「見た目は小動物、中身が獣フレンズ」な女性との会話で得た「友人づくりの基本」

以前僕が本土(大阪〜三重〜名古屋の電車の旅)へ旅行に行ったときのことだ。

 

 

↑伊勢神宮にて

 

 

「一見すると柔らかい雰囲気の優しそうな女の子だが

めちゃくちゃ芯が強く自立した女性」

 

とお茶をした時のことを書きたい。

 

 

その人は元々知り合いだった本土の方で、

僕がたまたまライブの遠征に名古屋まで行ったついで

会う約束を取り付けたのだった。

 

 

検索をかけたら、ベトナム料理が美味しそうなお店があったので

そこで会う約束をした。

 

 

 

↑やかんが可愛らしい。

 

 

 

まず、僕は見た目と中身にギャップがあり

昔からそれに悩まされている。

 

 

というのも、第一印象がそれなりに良くても

中身は意外と我が強い部分があるので、

あとは下がっていくしかないからだ。

 

 

どちらかと言えば損なタイプである。

 

 

それで嫌われてしまうということも結構あったし、

かといって、「都合が良い人」と一方的に思われるのも大嫌いである。

 

 

最近ではそれで非常に苛ついたことがあり、

自分の過去を思い出したりして

自分のことことについてまた考え込んだりしてしまったため、

以下のような記事を書いたのだった。

 

※↑一部口悪い表現あるので閲覧注意。

 

 

 

そう、僕と彼女、両者に共通しているのは

 

 

「一見すると”種や木の実しか食べなそう”な癒し系小動物だけど

中身が”狙った獲物は絶対逃さない系(?)”の肉食獣」

 

 

 

だということ。

 

 

 

僕はそんな彼女を始め、

男っぽいタイプの人を勝手に「獣フレンズ」と呼ぶことにした。

 

 

 

ちなみに某アニメとは全く関係ないのでご容赦いただきたい。

 

 

 

ベトナム料理を食べながら、

久しぶりに会う彼女と

近況のことや普段考えていることなどを楽しく語り合った。

 

 

 

 

↑普段、ベトナム料理はあまり食べる機会がないんだけど、

フォーがとても美味しかった。

 

 

 

その中で、僕が最も共感したことで

なおかつ今後の「友人づくり」で参考になる話があった。

 

 

それを語っていきたいと思う。

 

 

 

 

まず、その子も元来は非常に芯が強いタイプなのだが、

優しそうな見た目のために「変な人」が寄って来やすいそうだ。

 

 

 

「優しそう」という印象だけで

相手が勝手な期待を抱いてくるそうで

嫌な経験もたくさんしてきたと話してくれた。

見た目も綺麗だから「変な男」も寄ってくるだろうしね。

 

 

 

具体的には…

 

その子はいかにも

 

「まるで聖母マリアのように

あらゆる全てのものを優しく包み込んで受け入れてくれそう」

 

 

というような柔らかい雰囲気があるためか、

 

 

彼女がちょっと内面を出すと

相手(特に男)が「裏切られた」気持ちになるようで

 

 

「思っていたのと違う!」

 

 

と勝手に失望したような反応をしてくるそうだ。

 

 

 

 

そして

 

 

相手が嫌なことを言ってきたり…

すぐに去っていってしまったり…

 

そんな経験をたくさんしてきたそうだ。

 

 

 

そうやって、その子は傷つき悩んで

最終的に「とある考え」に行き着いたそうだ。

 

 

僕もその内容に「全くそのとおりだなー」って同感した。

 

 

その内容とは…

 

 

「私の内面を見せたところで、

こちらに勝手な期待をしてくる、

依存的な考えの人間は去っていくだろう。

 

逆に、それでも私のところに残ってくれて

私を受け入れてくる

自立した人だけと付き合っていけば良い。」

 

 

とのこと。

 

 

まさにそうだよなー。

 

 

仮にあなたが他人から都合よく思われていたとしても

そんなものは

「表面上うまくやっていくためのもの」

と割り切っていれば良いし、

 

 

あなたがストレスを感じる、

我慢できないレベルの人物と遭遇した時…

例えばあなたのことを全く人として尊重してくれていない人、

確実に見下して来る人などに対しては

毅然とした態度で接すれば良いのだ。

 

 

 

僕の場合だと、

「僕を怒らない仏のような存在と思っている」人が

実は人間嫌いという僕の内面を知ったら

こちらを嫌ってくる可能性も高いだろうし

皮肉まみれの僕のブログを見たらきっと引くだろうなwと思う。

 

 

だから、リアルの知り合いには

あまりブログを見られたくないなって気持ちが正直あるし、

逆に、僕の内面を理解してもらうためにも

見てほしいなっていう気持ちもある。

 

自分が何を考えているのかとか

プライベートなこととか

周囲の人にはほとんど話さないから。

 

 

いろいろ複雑なのだが、僕の内面を知ってもなお、

 

「コリュさんって面白い」

「コリュさんのこと、もっと知りたい」

「(ブログの読者様なら)むしろ会いたい!」

 

そう思っていただける方々のことを大切にしていきたいなと思う。

 

 

 

日本は未だに慎ましくしているのが良い、

目上の人に逆らってはいけないみたいな風潮がある。

 

 

ハッキリ言って、そんなものは古い発想だ。

 

 

相手が誰だって構わない。

 

 

「あなたが大切にしているもの」を粗末にする奴とは戦えばよいし、

これ以上関わりたくないと感じたらすぐに去っていけばよいだろう。

 

 

僕も以前は過剰に人の顔色を伺っていたし、

相手に嫌われないよう、

相手の意見にすぐ同意してしまっていたようなところがあったのだが、

 

 

「相手がどう受け取るのか、どう感じるのかは相手の問題だ」

 

…と割り切るようにしたことで、だいぶ楽になった。

 

 

 

あなたが自分自身に無理を強いるような関係性は長く続かない。

 

 

相手を完全に受け入れる前に、

あなたの心身の健康を害してしまうからだ。

 

 

そうならないよう、ちょっとした会話の中で

「私って実はこういうところあるので〜」

と予防線を張っておくことも有効な方法だろう。

 

 

それで警戒するような人は自分から徐々に離れていってくれるだろうし、

あまり気にしなそうな人であれば

あなたそのものを受け入れてくれる可能性も高まるからだ。

 

 

 

僕みたいに他者とのコミュニケーションを避ける者にありがちなのが、

 

 

「自分の弱みを見せたくないから、

自分を知られたくないから、嫌われたくないから、

自分の内面を全く見せないし、話したくもない。」

 

というのは

かえって相手の期待に答えようと無理をしてしまう可能性も高まり

あなた自身にとっても良くないことなのだ。

 

 

相手がどう受け取るのかを過剰に考えすぎず、

あなたの気持ちを素直に伝えたら良いのではないかと思った。

 

 

類は友を呼ぶ。

 

 

僕はLGBT含め、中身が男性的な女性と友人になることが多い。

 

 

しかもその中には過去にスキンヘッド経験者や

ベリーショート経験者も多数いる。

 

 

友達じゃなくてもそんな人はいたな。

 

高校生時代によく通っていた美容室の美容師さんも

過去にスキンヘッド経験があったそうで

なんとなく波長が合うのかその方ばかりよく指名していた。

 

 

世の中にはギャルのような方々や

読者モデルのようなファッションの可愛らしい女性が多い中、

彼女たちのような異端ぶりは絶滅危惧種並みにすごく貴重な存在である。

 

 

要するに、「レッドリスト並に超貴重な獣フレンズ」なのである。

 

 

 

 

僕はそういう貴重な獣…人達と親交があったことを

非常に誇りに思う。

 

 

まぁそういう人は「自分と話が合う、良き友人」であって

恋愛対象としては全然見れないけど。

 

 

僕はどちらかと言えば

幸薄そうで慎ましい雰囲気の女性が好みだからだ。

 

↑はい、どうでも良い情報。

 

 

 

…というわけで今回は

 

「あなたと似たような人を

絶滅危惧種を守るが如く大切にしていこう」

 

という話だったのであった。(雑なまとめ)

 

 

 

俺、刈り上げはよくするんだけどな…

スキンヘッドは未だないな。

 

 

まぁ機会があったらそのうち。

(多分やらないと思う)

あなたの「地雷」を「宝」に変えてしまう方法

狐と狸の両性具有妖怪・天海夜 煌琉でござい。

 

 

最近では、何か怒りを感じたりイラッと来たり

負の感情が湧き上がるようなことや気になることが起きても

 

「これは学びだ、勉強だ」と思ったり

「これは自分にとって必要なことだから起こった出来事だ」と言い聞かせたり

「この人はこういうところがある」と諦めたりすることで

 

自分の感情をコントロールしていた。

 

 

 

そのため、以前の「ウニみたいにトゲトゲした自分」と比べれば

自分や他人をあるがままに受け入れられるようになり

過去のことをズルズルと引きずらなくなってきたし

無意味にピリピリすることもなくなってきた。

 

 

 

 

しかし、本日久々に地雷案件というか

朝から夜までずっとモヤモヤが消えない状態が続き

以前の「トゲトゲウニ」な僕に戻ってしまった出来事があった。

 

 

 

 

その内容はというと、

 

先日上げた記事の話とも関係する。

 

 

 

上の記事で

 

「コリュさんみたいに怒らない人が羨ましい」

と言ってきた人が

まーーーた僕に同じことを言ってきたのだ。

 

 

「私、コリュさんみたいに(怒らない人に)なりたい」

「いっつも穏やかだし何言われても文句一つ言わない」

「次生まれ変わったらそうしよ!コリュさんみたいになーーーろう!」

 

 

多分、この文章だけで見ると

僕がこの言葉にどれだけ苛ついたのか

多くの人は理解できないかもしれない。

 

 

しかし僕は

 

 

「黙れク○BBA。くだらねーことほざいてる暇があったら仕事しろ。」

 

 

という口汚い言葉が喉元まで出そうになったほど

心の中でブチ切れていたのだ。

 

 

 

その言葉を言ってきた人は、

上の記事でいう僕の「A面」だけで僕の全てを判断しているらしく、

「表面的な僕の性格=本来の僕の性格」

という、自分に都合の良い解釈をしているようだ。

 

そのため、僕のことを「怒らない仏のような人」と思っているのかもしれない。

 

 

 

しかし、残念なことに、僕は元来エベレスト並にプライド高く我が強い。

(↑たまたま読んだ誕生日の本にそんな感じのことが書いてあったw当たってるw)

 

その反面、尊敬されたい気持ちが強いため

人から嫌われたくないという願望を持ってしまってもいる。

 

それ故、過度に周囲に気を使うので、優しいといえば優しいかもしれないが

どちらかといえば「人間嫌い」が根底にあるため

他人との深い関わりを面倒臭がって避けてきたし

無駄な争いでさらに自分が傷つくなら我慢したほうがマシと思い続けてきたし

未だに自分でも他人とどう接したら良いのかよくわからない部分がある。

だからあまり怒らないし、怒れない。

 

 

そのため、面倒な輩も寄ってきやすく、

都合の良い人と思われたり、舐められたりされやすかった。

これは今なお続く、自分の中での悩みの種であり、

思春期など一時期は「俺に近づくな」オーラを放っていた。

そのおかげでだんだんと感情を表に出せるようになり、

「敵」と認識した相手には怒りを露わにし、口論が出来るようにはなった。

 

 

しかし、過去の経験で、こちらには都合の良いように扱ってくるのに

自分が勇気を出して怒ったり言い返したりしても相手が反省してくれず、

かえって逆ギレされたり、人格否定をされた経験をたくさん重ねてきたので、

(しかも残念なことに、原因は家族でもあった。)

「怒っても無駄」、「何を言っても無駄」

「摩擦を起こすだけエネルギーの無駄遣い」

「人間ってそういう生き物だから」

みたいな諦めの精神が身についてしまったのだ。

 

 

そんな僕にとって他人からの「怒らない」という評価は

どうしても皮肉にしか聞こえないのだ。

 

 

精神的に病みながらも、

今の自分は血の滲むような努力で築いてきたもの。

 

 

「お前に何がわかる?」とまで思ってしまうのだ。

 

 

地雷オブ地雷なのである。

 

 

仮に、同じように僕のことを「怒らない」「大人しい」と解釈している人でも

 

「コリュさんはあまり喋らないし、腹の中では何を考えているのかわからないので、

なんか話しかけにくいし、苦手だ。」

 

という印象を抱く人がいたとする。

 

このような意見のほうが

まだ客観的で「なるほどなぁー」と思える。

 

 

 

つまり、

 

「肯定だろうか否定だろうが、

自分のことを表面だけではなく、

その人なりの視点で分析してくれる」

 

それ自体をありがたいと思えるようになった。

 

 

逆に、土足で踏み込んでくると言うか

表面だけ、一部だけで全部知ったような顔をしてくる人はすごく迷惑。

 

 

肯定、否定に関わらず

土足で踏み込まれる感じの一方的な意見や要求、

完全に的はずれな言葉は基本的に嫌なのである。

 

 

仮に肯定意見だっとして、

その意見を言った本人としては「褒めている」つもりなのかもしれないけれど、

僕自身、「嫌われる勇気」の影響でアドラー心理学を取り入れるようになり、

「”褒める”という行為自体が上から目線で失礼な行為だよなー」

って思うようになってきたし、

基本的に他人の”人格”に対して”褒める”ことはあまりしない。

その人のブログや書籍などを読まない限り、

過去の経験や心の中などわかるわけないからである。

 

 

※逆に、「相手の印象について、良いと思った部分を相手に伝える」だけなら

失礼にはならないと考えている。

その辺の線引が難しいなとは思う。

 

 

 

でも、こうやっていろいろ書き出すことで

「なぜ地雷なのか?」

という理由がわかってきた。

 

 

恐らく、僕もそうなのだが、

世の中の多くの人にとって

原因は家庭、学校だな。

 

 

つまり過去のトラウマだね。

 

 

 

あなたにもきっとあるはずだ。

 

 

他人にはきっと理解出来ないであろう、

でも絶対に触れられたくない地雷、

埋めたことすらも思い出したくない地雷が。

 

 

 

その時は一度冷静になって

 

「なぜ私はこんなことで怒るんだろう?」

「その原因は何?」

「誰のどんな言葉に反応したの?」

「過去に同様なことをしてきた人は誰?」

「その時あなたはどんなことを思った?」

 

 

…というように、感情を深掘りしてみると良い。

 

 

 

「真面目な良い子を演じ続けなきゃいけなくなり、自己主張ができなくなってしまった。」

「授業中に指されて、答えを間違えてしまい皆に笑われて恥ずかしかった。」

「周囲の期待に答えようとしたけれど、落胆させてしまい自分はダメだと思った。」

 

など、過去の経験が思い出されて、

そこからヒントが得られるかもしれない。

 

こういった出来事があなたの「地雷の原因」となっているはずだ。

 

 

そういった出来事から

「真面目でいないといけない」とか

「失敗しちゃいけない」とか

「周囲の期待に答えなくちゃいけない」とか

 

自分に対する脅迫感が地雷となり、

 

「私はこう生きたい!」という

本来のあなた自身とのギャップを生み出しているのかもしれない。

 

 

このように、「地雷の原因」がわかったら

そこからあなた自身を遠ざけるように

徐々にでも良いから、あなた自身を開放してあげると良い。

 

 

「真面目じゃなくても大丈夫な自分」

「失敗しても大丈夫な自分」

「期待に答えなくても大丈夫な自分」

 

 

こんな感じで悩み続けてきたことに対して、

真逆の自分を受け入れてあげられるようにしよう。

 

 

ただし、その際には「地雷」の形成に関与してきた人を責めてはいけない。

 

 

仮に原因はその人だったとしても、

「地雷」を作り出したのは他でもない、あなた自身だからだ。

 

 

逆に言えば、自分で作り出した「地雷」は自分で「取り除く」ことが出来る。

 

 

心の何処かに埋められたあなたの地雷。

 

 

その埋めた場所がどこかわかっているのは、あなたしかいないからだ。

 

 

また、「地雷を取り除く」ということは

あなた自身の劣等感と向き合うことなのだから

時に「したくない」ことも「する」必要があるかもしれない。

 

 

地雷だからこそ、向き合うのが怖くて今まで避けてきた。

 

 

しかし、地雷を何度も踏まれて爆発しまくって

傷ついた心をそのままにしておくのは

今後も似たような事象を引き起こしてしまうことだろう。

 

あなたの心がさらに傷ついてしまうかもしれない。

 

 

だからこそ、今、ちゃんと向き合って、

癒やしてあげることが大切だ。

 

 

 

 

…しかし、今回の「地雷」な出来事は最終的な結論として、

「ありがたい出来事」だと思うようにはなった。

 

 

最近、僕自身が「感情をコントロールできるようになった」

と思えるようになってきたからか、

ちょっと自惚れていたところもあるのかもしれない。

 

 

今回の出来事はそれを戒める意味でも必要だったのかもな、って思う。

 

 

「地雷がある」ということは、

「まだまだ自分にとって課題がある」ということなのだ。

 

 

以前よりもだいぶ改善されたとはいえ、

まだまだ「本来の自分じゃ愛されない」という恐怖心があるのか、

行動にブレーキをかけているのかもしれないね。

 

 

そうやって問題にぶち当たるたびに、

「どうしたら自分自身が生きやすく、やりやすくなるのだろう?」

「どうやって他人とコミュニケーションを取れば誤解されないんだろう?」

と悩みだしたらキリがなく、

ネット上で同様の悩みを持っている人のブログや掲示板などで

答えを探そうとしてしまうのだ。

 

 

しかし、結局答えなんて見つからず、

さらにわからなくなって悩んでしまう。

 

 

 

そこで行き着いたんだ。

 

 

「答えなんてない。」

 

「自分自身が、今の自分を愛せば良いんだ。」

 

って。

 

 

今のあなたのままでOK。

間違ってもOK。

嫌われてもOK。

 

 

あなたも自分自身に「OK」サインをたくさん出していこう。

 

 

 

行動に制限をすることがなくなれば、

モヤモヤしていた感情がシンプルスッキリになっていき、

「地雷のありか」もわかるようになるだろうし、

最終的に「地雷のありか」を

「宝のありか」へと変えることも出来るかもしれないんだ。

 

 

「宝」はもちろん「あなた自身の課題」だ。

 

あなた自身をさらに魅力的な人物へ

成長させてくれる鍵となるものだ。

 

だから

 

「地雷」と思われる出来事と遭遇したらむしろラッキー。

 

と思わなきゃいけないね。

 

 

「地雷?よっしゃ!100億くらい埋まってるかも?」

 

そう思えるくらいまでは、強くなりたいものだ。

 

 

 

さて、今回は「”地雷”を”宝”に変えるための方法」について

自分の経験も交えて語ってみた。

 

まとめると…

 

あなたもモヤモヤするような「地雷」が見つかったら

ひとまず、その感情を客観的に眺めて、

自分自身に質問をしていきながら、

過去の出来事や感情を深掘りしていこう。

 

 

そして

「どうしたら、どんな自分になれたら、

その地雷で自分がこれ以上傷つかないのか?」

そこから行き着いた解決方法を徐々にでも実行していく。

 

 

ぜひ、憎むべき「地雷」を、

かけがえのない「宝」へと変えてみてね。

人の悪口を言うくらいなら、悪口を言われる人物になれ!

妖怪「性別知らず」天海夜 煌琉でございます。

 

今回は、「人から悪口を言われる人物になれ!」

 

というテーマについて語っていこうと思う。

 

 

 

まず、「悪口」というくくりで人を見た時に、

世の中にはそれぞれ以下のタイプの人間がいると思う。

 

 

・「悪口を言う人」と「悪口を言わない人」

・「悪口を言われる人」と「悪口を言われない人」

 

 

要するに、「自分が他人に対する悪口を言うかどうか」

もしくは

「他人から自分に対する悪口を言われるかどうか」

という観点で、その人の人間性が予想できる。

 

 

実際、この組み合わせを変えると4パターンの人間が存在する。

今からそれを一つずつ、僕なりの雑な解釈を交えながら

テキトーに見ていこうと思う。

 

 

①「自分は人の悪口を言わないが、人から悪口を言われる人」

 

 

→いるよねこういう芸人さん(笑)。

本人はいたってポジティブで自分の人生を楽しんでいるのだが、なぜか人からは叩かれまくる。

自分らしく、好きなように生きている人、キャラが濃い人が多い印象。

そのためか、その叩かれる大半の理由が本人ではなく

「嫉妬」なのでは?と思うこともちらほら。

 

 

 

②「自分も人の悪口を言わないし、人からも悪口を言われない人」

 

 

→こういう人はさぞ素晴らしい人、良い人なんだと思う。

キングオブゴッド(神)だね。

しかしながら人間としては無難すぎて、これといった特徴も魅力もないという印象。

 

 

③「自分は人の悪口を言うが、人からは悪口を言われない人」

 

 

→外面だけは完璧な仮面を作れているので、他人ともうまくやっていける人。

でもネットやSNSで人の悪口や愚痴を書きなぐっている。裏の顔を知っているのは一部の人。

人間として特別魅力もないし、特別興味を持たれないという印象。

仮面ではない本来の良い部分を外に出せていけたら、少しは不満も解消できるのでは?と思う。

 

 

④「自分も人の悪口を言うし、人からも悪口を言われる人」

 

 

→これは日本の一般ピープルほとんどの人が当てはまると思うけど、

言葉だけで見ると性格になんらかの問題がある印象を受ける。

人の悪口を言うのは自分自身に満足していないことの裏返し。

自分自身の魅力に気づいて、他の人の良いところにも目を向けるようにしよう。

 

 

 

 

…こんな感じで、かなり雑だが

それぞれの人間の印象(+ちょっとしたアドバイス)を述べてみた。

 

 

このうち僕が思う、

「人として理想とする姿」はどれか。

 

 

 

 

 

それは………

 

 

 

 

①「自分は人の悪口を言わないが、人から悪口を言われる人」

 

 

 

である。

 

 

 

 

 

え?

 

 

 

②「自分も人の悪口を言わないし、人からも悪口を言われない人」

 

じゃないの?

 

 

 

 

そう思う人もいるかもしれない。

 

 

 

ゴメンなハニー。

 

 

確かにそうかもしれない。

 

 

「超ポジティブナルシスト芸人」と「神」だったら、

当然「神」のほうが良いはずだ。

 

 

「キモい」「ウザい」と避難されるよりも

「マジ神!」と崇め奉られたほうが良いに決まってるもんね。

 

 

しかし、

 

 

なぜ悪口は言われたほうが良いのか?

 

 

その理由を説明したいと思う。

 

 

あなたが誰かが誰かの悪口を言っている場面に遭遇した時、

あなたがその人達と同意見ならば、

仲間を見つけたようで嬉しい、安心した気分になるかもしれないが、

そうではない場合、大抵の人は嫌な気分になると思う。

 

 

それでも悪口を言うような人というのは、

その人なりの「正義」があるから言っているわけだ。

 

 

要するに、「自分が正義であいつがおかしい、間違っている」

ということを再確認するために悪口を言うのだ。

 

 

 

 

さらに突き詰めて考えよう。

 

 

 

「なぜ人はその人なりの”正義”を貫くために、他人の悪口を言うのか?」

 

 

というと…

 

 

「悪口のターゲットになっている人が、

悪口を言う人の”正義”や”価値観”に反しているからだ」

 

 

と考える。

 

 

 

つまり、大抵の人は

 

「価値観や考えが合う人の悪口は言わない」が、

「価値観や考えが合わない人の悪口を言う」のだ。

 

 

さらに言えば、

 

 

「価値観や考えが合わない=一般的な常識に反している」

 

 

という可能性も考えられる。

 

 

一見、一般常識に反している人、

人から避難されるような言動をする人って

人間性に問題があるように思う。

 

 

しかし、僕も何度かブログで語っているが

 

「世の中には正解などない」のである。

 

 

※「正しさ」だけですべての物事を判断するのが、

いかに虚しいことかをこちら↓で説明している。

 

 

あなたが「正義」と思っていることが

他の人にとっての「正義」とは限らないし、

 

逆にあなたが「間違っている」と思っていることは

他の人も同じように「間違っている」と思っているとも限らないのだ。

 

 

 

つまり、一般常識に反して悪口を言われるような人というのは

その人自体が、一般的な常識や価値観に対して疑問を投げかける存在なのだ。

 

 

その人の存在自体が既成概念を打ち破ってくれてるんだよね。

 

 

 

なので、

その考えに共感できる人が、その人に集まってくるわけだし、

逆に理解できない人達が、その人に対する悪口を言うのである。

 

 

だから、

どうかあなたも

 

「あいつムカつく!!!!」

 

とか

 

「この人のこういう部分はどうかと思う。」

 

とか

 

嫌な感情や疑問が湧き上がってきて、

イライラしたり、モヤモヤしたりしてしまったら…

 

 

一旦その感情はどこかに置いておこう。

 

 

そして、その人に対する悪口を言う前に、

 

 

「この人は自分に何を伝えようとしているのか?」

「この人が大切にしていることはなにか?」

「この人から学べることはなにか?」

 

 

などと考えてみてほしい。

 

 

その人は自分に何かを気づかせようとしているのだ。

 

だから、むしろ感謝しなきゃいけないよね。

 

 

そう。

 

「誰かに気づきを与えられる人」というのは、

「誰かを成長させることが出来る人」なんだ。

 

 

つまり、「悪口を言われる人」というのは…

 

 

「誰かに気づきを与えて、世の中を変える可能性がある人」なんだ。

 

 

そう思ったら、誰かの悪口を言っている暇はないよね。

 

 

世の中にはなんだか「悪口は言ったもん勝ち」みたいな風潮があって、

まぁその発想自体、幼稚でくだらないと僕は思っているけど

 

 

あえてこの言い方をすれば…

 

 

「悪口は言われたもん勝ち。」だと思う。

 

 

 

嫌われたくない、批判されたくない、

悪口を言われたくない…

 

 

あなたがそう思って、自分を抑えつけてしまっては

無難な言動しか生まれない。

 

 

まぁ、人から好かれはするだろうが、

「相手にとって都合の良い人物」と思われている可能性だってあるわけだし、

誰もあなた自体に興味を持たないだろう。

 

 

逆に、たとえ誰かから悪口を言われたとしても

あなたが以下のような考えを持つことで、

多くの人を魅了し、人が集まってくるはずだ。

 

 

「人の悪口を言うことには興味がないから、私は言わない。

悪口を言ったって意味がないし、自分が惨めになるだけ。

 

私の悪口を言いたい奴には、好きなように言わせておけば良いし、

誰がなんと言おうと、私が一番大切にしているものは譲れない。

 

私は私の人生を好きなように生きる!!」

 

 

あなた自身は好き勝手に生きているから

人から反感を買い、悪く言われることもあるかもしれない。

 

 

それは「あなたが自分自身の人生を生きていくための代償」と思えば良い。

あなたが自分自身を出せば出すほど反発をする人は必ずいるのだから、

それはやむを得ないものだし、割り切るしかない。

 

 

 

しかし、あなた自身が悪口という負のエネルギーを周囲に撒き散らさず

自分自身の人生を思い切り楽しんでいれば

自然と良いことは起こるようになるものだ。

 

 

あなたの周りには「あなたが大好きで、あなたに優しい人」ばかりが

集まってくるようになるだろう。

 

 

それなら人の悪口を言っているような人達と

あなたが一緒にいる理由なんて全くないよね。

 

 

愚痴や文句、悪口は人のエネルギーを奪うし、

一緒にいるだけ時間の無駄だ。

 

 

そんな人達と離れたいなら、

あなた自身の考えや生き方をハッキリさせることで、

そんな人達からも嫌われて悪口を言われるので

むしろ丁度よいのではないかな?

 

 

大衆の意見なんかよりも、

もっとあなた自身が大切にしているもの、

あなた自身が大切にしたいと思う人、

そういうものに目を向けていこう。

 

 

 

というわけで今回は

 

「悪口を言うような人間ではなく

悪口を言われるような人間になろう!」

 

というテーマについて語ったが、いかがだったろうか?

 

 

あなたがちょっとでも人の悪口を言いそうになったら

そんな自分を「目ん玉ロケット」で宇宙から眺めてみよう。

 

自分を客観的に眺めることで

「悪口なんてくだらない」と思えるようになるかもね。

 

「目ん玉ロケット」とは何か?

こちら↓で説明しているのでご参考までに。

 

 

誰かからの「批判や悪口」を恐れるのではなく、

それらを一瞬にして全て「気づき」へと変えてしまい

世の中の「固定観念」や「一般常識」など全てを破壊してしまう…

 

 

そんなハイパー人間を目指していきませう。

石垣島離島巡り③〜水牛界のイケメンアイドルとチェキ撮ってきた〜

人生初の石垣島旅行。

 

 

竹富島の観光もついに後半戦。

 

 

前半戦の様子はこちらから↓

 

 

 

竹富島で観光スポットを一通り周ったり

八重山そばを食べたり

ビーチで遊んだりした後は、

目的の水牛車に乗るまで、集落の中を散策してみた。

 

 

 

 

 

↑街のあちこちに見られる昔ながらの建物に心癒やされる。

 

 

↑お花も綺麗だねぇー。

 

 

↑よく出来てるねぇー。

 

 

↑!!!!????

 

 

 

…こんな感じで、いかにも沖縄らしい景観と

街のいたるところにある個性的なオブジェを楽しみながら

ゆったりのんびりと沖縄時間を過ごす。

 

 

 

 

小さなダムのような大きな井戸もあった。

 

 

この井戸の名前は「仲筋井戸」といって

犬が発見したという言い伝えがあるらしい。

 

 

 

木の写真を撮るのは好きだが、

ガジュマルの写真を撮るのも好きだ。

 

 

木などの植物は生命力に溢れ

僕たちに力を与えてくれる存在だからだ。

 

 

 

こうして、あちこち散策していると、

水牛車がごっそり並んでいる場所に辿り着いた。

 

 

 

 

そう、ここが竹富島で水牛車を運営している業者の一つ、

「竹富観光センター」である。

 

 

 

さっそく近づいてみよう。

 

 

 

 

水牛さん達がいる。

 

どんどん近づいてみよう。

 

 

↑花をつけてもらってる。可愛い。

 

 

 

 

水牛にもいろんな子がいるんだねぇ。

 

 

 

 

 

ハイテンションなシーサーに迎えられて建物の中に入る。

 

 

水牛車の受付をして待合所で待機し、

数分後、名前を呼ばれて水牛車に乗車する。

 

 

 

この時の乗車人数は10人ちょっとくらいかな。

 

 

なんだかワクワクするな!

 

 

いざ、しゅっぱーつ。

 

 

水牛さん。

この時点でまだ顔がわからないのだが、

良い尻だ。

 

きっと尻フェチにはたまらないだろう。

 

 

ちなみに上の写真の奥のほうに看板があるのだが、

それを拡大するとこちら↓になる。

 

 

 

 

まもるくんって宮古島じゃなかったっけ?

 

石垣島にもいるなんて初めて知ったぞ。

 

絵だから問題ナッシングなのかな?

 

 

まぁ細かいことは別に良いか。

 

 

 

水牛車に乗車した時の様子は

3分ちょっとの動画でまとめてみたので

ぜひこちら↓をご覧いただきたい。

 

 

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本来ならこれらは全て繋がっている動画となっているのだが。

Instagramだと動画を短く数回に分けて上げざるを得ないので

容赦いただきたい。

 

動画サイトに上げたらそちらを貼り付ける予定なのでしばしお待ちを。

 

 

さて、4つ目の動画にも説明がある通り、

今回の水牛車での担当水牛は「りゅう君」というオスの水牛だった。

 

 

人間の年齢に換算すると30くらい。

 

 

俺と同じアラサーってことだな。

 

 

ちなみにこのりゅう君、解説のお姉さんによると

 

「エグザイル系のイケメン」

 

なのだそうだ。

 

赤ちゃん時代はジャニーズ系でめちゃくちゃ可愛かったらしい。

 

その写真があったらぜひ見たかったものだが。

 

 

さて、そんなイケメン水牛、りゅうくんの写真をバシバシ撮影してきたので

あなたもぜひ目の保養にしていただければと思う。

 

 

 

さぁ皆の衆!!!!

 

こちらがイケメン水牛りゅうくんの写真だ!!!!

 

刮目せよ!!!!

 

 

 

 

 

ホラ見ろ!!!!

 

 

 

めちゃくちゃ小顔でイケメンじゃないか!!!!

 

 

 

 

 

 

水牛を引く姿も絵になるねぇ。

 

 

しかし可愛い。

 

水牛ってこんなに可愛かったっけ?

 

と思わせられるほどだ。

 

↑お姉さんおすすめの「斜め下」からのショット。

 

↑横向きも様になるな。

 

 

 

しかしこのりゅう君。

 

 

 

お姉さんの話によると、ちょーーーっと面倒くさい性格らしい。

 

 

・ボスになりたいのか、仲間に対して攻撃的

(それが理由で、りゅうくんの待機場所?には

他の水牛にはない”囲い”が設置されているほど。)

・それを実感した出来事として、水牛車に乗車中、途中で鉢合わせた水牛車めがけて

突っ走っていきそうになった。非常にわかりやすいw

・人間には優しい

・かなり神経質

(コースの近くに停まっている車など、

いつもはないものや見慣れないものがあると

それだけで嫌になってしまうw)

・異常なくらい仲良しの水牛(アーパー君というらしい)がいる。

離されると泣いてしまうのでシフトはいつも一緒。

 

 

 

そうね…俺も攻撃的…はちょっと違うんだけど

リーダーになりたい願望があるのか放っておくと仕切りたがるし。

 

小さい頃は特定の子としか仲良く出来なかったし

不特定多数と必要以上にコミュニケーションをとろうとしないので

嫌いな人、苦手な人は割とわかりやすいタイプだった。(今もそうか。)

 

あと、異常なくらい繊細でちょっとしたことで嫌になる。

(紆余曲折あり今はちょっとメンタルがゴリラ化してるが。)

 

 

りゅう君と俺ってなんだか似ている…

 

 

もしりゅう君を擬人化したとして

自分にとって身近な人物になったとしたら

同族嫌悪で彼をライバル視してしまうか

むしろ興味を持って仲良しになるか

両極端な関係になりそうだ。

 

 

同性の水牛と異常に仲が良いというのも

BL好きの人にはたまらないのではないかな?

 

…なんて思ったり。

 

 

 

いずれにせよものすごく親近感が湧いたのだった。

 

 

水牛車に乗車後は水牛さんと一組ずつ写真を撮ってもらえることになっていて、

実際に僕もりゅう君と一緒に記念写真を撮ることになった。

 

 

 

その時の写真がこちら。

 

 

 

 

 

↑両手は水牛のポーズ!!!!

 

 

 

 

…ん?なにか文句ある?

 

 

 

 

ちなみにこの時、彼も僕の「同族感」を察知した(?)のか、

僕が隣に来た時に、何かに反応したのか横にぶれたのである。

 

それで一瞬カメラマンさんが写真を撮るのを中断したのだ。

 

僕も事前に「水牛には触ってはいけない」というのを教えられていたので

うっかり触ってしまわないようとっさに避けたよ。

 

 

 

本当ならば…

 

よしよし良い子だね可愛いね〜

 

って撫で回してあげたかったのに!!!!!

 

 

触れられる距離なのに触れられない…

その切なさがわかったよ。

 

 

しかしそれが実現できなくとも、心は通じ合えるのだ。

 

何となくだけど、そんな気がした。

 

 

そして…

 

 

また竹富島に来ることがあれば、次回もまたりゅうくんに会いにいく!

 

 

そう心に決めたのだった。

 

 

もう完全にただのファンである。

 

 

 

 

ちなみに上の写真は水牛さんたちの相関図である。

 

 

見ての通りりゅう君とアーパー君がラブラブ。

ハートの絵がやたら大きいことから、

公認のカップルということが伺える(?)。

 

それ以外に気になることと言えば、

カビラちゃんというおばあちゃん水牛がモテモテの様子。

(お姉さんも「熟女ブーム到来」と解説してくれた。)

 

 

そんなカビラちゃんが好きらしい「ゆいちゃん」の性別が不明なのだが、

男女で相思相愛なカップルがいないのもまた面白い(笑)。

 

 

水牛界もLGBTの波が来ているのか!?

 

 

見ての通り、人間と同じで、

水牛界も皆「オープンな関係」であり

「複雑な関係」なのである。

お前らFacebookか。

 

 

非常に奥が深い水牛界に、より一層興味を持ったのだった。

 

 

 

 

 

さて、りゅうくんに名残惜しい感情をいだきながらも

水牛車とセットになっている帰りのバスで港へ向かった。

 

 

竹富島の観光はこれで終わり。

 

石垣港に到着後は夕飯を食べる所を探しに市内の中心部を歩き回る。

 

 

 

 

猫も見かけつつかまいつつ(逃げられるが)、

なかなか良いところが見つからない…。

 

 

中心部で夜開いているお店は

どこも観光客向けばかりなのである。

 

 

30分から1時間くらいは歩き回っただろうか…。

 

 

 

最終的に辿り着いたのがこちら。

 

 

 

 

「石垣島キッズ」さん。

町中のカフェって感じで良い雰囲気だと思った。

 

 

こちらで「石垣牛の炙り丼」を注文した。

 

 

 

本来なら石垣牛は認証マークがある店で食べるのが良いんだろうけど

美味しければ何でも良いよね。

 

お店の方も親切だったし

コロッケなどの別の商品も美味しそうだった。

 

 

もし石垣市内に住むとしたら

贔屓したい店だと思った。

 

 

 

さて、お腹も満たされたところで、宿に帰ると…

 

 

 

 

 

ハロウィンの置物にほっこり。

 

 

長旅と桟橋での怪我(↑上の方に載せている前半戦の記事参照)で

疲れ果てた身体と心が一気に癒やされた気がする。

 

 

 

今日はゆっくり眠れそうだ。

 

 

 

さて、波照間島へのフェリーが欠航したことにより

本来ならこの日は波照間島で1泊するはずで

翌日の午後に石垣島に帰る予定だった。

 

 

そのため、翌日の予定をまた組み直さないといけなくなった。

 

 

でもそれって逆に言えば

行きたいところが増えたってことだよね。

 

 

せっかくアイランドホッピングパス(フェリー乗り放題券)を購入したことだし

明日はまた別の離島に行くことにしよう。

 

 

台風は多分しばらく消えないだろうから波照間島はダメだとして、

黒島、小浜島、西表島…どの離島に行こうかな?

 

 

それとも石垣島で過ごそうかな?

 

 

全ては自分次第。

 

 

明日も良い旅になると良いな。

「自分に嘘をつく人生」と「自分を騙す人生」、どちらがお好き?

「自分に嘘をつくこと」と

「自分を騙すこと」

 

 

これらは一体どう違うのか?

 

 

考えていきたいと思う。

 

 

…とその前に

「嘘」がタイトルの好きな曲を一つ。

 


いつ聞いても良い曲だよね〜。

 

V系ってマイナーで歌詞も過激なものが多いし

誰もが知っている歌って限られる。

 

この曲はそんなに親しくない人とのカラオケでは必ず歌っていたほど

定番の曲だったな。

アニメの主題歌にもなってたしね。

 

 

他にも「嘘」がタイトルに入っている曲は

ムックの「嘘で歪む心臓」も大のお気に入りだ。

 

画像のリンク先でも試聴ができるので

機会があったらぜひ聞いてみてほしい。

 

 

…まぁそれは置いておいて…

 

 

最近、僕は寝る前にこう言ってから眠りにつくことにしている。

 

 

「よし、今日も5億人の命を救った☆」

 

 

もちろん、実際は救えてないんだけど(笑)

 

 

 

もちろん、誰かに対して

「私は5億人の命を救ってます」

などと言ったら嘘を付くことになるのだが、

(…というか、言われた方も「お前どこぞの教祖だよ」って思うだろうし

間違いなく病院行きを勧められるだろう。)

 

 

そうではなく…

 

 

その言葉に隠された本来の意味が

 

 

「お前はそれくらいのことを出来るポテンシャルがある!」

「お前はこんなところでくすぶっている場合じゃない!」

「お前を必要としてくれる人がいるんだぞ!」

 

 

といった意味だったら?

 

 

それなら自分自身に対して言うのは問題ないと思っている。

 

 

しかし、実際はそこまでの結果を出せていない。

 

 

つまり、「自分を騙している」ことになるのだ。

 

 

 

 

 

もしかしたらもしかすると、

あなたはなにかミスをしてしまった時に

このようなことを思うことはないだろうか?

 

 

「俺って何をやってもダメだ。」

「私ってこんな簡単なことも出来ないからクズだ。」

 

 

何だその暗いおまじないは。

あなたは暗黒世界の魔女なのか。

違うのなら今すぐやめなさい。

 

 

しかし、実をいうと、

僕も前はそういったネガティブな言葉ばかりを

自分にかけ続けていた。

 

 

自分の価値を下げるような言葉で自分を責め続けていたんだ。

 

 

 

 

 

しかし、気づいたんだ。

 

 

 

こうやって自分を責め続けることは、

悪い意味で「自分を騙している」ことになる。

 

 

本当は、自分自身はそんなに「ダメな奴」じゃないのに。

 

 

「自分は価値がない」と自らを騙すことで

自分の価値を低いものと決めつけてしまっていたのだ。

 

 

しかし、自分が自分自身の価値を下げることがどんなに虚しいことなのか…

 

他人が何を言ったところで、

最終的には嫌でも自分が自分を受け入れるしか無いんだぞ?

 

 

そう思ったら自分を否定することが

いかに愚かで意味のないことなのかがわかったんだ。

 

 

 

「嘘をつく人は信用できない。」

 

一般的にはそんな人が多いだろう。

 

 

僕も基本的に嘘は嫌いだ。

 

 

自分や誰かを守るために

つかざるを得ない時もあるのだが、

出来ることなら言いたくないと思う。

 

 

 

しかし、最近の僕は

 

「誰かが幸せになれる嘘や、

 誰も傷つかない嘘ならついてよいのでは?」

 

と思うようになった。

 

 

もちろん内容にもよるが。

 

 

僕が嘘を肯定するようになった理由は何故かというと…

 

 

まず、「自分に嘘をつくこと」と

「自分をだますこと」の違いを考えてみよう。

 

 

「自分に嘘をつく」のは

自分のやっていることに内心不安や違和感を持ちつつも

その気持ちに嘘をついて無理にでもポジティブに考え、

現状維持しよう、物事を進めようとすることだ。

 

 

例えば、なんとなーく入社した会社が

「なんとなーく社内の雰囲気悪いし

上司もまるで剥がすのに失敗したガムテープみたいにネチネチした性格で意地悪だなー

社食もクッソまずいしクレーマー多くて給料低いしきついなー」

 

 

などと思って嫌な予感がしているものの

「ここは大丈夫だ、」「あの人はきっといい人だ。」

「自分の選択は間違っていない。」

…といったように、無理矢理にでも自分に言い聞かせようとしていることだ。

 

そんなブラック企業とっととやめちまえ

 

つまり、自分に嘘をつくということは、

自分が感じている本当の気持に、蓋をしてしまっている状態ということだね。

 

 

これではいずれストレスが溜まって

身体を壊したり精神的に病んだりしてしまうだろう。

 

 

 

一方で「自分を騙す」ことは

 

現在の自分が「目標・憧れとしている状態」と程遠くても、

自分をその気にさせて自己肯定感を高め、

モチベーションを上げていくことである。

 

それを繰り返すことによって、

少しでも「目標・憧れとしている状態」に近づくことができる。

 

 

ある意味騙されてるぞ。

 

 

また、「自分を騙す」ことは良い使い方も悪い使い方も出来るものであり、

先に上げた例(「自分はダメだ」と思うこと)のように

自己肯定感を下げて自分を虐げる方法に使うことも出来る。

 

 

また、「自分を騙す」ことは他者にも使うことが可能だ。

つまり、ポジティブな言葉、もしくはネガティブな言葉を用いて

「相手を騙す」こともできるのだ。

 

 

その「相手を騙す」一例として、

 

女性にはどんな人にも「可愛い」と言ったほうが良い。

 

…というのがある。

 

 

 

「可愛い」と言われ続けることで、その人がもっと魅力的に可愛くなれるというのだ。

 

 

 

 

また、子供には「天才」と言い続けたほうが良い。

 

 

そうすることで自分を愛し自分に自信を持てる子になり、

どんな困難な目標も達成できる人物になる可能性が高まるからだ。

 

 

 

このように

「相手が欲しがっている言葉で(ある意味)相手をだますこと」

いくらでもやって良いと思うんだ。

 

 

もちろん嫌がってたらすぐに辞めるべきだけど

(可愛いと言われるのが嫌いな女性だっているわけだし)、

良い言葉をかけられて悪い気をする人はいないはずだ。

 

 

それで「騙された」相手がその気になって

自分が本来持っている力よりも

さらに高い力を発揮するようになれば「嘘も方便」であるし、

もしかしたら元々嘘でもないのかもしれない。

 

 

それが、「可愛い」と言われ続けた女性が美しくなり、

「天才」と言われ続けた子供が夢を叶えやすい性格になる所以である。

 

 

 

 

 

だから僕は

「現状よりもさらに良くなる確信がある、自分(相手)を騙す嘘」

であれば、嘘も悪くないと思うようになったんだ。

 

 

「お前はダメな奴だ」

なんて言ったって何も良いことなど起こらない。

 

 

負けず嫌いなタイプの人は闘争心を燃やすだろうが、

ネガティブな言葉を言われ続けることで、

大抵の人は自己否定をするようになってしまう。

 

 

リーズナブルなのに大盛り無料の定食屋のように

120%くらいボリューム増し増しで

ちょっとオーバーなくらいで良い。

 

相手や自分自身の良いところを

あなたなりの言葉で表現してあげよう。

 

(「褒める」って言えばわかりやすいのかもしれないが

僕は「褒める」って言葉自体あまり好きじゃない。

なんとなく上から目線でお前何様?感があるからだ。)

 

 

…というわけで今回は

「自分に嘘をつく」と「自分を騙すこと」の違いについて語った。

 

 

これらをまとめると

 

 

「自分に嘘をつく」のは良いことなど何もない!

 

「自分(相手)を騙す」ならポジティブな言葉を

(ちょっとくらいオーバーでも良いから)かけ続けろ!

 

 

あなたが自分自身を騙す言葉を見つけるのが難しければ、

まずは身近な人の良いところを見つけてみるのもありかもしれない。

 

 

「元気で明るい」「優しい」「デキる人」「面白い」「個性的」

「細かいところに気がつく」「いつも笑顔」「挨拶をしてくれる」

 

…などなど

 

こういった言葉の中に、心底自分が欲している言葉のヒントがあるかもしれない。

 

 

 

ぜひ、他人の良いところを探しながら

あなた自身の良いところを見つけ出し、

「なりたい自分像」になるために

自分自身を騙し続けてみてほしい。

 

 

騙されたと思ってやってみれば、

いつか本当に「なりたい自分」になれる日が来るかもしれない。