新生から1年… 第一回目の聖書通読を経て感じた「己の変化」

先日、4月18日に誕生日を迎えた。

 

そして、その前日となる4月17日は、

一年前に、教会で洗礼を受けた日となる。

 

つまり、基督(キリスト)者として生まれ変わり、

早くも一年が経ったということだ。

 

信じる前の自分と比べて、明らかに「変わった」と実感できたこと、

また、聖書の通読を通して得られたことなどについて書いていきたい。

 

 

↓洗礼を受けた当時の正直な想いを綴った記録がこちら

 

 

一年前の自分と比べて何が変わったのか?

 

今、当時のブログを見返してみると、

その時の僕は確かに神を信じてはいたのだが、本当に右も左も何もわからず、

「とりあえず洗礼を受ければ、何かが変わるかもしれない」

と思い、期待に胸膨らませて水にドボンされた。

 

ただ…当時は僕自身の知識が浅くてブログに書くのを控えたが、

正直な所、洗礼前日に「イースターは異教の祭り」だということを知って

微妙な気持ちになったものだ。

 

それらの事実を知っていた友人達も、世に迎合していたからか、

「だからといって主の記念日を祝わないのも良くない」という考えだったので、

当時は「そういうものなのか」と思って受け止めることにした。

 

しかし、今の僕としては

「クリスマスやイースターを祝うのは、神の御心ではないのでは?」

と感じ始めているし、それらを行っている教会に対して違和感を覚えるようになった。

 

今は一応福音派の教会に通い続けているが、

もしかしたら今年中に通うのをやめるかもしれない。

 

その間に、自分と同年代で、考えが合いそうな友人を見つけたいと思っている。

形式的な礼拝をしなくとも、数人の基督者が集まれば、

そこには必ずイエス・キリストがいらっしゃるだろうから、

その集まりで、神や聖書の話ができればいいなと思う。

 

また、「救いの条件」に関しても、今はいろいろ調べてみて、考えが変わっている。

現在は「洗礼は受けたほうが良いかもしれないが、救いの絶対的な条件では無い」

と思うようになったし、

たとえ洗礼を受けなくても、

「神を信じた者には誰にでも」己のうちに聖霊(神)は宿るのでは?と考えている。

 

一回目の通読を経て得られた”最も大きな変化”

 

それでは、受洗日ではなく、「僕が神を信じた日」はいつかというと…

明確な日付は覚えていないのだが、恐らく2022年2月上旬頃だった気がする。

 

そして、「神を信じてから1年後」となる、2023年3月中旬頃に、

第一回目の聖書通読も完了した。

(聖書は何回もループして読むものなので、

「完了」という表現はおかしいかもしれないが、

とりあえず”一つの節目”としてこのような表現をさせてほしい。)

 

もちろん、聖書の内容に関してはまだまだわからないことだらけだし、

一回通読したからって何も誇れることはないのだが、

誰かの意見ではなく、自分で直接聖書の言葉に触れつつ、

時には様々な人の動画やブログも参考にしながら、

神の御心というものが、ほんの少しずつでもわかってきたように思う。

 

世の中の見方や物事の考え方が

ちょっとずつ「神視点」になってきたのだ。

 

これから、神との対話を重ねていくうちに、

御心がよりわかるようになってくるのだろうか?

 

そして、神の御心に自分は従うことができるのだろうか?

 

いずれにせよ、既存の神学に囚われることなく、

“生ける神”が、”僕に対して”直接語りかけてくれるメッセージを、

確実に受け取れるようになりたいものだ。

 

そして、何よりも一番の変化といえば…

 

「神は確実におられる」という確信が強まった。

 

僕自身も様々な経験や友人の体験談を通して、

「神と共に人生を歩んでいる」という喜びが日に日に強まってきたため、

ちょっとやそっとでは信仰心が揺らぐことが無いだろうと思っている。

 

1年前と比較して、具体的な自分自身の変化を挙げるとすれば、

以上のような感じである。

 

聖書朗読がめちゃくちゃ楽しい

 

ちなみに只今2回目の通読を行っているのだが、

2回目は無料アプリの「聴くドラマ聖書」を活用している。

 

役者さんの真似をしながら聖書を朗読することで、

その情景がより理解できるのではないかと思ったからだ。

 

「聴くドラマ聖書」はこちら↓

 

また、僕自身、最近アニメを良く観ている関係で、

声優さんの演技に興味を持つようになったので、

それを朗読に活かすことができるのでは?と思ったからだ。

実際、感情を込めて読み上げることで、

文字だけではわからなかった新たな発見があって、なかなか面白い。

 

もちろん、聖書を扱った作品や解釈は、

製作者の二次創作であることは理解しておく必要はあるが。

 

僕自身は役者経験は0だし、プロの声優やナレーターではないのだが、

聖書を朗読することの楽しさを覚えたため、

YouTubeで聖書朗読チャンネルでも開いてみようかな〜?

とも考えている。

 

もしご希望の方がいらっしゃるならば、

SNSでの「いいね!」やコメントなど、何らかの形でお伝えいただけると嬉しい。

 

「一日一生」僕の誕生日の御言葉は?

 

さて、上記における僕の考えを見て、

もしかしたら気が付かれた方もいらっしゃるかと思うが、

僕は内村鑑三氏や矢内原忠雄氏など、無教会主義の影響を受けている。

かと言って彼らの考えが絶対とも思っていないし、

僕自身は別にどこの教派にも属していないつもりだが。

 

内村鑑三・著作の「一日一生」には、

365日分の御言葉と、それに対する内村のメッセージが書かれているのだが、

僕の誕生日である4月18日には、何が書かれているのだろうかと気になった。

 

すると、以下の箇所が記されていた。

 

私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。

もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。

御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

ローマ書 8:24 〜27

 

正直、最初は「ローマ書」が目に入って

UGEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE

と思った。

 

僕自身、パウロは別に嫌いではないんだけれど

パウロ書簡はあまり好きじゃないんだよね…。

そもそも、弟子の言葉をイエスよりも上に置くべきじゃないと考えているので。

 

でも、上記の御言葉はむしろすごく良いと思った。

 

正直、この1年間は、

「信じたけれど、自分は神の目にかなった存在なのか?」とずいぶん悩んだからだ。

そしてそれを人に話すこともできなかった。

 

しかし、上の御言葉と、それに対する内村氏の解説を見て、

「僕が信仰に至ることができたのは、自分自身の力によるのではない。

聖霊によるものなのだ。」

ということを改めて知ることができた。

 

確かに聖書を読む、御心を理解するなど、

自分自身でも最低限の努力はする必要があるものの、

「日々の糧はもちろん、知恵や真理など、

僕が心の中で求めているものは全て神が知っていて、必要なものは全て与えられる。

だから安心して神に身を委ねて良い。」

と思えるようになった。

 

万が一、神への信頼感に不安を覚えるようになったら、

それらも含めて、全て自分の気持ちを神にぶちまけて良いんだ。

人には言えないような、心の中の複雑な想いも、神には洗いざらい話して良いんだ。

 

そう思ったら、一年前と比べれば、

明らかに心の中に平安が宿っていると感じる。

 

もちろん、突然の事態に動揺したり、

不安や恐怖を覚えたりすることは未だにあるわけだが、

「最終的には絶対に大丈夫」という、揺るぎない平安。

 

いつまでも主に信頼せよ。

ヤハ、主は、とこしえの岩だから。

イザヤ書 26:4

 

…というわけで、こんな感じで、基督者の生き方というものを、

日々日々身をもって知ることができて、確かに辛いと思うこともあるが、

なんだかんだで楽しいなと感じている。

 

 

信仰から一年経ってもなお、「生まれたばかりの乳飲み子のような自分」は、

泉から湧き出るばかりの「御言葉の乳」を渇望してやまない。

 

 

※ちなみに、僕が読んだ「一日一生」は、電子書籍の国会図書館復刻版となり、

つまりは原文…古文や旧字体で書かれているため、

現代語に訳したものを読みたい方は、以下の書籍をチェックしてみてほしい。

 

一日一生/内村鑑三・著
※クリックするとAmazon商品ページ

 

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