自由な時間を増やすために、スマホ離れを始めようと思う〜導入編〜

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だよ。

 

 

今日は、

 

「自由な時間を増やすために、スマホ離れを始めようと思う」

 

というテーマで語っていきたい。

 

 

実は、スマホに関してあまり利用歴が長くなく、

2年前の年末にiPhoneを購入してからになる。

 

 

※↓節約のためにiPodとガラケーの2台持ちをやめて、

docomoから格安ブランドに変更した時のことを書いた手記。

今の支出を見直して不必要なものを断捨離して、

貯金を増やして豊かになりたい人はぜひ参考にしてみてね。

 

 

 

 

その結果、iPhone一台にしたおかげで手軽になったのは良いのだけれど、

やはり依然として問題になっていたことは変わらなかった。

 

 

 

それは

 

「ついついスマホを見てしまう」癖だ。

 

 

 

 

 

そもそもなぜスマホを見てしまうのか、

ニュースサイトやSNSの情報を見てしまうのか

いろいろ調べて、考えてみた。

 

 

 

 

そもそもデジタルデバイスというのは、

人類の歴史から見ても、非常に新しいツールである。

 

 

元々人間というのは、

家族という狭い共同体の中で生きて、

特定の友人だけと仲良くしていれば良かった。

 

 

それが、デジタルデバイスの普及により

SNSによって多くの人と繋がりを持てるようになり、

「ともだち」の数も大幅に増えた。

 

 

その一方で、少人数の人としか深い関わりを持てないという

基本的なスタイルは変わらないものだから、

現代では友達の母数が増えた分、人との関係性が希薄になっているのも確かだ。

 

 

そして、寂しさや虚しさを紛らわすために、

より多くの繋がりを求めるようになり、

スマホから少し時間を置いただけでも

「繋がりがなくなってしまう!」という不安が生じ、

安心感を得るためにスマホに駆け込んでしまうのだ。

 

 

俗に言う、「スマホ依存症」ってやつだね。

 

 

 

 

また、SNSの人間関係は良い面もある一方、

悪口を言われるのが嫌で、グループを退会したいのに出来なくて悩んだり、

誰かのフォローを外されたりブロックされたりというだけで

傷ついてしまう人も多いという。

 

 

ぶっちゃけ、僕もそのタイプだった。

 

 

今ではもう関わりたくないと思った人に対してはブロックするし

抜けたいと思っているグループは頃合いを見て退会するか、

傍観者に徹することで状況を楽しんでいるので、

過去と比べればまだ、気持ちが楽になってきてはいる。

 

 

SNS上の人なんて永久的に仲良くなれるという保証もないし、

ちょっとしたことで一喜一憂するのも精神衛生上良くないし、

いちいち気に病んでしまう自分をどうにかしたいと思うようになってからは、

ちょっとずつ良い方向に変わりつつあるのだ。

 

 

※ちなみに、SNSのブロックは全然気にする必要はない。

SNS上の人間関係に悩んでいる方は、

もし良ければ↓こちらの手記も参考にしてみてね。

 

 

 

 

また、スマホ依存症のデメリットは、「繋がりが絶たれる恐怖」だけではない。

 

 

情報を手軽に得られるようになったおかげで

情報を得れば得るほど、「損をする恐怖」も感じるようになっていく。

 

 

僕の場合だと、ついついお得な情報や節約の情報も気になってしまうし、

災害などの「恐怖」に対する情報にも敏感になってしまっていたことに気づいた。

 

 

「この情報を逃せば、損をしたり、嫌な思いや危ない思いをしたりするかもしれない。

もしかしたら、知らなければ命を落とす情報もあるかもしれない。」

 

ってね。

 

 

 

 

情報に対する好奇心は、興奮や喜びを得られる一方で、

こうした不安感も常に含んでいたのだ。

 

 

記憶に新しいところ(というか、2020年6月も現在進行系か)だと

コロナウイルスに関する色々な情報などが流れていると思うけど、

 

大昔から人類はコミュニティなどで、

こうした「外的な要因」に対する情報を得ることで脅威から逃れ、

「命」を繋ぎ止めて来たのだ。

 

 

そのため、情報を得たら「教えたい!」と思うのは人間の特性上仕方のないことで、

間違った情報や風評も含め、様々な情報が飛び交う現象が起こるのは、

「そういうものだ」と受け止めて、気をつけるしか無いだろう。

 

 

その上で、情報に振り回されないためにも、

自分自身がネットリテラシーを高めて、

情報を選ぶ際の明確な判断基準を持っておく必要がある。

クリティカルシンキングを活用することも有効だ。

 

 

 

僕個人としては、コロナウイルスに関しては、

個人的に信頼できそうな情報源を見つけたので、

いちいち情報に流されるということは少なくなってきたけれど、

これからまた別の「異変」が世の中に訪れた時に、自分自身がスマホに逃げて、

情報を得るために莫大な時間を費やす可能性はあるだろう、と思う。

 

 

このような人間関係や脅威に振り回されないためにも、

 

「情報」による恩恵を受けつつ、

「情報」による被害を最小限に食い止めるためにも、

 

「情報断捨離」や「デジタルデトックス」は有効な方法だと考えている。

 

 

 

以上をまとめると、

 

人間関係や質の高い情報を得るために、

デジタルデバイスの恩恵を受けつつも、

ストレスを極力軽減させ、

自由な時間を増やして、本当にやりたいことに集中するためにも、

「無駄にスマホを触ってしまう時間」を減らす必要があると思ったのだ。

 

 

かくいう僕自身も、あまり多くの人と関係を持つことが出来ないし、

LINEも正直苦手に感じている部分もあるのだが、

ある程度世の中の恩恵を受けるには、

大多数に迎合していく必要もあるのだ。

 

 

 

その上で、「スマホからの心理的な開放」を目指しつつ

今できる限りのことを実践していきたい。

 

 

↑スマホから精神的に開放された時のイメージ画像

 

 

―こうして、僕の情報断捨離劇が幕を開けたのであった―

 

 

 

 

具体的に実践した方法については、次回↓にて説明しているので、

もしよろしければどうぞ。

 

 

※リンクは後日掲載します。

大自然の中で瞑想をして気づいた「本当に大切なもの」

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だよ。

 

 

今日は、

 

大自然の中で瞑想をして気づいた「本当に大切なもの」

 

として、自然が身体にもたらす効果について

実体験や調べた情報を元に語っていきたい。

 

 

 

最近、最低でも週に2回はビーチや公園に行き、

散歩やアーシング、 瞑想を行っている。

 

 

※画像は別の時期の、石垣島で撮ったもの。

 

 

 

さらに、時間に余裕があれば自然の中で読書をすることもあるし、

夏場は海で泳ぐこともある。

 

 

アーシングについて詳しくはこちら↓

 

 

 

また、旅をする時は都市部でのショッピングよりも

山や海などへ行くことが多く、時には離島へ行くこともある。

 

 

↓飛龍の滝へ訪れた時の記録。滝大好きー!!

 

 

 

このように、普段の習慣としても、レジャーとしても、

自然で過ごす時間を意識的に増やしているのだ。

 

 

自然の中で過ごす習慣は今に始まったことではなく、

ここ数年やっていることだ。

 

 

ただ、去年まではビーチに行っても

30分いるかいないかといった程度だった。

 

 

ビーチで海辺を歩くのは気持ち良いけれど、

なんとなく早く帰りたい気持ちが常にあったのか、

 

「さっさとやること済ませて、家に帰って別のことがしたい」

などという義務的な要因もあったのか、

 

そんなに長い時間は居られなかったのだ。

 

 

 

一方、最近では周辺の公園や遊歩道の散策、そして瞑想も含めて、

40〜60分くらいは、海などの大自然に身を置くようにしている。

 

 

瞑想を始めようと思った時の話↓

 

 

瞑想も、最初は「面倒くさい」と思ってあまり時間をかけなかったのだけれど、

その恩恵を具体的に感じられるようになってからは、

10分以上はやるようにしている。

 

 

今日に関しては20分も瞑想をやったし、

それ以上やっても良いかなと思ってしまったくらいだ。

 

 

一方で、以前の僕というと、

瞑想があまり得意でなかったというのもあるし、

なかなか瞑想をする気にならなかった。

 

 

というのも、瞑想している間は何もできなくなるから、

その間何も生まれることはないし、仕事もできない。

生産性もないし、時間のムダになるのでは?

 

と、思い込んでいたのだ。

 

 

そしたら、実際は真逆で

むしろ、瞑想には、集中力と生産性を高める効果があるのだ。

 

 

加えて、リラックス効果を始め、身体やメンタルにも良い影響を及ぼし、

それ以外にも様々なメリットがあるというので、

こんな最強なものをやらない理由はないと思ったのだ。

 

僕自身、根っからのスピリチュアルではないので、

科学的なエビデンスがないと、今ひとつやる気が起きなかったようである…。

 

 

さらに、大自然で過ごすことは、

マッサージなどのリラクゼーションよりもリラックス効果が高いことが

科学的にも証明されているそうだ。

 

 

そのため、

「お金をかけずにストレス解消が出来るのなら、自然って最強だな」

と思えるようになったし、

以前にも増して積極的に自然と戯れるようになった。

 

さらに、様々な恩恵を得られるというか

悪いことは何一つ無いという理由で

瞑想をする時間も増やすことが出来たのだ。

 

 

 

 

そして、こうして自然と接したり、

瞑想やアーシングなどを行っていくうちに、

自分の考えの過ちに気づいた。

 

 

お金や生活のために時間を使うことは、

結局の所、動機が「お金」になってしまっている。

 

 

しかも、「お金」は必ずしも、

自分自身の幸せに直結するわけではないのだ。

 

 

お金はあくまでも、

 

「自分がやりたいこと、なりたい自分を目指して、結果として伴った指標

 

でしかないことに気づいたのだ。

 

 

逆に、「お金」に目を向けすぎていると、

心の奥底から自分が発している「心の声」に、

耳を傾けられなくなる可能性がある。

 

 

もちろん、仕事などの稼ぐ手段は必要だけれど、

お金のために精神を病んだり、健康を損なったり、最悪命を絶ったりなど

人生を棒に振ってしまうことがあっては絶対にならないし、

お金のために好きなことを犠牲にしすぎるのも、

何のために生きているのかわからなくなる。

 

 

「自分の内面」に意識を向けてこそ、

本当に自分が生きたい自分でいられるわけだし、

同じ時間を過ごすにしても、

お金を生み出す作業だけでなく、

自分が好きなものや大自然に癒やされながら、

自分自身が自然体でいられる時間を増やすことが大切だ。

 

 

そう思ったのだ。

 

 

自然体でいられる時間が増えるほど、

自分の内面の変化に気づく時間も増えるわけだからね。

好きなことをする時間や、癒やしの時間を増やすことも出来るのだ。

 

仕事も真面目すぎず、完璧主義すぎず、

「好きに過ごせる時間を増やしたい」

と効率化出来るようになる。

 

そのため、自然の中で一定の時間を過ごすことは、

時間的なコストパフォーマンスが非常に高いのでは?

と判断しているのだ。

 

 

自分にとっての「癒やし」について考えてみた時の話↓

 

 

ちなみに、上の手記を書いた時は、

YouTubeなどでの犬猫動画より、実際に犬猫に触ったほうが良いと思っていたのだが、

今は全くそんな考えは無くて、犬猫の動画もよく見ているし、

インスタなどでもワンちゃんや猫ちゃんのアカウントを

たくさんフォローしている。

 

 

そりゃ実際に触ってモフモフできるならその方が良いけど、

自然と同じで、犬や猫などの動物動画を観るだけでも癒やされるなら

観たほうが良いだろう。

 

 

 
 
 
 
 
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公園に行く時間すらも取れないという方は、

通勤中や休憩中の空き時間に自然音を聞いたり、

自然の画像を待受にするのも良いみたいだよ。

もちろん、大自然の動画やDVDを観るのも効果的。

 

 

実際僕も待受に関しては、

スマホに元々プリインストールされている「地球」や

ネットから拾った宇宙の画像にしているのだけれど、

スマホを開くたび、なんとなくだけれど、

宇宙の神秘や偉大さを感じているような気がしている。

 

 

※スマホ用・宇宙の壁紙画像が無料で手に入るサイト↓

 

 

自然にしても何でもそうだけれど、

習慣や身の回りのアイテムに関しては、

「ない」ものに目を向けるのではなく、

「今できること」をちょっとでも変えるだけで良い。

 

 

それで何も変わらなければそれまでだけれど、

何かが変わるのであれば、

自分を知る上での新しい発見になるのだ。

 

 

まずはデジタルな方法でも構わないので、

あなたの毎日の習慣に、

「自然と接する時間」を増やしてみることをオススメする。

 

 

 

最後に、本日のブログは今までより早い時間に書いているが、

今までは21時を回ってようやく書く体制になれたのだ。

いつも出かけるのが遅いから帰宅時間も遅くなり、

作業自体も遅くなっていたというのもあるけど。

 

 

集中力が高まり、生産性が高まったのも、

自然の中で過ごす時間と、瞑想の時間を増やした結果、

得られた賜物なのかもしれない。

 

 

晴れた日はカフェなどの代わりに

お天道様の下でパソコン作業するのも良いかもしれないし、

今後も自然の中で過ごす時間を増やしていけたら良いなぁ。

 

 

万が一自然と戯れても、不安感が拭えないという方は、

よろしければ下記の手記も参考にしてみてね。

 

 

 

世界には、こちら↑で紹介している書籍のような奇跡も起こり得るわけだし、

もっと肩の力を抜いて生きてみないかい?

 

完璧主義より、完了主義。

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だよ。

 

今日は、

 

「完璧主義より、完了主義。」

 

をテーマに、話をしていきたい。

 

 

 

今日は、ブログバナーを作っていた。

 

 

 

 

ブログのバナーについては、

開設当初から作りたいというか、作らなきゃと思っていた。

 

 

でも、なかなか手を付けることが出来ず、

2017年のブログ開設から約3年もたった今、

やっと作ることが出来たのだ。

 

 

ブログバナーのデザインなんて極端な話、

適当な画像を選んで、文字を真ん中にどーん!!と乗せれば

それだけでも成り立つのに。

 

 

それに、僕はPhotoshopなどの画像編集ソフトも全くの初心者ではないわけだし、

よくよく考えたら大してハードルの高い作業ではない。

 

 

それではなぜ、なかなか手を付けることが出来なかったと言うと…

 

 

 

完璧主義の罠にハマっていたからである。

 

 

 

 

僕は物事を進める上で、

どうしても高いレベルを求めてしまうことがある。

 

 

 

今回のブログバナー作成の話だと、

最初から完璧なバナーなんて出来るはずもないのに、

どうしても凝ったデザインを頭の中でイメージして、

「これくらいのものを作りたい!!」

って思っちゃうんだよね。

 

 

で、最初からレベルの高いものを求めてしまうものだから、

なかなかモチベーションが上がらない。

 

 

「バナー作らなきゃ〜

 

でもな〜

 

他にやることあるしな〜

 

とりあえずやる気出るまでゴロゴロしよ

 

運動もしなきゃだから買い物がてら散歩に行こうかね

 

あ、そういえばあれもやらなきゃこれもやらなきゃ」

 

などと思いながら、

 

そのままズルズルと時間だけが経過してしまったのである。

 

 

しかも、バナーなんてなくてもブログは書けるわけだしね。

 

 

 

しかし、

先日とある方の呼びかけで参加させていただいた

Facebookの無料デザイン講座のグループで、

改めて、デザインの効果について学ぶ機会があった。

 

 

 

そこで、デザインって自分が思った以上に

ものすごい力があるんだなって思ったし、

 

しかも、デザインってもしかしたら、

特別な技術や才能、センスなどなくても、

誰にでも出来るものなのでは?と思ったのだ。

 

 

その時のことを書いたブログ↓

 

 

 

また、僕自身、「先延ばし」に関する本を読んだことで

いろいろ気づいたことがある。

 

 

ブログバナーは、ブログの顔でもあるわけだし、

このままブログのバナーを作らないでいたら、

もしかしたらデザインがあることで得られる恩恵を

受けられなくなるかもしれない…。

 

 

それはもったいない!!!!

 

 

そう思ってバナーを作ることにしたのだ。

 

 

 

 

今回作ったバナーは

ありあわせのイラストを組み合わせただけである。

 

それでもなかなかイメージ通りにならなくて、

3時間はかかってしまったけどね。

 

正直、一からイラストを描いて

完全にオリジナルなバナーを作りたかった。

 

 

でも、先に述べたように、

 

自分が目指すべきは、

「完璧主義」から脱して「完了主義」になること。

 

 

つまり、

 

「とりあえずやっちまえ。あとはなるようになるんだ。」

 

という精神が必要なのだ。

 

 

今回作ったブログバナーも、また変更するかもしれない。

 

しかし、それは自分が「変えたい」と思った時で良い。

 

 

「このままでも良いかな」と思ったら

しばらく様子を見ていけばよいし、

 

「違うな」と思ったら変えれば良いんだ。

 

 

完璧主義のままだと、理想ばかり追い求めて、

なかなか行動に移すことが出来ない。

 

 

しかし、完璧主義から完了主義になることで、

軌道修正…つまり行動の回数を増やしていき、

その度に得られる恩恵を最大限に受けられる。

 

 

そう考えたら、先延ばしせずに、

どんどん行動してみよう、

いろんなことに挑戦してみようじゃないか!!

 

 

そう思えたのである。

 

 

あなたも、もし何かをやりたいのに

ついつい先延ばしにしてしまいがちだったら

ぜひこのように思ってみてはいかがだろうか。

 

 

「いきなり100点なんて目指さなくて良い。

まずは10点でも良いし、1点だって構わない。

何もやらないより0点よりずっとすごいんだから!」

 

 

ってね。

 

 

そして、

もし昨日よりほんのちょっとでも前へ進むことが出来たら、

たとえ思っていた通りの成果にならなくても

 

「これしか出来なかった」

と嘆くのではなく

 

「これだけのことが出来たんだ」

と、挑戦した自分を認めてあげよう。

 

 

 

 

ちなみに…

 

完璧主義はマキシマイザー

完了主義はサティスファイザー

というらしい。

 

 

先日読んだ本で

「自分はサティスファイザーとマキシマイザーのどちらなのか」

診断できるテストがあったのだが、

 

 

僕の結果は、

「マキシマイザーの性質を持つサティスファイザー」

といった感じだった。

 

しかも、点数として限りなくマキシマイザーに近かった。

 

日本人はどちらかに偏っているわけではなく、

この中間的な特性の人が多いみたいだね。

 

 

だからか…

基本的にサティスファイザーなので、

日常的に買う商品やサービスなど、大概のことは満足してしまうのだが、

 

こういう何かを取り組む上では、

「認められたい」という思いが強いのか、

マキシマイザーを発揮してしまうのだろう。

 

 

「自分を良く見せよう」なんて、毒でしか無い。

 

 

プライドなんて捨てて、もっと自分にあまちゃんになろうぜ。

 

 

あなたはサティスファイザー、マキシマイザーのどちらかな?

 

診断に興味がある方はぜひこちら↓の本をチェックしてみてね。

 

後悔しない超選択術

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「2つの虹色」という色彩から見る、日本人の感性

コリュにちばんこ〜。

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だよ。

 

 

ここ数日、久しぶりにがっつり生みの儀式を行った。

 

 

平たく言えば、キャラクターデザインをして、

Photoshopでイラストを描いていたのだ。

(ていうか、儀式ってなんだ。むしろこっちが聞きたい。)

 

 

 

 

 

YouTubeでの動画発信も視野に入れつつ、

今後はサイトを様々なキャラクターで盛り上げていきたいと思っている。

 

 

今また別のキャラクターも考案中だし、

生み出したキャラクターを使って、

デザインの仕事なども受注出来るようになれば良いなと思っている。

 

 

 

 

まず、本題の前に、新しいキャラクターの設定について、

ちょっと語らせておくれ。

 

上の新しいキャラクターは「コリュの本体」っていう設定で、

「七尾の狐狸(コリ)」という妖怪である。

 

まさに私「煌琉」そのものを表している。

 

 

 

↑狐と狸の妖怪・コリュ

 

 

一方、「コリュ」はいわば人間界での仮の姿。

人間界で生活できるように

ちょっと親しみやすい姿になっているのだ。

 

 

実際、ご当地キャラやアニメなどの人気キャラクターは

見た目がより動物に近くて、丸っこい、

可愛らしいキャラクターのほうが好まれている傾向にあると思う。

 

くまモンとかドラえもんとかね。

 

 

逆に、新キャラで身体がピンク色の「煌琉」のほうについては

神聖かつ神秘的で、かっこいいフォルムのデザインを目指したのだ。

 

 

 

 

…さて、ここでようやく今回の本題。

 

「2つの虹色」という色彩から見る、日本人の感性

 

をテーマに、意気揚々と語っていきたい。

 

 

 

 

まず、新しいキャラクターの”しっぽの色”や”身体の色”について、

なぜこの色彩を選んだのかと言うと…

 

 

「日本人の感性としての『虹色』を、

デザインに盛り込みたかったから」

 

である。

 

 

 

………ん?

言っている意味がわかんねーぞ?

 

と、思われたに違いない。

 

 

順を追って説明しよう。

 

 

 

まず、しっぽの色について。

 

 

新しいキャラクターデザインは妖怪「九尾の狐」がベースとなっているが、

しっぽは「七尾」となっている。

 

 

七尾で、かつ色は「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」

 

つまり、虹色となっているのだ。

 

 

「九尾の狐」というものが存在するのに、

わざわざ「七尾の狐」…というか、「七尾の狐狸」にしたのは、

「虹色=七色」という日本人の感性を、しっぽにて表現したかったのだ。

 

 

 

実は、「虹色が七色」というのは、日本固有のものなのだ。

 

 

虹は各国によって色の数が違うのだ。

LGBTの象徴である「レインボーフラッグ」も六色だしね。

 

 

他の国にはない「藍色」が入っているのは

日本人が持つ豊かな色彩感覚によるものと思われる。

 

 

実際、「日本の伝統色」について調べると、

とても豊富な色の数々で、それぞれに名前が付いていることがわかる。

 

 

伝統色の一覧が確認できるサイトはこちら↓

 

 

 

このサイトからもわかるように、

鮮やかな色から暗い色、

どちらでもないような、微妙な色にも名前が付いている。

 

 

まるで自分の赤子に名前を付けるかのように、

一つ一つの色を大切にしている。

 

 

その昔の日本人の繊細な感性には、素晴らしすぎてため息が出る。

 

 

 

次に、2つ目の「虹色」に関しても説明していきたい。

 

 

新キャラクター「煌琉」は、狐っぽい色の「コリュ」と違い、

身体が黄色っぽい色ではなく、ピンクのような色にした。

 

 

 

最初は統一感を持たせるため、

上の図のように、「コリュ」と同じ黄色っぽい色にしたのだけれど、

「ある事実」をもとにピンク色にした。

 

 

その事実とは…

 

 

このピンク色は、日本の伝統色である「虹色」なのである。

 

 

 

 

人によっては見え方が変わるかもしれないが、

客観的事実として、色の情報を番号で表すと、

「#f6bfbc」という形で表現されるようだ。

 

 

この淡いピンク色「虹色(#f6bfbc」)」はなぜこの色なのかは

情報が少ないため、正直良くわからない。

 

 

しかし、こちら↓のサイトさんによると…

 

 

 

この虹色の由来は、薄い紅色は光の反射によって青みや紫みが強く見えるなど、

さまざまな色に移ろって見えたためということらしいのです。

出典:クラシノイロ

 

 

虹という光のプリズムが、さまざまな色に移ろって見えた結果、淡いピンク色となる。

 

 

今、僕たちはどうしても七色という固定観念から虹を見がちであるが、

科学が発達していなかった頃の昔の日本人には、そのような前知識も特にないだろう。

 

 

光の反射により色の移ろいを感じつつも、

自分たちの感性により、「単色のピンク色」に「虹色」という名前をつけたのは、

なんとも趣深いではないか。

 

 

カラフルな虹色も良いけど、単体で表現される虹色も素敵だなと思ったし、

可愛いものや細やかな部分を愛でる、

日本人の複雑かつ繊細な感性を大切にしていきたい。

 

 

…と思って、単色の伝統色である「虹色」も

自分のデザインに採り入れたわけだ。

 

 

 

 

こうして見ると、やっぱり身体の色も「虹色」にして良かったなと思う。

 

今では虹を見てもほとんど認識されないであろう、

このピンク色の「虹色」という存在が、

より多くの人に知ってもらえると良いなぁ〜。

 

 

 

日本人は昔から、様々な分野で活躍してきたし、

アニメや漫画などのアート関連や和モノのアイテムも世界で大人気だ。

 

昔の人のDNAが通っている以上、

同じ日本人であるあなたにも「素晴らしい感性」を持ち合わせている…

その可能性があることに、気づいてもらえると嬉しい。

 

 

 

 

そんなわけで、

キャラクターデザインの説明も兼ねて、

2つの意味の「虹色」について説明してきた。

 

 

つまり、日本人の「虹色」という概念は

 

「現代の日本人が共通して認識している、七色の『虹色』」

 

 

「昔の日本人が独特の感性で認識した、伝統色としての『虹色』」

 

の2つが色彩として存在するということだ。

 

 

※ちなみに、昔の人が「虹」をどう認識していたのかは

こちら↓でも説明している。

大昔の人にとっては、恐怖の対象でもあったようだよ。

 

 

 

 

最後に、

 

今回のテーマ

 

「2つの虹色」という色彩から見る、日本人の感性

 

ということで、

二種類の「虹色」から、日本人が素敵な色彩感覚を持ち合わせていたことが

おわかりいただけたかと思う。

 

 

当サイトでは、「なぜ日本人は精神性が高いのか?」に興味を持ち、

「日本の素晴らしさ」をより世界に広め、

日本人であるあなたがより魅力的な人物となり、豊かな人生を送れるよう、

日本人の「性」「美」「知」について様々な研究をしている。

 

 

日本人であるあなたが、誰にも従うことなく、

自分らしい人生をアート&デザインできるよう、

今後もより楽しく、ためになるサイトを目指して、

試行錯誤を重ねていきたいと思う。

 

 

まだまだやることはたくさんあるし、

ブログ更新や過去記事の整理などの作業は遅いけど、

確実に前に進んでいるので、

ぜひ今後の進展をお楽しみに!

学生時代には気づかなかった「デザインに秘められた”スゴイチカラ”」

コリュにちばんこ〜。

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だよ。

 

今日は少し嬉しいことがあった。

 

GW中に、Facebookグループで無料のデザイン講座があった。

Canvaを使って自分の作品を作るというものだ。

 

 

Canvaとは、予めテンプレートが用意されていて、

ちょっと変更するだけで、

簡単にオシャレなバナーなどが作れるスグレモノというものである。

 

 

Canvaは↓こちら

Canva

 

 

そのグループの中で、これまで作った作品の表彰式があったのだ。

 

そしてなんと…

 

 

僕の作品が最終選考まで選ばれたのだ!!!!

 

 

 

残念ながら大賞には一歩及ばなかったものの、

最終選考まで残り、

その他2つの個人賞の一つに、ありがたくも選ばれたのだ。

 

 

 

入賞した作品↓↓↓

 

 


 

 

 

その他、入賞しなかったものの、Canvaで作った作品はこちら↓↓↓

 

 

↑YouTubeのサムネを意識して作ったもの。

色彩に南の島の雰囲気が出ている、と評価をいただいた。

 

 

↑前衛芸術的な雑誌の表紙をイメージしたもの。

背景は有料の画像だと気づかなかったので変な線が残ってしまった。

 

 

 

ちなみに、コリュのイラストはフォトショで描いたものなので、

Canvaでは無料配布してないからね。笑

もちろん、無断での使用・無料配布などしたら容赦なく訴えます。

 

 

ただ、せっかくCanvaを使ったとはいえ、僕はほとんどテンプレ無視。笑

 

安定のテンプレクラッシャーというか、

「誰かが作ったものを利用するよりも、自分が何かを作りたい」

という欲求が強いのかもしれない。

 

 

講座のグループ自体は初心者の方が多かったものの、

初心者の方ならではの自由な発想は驚くほどのものばかりで、

加えて、現役デザイナーと思われる方や、元々のセンスが抜群な方、

コピーのセンスが優れている方、

使っている写真が綺麗な方などたくさんいらっしゃった。

 

 

そのため、その中でも選んでいただけたことは、純粋にものすごく嬉しかった。

 

それに、

 

自分のデザインを「良い」と言ってくれる人が

自分が思った以上にたくさんいた…

 

その事実に驚いたのだ。

 

 

 

というわけで、今回は、

この出来事をきっかけに気づいた、

 

学生時代には気づかなかった「デザインに秘められた”スゴイチカラ”」

 

ということで語っていきたい。

 

 

 

僕・コリュは、芸術大学のデザイン科出身である。

 

現役で入ったわけではなく、その前は別の大学の工学部に所属していたのだ。

 

必須科目の中では、数学が一番好きな教科だったし、元理系なんだよね。

 

でも、やはり「芸術を勉強したい!!」と思い、

半年間前の大学を休学して画廊に通い、受験勉強をする。

 

試験までは正直、

デッサンなどにおいては十分な対策ができたとは言えなかったけど、

奇跡的にも合格。

 

 

芸術大学に通うことができたのだ。

 

 

 

僕は当初デザインを学ぶ前には

「かっこいいデザインをしたい」

などという、漠然としたことを考えていた。

 

 

しかし、大学のクラスでは、当然だが自分よりも年下ばかりで、

素敵な感性と卓越した画力を持つツワモノ揃いの面々が揃っていた。

 

 

そのため、人と比べては落胆し、

嫉妬の炎に燃えたりということもあった。

 

 

こうして4年間、アニメーションを含み、デザインを学ぶことができたのだ。

 

 

しかし、僕は就職しない選択をせず、

フリーでやりたいと思っていたので、

デザイン会社で働いた経験は無い。

 

 

そういう実践的な経験があまりないからか、

サイトなどを作ってみたものの、

いざ、自分がフリーランスのデザイナーやイラストレーターとして

今の段階まで最初の一歩を踏み出すことが出来なかったのだ。

 

 

それまでは、無償の仕事として貢献することはあっても、

自分の仕事の価値が金額的に具体的にいくらになるか、

わからなかったからだ。

 

 

かといって、提示された金額で仕事をさせていただいたこともあったけど、

初めて聞いたことに関して一方的に責められるなど、

相手とトラブルになったこともあった。

 

 

そのため、一緒に組む人を選ぶという意味でも、

自分を安売りするのも考えものだと思ったし、

でも、また変な人に引っかかったらどうしようと思ってしまい、

一歩を踏み出すことを恐れるようになってしまった。

 

その前に別の仕事でパワハラにあった経験もあったしね。

人間に対する恐怖がなかなか抜けなかったんだと思う。

 

 

 

それに、デザインを仕事にしていきたいとは言えど、

単に技術や画力、感性やセンスなどに目を向ければ、

世の中には自分よりも格段に腕が良い人がたくさんいるからね。

 

 

 

そうやって悶々と悩み続けた結果…

 

気づいたら、自分には本当に強みとなるものがなかった。

 

 

 

これはマズイ。

 

 

そう思って、

僕はマーケティングも合わせて学ぶことで、

「自分が売れるもの」

を長年に渡って探してきたのだ。

 

 

それと同時に、

音楽ライブなどのイベントや美術館に足を運びながら、

人が創り出した素晴らしい表現や世界観にも触れていくことで、

 

「どうしたら自分の世界観を作れるのか?」

 

をも考えてきた。

 

 

そこで、今回参加させていただいたデザイン講座のグループにて、

 

「私はこのデザインが好き」

「申し分ないデザイン」

「世界観が出ている」

 

などの評価をいただいた。

 

 

 

そのおかげで、

 

「自分がやってきたことは間違いじゃないし、

自分が生み出したものには価値がある。

お金をいただいて良いものなのだ。」

 

と、確信したのだ。

 

 

 

そして、今一度初心に帰り、

デザインとは何なのか、

雨の中の散歩をしながら今一度考えてみた。

 

 

もちろん、デザインを行う上では、

配置や色彩や使う写真、イラスト、フォントや

全体のバランスなども大切だ。

 

 

しかし、デザインとは、

それら基本的なことよりも、もっと大切なことがあると思った。

 

 

それは

 

「デザインとは、いかにして人を巻き込んで、

世の中を良くしていくか」

 

ということである。

 

 

 

もちろん、自分の影響力は大して大きくはない。

 

しかし、実際的な”数”は、正直どうでも良いのだ。

 

最終的に結果が伴っていけば、数が自分の価値を直接示すものではない。

 

 

インスタのいいねの数や、Twitterのリツイート数にばかり気を取られると、

本質的なものが見えなくなるからである。

 

 

僕が思うに、

デザインをすることで、意識する上ではたった一つ。

 

 

「このデザインは、誰にとって共感できるか?」

 

 

ということだ。

 

 

 

上の文字は 五七五七七(字余り?)になっているけど、

正直、俳句なんて読んだことはなかったし

俳句をキャッチコピーにすること自体がベストとは思わない。

 

 

そこは、「完璧主義」を脱して、「完了主義」になるというか、

「今の自分にとって表現できるものは、これが最高だ」

と思うことにしたのだ。

 

 

そもそも、完璧主義である必要はない。

 

自分にとって最高の出来でなくても、

 

上の文章から、もしかしたら

 

「昨日受けた創(キズ)は隠したりする必要もないし、

かといって完全に無くなったりするものではない。

悲しみも喜びも全て『自分自身』。

全て受け入れて、明日の糧にしていこう。」

 

という、隠れたメッセージを受け取ってもらえたのかな?

 

と、僕自身、勝手に思っているのだ。

 

 

つまり、「本当に良いデザイン」を追求していくというのは、

 

「世界観に共感する人を見つけること」

 

だと思っている。

 

 

 

このブログを初めた当初は、

自分の芸術活動とお金を結びつけるのがなかなか出来なかった。

 

どうしても「お金が絡むと自分の世界観を汚す」という

自分が勝手に作り出した

「お金に対する負のイメージ」

がまとってしまっていたからだ。

 

 

しかし、デザインが「人を巻き込むもの」だと気づいてからは…

 

自分の世界観を届けることで、世の中が良くなるならば、

自分の提供するものを、自分が適正だと思う価格で売ることは、

至極当然のことだ

 

と、思えるようになった。

 

 

その提示した価格で「高すぎる」と思う人は、

自分にとって正直どうでも良くて、

「むしろ安い!!」と喜んで買ってくれる人だけと、

関係を築いていけばよいのだから。

 

 

そのため、最も大切なのは、

 

自分の世界観をいかに恥ずかしがらずに

 

「これでどうや!!!!」

 

と、ドヤ顔して提示させられることだ。

 

 

 

今までの自分は、恥ずかしがりすぎたのだ。

 

 

 

でも、もう決めた。

 

 

やらなければ永遠に今のままであるが、

やって失敗すれば、「経験」として自分の栄養になる。

 

 

だから、「恥」なんて捨てちまえ、と。

 

 

 

 

 

恥を捨てて自分の思いをデザインし、

デザインとしての”画”を魅せることで共有する。

 

 

そうすることで、

 

「この人の世界観やキャラクターは、こういうもの。」

 

と思ってもらえたら、こっちのもの。

 

 

世界の中でたった一つのものだから、安売りなんて出来ない。

 

 

あとは、「この世界に共感してくれる人」を見つければよいだけだ。

 

 

それが、僕が思う、

「デザインの本質」

 

というか…

 

「デザインが持つ素晴らしい力」

だと思っている。

 

 

嬉しいことも辛いこともたくさんあったけれど、

このようにデザインの効果が、ただ「見た目をオシャレにかっこよくする」…

それだけじゃないんだってことを、数々の経験が気づかせてくれた。

 

 

今後の課題もたくさんあるけれど、

自分が信じる信念を糧に、「世の中のデザイン」をしていきたい。

 

 

 

…というわけで、今回は

 

学生時代には気づかなかった「デザインに秘められた”スゴイチカラ”」

 

 

ということで、自分の過去の経験も含めて語ってきた。

 

 

僕自身はデザインの重鎮でも何でも無い、

ただの元学生&現在個人事業主&フリーター兼ただの妖怪であるが、

むしろ「何もない」者こそ、

この世に一つしか無い強みを生み出せると信じている。

 

 

長々と語ってしまったが、

あなたがもしこの話を読んで、

ちょっとでも勇気をもらえたと思っていただけたら、

ぜひ、ご自身の世界観を恥ずかしがらずに提示して、

たくさんの人々を巻き込んでいっていただけたらと思う。

 

 

それはきっと、あなたにしかできない「デザイン」なのだから。

 

 

 

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