僕は「FTM」ではなくて、「FTS」かもしれない話。

僕はFTMである。

 

 

将来は身体を男性に近づけるための身体適合手術を行いたいと思っているし、

自分自身を男性として認識したほうがしっくりくるし、

周囲からも男性として接してほしいという願望はある。

 

 

しかし…

 

 

最近では、

 

「もしかしたら俺はFTMじゃないのかも?」

 

と思うようになってもいる。

 

 

元々、僕って何だか

「一般的なFTMのようでいて、

他のFTMと比べるとなんだかちょっと違う」

という認識があった。

 

 

そりゃ世の中色んな人がいるから

違うのは当然なわけだけど

それでも何だか「ズレてる」感がある。

 

 

だからか、自分と同じようなFTMの人たちと集まっても

どうにも「異端者」っぽさが出てしまうのだ。

 

 

そこで、

 

「では、俺って何なんだろう?」

 

と考え始めた。

 

 

 

まず、僕は、一般的なノンケ女性ではないし

レズビアン女性でないことも明らかだ。

 

 

かといってFTXでもない。

傍から見ればそう見えるかもしれないが、

自分自身を表現する言葉としては、なんだかしっくりこない。

 

 

Q(クエスチョニング)とも違う気がする。

 

 

…そうやって色々自分自身を探っていくうちに

 

「俺って「FTS」なんじゃないか!?」

 

と思うようになった。

 

 

 

FTSって何?

 

 

 

FTS…誰も聞いたことがない呼び名だろう。

 

 

 

先に言っておくと、

そんな言葉は存在しない。

 

 

 

僕が自分自身を認識するため、

何者にもとらわれない、どんなカテゴリーにも当てはまらない、

自由な生き方を模索するために、

僕が勝手に作った言葉だ。

 

 

 

まず、今更だが、

FTMは何かと言うと、

「Female To Male(女性から男性へ)」である。

 

つまり、アバウトに表現すると、

 

「女性として生まれたが、男性として生きたい人」

 

の総称である。

 

逆は「Male To Female(男性から女性へ)」となり、

「男性として生まれたが、女性として生きたい人」

となる。

 

 

対して、FTSは何かと言うと、

 

 

「Female To Soul(女性から魂へ)」という意味である。

 

こちらも同様に、逆の場合は

 

MTS…つまり、

 

「Male To Soul(男性から魂へ)」

 

となるのだ。

 

 

 

 

Sはソウル………?????

 

 

ウルトラソウルッッッ!!!!

 

 

 

…はい。

 

 

 

ここで注意したいのが、

 

FTSは厳密に言うと「FTMTS」なのである。

 

つまり、

「Female To Male To Soul(女性から男性へ、男性から魂へ)」

という意味になる。

 

ただ、一般的にこの表記だと、

「FTMトランスセクシュアル」の意味となる。

 

 

トランスセクシュアル…つまり、

社会的な役割も身体も男性に近づけたい人のことだ。

ちなみに僕は、このトランスセクシュアルでもある。

 

参考↓

 

 

よって、「FTMTS」だとなんだか紛らわしいので

「FTS」としたのである。

 

 

FTSという表記にすることで

肝心の「男性になりたいという過程」を

すっ飛ばしてしまっている感があるが

 

マ○ドナルドを「マック」と呼ぶような感じで

略語だと思ってもらえればよいだろう。

 

 

マクド???マック???

 

僕はマック派だけど。

 

もっとぶっちゃけると、僕はマック嫌いだけど。

全然美味しいと思わないし。

モスやフレッシュネスの方が好きだ。

エンダーも良いよね。

 

 

 

………長い説明になった(しかも脱線した)が、

 

ようやくここで

 

「なぜFTMの僕が男性を通り越して魂になりたいのか?」

 

その理由を説明したいと思う。

 

 

まず、大概の人は、男と女どちらかの肉体の性別で

この世に生まれてくるかと思う、

 

 

「肉体の性別」は確かに存在するかもしれない。

 

 

しかし、男と女の役割(ジェンダー)に関しては

社会で生活していく中で次第に形作られていったものと考えられる。

 

 

そうなると、

 

「もし男女の役割が逆転していたらどうなるのだろう?」

 

…って思うことがあるのだ。

 

 

もしジェンダーとして男女の役割が逆転していたら

 

一般的な女性が(今で言う)男性みたいになったり

逆に、一般的な男性が(今で言う)女性みたいになったりしないのだろうか?

 

 

 

そのため、

 

FTMがより女性っぽかったり

MTFが男性っぽかったり

 

そんな現実もあり得たのだろうか?

 

 

まぁこれはあくまでも仮説だから

「一つの可能性」として認識していただければ、と思う。

 

 

 

しかし、僕が最も伝えたいこと…

 

「肉体の性別ではなく、魂(ソウル)になりたい」ということは

 

「世の中の既成概念を疑って、自分の魂に回帰する」

 

ということだ。

 

 

 

 

僕たちトランスジェンダーは

心の性別(性自認)と外見の性別が同じように思われることを望んでいる。

 

 

僕だってそうだ。

 

 

しかし、僕自身、楽になれる考え方やスピリチュアルなど

いろいろ学んでいくに連れ

「より高尚な考えができるようになるには、どうしたら良いのか?」

などと考えるようになってきたのだ。

 

さらに言うと、

 

「自分の生き辛さの原因は、性別の不一致だけじゃなくて、

他にもあるのかもしれない。」

 

と思うようにもなった。

 

 

性別の不一致がわかって安心した一方で、

長い期間に渡って、辛い状態が続いていたからだ。

 

 

それは、もしかしたら

 

「本当の自分と向き合っていないからかもしれない。」

「心の奥深くにある自分の声を聞いていないからかもしれない。」

 

などと思うようになったのだ。

 

 

そこで、宇宙からの視点で見た時に

 

 

「そもそも肉体やジェンダーなどの要素だけで

男女という分け方をされているが、

実際にはそんなに単純なものではなく、

精神ってもっともっと崇高なものなのでは?」

 

などと思うようになってきたのだ。

 

 

そして、今の世の中、性の多様性が認められていて、

それ自体は歓迎されるべきことかもしれないが、

 

 

「自分自身の魂」というものだけで見ると、

「自分」というものは、性別にとらわれず、

もっとシンプルでも良いのでは?と思うようになった。

 

 

皆、どうしたって自分のことをカテゴライズしたがる。

 

 

僕だって以前は「FTMっぽいFTMになること」に憧れていた。

 

 

周囲の活発で外交的な人達と比べると、

どうしたってヲタっぽい性格だからだ。

 

 

それで、無理やり元気に振る舞おうとしてしまい、

結果、違和感ばかりを感じて苦しくなったものだ。

 

 

しかし………

 

 

よくよく考えてみたら

実際は男性にだって様々なタイプの人がいるわけだし

僕みたいに内向的なFTMがいるのも当たり前なのである。

 

 

「僕は僕のままで良い。」

 

「僕が他の人と違うのは

世の中にメッセージを与えるためなんだ。」

 

「僕には僕しか生きられない人生を楽しめば良いじゃないか。」

 

 

そう思うようになったら

「男性性」にこだわることもなくなり、

さらに、自分の中の「女性性」に嫌悪することもなくなってきて、

非常に楽になったのだ。

 

 

 

「性自認が魂だ。」、「魂に戻りたい。」って

一見するとなんだかちょっと心配されそうな言葉ではある。

 

 

ホルモン打つために毎月クリニックへ行っているが、

「もしかしたらメンタル面もケアしてもらったほうが良いんじゃね?」

「良い精神病院を紹介してあげようか?」

みたいな(笑)

 

 

しかし、こんな事実もある。

 

過去の偉人は全て世の中の人々から

「変人」扱い、「異常者」扱い、「病気」扱い

…など、酷い扱いをされてきた人ばかりだ。

 

そんな人たちが自分の信念を貫き、

最後まで諦めなかったので、

世界に新たな可能性や事実を提示したからだ。

 

そんな人達が存在したからこそ、

今の僕たちが存在すると言っても良い。

 

 

別に自分が至極特別とも思わないけれど、

「僕自身が”自分”という新しいタイプの妖怪なんだ。」

と思うことで、

これまでに自分をがんじがらめにしていた鎖から

瞬く間に開放された気がしたのだ。

 

 

「自分の生き様を見せることに、僕自身の価値があるんだ。」

 

 

そう考えたら、自分が考えたこと、

少しでも疑問に思ったことなどは

どんどん表現していく必要があると思った。

 

 

それでこんな訳のわからないことを言っているのである。

 

 

 

一般的に、性同一性障害で、

心と体の性別が一致しない状態というは苦しいと思う。

 

 

しかし、「自分の魂が求めることと自分の生き方が一致しない。」

そんな「魂(たましい)同一性障害」状態もまた、非常に苦しいと思う。

 

 

「魂同一性障害」←この言葉も僕が作った。

 

 

「魂同一性障害」から脱却するには、

 

あなたが「男性としてどうしたいのか?」

「女性としてどうしたいのか?」

などの「性別二元論」に囚われることなく、

「自分の魂」と向き合うことで、

 

「自分自身がどのようになりたいのか?」

「どんな生き方をしていけばよいのか?」

 

などといったことがわかると思う。

 

 

これは、性同一性障害やトランスジェンダーの方に関わらず、

また、セクシュアルマイノリティの方に関わらず、

異性愛者の方含め、全ての人に言えることである。

 

 

というのも、恐らくだが、

「魂自体に男も女もないのでは?」と僕は思っているからだ。

 

 

全ての常識やルールを疑い、

一旦それらを遮断して、

分自身の内側と向き合っていくことで

「自分の魂」がクリアに見えてくるのかもしれないね。

 

 

 

さて、ちょっとスピリチュアルな内容にもなってきたし

話が複雑にならないよう、今回はこれで終了するが…

 

 

「FTS」や「MTS」の状態や「魂同一性障害」から脱却して、

より「本来のあなた」らしく生きるためにはどうすれば良いか、

そのための考え方や哲学などを、当ブログでは今後も伝えていけたらと思う。

そろそろ「意見を言うのが正義」という風潮、やめにしない?

タイトルのとおりだが…

 

 

 

いい加減うんざりしてる。

 

 

 

世の中の

 

「意見を言える人が正しい」

 

「意見を言わない人は悪い」

 

と、何でもかんでも決めつける風潮に。

 

 

確かに、あなたが生きていく上で、

思っていることや感情を口や態度で表現したり

自分の思いを言葉にできたりしたほうが

大切な人とより親密な関係を築いていけることは間違いない。

 

 

親しい人との人間関係でも

建前よりも本音を言い合える関係のほうが

お互いにストレスなく付き合っていけるだろう。

 

 

さらに、明らかに間違っていること、

誰かが一方的に不利な状況を押し付けられている場合などで声を上げることは

自分たちが生きやすい社会を作っていくためにも大切なことである。

 

 

 

 

しかし、相手の事情を全く考慮せず、

なんでもかんでもいつでもどこでも

自分の意見を言ってもよいものなのか?

 

 

すごく疑問に思うんだ。

 

 

 

僕自身は、ビジネスにしろ、職場にしろ、普段の人間関係にしろ、

「常に自己主張をすること」

が美徳とは全く思わない。

 

 

というのは、現代の日本人の多くは

「自分の意見を言える人が、勘違いしがちなこと」

 

 

これがわからずに自分の意見ばかり言って、

周囲からの反感を買うケースが多々あるように感じるのだ。

 

 

 

もちろん、これらの要素はすべての人に当てはまるわけではない。

 

「相手の意見も尊重しながら、自分の意見もきちんと言う。」

 

このやり方を実践している人はページを閉じていただいて構わない。

 

 

しかし、

 

「相手が意見や要望を言ってくれない。」

「どうにも自分の元から人が離れていってしまう気がする。」

「自分の意見を言わない人の気持ちが全く理解できず、イライラしてしまう。」

 

 

こういう方は、相手の気持ちや生き方を尊重していない可能性がある。

 

 

僕みたいに「日和ることも美徳」と考えている奴もいるという事実も踏まえた上で

以下の内容を参考に、ご自身のコミュニケーションに変えるべきところがあるのか

考えていただけたらと思う。

 

 

 

 

まず、僕はどちらかというと

積極的には自分の意見や思ったことを言わない、

仮面をかぶっているようなタイプだ。

 

 

 

ゲームの話になるけど、

「ドラゴンクエスト」では呪われた装備品は

一度身につけてしまうと外せなくなる。

 

 

僕が身に着けている仮面も、

まさにその「呪われた仮面」なのである。

 

 

実際ドラクエのアイテムに例えると、

「E:般若の面」という状態なのだ。

 

 

※ちなみに包丁持っているのは人を○すためではなく

飲食店だからである。(←紛らわしい)

 

 

呪われているから、なかなか外れないし、外さない。

 

 

一般的に人は、仮面をつけた人と親しくなりたいとは思わないだろう。

 

しかもこんな鬼の形相してたんじゃね。

 

 

 

まぁ確かに自分が相手の立場だったとして、

そんな状態の奴と会話しようとか、

仲良くなりたいとか思わないよね。

 

 

でも、それが狙いなのだ。

 

 

実際、一部の人には「なんとなく気軽に話しかけにくいオーラ」

を感じ取ってもらえているらしい。

 

 

 

ただ、僕の場合は怖い印象の仮面ではなく、

「優しそうな印象」という仮面をつけている。

 

 

そのため、特別嫌いな人でない限り、

仕事中の会話はフレンドリーに交わすことができるし、

それ以外の世間話として何か聞かれれば答えることはできる。

 

 

職場の雰囲気を良くするために、協力をすることだってできるし、

基本的には他の人のお役に立ちたいと思っている。

 

 

その理由は簡単で、仕事自体は好きだから

自分がその職場で働き続けることができる雰囲気を作りたいし、

仲間にも「自分と一緒に仕事をすることのメリット」を感じてもらうためだ。

 

 

そうすることで、例え職場に不満を抱いているような人がいたとしても、

献身的にサポートすることで少しでも長く働きたいと思ってもらえるかもしれないし、

結果的に自分も得するからだ。

 

 

そのためには一切の文句も不平不満・愚痴も言わず(言ったとしても回数自体が少ない)、

多少無理をしても人に尽くすところさえある。

 

 

(本音を言うと、「仕事なんか辞めて起業したほうが良いよ」

とアドバイスしたくなるのだが

相手自身が本気で「今の生活を本当に変えたい」と言ってこない限り、

僕が自らそれを口にすることは無いだろう。)

 

 

 

ちなみに「般若の面」は装備すると常時混乱した状態になるので、

実際にここまでとは言わなくとも、

職場での「仮面をかぶった行動」もある意味混乱しているのかもしれない。

 

 

しかし、一方で、

 

職場や多くのコミュニティでの僕は、非常に割り切った考え方である。

 

 

 

特に仕事上では

 

「余計な友達、全然いらない。」

 

とさえ思っているのだ。

 

 

これは虚勢ではない。

 

 

職場なんて別に自分が心から付き合いたくて付き合っている人たちじゃないわけだし

お金を稼ぐため「だけ」に毎日出社しているわけである。

 

 

僕自身にとって、必要以上に仲良くする理由がよくわからないのだ。

 

もちろん、人間的に本当に魅力だな、面白いなと感じる人は

仕事抜きでぜひお近づきになりたいものだが。

 

ただ、例え今僕に対しては優しい人だとしても、

仕事や会社に対して文句ばかりの面倒な人と仲良くなってしまって

この先しんどい思いをする可能性があるなら、

孤独のほうが100倍楽だとは思う。

(別に会社を擁護しているわけではなくて、

被害妄想をする人かどうかは見極めたいところである。)

 

 

だから仕事上問題ない「大人の」対応をしていても

「あ、これ以上はちょっと^^」

という感じで、周囲とは常にどこか一線を引くようにはしている。

 

 

というのは僕自身、

「他者に対する気遣いが抜けた時、言葉が辛辣になる」

という自分の性質を理解しているからである。

 

 

例えば、本音を言ってしまえば、

「仕事に対して文句言っている人」に対しては

僕はそれに対して全く同情も共感もせず、

「嫌なら辞めればいいじゃん。」と思っているのだ。

 

 

今は「皆大変なんだなー。」

「こういう時に人って不平不満を言うんだなー。」くらいに思うだけで、

どうでも良くなったが。

 

 

しかし、考えてもみてほしい。

本当の意味でも、あなたが自分自身にとってストレスフリーで

幸せを実現させたいと本気で願うのなら、

「自分に合わない場所からはすぐに離れる」のが一番である。

 

 

仮に、職場の雰囲気を悪くする原因が他にあるのは事実だとしても

あなたの置かれている状況や発した言葉はあなた自身の責任なのだ。

 

 

環境はあなた自身で決めること。

 

 

今の職場にあなたが働いているのも、自己責任なのである。

 

 

愚痴や文句、人の悪口を言うほどあなた自身が惨めになることに、

あなた自身が気づいていないのだ。

 

 

…しかし、下の記事でも書いたように、

 

「不満を抱いている人たちに対して必要なのは共感であり、

正論は害悪でしかない。」のである。

 

 

正論なんて言ってしまったら、

相手の神経を逆なでさせて、

その後自分がやりにくくなる可能性があるし

反論されて面倒なことになる可能性だってある。

 

 

 

まぁ自分可愛さと言ったらそれまでだと思うが、

その場所で永久に働き続けなきゃいけないわけでもないし

嫌ならすぐに辞めても良いのだ。

 

そう考えたら、流れるまま流されるままなのは

すごく楽なのである。

 

 

「表面上の関係」なのだから余計なエネルギーは使いたくない。

 

 

これが本音だ。

 

 

自分にとって不利な状況を生み出す可能性があるなら

黙っていたほうが良い時もあるだろうと考えることもあるのだ。

 

 

どんな過酷な状況だったとしても、別に死ぬわけじゃないんだし、

自分が眼の前の仕事さえ黙々とこなしていればそれで十分と思っている。

 

 

僕自身、自分のした仕事に対しては誇りを持っていてすごく頑固なところがあり

本当にカチンと来たときには反論するなどはしているが

別に何とも思っていないことをわざわざ意見したり

腹を割って話したりすることの必要性を全く感じないのだ。

 

 

 

しかし、一方で「苦言を呈することができる人」がいるのも

僕は全く問題ないと思っているし、

むしろ、その人の存在は必要で有り難いとは思っている。

 

 

ただ、そういう人々の中には、

偏った正義感で勘違いしている人がいるのも事実である。

 

 

特に、

 

・「我こそが正義」と思いがち

・「周囲の人は自分と全く同じ考えだ」と思いがち

 

 

そんな脳内お花畑の人の頭の中にも、

花壇のちょっとしたスペースに一輪の花を植える余裕はあるはずだ。

 

その狭いスペースにも、

以下に示すようなちょっとした「知識という花」を植えてみてほしい。

(わざわざ妙な言い方をしたが、要するに、「頭に入れてほしい」ということだ。)

 

 

 

その「知識の花」というのは…

 

 

「世の中には、正しいことも間違っていることも存在しない」のである。

 

 

 

ちなみに僕が一番迷惑しているのが

 

 

「あなただって不満に思ってるんでしょ?ハッキリ言いなさいよ!」

「〇〇は〇〇ですよ(意見)!ね〜コリュ君?(同調を求める)」

「文句言わずに頑張っていて偉いね。」

 

 

…みたいなことを言われることである。

 

 

要するに、不満を口にさせるように一方的に仕向けさせられたり、

同情されたり、

同調圧力を向けられたりするのがすごく苦手なのだ。

 

 

一方的に「俺を味方にしようとしている」危機感を覚える。

 

実際は誰の肩も持ちたくない中立派でいたいのに。

 

 

僕自身、元々正義感が強く弱者に寄り添うタイプでもあるし、

一方で最近では、経営者など立場が強い人に対しても

「まぁ色々大変なんだろうなー」と思えるようになってきたのだ。

 

 

そのため、両者の言い分も事情も理解は出来るのだから

偏った意見を言うと相手に誤解される可能性があるのだ。

 

 

元々口数少ないし、下手に口を開けば辛辣なことを言う可能性があるし

穏やかなものの言い方ができないものだからどう伝えたら良いのかわからず

結局黙るしか無いし、反応に困ってしまうのだ。

 

 

だから優柔不断な印象を与えるかもしれない。

 

 

しかし、周囲が思っている以上に、頭の中では色んなことを考えているのだ。

それにもどかしさを感じることもある。

 

 

一見あまり周囲の人のことを考えていないようで、

実際には周囲の人のことを考えすぎて頭がパンクしそうになっているくらいだが、

僕自身やたらプライドが高いため、それを表に出すこともあまり好まない。

 

 

その結果、「何考えているかわからない。」

と僕を不気味に思う人がいてもおかしくないが、

それはそれで、僕がどうすることもできない問題だから仕方がない。

 

 

誤解されるのは悲しいことではあるが、

 

「例え自分のことが理解されなくても、

全ての物事はなんだかんだで問題なく進んでるし、

自分があえて自分からなにか事を起こす必要性もない。

自分は自分の好きな人とだけ深い関係性を築いていくから別に構わない。」

 

と割り切っているので別にそれで良いと思っている。

 

 

基本的に他人はあなたに興味がない。

 

 

こうやってネット上で発信している場合は別だとして、

日常生活において、何かにつけてあなたの全てをわかってもらう必要なんて

果たしてあるのだろうか?と思うんだよね。

 

「わかってもらえない孤独感」に苦しむのも辛いだろうが、

必要以上に「わかってもらいたい脅迫感」を感じてしまうと

本来は抱えなくて良いストレスを抱えてしまう羽目になるのでは?とも思う。

 

 

上で挙げたような同調圧力を押し付けるような言葉を発する人は

普段から自分の意見を言っている人だろうから何も思わないのかもしれないが、

 

あなたの正義はとりあえず横に置いておいて、

「今目の前にいる人は、自分と違う考えを持っているかもしれない。」

という想像力を働かせてみるのも良いと思う。

 

そしたら、その気持ちが伝わって、

相手も自分の考えを言ってくれるかもしれないし、

人のあら捜しをすることもなくなると思う。

 

 

※「他人のあら捜しをすること」の害悪については

↓こちらでも詳しく説明している。

 

 

ただ、僕の場合、自分の意見を言わないのは、先述したとおり、

「別に大して親しくないんだから表面の関係だけで十分」

と判断しているからだ。

 

激しい対立の間で意見を求められると閉口してしまう原因の一つに

「声を発しないことを悪とする」彼ら彼女らに

「俺がいやすい場所づくり計画」が、

その言葉で危ぶまれる危険性があるからだ。

 

 

自分本位で計算高い考えかもしれないけど、

これが自分なんだから仕方ない。

 

まぁ自分にとって嫌だと思うことは

大抵無視したり生返事したり適当にスルーしたりしてるけどね。

 

そんな人に反論したって時間と体力の無駄だからだ。

 

 

相手にわかってもらえる確証があるなら、

それを言うことで世の中が良くなる可能性があるなら、

その時は自分の意見も言うかもしれないが、

 

 

僕は無駄が大嫌いなのである。

 

 

余計なエネルギーは使いたくないのだ。

 

 

それなら、黙って無関心でいるのも一つの選択肢だろう、と思う。

 

 

 

最後に…

 

 

世の中の多くの人が

好きでもない仕事をしたり

働きたくもない職場にいたり

別にいたくもないコミュニティにいたりしているわけである。

 

 

先程も伝えたが、

それは全て自分の責任なのだ。

 

 

それを変えるために意見を言うのか、

「別にどうでも良い」と思って流されるままに日和るのかも、

各人で自由に決めてよいはずなのだ。

 

 

逆に言えば、

どうしても嫌だったら、すぐに辞める、離れることだって

自由にできるわけだ。

 

 

いつも「意見を言うのが正しくて、言わないのが悪」などという

一方的な決めつけはやめてほしい。

 

皆それぞれの考えがあって

どれも尊重されるべきものなのだ。

 

 

 

 

 

さて、このように、僕はブログでは現実世界と違い、

皮肉なども含め、言いたいことを言いまくってる。

 

実際に自分のビジネスをする場合も、

自分の意見は言うようにしている。

 

 

その理由は簡単で、共感できる人に共感してもらえれば良いからだ。

 

 

自分自身のコミュニティを作るなら、

自分の好き嫌いはハッキリさせておいたほうが予防線にもなるわけだし、

それが「なーなーでもやっていけるコミュニティ」との違いである。

 

 

また、最近ではとあるビジネスのコミュニティで

新しい事業に取り組んでるわけだが、

 

本当に必要に感じたときだけ、求められたときだけ、自分の意見を伝える。

 

それが本当の意味で、正しいコミュニケーションだと思うようになってきた。

 

 

かといって、関わっている人は皆、依存的ではないし、

意見交換の場もあるから楽しくお話ができるし、

本当にお互いが独立しているのに、協調性も高くチームワークもあるし、

これまでに関わった中で

最高のサポート体制ができているコミュニティだと実感している。

 

 

 

今の日本はパワハラブラック企業の影響で

「相手の領域に踏み込んで相手を説教する。」

「他者の問題を自分の問題と思い込み、解決しようと相手にあれこれ指示する。」

それを正しいコミュニケーションと勘違いして、

「言わなきゃわからない。」と偉そうに人に苦言を呈する人達がいるわけである。

 

 

しかし、こういったコミュニケーションは

アドラー心理学的には良くないことを理解しておいてほしい。

 

相手の問題は相手の問題で、あなたの問題ではないのだ。

 

※「問題の切り分け」や「領域」の問題については

以下の記事を参考にしてみてね。

 

 

(ちなみに↑「領域」の話では、相手と口論することの重要性を説いてるが、

これは親しい人や関係性が深い人、

永久に会わないであろう人に対するコミュニケーション方法である。

自分が「無」でいたい、日和見に徹したい状況の場合は

あまりおすすめしない。)

 

 

長くなったが、

 

 

「世の中がには自分と違う考えの人もいて、どれが正しいわけではない。」

「自分の味方を増やそうと、他者へむやみに同調圧力をかけない。」

「余計な波風を立てることが損になることもある。」

「自分に合わない意見の人々が多い環境からは出来るだけ早く離れる。」

 

 

こういったことを考えつつ、相手の意見にも耳を傾けながら、

「たまには日和ること」の必要性も感じてみてはいかがだろうか。

数秘術にハマりました。

最近、数字の魅力に取り憑かれている。

 

 

 

 

元々、高校では理系を選択していたこともあり、

数学は好きなのである。

 

 

今だってお金の計算は好きだし、

自分の意外な傾向として、

情緒的よりかは理論的なものに関心をもつ傾向があるなとは思う。

 

 

元々、和モノが大好きで和の文様が好きな一方で、

幾何学的なデザイン・パターンも好きな傾向もある。

 

 

 

一方で、占いというのはスピリチュアルで非科学的なように思われがちであるが、

統計学に基づいたものでもあるのだ。

 

 

占いの結果を完全な真実だと思い込んで、

人のことを決めつけるのはナンセンスだが、

「その人が元々持っている傾向・素質」として参考にすることは出来る。

 

 

そして、僕自身、自分にとっての趣味というか関心事としては

「人を分析するのが得意」というのもある。

 

 

だから、職場もあえてオフィスワークではなく、

飲食店などを選ぶことが多い。

 

 

たしかに大変なことも多いけれど、

人の本性や関係性が見えたり、

感情が入り乱れる場所を楽しいと感じるのだ。

 

 

そんな僕は占いにも興味を持つところがある。

 

 

人の分析が好きならば、

占いが好きなことも自分の性質として当然の傾向だと思っている。

 

 

でも一般的に世の中の傾向として

占いと言えば「女性が興味を好きなもの」という認識があるらしい。

よくわからんけど。

 

それが原因で、僕が親兄弟から

「そういう(占いが好きな)ところが女っぽい」

と言われたことがあったのだが、

 

 

今なら言える。

 

 

「黙れ。」って。

 

 

一蹴すれば良いだけだ(笑)。

 

 

自分のことがよくわからないからこそ、

「自分を知りたい」という自分自身の欲求に答えるのは

自分の仕事だし、

 

クリエイターとして人に興味を持ち

人の傾向を探りつつキャラ分析をするのは当然のことだからだ。

 

 

そのためには占いだろうがなんだろうが

何でも試してみようと思っている。

 

 

そんな、ちょっと天の邪鬼な自分に合っているなと思った占い…

 

 

それが「数秘術」である。

 

 

 

数秘術にも色々あるようだが、

僕が最も参考にしているのはこちら↓の「潜在数秘術」である。

 

 

 

僕自身は「潜在数秘術」について詳しく知っているわけではないのだが、

生年月日だけではなく、自分の名前も含めて総合的に診断するので、

生年月日や血液型などの一つの要素だけで診断する占いとは違い、

面白みがあるし、信憑性も高いんじゃないか?と思ったのだ。

 

 

 

ちなみにトランスジェンダーである僕には

①元々親から与えられた「本名」

②現在男として生活するための「通称名」がある。

 

 

③さらにネット上での活動用に使用している作家名と、

④ブログで使っている妖怪名(?)としての「天海夜 煌琉」が存在する。

 

つまり、計4つの名前が存在するのだ。

 

生年月日だけでなく、氏名からも診断する潜在数秘術では、

当然それぞれの名前で診断結果が違ってくるわけである。

 

 

基本的には長く使っている(いた)名前を自分の性質として、

追加の性質として他の数字を参考にするような感じなので、

今回は①本名としての結果を参考に

自分の性質を見ていきたいと思う。

 

 

本当は④ブログの名前でやろうと思っていたのだが、

ブログはあくまでも発信用の自分、というか仮の姿だからね〜。

普段の「生きている時の」自分にはあまり意味がないのだ。

 

 

とはいえ、キャラ作りは大切なので

④での診断結果もまた機会があれば分析してみたいと思う。

 

 

(ちなみにオフラインの生活では、

生まれ持った数字である①をメインに、

後天的な追加要素である②を参考にしている。

加えて、ビジネスや創作活動としては③が持つ数字も参考にしている。)

 

 

 

診断結果の内容については

アプリでも確認できるわけだが、

ここでは潜在数秘術を詳しく紹介している電子書籍、「生きづらさ革命」で取り上げている

LP、D、S、Pの4つに焦点を当てていきたいと思う。

 

 

ちなみにこちらの書籍はKindle Unlimitedだと0円で読むことが出来るので

自分の数字だけチェックするのもアリだろう。↓

 

 

こちらを参考にしながら自分の性質を見ていきたいと思う。

 

 

 

 

 

さて…

 

 

 

気になる僕の診断結果は…

 

 

 

 

長くなりそうなので、次回へ続く!!!!(←オイ笑)

「黒歴史」は過去のものじゃない まさに現在進行系である

思い出したくない過去

 

人目に晒されたくない過去

 

永遠に葬り去りたい過去

 

 

それらは誰にだって存在する。

 

 

それを一般的に「黒歴史」というのだろう。

 

 

 

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まるで黒猫を愛でるように「他人の黒歴史は好き」という人はいても、

「自分の黒歴史」が好きな人はあまりいないだろうね。

 

 

 

さて、今回はこの「黒歴史」について

僕自身の見解を吐き散らかしてみることにする。

 

 

まず、

 

 

「歴史」は「歴史」でも

「黒歴史」は、「過去」のものじゃない。

 

 

…と僕は思う。

 

「黒歴史」というのは、

現在進行系、未来形で作られていくものなのだ。

 

 

つまり、人間の歴史というものは

過去から未来まで全て黒いのである。

 

真っ黒なのである。

 

 

 

英語のように表現すると

 

過去形:I 黒ed.

現在形:I am 黒ing.

未来形:I will 黒.

 

というような感じで、常に黒いのである。

(※↑そんな単語は存在しません。)

 

 

 

そして、これらの「黒」というのは

厨ニっぽく言ってみれば、「闇属性」なのである。

 

 

触れたものを全て飲みこんでしまうかのようなブラックホールのように

人々にも、自分にも大きな衝撃を与える可能性があるものなのである。

 

 

 

もうさっきまでの自分の言動や創ったものが、

下手すら数秒後にはめちゃくちゃ恥ずかしくなる瞬間が訪れる可能性すらある。

 

 

 

それくらい大きな破壊力があるのだ。

 

 

 

しかし、なぜこのように、

人は自分を恥ずかしいと思うようになるのかというと、

 

人間というのは常に成長している生き物だからである。

 

自分がより幸せに生きるためには、今の自分に満足したままではいけないのだ。

 

 

 

例えば、創作をする人であればわかっていただけるかと思うが、

過去に自分自身が描いた絵や漫画というのは

もう見たくもないくらい恥ずかしいことだろう。

 

 

他にもブログなどの発信を行っている人は、

過去に書いた記事などを無性に消し去りたくなる時もあることだろう。

 

 

僕も小学校の時に描いた漫画なんてとっくの昔に捨てたわ。

恐らく身内の誰かがそれを晒そうものなら

一生恨んでやる可能性だってあるわけだが(笑)

 

その気持ちは、誰でも確実にわかるだろう!!!!

理由は後述する。

 

 

その他にも、全然社交的じゃない根暗なのに無理をしてパリピぶって

パーティや飲み会に参加しまくったりして

無理をして違う自分を演じていた時期がある人もいることだろう。

 

 

胡散臭いカリスマの存在するMLM(マルチ商法)や宗教にハマってしまったり

上の人の言うことを真に受けて自分自身も自由になれると思いこんで

多額のお金を失ってしまった人もいることだろう。

 

 

他体育会系色が強いコミュニティやブラック企業などで

ルールや上下関係にやたら厳しいことを当たり前に思っていて、

パワハラなど人に嫌なことを強制したり、嫌な人の元で違和感を覚えたりながらも、

一生懸命人に貢献したり、働いていたりした時期がある人もいることだろう。

 

 

もう思い出しただけで穴に入りたいというか、

一生この「思い出」が掘り返さないように穴に埋めたくなる気持ちになるよね。

 

埋葬じゃ飽き足らないから

火葬してチリほども無くしてしまいたい気持ちにもなるだろう。

 

 

 

しかし…

 

 

大丈夫だ!!!!

 

 

上に書いたような一連の「黒歴史」は

僕にだって当てはまることだから!!!!

 

 

「黒歴史」は受け入れられないから辛いのであって

認めてしまえば何も怖くなくなるのだ。

 

 

では、「黒歴史」を受け入れるために

「黒歴史」とどのように付き合っていけばよいのか…

 

 

 

これは…もうね…

 

 

「黒歴史が生まれるのは仕方ない」って割り切るしか無いのだ!!!!

 

 

 

 

「何もせずにほったらかしで〇〇万円!!」

 

というネット上の広告は見たことはあるかもしれないけれど…

 

黒歴史こそが本当の意味で、

 

「何もせずにほったらかしで増殖する」ものなのである。

 

もはや増えていくものを止めることなんて、誰にもできないんだよね…。

 

 

 

でも、それを嘆く必要なんて無い。

 

 

 

「自分にはお金はないかもしれないけれど、

黒は生み出すことが出来る。

 

…というか黒しか生まれないのなら、

いっそのこと真っ黒に塗りつぶしてやる!!!!」

 

 

そんな風に吹っ切れる事ができたら

何も怖くないのでは?と思うんだ。

 

 

 

 

しかし…僕もそうだけど、

皆、どうして黒歴史が嫌なのだろうか?

 

 

それは…

 

自分自身の浅はかさ、未熟さ、軽率さを実感してしまうからなんだよね。

 

 

でも過去はもう変えられないことだし、

やってしまったことを責めたって仕方がないのだ。

 

 

むしろ、

 

「この黒歴史があったおかげで、今の自分があるんだ。」

 

と過去の自分に感謝することで

今の自分を丸ごと愛することが出来るのだ。

 

 

そう考えたら、「黒歴史」もなんだか愛おしく感じられないだろうか?

 

 

少なくとも

自分には手におえないくらい「巨大なブラックホール」だったものが

「真っ黒くてちっさくてモソモソ動く(?)マリモ」

くらいには感じられるようになるかと思う。

 

 

「コイツぅ☆なんだか可愛いゾ☆」

といった感じで、思わず突っつきたくもなるだろう。

 

 

しかし、一方で、

他人から笑われたり、色々言われたり、軽蔑されたりする可能性を考えて、

皆、自分自身の黒歴史を何としても隠したがるんだよね。

 

 

もちろん、言いたくないことは言わなくてよいし、

人に知られたくないことは隠してしまって構わない。

 

 

ただ、「人がどう思うか」という懸念に関しては

それは「他人の領域」なのだから、あなたにはどうしようもないことである。

 

 

 

僕も今この記事を書いているだけで

 

おそらく後々から

 

「ヒョエーーーーーーーーーー

 

ナニコレハズカシーーーーーィ//////

 

穴ガアッタラ土ヲカケテ埋メターーーーーィ//////

 

 

…と、自分で書いた記事を消したくなることは確実にあり得るだろう。

 

 

(↑※ちなみにどうでも良いことだが、

「穴を埋めるだけ」なら、穴がそこからなくなるだけである。

何もその中に隠しはしない。

つまり、特に意味はない行動である(笑)。)

 

 

僕もかつては自分のドメインではなく、無料ブログをやっていたのだが、

その時のブログもとい記事は全て消してしまっている。

 

 

当時は「消す」という作業が断捨離となり、

自分をリセットさせるものとして大切だと思っていたのだが、

 

 

今後は、例え読んでいて恥ずかしく感じるような記事が出てきても

一切消すことはないだろう。

 

 

そのかわり、修正はするかもしれないが。

 

 

というのは、自分が「これはダメだ」「駄作だ」と思っているようなものでも

案外、他の人にとってはそうでもないケースもあるからである。

 

 

受け取り方は人それぞれなわけだし、

僕の黒歴史に触れて「元気が出た」という人が少なからずいるのであれば、

「それは絶対に残しておくべきだろう」と思うようになったのだ。

 

 

もしかしたら「明日死のう」と絶望の淵に立たされていた人を

「明日も生きよう」という夢と希望とワクワクに満ち溢れた人へと変える…

そんなことだってできる可能性だってあるわけだ。

 

 

もし、そうなったら黒歴史は「黒」じゃなくなる。

 

 

本来「黒」という色はとても強い色なのだ。

 

 

 

 

絵の具を使ったことがある人ならわかるかもしれないが、

黒に他の色を混ぜても他の色を殺してしまいかねないし、

少しでも黒が混ざれば明るい色へ変えることが難しくなる。

 

 

つまり、作品を作る上では、

非常に気をつけて扱わないといけない色なのだ。

 

 

 

 

ところが…

 

 

なかなか消すことのできない、受け入れがたい自分の中の「黒」を

「それでも良いよ」と受け入れてくれる人が現れる…

 

 

そうなると、

全ての「黒」をまっさらな「白」に変えてしまう、

奇跡のような現象さえ生み出してしまうのかもしれない。

 

 

そう思ったら、

「黒」しか生み出せないような自分でも

 

例え自分の歩いた道が全て「黒」に染まるばかりで、

その「黒」によってこれからも他の誰かに迷惑をかける可能性があったとしても

 

 

「むしろそれで良いんじゃない?」

 

 

と思えることだろう。

 

 

 

僕だってあなただって

 

「自分自身が思っているほど、他の人は何とも思ってないわけである。」

 

 

それが事実ならば(…というか、事実だけど)、

もう考えるだけ無駄というか、

 

 

「人に迷惑をかけないように」と自分の行動を制限させてしまったり、

人の顔色を伺ったり、

失敗をすることに過剰な恐怖を抱いたり、

 

…こういった「あなた自身が息苦しくなる行動」を

しなくて済むようになる。

 

 

「自分はこう生きたい!

自分の生き方をどう思うのかは完全に相手任せだ。」

 

 

…と思いながら、「自分の領域」と「他人の領域」を割り切ることで、

自分の要求や気持ちに素直になれるかと思う。

 

 

相手の問題と自分の問題を切り分ける方法についてはこちら↓

 

自分の機嫌を取る方法についてはこちら↓を参考にしてね。

 

 

 

まとめると…

 

「人生はまさに 現在進行系の暗黒世界」

 

 

 

 

これこそ黒歴史確定の厨ニワードになってしまったが(笑)

 

 

誰も彼も生きていれば当然、

ブラックな部分があるわけだし

ブラックな部分に人間的な魅力を感じることもあるわけだ。

 

 

「黒くなるのは仕方がない」

「黒い自分を愛したい」

「黒いあなたのことも受け入れたい」

 

 

自分自身にしろ相手にしろ

「黒だからダメ」なんじゃなくて

消し去りたりたい、隠したくなるような部分も丸ごと認めて愛することで、

虹色に輝く人間の多様性を、しっかり噛み締めて味わえるのではないか?

 

 

そう考えたら、僕の場合、自分自身の嫌な部分も、

あまり嫌だと思わなくなった。

 

 

「そうか〜あの時はこうしたかったんだね。」

「自分を認めてほしかったんだね。」

「ナメられるのが本当に嫌だったんだね。」

「でも不器用だから、うまく自分を表現できなかったんだよね。」

「大丈夫だよ。俺は全部わかってるから。」

 

 

そうやって過去の自分を受け入れてあげることで、

まるで我が子のようにギューーーーってハグしたくなるくらい

自分自身を愛せるようになったのだ。

 

同様に、他人に対しても寛容になれた。

 

 

最近では「リア充」というか

キラキラした発信が流行っているわけだし

それを否定しようとは思わない。

 

 

しかし、

 

「自分の中にある”黒”は決して悪いものじゃない。

むしろ自分の学びを皆に教えて、役に立ってもらおう。

自分の恥ずかしい過去を面白おかしく笑い飛ばそう。」

 

 

一見すると人様に見せるのも躊躇してしまうようなことでも、

あるがままのあなたを表現することで

より魅力的なあなたに人が集まってくることだろう。

 

 

また、人に共有して肯定的な意見をもらうことで、

「黒歴史を作り出しているあなた自身」を

過剰に怖がることもなくなるはずだ。

 

 

黒歴史を生み出すことを恐れず、

あなた自身の人生と向き合えたら

黒だけじゃない、あなたにしか生み出せない色が見つけられて

まだ目にしたことのない、新たな世界が開かれることだろう。

 

 

 

 

「レッツメイキング黒歴史。」

トランスで「彼女いない歴=年齢」の童貞だけど、何か文句ある?

ぶっちゃけると…というか

以前から度々言ってることだけど

 

 

 

僕には一切の性経験がない。

 

 

 

 

これを「気持ち悪!」

と思うのか、

「まぁ…人それぞれだし」

と思うのかは個人の自由だ。

 

 

僕にも、なんとなく「彼女欲しいな」と思っていた時期もあった。

 

 

今は全く思わない。

 

 

じゃあ彼氏が欲しいのかというと…決してそんなこともない。

 

 

 

彼女というか、恋人を作るのを単純に「面倒くさい」というのもあるし、

自分のことにしか興味が無いのかもしれない。

 

 

立場上だけで実質会う機会のほとんどない「恋人」ならいても良いと思うが、

そんな形だけの「恋人」も意味があるのか?と思ってしまうし。

 

 

それなら別にいなくても良いだろう。

 

 

一方で、性欲がないかというとそうでもない。

 

 

「緊縛」という性に関するアートをやってもいるのだ。

 

参考↓

 

 

単純に縄が美しいなと思うのと、

縄のアートって人体と縄さえあれば出来るわけだから

極めて原始的な部分も惹かれる要因であるのと、

縄酔いしている女性の表情や身体の様子が非常に艶っぽいからである。

(一方で男性はよっぽど美しい人じゃない限り何とも思わない。)

 

 

 

こちらも完全にアートとして縛り手として楽しんでいるものであり、

プレイとしての経験は皆無なのだが、

それでも18禁ものの動画や画像、本を見るのは好きな普通?の変態ノンケ男子なのである。

 

 

要するに、アセクシュアルではないということだ。

 

 

 

このように、僕と似た人々…つまり

「性欲は人並みにあるけど、恋人は別に欲しくないし、結婚願望もない。」

現状でこのような考えの人々が増えていると思うし、

これからますます増えていくはずだ。

 

 

これは世の中の流れとして防ぎようがないというか、

個人の生き方なのだし、

こういった人々を批判することは誰にも出来ないのである。

 

 

 

ただ、一方で、僕自身の現状としては、

「自分自身がするSEX」にも恋愛にも興味が無いということを

周囲に伝えていることはあまり無い気がする。

 

 

というか、セクシュアリティ関係なく、

自身の性についてあまり語りたがらない人は少なくないだろう。

 

 

そのためか、GIDやセクシュアルマイノリティのコミュニティや

友人との会話の中でも

 

「彼女できた?」

 

という話は普通にされるわけである。

 

 

 

確かに以前の僕だったら

「男として彼女を持つこと」に強い憧れを持っていたわけだし、

トランスジェンダーやGIDのコミュニティにおいて

男(性自認の性)としての会話、

つまり「一般的な男として恋人を持つかどうか」という、

自然な会話のやり取りを楽しむのも良いだろう。

 

 

というか、トランスに限らず、

「当事者自身のセクシュアリティに合致した会話」というのは、

マイノリティ当事者に好まれる傾向はある。

 

 

これは当然だ。

例えばゲイの人は男の話をするほうが楽しいわけだし、

ビアンの人は女性に関する会話のほうが喜ぶだろう。

自分が自然体でいられるんだからね。

 

 

しかし、そういったコミュニティの中ですらも、

自分がちょっとでも外れてしまうと、

相手の「常識」を押し付けられるケースも決して少なくないわけだ。

 

 

例えば、僕が「彼女いない」と言えば

 

「なんでー?早く作らんばー?」(何故かうちなーぐち)

 

というような反応が返ってくるのである。

 

 

しかし、これはある意味、「楽しむ」ために行われる会話のやり取りである。

 

 

こういう「本来の自分に合った会話」をすることで、

「恋人いない」というのが自虐的かつ他人をいじる要素にもなるわけだし、

これらは一般的なノンケ(異性愛者)の人々でも行われている「普通の会話」でもある。

 

 

「本来の自分」を実感できる「普通の会話」をすることで、

これまで押さえられていた部分が開放され、

同じ気持ちを共感できる仲間といることが、喜びに感じられるのである。

 

 

ただ、「恋人いない」というのは、

それだけで「その場のネタ」として楽しく終わればよいのだが、

こういったことが積み重なると、

 

「他の人は可愛い彼女さん連れてきているのに…。

 彼女もできないしモテない自分なんてダメだ。」

 

と劣等感を感じるようになってしまう危険性もある。

 

 

 

僕自身もどこかでそう感じていた部分があるのかもしれないし、

「恋人いない人には、本人に何かしら問題があるからできないんじゃないか」

というような社会の風潮も手伝って、

なおさら自己否定につながっていったところもあるかと思う。

 

 

 

しかし、以下の記事を読んで、

「別に恋人を無理して作る必要もないのかな?」

と思うようになってきたのだ。

 

 

むしろ…

 

 

「恋人を作らないことを選択する」

 

 

そんな生き方を楽しもうとさえ思ったのだ。

 

その記事がこちら↓

 

 

記事を読んでいるだけで元気になるというか、

まさに自分が求めていた内容である。

 

 

特に僕がこの記事を読んで、一番響いたのがこの部分だ。

 

 

息をするように「普通はこうでしょ」とか「それが常識でしょ」と言ってしまえる人は、あまり信用しないほうがいいでしょう。「普通」や「常識」がいかにアテにならないか、無邪気に振りかざすことがいかにタチが悪いか、そこにまったく気付かないのは、けっこう残念なポイントです。まあ、悪い人ではないかもしれませんけど。

 

 

この文章を見て、先日たまたま目に入ったこちらのツイートを思い出したのだ。

 

 

 

 

そうだ。

 

 

今、何かしらの「常識」を周囲から押さえつけられ

生きづらく感じている人はたくさんいるかと思う。

 

 

そんなあなたが第一に考えるべきことは

 

「大衆に好かれること」よりも

 

「自分が、大切な人が、どうしたら幸せになれるか」

 

ということだけで良いのだ。

 

 

 

だって「大衆」はほとんど何も考えていないからだ。

 

 

 

「大衆」は、眼の前にある「常識」をいとも当然のようにむさぼるだけだ。

 

 

 

だから、人付き合いをしていると、

 

「悪気がない、いい人だけど、一緒にいることに何だか違和感を覚える。」

 

そんな機会が増えてくるのである。

 

 

 

そんな「いい人たち」というのは、例えるならば、

 

まるで動物園の檻の中で一生を終える

「見せ物としての動物」なのである。

 

 

 

 

 

自分が住んでいる世界以外に、世界があることを知らない。

 

毎日決まった時間、飼育員に差し出される餌に、当たり前のように食らいつく

 

…そんな状態なのだ。

 

 

そんな動物たちに

 

「外の世界ってもっとずっと広くて面白いらしいよ!行ってみようぜ!」

 

と言ったところで、

 

 

「また変なこと吹き込まれたんだね。」

「危ないからやめたほうが良いよ。」

「飼育員さんが檻から出ちゃダメって言ってるでしょう。」

 

こんな感じで返されるのがオチである。

 

 

 

あなたはなんとなーーーーーく周囲から心配されてしまい、

 

瞬く間になんとなーーーーーく浮いてしまうだろう。

 

 

そんな環境の中に居続けたら

「自分っておかしいのか?」とも思うようになり、

モヤモヤした日々を送ることになるだろう。

 

 

我慢しながら自分を抑えながら

そんな「いい人」たちと付き合って

あなたに何のメリットがあるだろうか?

 

 

むしろ…

 

 

一緒に「外の世界」へ飛び出してくれる仲間。

 

 

あなたの言葉に

「いいね!」「やってみようか!」

と答えてくれる仲間。

 

 

そんな仲間たちを探すことに熱意を注いだほうが

あなた自身が大きく成長する可能性が高まるのではないだろうか?

 

 

 

 

 

どんな人と付き合うのかは、あなた次第だ。

 

 

環境も、住む場所も、毎日をどう楽しむかも

全て、あなた自身が選べるのである。

 

 

 

いちいち人のせい、環境のせいにしてばかりいると

自分ではどうにもならずに苦しくなるばかりだけれど、

 

自分の選択により引き起こしたことなら、

「自分で選んだんだから自分の責任」

と思えるようになるわけだし、

「それならば、変えることができる」

と考えられるようにもなる。

 

 

そういった「自己決定」の考えが当たり前になってくると非常に楽だし、

あなたの人生をより良くすることも、能動的にできるようになる。

 

 

 

また、あなた自身が誰かから嫌われるかどうかよりも、

あなたが気持ちよく心地よく

自然体でいられる相手といかにして関係を築くかが重要である。

 

 

言葉選びに過剰な気を使う相手からは離れる。

 

 

「〇〇すると良いよ。」とあなたのためを装って

コントロールしてくるような相手からは離れる。

 

 

あなたが怖い思いをした時、嫌な思いをした時、

悩み相談をしても反応が薄い(味方になってくれない)相手からは離れる。

 

 

「社会人として」とか「常識」とか「固定観念」とか

「多数派の正しさ」を押し付けて来る人からは離れる。

 

 

自分がなんとなく軽んじられている気がする相手からは離れる。

 

 

自分がいてもいなくても関係ないなら、そのコミュニティとは距離を置く。

 

 

その代わり、人間的に惹かれる、誠実な人だけと個別に関係を深めていく。

 

 

 

繰り返すと、こういった「誰と付き合うか」も全て、自分の責任。

 

 

 

あなたが自然体で振る舞ってもストレスに思わない人々、

あなたが常識から外れた一面を持っていることに寛容である人々、

あなたの全てを肯定的に捉えてくれる人、

 

 

「童貞」の話からは逸れたけど、

別に誰が何でも良いわけだし、

どんな考えを持っていても良いわけである。

 

 

その考えが世界を変える可能性もあるわけだし、

誰かの「代弁者」になることだってあり得るのだ。

 

 

まずはあなた自身が「体現者」になって、

自分自身の人生を思い切り楽しむ。

 

そんなあなたの生き方が、

多くの人々にとっての共感を生むことになるだろう。

 

 

あとはあなたに共感してくれた人と一緒に

 

「幸せの種」を世界中に撒いていき

 

美しい花々を咲かせていけば良いだけ。

 

 

 

 

「こんな荒れ果てた荒野に花なんか咲かないだろう。」

 

そんな人々の常識を覆すことこそが

 

あなたが生まれてきた使命なのだ。

 

 

 

「常識から外れたあなた自身の存在」を否定するな。

 

 

 

「私が存在することで、人々に気づきを与えることができる。

 

私は非常に尊くて貴重な存在で、愛される価値もある。

 

否定する輩、乱暴に扱う輩は全て、木っ端微塵に焼き尽くす(笑)。」

 

 

誰かの心無い一言によって少しでも心が折れかけたなら

「あなたのためを思って」を免罪符に誰かからの人格攻撃を受けたなら

ぜひこの↑言葉を思い出してみてほしい(笑)。

 

 

「童貞でも良いじゃん。」

「周囲の価値観に合わせなくても良いじゃん。」

「変わり者で良いじゃん。」

 

 

それだけを伝えたいがために書いたこの文章が…

 

少しだけでも良い。

 

あなたの心の支えとなることを願う。

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