【4コマ】慮(おもんぱか)りまくりのクリティカルンなアルパカるんるん

天海夜 煌琉だよ。

 

皆聞いてくれ。

 

最近、「慮(おもんぱか)る」という言葉が

気になりすぎるんだ。

 

 

 

…と思ったら、有吉さんも過去に気になっていたとは…。

 

「”慮(おもんぱか)る”なんて言葉、初めて知った!」という方へ。

 

「慮(おもんぱか)る」言葉の意味はこんな感じ↓だ。

 

《「おもいはかる」の音変化。「おもんばかる」とも》周囲の状況などをよくよく考える。思いめぐらす。「相手の体面を―・る」

参考:コトバンク「慮る」

 

なるほど。

思い巡らすということね。

 

相手のことを配慮する習慣がある日本だからこそ

生まれた言葉という印象だ。

 

「慮(おもんぱか)る」って

漢字一文字とひらがな一文字なのに、

日本人の素晴らしさが現れている文字だよね。

 

 

うーん…好きだ。

 

 

ちなみになぜ「おもんぱかる」という発音になったのかは

調べればわかるので、あえてここでは言わない。

 

しかし、「慮(おもんぱか)る」の「ぱか」って

他の日本語にはあまり見られない響きだし

珍しいよね。

 

有吉さんのつぶやきにもあるように、

なんだかアルパカみたいだなって思った。

 

…なんてことを思って、書いた4コマ漫画がこちら↓

 

 

 

実際こんなアルパカいたら

首筋にドロップキック食らわしたいわぁ…(笑)

 

 

…さて、ここで一つ注意したいのは

「同情」や「忖度」と、「慮る」は違うということだ。

 

それぞれの意味は割愛するが、

ざっくり言うと、

同情も忖度も、どちらかといえば主観が入っているが、

慮るは客観的な思考というイメージ。

 

その点でオモンパカルンの思考には主観が入っているし

どちらかというと人間に対して同情しているというか、

「慮る」の完全に意味を勘違いしてるのかもだけど…

 

彼が本当の意味で「慮る」んだったら

↓こうなるのかな?

 

 

「今日はボクを見にたくさんの人が来てるね。

しかし皆やけに必死だよね。

アルパカを初めて見るのかな?

アルパカの大ファンなのかな?

いや、一番人気のパンダを見た後だからかもしれない。

それとも、久々のお休みでテンションが高いのかな?

動物園に来ること自体が嬉しいのだろうか?」

 

…このように、一方的な視点で物事を決めつけず、

様々な可能性を推測することだろう。

 

 

この辺の思考はクリティカル・シンキングを学ぶことで

俯瞰的に物事を見ることが出来るようになり、

一つの物事に対しても、

様々な可能性を思い巡らすことが出来るだろう。

 

適切な思考を身につけるには

僕が最近読んでいるクリティカル・シンキングの本↓も参考になる。

 

「クリティカル進化(シンカー)論―「OL進化論」で学ぶ思考の技法 」

(道田泰司&宮元博章・著)

 

 

…なーんて、偉そうなことを言ってるけど…

 

もしかしたら僕のこの思考自体が間違っているかもしれないし、

あとはご自身で調べて、学んでいただけたらと思う。

 

 

僕もついつい主観に寄った主張になりがちなので

(↑それはそれで相手の心に響くこともあるけどね)

クリティカルな思考をしっかり身に着けていきたいものだ。

 

 

ちなみにガチな話をすると…

 

 

最近、ニュースを見ていると、

死体や事件・事故現場にスマホを向けて

死んだ人やその人の遺族・関係者のことを考えない、

モラルのない行動をする人たちが目立つようになったよね。

 

この世に生きる全ての人々には価値観に違いはあっても、

人としてやって良いことと、悪いことはあるだろう。

 

しっかり慮ることができれば、

自分がされて嫌なことは、人にも出来ないはずだ。

 

だから僕は、このような行動をする人たちの思考が謎すぎて、

今はそういった問題に対して関心があり、慮っている状態だ。

 

 

今は手軽に情報が手に入って、

誰にも手軽に発信ができるようになった。

 

 

だからこそ、眼の前のことだけに反応するではなく、

時には想像力を働かせて、

「相手を慮(おもんぱか)る」ということも

必要だと思うのだ。

 

それが積み重なると、

だんだんと「周囲を慮(おもんぱか)る」ようになり

「日本を慮(おもんぱか)る」ようになり

「世界を慮(おもんぱか)る」ようにもなっていく。

 

思考のスケールが広がっていくんだろうね。

 

慮(おもんぱか)りぎるると、

慮(おもんぱか)りまくることになるし、

慮(おもんぱか)りまくりまくりすてぃになる。

 

↑これはさすがに長すぎるけど(笑)…

 

こんな感じで日々、様々なことを慮って

思考を深める習慣を身につけ、

周囲の人に配慮できるような行動が取れるよう、

自分自身のレベルを高めていきたいものだ。

 

内向的な人のためのチューニング的交渉術〜前半〜

コリュにちはお日柄も良く…

天海夜 煌琉だよ。

 

ワードプレスを更新したら編集画面の仕様が変わってしまって

ちょっとやりにくくて

格闘しながら文章打ってるわけだけど

徐々に慣れるように頑張るよ(笑)

 

 

さて、僕は長年、「交渉」が大っ嫌いだった。

 

根暗なヲタクだしね。

 

 

「こう言ったら怒るんじゃないか?」

「気を悪くするんじゃないか?」

いちいち考えて気疲れしてしまうのである。

 

 

そんな僕でも、ここ最近は、

交渉が以前ほど嫌ではなくなった。

 

 

その考え方をお伝えしようと思う。

 

 

先述の内容からも想像できるように、

基本的に僕はかなり内向的である。

 

 

ちなみに今日までたまたま3連休だったのだが、

気分転換で外出する以外は

ほぼ家に引きこもって色々作業していたし。

 

 

これまでだって、人間関係なんて面倒くさいし

交渉なんてできれば避けたい…

それだったらできる限り自力でやりたい…

 

そんな風に思っていたし、

実際、誰にも頼らず黙々と仕事に取り組んでいるものだから、

周囲からの評判もそんなに悪くはない。

 

ただ、何かをきっかけに爆発して

内面の我の強さが出てしまうと

嫌われたり怖がられたりすることもあったし、

かといって普段はそこまで自己主張しないので

ダークトライアドと呼ばれる人たちの標的にもなりやすく

実際嫌な思いをして縁を切った人々もいた。

 

 

しかし、今では僕が極端に嫌う人なんて

自分の周囲にはほとんどいないし、

数々のご縁により、以前と比べて交友関係も広がってきた。

 

それにつれて、自分自身の活動を広めるためにも

もっと多くの人に、気軽に「お願い」ができるようにならないといけない

…と思ったのだ。

 

 

最近、日々の生活の中で、

「7つの習慣」を意識して実践していて、

大切なのは「自立」することよりも

「相互依存」なのだということがわかった。

 

 

この「相互依存」という考え方が根本にないと、

誰に対してもいちいち

「迷惑かけてしまうから」

「自分でできないのはダメなことだから」

などと遠慮してしまうし、

 

逆に、誰にも頼まないのは精神的に楽ではあるけれど、

かといって自分自身で出来ることには限界がある。

 

以上のことが積み重なると、

一つ一つはさほど大きな問題でなくても

塵も積もれば山となるわけだし

生きていくこと自体がストレスになってしまう

…と思ったのだ。

 

 

7つの習慣。

Kindleにサンプルをダウンロードしたが、量がありそうで

現時点ではまだ読むに至ってない…。

 

僕が7つの習慣を読んだのは漫画版で、

あとはオリラジ中田さんのYouTubeで概要を知ることができたのだ。

 

7つの習慣(漫画版)については、こちら↓でも少し触れている。

(その他、いくつかおすすめの本も紹介している。)

 

 

 

…とまぁ、少し話が逸れたが

自分がもっと力を抜いて生きるためにも

邪魔なプライドは捨てて

「助けてあげたい人」になれるようになろうと思ったのだ。

 

 

そう考えて、DaiGoさんの書籍を読むなどして、

「必要以上に頑張らずに、人に協力してもらうにはどうすれば良いか」

自分なりに考えるようになった。

 

 

まずは、相手が喜んでもらえるように、

もっと自分の素直な気持ちを相手に伝えて良いのだと思った。

 

相手に好きになってもらうのだ。

 

そのうえで、

「理想的な交渉」について正しく理解することで、

交渉がやりやすくなるのではないか?と思った。

 

 

一般的に「交渉」というと、

「自分の主張を通すこと」と思われがちである。

 

この考えがそもそも間違いで、

これは7つの習慣でいうところの、「Win-Lose」的な考え方だ。

 

誰だって自分のことしか考えていない人、

相手のメリットについて考えない人、

この考えでは「自分勝手」と思われてしまい

上手くいかないのは当然だろう。

 

 

交渉して向かっていく先のものは、

お互いに「Win-Win」でなければならない。

 

つまり、

「自分にとっても、相手にとってもメリットがあり、

両者が望む結果が得られる」

ということだ。

 

 

そう考えると、

「交渉」というのは、

「競争」とか「戦い」の類では決してなくて、

むしろ「チューニング」だと思ったのだ。

 

楽器のチューニングをするように、交渉をする…

そのイメージで、「交渉」というものを考えるようになったのだ。

 

名付けて、「チューニング交渉術」である。

 

具体的にどのような考えをすれば良いのかと言うと…

 

後半に続く!!!!

 

 

 

…ちなみに余談だが、

僕はフリマサイトなどで一方的な値下げ交渉をされたら

お断りするか、コメントを削除するかしている。

 

プロフィールにもそう書いているし、

面倒そうな客は門前払いをすることで、

必要以上に安くすることもなく、

良い人だけにご購入いただけるようにしているのだ。

 

以前の僕ならば

優柔不断で人に嫌われたくないために、

嫌な人、面倒臭そうな人のお願いも嫌々聞いてしまっていた。

その結果、自分にとって不利益な結果を招くことにも

繋がってしまっていたのだ。

 

今はストレスのない関係性を築けているのも、

「自分の価値」を正しく理解して

「Win-Win」の関係を重視するようになったからだと思う。

 

 

後半ではその考え方について、詳しく説明していきたい。

 

今後も当ブログでは、

「日本人が自分自身の価値を正しく理解して、

自由な生き方ができる方法」

などの考え方を発信していくので、

どうぞお楽しみに!

 

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ラルクのある曲によって突きつけられた「真実を知る勇気」

コリュにちはお日柄も良く…

天海夜 煌琉だよ。

さて、先日は、L’Arc~en~Cielのサブスク解禁に伴い

いろいろヒャッハーしていたことについて書いたのだが…

前回の内容↓

今回は、その中でも「とある曲」に焦点を当てて、

自ら感じたことを書いていきたいと思う。

僕の好きなラルクの曲の中で、

「bravery」という曲がある。

収録アルバムは「REAL」だ。

↑神アルバム。

braveryの歌詞はこちら↓から確認できる。

上のリンク先にある歌詞を見ていただければわかるが、

この曲は穏やかな曲調の割に

歌詞がストレートで攻撃的である。

ちなみに、作詞はhydeさんではなく、TETSU(現・TETSUYA)さんだ。

約20年前の当時から、

「メンバーによって歌詞や曲のスタイルは違う」というのは、

子供ながらなんとなくわかっていたが

今だからこそ、より一層わかる気がした。

僕は最初この曲を聴いた時、

古い価値観にしがみついていてやたら保守的な性格な

「老害」に対するアンチテーゼの曲かと思っていた。

しかし、色々調べていてわかったことだが、

制作当時の彼らを否定して昔を懐かしんでばかり…

そんな一部のファンに向けられたもの、とも読み取れるのだ。

いわゆる「懐古厨」ってやつだね。

ちなみに「懐古厨」とはこういう意味↓の2ちゃん用語だ。

「昔のほうが良かった」といった言葉を連発し、

むやみやたらに現在あるものを否定したがる人たちのことである。

※参考→ニコニコ大百科:懐古厨

そうとわかって曲を聴けば、確かにそうだな〜といった感じ。

まぁ、雑誌などのインタビューを読んだわけじゃないから

厳密にはわからないけど。

ただ、彼らに限ったことではなく、

誰かを応援するファンである限り…

好きなアーティストの音楽性が変化したり

人気が出て一般向けの曲を量産するようになったり

ファンのマナーが悪くなったりなどすれば

「昔のほうが良かった」と言ってしまうことなんて

誰しもがありえるだろう。

一般的に、大人気のアーティストには

このように下積み時代から応援してくれるファンが居て、

初期の頃の音楽性やライブの雰囲気などが好きなファンからしてみれば、

アーティストの方向性や音楽性の路線変更は

受け入れ難く感じる人もいるだろう。

それで、文句を言いながらもファンを続けることもあるだろうし、

別のものに興味を向けるようになることもあるだろう。

人によっては、自分が受けた嫌な体験や考え方の相違により

アンチになってしまうこともあるかもしれない。

一方で、アーティスト側からしてみれば

もっと自分たちの活動を拡大していきたいだろうし

より多くのファンを獲得していかなければいけない。

もちろん、自分たちを支えてくれた

古い時代からのファンも大切にしていきたいだろう。

しかし、メジャー級のミュージシャンになるとあれば

どうしたって「売れる曲」も作っていかなきゃいけない。

一番優先しなきゃいけないのは

「見知らぬ誰か」ではなく「自分たちの夢」だし、

もっと活動の幅と、活躍できる世界を広げたい。

やむを得ない事情で

メンバーの変更を余儀なくされることもあるだろうし、

意見がぶつかれば、それだけメンバー間のトラブルだってあるだろう。

業界の嫌な関係者から、圧力をかけられることもあるかもしれない。

しかし、それらを乗り越えて素晴らしい作品を作っていけるわけだし、

様々なアーティストとの出会いを増やすこともできる。

いつまでも昔のまま変化も成長もなく、

細々と活動をしていくわけにはいかないだろう。

このように、アーティスト側の視点から見てみれば、

「今の自分たちを見てくれ!」

と、ファンに対して思うのは当然のことだろう。

というか、アーティストやクリエイターでなくても、

昔の自分と今の自分を、悪い意味で比較する人たちというのは、

鬱陶しいことこの上ないだろう。

僕だって、赤の他人から自分勝手なワガママなんて聞かされたくない。

なので、僕はファンとアーティスト、

どちらの気持ちもわかる(というか、憶測できる)。

このように、思いのすれ違いで、

アーティストが夢を追うほど、

「昔のほうが良かった」

「メジャーに行かないでほしい」

「(メンバーの変更があった場合)前任の人が良かった」

などと言うファンは、どうしたって出てくるのだ。

下積み時代のある大人気のスターには、

以上のような現象は付き物だろう。

なお、ファンに対して何か思うことがあった時に、

彼らにメッセージを作品の中に表現する人達もいれば、

雑誌のインタビューなどで表現する人達もいる。

某カリガリの石○さんみたいに

「テメーらいいかげんにして下さい。」

と言っちゃう人もいる。笑

それはそれで良いとして…

ここで一つだけ、

この世界にいる全ての、「誰か」のファンであるあなたに、

ぜひ知っておいてほしいことがある。

全ての物事は、表に出ているだけが全てではないのだ。

この図を見てほしい。

木だ。

木だね。

紛れもなく、木だ。

木に異論はない。

明らかに「木」というより、

「木と草原」だろっていうツッコミはとりあえず置いておいて…

この「木」の全体像を見ると、どうだろう?

このように↓なる。

根も含まれるのだ。

根だね。

上から読んでもしたから読んでも…「ねだね」。

きっと、とある演歌歌手なら

「ねだねったら、ねだね♪」

と歌うことだろう。

…つまり何が言いたいと言うと、

この木の図は

「物事の見える部分・見えない部分」

の対比を表しているのだ。

僕はこの「bravery」という曲と

この木の図に重なる点があると思った。

braveryという曲から察して、

「とある一流アーティスト」としての事情や心情を想像してみる。

そして、その中で、

彼らに関して「見える部分」と「見えない部分」を

この木の図に照らし合わせると、こうなる↓。

上の図にて、

黒い文字が「表・見えている肯定的な内容」であり

白い文字が「裏・見えていない否定的な内容」である。

※念の為もう一度言っておくが、

これらの文字は「とある一流アーティスト」を例に想像しているので、

ラルクのことを言っているわけではない。

そう、一見輝かしい成功を収めている人々は、

見えない部分で、他の人の倍以上努力をしたり、

苦悩や葛藤、人間関係などに悩まされたりしているということだ。

特に、それほどコアなファンでもなく、

身近にいる関係者でも家族でもなんでもなければ、

わかることよりも、わからないことのほうが圧倒的に多いだろうし、

もちろん、本人だけにしかわからないこともあるだろう。

ただ、誰しもが皆、自分の意見を持っているわけだから、

「思ったことを言ってはならない」

というルールはないのだけれど…

それでも、上の図が示すように、

「すべての物事には表と裏がある」という考え方で

世の中を見れるようになれば、

凝り固まった考えに固執すること無く、

自分自身の視野も広がるのではないか?と思う。

そのため、僕はこの「表と裏」という考え方に気付いてからは、

たとえ自分に辛く当たってくる人がいたとして、

一時的に腹は立ったりするものの

「まぁ仕方ないかな?」

…と、スルーできるようになった。

むしろ、

「その人はその人で大変なんだろうな…」

と思ったら、

変に恨みつらみの感情を抱くよりも、

自分自身が楽になるのだ。

もちろん、「許すかどうか」は、また別問題になるけど、

自分自身のアンガーコントロールとしては、有効な方法である。

「見える部分(表)」と「見えない部分(裏)」、

それぞれは独立しているわけではなく、一つの物体である。

上の図であれば、幹や葉・枝の部分も根の部分も

全て含めて「木」という一つの物体であることは事実だ。

このような「表と裏」の考え方は、いろいろなことに応用できる。

例えば、トラブルなどの問題が起きた時も、

相手の事情を考慮せず、一方的に決めつけたり、

相手の人格否定をしたりするのではなく、

相手の見えない部分(感情やプライベートな問題)に配慮した上で、

「その現象が再び起こらない仕組み」を考えることに

思考を凝らしていけたら、

建設的な解決に繋がるだろうなと思う。

というわけで、

全国の誰かのファンやフォロワー、ヲタク、信者の皆様へ。

あなたの信じている人が、違う方向へ舵をとった時に

「違う!」と言うのは簡単だ。

メンバーや関係者に対して、

どうしても言いたい意見があるなら、

それを言うかどうかはご自由にどうぞ。

しかし、一度、その人の立場に立って

考えてみてはいかがだろうか?

もしかすると、あなたの考えは

必ずしも正しいわけじゃないかもしれない。

それでも違和感があるのであれば、

そこから離れて、別の興味対象を探せば良いとは思うが、

せめて、相手の事情も察してあげてほしい。

なぜなら、

「真実は常に共有されない」からだ。

ちなみに↑この言葉は、

「bravery」の曲の歌詞に出てくる英語の歌詞の和訳である。

他人の考えなんてわからないし、

真実が何か?なんて、共有されない限りわからないのだ。

…とまぁ、以上のような「表と裏」の考え方を元に、

僕自身も一方的に物事を判断せず、

常に誰かに対する配慮と敬意を忘れず、

自分を磨いて成長していけたら良いなと思い、

この文章を書いたまでだ。(←雑なまとめ)

自分だって、

他人から勝手に決めつけられて、あーだこーだ言われたり

「自分はあなたのことをなんでも知っている」

みたいな態度でマウント取られたり、

憶測で有る事無い事言われたら嫌だしね。

そして、もし今後、自分が偏見で物事を決めつけたり、

知ったかぶりをしたり、

自分が本当にしたいことを挑戦しなかったり、

自分自身の信念から逃げたりするようなことがあれば、

その時は「bravery」の歌詞に出てくる、

もう一つの英語の詞の訳である、

「真実を知る勇気はお前たちにはない」

という言葉を、自分に浴びせようと思う。

木々は存在しているだけで、真実だ。

L’Arc~en~Cielが全曲サブスク解禁したので、僕のラルク遍歴(+黒歴史)を語ろう

hyde氏みたいな顔に生まれたかったけど

自分の顔もそんなに嫌いじゃない天海夜 煌琉だよ。

 

 

ちなみに一時期は本気で自分の顔嫌いだったから

だいぶ自己肯定感上がったよ。

 

 

そんなことはどうでも良い。

 

 

皆聴いてくれ。

 

L’Arc~en~Cielがサブスク解禁したんだ!!!!

 

 

 

 

いやもう知ってるよって感じだろうけどさ。

 

 

嬉しいことは何度でも言いたいじゃないか。

 

 

僕の場合サブスク解禁したときに

ちょうど東京に行ったときだったので、

電車の中などSpotifyで聴いていた。

 

 

その間ひたすらラルクの曲をシャッフル再生していたのだが、

懐かしい曲が次々と雪崩のように流れてきて大感動だった。

 

その感動の嵐ったらwinter fallどころじゃないって話さ。

 

 

 

まぁよくわからなければそれで良いんだけど、

自分がこのような感じだから、

上にあるリンク先のサイトの方などに対しても、

勝手に仲間意識を持ってしまった。

 

 

しかも、僕は現在UQmobileを使っているのだが、

これだと「節約モード」にしても

問題なくサブスクが聴けるのは良かった。

 

 

てっきりオンラインで音楽聞いたら

かなり容量食って月末厳しいモードになるかと思ってただけに

これは喜ばしいことだ。

 

 

ただ、元々アルバム全曲集めているわけではないので、

知らない曲との出会いも当然ながらあった。

 

なので、これから聴き込んでいくうちに

好きになる曲が出てくる可能性も、

それはそれで楽しみなのである。

 

 

 

僕とラルクとの出会いは、flowerが発売されたあたりである。

 

 

この頃からラルクにドハマリし始めたのだが、

その時自分は小学生だったから

かれこれ20年くらい前のことである。

 

 

初めて買ったラルクのシングルはLies and Truthだ。

 

 

当時はCDがすり減るんじゃないかってくらい

好きで好きでリピート再生していたものだが…

 

この曲は今でも、ラルクの中でも上位に入るくらい好き。

 

 

 

当時はラルク好きの友人と一緒に、

hydeさんになりきって学校の窓に手を当てて歌うという、

Lies and TruthのPVのマネ…

 

 

つまり…

 

「君が見えなくてごっこ」をよくしていたものだ。

 

 

↑hydeサンニナリキレテナイ妖怪ノ図

 

 

これは

「窓さえあれば誰でもhydeさんになれる」

という素晴らしい遊びなので

ぜひラルクファンの方には試していただきたいものである。

 

 

 

ちなみにこのPVのロケ地である洋館は、埼玉の入間市にあるようなので

機会があったらぜひ行ってみたいと思う。

 

※ちなみに、flowerLies and Truthが両方聴けるアルバムは

Trueなので、気になった方はチェックしてみると良いだろう。

 

 

その他に買ったシングルは他にも、

Blurry EyesHoney

風にきえないでDIVE TO BLUE

先に挙げたLies and Truthの合わせて合計5枚だ。

 

 

そして、購入したアルバムは「ark」と「ray」の2枚だった。

 

 

↑ark

 
↑ray

 

この2枚のうち、どちらが好きかと聞かれれば、

これはこれでなかなか難しいところである…。

 

両方ともそれぞれに好きな曲があるし、

全体的な雰囲気も全然違うからだ。

 

 

 

それ以降は曲の好みがHIPHOPやパンク、

一般的なJ-POPや音ゲーなどに移るようになり、

ラルクとの思い出は次第に薄くなっていったが、

 

 

良いなと思う曲があれば、

SMILEなどのアルバムをレンタルすることもあった。

 

 

そして、READY STEADY GOのシングルで

各パートそれぞれが不在のバージョンを聴きまくって

 

 

「あーーーーーーーー

個人的にはこの中ならボーカル+リズム隊(ギター不在)バージョン、

次いでボーカル+竿隊(ドラム不在)バージョンが好きだけど

やっぱり誰が抜けてもラルクは成り立たないなー

 

などと感動したものだ。

 

 

話がよくわからなければ、

ぜひ各サブスクリプションサービスで

READY STEADY GOのシングルバージョンをチェックしてみてくれ。

 

 

 

それぞれのパートがいないことで、

聴き取りにくかった音が拾いやすくなり、

曲の雰囲気も全く変わってくるので、

新しい発見があることだろう。

 

 

ちなみに耳コピする上でも

このようなパート抜きバージョンがあるのはとても嬉しいし、

製作者の遊び心も感じられる。

 

特にベースが好きな自分としては

ベースラインがはっきり聴けるのは

とてもありがたい!!!!!!!!のだ。

(基本的にどのバンドもベースは低くて聴き取りづらいからね…)

 

 

…話が脱線しまくったが、

やはり20年以上もの時が経つとなると、

今でも好きな曲は好きだし、

逆に、当時は大して興味なかった曲が、今はすごく心に響くなど、

不思議な事も起こり得るのである。

 

 

 

時が経てば好みが変わるだけじゃなくて、

様々なアーティストの色んな楽曲に触れていく中で、

振れ幅が広がっていって、感性も磨かれていくのかな。

 

 

それとも単に歳の関係で、切ない曲に心が癒やされるようになったのか…。

それはわからないけど。笑

 

 

 

 

…ということで、

今後もSpotifyなどのサブスクサービスやアプリには、

長らくお世話になることだろう。

 

 

 

さて、やっとのことで本題に入ろう。

 

 

 

今回はサブスクで再び出会った、

ラルクの「とある曲」に感化されて、

文章を書きたいと思った。

 

 

 

別に小学生の時の黒歴史?である

「君が見えなくてごっこ」のことなんて

どうでも良いんだよ。

 

 

 

 

 

そんなつもりだったのだが…

 

 

前フリが思った以上に長くなってしまったので…

 

 

また次回に続く!!!!

 

 

 

 

「無意識」を意識して、心のままに生きる

「社会人としてのモラルが必要だ」

「そんなんじゃ社会人としてやっていけないよ」

「社会人なら常識でしょ」

 

あなたもよくこのような言葉を耳にするだろう。

 

 

そして、自分自身に対して投げかけられた心配の言葉として、

 

もしくは、あなた自身も人に対して言ったことがある言葉として、

 

この言葉は当然のように語られる。

 

 

さらには、

常に「社会人」という言葉が脳裏に焼き付いて離れないくらい

しかもそれが自分の目指すイメージとして知らず知らず意識してしまうくらい

 

「人に迷惑をかけない、礼儀正しいだけの社会人」

 

になってしまっている人もいるかと思う。

 

 

 

ちなみに、僕には昔から「社会人」という言葉には

違和感しか感じられない。

 

 

 

そもそも「社会人」て何なんだろうね?????

 

 

 

というのも、

「社会人」を自称している多くの人は

ただ会社のルールに縛られて、

人に「常識」を押し付けるだけの「会社人」だと、

僕は思うのだ。

 

 

それに、「人に迷惑をかけない」ための常識が

人に押し付けることにより、

実際迷惑になっていることもまた事実である。

 

 

大抵、自分自身が信じている「常識」は

自分の会社や学校(その他コミュニティ)、家族や地域社会などなど…

実際には自分自身の周辺でしか通用しない。

 

 

しかし、その「限定的な範囲の常識」が

「全世界で通用する常識」

だと、多くの人が思いこんでいる「常識(最強)」である。

 

 

ただそれだけだと思うのだ。

 

 

 

だから、僕は、

「社会人」であることを押し付けるような「会社人」には

人として全く魅力を感じないのだ。

 

 

僕は、

「社会人として」どうのこうのよりも、

「自分の生き方として」どうのこうの考える方が、

より魅力的で、周囲に影響を与えられる人物になれるのでは?

 

…と考えている。

 

 

 

 

先日、このような記事を読んだ。

 

 

 

 

詳しい内容に関してはリンク先で確認してほしいが、

僕としては、全体的に、非常に共感できる内容であった。

 

 

僕はオーストラリアが自由で寛大な社会であることは耳にしていた。

(↑行ったことはないけどね。)

 

それに対して、日本って

「あれはダメ」「これはダメ」「〇〇してはいけない」

みたいな義務が多すぎて

非常に窮屈だなって思うこともある。

 

 

一方で、日本はオタク文化も発達しているので、

その反動でコスプレなどの趣味に没頭している人々がいるのは

日本独自の素晴らしい現象ではあるし、

 

実際に、多方面において

日本人は非常に高いエネルギーを秘めた民族だと

海外の人から言われているのも事実。

 

 

オーストラリアが良くて、日本が悪いということは、一切無い。

逆も然りだ。

 

 

どこの国も素晴らしい点はある。

 

 

ただ、日本人は周囲の視線を気にするために、

自分が心地よく生きていくという、

「自分自身の生き方」を知らない人が多いのではないか?と思う。

 

そのため生き辛さを感じる人もいるというわけだ。

 

 

誰かが敷いたレールに沿って

 

「学校に行けば良い」

「就職すれば安泰だ」

 

それを信じて歩いていったために…

 

 

いつの間にか

「社会が自分をどう見るか?」という、

「他者」「社会」を基準として物事を判断するようになり、

 

 

「自分がどう生きたいのか?」と

「自分自身」を基準にして考えることがなくなっていた…。

 

 

それで、自分の意志ではなく、

他者に重きをおいた人達の価値基準から見れば…

 

人様から認められれば、立派な「社会人」になれるのだろう。

 

 

これでは、自分の生き方がわからなくなるのも当然だ。

 

 

 

 

実際僕もそうだった。

 

 

自分が「こうしたい」という思いがあっても

ついつい「他人からどう思われるか」を考えがちだったのである。

 

 

自分自身の無意識が発している「心の声」を聞かなかったために

我慢を続けた結果、限界がきてしまい、

嫌な結果を招いてしまったこともあった。

 

 

しかし、その過去の出来事(失敗)があったおかげで

「今後はできるだけ、自分自身の要求を優先しよう」

と、思うようになったのだ。

 

 

「社会が自分をどう見るか?」を、意識的なものとすれば、

「自分がどう生きたいのか?」は、無意識的なものになる。

 

 

きっと、大半の人はこの

「意識」と「無意識」の間で

自分の好きなことが何かわからず、

悶々とした日々を送っていることだろう。

 

 

 

 

 

「意識」していることは自覚できる。

 

 

では、「無意識」は一体どのようにして自覚できるのか?

 

 

 

「無意識」とは、「心の声」である。

 

虫の知らせと言うか、「直感」とも言えるだろう。

 

 

直感を高めるためには、

瞑想をしたり、自然と触れ合ったり、

自分自身の感覚を高めていく習慣が効果的だ。

 

 

あとは、

これまで経験したことのないことをやってみたり、

逆に普段はしないこともあえてやってみることも

大切ではないかと思う。

 

 

様々な経験を増やすことで、

「これは好き」「これは嫌い」という状況を

自分の中で認知しておけるし、

 

「こういうことをしていると楽しい!」など

これまで気づかなかった、新たな発見があるからだ。

 

 

あとは、将来的に何がしたいのか、欲しいものは何なのか

日常的に自分の欲望にも耳を傾けていく必要がある。

 

やりたいことをひたすらノートに書いていくのも有効だし、

小さな欲望(行ってみたかったところに行く、食べたいものを食べるなど)を、

毎日のように少しずつ実現させていけば、

常に自分の気持ちに従って生きているわけだから、

自分の心を見失う…ということはなくなるはずだ。

 

 

 

あなた自身の感覚が研ぎ澄まされば、

あなた自身の心の声にも耳を傾けられるようになり、

「本当にやりたいこと」

「実現したい生き方」がわかってくるようになるだろう。

 

 

あなた自身の「無意識」を蔑ろにしないためにも、

「違和感を感じたらそれ以上は行動しない、断る」など

あなた自身のルールを決めておくことも重要だ。

 

 

↓参考になりそうなものをいくつか貼っておくので

あなたの「無意識」を確かなものにして、

あなたが望む生き方を実現したいなら、

ぜひ確認してみてね。

 

 

 

 

 

自己中心的な性格は嫌われるけど、

もっと自分中心で生きていい。

 

 

 

他者よりも、自分自身を大切にしよう。