
先日、ブログタイトルとバナーを変更したばかりなのだが、
その際にブログのキャッチフレーズも変更した。
キャッチフレーズとはブログの簡単な説明である。
多くの場合はここに
「〇〇について書いてます」とか
「〇〇をテーマにしたブログです」とか
自分のブログの傾向やテーマを書くケースが多いと思うし、
実際以前の僕もそんな感じの書き方をしていた。
しかし、ブログ名を変更するにあたって、
これからは聖書と信仰生活について語ることが増えるだろうと思い、
このキャッチフレーズに聖句を入れたいと思った。
本来なら神に祈って決めたほうが良かったのかもしれないが、
伝道者の書は福音書に次いで好きな聖書でもあり、
直感ですぐに思いつき、「これだ!」と思った。
その聖句はこちらである。
空の空。伝道者は言う。
空の空。すべては空。
【伝道者の書 1:2】
こちらの聖句から「空の空。すべては空。」のみを取り入れることにしたのだ。
聖書には他にも素晴らしい聖句はあるし、
特にイエス様の言葉は人の心に平安をもたらすものもたくさんある。
ただし、僕のブログの世界観にマッチしたものとなると、
シンプルで初見の方にも伝わりやすいものが良いと判断したためだ。
この世のすべては空しいものである。
僕はゲームこそ全くやらなくなったものの、漫画やアニメは好きだし、
音楽についても、元々V系やメタルが好きだったこともあり、
さすがに聴く頻度は以前よりも減ったものの、未だに曲自体を聴くことに抵抗はない。
また、赤の他人がどのようなものを好きでも、
特にそれに対してどうこう言おうとは思わない。
しかし、基本的には、この世のすべては空しいものである。
自分が死ぬ時にそれらを持っていけるのか?
「否」だからである。
モノだけではなく、執着、こだわり、考え方や一般的に”マナー”とされているものなど、
人間が造り出したもの、生み出したもの…
これらは全て、最終的には空しく”ちり”となって消えいくのだ。
すべての事はものうい。人は語ることさえできない。
目は見て飽きることもなく、耳は聞いて満ち足りることもない。
【伝道者の書 1:8】
しかし、僕たち人間はついつい目に見えるものに目を向けてしまいがちだ。
この世にある”モノ”で一時的な満足を得られたとしても、
本質的に満たされるわけではない。
そのため、自覚しようがしてまいが、
再び空しさを覚え、再び満足感もしくは快楽を得ようと
同じことを繰り返してしまうのだ。
僕も無い頭でこうやって一生懸命文字を書き込んでいる。
この行為自体も…もしかしたら、あまり意味はないのかもしれない。
しかし、神を知ってからは、神の国にふさわしい者となるために、
自らを変えていきたいと思い、本当に大切なことを身に着けていきたい。
そう思うようになった。
だから、せめて一人でも多くの人に自分の考えとともに
福音を伝えることができたら…
それはそれで意味があるのかもしれない。
ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。
【伝道者の書 12:7】
未だに自分は聖書の言葉をきちんと実践できているのかどうかはわからないし、
むしろ挫折しそうになることも多々ある。
ある時、クリスチャンの知人に「どんどん良くなっている」と言われたが、
正直、今ひとつ実感がない。
ただ…今の自分を以前と比べると、心に平安がもたらされたと思うし、
神を信じていれば、少しずつ変えられていくのは確かなようだ。
この世の”空しいもの”については…
もちろん、娯楽は娯楽として適度に楽しむのは良いと思うが、
人間が造ったものや、他人の発言などに、
いちいち振り回されないのが一番だと思う。
僕も漫画やアニメの展開やキャラクターの扱いなど、
他人の作品に対して不満に思うこともあるが、
所詮は人が作ったものに過ぎないのだ。
ストーリー展開に作者の事情も入ることもあれば、当然ミスもあるだろう。
また、逆に、自分は評価している人や物事に対して、
世間や大多数の人間は否定的な意見であったり、
関心がなかったり…ということも多々あるだろう。
共通の話題で想いを共有する人がいないことに、寂しく思うこともある。
しかし、この世において、常に「自分が正しい」と決着を着ける必要は無いし、
たとえ自分が考えていることが誰にも理解されなくても、
それはそれでいいとも思うようになった。
神だけは僕の苦悩を全てお見通しであるだろうし、
他の人間がどう思おうかよりも、神の目にとってどうなのか…
それが最も重要なことだからである。
かといって、嫌なことがあればついつい憤りを感じてしまうのが人間であるし、
良くないとわかっていても、ついつい罪を犯してしまうのもまた人間である。
完ぺきな人などいない。
僕たちは聖人でも神でも何でも無い、ただ一人の罪人であること。
だからこそ、怒りや憎しみといった負の感情も、
人の手によって生み出されたこの世の”モノたち”も…
ほぼ全てが空しいことを理解した上で、
聖書の言葉を実践していけるようになれたらと思う。
この世においてそれだけが唯一、永遠に消え去ることはないものだからだ。