悪口を言えば言うほど惨めになる理由

妖怪・性別知ラズ

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)見参!!

 

 

今回は

「悪口を言えば言うほど、惨めになる理由」

について考えていきたい。

 

 

 

 

僕はひっじょーーーーーーーーに寛大な性格なので

これまでに誰かの悪口を言ったことがない。

 

 

 

 

…といえば、もちろん嘘になると思うが(←オイ)、

なるべくなら悪口を言わないように意識はしている。

 

 

 

あなたがもし、どうしても人の悪口を言いたくなったら、

冗談交じりの皮肉やブラックジョークなら

笑いを生み出して生産活動にもなるので、良いと思う。

 

そこから新たな発見もあるかもしれないしね。

 

 

 

あと、誰かに対する悪口や批判により

あなた自身が学べることがあるのなら、

その経験から得た学びの内容をハッキリさせることで、

あなた自身が成長することもあるかもしれないよね。

 

 

 

それに対して、

誰かをただ罵るだけの会話、

文句や悪口だけを延々と言っている状態というのは

ハッキリ言って「悪」でしかない。

 

 

なぜなら、悪口というのは、

内容自体がネガティブなのはもちろんのこと、

視野が狭く一方的な見解により発せられていることが多いからだ。

 

 

いわば思考停止の状態なのだ。

 

 

思考停止からは何も生み出されない。

 

 

 

また、悪口を言うことのデメリットは、それだけではない。

 

 

「悪口を言うこと」があなた自身にとって毒なのは、

意識・無意識にかかわらず、

あなた自身の「とある感情」を無視している、

もしくは心の奥底に追いやってしているからである。

 

 

 

大抵、悪口というのは、

人の嫌な面が目についたり、

あなた自身が不快な思いをしたりした時に

発せられるものである。

 

 

その発言には当然、様々な形とはいえ、

「怒り」が伴うものだ。

 

 

これら全ての「怒り」の本質として

その「とある感情」が共通している。

 

 

 

それは、「嫉妬」である。

 

 

 

つまり、あなた自身の「嫉妬心」から目を背けたまま、

人の悪口を言っているということだ。

 

 

「嫉妬心」に向き合わないということは、

「あなた自身の本心と向き合わない」ということだ。

 

 

 

 

上の図のように、

悪口を言うと、一時的には気分がスッキリするが、

あなたの心の奥底に渦巻いている嫉妬心は

消えないままだろう。

 

 

なぜなら、その嫉妬心の影に隠れた

あなたの本心の願いや要求が

解決されていないからである。

 

 

あなたの本心がわかるのはあなただけだ。

 

 

本心の叫びにあなた自身が気づかないと、

この「嫉妬心」があなたの感情をコントロールするメイン装置として

半永久的に悪さをし続けることだろう。

 

 

 

さて、ここで、

「なぜ人は他者に対して嫉妬心を抱いてしまうのか?」

を考えてみよう。

 

 

 

その理由はぶっちゃけ、その人が報われていないからである。

 

 

もしくは、「自分ばかりが負担を強いられている」などと

被害者意識に囚われているからである。

 

 

 

例えば、あなたが真面目に仕事しているのに、

サボってばかりの同僚がいて、

しかも待遇も給料もあなたより良かったら

それは確かに嫉妬するかもしれないね。

 

 

怒りを感じて当然だ。

 

 

しかし、そんな時こそ、学びのチャンスだと思うことが肝心だ。

 

 

相手のことも、あなた自身も責めてしまうことなく、

「誰かと比べてしまっているあなた自身」に、いち早く気づこう。

 

 

もしかしたらその怒りや嫉妬心の中に隠れている、

あなたの無意識の本音は、こう言っているかもしれない。

 

 

「あの人は私よりも能力があって羨ましい」

「沢山お金もらえて良いなー」

「この会社こんな体制でよく社会で立ち回れているよね」

「俺だって運が良ければ、もっと認めてもらえるはずなのに」

 

…といった具合にだ。

 

↑俺もこんなこと言ってみてぇわ。

 

 

これらの本音に気づくことなく、

怒りがあなた自身を支配してきたら、

その怒りを相手や誰かにぶつけるのではなく、

 

 

一度冷静になって、あなた自身の本心に耳を傾けることが

重要ではないだろうか。

 

 

 

 

一方、人によっては「嫉妬」ではなく、

悪口の対象となる人の存在や発言が地雷となる場合、

その人がいるだけでストレスを抱えてしまうこともあるだろう。

 

 

その場合は、「悪口の対象となる人」の嫌な部分を

あなた自身に投影しているだけである。

 

 

相手に対して嫌悪感を覚えている部分が、

あなた自身の中にもあるから、悪口を言うのである。

 

 

例えば、

ランチをどれにするか決められなくて迷っているAさんを見て

Bさんが「早くしろよ!」とイライラしてしまう。

 

 

それでBさんが「あいつのウジウジしている部分が嫌」って

誰かにAさんの悪口を言うかもしれない。

 

 

ここで、Bさんが怒りを感じた原因は、

Bさんが「せっかちでイライラしやすい性質だから」とは限らない。

 

 

もしかしたら、Bさんが元々優柔不断な人である可能性も高く、

Aさんの嫌な部分を自分自身の中に見出している場合もあるのだ。

 

↑…………えっと…ソーキもてびちも豚肉なのだが…

 

 

その「嫌な部分」は過去の自分なのか、

現在の自分なのかはわからないけれど。

 

 

どちらにせよ、この出来事を客観的に見た時に、

「BさんがBさん自身を受け入れていない。」

と判断することも可能である。

 

 

自分自身を正しく愛せていないってことだね。

 

 

「他人は自分自身を写す鏡」だというが、まさにそれである。

 

 

自覚しているか否かに関わらず

あなた自身が抑圧させているあなた自身の嫌な部分を

相手の言動の中に見出しているということだ。

 

 

その事実を棚に上げて、

Bさん自身が自分の中にある「嫌な部分」を直視しないようにして、

「Aさんのこういうところが嫌」と

クレームをつけているだけであり、

根本的な原因を解決していないのである。

 

 

 

 

そのため、あなたが相手に対して嫌悪感を覚えたら、

悪口を言う前にまずはすべきことがある。

 

 

 

それは、

あるがままのあなた自身を受け入れること。

 

 

相手の全てを許せるようになれるには

まず、あなた自身の中にいる、

「あなた自身の小さな子供」を

優しく抱きしめてあげよう。

 

 

「自分には悪いところがある!」

「ここはダメ!」

「ここは直さなければいけない!」

 

…などと潔癖になる必要なんて全く無い。

 

 

自分にも他人にもダメ出しばかりしていたら

自分自身が辛くなるだけだ。

 

 

誰かの悪口を言うということは

あなたの中にいる「小さな子供」を傷つけているのと同じなのだ。

 

 

子供が求めているのは、海よりも深い愛情と、受容だ。

 

 

彼らのSOSにちょっとでも気づいたら、

人の悪口を言ってる場合じゃないよね。

 

 

彼ら…つまり「あなたの中にいる子供」を救うのが先だ。

 

 

 

 

 

最後にまとめると…

 

・言っても仕方がないだけの愚痴や悪口は、出来るだけ言わない。

 

・もしどうしても言いたくなったら、言う相手は厳選しよう。

 

・批判だけで終わらせず、何か学びを得るような形で考えていく。

 

・ネタとして冗談交じりに話すか、

 ブラックジョークで笑い飛ばすのは有効な方法。

 

・悪口を言うメカニズムは、「相手の嫌な部分≒自分の嫌な部分」を見出し、

 相手への嫌悪感を覚えている状態。

 さらに、相手を嫉妬心が湧き上がっている状態。

 

・嫉妬心が湧き上がったら、あなた自身の心が発している「本音」に気づこう。

 

・相手の言動に怒りを感じたら、

 「私は自分自身を愛せているだろうか?」と考えてみよう。

 

・自分自身にダメ出ししなくなれば、他人にもダメ出しをしなくなり、

 あなた自身が楽になる。

 

・どうしても耐えられない相手ならば、距離を置くなどの対策を考えるか、

 誰かに相談すること。

 

 

あなたも誰かに怒りを感じて悪口を言いそうになったら、

言葉の裏にある「あなた自身の本心」を探ってみよう。

 

過去の出来事でトラウマの原因となるものがあるのなら、

そこからヒントを得てみるのも良いだろう。

 

 

もしかしたら、その怒りは相手の問題じゃなくて

実はあなた自身に対してなのかもしれないし、

 

「本当はこんなルールに従いたくないんだ!」

 

「私はなんでこんな不遇を強いられているんだ!」

 

…などという、社会の仕組みそのものに対してかもしれないしね。

 

 

 

とはいえ、我慢は禁物。

 

 

あなた自身が気持ちを整理したり、

考えていることをまとめたりする目的ならば、

誰かに愚痴を聞いてもらうことは決して悪いことではない。

 

 

信頼できる友人に話をするか、

友人がいないのであれば、

全く無関係の第三者に相談するのも良いかと思う。

 

 

誰かの愚痴や悪口ではないけれど、

実際僕も自分自身の「性別違和」に苦しんでいた時は

「全く無関係の第三者」に相談したからね。

 

 

知らない人の方が自分のことを話しやすいので、

その点ではとてもおすすめ。

 

 

 

重要なのは、自分一人で何もかも抱え込みすぎず、

誰かへの怒りで、自分自身を傷つけないこと。

 

 

たとえ世間から悪口や批判の嵐を受けて大災害状態になったとしても、

「あなたの中にいる小さな子ども」は

何としても守り抜きましょう。

 

 

他にも、「悪口」や「他者からの非難」をテーマにした記事を

過去にはいくつか書いているので

もし良ければ参考にしてみてね。

 

 

全てのトラブルは「自分自身の問題」だけに注目しよう

こんにちは!

みんなの天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だよ!

…でも、現実的には誰のものでもないよ!

 

 

 

…………………さて、

今回は

全てのトラブルは「自分自身の問題」だけに注目しよう

ということで、持論を語っていきたい。

 

 

 

人間関係にはトラブルは付きものである。

 

 

 

異なる価値観の人間と関わっている以上、

これまでにトラブルが0だった!なんて人は

ほとんどいないと思われる。

 

 

いたとしたらどんだけモーゼなんだその人は。

 

 

 

↑自分が歩けばトラブルが避ける…なんて夢のような話だ

 

 

 

ところで、大抵の場合、

トラブルの後って個人の性格によって

問題への対処の仕方が変わると思う。

 

 

他罰的な人ほど相手のことを恨みに思って

自分は悪くない、相手が悪いと責任逃れをしようとするし、

 

逆に、自罰的な人ほど自分のしたことを後悔したり、

自分のことを責めてしまったり、

必要以上に相手に申し訳なく思ったりしてしまうことだろう。

 

 

 

ここで気をつけたいのが

「責める」ことと、「反省すること」は違うのだ。

 

 

自分を責めるにしろ、相手を責めるにしろ、

過去の出来事を延々と頭の中で繰り返しただけでは

反省したことにはならない。

 

 

 

だから、あなたがもし自罰的な人で

「なんであんなことをしてしまったんだろう…」

「自分にも悪いところはあるから…」

というように、自らを責めるような形で過去を悔やんでも

実はあまり意味がないのだ。

 

 

必要以上に気に病んでしまっても、

問題にきちんと向き合ったことにはならないし、

自分のことを客観視できるようにはならないし、

相手が行動を改めてくれるわけでもない。

 

 

嫌なことを忘れるのって難しいことだけど、

考えるだけ損なんだよね。

 

 

そこには「嫌なことがあった」という苦い思い出だけでなく、

「自分を理解してもらえない悲しさ」

「相手に恥をかかせられた悔しさ」

などの感情的な問題も混ざっているからだと思う。

 

 

まずは、例え自分が引き起こしてしまった問題と言えど、

「トラブルはトラブル、つまり一種の現象であり、

 私の人間性を完全に否定するものではない。」

と割り切ること。

 

 

その上で、自分で引き起こしてしまったことは

全て自己責任だと思うことだ。

 

 

その上で、

 

「これはここが悪かったね。では次はこうしようか。

 はい、終了。」

 

というように、反省点だけを明らかにさせて、

出来るだけ引きずらないことも大切だ。

 

 

僕も引きずりやすい性格なので

トラブルに対してのメンタル処理はかなり苦労するのだが、

 

結局のところ、「いつまでも引きずらないこと」が、

自分に対して一番優しい生き方なのだとわかったのだ。

 

 

それがなかなかできないので、

難しいと感じている部分もあるのだけど。

 

 

しかし、その過程で見つけた

「自分自身に降り掛かった全ての出来事に対する考え方」がある。

 

 

例えば、もしあなたがトラブルに見舞われてしまったり、

相手に悪気なく迷惑をかけてしまったりしたとする。

 

 

それはほとんどの場合、あなただけでなく、

相手にも何かしら問題がある場合だってあるのだ。

 

 

 

大概の物事は、両者が悪いのだ。

 

 

 

相手自身の行動も、あなた自身の行動も

それぞれが自分自身で問題を引き起こしたのならば、

相手もあなたも自己責任なのである。

 

 

 

例えば、職場の伝達ミスなどの認識違いによるトラブルが起きたとして、

これは一見すると、同じ問題を両者で共有しているように見えるのだが、

 

 

実は、両者が別々にトラブルを起こしたと考えることも出来る。

 

↑それぞれの問題が「同じ問題」として共有され、トラブルになる。

 

 

つまり、物事に対する両者の価値観・考え方の食い違いや、

コミュニケーションのミスによる思い違いの結果、

同じ出来事を共有する形でトラブルが起きたのである。

 

 

 

無理やりな具体例を示すと、

Aが自分のまんじゅうを会社の冷蔵庫に入れていたところ、

Bが食べてしまったとする。

 

 

それに気づいたAが

「俺のまんじゅうが食べられた!マジでコ○ス」と騒ぎ立てる。

それに対してBが「会社に私物置くなよプンスコ!」と反論する。

 

 

↑殺意剥き出しなA(右)、

責任感の欠片もなさそうなのがB(左)。

 

 

しかし、実際にこの問題の本質を考えると、

たまたま会社という同じ空間の場で起きただけのことであって、

 

Aはまた別の場所で別の人と、

 

↑まんじゅう一つで宇宙戦争の始まり?

 

 

Bもまた別の場所で別の人と、

 

↑さっさと謝っちまえよ。

 

 

それぞれ別々で起こしていた可能性のあるトラブルとも考えられる。

 

 

 

つまり、

「誰も他人の物には手を出さないだろうと、何も対策をしなかったA」と、

「誰かに確認することもなく、人のものを勝手に食べてしまうB」、

それぞれに問題があるわけである。

 

 

それぞれがお互いの改善点を見出さない限り、

それぞれがまた似たようなトラブルを、

どこかで起こす可能性があるだろう。

 

 

そうならないようにするためには、

AもBも各自がそれぞれの問題に対して、

「自分のこういう部分が問題だった」と客観視して、

「自分の改善点だけ」に焦点を当てて考えるのが

最も誰も傷つかない、平和な解決方法なんだよね。

 

 

ついつい「あいつが勝手にまんじゅう食うのが悪い。」だとか

「なんで自分のものに名前書いておかないんだよ。」だとか

人のせいにしたくもなるかもしれないが、

本来ならば、人のことはどうでも良いのである。

 

 

他人の問題は、その人が解決すべき問題なのだから、

自分がどうこう思うだけでは意味がない。

 

 

入ったことのない赤の他人の家の間取りを勝手に妄想して

 

「あの家、トイレが1つしかないから不便なんだよ!!!!

朝、お父さんがトイレで新聞読みだしたら漏れてしまうじゃないか!!!!」

 

などと勝手に怒っているようなものである。

 

 

↑トイレ掃除が大変だからトイレは1つで良いよ…(聞いてない)

 

 

 

自分がその家に住むわけではない、

つまり、誰も他人の人生をコントロールできるわけではないのにも関わらず、

人は他人のことをあれこれ批判的に考えてしまうのである。

 

 

 

考えたことを意見として相手に提案するのは良いけれど、

自分の頭の中で考えているだけでは時間と労力の無駄である。

 

 

 

 

というわけで、実際のトラブルが起きた時に一番重要なのは、

「自分はこういう傾向があるから気をつけよう」

と、自分自身の行動の反省点を冷静に分析しつつ

相手の行動の問題は相手が解決すべき問題として捉えて、

両者の問題をいかにして折り合いをつけて

再発を防止していくかを考えることである。

 

 

そして、ストレスのない人間関係は

相手の嫌なこと、してほしいことなどの妥協できる点を見つけながら

自分自身を納得させて

「相手はこういう人だからこのように対応していこう」

といった感じで、出来るだけ自分なりにストレスを軽減させながら

付き合う人を決めていくことだ。

 

 

他人には一切期待しないし、基本的には受け入れて諦める。

その代り、自分も受け入れてもらい、諦めてもらう。

 

 

それがストレスのないトラブル解決法と

お互いに歩み寄る人間関係の築き方である。

 

 

↑仲良く喧嘩しな。

 

 

一方で、

どうにも歩み寄る気にならない相手、

ストレスを感じる相手と判断したら、

離れるなり、環境を変えるなり

自由にしてよいかと思う。

 

 

ぶっちゃけ僕も、一方的にクレーム付けてきたり

人のせいにしてきたりする人とは

見限って離れることにしているから。

 

そしたら、人間関係がすごく楽になった。

 

 

基本的に、自分の問題は自分自身の課題として

責任持って対応していく。

 

 

それだけでOK。

 

 

ただ、例えあなたに苦手なことや問題点があったとしても、

それを上回るだけの魅力があれば大丈夫。

 

 

他の人があなたの苦手な部分をカバーしてくれるからね。

 

 

基本的にあなたは今のままで良い。

 

 

ただ、誰でも「もうこんな出来事はこりごりだ!」と思うことはあるはず。

 

 

嫌な出来事に再び遭遇しないためにも、

そしてあなたの人生がもっと良くなるようにするためにも、

自分にとって「どうしても嫌だ」と思うところだけを気をつけるようにして、

 

 

「自分がより良く人生を生きるようになるためにはどうすれば良いか」

「自分がより魅力的な人物になるにはどうすれば良いか」

だけを考えていけば良いと思うよ。

 

 

 

最後にまとめると…

 

・トラブルは両者の問題点がたまたま重なって引き起こされたことである。

 

・大抵のトラブルはどちらも悪い。

 

・自分の問題は自分の課題として考える。

 相手の問題は相手の課題なので、必要以上に考えない。

 

・人のせいにしたり、自分を責めたりしない。

 

・自分の非を素直に認めるには、

 「トラブル」と「自分の人間性」は切り離して考えること。

 

・相手の問題を勝手に想像して、あれこれ考えるのは時間と労力の無駄。

 

・穏便なトラブル解決方法は「両者が自分の非を認めて、謝ること。」

 どちらかが片方のせいにすると、わだかまりが残る。

 

・トラブルを通して相手を受け入れられないと判断したら、

 その人との関係を考え直す(離れる、環境を変える)のも一つの手。

 

・基本的にあなたは今のままで良い。

 改善点があるとすれば、「自分がより魅力的になれるか」

 「自分が生きやすくなるか」という基準でOK。

 

 

もしあなたが他人とのトラブルなどの

嫌な出来事を起こしてしまったら

今回紹介した方法を思い出してもらえると嬉しい。

 

 

例え今までどおり人のせいにしたり、

自分のせいにしたりしてしまっても

「問題点だけ」を意識するだけで、

少しだけ気持ちが楽になるはずだ。

 

 

あなた自身が成長するきっかけにもなるはず。

 

何はともあれ、

どんなトラブルが起きても、あまり深刻に受け止めすぎないこと。

 

 

ちょっとでも気が楽になれるように

「トラブルが起きたら、むしろラッキー!」

くらいに思うのも良いだろう。

2019年4月縄会@美ら縄アート

今宵も貴方を縄で官能と眠りの世界へいざなう

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)ですよ。

 

 

↑…今までそんな芸風だったけ?

 

 

 

まぁそんなことはともかく

 

 

 

平成も後もう少しで終わりだね。

 

 

まぁ令和になろうがになろうが

僕はいつもと変わらず過ごすんだろうけど。

 

 

世の中がお祭り騒ぎの時ほど

自分の心は静寂に

むしろ物事の目に見えない部分に注目する。

 

 

それが最近のモットーである。

 

 

さて、4月の縄会はこんな感じ。

 

 

 

縄が結ばれている状態と解かれている状態、

両方ございます。

 

 

ちなみにモデルは意図してこの格好をしているのではなく、

ガチ寝です(笑)

 

 

逆に僕はそれまで猛烈に眠かったのに

ハートに火がついたのか、なぜか覚醒してきたという(笑)。

 

 

ここまで気持ちよさそうにしてもらえると

逆に気持ちよくなるのはとても良いことだ。

 

 

リラクゼーション師やマッサージ師、

エステティシャンの気持ちがちょっとわかった気がする。

 

 

 

 

さて、2019年5月には有末剛氏によるイベントと

同氏をお招きしてのワークショップを行います。

 

 

 

 

 

 

個人的に僕はGW後に石垣島へ行く予定もあり

その後にこのイベントが待ち受けているので

早くGWが終わらないかなーと、ちょっと待ち遠しい気分だ。

 

 

(毎日が楽しいことには変わりないのだが、

GWだけじゃなくて、

国家や誰かが決めたイベントに左右されたくないなと思っている。)

 

 

ショーは純粋に楽しみだし

ワークショップは参加者の皆さんと一緒に

楽しいイベントにしていければ良いなと思う。

 

 

お問い合わせはこちら↓美ら縄アートさんのアカウントまでどうぞ。

 

 

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ていうか、縛られているのに眠くなるってマジで羨ましい…。

 

 

俺はかなりの神経質で

よっぽどの眠気が来ないと寝床以外で眠ることが無いからなぁ。

 

 

上↑のフライヤー画像にもあるように

有末剛氏によると、

「緊縛とは抱きしめること」とある。

 

 

緊縛されていると、

まるで母の腕に抱かれて眠る赤子のような気持ちになるのかな?

 

 

確かに釣り縄は揺り籠に似てるしな。

 

 

ちなみに個人的には、

何か悩み苦しみを抱えた人を癒やす、

セラピーとしての力が、縄にあると思っている。

 

 

縄セラピーなんて実現できると思うんだけどなぁ。

 

 

…何はともあれ、相手ありきの大人のお遊びなのだから、

アートとしての表現力やテクニックだけじゃなくて、

包容力も身につけていきましょうかねー。

「美しい人生」とは何か考えてみた

時々思うんだ。

 

 

「今この瞬間の私は、美しいだろうか」と。

 

 

「美しく生きられているのだろうか」と。

 

 

 

以前の僕は完璧主義な部分があった。

 

 

 

 

社会の規範や価値観に縛られていた時期もあった。

 

 

 

 

「こうであるべき」

「こうしなきゃいけない」

という考えが強く、

他者に対しても批判的になりがちだった。

 

 

自分の仕事や創作にも妥協を許さなくて、

「完璧じゃないと見せられない」

と、常に自分自身にダメ出しをしている感じだった。

 

 

しかしある時、

「完璧」を追求すればするほど、

確かに、目に見えるものの姿は整って満足するのだが、

それを代償に自分自身の心が離れていく感覚を

覚えるようになったのだ。

 

 

 

今は完璧なまでに整った美しさなど、一切求めていない。

 

 

 

私が求めているのは、「何かが欠損した美しさ」だ。

 

 

 

 

欠損した部分は、一見すると醜い姿かもしれない。

 

 

 

しかしそれは、どんな「完璧な美しさ」を凌駕するほどの

「美しさ」になる可能性も秘めているからだ。

 

 

欠損した醜さは「完璧な美しさ」も超越し、

「完全な美しさ」となるのだ。

 

 

それはまるで三日月が満月へと姿を変えていくようである。

 

 

 

太古から月の移り変わりの様子は

人々の心に潤いを与えてきた。

 

 

そこには「自己欺瞞な完璧さ」などは存在しない。

 

 

そこに存在するは、「万物が生み出した奇跡」である。

 

 

 

「完璧な美しさ」には「壁」がある。

 

 

 

「壁」というのは、この世に存在するものを

隔ててしまっているものだ。

 

 

 

国境、ルール、規則、常識、目標、人間関係、人々の心…

 

 

 

これらに壁があると可能性を追求すること、

限界を超えることが難しくなる。

 

 

 

対して、「完全な美しさ」は「全て」を包み込む。

 

 

 

それは母なる大地と海のように

壮大なエネルギーを秘めている。

 

 

 

私が求めているものは、「完全な美しさ」だ。

 

 

 

万物は絶えず変化している。

 

 

変化しているからこそ、刹那の瞬間が美しいのだ。

 

 

 

 

常識に囚われていると、自分自身の輝きが失われてしまう。

 

 

因習を繰り返していると、命の輝きが失われてしまう。

 

 

変化のないものは、本来、不自然なものだからだ。

 

 

 

私が求めている美しさは

 

「beautiful」ではなく

 

「breathtaking」だ。

 

 

 

…つまり、「息を呑むような美しい生き様」だ。

 

 

それはまるで夕日が沈んで海に溶け込み、

漆黒の闇が世界を覆い尽くす時のような

息を呑む美しさ…

 

 

 

 

 

 

その美しさは決して代わりがいるものではなく、

誰かに指図の下、作られるものでもない。

 

 

 

私は、私自身が自由な存在となり、

誰かの言いなりになる人生ではなく、

誰もが生きたことのない人生を歩みたい。

 

 

私は、一般的な人から見れば、私は何も功績を残していないし

褒められるような人生を歩んでいないことは明白だ。

 

 

理想だけを追い求めて、

もしかしたら、このまま万人に気づかれることなく

消えていく可能性だってあるわけだ。

 

 

 

それでも良い。

 

 

 

私は、万人に受け入れられようとは

全く思わないのだ。

 

 

たった一人でも

最高に熱烈な、

良き理解者だけを求めている。

 

 

 

この世界を

人々の心を

社会のあり方を

いかにして美しくしていくか…

彼らと共に考えていきたい。

 

 

 

そして私は、私にしか味わえない、

素晴らしく美しい人生を

生き抜いていきたい。

 

 

 

依存的な自分から脱するには…「〇〇生産機」になろう。

「みんなの”コリュ”」こと

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)でございます。

 

 

今回は、「依存的な自分から脱するために必要なこと」

について話していきたい。

 

 

最近はジャンル関係なく

いろんなコミュニティに参加して

様々な方と知り合う機会が多くなった。

 

 

しかし、そのような場所以外で普段生活していると、

なんとなく、価値観が合わないなー

と思う人と出会うことがよくある。

 

 

そういった、自分と価値観が合わない方々の共通点としては、

人生の貴重な時間、有り難い毎日を

「被害者意識」で過ごしているであろう方々が多い。

 

 

一言で言えば、「依存的」だということだろう。

 

 

そういう人って

自分にとって苦しい状況になってくると

「誰かがやってくれる」

「誰かがこの悪い状況を改善してくれる」

といった発想をしがちなんだよね。

 

 

まるで、スーパーマンが来るのを

ただじっと待っているだけの通行人Aみたいな。

 

 

 

↑ちなみにこの工場は商品だけじゃなくて

「自称・悲劇のヒロイン」も生産しているのか?

 

 

常に自分が被害者、可哀相な人でいたいというモブ感というか、

「自分の人生を自分の意志で生きている」

という感覚がなくて、

常に何かに巻き込まれる受け身な状態であり、

言うなれば、他人に人生を支配されている状態なのだろう。

 

 

もしくは、「自分の人生は自分で決められる」ということを

知らないだけかもしれない。

 

 

何かに対して文句をいうこと

他者に対して批判的になること

 

 

恐らくその人の周囲の人々も↑こういった行為をしている人が多いのか、

そんな習慣に対して何も疑問に思うことなく、

むしろすっかり身についてしまっているのだろう。

 

 

そして、時には、

「明らかにこうした方が良いのに、あいつらバカだな」

みたいな感じで、人を見下すこともあるだろう。

 

 

で、頑張っても自分が報われないものだから、

誰かの不幸を喜んでしまう。

 

 

芸能人のゴシップネタとか、ご近所さんの噂話とかに花が咲くのだ。

 

 

悪口の花が一年を通して満開なものだから

桜の時期じゃなくても花見ができるんじゃないかってレベルで。

 

 

 

さらに、自分に理不尽な仕打ちをしてきた人間に対しては

「ひどい目に遭ってしまえ」などと恨みに思ったり、

発散できないストレスを怒りとして周囲に撒き散らしたり。

 

 

そして、そんな自分を客観的に見て自己嫌悪になってしまい

また不満を感じては誰かに怒りをぶつけたりと…

同じようなサイクルに陥っているんだろうね。

 

 

 

 

というのは、かくいう自分も似たような感じだったからだ。

 

 

さすがに噂話は軽蔑していたものの、

なんとなく人の不幸話に惹かれてしまう面があったし、

親しい人や心を開いた人には

ついつい人の愚痴や悪口、不平不満を言ってしまいがちだったからだ。

 

 

 

今考えると、人に依存していた状態だったんだなって思う。

 

 

そうでもしないと、誰かに寄りかかっていないと

不安定な自分が立ち続けていられることはできなかったから。

 

 

思えば、思春期には

義務教育や学校という体制に不満を感じながらも

そこに甘んじていた自分がいたわけである。

 

 

子供の頃からかなりのコミュ障で

何をやっても人並みにできなくて、

皆と同じことをしようとすると、なんだか違う結果になってしまう。

 

 

こんな自分でも生きていけるのか、いつも不安で仕方がなくて、

将来自分がどのようになるかなんて全くわからなかったし

自分自身で夢を実現すべく動いてきたわけではなかった。

 

 

一日誰とも話さない日もあったし

ただただ今日という日が過ぎるのを待つだけ

 

一体何のために生まれてきたのか

自分は無価値で生きてて良いのだろうか

 

 

そんなことさえ考えていた。

 

 

 

しかし、沖縄で一人暮らしをするようになって

もう10年以上経つわけだが

「全てを自分でする」ということは、本当に大変だと実感した。

 

 

たまに実家へ帰ると

特に自分が何もしなくても、外食に行かなくても

母親がご飯を作ってくれるのだから

すごくありがたいなって思うんだ。

行きたい場所へも車で連れてってくれるしね。

 

 

 

そうやって食事などの身の回りの面倒を見てくれたり、

やりたいことをサポートしてくれたりする親がいて

雨風しのげる家があることって

それだけで幸せだったんだなって

今になって思うんだ。

 

 

ただ、自分を取り巻いていた家庭環境や学校の状況というのは

どちらかというと不健全だったと思う。

 

 

だから、ここ数年、

本当の意味で自立している人達と付き合うようになって、

自分の考えがいかにおかしいかに、気付かされるようになったんだ。

 

 

環境も変わって、付き合う人も変わったら、

なんだか毎日がすごく楽しいんだよ。

 

 

そこで、最近の僕は自分の人生をこのように解釈している。

 

 

「これは自分の人生だ。

 何があっても自己責任。

 付き合う人も今いる場所も、何もかも自分自身で選択できるんだ。」

 

って。

 

 

 

何が言いたいかと言うと、

「依存的な状況を脱するには、自発的に行動してみる」

ということが大事なんだよね。

 

 

「自発的に行動する」というのが今ひとつよくわからなければ、

 

 

 

あなた自身が「スマイル(笑顔)生産機」になることだ。

 

 

 

 

 

そうそう、スマイルを口から生み出して

そのスマイルが成長したら某戦闘民族に復讐を…

 

 

って違うわ(笑)。

 

 

そうじゃなくて、

 

「あなたが誰かを笑顔にさせること」なんだ。

 

 

何か皆が喜ぶ食べ物やお菓子を差し入れてみたり

ちょっとした冗談で笑いを取ったり

困っている人がいたら手を差し伸べたり

 

それだけで良いと思う。

 

 

別に何か特別なプロジェクトを発足して

沢山の人を巻き込んで…

など大掛かりなことをする必要なんて全然ないんだ。

 

 

「今、目の前にいる人に、

いかに喜んで(スマイルになって)もらえるか」

 

それだけで十分なんだ。

 

 

むしろ、復讐なんてもっての外だよね(笑)。

 

 

 

誰かを笑顔にすることさえも難しいと思うのならば、

 

「人の幸せを喜ぶ(スマイルになる)自分になる」

 

というのも効果的な方法だ。

 

 

例えば、

ファミレスなどの飲食店で、楽しそうに笑い合いながら

幸せそうな時を過ごしている子供連れの家族を見たら

ただただ「良かったね」と思う。

 

 

もしくはFacebookなどのSNSで

知人や友人の楽しそうな投稿、近況に

「いいね」をするのも良いだろう。

 

 

↑花見の花だって綺麗な方が「いいね!」

 

 

ただ、無理をする必要はない。

 

 

もし、あなたの中に怒りや嫉妬を感じてしまったら

それを否定することはない。

 

さらに、そんな自分を嫌になったり卑下したり

そんな必要も全く無い。

 

 

自分自身の感情だけに気づくようにしよう。

 

 

無理をして怒らない自分になるのではなく、

「自分の感情に気づく」ことが大切なんだ。

 

 

そうすれば、自分の感情に振り回されなくなる。

 

 

前回の記事↑でも述べているが、

あなたの心を傷つけるのは、他者ではなくあなた自身なんだ。

 

 

あなた自身の感情で、あなた自身の心のあり方が変わる。

 

 

それを自覚した上で、

これまでは何かにつけて不満を感じ、

人の悪口や愚痴を言っていたあなたの大切な時間を、

本当に価値あることに使うようにしよう。

 

 

もちろん、怒りを感じたら吐き出すことはしても良いけど、

「一度怒りを吐き出したら、後は闇雲に蒸し返さない」

などのルールを決めておくのも良いかもね。

 

 

モヤモヤの対処法に関しては

この辺↓の記事もぜひ参考にしていただけたらと思う。

 

 

 

 

なかなか思うようにいかないこともあるかもしれないけれど、

意識的に続けていくうちに、あなた自身の物事の見方が

ちょっとでも変わっていくはずだ。

 

 

今までどおりの自分で停滞していたら変化はできないけれど、

自分自身が変化するのを楽しむようになれたら

いろんなことにチャレンジできるようになれるし

正体不明な不安や怖れ、やり場のない怒りや不満など

ネガティブな感情も消えていくことだろう。

 

 

↑ハッピースマイル工場

 

 

というわけで今回は

あなたが「スマイル生産機」になる方法として、

 

・目の前の人を笑顔にすること

・人の幸せで自分が笑顔になること

 

という方法を提案してみた。

 

 

不満や怒り、ストレスで爆発寸前→白髪寸前にならないように、

「あなたのスマイル生産機がフル稼働するハッピースマイル工場」

を経営していこう。

 

 

 

ただーーーし

 

 

スマイル工場の労働環境はブラックにならないように

365日24時間じゃなくて良い。

 

 

スマイルも生産しすぎると機械の調子が狂って

逆に鬱になっちゃうかもしれないからね。

 

 

出来るときに、たまにはお休みしながら

少しずつ周りの人をハッピーにしていきましょう。

 

 

 

 

 

ちなみにこの人達…

 

 

 

 

もしかしたら僕のスマイル工場の従業員だったりして?

 

 

 

 

んなわけないかーーー♪

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