたスペースには、新しい空間が生まれる。

 

 

自分の思考に新しい空間があることで、

新たなアイデアが生まれる。

 

 

また、誰かとの関係が終わっても、

その人がいた空間に、新たな人が来てくれる。

 

 

ジタバタしなくても、焦らなくても良い。

それは自然なことなのだから。

 

 

これまで僕も、

自分が得たもの、築いたものを捨てることで

後悔するかもしれない。

 

 

そう思っていた。

 

 

だから、捨てるのが怖かった。

 

 

 

でも、自分はもう昔の自分ではない。

 

 

昔に比べれば知識も行動力もついてきたし、

失敗を重ねていくうちに判断力もついてきた。

 

それから、

「なんかこれ好き」「なんとなく嫌な感じ」など、

自分の直感も間違っていないのだと、確信を得るようになった。

 

 

僕は「本当に得たいことを得る力と、その可能性」を

十分に身に着けたんだ。

 

 

だから、何も恐れることはない。

 

 

人生は振り出しに戻ることばかり。

 

 

それでも良いんじゃない?

 

 

自分が本当に納得できる結果が得られるのなら

 

何百回でも何万回でも失敗してやるよ。

 

 

 

 

覚悟を決めなきゃ。

不要なコトは全て捨てようと思う

天海夜 煌琉だよ。

 

先日、ブログなど僕の活動の今後の方向性について、

信頼できる方に相談するという、非常に貴重でありがたい機会があった。

 

 

その方はスピリチュアルに精通している方で、

神秘的で、でもフレンドリーで非常に話しやすい雰囲気がある。

 

 

一方で、僕はわりと人のことが気になりすぎて慎重派だし

さらには見栄っ張りで負けず嫌いなところがあるので、

滅多に本心を人に話さないしあまり自己開示をしようとしない。

 

 

そんな自分でも、もやもやしていることを徐々に話しただけでも、

スッキリした回答をいただけたのだった。

 

 

詳細は控えるが、

その人が言うには、

僕が次のステージに進むために、必要な課題があると言う。

 

 

それは…

 

 

「不要なことを捨てる」こと。

 

 

 

 

不要なことというと、

 

正直何のことだろ?とは思った。

 

 

ただ、このところ人間関係に関する文章を書いていて、

「人間関係の断捨離や損切り」は自分のテーマではあると思った。

 

 

ただ、嫌いな人はもう関わらないと決めたわけだし、

なんか違うな、と思った人間関係はどんどん切り離しているつもりだ。

 

 

それなのに、まだ「完全に終わっていない」というのだ。

 

 

そう考えると、確かに

捨てきれていない人間関係もあるのかもしれないが…

 

 

嫌な人々、合わない人々との「嫌な思い出」が自分の中にまだ存在して

自分の行動を邪魔しているのかもしれない。

 

 

あと、心当たりがあるとすれば、

「周囲の人が自分をどう評価しているか」が

やっぱり気になるのかもしれない。

 

「もしかしたら悪口を言ってるんじゃないか」と

疑心暗鬼になっているのかもしれない。

 

 

人間不信になってしまってるのかもな。

 

 

もちろん、大切にしたい人間関係もたくさんあるけど。

 

 

人間関係の他に捨てるべきものと言えば、

ブログの文章など、自分の作品に関することかもしれない。

 

 

それはきっと、「今まで作ったもの、書いたことを全て捨てる」ということではない。

 

 

捨てるべきは「自分自身の、行き過ぎたこだわり」だ。

 

 

どうも自分は少しでも良く見せようと完璧主義になりすぎる。

人からなんやかんや言われるのを非常に嫌うから

それをされないために予防線を張ろうとしてしまう。

 

 

ブログの場合だと、文章を何回も練りすぎるんだ。

 

「この部分にこういうイラストを付け加えたい」

「この表現をこうしたらもっとわかりやすくなるかもな」と

それが一つや二つくらいならまだしも、

自分の思いやこだわりが重なりすぎるんだ。

 

 

そして、結果、文章が長くなる。

 

 

「こうしなければいけない」という義務になってくると、

執筆も憂鬱になってしまう。

 

 

 

そうではなく、

 

これからは、理屈ではなくて、

「降りてきた言葉」をそのまま書き起こしたい。

 

 

つまりフィーリングをそのまま形にしようと思うんだ。

 

 

これまでの自分はどうも

文章としての体裁や形を重要視する傾向にあった。

 

 

しかし、そういうこだわりが

「〇〇しなければならない」という義務感を生み出して、

自分を苦しませていたことに気付いたんだ。

 

 

他人にとってはそんなもの、どうでも良いのかもしれない。

 

 

しかし、なぜか自分は

「このレベルまで達しないと表に出せられない」と

ブログなど何かを作り出す上では、常にそう思っていたようだ。

 

 

完璧を目指すことは、自分の能力を過信することだ。

 

 

だって世の中に「完璧」などないのだから。

 

 

過信している状態では、

そりゃ思っていたものがなかなか出来なくて

さらに腰が重くなるという悪循環に陥りやすい。

 

 

しかし、思いついたことをそのまま書くだけならば、

もっと気軽に文章を書くことが出来るし、

更新頻度も高められるし、

見に来てくれる方々にとっても、よりライトで読みやすいものになるはずだ。

 

 

わかりにくい部分があってもいいじゃん。

 

通常のコミュニケーションだって伝わらないことだって多々あるのだし、

どんなにわかりやすくしようと頑張ったところで、

重箱の隅をつつくような指摘をしてくる輩はいるわけだ。

 

 

それならば、

自分自身が「楽しい!」と感じるやり方で

楽しく続けていくのが一番だ。

 

 

というわけで、これからは

もっと感覚的な執筆かつ

手首や足腰(?)もより軽やかに

発信活動を楽しんでいきたいと思いまする。

 

 

どうぞゆたしく。

人のことを「使える」「使えない」って言う人って、サイッテーーーーー

自分のことをFTMとは言ってるけど

実質別になんでもよい「コリュ」こと天海夜 煌琉だよ。

 

 

今回の話はタイトルのとおりである。

 

 

 

あなたも仕事をしている時など、

 

「あの人は使えるよねー」

 

とか

 

「あいつ使えねーな」

 

とか

 

誰かが言っている光景を見たことはないだろうか。

 

 

 

もしくは、あなた自身がその言葉を言ったり、

逆に言われたことがあったりしないだろうか。

 

 

 

結論から言えば、

 

人のことを表現する際に、「使える」とか「使えない」などの言葉を

平気で発する人の人間性を、僕は疑っている。

 

 

そして、正直なところ、

僕は、そのような言葉を使う人々を、人間として全く信用できない。

 

 

 

 

その理由を含め、

そのような言葉を使って

あなたを攻撃してくる人々の対処法などを話していきたいと思う。

 

 

 

 

では、人を「使える」「使えない」と言う人のことが、

なぜ信用出来ないのか。

 

 

その理由は、大きく分けて2つある。

 

 

まず、第一に「人間は物ではない」からだ。

 

 

 

実はというと、僕自身こだわりが強く、

人ではなく、目標や理想を第一に考えてしまうと、

下手するとサディストというか、

ちょっと独裁者になりやすくなるタイプなのである。

 

 

まぁ自己弁護をするとすれば、

過去に自分自身がそのような雑な仕打ちを受けたから

人に対してもどう接したら良いかわからず、

その行為をなんとも思わなかったということもあるだろう。

 

 

しかし実際に自分がしたことで反感を買われたケースもあったり

誰かを傷つけたり不快な思いをさせてしまったり…

 

とにかく何かが爆発すると自己中心的にものを考えるようになるため、

今考えれば、過去に関わったたくさんの人に対して、

非常に申し訳ない気持ちになった。

 

 

 

でも、その自分自身の弱さも含め、

たくさんのことを学ぶことができた。

 

 

 

誰かを動かしたいと思ったときや、

相手の言動に対して要望があるときは

自分の意のままに動いてくれるとは思わないことだ。

 

 

それを踏まえた上で、

相手に敬意を払って、「お願い」や「提案」をする…

それが一番大切なことなのだ。

 

 

もちろん相手の事情によっては、

今すぐにはできないこともあるだろうから、

その際は

 

「できたらで良いから」

「あなたのタイミングで大丈夫だよ」

「お手すきの際にお願いします」

 

などと、相手を配慮する言葉を

一言かけることもポイントだ。

 

 

というのも、

人は本来、命令されて動くものではないし、

他の誰にも支配できない存在である。

 

 

それと同時に、

理屈ではなく、気持ちや感情で動く生き物だからである。

 

 

 

誰だって、挨拶がきちんと出来る人や周囲の人への配慮を忘れない人、

自分の話や事情を理解してくれる人に対しては親切にしたいし、

そんな人からお願いごとがあるなら、聞いてあげたいと思うだろう。

また、もし相手の話に熱意を感じたのなら、協力したいと思うだろう。

 

 

以前の僕というと、

わりと合理的なタイプである上に人との接触を極力避ける性格なので

お店での店員さんとのやり取りだったり、

人に物事を頼む際だったり、

どうしても無愛想になりがちだったのである。

 

なんとなく恥ずかしいって気持ちもあったしね。

 

 

さらに、相手に頼み事や指摘をすること自体を申し訳ないと思っていたし、

それで迷惑がられたら嫌だなと思っていて、できるだけ避けていたし、

自分でできることはできるだけ自分でやってしまっていた。

 

 

しかし、「自分自身は人の気持を動かせる人間なのか?」と考えるようになって、

とりあえずはお願いしたり、交渉したりすることが大切だと思うようになったのだ。

それでダメならやり方を変えれば良い、

自分の思いがより伝わりやすくなるように、自分自身をもっと磨いて

魅力的な人になれば良いからだ。

いわゆる、「背中を見せる」ということだね。

 

 

そのためには、普段の自分自身の振る舞いも大切だと思っているのだ。

人って意外と他人のことをちゃんと見ているからね。

 

 

 

 

そう考えると、もしかしたら、

人のことを「使える」「使えない」と表現する人は

 

 

命令口調だったり、自己中心的な頼み方だったりなど、

その人自身の物の言い方や頼み方が悪い可能性がある。

 

もしくは

 

相手を正しく理解しようとしていない可能性がある。

 

 

さらには

 

自分自身の問題を直視しようとせず、

全てを人のせいにして、

自分の成長を止めている可能性もあるのだ。

 

 

もし「仕事ができない」など相手自身の能力不足だったとしても

伝え方に問題があるのかもしれないし、

そもそも配置ミスだったり、システムだったり別の原因も考えられるからだ。

 

 

それを自分自身や組織の改善点だと思わず、

相手の能力などを含めて人のせいにして、

「言われたことができない、使えないダメなやつ」

などと、人をモノ扱いしているのだと思われる。

 

 

 

 

というか、なぜ人のせいにするのか?

 

 

自分の改善点を考えるよりも、

人のせいにするのって、すごく楽だからである。

 

 

そりゃそうだ。

 

 

自分の悪い面に目を向けるのは

誰だって辛いからね。

 

 

一方で

人を攻撃するのはすごく楽だし〜

っつーか、チョー気持ちいい。

 

…ことだろう。

 

 

それで、人のことを「使える」「使えない」など、

人格を疑うような言葉として表れるのである。

 

 

 

「人は皆自分の思う通りに動いてくれる」

「思い通りに動かない奴は無能だ」

 

 

このように、人を従順な奴隷や道具みたいに思っている人のことを

誰が人として信用するだろうか?

 

 

 

そういうわけで、

僕は全くそんな人を「信用できない」のだ。

 

 

 

 

 

第二の理由としては、「人の世界観や考え方は言葉に表れる」からだ。

 

あなたも表面的に親切だったり、フレンドリーだったりする人を

ついつい「良い人そう」って思ってしまう

 

…なんてことはないだろうか。

 

 

まぁそれで実際「良い人」だったら良いのだろうけど、

よくよくその人の発する言葉に耳を傾けてみよう。

 

 

人のことを「使う」「使わない」などと言ったり

 

「使える」「使えない」などと言ったり

 

 

人を物としか見ていない…

人をどこか見下している…

 

 

そういった「なんか嫌〜な雰囲気」を

言葉の端々に感じないだろうか?

 

 

たとえ「なんとなく」でも

そのような直感はとても大切なのである。

 

 

 

というのも、最近僕はとある書籍を読んでいて、

その中に、「人や物事を判断する際の基準」として

非常に大きなヒントが書かれていたのだ。

 

 

 

 

その書籍とは、

「運のいい人の法則」リチャード・ワイズマン博士 (著), 矢羽野 薫 (翻訳)

である。

 

 

 

こちらの本には「運が良い人」のことを

スピリチュアル的なものではなく、科学的な研究とともに分析されている。

 

 

 

僕も現時点でまだ全てを読み終えたわけではないのだが、

その中で強く共感した部分がある。

 

 

 

それは…

 

「運が良い人」とは、「自分の直感を信じている人」なのだ。

 

 

そして、これはきっと誰にも当てはまる法則だ。

 

 

書籍の中にもいくつか参考となる事例が紹介されているが、

僕自身も同様に、自分の直感に従ったことで幸運を感じた出来事、

もしくは後悔した出来事があったからだ。

 

 

人と接している上で、その人の自分に対するふとした態度や表情、

その人が誰かのことを批判する際の言葉などに違和感を感じ、

「もっと早くその人(団体)と離れていたら良かった」

と思ったケースも過去に多々あった。

 

 

直感も大事だけど、

その人自身に表れる「言葉の世界観」で、

それは明らかだったんだよ。

 

 

それは、自分自身の経験や感覚に基づいて

嫌な出来事や人間に対して

「なんとなく」でも拒絶を覚えているからだと思われる。

 

 

その人に対する他人からの評価なんて、一切関係ない。

 

信じられるのは自分だけなのだ。

 

 

 

あなただってきっと同じで、

誰がなんと言おうと、「あなた自身が感じた違和感」は

きっと間違っていないはずだ。

 

 

 

だから、もしあなたが他人の言葉や判断ではなく、

あなた自身の直感を一番に信じることができれば、

他人の世界観を、あなたなりの基準で判断することが出来る。

 

 

そうすることで、人を「使える」「使えない」と言うような、

人のことをモノ扱いする人だけでなく、

接していて違和感がある人から、すぐに離れることができるだろう。

 

 

 

もし人を見誤って、あなた自身が傷つくことがあったら、

それはそれで「自分を知ることができる良いきっかけだった」と思えば良い。

 

 

その辛い経験を教訓にして、

「こういう人とは深い仲にはならない」

というマイルールを決めることもできるのだ。

 

 

そのルールの中に、

人のことを「使える」「使えない」と言う人だけではなく、

あなた自身が過去の経験で得られた、

「こういう言葉を使う人は要注意」とノートにリストで書いておき、

人間関係で困った時など、いつでも確認できるようにしておくのも良いかもね。

 

 

 

 

上の画像は実際に僕が「嫌いなタイプの人間の特徴(個人名ではない)」や

「自分が言われて嫌なこと」や

「自分がされて嫌なこと」を記したリストの一部である。

 

 

さらに、このリストはGoogle Driveに保存しているので、

いつでも追加や修正、更新ができるのだ。

 

あなたがもしこれを真似る場合は、

デジタルでも良いし、もちろん手書きのノートでも構わない。

 

「要注意人物のリスト」を作っておくことで、

あなたの世界観が、より確立されてくるだろう。

 

 

その世界観に共感してくれる人は恐らく

「あなたと価値観・世界観が似ている人」であり、

あなたが大切にするべき人達である。

 

 

あなたが親切な人や好きな人を寄せ付けるためにも、

「嫌いな人なんていない!」と自分に嘘を付くこと無く、

「嫌いなタイプの人間の特徴を書いたリスト」はぜひ作ってみてほしい。

 

 

 

 

 

 

いかがだったろうか。

 

 

ざっくりまとめると、

 

人のことを「使える」「使えない」という人は

人をモノや奴隷みたいに思っている可能性が非常に高く、

それゆえにトラブルや問題をすぐ人のせいにするため、

成長できない可能性がある。

 

そんな人と一緒にいると、

一方的な考え方を押し付けられて、あなた自身も成長できなくなる可能性がある。

 

 

また、あなた自身も「お前は使えない」などと言われ、

自尊心を傷つけられて、辛い思いをする可能性があるだろう。

 

 

…まぁ、とはいっても「可能性」

つまり一つの考え方だから、

必ずしも全ての人が当てはまるわけじゃないけどね。

 

 

ただ、その言葉を耳にしたところで、

決して気持ちが良いものではないだろう。

 

 

また、こういう「使える・使えない」という言葉を言う人が

あなたの近くにいたときの対処法としては、

以下のようなことが挙げられる。

 

 

・相手から「あなたをモノ扱いする」

「あなたを雑に扱ってくる」気配が感じられたら、

できるだけ早くその人から離れる。

 

・あなた自身の直感を、他の誰の意見よりも再優先して信じる。

 

・あなた自身が嫌だと思う他人の言葉や

あなたが関わりたくないと思う人間の特徴などを、

リスト化してノートに書いておき、

「おや?」と思ったことがあったときに、すぐに確認できるようにしておく。

 

 

リスト化するのは個人的にすごくおすすめだ。

 

 

というのも、僕もご縁があって自分自身を見つめ直す機会があり、

自分自身にとっての「嫌なこと」を、

かなり詳しくリスト化することができた。

 

 

そのため、今は人の顔色よりも、

「自分の直感」や「自分ルール」を優先できるようになったのだ。

 

 

自分自身を正しく分析して

「自分ルール」や「リスト化」を詳しく書くにはどうしたら良いのか…

 

その話はまた後日書くとするとして、

 

 

人間関係においてちょっとでも違和感を感じたら、

「あなた自身の心の声を聞くチャンス」だと思って

 

「自分が言われて、

嫌な気持ちになる言葉は何なのか?」

 

「自分がされて嫌なことは何なのか?」

 

 

ぜひ考えてみてほしい。

 

 

 

さて、最後になるが…

 

 

もしあなたが、誰かから怒られたなどの理由で

「自分は『使えない人間かもしれない…』」

と不安になっていても、

 

 

それは全く意味がないことだから、今すぐ止めることをおすすめする。

 

 

というのも、

 

あなたが「他人から見て、使えるかどうか(支配できるか)」ではなく、

あなたが「あなた自身を使えるか(コントロールできるか)」という問題のほうが、

あなた自身の人生を生きる上で、よっぽど大事だからである。

 

 

他人に尽くしすぎて、結果、他人にコントロールされてしまい、

損をした気分になることはあるかもしれない。

 

 

しかし、あなた自身が自分自身をコントロールすることは

誰にも迷惑をかけないから全く問題ないし、

むしろ、あなた自身がより生きやすくなるかもしれない。

 

 

「自分自身を磨きたい!」と思ったときに、

自分自身の感情なり日々の習慣なり何かを訓練するなり練習するなり…

などなど自己コントロールしていけば

あなたの思い描いている目標や、理想の自分自身を形にしていけることだろう。

 

 

たとえすぐには実現しなくても、

できることをコツコツといけば、

いつかはきっとその努力が実を結ぶはずだ。

 

 

僕はそう思って、日々やるべきことをやっているし、

日々のちょっとした習慣も、途中で投げ出すことがないように、

大事なことをコツコツと、これからも続けていけたら良いな、と思う。

 

 

 

というわけで、ちょっと関係ない話になったけど、

 

あなたが、人を「使う」「使えない」と言う人間の話に耳を傾ける必要は全くないし、

あなた自身がそのような人間になってしまっては、

あなた自身の信用を自ら落とすことになるだろう。

 

 

もし、そのような言葉をあなたに投げかける人間がいたとしても

そんな人の言葉を真に受けることはない。

 

 

なぜなら、そのような暴言を吐くのは、

その人が全く自己コントロールができていない証拠だからだ。

 

 

あなたがもしそんな言葉を言われたら、

その人に対して

 

「自分自身でさえ『使えない(コントロールできない)』奴が、

人を『使える(コントロールできる)』わけないよね〜。」

 

とでも思っておけば良いだろう。

 

 

 

 

 

一方で、あなたがすべきことは…

 

一般的な判断基準や常識などではなく、

相手の話にも自分の心にも真摯に耳を傾けて

自分の人生を思いのままに楽しく生きられる!

 

 

そんな人間を目指していきましょう。

たった15秒のCMから学んだ「人に期待しないこと」

天海夜 煌琉ですよ。

 

 

今日は

「人や自分に対して期待しすぎないで、ストレスフリーな人間関係を築こう」

という内容で話していきたい。

 

 

 

 

先日、かつてお世話になった友人と久しぶりにお会いした。

もう最後に会ってから7〜8年くらいになるのかな。

 

 

一時期は体調を崩していたなどと聞いていたのだが、

相変わらずお元気そうな姿を見て安心したものだ。

 

 

人と会う時って緊張するし、

会う前も「以前のように楽しく話せるだろうか」

などと、ちょっと気後れしていた部分はあったのだが…

 

 

全く心配いらなかった。

 

ついつい話が弾んでしまった。

 

 

やっぱり波長が合う人って、

心から「合う」って気がする。

 

 

自分自身が全然無理していないというか。

 

 

元々辛くなった時はその人にしょっちゅう相談していたのだけれど、

他の人にはとてもじゃないけど言えないような、

自分の弱いところも嫌なところも

何でも曝け出せるな〜って思ってたんだよね。

 

 

そんな感じでお互いの近況や楽しかったこと、

最近熱中していることなどを楽しく語り合ったのだ。

 

 

 

その時に、とあるCMの話題が出た。

 

 

 

友人(以下、「Aさん」とする)

「なんとかペイっていうやつのCMでね。

 

石油王が出てきて、『これカードで払います』って言うの。

 

それで店員さんが『うち、現金だけなんですよ〜』って言ったら

 

『じゃ、いいですぅ〜』って言って行っちゃうのw」

 

 

…などと、それはそれは楽しそうに話すのだ。

 

 

 

その時の僕↓

(へぇ〜〜〜〜めちゃくちゃわかりやすい内容のCMだな〜〜〜〜〜〜笑)

 

 

 

 

 

正直言うと、僕はここ数年テレビなしの生活を送っている。

 

 

 

そのため、

残念ながら、CMのことを話されても…

 

 

 

全っ然わからないんだよね!!!!(泣)

 

 

 

でも、Aさんがものすごく楽しそうに話すので、

 

「面白そ〜〜〜〜〜〜〜〜!」

 

…とは思った。

 

 

ので!!

 

 

家に帰った後にすぐ調べた。

 

 

 

これか。

 

 

 

 

 

確かにこれは面白いwwwwwww

 

 

 

他にもいくつかパターンがあるらしいけど、

この石油王がでてくる15秒バージョンのやつ↑が一番好きかな(笑)

 

 

 

ヘリコプターから決済しようとするなんてエキセントリックすぎて最高だし

CM自体も10秒くらいで終わってテンポが良いし。

 

 

最高のCMだね!!

 

 

 

 

 

んで…それは良いとして…

 

 

 

このCMのことについて、Aさんと一緒に

「とあること」をテーマに話した。

 

 

以下のセリフはAさんとの会話になるが、

ちなみに僕はその時にはまだCMを見ていないので、

Aさんとの話から色々推測して、自分の理論を語っている。

 

 

ちなみにAさんとの話の内容はうろ覚えであるが、

大まかな内容としてご理解いただけたら、と思う。

 

 

↓↓↓↓↓

 

 

 

友人Aさん

「『そこをなんとか!』って引き下がることはしないんだよね。

 

『この店はカードに対応していないんだな』って思ったら

 

『じゃあいいですぅ〜』って、即決なんだね!笑」

 

 

コリュ(僕)

「そうですね。早めに判断することって大事ですよね。

 

僕もちょっと前までは嫌だなと思った人に対しても

『悪い人じゃないから…』などと思ったり、

良いところを探そうとしたりして、

自分が無理している状態をズルズルと引きずっていました。

 

でも、最近では

『あ、この人はこうなんだな。』って思ったら

スパッと(関係を)切れるようになりました。」

 

 

友人Aさん

「そうだね。『人に期待しない』って大事だよね〜!

それが一番、楽になれる生き方なんだよ。」

 

 

 

…と、

こんな感じで大変共感いただいたのだ。

 

 

 

そして、この友人Aさんの言葉により

僕自身がハッと気付かされることがあったのだ。

 

 

自分自身の何気ないセリフに、

「ストレスフリーな人間関係」の大きなヒントが隠されているのだ。

 

 

もしかしたら、あなたも僕(太字)のセリフを読んで、

なんとなく通じるものがあったのではないか?と思う。

 

 

 

もし共感できなければ、それはそれで良いのだが、

 

今まさに、周りにいる「合わない人」を

無理やり「良い人」に思おうとしてしまって

人間関係の悩みから抜け出せていない。

(しかもあなた自身がそれに気づいてない)

 

…なんてことは無いだろうか。

 

 

 

 

人に期待してしまう。

 

 

「この人は悪い人じゃない」などと

無理して良い方向に解釈しようとしてしまう。

 

 

確かに、人の良いところを見つけるのは大切なことだが、

「この人が良い人かどうか」

ということと、

「この人が自分にとって必要な人かどうか」

ということは、

必ずしもイコールにはならないのだ。

 

 

↑「良い人」と「必要な人」に対する僕のイメージ

(人によって違うかも)

 

というのも、「良い人」というのは

「必要な人」よりも付き合いが薄い場合の人を判断する事が多いだろう。

 

クラスメイトとか、職場の同僚とか、ご近所さんとか。

「あの人は良い人だよね。」みたいな。

 

まぁほとんどの場合、表面上で判断しているんだろうけど(笑)。

 

 

それが、もともとあなたにとって「必要な人」に対して、

「この人は良い人かどうか」を探るようになったら、

それは相手に対する気持ちが薄くなっている証拠であり、

無意識に「良いところ」を「期待」してしまうことだろう。

 

もしかしたらどこか「合わない」と感じているのかもしれないし、

あなたにとって本当に必要な人じゃないのかもしれないし、

良い人ですらないのかもしれない。

 

↑「良い人?」はあなたにとって「必要な人」だろうか?

 

 

そして、僕自身はというと、

自分はいちいちストレスを抱えながら、

そんなにたくさんの人となんて

とてもじゃないが、付き合えない。

 

 

だから、最近では自分の中で、ルールを設けるようになったのだ。

 

 

それは…

 

嫌われることを恐れて、無理に好かれようとするのではなく、

 

「『自分が無理をしているな』と感じる人とは付き合わない、

 深い関係を持たない。」

 

というルールだ。

 

 

 

このルールを意識することで、

自分の領域と他者の領域がはっきりするようになり、

人間関係が以前よりもずっと楽になったのだ。

 

 

※自分の領域と他者の領域をはっきりさせて、

変な人に振り回されない方法はこちら↓でも説明している。

 

 

そして、自分が楽になった事実を、Aさんとの会話の中で、

自分自身が発した言葉から気づいたのである。

 

 

 

「あ、僕が今Aさんと話していることがしっくり来ているのは、

自分自身が『Aさんに期待していない』状態だからか〜」

 

ってね。

 

 

逆に自分自身も、Aさんから何も期待されていないことがわかるから、

変に気を使ったり、過剰に自分自身を守ろうとする必要もなかったりするから、

すごく楽なんだなと気付いたのだ。

 

 

この「期待しない・されない」感覚を色んな人と共有できたら

「自分が心から付き合いたいと思う人」だけと、

付き合うことが出来るだろう。

 

 

では、自分が心から付き合いたい人だけと付き合うには、

どうすれば良いか?

 

 

それは、

CMの外国人男性のように、

「あ、この店(この人)はこうなんだな。」と思ったら

 

「じゃいいですぅ〜」

 

と即決して、次を探す潔さも必要ではないか?

 

…と思うんだ。

 

 

しかも、「期待しない」という考え方は

「関係性を切る」だけではなく、

逆に「関係性を続けたい」という時にも使える。

 

 

相手に期待しないで、

「この人はこうなんだ〜」って思ったら

それをあるがまま受け入れることだ。

 

 

相手にも苦手なこと、できないことはあるだろうし、

弱い部分だってある。

 

 

でもその弱い部分を突いて、

その人を従わせようとするのは、

本来であれば、良くないことなのだ。

 

 

なぜなら、基本的に人は、

誰かの命令や指図に従うことを嫌うからだ。

 

 

あなたも含め、誰もが皆、

自分で決めたことを選択して自分の道を進んでいきたいだろうし、

 

多少なり意見や好みが違っても、

あなたを一人間としての敬意を払ってくれて、

あなたの意見を尊重して受け入れてくれるような

「好きな人」と付き合っていきたいのではないだろうか。

 

 

 

 

「好きな人」ならば、その人に弱い部分があっても、

それ以上にたくさん魅力に感じる部分があれば、

「あ、この人はこうなんだな」って受け入れられるようになるし、

「じゃあこの人にはこう接しよう」と、

相手に配慮して行動することもできる。

 

 

 

相手に「完璧さ」を期待しないで、

ありのままの相手を認めて理解しようとすることで、

その相手と良好な関係を築いていくことが出来るだろう。

 

 

 

 

 

さて、こんな感じでまとめると…

 

今までの自分はある意味「無理していた」のだが、

今後は「無理しない」関係性を築いていきたい。

 

そのためには、

お互いに「期待をしない・されない」ことが

大切なんだなって思った。

 

 

 

 

…さて、繰り返すが、

僕は近年テレビを見ないので、

CMのことはよくわからない。

 

 

 

でも、個人的に好きなCMはこれだな。↓

 

 

 

 

セリフを噛んでいるのを撮り直さず、そのまま採用する。

 

このゆるさが良いというのもあるけど(笑)

 

なんというか、

 

「完璧にできなくても良い」

「自分に期待しすぎなくても大丈夫」

「ありのままの、等身大の自分でも許される」

 

 

それを小さな天使たちが教えてくれている気がするんだ。

 

 

“担々麺”が”鍛高譚(たんたかたん)”に

なっちゃったりなっちゃったりなんかしちゃったりしてもいいじゃないか!笑

 

 

それで日本全国の疲れ切った大人たちが笑顔になるなら!!!!

 

 

 

そんなわけで、

他人にも自分にも「”完璧”を期待しないこと」って

重要だよなって思ったんだ。

 

 

 

 

さて、以上で「人に期待しない」ことをテーマに、

2つのCMを交えながら語ったわけだが、

いかがだっただろうか。

 

 

紹介した2つのCMは純粋に面白いというのもあるけど、

今の「人に期待しすぎる社会」に

素敵な影響を与えてくれるんじゃないか…

と、僕は思う。

 

 

まー期待しすぎるのもダメだけどね!

 

 

それでも、「良いものは良い」わけだし、

ただ「面白い」で片付けるのではなくて、

そこから考えられることが少しでもあるのなら、

どんどん吸収して、凄まじいスピードで成長していきたいと思う。

 

 

あなたも「期待しすぎない」ように、

「あ、違う」と思った関係性はすぐに断ち切るなり、

「この人はこれで良いんだ」と相手を認めて受け入れるなりして、

 

相手が変わることを期待することなく、

自分や考え方や相手との関係性、

付き合いの仕方などを変えてみるように意識してみてはいかがだろうか。

 

 

 

 

ちなみに…

 

CMの子供たちじゃないけど、

 

僕も喋るのあまり得意じゃないから

 

たとえ噛んじゃったりなんかしちゃったりしても

 

菩薩のようにひろーーーーい心で許してね〜〜〜〜〜(笑)

あなたのやる気を78%くらい引き出す「じぶん熱機関の法則」とは?〜後半戦〜

無性妖怪「コリュ」こと天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だぞ。

 

 

前回は、高校物理で習う「熱機関」をモデルに

あなたの中にあるエネルギーを引き出し

より良いものを生み出すための「じぶん熱機関」

…という仕組みについて話した。

 

 

 

 

今回はその後半戦ということで

「あなたがストレスなく実現&継続するための考え方」

をテーマに話をしていきたいと思う。

 

 

さて、もう一度前回説明した「じぶん熱機関」の図を見てみよう。

 

 

 

これは、一つのことに偏ることなく、

真逆の性質のもの、様々なことを経験することで、

そのギャップからアイデアやエネルギーが生まれて、実現にもつながるよ!

 

…という話だったかと思う。

 

 

↑一例:「動」と「静」の性質をもつ経験の差から

エネルギーが生み出される

 

 

そして、前回は長くなるため説明を省いた、

この文章のタイトルである「やる気を78%引き出す」

 

 

今回は

「なぜ78%なのか?」

それを説明したいと思う。

 

 

 

 

78%…

 

これはすごく適当な数値であるが、きちんと意味があるのだ。

 

 

 

 

まず、結論から言えば、

 

「生きていく上で、何かを実現する上で、

あなたは100%を目指す必要なんて全く無いし、

そもそも無理な話なのである。」

 

ということだ。

 

 

 

 

ではなぜ、100%は無理なのか?

 

 

誰だって頑張れば100%の結果を出せるんじゃない?

 

 

そう思う方もいるかも知れない。

 

 

 

 

ここで、高校物理で習う

熱機関(カルノーサイクル)の話に戻ろう。

 

 

 

 

元々の熱機関では、

高温熱源Q1から低温熱源Q2まで、

熱量を何%仕事Wに変換できたか、

それを求めるための熱効率eを表す式がある。

 

 

熱効率eは

「熱機関が、高温の熱量Q1を、仕事Wに変えられた割合」

といった認識で良いかと思う。

 

 

得られた熱量Q1に対して、

逃げていく熱量Q2が小さくなればなるほど、熱効率が高くなるのだ。

 

 

その熱効率を表す式が以下の通りである。

 

e=1-Q2/Q1

 

ちなみに、このeというのは0より多い数字ではあるが、

1以上にはならない。

 

そのため、eは0<e<1となるのだ。

 

 

この熱効率eに100をかけたものが%になるので、

どの熱機関も、熱効率は常に100%より少ないということになるのだ。

 

 

 

 

よくわからない方は、「まぁこういうものなんだー」という程度で良い。

 

 

 

 

説明が長くなったが、

これはつまりどういうことかと言うと…

 

 

 

熱機関というのは、

100%を仕事に変えるのが不可能なのである。

 

 

 

これを僕が今回紹介した、

「じぶん熱機関の法則」に当てはめて考えてみよう。

 

 

 

 

あなたは何らかの経験を得た後、それをエネルギーに変えたとする。

 

 

一般的にエネルギーは、様々な意味があるだろうけど、

ここでは何らかのやる気が出たり、アイデアが思いたりして、

計画していることや頭の中にあるものを実現する力だと思ってほしい。

 

 

そのため、もし「じぶん熱機関」に熱効率eがあるとするならば、

「あなたが実現できる仕事の割合」

となるだろう。

 

 

ただ、この場合だと、さすがに公式を作ったところで意味がないので

感覚的な話になるのだが…

 

 

あなたという「じぶん熱機関」が

何かを実行したり生み出したりする上で

得られた知識や経験に対して、どれくらいの割合をエネルギーに変えられるのか?

 

 

それは…

 

「人によって違うけれど、絶対に100%なんてあり得ない」

 

ということである。

 

 

熱効率100%の熱機関があり得ないのと同じで、

100%の力をエネルギーに変えられる人間だってあり得ない。

 

 

実際にエネルギーというのは、

自分が思っているよりも89%くらいの人もいれば、

78%くらいの人もいるだろうし、

54%くらいの人もいるかもしれない。

 

むしろ30%に満たないけれど、

自分がストレスなく仕事ができるなら

少なくても良いと考える人もいるかもしれない。

 

 

 

というのも、

人はあらかじめ定めた目標通りにいかないこと、

予定していたとおりに行動できないこと、

理想通りの自分になれないこと、

そんなことは当たり前にあるのだ。

 

 

 

「絶対不可能」と決めつけるのも

いかがなものかと思うかもしれないが…

 

 

 

 

そもそも人間は完璧ではないのだ。

 

思っていたとおりに実行できないのが、むしろ当たり前なのである。

 

 

「本当はこうしたかったけど、これだけできれば今日は十分。」

 

 

それくらいのゆるさで

あなたが無理なく仕事ができるやり方を実現させていくことで、

身体的&肉体的な疲労やストレスが少なくなるだろう。

 

 

 

理想の自分は熱効率100%でサクサク仕事ができる。

 

でも実際の自分は熱効率78%くらいかもしれない。

 

 

あなたはそのように、

完璧にできない自分を責めてしまうことはないだろうか。

 

 

 

そうならないためには、

 

 

「出来ない自分、思い通りにいかない自分も受け入れて、

ありのままの自分を愛する」

という甘甘な自己肯定感

 

「これでいいやと思ったら、出来るだけ早く自分にGOサインを出す」

という緩々な実行力

 

そんな考え方を身につけることも大切だ。

 

 

 

 

完璧主義は身を滅ぼす。

 

 

仮にあなたという「じぶん熱機関」が24時間365日

ずっとずっと100%の仕事量で稼働していたら

一体どうなるだろうか。

 

 

 

 

きっと1日はおろか、1分…いや1秒でも休むことは許されないだろう。

 

 

1日も休まなかったらどうだろうか。

 

 

恐らく、

「じぶん熱機関」は故障してしまうことだろう。

 

 

それはつまり、

大抵の人は心や体を壊してしまうことになるだろう。

(当然といえば当然だが。)

 

 

しかし、今の日本では、

「長時間労働&長期間の連勤は当たり前」

「失敗しないのが当たり前」

「誰にも迷惑をかけないのが当たり前」

そんなよくわからない風潮が常識みたいになっているのが実情である。

 

 

そんな状況で、あなたという熱機関は

会社や上司にこき使われて、

誰にも嫌な思いをさせないよう、人に気を使いまくって、

失敗が許されないため必要以上の緊張感を抱いてしまって、

 

あなた自身が持っている貴重なエネルギーを

好きでもない仕事に浪費してしまっているのである。

 

 

しかも「完璧」つまり「100%」という、

本来のあなたができる仕事よりも、

無理な要求をされていることもあるだろう。

 

 

そんな状況で、あなた自身が本来持っている、

何物にも代えがたい価値…

それを生み出すことができるだろうか。

 

 

1年中ほぼ休まず稼働して…

失敗すらも許されない…

完璧であることが求められる…

 

 

そんな余白のない状況で仕事などをしたら、

あなたの心にも余裕がなくなり、

一体何のために生きているのかわからなくなるだろう。

 

 

 

 

そうならないためにも、

頭に入れておいてほしいことがある。

 

 

それは、

 

「私は常に100%の力を生み出すことなどできない。

もしそれが出来るなら、それは自分ではない別の何かだ。」

 

ということである。

 

 

熱機関だって100%はあり得ない。

「一部の熱が逃げる」という余白があるのだ。

 

 

 

 

上の図のように、

熱機関だって、高温熱源の一部の熱が、

低温熱源に逃げることができるのだ。

 

 

だから100%の仕事はできないわけだし、

それが当然なのだ。

 

 

あなたがもし、100%の仕事をしようならば、

完璧を求めるのであれば、

「逃げる」「休む」ことが許されない、

余白のない生き方となってしまうだろう。

 

 

それはつまり、

自分に優しい生き方ができなくなるということだ。

 

 

 

 

生き方だけじゃない。

 

完璧さを求めてしまうと、

それだけ実現させることが難しくなる。

 

 

理想と現実のギャップに悩んで、

やる気の低下に繋がり、

物事が続かなかったり、

夢を諦めてしまうことにもなるだろう。

 

 

 

そうならないように、

あなた自身の価値を最大限に活かすには

 

「どうせ完璧にできないから、やりたくでもできない」

 

などと言い訳して逃げられるような仕組みにはしないことだ。

 

 

「完璧じゃなくても、ちょっとでもやれた自分はすごい!!」

 

 

そんな自分を認めて、少しずつでもやりたいことを実現させていくことが、

一番自分に優しく、楽しい生き方となるだろうし、

あなた自身の価値も、最も効率良く世の中に提供できることだろう。

 

 

 

 

 

 

 

さて、ここまで前半戦と後半戦に分けて、

「じぶん熱機関」の法則について話したわけだが、

いかがだったろうか。

 

 

 

ぜひあなたも自分自身の振り幅を大きく、

様々な経験をしていき、

それらの経験のギャップから様々なアイデアを生み出し、

夢を実現させていってほしい。

 

 

そして、

その夢を実現する際にも、100%を目指さないことだ。

 

 

休んでも構わないし、逃げても構わない。

完璧じゃなくても、少しでも実現できれば良いわけだし、

予定より大幅に実現が遅れたって構わない。

 

 

自分自身ができるだけ楽に、楽しく夢を形にできればそれで良い。

 

「思ったより早く実現できたらラッキー!」くらいに思って、

失敗してしまったら引きずらずに、

また別の良い方法を考えれば良いのだ。

 

 

そんな感じで人生にも考え方にもスケジュールにも余白を持って、

78%くらいの力で、課題に取り組んでいきましょう。

 

 

あなたがそんな自分になるために、

「じぶん熱機関の法則」が役に立つと嬉しい。

 

 

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