父の死が教えてくれたこと④ー本人らしく生きられたことが一番の誇りー

ジェンダレス妖怪”コリュ”こと

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だよ。

 

今回は、父親が亡くなった時の話の最終回…ということで

引き続き、考えたことを書いていきたい。

 

 

前回までの内容を読みたい方はこちら↓

 

 

 

 

 

 

父の遺体の火葬後、葬儀は一週間後に無事とり行われたようだ。

 

「骨だけだから良いよ」とのことで家族に気を使ってもらい、

僕自身は火葬前の立会のみで、その翌日に沖縄へ帰ったため、

葬儀に参加しなかったのだが、

今回の件で、以下のような疑問や学びがあった。

 

・父の死後、もしコロナが陽性(本当は陰性)と判定されていたら?

・世の中における過剰なコロナ対策が、一般の入院患者へ与えた弊害

・死に場所の選択や入院の拒否は、本人の意思を尊重されるべき?

・謎の現象(ただのミス?)に込められたメッセージ

・自分らしく好き勝手に生きて、皆に愛されながら一生を終えるということ

 

 

前回までに書いた内容の中にも、気付きや学びは色々書いてあるが、

今回をもってまとめることで、自分の中で最後の整理をつけたいと思う。

 

 

①亡くなったコロナ陽性患者の方々は、本当に「陽性」だったのか?

 

これは以前から調べている中で、疑問に思っていたことだ。

 

幸い父親は、コロナは陰性とされたわけだが、

それでも病院側の規則により面会が制限されていた。

 

僕の場合、もう少し早ければ、生前に一回会えるチャンスがあったのだが、

結局、今年父親と会ったのは、火葬の直前のみ…つまり亡くなった後である。

 

 

幸い、死後のPCR検査により、父は陰性と判断されたため、

対面ができただけでも幸運だと思うが、

もし仮に「陽性」と判定されてしまったのなら、お別れすらもできなくなる。

 

 

そのため、誤診での偽陽性や、水増し目的での陽性とされたのであれば、

火葬される前にどこかへ問いただす必要があると考えていた。

しかし、実際どこへ?誰へ?訴えれば良いのかわからないので、

もしそうなったらどうしようと、

道中の飛行機や電車の中で途方に暮れていたのだ。

 

 

結局のところ、杞憂に終わったわけだけれども。

 

 

しかし、仮に検査結果が「(偽)陽性」で、本当は陰性だった場合…

 

「最後のお別れの機会」すらも、奪われてしまうことになるのだ。

 

 

今、コロナで亡くなったとされる方は

死ぬまで家族が本人と会えず、

死んでからも骨になるまで対面できないと聞く。

 

 

しかし、その亡くなった方々は本当にコロナだったのか?

 

 

仮に、PCR検査で陽性と判定されたとして、

もしこの結果が陽性ではなく、偽陽性だったら?

 

もしかしたら寿命や他の病気で亡くなった可能性も十分有り得る。

 

 

とりあえず、PCR検査がなんなのかもよくわかっていないのに、

「陽性になっていないか不安だからPCR検査を受けたい!受けなきゃ!」

などと考えている人は、これ↓観ましょう。

 

 

 

 

陽性患者の最大90%の人には、ほとんどウイルスなど無い…。

 

ということは、ウイルスがほとんど無いのにも関わらず、

隔離されて死亡した人もいるということである。

 

そんなことで、家族として、人としての最低限の権利が失われることがあってはならないし、

もし死亡患者の本当の原因がコロナではなかったのなら、遺族は怒って当然かと思う。

 

ニュースなどを見る限り、死亡した患者のほとんどが高齢者である。

もし老衰による肺炎の死亡であれば、天寿を全うしたことになるし、

「陽性」とさえ判定されなければ、

遺族との最後のお別れも、無事に叶えられたことだろう。

 

 

コロナ陽性患者の遺族にとっては酷な現実となるかもしれないが、

本当なら叶えられた「一生に一度しか無い、最後の対面」は、

杜撰な検査によって台無しにされた可能性も考えられる。

 

 

自分は叶えられたからこそ、同じ家族を亡くした人々のことを思うと、

自らの利権しか考えない者たちへの怒りがこみ上げてくるのであった。

 

(コロナの利権云々についてはまた別の機会で)

 

②過剰な対策は、免疫力を落とすのではないか?

 

感染症に罹患した患者の場合、面会に制限があるのは仕方がないとは思うが、

そうではない場合の入院患者との面会時間も限られてしまっている。

恐らく、ほとんどの病院がそうだろう。

 

 

入院中の面会に関しては、

病院側も好きで制限を設けているのではなく、

政府からの要請であることは承知している。

 

そのため、病院側に対して、恨みの感情などは全く無い。

むしろ感謝しているくらいだ。

(僕は一度も担当医などに会ったことはないが)

 

しかし、家族の面会など、過剰な制限を設けることは

患者からコミュニケーションを奪い、

閉鎖された環境で先の見えない時間を過ごし、

患者の免疫を下げ、

生きる気力を失わせるのではないだろうか。

 

 

家族によると、リハビリテーション病院に移された数日後に面会に行ったら

どうやら父は不機嫌だったとのことなので、

「ほったらかしにされている」

などと、被害妄想に陥っていた可能性も十分有り得る。

 

筋力の著しい低下により、ほぼ寝たきりでろくに話すこともできないため、

「自分は一生このままなのか」

と、人生に絶望したかもわからない。

 

 

それでも、父は家で介護ができる状態にまでなっていたようなので、

本人の努力次第では、少しでも良くなるだろうと思っていた。

 

 

そのため、もし家族との接触が増えていたら、助かったかもしれない。

 

 

そう思ってしまったのだ。

 

 

③病院へ入院させることは本当に正しいのか?

(ちなみに③以降は、コロナはあまり関係ない。)

 

入院前、「好きにさせてくれ」と父が頑なに病院を拒んで、周辺整理をしだした。

普段から自宅で自作の謎の発明品?を作っていた父。

ちなみに発明家ではないのだが、

体調が極度に悪くなっている時でも、おかしな創作物を作っていたというのだ。

 

 

その様子を聞く限り、

「なんとしても自宅で死にたかったのだな」

と思った。

 

家族や親戚皆で説得するほど病状が悪化していたので、

結局入院することにはなったが、

病院に行きたくないという気持ちはとてもわかる。

ただ、最終的には本人自身も入院を希望したので、助かりたい気持ちが勝ったのだろう。

 

 

よく孤独死の問題が取り上げられるが…

「自宅で息を引き取れる」

ある意味ではそれも、本人にとっては一つの幸せなのかもしれない。

 

欧州では尊厳死や、本人の選択を重要視されるという。

 

ガンなど身体が蝕まれるタイプの病気ではなかったのだし、

早めに入院して治療していたら助かったのかもしれないが、

 

家族ともほとんど会えなくなる上に

赤の他人と一緒に自宅以外の場所で過ごさなきゃいけないストレスを考えると、

死に場所を自分で選んで、

不安や恐れ・苦しみと闘う方がマシだったのかもしれない。

 

しかし、それは本人にしかわからないし、

終わった後に「どうすることが良かったか」なんて

軽々しく判断できるものでもないだろう。

 

 

④どんな出来事でも「自分へのメッセージ」と捉えよう。

 

家族が父の扱いに閉口していた頃、僕はどうしたのかというと、

まぁ周りから見ればマイペースに見えるだろう。

 

父の容態が快方に向かっていた7月に帰省したのだが、

ちょうどその日に父はリハビリテーション病院に移ることになったと聞いた。

 

リハビリテーション病院で面会できると思ったら、

面会が月一回までしかできないというのを、まさに前日に聞いたのだった。

そのため、その時の面会も叶わなかった上に、

約一ヶ月後、容態が悪化した後も、結局、最後まで父と会うことはできなかった。

 

 

連絡を受け、7月に沖縄から実家の関東へ来た際、

容態が良くなってるようだし、面会制限でどっちにしろ会えないし、

母との駅での待ち合わせ時間もだいたい決めていたので、

「ちょっと気晴らしに観光でもするか」と、川越まで足を運んでいたのだ。

 

 

 

 

 

 

しかし、9月、亡くなった数日後、撮影した写真をパソコンで確認していたら、

保存したと思っていた写真の半分以上が消えていたことに気づいた。

 

もしかしたらSDカードからパソコンへコピーする際に

データの移行を失敗してしまった可能性もあるのかもしれないが、

普段、このようなミスはあまりしない。

 

データ移行後、カードのデータはすぐに初期化させてしまうため、

PCへののコピーが完了したか、ちゃんと確認するからだ。

 

PCへの移行前、カードにきちんとデータが入っていたのは間違いないので、

やはり移行に失敗した上に確認を怠ったとしか考えられない。

 

 

↑旧山崎家別邸で撮影した写真もほとんど消えていた。

建物はもちろん、ステンドグラスが美しかった。

 

めちゃくちゃ悔しかった。

悔しかったけれど…

 

今思えば、

「これはなにか意味があって起こったことではないか?」

とも考えるようになった。

 

 

僕自身、霊的な意味でのスピリチュアルな事象には半信半疑だが、

より良く生きる意味での、スピリチュアルな視点を持つことは重要なことと考えている。

 

そのため、もしかしたらそれが、父のメッセージだったのかもしれない。

 

…といっても、正直、どんなメッセージなのかはわからないけど。

 

 

もし、「俺はこの先あまり長くないから、後は頼んだ」的な意味であれば、

もっと早く気づいていれば良かったかもかもしれないな。

 

 

消えた写真には、川越氷川神社の風鈴などの写真もあったし、

すごくショックだったのだが、

川越自体、特別アクセスが悪い場所でもないし、また来る機会もあるだろう。

 

しかも、その日は雨が降っていたため、

川越までまた足を運ぶ機会があったら、天気の良い日に再度訪れたい。

 

再び訪れたその時に、今回のことを思い出すかもしれないし、

伝えたかったメッセージの内容もわかるようになるかもしれない。

 

 

 

⑤どんな人間でも愛される価値はある

 

父の火葬時に立ち会ったのはたった11人。

 

正直、以前は父親のことを本気で憎らしく思っていた時期もあった。

僕自身、元々が良い子ちゃん気質なので、表面は平静にしていたけど、

なぜ母親はあんな男と離婚しないのかずっと疑問に思っていたわけだし、

腹の中で「あの☓☓野郎」と罵っていたわけである。

 

しかし、地元から離れ、ここ10年くらいはどうでも良くなってきた。

一個人として父と接するようになって、

案外こちらに干渉してこない人物だとわかったからだ。

 

 

しかし、人間的には決して「できた人」とは言えない。

 

 

ワガママで、頑固で、気分屋で、皆が振り回された。

 

 

それまでは、自分の父親を恥ずかしく思うこともあった。

 

 

父親が尊敬できる人たちが羨ましくて仕方がなかった。

 

 

しかし、父親なんて尊敬できる人物じゃなくて良いと気づいたんだ。

 

 

それに、今回集まった人物は皆、父のことを愛していた。

 

 

これだけやりたい放題やって死を惜しまれるのならば、

自分だって好きなように生きていって良いはずだ。

 

ちょっと微笑ましくも思い、羨ましくも思えた。

 

それに、今考えると、

本人が、本人らしく居続けられたことが、一番誇らしい。

 

 

だから自分も、人の顔色を伺いすぎて自分を殺すことが無いよう、

悔いの無いように、好き勝手やって生きていこう。

 

 

 

それにな、こんなに変わり者で破天荒な親父とは

赤の他人だったら絶対に知り合うことすらできなかったかもしれない。

 

 

 

恥ずかしいからこれ以上は何も言わん。

 

 

代わりにこの曲を贈ろう。

 

 

 

 

A RI GA TO NA

 

 

 

父の死が教えてくれたこと③ー火葬場での珍事ー

ジェンダレス妖怪”コリュ”こと

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だよ。

 

 

今回は、父親が亡くなった時の話の続き…ということで、

父の遺体と対面した時の様子について

考えたことを書いていきたい。

 

 

前回↓

 

父の訃報を受けたけれども、

台風のために2日も沖縄から出ることができなかった。

 

しかし、火葬前日にやっと飛行機が飛ぶことになり、

中部国際空港から宿泊地である静岡を経由し、

当日は早朝に起きて地元・宇都宮まで向かった。

 

 

 

 

↑今回中継地として宿泊した三島のホテル

Hotel Gee Haive(ホテル ジー ハイブ)(2018年9月8日グランドオープン)さん。

 

 

おしゃれなホテルだったし、室内にはシャワー室がないが、

トイレはあるという面白くもありがたい造り。

 

 

シャワーは頻繁に利用しないから別にいいけど、

トイレは室内にないと不便だしな。

あと、洗濯機と乾燥機が無料で使えたのもありがたかった。

 

 

朝早く出たため、朝食ビュッフェにありつけなかったのは心残りであるが、

ぜひまた利用したいと思う。

 

 

 

 

緊張からか、ほとんど眠れなかったけれど、

当日は朝早く無理やり起きて、

ガラガラの鈍行グリーン車で実家へと向かう。

 

 

 

 

ちなみに、下調べによると三島などはホームでグリーン券が買えないため、

SUICAに書き込む形ではなく、窓口で切符を購入したのだった。

 

 

 

 

父との対面は思ったよりあっけないものだった。

 

 

10年ちょっと前に亡くなった祖母の場合は、

死後から遺体が自宅に安置されていたので、

最後まで皆でずっと一緒にいられた記憶がある。

 

そして、母方の祖母のときは、葬儀場に前泊したのだが、

その時から遺体が近くにあり、最後まで祖母と皆と一緒にいられた。

 

 

そのため、今回はまず家に遺体が無かったのが驚きだったし、

火葬場まで赴いても、火葬の時間まで本人と対面できなかった。

 

 

献体を行った関係もあるのだろう。

 

 

 

それでも、今コロナで遺体と対面できなかった人もいる中、

顔を見られただけでも幸運なことだ。

 

 

 

父方の祖母が亡くなった時の父は、祖母の側から離れようとせず

「お母ちゃん!!お母ちゃーん!!」

とずっと叫んでいたのだった。

 

 

その様子だけ見れば、何も知らない人からは

「ずいぶんお母さん思いの息子さんなのだろう」

と思われるに違いない。

 

 

しかし、正直なところ、家庭は機能不全家族だった。

 

 

生前の祖母と父との親子仲は良いとはいえなかったし、

「お母ちゃん」なんて呼んでいたのも聞いたことがない。

 

 

その姿を痛ましく思いつつも、

 

「そのおかげでこちらがばーさんに迷惑かけられてたんだし、

死んでからじゃ遅いんだよ」

 

とも思ったものだが…

 

 

今思えば、それからだ。

 

 

父が徐々に元気を無くしていったのは。

 

 

 

見た目は年齢よりもだいぶ老けてしまったが、

外で飲み歩いたり、周辺を散歩したり、

なんの役にも立ちなそうな安いものを買ってきては家族に呆れられたり…など

本人なりに楽しそうにも見えた。

 

 

しかし、近年はずっと家にいるようになっていったので、

もしかしたら寂しかったのかもしれない…

 

 

そう考えるとだんだん可哀想に思えてきて、

ここ数年は以前ほど憎らしく思わなくなった。

 

(こちらが憎らしく思っていただけであり、親子仲は別に悪くない)

 

 

 

 

 

遺体との対面時、父親はえらくやせ細っていた。

 

 

 

なぜか目と口が半開きだったのだが、

当然ながら瞳孔が開いているので、

やはり「死んじゃったんだな」と思った。

 

 

口が開いていたのは、何か言いたかったからか?

 

 

しかし、当然ながら、返事がなかった。

 

 

肺炎なら苦しかったろうね。

 

 

後日、著名な先生のYoutube動画の中で、

「老衰で亡くなるほとんどの高齢者の最終的な死因が肺炎であり、

他の死因と比べれば、比較的苦しくない」

と説明があったので、まだ気が楽になれたものだが…

(どの動画かは忘れたので思い出したら貼っておく。)

 

 

 

それでもまだ死ぬ年齢としては若いと思われたし、

 

毎日大量の酒を飲んでもピンピンしているんだったら、

一度は一命を取りとめたくらいの強い悪運があるんだったら、

きっと乗り越えることができたろうよ

 

そう思ってしまうのだった。

 

 

 

身体はシーツで覆われていたので、足は見られなかったが、

母の話によると、骨が見えそうで抱えたら折れそうなくらいだったとのこと。

 

 

皆で棺桶に花を敷き詰めて、

皆で棺の蓋を締めて、

これから遺体を火葬炉に入れると、係の人から案内される。

 

 

「これで最後か…さようなら」

 

そう別れを告げながら

棺が炉の中に入っていくのを静かに見送ろうとした。

 

しかし、その時、不思議なことが起きた。

 

 

 

 

 

台車で棺を入れる際に、何かが引っかかったようで、

スムーズに入らなかった。

 

 

係の人に「少々お待ちください。」と言われ

1〜2分ほど待つことになった。

 

 

「嫌がってんのかな、最後まで往生際が悪いのも親父らしいな」

 

 

場違い的な表現になるかもしれないが、

こんな感じで皆が少々ほっこりする光景も見られた。

 

 

オカルト的な話を信じるわけではないが、

父親の霊が本当に邪魔をしていたのだったら面白いと思った。

 

 

かなり前向きに捉えるならば、

父はひょうきんで堅苦しいことを嫌う面もあったため、

少しでも皆の笑顔を見ようと、場を和ませてくれたようにも思えたし、

 

なぜか遺体となった本人と対面した時よりも、

本人を最も近くに感じられた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで係の方にまで

ワガママ親父が迷惑をかけてしまったわけだが、

最終的には無事、火葬炉に入れられた。

 

 

それでもこれまで、涙は一滴も流れなかった。

 

 

それよりも、あの父親のために、

こんなにも皆が悲しんでくれることに、心からありがたいと思い、

なんだか泣きそうになった。

 

 

 

そして、待合室への移動のため、一旦その場から去りゆく際に、

心の中でこうつぶやいた。

 

 

 

「今までありがとう」

 

 

 

火葬中の待合室で食事をすることになったが、

ソーシャルディスタンスとして席が図のように配置され、

妙な距離感を感じ、なんだか余計虚しくなった。

 

 

 

 

 

その際に道中の浜松で買った味噌饅頭を皆に振る舞うことになり、

 

「お菓子まで準備している時間がなかったから助かった!」

 

と家族から大変感謝され、大変驚いたのだった。

 

 

 

↑こちらは饅頭じゃなくて、自分用に買っておいた安倍川餅。

 

 

 

 

↑美味かった。

 

 

 

本当に自分は今回、何もしていない。

 

父の生前の世話にしろ、葬儀の準備にしろ、

皆家族がやってくれたことだ。

 

むしろ饅頭しか買ってこなかったから、

他にもなにか買えばよかったと申し訳なく思った。

 

 

こうして、最終的には無事に火葬が済んだのだが、

一度骨粗鬆症で入院したにもかかわらず、

思ったよりも骨が元気なようにも思えた。

 

 

夜は久しぶりに母と兄と家族3人で食事ができて、

ちょっとだけ楽しかった。

 

 

本当はもう一日家にいたかったのだが、

台風により前倒しで翌日帰ることになり、実質一泊になってしまったわけだし、

慌ただしくはあったが、家族との貴重な時間を過ごせた。

 

 

葬儀は骨葬となるわけだけど、一週間以上も先となるし、沖縄での生活もあるし、

「最後のお別れ(今回の火葬)は、一生に一度のことだから、

会えなかったら後悔するだろうけど、

お葬式はお経読むだけだから来なくて大丈夫だよ。」

と気を使ってもらえた。

 

 

また、四十九日の日程も決まっているとのことで、

「納骨はどっちでも良いけど、コロナがあんまり酷かったら無理しないでもいいよ」

とのことだった。

 

 

お世話になっている寺は、まぁ所謂コロナ脳ってやつで

「ソーシャルディスタンス!!三密回避!!マスク!!」

を徹底しているとのことで、そちら様にも気を使っているように思えた。

 

 

まぁ確かにその話だけ聞けば、

その人達は県外者を怪訝に思うタイプかもしれないな。笑

 

 

しかし、身内の弔事に他人の価値観など全く関係ない。

毎日報道されている数字は全くのデタラメだし。

 

葬式に出られない分、なおかつ皆とゆっくり過ごせなかった分、納骨の際も帰省して、

改めて一つの命と向き合っていく所存だ。

 

 

それに、納骨の時は施設での食事はしないだろうから、

その時は皆で外食して、肩寄せあって食事を楽しめたら良いなぁ。

 

 

政治家だって「ディスタンスなし、三密なし、マスクなし」だし。爆

 

 

 

 

↑激しく同感。

 

 

 

次回へ続く。

父の死が教えてくれたこと②ー献体に協力した結果…ー

ジェンダレス妖怪”コリュ”こと

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だよ。

 

 

今回は、父親が亡くなった時の話の続きということで、

「献体」に協力したことの話をしたいと思う。

 

 

 

 

とはいっても、献体をお願いされた時の状況などについては、

自分はその場に居合わせていないため、

家族による対応になり、ほとんど伝聞による情報になる。

 

今回は僕は家族の言うことを信用して、自分が感じたことを書くことにしたわけだが、

僕が直接経験したことじゃないので、信じるか信じないかはお任せする。

 

あと、医療関係者じゃないから、医学の知識はほとんど無いに等しい。

そのため、今ひとつわかってない部分もあると思うので、その点ご了承いただけたらと思う。

 

 

前回↓

 

 

 

まず、父の死亡時、

担当医から献体をお願いされたときに、家族は誰も反対しなかったという。

 

 

それは理由があって、

その一ヶ月前、最初に運ばれたときに、命は助かった。

その際に医者から、献体に協力する可能性を聞かされていたからだ。

 

 

生前からすでに献体をお願いされていたのは、

発症した病気と、それに伴う症状が、ちょっと規格外だったからだ。

 

 

 

明らかにやせ衰えてしまい、自力で動けないほどになってしまったが、

頑なに病院行きを拒否する父。

家族は、拒否し続ける父親を、やっとのことで入院させることができた。

 

 

 

そこで下された病名は「ケトアシドーシス」および「ウェルニッケ脳症」。

これらはアルコール依存症の患者に見られる症状なのだとか。

 

 

しかし、父親の場合、一般的な症状と異なる部分があったのだ。

 

 

母親によると、

アルコールの飲み過ぎで、肺に穴が開いて食道などに漏れているとのこと。

加えて栄養失調の状態なので、完治は難しいようだ。

 

 

しかし、アルコールが原因で縦隔気腫になることは、殆ど無いらしい。

 

 

その症状が、医学的の研究のための重要なケースとされたようで、

その時点では一命を取りとめたものの

医者から「もしもの場合は献体をお願いするかもしれません」

と言われたとのことだった。

 

 

 

そして、病気により、当初は脳が萎縮している可能性も示唆されていた。

退院したとしても、要介護の状態となるだろう。

 

 

 

しかし、父親はアル中患者に見られるような手の震えなどの症状が見られたことはないし、

うつ病や認知症などの症状もない。

その点なども、珍しいとされたかもしれない。

 

 

 

さらに、感染症の疑いがあり、検査もされた。

 

 

 

感染症というと、現在では”コロナウイルス”がまっ先に思い浮かぶのだが、

正直なところ、当方、自らがこれまで得てきた様々な情報により

コロナウイルスの感染者数や死者数、PCR検査のいい加減さを疑っている。

 

そのため、これで感染者として水増しされたら色々面倒だなと思ったのだ。

(そもそも、陽性者=感染者じゃないし…)

 

 

コロナに関しては、今回は本題じゃないため、

情報に関しては色々あるのだが、とりあえずわかりやすい記事としてこちら↓を貼っておこう。

 

 

 

なんでもかんでも鵜呑みにするんじゃなくて、

興味を持ったこと、疑問に思ったことを自分で調べて確かめること。

それが一番大事。

 

 

 

 

…というわけで話がちょっと逸れたが、

父は一体何の感染症になったのだろうか?

 

 

 

「結核だって。」

 

 

 

 

結核???

 

 

 

結核って…夏目漱石とか中原中也とか昔の偉人が亡くなった病気のイメージ。

 

 

 

 

コロナが流行ってるとされる中で、他の感染症の話を聞くのも久しぶりだが、

年齢がいってる人は今でも結核菌が残っているとのことだった。

昔の病気ではなく、今でも羅患する人が多数いるらしいから、油断は禁物だね。

 

 

 

しかし、話を聞いた時は、安心したのと拍子抜けして笑ってしまった。

まぁその診断をされた時は、容態が安定、快方に向かってたからね。

 

 

 

 

 

こうして、色々な病名が付いたようだけど、

一ヶ月後、最終的に容態が急変して亡くなった時は「誤嚥性肺炎」。

多くの高齢者の死因でもあるようだ。

老衰ならわかるが、年齢が60代後半と若いので残念に思う。

 

 

 

 

そして、死後、改めて医者から献体のお願いをされたわけだが、

一度は助かった命で、事前にお願いされていたことにより、

家族皆、すんなり受け入れられたという。

 

 

 

すると、了承した際に、担当医が浮足立っていて、

「早速署名してください!」とのことだった。

 

 

その反応からして、献体に協力してもらえること自体、

ほとんど無いのでは?と見受けられたそうだ。

 

 

通常は遺族の気持ちの整理がつかない状態で病院側から依頼するので、

そんな状態では依頼をしづらいことでもあるし、

泣きながら「すみませんが…それはちょっと…」などと断られることも多いのだろう。

 

 

 

前回でも言ったが、

父は10年以上、休肝日無しで5合も酒を飲んでいた。

 

まぁこれだけ不摂生していれば、今回のように、何らかの病気になるのは当然だろう。

 

特に、それだけ長年大量のアルコールを摂取していれば、

肝臓が悪くなっている可能性もあるし、

ウェルニッケ脳症ならば、脳にも何らかの影響があるはずだ。

 

 

…と思われた。

 

 

しかし、実際、献体を行ったことで、

 

 

「肝臓はめちゃくちゃ元気」

「脳も萎縮している様子はない」

 

 

という驚きの事実を聞かされたのだ。

 

 

念の為、PCR検査(個人的には無駄だと思うけど…)もやってみたが、

もちろん陰性。

 

 

肝臓も悪くなってなかったし、

かつて患った脳梗塞の影響なのか?脳には傷はついていたようだが、

しっかりしていて、元気だった。

 

 

そのため、その結果から判断するに、

ウェルニッケ脳症なのに、脳は元気なのか?

特例のケースなのか?

そもそもまた違う病気だったのか?

 

色々疑問が湧くのだけれど、自分でも色々調べてみたいと思うし、

献体による研究結果が学会で発表されるようだ。

 

医学の進歩に協力できたことは、父もきっと誇りに思うことだろう。

 

 

 

献体の後、家族が結果を聞かされて帰る際には、

たくさんの医療関係者からの盛大なお見送りがあり、

 

「ありがとうございました!」

 

と、深々とお辞儀をされたのだとか。

 

 

 

というわけで、今回の献体は生前の本人の了承は特に得ていなかったようだが、

かといって拒否していたわけでもないし、

家族の話によれば、「やって良かった」と大変満足した様子。

 

 

どんな発表がされるのか、個人的にも内容は気になるし、

論文などはネットでも見れるようになるのだろうか?

ちょっと楽しみでもある。

 

 

 

それに、献体をしてもらったことで、自分としても一つの気づきがあった。

 

 

 

父は過去に病気を患ったことがあるとはいえ、

僕はアルコールを飲んでばかりの父親を、軽蔑していた部分もあったからだ。

 

 

だんだん、「もうどうなっても本人の自由だから別にいいか」と思い、

どうでも良くなってきたのだが、

ほぼ一日中飲酒している割に、ご飯などはあまり食べずに、

おかずを譲ってくれることが多くなったので、

さすがに心配に思うこともあったからだ。

 

 

今回の結果により、本人の生活習慣が病気の原因となったかもしれないが、

必ずしもアルコールが内蔵の状態を悪くするわけではないことがわかった。

 

奇跡的にも呼吸器以外がほぼ健康だったことは、

本人の名誉として報われたかもしれない。

 

 

そのため、僕自身も、

「一つの側面や視点だけで、物事を決めつけることは良くない」

とわかったのだった。

 

 

それに、健康な生活を意識していても、病気になっちゃう人はいるしね。

その場合、もしかしたら、

食生活に制限を設けているのがストレスになっているのかもわからない。

 

僕もオーガニックの野菜を選んだり、無添加の商品を選ぶようにしているが、

あまり神経質にならず、ほどほどにしたほうが良いのかもしれないなぁ。

 

 

 

 

最後に、家族が献体をやって良かったと思った、もう一つの理由がある。

 

 

今回は台風など諸々の影響で、僕が実家まで帰るための移動が遅れた。

 

 

お坊さんのスケジュールなどの関係で、今回は火葬を先に終わらせて、

骨葬にするとのことだったが、

どう頑張っても火葬が行われる前日の夜か、

当日の午前中にしか到着できそうになかった。

 

それを受けて、家族も火葬の日程を決めてくれたようだが、

もし献体をしていなかったら、火葬まで間に合わなかったかも?とのことだった。

 

 

つまり、献体をしないと、火葬する日が早まってしまうため、

最後のお別れの立会に、僕が間に合わなかった可能性もあった。

 

 

その意味でも、献体をやって良かったと思ったそうな。

 

 

わざわざ遠く離れた沖縄には好きで住んでいるわけだし、

家族や地元の人に監視・干渉されない自由が最高だと思っている。

 

 

一方で家族の死に目に会えない、天災等で一歩間違えたら火葬にも立ち会えないし、

家族との合流も遅れる、

今回のように伝聞による情報がほとんどなので、終始実感が湧かず、

取り残された感覚や無力感を覚える…

以上のようなリスクも全て理解して、自らの人生を選んでいる。

 

 

これだけわがまま放題やってるのは、自分も父とあまり変わらない。

それでも変わらぬ家族の優しさに、ありがたさを感じたのだった。

 

 

 

また、今回のメインとなった「献体」に関しては様々な考え方があると思うし、

亡くなった人物も遺族も報われる方法として、何が正しいのかはわからない。

 

 

しかし、臓器移植のように、本人の意志は特に必要がないため、

もしあなたが遺族としてお医者さんからお願いされた場合、

特に抵抗がなければ、了承してみるのも一つの尊い選択だろう。

 

医学の進歩に協力もできるし、

亡くなった本人にとっても良い結果になるかもしれない。

 

 

↓次回へ続く。

 

 

 

父の死が教えてくれたこと①ーワガママ親父の入院拒否ー

ジェンダレス妖怪”コリュ”こと

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だよ。

 

 

実は先日、コリュの父親が亡くなった。

 

 

当然、失ったことの悲しみはあるけれど、

得られたこと(気づきや課題など)も多かった。

 

 

本日、9月8日は父の誕生日。

生きていれば68歳。

 

現代では100歳近い年齢でも元気な方も多いため、

死ぬにはまだまだ若すぎるというのもあるが、

こうして数字をまじまじと見ながら考えると、

自分とは意外とその半分以下しか、人生を共に過ごしていないことがわかった。

 

 

祖父母ではない、初めての肉親の死…

家族の死を受けて考えたこと、わかったことがたくさんある。

その内容を記録も兼ねて、何回かにわたって整理していきたいと思う。

 

 

 
 
 
 
 
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まず、訃報を受けたのは2020年8月31日。

 

その2日前からすでに容態が悪化して、

いつ亡くなってもおかしくない状態との連絡が来た。

 

 

ただ、メッセージのみで特に電話などもなかったので、

なんとなく大丈夫なのかな?という期待を持ってもいたのだ。

 

 

幸い、その際はちょうど、

信頼している理学療法士さんのメンテナンスを受けるついで旅の計画を立てていたため、

行き先が中部国際空港にはなるが、飛行機は取っていたのだ。

 

 

台風9号が来るとなると飛行機も欠航になる可能性もあるし、

2日ほど動けなくなるのが厄介だが、

それでも数日間もってくれたら、会うことはできるだろう…

 

それよりかは、メンテナンスの予定もあるし、

万が一台風の影響で9月2日の便も出なかったら厄介だ。

 

 

そんな感じで、ゆるく考えていたというか、

後ほど説明する入院までの経緯の事情もあり、

「今回も大丈夫なんじゃないか」と回復への希望を抱いていた。

 

 

しかし、乗る予定だった31日の便が欠航になり、

わずかに出ている31日朝の便も満席。

 

当日朝早く起きて、わざわざ空港まで行って、

唯一空きがある鹿児島行きへの振替が可能か聞いたが、

結局、元の便から「行き先変更」としての振替はできず、新規購入でしか対応してもらえないそうだ。

元の便もツアーで取っていたため問い合わせ先がANAのデスクとは異なり、

無料で取り消しができるか確実でないため、

その日は断念して台風に備えて帰宅することにした。

(もちろん、悪天候が理由なら便の取り消しはしてもらえるはずだが、

早朝だとツアーの問い合わせ先が受付時間外だったので、確認ができなかった。)

 

午後は午後でANAツアーの問い合わせ先に振替の便の変更をしたり、

台風の買い出しをしたりなどして慌ただしく、

風の勢いが強まる中、夕方にはいつの間にかベッドで寝落ちしてしまった。

 

 

その間に母親から訃報のメールが入っていたのだ。

 

すぐには何も返せなかったが、「お疲れ様」と言っておいた。

 

涙は出なかったが、なんだか悔しかった。

 

何も力になれなくて申し訳ないという気持ちもあったし、

自分の無力さを感じた。

 

 

 

 

 

しかし、仮に31日の鹿児島行きの便に乗れたとして、

飛行機や新幹線などに乗り継いだとしても、面会に間に合ったとは到底思えない。

 

 

連絡があったのが2日前の夜だったのだから、

前日の便に前倒しで乗れたら、それがベストだったかもしれないが、

いずれにせよコロナ禍だからか、家族ですら常に近くで付き添える状況ではなさそうだったので、

生前に会えた可能性は低かったと思われる。

 

それに、先にも言ったとおり、実は今回の連絡を受けて、特別驚いたわけではない。

 

というか、一度覚悟はしていたので、むしろ頑張って生きながらえたほうだと思う。

 

 

(これから入院までの経緯を話すが、

本人が死ぬまで数ヶ月会ってないものだから、以下は全て伝聞による情報になる。)

 

 

父はその数ヶ月前から過剰に痩せていて、

食事がまともにできない状態までになっていた。

 

 

一番最後に会ったのは昨年の12月なので、

その際は年々弱っていくような感じはしたものの、まだ元気だった。

 

 

せめて今年の春くらいに顔を出していたらまだ会えていたのだろうが、

過ぎたことを後悔しても仕方がない。

自分は他の理由で実家には1年以上帰らないと心に決めていたのだ。

 

 

ところが、7月くらいになって、

 

「父が食べなくなり、やせてきている。

トイレには行けるけど風呂には3ヶ月入っていない。」

 

…と、母から連絡がきたのだ。

 

 

さらには連絡があった一週間で急激に弱り、

喋ることもできない、

ベッドに上がるにも家族の介助が必要になってしまったとのこと。

 

 

そのような状態なのに本人が病院を拒み、往診をしようとすれば怒る、

救急車を呼ぶが本人が拒否していたため断られる(←そういう決まりなのは初めて知った)など、

我儘な頑固親父の扱いに家族も疲弊していたようだが、

姉の旦那家族を巻き込んで皆で説得し、ようやく入院する決心をしてくれたようだった。

 

 

当初はHCUに入っていたが、徐々に肌の血色が良くなり、容態も安定。

数日で一般病棟に移り、3週間ほどでリハビリテーション病院に移ることになった。

 

介護は必要になるものの、危険な状態は脱したということだ。

 

 

僕は連絡を受けてから帰る計画を立てていたのだが、

僕はちょうどその、まさにリハビリの病院に移る日に実家に帰ることになっていた。

 

 

移る前の病院では人数と時間に制限があるものの、面会が可能と聞いていた。

一方でリハビリテーションの面会は、コロナ禍の影響で月一回のみで予約が必要となってしまうのだ。

容態が悪化した際に、再び元の病院のHCUへ移されたというので、

そんな規則があるのでは、家族ですらほとんど会えなかったのではないかと思う。

 

 

そのため、7月に帰郷した際も父に会うことはできなかったし、

幸か不幸か、その後も棺に入るまで、衰弱しきった本人を目の辺りにすることもなかった。

 

 

 

タイミングが悪かったかもしれないが、

かといって容態が悪くなるたびに帰るなどしていてはこちらの負担も大きくなるし、

メールでのメッセージによる話だけではなんともいえないから、

その判断が難しかったというのはある。

 

 

それに、それまでの父に対する僕の感情は、

心配はもちろんあったが、どちらかというと怒りが勝っていた。

 

 

僕自身は、病院に行くのが必ずしも良いこととは思わない。

だから行かない選択をするのは自由だと思うが、

それでも、10年以上酒を5合以上飲んでこうなったのは、まさに本人の選択による結果だ。

(↑あとで聞いたのだが、自業自得なのは本人も自覚していたらしい)

それに、家族も含め周囲の人に迷惑をかけているのも明らか。

だから、決して同情などしないだろう。

 

 

…とね、なかなかひどいことを考えていたものだ。

 

 

今になって思えば、確かにそれは一理ある。

 

 

大人しく早めに入ってくれてたら、

もしかしたら助かったかもしれないしね。

 

 

しかし、「酒を呑む習慣が全て悪」とする考えが浅はかだということを、

「献体」によって明らかにされたのだ。

 

 

 

 

次回に続く。

 

 

金銀財宝より大切!?あなた自身が秘めている”価値観”を見つける方法

デンジャラスなジェンダレス妖怪

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だよ。

 

 

今日は

 

「金銀財宝より大切!?あなた自身が秘めている”価値観”を見つける方法」

 

ということで、

 

あなたが潜在的に求めていることをはっきりと明確にして、

自分のやりたいこと、理想的な自分自身の生き方に近づくための

「価値観の見つけ方」を教えよう。

 

 

価値観を見つけ出すには「毎日の記録をすること」も大切。

↓日々の気づきを記録をすることのメリットも合わせて要チェケラ。

 

 

 

 

 

 ①自分の理想となるテーマを挙げてみよう。

 

まずは自分自身が「こうありたい」と思うことをいくつか挙げてみよう。

 

思い浮かばなければ一つでも良い。

 

 

ここでは僕を始め多くの怠け者が思っているであろう

「働かないで生きていきたい」

としてみる。

 

 

 

↑木は別に描かなくても良いよ。

そりゃ木だって働きたくないだろうけど、わざわざ言うことでもないだろう。

 

 

 

もちろん、このテーマは将来の夢や目標でなくても構わない。

 

「毎日楽しく生きたい」とか

「毎日笑顔でありたい」とか

「家族みんなで幸せに過ごしたい」とか

ざっくりとした感じでも良いと思われる。

 

 

②決定したテーマから、さらに細かく理由を掘り下げてみよう。

 

より核心に近づいた「価値観」を見つけるためにも、

①で決めたテーマをさらに深く掘り下げて考えてみよう。

 

 

木の下に埋まっている宝物を探すようなイメージだ。

 

 

まずは、テーマに対して

「なぜそう思うのか?」

理由をいくつか挙げて、その下に書き込んでいこう。

 

 

あまり難しく考えず、思いついたことを直感的に書くことが重要だ。

 

 

 

③さらに深く掘り下げてみよう。

 

基本的には②の繰り返し。

 

②で得られた理由からさらに深く掘り下げて考えていこう。

 

上の例で言えば、

根っこの一つである「好きなことだけをしていたいから」をさらに深く考えて、

 

「嫌なことをしたくないから」

「新しいことに挑戦し続けたいから」

「人生をより充実したものにしたいから」

 

などという理由が思い浮かぶだろう。

(※自分がやりやすいようにやることが大切なので、

たとえ理由になっていなくても、それはそれで良いと思われる。)

 

 

そして、思いついた理由から、さらに深く思考を掘り下げていき、

それを延々と繰り返して下の図のように書き込んでいけば良い。

 

 

 

この「掘り下げ」がうまく思い浮かばなかい場合は

「5W1H」を活用しよう。

 

 

つまり、

「いつ(When)どこで(Where)だれが(Who)なにを(What)なぜ(Why)どのように(How)」

という質問を自分に課してみること。

 

 

上の例で言えば、

 

「好きなことだけしていたいから」

という理由に対して、

 

 

Q.「誰と?一緒に過ごしたいのか?」

→A.「友人?恋人?それとも家族?(もちろん一人が良いなら、それでもOK)」

 

Q.「どこで?やりたいのか?」

→A.「日本?外国?家はマイホームなのか別荘なのか賃貸なのか?」

 

Q.「何を?したいのか?」

→A.「旅をしたいのか?家で漫画や動画サイトなどを観ていたいのか?」

 

 

などという疑問が自然と思い浮かんでくるはず。

 

そこから得られた答えを、ひたすら根を張るようにして書き込んでいこう。

 

 

もちろん、しっくり来る答えが思い浮かばなかったら、

保留にしておいて構わない。

 

無理せず楽しく、が基本だ。

 

 

④最終的に得られた答え…それがあなたの「価値観」

 

こうして②と③を繰り返して得られた理由に対して、

自分の中に具体的なイメージが浮かんでくるはず。

 

 

そして最終的に行き着いた答え…「しっくり来る感覚」が

あなたの大切な宝物である「価値観(コア)」だ。

 

 

↑地面(思考)を掘り下げていたらミミズが一緒に付いてきたらしい。

 

 

 

この価値観は一つとは限らない。

 

例えば僕の場合、最終的に行き着いた価値観の数は4つだった。

 

 

その価値観を、メモにして見えるところに貼ったり、

スマホやパソコンなどのメモアプリを使って、

開くたびに確認できるようにしておこう。

 

 

ちなみに僕は、メモをスマホのアイコンとして表示ができるアプリを使っている。

 

こういうやつね↓

ショートカットメモ帳

(※App Storeへ飛びます)

 

もちろんアナログ派なら、壁や机、筆箱などにメモを貼っても構わない。

 

 

自分の見やすい場所に書き込んでおくことで、

自分の大切にしたい「価値観」が確認しやすくなるので、

自分の信念や思いを大切にすることができる。

 

 

 

もちろん、価値観は永遠に同じでなくて構わない。

 

内容に違和感を感じるようになったら、

また①〜④の作業を繰り返して新たな価値観を見つけても良いしね。

 

 

毎日毎日、自分の「価値観」と向き合いながら、

「自分がその思いを実現できているか?」

「自分の人生が良い方向に向かっているか?」

など、自分自身に問いかけるようにしよう。

 

 

 

最後に、

 

価値観を見つけ出すために、

なぜこういった掘り下げの作業が重要なのかというと…

 

 

たいていの人は自分の理想を掲げたり、目標を決めたりする際に、

①の作業で終わってしまうことが多い。

 

 

テーマだけどーん!と掲げるだけ、みたいな。

 

 

でもそれだけでは、表面をなぞるだけで、核心に近づくことはできない。

知らず知らずのうちに、自分自身の気持ちに蓋をしてしまっている人は多いからね。

 

 

そんな人達にとって、ただ目標や理想を可視化するだけというのは、

地面の下にいるミミズを、辛うじて見つけるかどうかの行為に過ぎないのだ。

 

 

あなたが本当に見つけたいのはミミズか?

 

 

いや、どうせ掘り当てるなら、ミミズではなく…

 

 

宝物だろう!!温泉だろう!!

 

 

…ということで、「思考を掘り下げていく」という行為は

 

 

大量のミミズ…ではなく、

 

 

本当に大切な宝物、自分自身を本当に豊かにしてくれるもの

 

 

つまり、「本当に大切にすべき価値観(コア)」を探す行為そのものなのである。

 

 

 

というわけで、今あなた自身が取り組んでいること、毎日の生活や仕事、交友関係などに対して、

「このままで良いのか?」と迷いが生じるようなことなどがあれば、

ぜひ今回の方法を活用して、本当に大切にするべき宝物(価値観)を見つけてみてね。

 

 

 

もしかしたらその「価値観」が、背中を押してくれるかもしれない。

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