依存的な自分から脱するには…「〇〇生産機」になろう。

「みんなの”コリュ”」こと

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)でございます。

 

 

今回は、「依存的な自分から脱するために必要なこと」

について話していきたい。

 

 

最近はジャンル関係なく

いろんなコミュニティに参加して

様々な方と知り合う機会が多くなった。

 

 

しかし、そのような場所以外で普段生活していると、

なんとなく、価値観が合わないなー

と思う人と出会うことがよくある。

 

 

そういった、自分と価値観が合わない方々の共通点としては、

人生の貴重な時間、有り難い毎日を

「被害者意識」で過ごしているであろう方々が多い。

 

 

一言で言えば、「依存的」だということだろう。

 

 

そういう人って

自分にとって苦しい状況になってくると

「誰かがやってくれる」

「誰かがこの悪い状況を改善してくれる」

といった発想をしがちなんだよね。

 

 

まるで、スーパーマンが来るのを

ただじっと待っているだけの通行人Aみたいな。

 

 

常に自分が被害者、可哀相な人でいたいというモブ感というか、

「自分の人生を自分の意志で生きている」

という感覚がなくて、

常に何かに巻き込まれる受け身な状態であり、

言うなれば、他人に人生を支配されている状態なのだろう。

 

 

もしくは、「自分の人生は自分で決められる」ということを

知らないだけかもしれない。

 

 

何かに対して文句をいうこと

他者に対して批判的になること

 

 

恐らくその人の周囲の人々も同じようなことをしている人が多いのか、

そんな習慣に対して何も疑問に思うことなく、

むしろすっかり身についてしまっているのだろう。

 

 

そして、時には、

「明らかにこうした方が良いのに、あいつらバカだな」

みたいな感じで、人を見下すこともあるだろう。

 

 

で、頑張っても自分が報われないものだから、

誰かの不幸を喜んでしまう。

 

 

芸能人のゴシップネタとか、ご近所さんの噂話とかに花が咲くのだ。

 

 

悪口の花が一年を通して満開なものだから

桜の時期じゃなくても花見ができるんじゃないかってレベルで。

 

 

さらに、自分に理不尽な仕打ちをしてきた人間に対しては

「ひどい目に遭ってしまえ」などと恨みに思ったり、

発散できないストレスを怒りとして周囲に撒き散らしたり。

 

 

そして、そんな自分を客観的に見て自己嫌悪になってしまい

また不満を感じては誰かに怒りをぶつけたりと…

同じようなサイクルに陥っているんだろうね。

 

 

というのは、かくいう自分も

さすがに噂話は軽蔑していたものの、

なんとなく人の不幸話に惹かれてしまう面があったし、

親しい人や心を開いた人には

ついつい人の愚痴や悪口、不平不満を言ってしまいがちだったからだ。

 

 

 

今考えると、人に依存していた状態だったんだなって思う。

 

 

そうでもしないと、誰かに寄りかかっていないと

不安定な自分が立ち続けていられることはできなかったから。

 

 

思えば、思春期には

義務教育や学校という体制に不満を感じながらも

そこに甘んじていた自分がいたわけである。

 

 

子供の頃からかなりのコミュ障で

何をやっても人並みにできなくて、

皆と同じことをしようとすると、なんだか違う結果になってしまう。

 

 

こんな自分でも生きていけるのか、いつも不安で仕方がなくて、

将来自分がどのようになるかなんて全くわからなかったし

自分自身で夢を実現すべく動いてきたわけではなかった。

 

 

しかし、沖縄で一人暮らしをするようになって

もう10年以上経つわけだが

「全てを自分でする」ということは、本当に大変だと実感した。

 

 

たまに実家へ帰ると

特に自分が何もしなくても、外食に行かなくても

母親がご飯を作ってくれるのだから

すごくありがたいなって思うんだ。

行きたい場所へも車で連れてってくれるしね。

 

 

そうやって食事などの身の回りの面倒を見てくれたり、

やりたいことをサポートしてくれたりする親がいて

雨風しのげる家があることって

それだけで幸せだったんだなって

今になって思うんだ。

 

 

ただ、自分を取り巻いていた家庭環境や学校の状況というのは

どちらかというと不健全だったと思う。

 

 

だから、ここ数年、

本当の意味で自立している人達と付き合うようになって、

自分の考えがいかにおかしいかに、気付かされるようになったんだ。

 

 

環境も変わって、付き合う人も変わったら、

なんだか毎日がすごく楽しいんだよ。

 

 

そこで、最近の僕は自分の人生をこのように解釈している。

 

 

「これは自分の人生だ。

 何があっても自己責任。

 付き合う人も今いる場所も、何もかも自分自身で選択できるんだ。」

 

って。

 

 

 

何が言いたいかと言うと、

「依存的な状況を脱するには、自発的に行動してみる」

ということが大事なんだよね。

 

 

「自発的に行動する」というのが今ひとつよくわからなければ、

 

「誰かを笑顔にさせること」

 

と考えてみればよいだろう。

 

 

あなた自身が「スマイル(笑顔)生産機」になるんだ。

 

 

何か皆が喜ぶ食べ物やお菓子を差し入れてみたり

ちょっとした冗談で笑いを取ったり

困っている人がいたら手を差し伸べたり

 

それだけで良いと思う。

 

 

別に何か特別なプロジェクトを発足して

沢山の人を巻き込んで…

など大掛かりなことをする必要なんて全然ないんだ。

 

 

「今、目の前にいる人に、

いかに喜んで(スマイルになって)もらえるか」

 

それだけで十分なんだ。

 

 

それさえも難しければ、

 

「人の幸せを喜ぶ(スマイルになる)自分になる」

というのも効果的な方法だ。

 

 

例えば、

ファミレスなどの飲食店で、楽しそうに笑い合いながら

幸せそうな時を過ごしている子供連れの家族を見たら

ただただ「良かったね」と思う。

 

もしくはFacebookなどのSNSで

知人や友人の楽しそうな投稿、近況に

「いいね」をするのも良いだろう。

 

 

ただ、無理をする必要はない。

 

 

もし、あなたの中に怒りや嫉妬を感じてしまったら

それを否定することはない。

 

その感情に気づくようにしよう。

 

 

無理をして怒らない自分になるのではなく、

「自分の感情に気づく」ことが大切なんだ。

 

 

そうすれば、自分の感情に振り回されなくなる。

 

 

前回の記事↑でも述べているが、

あなたの心を傷つけるのは、他者ではなくあなた自身なんだ。

 

 

あなた自身の感情で、あなた自身の心のあり方が変わる。

 

 

それを自覚した上で、

これまでは何かにつけて不満を感じ、

人の悪口や愚痴を言っていたあなたの大切な時間を、

本当に価値あることに使うようにしよう。

 

 

もちろん、怒りを感じたら吐き出すことはしても良いけど、

「一度怒りを吐き出したら、後は闇雲に蒸し返さない」

などのルールを決めておくのも良いかもね。

 

 

モヤモヤの対処法に関しては

この辺↓の記事もぜひ参考にしていただけたらと思う。

 

 

 

 

なかなか思うようにいかないこともあるかもしれないけれど、

意識的に続けていくうちに、あなた自身の物事の見方が

ちょっとでも変わっていくはずだ。

 

 

今までどおりの自分で停滞していたら変化はできないけれど、

自分自身が変化するのを楽しむようになれたら

いろんなことにチャレンジできるようになれるし

正体不明な不安や怖れ、やり場のない怒りや不満など

ネガティブな感情も消えていくことだろう。

 

 

 

というわけで今回は

あなたが「スマイル生産機」になる方法として、

 

・目の前の人を笑顔にすること

・人の幸せで自分が笑顔になること

 

という方法を提案してみた。

 

 

不満や怒り、ストレスで爆発寸前→白髪寸前にならないように、

スマイル生産機が稼働する自分工場を経営していこう。

 

 

ただーーーし

 

自分工場の労働環境はブラックにならないように

365日24時間じゃなくて良い。

 

 

スマイルも生産しすぎると機械の調子が狂って

逆に鬱になっちゃうかもしれないからね。

 

 

出来るときに、たまにはお休みしながら

少しずつ周りの人をハッピーにしていきましょう。

「誕生日」という日について本気で考えてみた

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)でございます。

 

 

昨日、4月18日は僕の誕生日だった。

 

 

 

View this post on Instagram

 

雨呑家さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿

 

 

誕生日を迎える前日までは一週間ほど、

所用で本土に行って実家でぬくぬくと過ごしていた。

 

 

その際に、東京でとある方のコミュニティの集まりがあったので

そちらにも参加してきた。

↑会場は広尾にある素敵なお店。

 

↑料理も最高に美味しかった!!

 

 

そこでの懇親会では初めてお会いする方が多かったのだが、

皆さんとても優しい方ばかりで

超人見知りな僕でもすぐに馴染んだのである。

 

 

すると、4月生まれであるコミュニティの主様の誕生日を祝う流れになり

僕も同じ4月生まれとして一緒に皆から祝ってもらい

とても幸せな気持ちになった。

 

 

僕としては、祝ってもらうことはもちろん、

自分と近い誕生日の人がいたことが

非常に嬉しかった。

 

 

ちなみに誕生日当日、那覇のケーキ屋さんでケーキを買った時も、

見知らぬ人が友人の誕生日ケーキを買いに来てたようで

「この世界には自分と同じ(近い)誕生日の人がいるんだな」

と思ったら、人知れず仲間を見つけたような気分になったものだ。

 

 

実際、その日も世界の何処かで新たな命が生まれていたかもしれないし、

逆に失われた命もあるかと思うが、

それはそれで輪廻というか、

いろんなものが巡り巡って回っているのだろうと思う。

 

 

 

 

また、誕生日の前日のフライトで

羽だから沖縄に戻ってきたわけだが…

 

 

 

View this post on Instagram

 

雨呑家さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿

 

↑相変わらず好き勝手過ごしている(笑)

 

 

飛行機の中で、

自分の誕生日と平成最後のフライトを浮かれて祝っていたときに

 

「誕生日ってなんだろう」

 

って思うようになった。

 

 

さて、

「誕生日」は何かと言うと

他でもない、自分がこの世に生を受けた日である。

 

 

人によっては役所に届け出た日と

実際の誕生日が違う人もいるようだが

僕は恐らく同じだろう。

 

 

また、誕生日というのはすごく不思議な日で、

動物占いや数秘術、星座占いなど

強制的に占いの結果が決まってしまうのだから

すごく神秘的で、ある意味理不尽でもある。

(例えば…「あなたは牡羊座だから、こういう傾向があるよね」

などと占いによって決めつけられやすい。)

 

 

それは、誕生日というのが

「生まれて初めてこの世の光を浴びた日」だったり

「生まれて初めてこの世の空気に触れた日」だったり

色々な意味合いがあるからこそ

スピリチュアルな面も強くなるのだろうけど、

この辺はあまり詳しくないので、今回はあまり踏み込まない。

 

ただ、僕自身、スピリチュアルなことや

数秘術やマヤ暦などには興味津々なので、これから学んでいこうと思う。

 

 

 

それ以外の一般的な「誕生日」の認識としては、

 

「誕生日を皆から祝ってもらう」のが主流である。

 

 

 

かつては僕もそう思っていたし、

ついつい周囲から祝ってもらうのを

期待している自分がいる…

それもまた事実だった。

 

 

元々歳の離れた末っ子で、

欲しいものはほぼ与えてもらっていたからか、

それがなんとなく当たり前のように感じてしまっていたんだろうね。

 

 

そう考えると、本当は自分自身は豊かで満たされているのに

いつもどこか満たされない気持ちを抱えていたのだ。

昔から悩んでいた人間関係や性別不一致の問題も原因だったとは思うが。

 

 

しかし、こういった不満足になりやすい人々を始め、

「自分を特別と思うが故の他者への期待」

誰しもがあるはずだ。

 

 

相手が「わかってくれる」「察してくれる」と思い

自分自身の意思や要望を伝えない割に、

他者へ過剰な期待を抱いてしまうのだ。

 

特に日本人はこの傾向が強いと言われる。

 

 

しかし…

 

自分が心地よいと思う条件や環境、

大切にしている価値観というのは、人それぞれである。

 

それは予め伝えておかないと、

他者との健全な付き合い方が出来なくなる可能性があるのだ。

 

 

他者へ期待をする前に、

あなたがあなた自身を満足させられるように

「自分が最も快適に過ごせるにはどうすればよいか」を

常に考えて実行できるようにすることが肝心である。

 

 

 

つまり、これを誕生日として考えると、

 

「私は今日誕生日なんです!祝って下さーい!」

 

と言うことで、周囲の人が気持ちよくお祝いできる環境が出来上がるのだ。

 

 

僕も先日の懇親会で、それを実行することができた。

 

 

昔の僕なら遠慮してしまった可能性があるのだが、

ちょっとした勇気を振り絞ったおかげで

自分も含め、皆がハッピーになれたわけだし、

自己主張ができて本当に良かったと思う。

(酒の力もあったけど笑)

 

↑誕生日ケーキは別に用意されてあったけど、

コースの中で提供されたスイーツも美味だった。

 

 

↓このような「自分が快適に過ごせる考え方」については

以下の記事も参考にしてみてね。

 

 

 

一方で、

「他者の期待に応えようとした結果、生まれる悲劇」

というのも存在する。

 

 

例えば、お互いの絆が強い大所帯のコミュニティや

パリピの方々の間では

「大切な仲間」のためにお誕生日パーティを頻繁に開くことで

自分も含めた「大切な仲間」たちが金欠になりがち

…という深刻な事実もあるようだ。

 

 

さらに、普段から他者への気配りや思いやりを欠かせない人にとっては、

「自分が他の誰かを祝ってあげたのに、他の人からは祝ってもらえない」

…といった自体があったときに

不満を抱える人もいることだろう。

 

 

僕自身、一時期は自分が好かれるための義務感として人付き合いをしていたし

それ故自己犠牲的になり、不満を抱える傾向があったようにも思う。

 

 

だから、そういう付き合いで被害者意識を抱くようになったり

人間関係がギクシャクしたりするくらいなら

誕生日なんて別に祝ってもらわなくても良いかな?

と思うようにもなった。

 

 

基本的に誕生日当日は一人で過ごすことが多いので

それはそれで楽しいではあるのだが、

それでも、誰からも祝ってもらえないときは

ちょっと寂しい気持ちにもなったものだ。

(↑とことん面倒くさい奴)

 

 

 

 

しかし、ある日僕は疑問に思ったのだ。

 

 

 

「一体俺は誰のおかげでこの世に生まれてきたんだ?」

 

と。

 

 

「自分が生を受けたのは、紛れもなく、両親のおかげだ。」

 

 

「そして、ここまで生きてこれたのは

家族も含め、今まで支えてくれた周囲の人達のおかげだ。」

 

 

などと考えるようになったのだ。

 

 

そう、

 

 

誕生日は、自分が生まれてきたこと、

自分がこれまで関わってきた全ての人に

感謝する日なのである。

 

 

この考えに至ったおかげか、

今年は当日は休みをとってたということもあり、

今までの誕生日よりも穏やかに過ごせたような気がする。

 

 

いや、これまでの誕生日もほとんどが素晴らしいものだったのだが、

一度だけ、北海道のとあるゲストハウスに泊まったときに

理由はよくわからないが、オーナーさんから

塩対応(?)をされてしまったことがある。

 

彼は僕が誕生日だということを知らなかったようなので

仕方ないと言えば仕方ないのだが、

今では僕自身も学ぶことが多かった、貴重な経験だと思っている。

 

それは恐らく、彼自身も他者へ過剰な期待をしてしまい

彼自身が傷つくことや、他者を恐れているところがあったからだと思う。

 

宿のトイレに禁止事項というか、

過去の迷惑ゲストへの不満が書いてあったのだが

その内容がなんだか挑発的だったのだ。

あれではお客さんを不快に思わせるだけだろう。

 

↑その宿のチェックアウト後、支笏湖に立ち寄ったのだが

なんだか物悲しい気持ちにもなっていた。

 

 

しかし、実際に自分が民泊のホストだった時に

その時の経験が何度も頭をよぎったのだ。

 

「ゲスト(お客さん)を恐れるあまり、自分もあの時のオーナーと

似たようなことをしてしまっていはいないか?」と。

 

そして、色々と考えた結果、

 

「相手や自分にとって心地よい空間を作るのは、自分の心次第」

「自分が恐れていると、少なからず相手に伝わる」

 

という結論に行き着き、

「お互いに不快に思わずにサービスを提供するにはどうすれば良いか」

それを考える良いきっかけにもなったのだ。

 

 

 

その後は様々な経験を経て、

今の僕は「自分はこういうものだ」と開き直れるようになったし、

ネット上の発信もストレスなく出来るようになった。

 

さらに、「他者の問題は他者の問題」

と割り切れるようになったことで、

他者を必要以上に恐れなくなった。

 

口論はあまり得意じゃないから争いごとは極力避けたいけど、

すれ違う他人にイライラすることは激減したと思う。

 

 

その代わり、手に入れたのは

「全ての人に対する愛情」である。

 

 

見知らぬ他人や遠くの知人がSNS上で幸せにしていると

嫉妬心に駆られず、焦りを感じることもなく、

ただただ「良かったね」とほっこりした気分になれるのだ。

 

 

以前は人間嫌いの部分もあり、

どこか斜に構えていたところがあったものだが、

「全ての人の幸せを願うことが、自分の幸福度を高める」

と思うようになった。

 

 

ただ、自分が嫌いな人に対しても感謝し、愛おしく思うのは

正直、まだちょっと抵抗がある。

 

その場合は、無理にその人のことを考えなくても良いとは思う。

 

でも、その人がいたおかげで反骨精神を覚えた結果、

今の自分があるのなら

むしろ一番に感謝しなきゃいけない存在なのかもな。

 

 

そのような人々にも

いつか心から「ありがとう」と思えるようになれば良いね。

 

 

 

さて、幸運なことに元号が変わる直前、

平成最後の2019年4月に誕生日を迎えることができた。

 

 

これまでのことをまとめると…

今年の誕生日からは以下のことを学んだ。

 

「自分が幸せになるための要望を伝えることで

周囲の人も幸せになれる」

 

「祝ってもらった事実に対してだけではなく、

周囲の人に感謝の気持ちを伝える」

 

「すべての人々に愛を与える」

 

 

与えられる何かを依存的に待っているのではなく、

 

 

自分自身が常に「与える」「返す」精神を持ちながら

自分自身を幸せにしていくことが大切なのだと思った。

 

 

 

僕も、実際に親にメールで

「生んでくれてありがとう」

と送ったのだ。

 

 

ちょっと照れくさかったけど、その一言が全てだ。

 

後悔しないように、言いたいことは言えるときに言っておこう。

 

 

そう思いながら、美しい桜のように儚いこの命を

しみじみと感じたのだった。

 

 

沖縄で有名緊縛師を招いてイベントやっちゃうよ

既存の価値観をぶちこわす新世代異端緊縛師(自称)

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)でございます。

 

 

ここ一ヶ月は前回の賑やかで楽しい縄会から一ヶ月…

特に縄会は開催していないのだが…

 

 

前回の様子↓

 

 

 

サークルとはまた別に縄活動はしている。

 

 

 

こんな感じで。↓

 

※以下のインスタは過激なセクシー画像なので

大丈夫!!むしろばっちこーい!!という方のみ見てね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

View this post on Instagram

 

雨呑家さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿

 

View this post on Instagram

 

雨呑家さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿

 

 

…目の保養はお済みかしら?

 

 

ここ最近、別にこちらは何も要求してないのに

モデルの方が自発的に脱いでいただけるという

嬉しい現象が多発している。

 

きっと縄の神様が僕にご褒美を与えてくれているのだろう。

 

 

わーいわーい。

 

 

うわーーーーいうわーーーーい。

 

 

 

 

しかもなんと!!

 

これだけでは留まらないのだ!!

 

 

縄の神様は我々に

さらに素敵なプレゼントを送ってくださったのだ。

 

 

 

それは………

 

 

日本が誇る有名緊縛師・有末剛氏による

緊縛ワークショップを開催することになりました〜!!!!

 

 

 

 

 

しかも美ら縄アートPresents!!!!

 

 

ここ数年、沖縄で仲間たちと共に緊縛サークルをやっていたわけだが

有末剛氏とこのような形でコラボすることになるとは

夢にも思っていなかった。

 

 

正直、まだ夢心地な感覚が抜けずにいる。

 

 

なお、↑こちらのフライヤーに関しては

私・雨呑家がデザインを担当させていただいた。

 

 

有末剛氏と言えば、僕が緊縛を始める上で

素晴らしい機会と多大な影響を与えてくださった人物の一人。

 

元々沖縄で緊縛を始めたのも

有末氏のワークショップに参加してからなのだ。

 

 

そんな有末氏のイベントにこのような形で協力させていただき

「誠に光栄です」どころの表現では済まされないくらい、

誠に光栄である。(最近性別だけでなくボキャブラリーが迷子)

 

 

ちなみにワークショップの翌日はこちら↓のイベントも開催される。

 

 

 

こちらは有末剛氏と香凜さんの緊縛イベント!!!!

 

というか、むしろこちらがメインなんだけども。

 

緊縛だけでなくダンスもありとのこと。

 

 

2019年(令和元年!!)5月10日と5月11日

連日にかけてイベントを行うということだね。

 

 

ワークショップと緊縛ショー…

僕としては両方のイベントが本当に楽しみで待ち遠しい!!

 

 

 

 

有末氏も張り切っていらっしゃるようだし

きっと素晴らしいイベントになること間違いなし!!!!

 

 

 

ちなみに、有末剛氏の緊縛美に関しては

これら↓を始めとする映像作品で確認できる。


同氏の緊縛を初めて見るという方は

これらの作品で予習しておくのもおすすめ。

 

 

 

10日のワークショップに関しては予約が必要なので

上に掲載している画像のQRコードを読み込んでメールを送っていただくか、

こちら↓の美ら縄アートさんTwitterかInstagramのアカウントまで

お問い合わせをお願いします。

 

 

 

 

 

 

最後に、イベントに参加する際の注意事項を。

 

 

マナーが悪い方、

態度が悪い方、

相手が嫌がることを強要するような方は

問答無用で即刻つまみ出しまーす。

 

 

縄だけにむしろお縄にかけて退場させるかも?

 

 

ガッチガチに縛ってお外に放り出して

そのまま放置プレーも良いかな???

 

 

 

そんな(かえってドMが喜ぶような)ことは極力したくないので(笑)

お互いに気持ちよくアートを嗜めるよう

皆で楽しく仲良くなわなわしましょう!

 

 

てなわけで、

二度とないかもしれないくらい貴重なこの機会!!

 

ぜひ皆で縄遊びに来てね!!

取扱い注意!「間違った正しさ」との付き合い方

この世の雨(憂い)を全て呑み干す雨呑家(あめのみや)

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)参上。

 

 

今回は

「間違った正しさ」との付き合い方

について語りたいと思う。

 

 

 

 

僕はFTMなのだが、

思春期を始め、まだホルモンを打ち始める前や

自分が本来の性別(男)に合わせて生活が出来ていなかった時は

自分というものがよくわからず、

精神的に非常に不安定だった。

 

 

「差別」に対してやたら敏感になったり

メディアが煽るような「正しさ」に触発されやすくなったり

ある意味「流されやすい」部分があった。

 

 

沖縄の基地問題では、

大学の先輩に誘われて関連イベントに参加したことがあったし

数年後は左寄りの友人と高江まで行ったことがあった。

 

また、可哀想な動物たちを救おうと、ヴィーガンを目指したりもした。

 

 

好きなアーティストのチケットが高額転売されている時は

転売厨を叩くようなツイートを支持したり、

自分自身も転売厨に対しての批判を呟いたりしたこともある。

 

 

しかし、今ではこういった

「一見正しいように見える”正しさ”」を全て捨てた。

 

 

場合によっては、過去に信じていた「正しさ」を捨て、

むしろ逆の立場の「正しさ」を支持することもあるくらいだ。

(それでも人と争うことは好まないが)

 

 

というのは、

 

 

自らの信じる「正しさ」を追求すればするほど

「”正しいことをしている”という歪んだ優越感」を抱くようになり

自分自身を「独りよがりな偽善者」に染め上げていってしまうような感覚

 

また、誰か(何か)を叩く気持ち良さと、

誰か(何か)に対する怒りが未だ収まらず

なんだか常にモヤモヤしている感覚…

 

 

それを実感するようになった。

 

 

 

 

 

イラストはわかりやすいように

アイドルとファンという例にしたが、

「正しさの象徴」に対する「信者」の「信仰心」が

強ければ強いほど排他的になり、

優越感を覚えることもあるだろう。

 

 

また、排他的になればなるほど、

「正しさの象徴と信者」及び「信者同士」の絆が深まるが、

場合によっては「正しさの象徴以外は信じられない」などの

「歪んだ正しさ」を支持してしまう危険性も含んでいる。

 

 

あなた自身がこのような偏った信仰に陥らないようにするには、

一つの「正しさの象徴」にのめり込まず、

どんな「正しさの象徴」とも距離を置いて付き合うのが良いだろう。

 

 

 

さて、このような「間違った正しさを信じている状態」

というのは、僕やあなたも含め、

全ての人が経験したことがあるのではないかと思う。

 

 

例えば、あなたがもし過去に厨二病だったり、

ヤンキーだったり、引きこもりだったり、

グレたりしていたことがあるのなら、

それはそれで「世の中に反発し、自らの正しさ」を追い求めている状況である。

人によってはカルト宗教などにハマってしまっていた人もいるかもしれない。

 

 

いずれの場合も共通しているのは

「”痛さ”と”辛さ”を伴うこと」である。

 

 

共通した価値観や目的を持った仲間と

お互いに「自分たちは正しい」と認識していれば楽しいかもしれないが、

自らの信じているものが「正しい」と思い込み、

それ以外、もしくは相反する世界の住人を見下してばかりいると、

一歩引いて周囲から見れば、

「ただの痛い人たち」と見られてしまうだけなのである。

 

 

もちろん、自分と相容れない人達と住み分けること自体は大切だし、

お互いの平和と幸せのためにも、むしろ必要なことである。

 

 

しかし、それは「他人には他人の信じるものや価値観がある」

と受け入れて認め、尊重することが出来て初めて、

健全なコミュニティを築き上げることが出来るのだ。

 

 

逆に、「自分は正しい」「それ以外は悪」という極端な思想を持ってしまうと、

「あなたが所属しているコミュニティ」と、

「あなたが生きているこの世界」との健全な関係を築くことが出来ず、

結果的に孤立を招いてしまうのだ。

 

 

思想や趣味の世界などのジャンルによっては、

そういった閉鎖的なやり方を好む場合もあるかもしれないが、

特定の人々とばかり仲良くしたり、

特定のリーダーの考えだけを支持したりしていると

自らの視野や可能性を狭めてしまうことにもなる。

 

 

俗に言う「洗脳されている」状態だよね。

 

 

そこから色々と嫌な思いを経験したり

様々な意見や情報を取り入れたりするうちに

「自分の信じていた正しさ」が

どんどんと揺らいで不安定になっていき

最終的には「本当の正しさではない」ことに気づくのだ。

(逆に信仰心が強まる場合もあるが)

 

 

 

もちろん、そういった「黒歴史」的な体験から

学べることもたくさんあるとは思うが、

あなた自身が自らの「正しさ」を追求する上で

知っておいてほしいことがある。

 

 

それは、

「本当に正しいことなど、この世には存在しない」ということだ。

 

 

いくらあなたが、自分では「正しい」と思っていた思想があったとしても、

同じ思想を持った人々の人間性に嫌悪感を覚えれば、

その思想が本当に正しいのか、考え直すことにもなるだろう。

 

 

例えば、アイドルやミュージシャンのファンにマナーの悪い人間、

狂信的で周囲をこき下ろすような人間が多ければ、

そういうファンに嫌気が差したり

自らもファンをやめるというのはよくある話だ。

 

 

一方で、あなた自身の「正しさ」を侵害する人物がいたとして、

あなたがその「正しさ」を守るために、

相手(誰か)への攻撃として明確な言葉や態度として表現してしまうことで、

相手、もしくは周囲からの反発を招き、信頼をも失うことになり、

かえってあなた自身が苦しむ可能性もある。

 

 

攻撃は諸刃の剣である。

 

 

攻撃をすることで、一定数の支持は得られるかもしれないが、

相手を、誰かを攻撃するたびに、

実は一番あなた自身を攻撃していることにもなるのだ。

 

 

それを自覚した上でネガティブな言葉を発しているなら、

時には他者批判も必要なことかもしれないが、

一方で、しょっちゅう誰かの悪口や愚痴ばかり言っている人がいる。

 

 

例えば、職場で上司の悪口を言う会社員や

井戸端会議で夫の愚痴を言う主婦などがそうである。

 

 

そういう人達はその「悪口や愚痴ばかり言っている」状態が

当たり前になってしまっているのだ。

 

 

本来なら、環境を変えるのは自分で決められることなのだが、

愚痴や悪口などの「正しさ」を言うことばかりに固執しているものだから、

その力を発揮しようと思わないのである。

自分で「現状維持」を選択している状態なのである。

 

 

それはそれで周囲から見れば

「自らの正しさ」により周りが見えていない状態なのである。

 

 

 

 

もしあなたが「正しさ」に固執して環境を変える選択をせず、

愚痴・悪口などを言ってばかりの被害者意識に陥っている恐れがあるのなら、

無自覚にやっているからこそ、

自ら自覚して、考え方の癖を変えていかないといけない。

 

 

でないと、自ら発した「正しさ」によって

「何だかよくわからないけれど、辛い。」などといった

鬱のような状態に追い込まれてしまう危険性もあるので、

気をつけよう。

 

 

「正しさ」は自らの主張をする上で手軽なようでいて、

実は取扱い注意なのだ。

 

 

また、誰かに酷いことを言われたとして、

その言葉をいつまでも恨みに思ってしまう人もいるかもしれない。

 

 

そういう場合は、

時に自らの「正しさ」を捨ててみたり、

相手の言動を、自分の中で「なかったこと」にしてしまうのも良い方法である。

 

 

要するに、スルースキルだね。

 

 

「他人の不正や悪質な行為が許せない。」

「だから見て見ぬふりはしたくない。」

…そんな正義感が強いあなたにとって

「なかったことにする」という選択肢は耐え難いものだろう。

 

 

しかし、

「あなたがこれ以上苦しまない」「鬱にならない」

「健やかに楽しく生きる」ために…

 

「自らの”正しさ”を捨てること」

「他人の”悪”を時には知らんぷりをすること」

これらは、実は最も有効な方法なのだ

(※もちろん、犯罪に手を貸すのはダメだぞ。)

 

 

だからこそ、

「この世には”真の正しさ”など存在しない」

「全ての物事は、人間が意味づけしているだけである」

という諦めも、時には必要なのである。

 

 

 

程よい距離感で「正しさ」と付き合おう。

 

 

 

 

さて、今回は

「間違った正しさ」との付き合い方

ということで、

 

「自分の正しさ」を「間違っているかも?」と認める勇気

「自分の正しさを侵害する相手」をスルー(知らんぷり)する勇気

について語ってみた。

 

 

誰がなんと言おうと、みんな自分が一番可愛い。

あなただってそうだろう。

 

 

だからこそ、他人との衝突やトラブルがあった時に

あなたがが信じる「正しさ」やあなた自身、

同じ「正しさ」を支持するコミュニティ、

もしくは世の中の常識だとか道徳だとか倫理観だとかを

なんとしても守りたいのはわかる。

 

 

しかし…

 

最も守るべきなのは、

「あなたの作り上げた正しさ」や「他人が決めたルール」でも

「世間の常識」でも何でもない。

 

 

最も恐れるべきは、本来は守る必要のない「間違った正しさ」によって、

あなた自身が壊され、潰されてしまうことである。

 

 

そして…

 

 

最も大切にするべきものは、

「そのままのあなた自身」「あなたの心」であることを、

どうか忘れないでいてほしい。

「言っちゃいけないこと」なんてものは幻想だ

みんなの「コリュ」こと天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だお。

 

 

今回のテーマは

「言っちゃいけないこと」なんてものは幻想だ。

 

…というわけで、早速いってみよー。

 

 

 

 

 

 

近年、いろんな言葉が「差別用語」として認識されている。

 

 

ここに書くのはなんとなく気が引けてしまうような言葉も、

それらは皆、一昔前まで当たり前のように使われていた言葉だ。

 

 

確かに言葉は時代によって変化しつつあるものだから

「良くない言葉は廃止しよう」

という流れになるのは良いのかもしれない。

 

 

実際、僕も「オナベ」なんて言われたら

まず良い気持ちにはならないかな〜。

 

 

理由は「蔑称だから」じゃなくて、

一応「男として」生きようとしているからだ。

 

 

なので、悪気なく使ってしまっている人がいたら

それはそれで「仕方ない」と割り切ることにはしてるけど。

 

 

 

↑以前のブログで描いた漫画。ちなみにこれは実際にあった出来事である。

(そのため今とキャラデザ違うけど。)

 

 

てか、未だに「セクシュアルマイノリティ=夜の世界」みたいに思っている人って

逆にいるのだろうか…?(笑)

 

あと、性自認(自分自身を認識している性別)と

性対象(恋愛対象となる性別)は全くの別物だからね…。

 

 

 

 

 

しかし、このような「呼び方」を巡る問題だけでなく、

あなた自身もきっとこの漫画と似たような経験をしているはずだ。

 

 

 

例えば、

 

「自分が放った言葉で相手を怒らせてしまった」

「相手が何気なく言った言葉に傷ついてしまった」

 

という経験はないだろうか?

 

 

 

それが原因で人間関係のトラブルが起きたり

どちらかが(もしくはお互いに)距離を置くようになったりというのは

誰しも経験しているのではないかと思う。

 

 

もちろん、お互いに分かり合えることが一番良い結果ではあると思うが。

 

 

ただ、人によっては、

自分が何気なくしてしまったことや、

良かれと思ってやったことなどで

相手が気分を害してしまった場合、

もしくは、微妙な反応が返ってきた場合、

 

「自分のせいだ…」

「迷惑をかけてしまった…」

「自分ってダメな奴…」

 

などと過剰にネガティブに捉えてしまう人もいることだろう。

 

 

逆も同じで、

相手の何気ない一挙一動が気になり

 

「今の言葉はどういう意味だったんだろう…」

「もしかして嫌われてしまったのかな?」

「どうしてこの人は人が傷つくようなことを言うんだろう?」

 

などと深く考えすぎてしまい、

疲弊してしまうこともあるだろう。

 

 

 

僕も以前はこんな状態だった。

 

 

 

相手の気持ちに対してやたら敏感であり

また、非常に自意識過剰であり

他人が自分をどう思っているかをやたら気にしていた。

 

 

 

「自分は受け入れられているのだろうか…。」

「価値のある存在と思ってもらえているのだろうか…。」

「変な奴だと思われてないかな…。」

という相手に対する不安が常に胸の中に渦巻いていたし、

 

時には

「傷つけられた!!!!」

「裏切られた!!!!」

「騙された!!!!」

などと被害者意識に囚われることもあった。

 

 

 

しかし、こうした不安と戦いながら

他人に対する恐怖を抱えながら生きてきて

自分なりに調べながら考えながら、わかったことがある。

 

 

 

それは…

 

 

「誰も自分を傷つけることはできない。

 自分を傷つけているのは他でもない自分だ。」

 

ということだ。

 

 

あなたがあなたの視点や価値観で言葉を発しているように

相手だって相手の視点や価値観で言葉を発しているだけである。

 

 

だから、過剰に相手がどう思うかを推し量る必要はないし

相手の言動に対して過剰に反応する必要も、本来なら全く無いのである。

 

 

 

↑相手の言葉を「傷つけるもの」と認識するのは

自分自身の受け取り方の問題である

 

 

 

 

もし相手の言動で

 

「この人は偏見が強いな。」

 

「この人は私のことを表面だけ、一面だけで判断しているな。」

 

「私の気持ちを考えてくれないな。」

 

「『都合が良い奴』みたいに思ってるのかな。」

 

…などと思ってしまったら

 

 

 

 

このように考えよう。

 

 

 

 

「基本的に人は他人に興味がない。

 

 仮にそれが真実だろうと、真実ではなかろうと、

 この人が私に対して抱いた印象を言っただけ

 

 しかし、それでも良い。

 

 私は他人が思っている以上に色んな面があることを、

 私自身が一番良く知っているのだ。」

 

 

などと思って軽く流せば良いと思う。

(↑これはちょっと長いからもう少し端折っても良いけど。)

 

 

あなた自身の魅力や頑張りをあなた自身が気づいて認めてあげる。

(他人がそれを知っているかどうかは関係ない。)

 

 

それならば、相手が相手の価値観や視点で

あなたに対して勝手なことを発言したとしても

 

「それはその人の考えなので、必ずしも正しいとは限らない」

 

…と割り切ることが出来るし、

 

もちろん、迎合する必要もないわけだし、

 

否定的な発言を受けても、あまり気にならなくなるだろう。

 

 

 

↑自分の心を守るためには

自分自身にとって最も都合の良い考え方や対応をすることが大事。

 

 

 

 

というわけで、今回のテーマは

「言っちゃいけないこと」という幻想に囚われるな

について語ってみた。

 

 

あなたがあなた自身の言動にOKを出すためには

あなた自身の存在、あなた自身のしてきたことにOKを出すことが大切である。

そして、相手の存在や言動に対してもOKを出すことである。

 

 

相手は相手で苦労していることもあるかもしれないし、

あなたが相手の言動の裏側を知ろうとすることで、

あなた自身が最も報われることだろう。

 

 

もしそれでもイライラやモヤモヤ、不安などの感情が消えなければ

以下の記事↓にあるような方法を試して

自分の感情をコントロールしてみるのも良いかもね。

 

 

 

 

あなたが相手のことを理解しようという気持ちがあれば

きっと相手にも理解してもらえるはず。

 

 

相手の気持ちを思いやった上で

あなた自身がどうしてほしいのか、

逆に、してほしくないことは何なのか、

しっかり伝えてみてはいかがだろうか。

 

 

様々な価値観の人と付き合っていく中で

全く嫌な思いをしないのがむしろ難しいものだ。

 

 

お互いに干渉しない。

しかし、相手のことは心から尊重する。

そして、自分自身のことも心から受け入れる。

 

 

適度な距離感を保ちつつ、

素敵な人間関係を築き上げていきましょう。