学生時代には気づかなかった「デザインに秘められた”スゴイチカラ”」

コリュにちばんこ〜。

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だよ。

 

今日は少し嬉しいことがあった。

 

GW中に、Facebookグループで無料のデザイン講座があった。

Canvaを使って自分の作品を作るというものだ。

 

 

Canvaとは、予めテンプレートが用意されていて、

ちょっと変更するだけで、

簡単にオシャレなバナーなどが作れるスグレモノというものである。

 

 

Canvaは↓こちら

Canva

 

 

そのグループの中で、これまで作った作品の表彰式があったのだ。

 

そしてなんと…

 

 

僕の作品が最終選考まで選ばれたのだ!!!!

 

 

 

残念ながら大賞には一歩及ばなかったものの、

最終選考まで残り、

その他2つの個人賞の一つに、ありがたくも選ばれたのだ。

 

 

 

入賞した作品↓↓↓

 

 


 

 

 

その他、入賞しなかったものの、Canvaで作った作品はこちら↓↓↓

 

 

↑YouTubeのサムネを意識して作ったもの。

色彩に南の島の雰囲気が出ている、と評価をいただいた。

 

 

↑前衛芸術的な雑誌の表紙をイメージしたもの。

背景は有料の画像だと気づかなかったので変な線が残ってしまった。

 

 

 

ちなみに、コリュのイラストはフォトショで描いたものなので、

Canvaでは無料配布してないからね。笑

もちろん、無断での使用・無料配布などしたら容赦なく訴えます。

 

 

ただ、せっかくCanvaを使ったとはいえ、僕はほとんどテンプレ無視。笑

 

安定のテンプレクラッシャーというか、

「誰かが作ったものを利用するよりも、自分が何かを作りたい」

という欲求が強いのかもしれない。

 

 

講座のグループ自体は初心者の方が多かったものの、

初心者の方ならではの自由な発想は驚くほどのものばかりで、

加えて、現役デザイナーと思われる方や、元々のセンスが抜群な方、

コピーのセンスが優れている方、

使っている写真が綺麗な方などたくさんいらっしゃった。

 

 

そのため、その中でも選んでいただけたことは、純粋にものすごく嬉しかった。

 

それに、

 

自分のデザインを「良い」と言ってくれる人が

自分が思った以上にたくさんいた…

 

その事実に驚いたのだ。

 

 

 

というわけで、今回は、

この出来事をきっかけに気づいた、

 

学生時代には気づかなかった「デザインに秘められた”スゴイチカラ”」

 

ということで語っていきたい。

 

 

 

僕・コリュは、芸術大学のデザイン科出身である。

 

現役で入ったわけではなく、その前は別の大学の工学部に所属していたのだ。

 

必須科目の中では、数学が一番好きな教科だったし、元理系なんだよね。

 

でも、やはり「芸術を勉強したい!!」と思い、

半年間前の大学を休学して画廊に通い、受験勉強をする。

 

試験までは正直、

デッサンなどにおいては十分な対策ができたとは言えなかったけど、

奇跡的にも合格。

 

 

芸術大学に通うことができたのだ。

 

 

 

僕は当初デザインを学ぶ前には

「かっこいいデザインをしたい」

などという、漠然としたことを考えていた。

 

 

しかし、大学のクラスでは、当然だが自分よりも年下ばかりで、

素敵な感性と卓越した画力を持つツワモノ揃いの面々が揃っていた。

 

 

そのため、人と比べては落胆し、

嫉妬の炎に燃えたりということもあった。

 

 

こうして4年間、アニメーションを含み、デザインを学ぶことができたのだ。

 

 

しかし、僕は就職しない選択をせず、

フリーでやりたいと思っていたので、

デザイン会社で働いた経験は無い。

 

 

そういう実践的な経験があまりないからか、

サイトなどを作ってみたものの、

いざ、自分がフリーランスのデザイナーやイラストレーターとして

今の段階まで最初の一歩を踏み出すことが出来なかったのだ。

 

 

それまでは、無償の仕事として貢献することはあっても、

自分の仕事の価値が金額的に具体的にいくらになるか、

わからなかったからだ。

 

 

かといって、提示された金額で仕事をさせていただいたこともあったけど、

初めて聞いたことに関して一方的に責められるなど、

相手とトラブルになったこともあった。

 

 

そのため、一緒に組む人を選ぶという意味でも、

自分を安売りするのも考えものだと思ったし、

でも、また変な人に引っかかったらどうしようと思ってしまい、

一歩を踏み出すことを恐れるようになってしまった。

 

その前に別の仕事でパワハラにあった経験もあったしね。

人間に対する恐怖がなかなか抜けなかったんだと思う。

 

 

 

それに、デザインを仕事にしていきたいとは言えど、

単に技術や画力、感性やセンスなどに目を向ければ、

世の中には自分よりも格段に腕が良い人がたくさんいるからね。

 

 

 

そうやって悶々と悩み続けた結果…

 

気づいたら、自分には本当に強みとなるものがなかった。

 

 

 

これはマズイ。

 

 

そう思って、

僕はマーケティングも合わせて学ぶことで、

「自分が売れるもの」

を長年に渡って探してきたのだ。

 

 

それと同時に、

音楽ライブなどのイベントや美術館に足を運びながら、

人が創り出した素晴らしい表現や世界観にも触れていくことで、

 

「どうしたら自分の世界観を作れるのか?」

 

をも考えてきた。

 

 

そこで、今回参加させていただいたデザイン講座のグループにて、

 

「私はこのデザインが好き」

「申し分ないデザイン」

「世界観が出ている」

 

などの評価をいただいた。

 

 

 

そのおかげで、

 

「自分がやってきたことは間違いじゃないし、

自分が生み出したものには価値がある。

お金をいただいて良いものなのだ。」

 

と、確信したのだ。

 

 

 

そして、今一度初心に帰り、

デザインとは何なのか、

雨の中の散歩をしながら今一度考えてみた。

 

 

もちろん、デザインを行う上では、

配置や色彩や使う写真、イラスト、フォントや

全体のバランスなども大切だ。

 

 

しかし、デザインとは、

それら基本的なことよりも、もっと大切なことがあると思った。

 

 

それは

 

「デザインとは、いかにして人を巻き込んで、

世の中を良くしていくか」

 

ということである。

 

 

 

もちろん、自分の影響力は大して大きくはない。

 

しかし、実際的な”数”は、正直どうでも良いのだ。

 

最終的に結果が伴っていけば、数が自分の価値を直接示すものではない。

 

 

インスタのいいねの数や、Twitterのリツイート数にばかり気を取られると、

本質的なものが見えなくなるからである。

 

 

僕が思うに、

デザインをすることで、意識する上ではたった一つ。

 

 

「このデザインは、誰にとって共感できるか?」

 

 

ということだ。

 

 

 

上の文字は 五七五七七(字余り?)になっているけど、

正直、俳句なんて読んだことはなかったし

俳句をキャッチコピーにすること自体がベストとは思わない。

 

 

そこは、「完璧主義」を脱して、「完了主義」になるというか、

「今の自分にとって表現できるものは、これが最高だ」

と思うことにしたのだ。

 

 

そもそも、完璧主義である必要はない。

 

自分にとって最高の出来でなくても、

 

上の文章から、もしかしたら

 

「昨日受けた創(キズ)は隠したりする必要もないし、

かといって完全に無くなったりするものではない。

悲しみも喜びも全て『自分自身』。

全て受け入れて、明日の糧にしていこう。」

 

という、隠れたメッセージを受け取ってもらえたのかな?

 

と、僕自身、勝手に思っているのだ。

 

 

つまり、「本当に良いデザイン」を追求していくというのは、

 

「世界観に共感する人を見つけること」

 

だと思っている。

 

 

 

このブログを初めた当初は、

自分の芸術活動とお金を結びつけるのがなかなか出来なかった。

 

どうしても「お金が絡むと自分の世界観を汚す」という

自分が勝手に作り出した

「お金に対する負のイメージ」

がまとってしまっていたからだ。

 

 

しかし、デザインが「人を巻き込むもの」だと気づいてからは…

 

自分の世界観を届けることで、世の中が良くなるならば、

自分の提供するものを、自分が適正だと思う価格で売ることは、

至極当然のことだ

 

と、思えるようになった。

 

 

その提示した価格で「高すぎる」と思う人は、

自分にとって正直どうでも良くて、

「むしろ安い!!」と喜んで買ってくれる人だけと、

関係を築いていけばよいのだから。

 

 

そのため、最も大切なのは、

 

自分の世界観をいかに恥ずかしがらずに

 

「これでどうや!!!!」

 

と、ドヤ顔して提示させられることだ。

 

 

 

今までの自分は、恥ずかしがりすぎたのだ。

 

 

 

でも、もう決めた。

 

 

やらなければ永遠に今のままであるが、

やって失敗すれば、「経験」として自分の栄養になる。

 

 

だから、「恥」なんて捨てちまえ、と。

 

 

 

 

 

恥を捨てて自分の思いをデザインし、

デザインとしての”画”を魅せることで共有する。

 

 

そうすることで、

 

「この人の世界観やキャラクターは、こういうもの。」

 

と思ってもらえたら、こっちのもの。

 

 

世界の中でたった一つのものだから、安売りなんて出来ない。

 

 

あとは、「この世界に共感してくれる人」を見つければよいだけだ。

 

 

それが、僕が思う、

「デザインの本質」

 

というか…

 

「デザインが持つ素晴らしい力」

だと思っている。

 

 

嬉しいことも辛いこともたくさんあったけれど、

このようにデザインの効果が、ただ「見た目をオシャレにかっこよくする」…

それだけじゃないんだってことを、数々の経験が気づかせてくれた。

 

 

今後の課題もたくさんあるけれど、

自分が信じる信念を糧に、「世の中のデザイン」をしていきたい。

 

 

 

…というわけで、今回は

 

学生時代には気づかなかった「デザインに秘められた”スゴイチカラ”」

 

 

ということで、自分の過去の経験も含めて語ってきた。

 

 

僕自身はデザインの重鎮でも何でも無い、

ただの元学生&現在個人事業主&フリーター兼ただの妖怪であるが、

むしろ「何もない」者こそ、

この世に一つしか無い強みを生み出せると信じている。

 

 

長々と語ってしまったが、

あなたがもしこの話を読んで、

ちょっとでも勇気をもらえたと思っていただけたら、

ぜひ、ご自身の世界観を恥ずかしがらずに提示して、

たくさんの人々を巻き込んでいっていただけたらと思う。

 

 

それはきっと、あなたにしかできない「デザイン」なのだから。

 

 

 

ストレスをエサにして、前に進むためのエネルギーに変える方法

ストレスもワサビ醤油にして食べちゃう、

日本食大好き”がちまやー”妖怪こと(?)

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)でございます。

 

 

 

 

先日のブログでは、「怒りを仲間にする方法」として

怒りなどのネガティブな感情を、

あなたが成長するために、むしろ利用してしまおうといった内容の話をした。

 

 

 

今日も、上記の手記に関連した内容ということで、

「ストレスをエサにして、前に進むためのエネルギーに変えよう」

ということで、話していきたい。

 

 

現代人はストレスフルな毎日を送っているかと思う。

 

将来への不安に対するストレス

お金がないストレス

時間がないストレス

好きなことができないストレス

学校や職場で感じるストレス

政策に対するストレス

 

 

…挙げればキリがないが、

僕自身も、そのようなストレスを理由に、

先延ばししたり、現実逃避してしまう癖があるのを

なんとなく自覚していた。

 

 

要は、何も出来ない原因を他者においていたとか、

何かにつけてやらない理由をつけてしまったりとか、

人や何かのせいにしがちというか、他責傾向にあったりしたのだ。

 

 

かといって、無理なポジティブ思考も意味がないというのも

過去の経験の中でわかったのである。

 

 

もしかしたら、あなたも過去に経験があるかもしれないが、

なんとなく違和感を覚えたまま「大丈夫!!」と思うのは

自分に嘘をついているような感覚がまとわりつくだろう。

 

 

僕自身も一時期は暗い性格の自分に悲観し、

「楽観的になりたい」と思って

無理に明るい人格像で振る舞っていた時期もあったものだが…

 

 

その違和感に違和感を重ねるような感覚が嫌で、

今はすっかりやめてしまった。

 

 

すぐに悲観的な思考をしてしまうので、

どう転んでも、根暗なヲタクがパリピや体育会系のようにはなれない。

仕事や与えられた役割によっては、そういう”フリ”をすることはできるけどね。

 

 

そのような経験からか、

やたらポジティブな言葉ばかりで

自分自身や人間のネガティブな部分を否定したがる

「ポジティブ論者」は胡散臭いとも思うようになったのだ。

(もちろん、ナチュラルなネアカ人間なら良いんだけどね。)

 

 

ということで、最近は、

付き合う人は限られるし、

内向的でマイペースな自分でも

「それで良い」と自分を受け入れられるようになってきたのだ。

 

 

それでも、自分自身が感じた嫌なことや大きなストレスは

なかなか癒えることができず、

ズルズルと長い間引きずってしまうことも多い。

 

 

挑戦したいことがあっても、完璧主義と飽きっぽさが災いして

中途半端な形で残ってしまっているものも多く、

このままで良いのか?と焦ることもある。

 

 

さらに、自分が嫌だと思うタイプの人に振り回されたり、

逆に嫌だと思うことをなかなか相手に伝えることが出来なかったりして

人間関係においても、大きなストレスを感じたままである。

 

 

一方で、フォローしている発信者やビジネスパートナーの中には魅力的な方が多く、

自己実現をしてストレスフリーな毎日を送っている方も多い。

 

 

「このままではいかん!!」と思い、

様々な書籍を読み漁ったり、

Eラーニングを試したりした。

 

 

その中で、最近読んだ書籍の中で学んだこととして、

 

「ストレスは力になる」

 

という事実があることを知ったのだ。

 

 

ストレスを感じたときは、

心臓の鼓動が高まるのを感じる方もいるだろう。

 

 

その時の不快な感覚と言ったらまるで

ぬかるみに両足を突っ込んだかのようで、

一度はまり込むと、なかなか抜けられないのだ。

 

抜けたと思ったら、足についた泥を取るのに苦労してしまう。

 

しかも、不注意に不注意が重なり、

さらにまた別のぬかるみに足を取られてしまう…

 

 

そんな、気持ち悪い感覚。

 

 

しかし、一方でストレスや不安などで感じるドキドキは

ワクワクした時の感情に近いという事実もあるそうだ。

 

このように、一つの物事を別の解釈で捉えることを

「リフレーミング」というようだ。

 

 

実際に不安も、興奮も、心拍数が上がって活性化し、

モチベーションも高まるという事実もあるらしい。

 

 

確かに、言われてみれば、

余裕があって気楽に構えている時と締切間際で不安にかられている時とでは、

自分の経験上、後者のほうがモチベーションが上がっている気がする。

 

 

自分の時間の割り振りが下手なだけといえば、それもそうだが…苦笑

 

 

まぁ、少なくとも、

ストレスは体にとって必ずしも害になるものではないようだ。

 

そうとわかれば、脳みそにこう錯覚させてやると良い。

 

 

「自分は今、猛烈にワクワクしているんだ。」

 

「自分はストレスを力にして、前に進もうとしている」

 

 

不安を感じたり、不快感を覚えたりしているのにワクワクしているというと、

これはこれで、自分に嘘をついているような感覚になるかもしれない。

 

 

しかし、先に述べたとおり、

不安や緊張を感じたときと、ワクワクを感じたときというのは、

「心拍数が高まる」という点で共通しているのもまた事実。

 

 

「自分に嘘をついて、思ってもいないポジティブなことを無理やり言い聞かせる」

というのではなくて、

身体の自然な反応を、味方にしてしまえばよいだけである。

 

 

「いや、これは違うんだ。

確かに今、自分はストレスを感じているかもしれないけれど、

これは自分が変わるための原動力にもなるんだ。

だから、これは未来の自分に対する期待感でもあるんだ。」

 

ということである。

 

発想の転換ということだね。

 

変化のリスクも、リスクを超えた先に行き着く未来の景色も、

過去の嫌な出来事も、その出来事を超えた先に得られた自分の力も、

すべて紙一重。

 

 

逆に考えれば、ストレスなどを何も感じないということは、

「変化」も「きっかけ」もないということである。

 

 

 

 

そのため、ストレスを上手く使うことができれば、

自分を騙して、大きく成長することが出来るのだ。

 

 

 

今のままの自分では、

メンタルが弱くて毎日がしんどいから、自分を本気で変えたい。

 

 

しかし、今の自分を変えるには、「変える」ことは避けられない。

 

 

環境を変える

住む場所を変える

付き合う人を変える

習慣を変える

仕事・職場を変える

やり方を変える

キャラを変える

いつもの通勤・通学ルートを変える

食べ物を変える

 

 

 

日々の生活の中で変化を実感するには、

ほんの小さな「挑戦」でも、積み重ねる必要がある。

 

 

 

しかし、ほんの僅かな変化でも、

挑戦にはストレスや不安など負の感情が伴うものである。

 

 

それくらい、脳みそというのは変化を恐れて、

現状維持を好んでいるというわけだ。

 

 

 

それらストレスを「恐怖の対象」として

なんとな〜〜〜く避けるのではなく、

 

 

「ストレスや不安を感じるのは当たり前のことであり、恥ずかしいことじゃない。

私は今、憧れの自分へと向かって、成長している最中なのだ。」

 

 

と思いつつ、ポジティブな感情だけじゃなく、

ストレスやネガティブな感情もまるごと平らげて

少しずつ向き合っていきましょう。

 

 

 

 

「自分に嘘を付くこと」と「自分を騙すこと」の違いとしては

以下の手記↓もチェックしてみてほしい。

 

 

 

 

というわけで今回は

 

「ストレスをエサにして、前へ進むエネルギーに変える方法」

ということで、

 

 

何かに挑戦することや嫌な経験をしたことで感じるストレスは

不快なだけじゃなくて、期待感やワクワクした感情でもあるのだ。

 

だから、自分の行動や能力を制限させる方向ではなくて、

前に向かうため、さらに成長するためのエネルギーにしてしまおう

 

 

ということを話した。

 

 

まずは、まさに「騙された」と思ってもらって良い。

 

 

あなたも何かしらストレスを感じたら、

ひとまず「ラッキー!成長のチャンスだ!」と

自分自身を「騙して」みてはいかがだろうか。

 

 

 

大きな変化が嫌なら、

何かしらの「ちょっとした変化」を取り入れつつ、

無理だと思ったらまた別の方法で「変化」を取り入れつつ、

その度に感じるストレスたちも、上手く吸収させて成長していきましょう。

 

 

今回の参考書籍はこちら↓↓↓

 

 

後悔しない超選択術

※クリックするとAmazon商品ページ

2020年をどんな年にしたいか考えてみた

2020年、あけましておめでとうございます。

 

 

 

↑ねずみ年ということで、ねずみモードにしてみた。

 

 

 

早速だが、2020年をどんな年にしたいか

考えてみたいと思う。

 

 

 

まず、2020年の干支は「子」である。

 

 

 

しかもただの「子」ではない。

 

 

 

「庚子(かのえね)」なのである。

 

 

 

↑こいつは「庚」以外の時でもこう言ってそうだよね。

 

 

 

 

ちなみに、「庚」にはどんな意味があるのかと言うと、

 

植物の生長が止まって新たな形に変化しようとする状態

 

 

だそうだ。

 

 

↑キモキャラ路線に変化したいのだろうか?

 

 

 

また、「庚」という字は、「更新」の「更」に通じてもいるようだ。

 

 

つまり、「前の状態を一新する、これまでのやり方を改める」

という意味にもとれるということだね。

 

 

その意味を知って、以前、僕にアドバイスをくれた人の話を思い出した。

 

 

↓その時の話を受けて、今後の方向性について考えたこと。

 

 

 

その人の話によると、

 

「”これは違う”と思うものを、完全に捨てなさい。」

 

だそうだ。

 

 

ちなみに、その時は干支の話を全くされなかった。

 

 

つまりこれは、完全に「僕に対してのメッセージ」だったのだ。

 

 

 

「前の状態を一新する、これまでのやり方を改める」

この「庚子」という年の意味と、

 

「これまでのことを捨てて、次のステージに進め」

という、自分に対するメッセージが重なったのだ。

 

 

以上のメッセージを受けて、

僕は、このように解釈した。

 

 

「これまでの経験や人間関係にしがみついていちゃダメ。

あなたが本当の意味で自由で、心地よくなれる…

そんなやり方や方向性、人間関係だけを構築していきなさい

 

何度でもリセットして良いから。

 

身の回りの整理整頓も忘れずにね☆」

 

 

↑このように考えたら、なんだかすごくしっくりしたのだ。

 

 

正直、それまで「思うように行かないな」と思うことが多々あった。

 

 

でもそれは、2019年の干支が「己亥」だったので、

「自分自身が新たな可能性を切り開くための準備期間」だと思えたら

それでよかったんだーと思えたのだ。

 

 

過ぎたことを振り返り、

出来なかったことに対して、自分はダメだと責める必要はない。

 

 

なぜなら、仮に「できなかった」と思っていても、

その事象は、「自分自身にとって必要だった」から、起こったことなのだ。

 

 

「タスク」という観点で見ると、

「やり残したことがいっぱいあったー!!」などと思ってしまったとしても、

長い自分の人生から見ると、大切な準備期間だった。

 

 

それがわかれば、もし今後の人生において、

「やりたいことがあっても、できなかった」

などという悔しい思いをしたとしても、

それが原因で自分の行動を阻害してしまうような悪循環には陥らないだろう。

 

 

そう考えれば、2019年という年があったことで、

自分がより大きく飛躍する可能性があると思われる。

 

 

 

…というわけで、以上を踏まえて、

2020年に意識していきたいことは、次のとおりだ。

 

 

①何事もシンプルに考えて、いらないものはどんどん断捨離。

 

②自分の中で新たな可能性を見出したら、どんどん切り開いていく。

 

③違ったらすぐにやり方を変える(トライアンドエラーの精神)。

 

④迷いがなくなったら、「より楽しくなるにはどうすれば良いか?」を追求していく。

 

⑤①〜④を繰り返して「これだ!」という方向性を見つけていく。

 

⑥あとはその状態をひたすら楽しみながら開拓していく。

 

 

 

そして、①〜⑥までをやり抜いた先の

2020年の大きな目標として、

以下のようなテーマを決めたのだった。

 

 

それは

 

「自分の心(潜在意識)が求めるニーズに応えよう」

 

ということだ。

 

 

もしあなたが誰かを喜ばせるにも、

 

「相手が何を求めているのか」を追求することは重要。

 

 

でも、それにはまずあなた自身からだ。

 

 

やりたくないことをやる必要なんて、全く無い。

 

 

あなたの自尊心を傷つけるような人や、

あなたが過剰に気を使ってしまうような人と

付き合う必要も、全く無い。

 

 

誰がどう思うか、ではなく、

あなたの心が欲していることを、素直に実現できるようになろう。

 

 

 

というわけで、2020年は「庚子」。

 

 

 

この年があなたにとって楽しく、新しい可能性が切り開ける一年になりますように。

 

 

「がちまやー」のススメ

2019年4月1日

 

 

新しい元号が発表されましたね。

 

 

 

 

さっそく「いらすとや」さんが

「新元号を発表する人」のイラストを発表したり

 

 

参考↓

 

 

 

さっそくゴールデンボンバーさんも「令和」という新曲を発表したり

 

 

 

 

 

 

 

それに加えてエイプリルフールだったり

 

 

皆大忙しだ。

 

 

 

また、4月ということで新年度、新学期でもある。

 

 

心機一転して新しいことを始めるには

絶好の時期である。

 

 

 

 

というわけで、僕のブログも…

 

 

 

 

 

新しいタイトルに変えました!!!!

 

 

 

以前は「狐狸の栖-スミカ-と雨呑み者-アミヌミヤー-」

というタイトルだったのだが、

 

 

 

 

新しいブログタイトルは

 

 

 

 

「がちまやーな雨呑み者-アミヌミヤー-」

 

 

 

である。

 

 

言葉として意味が全くわからない…

 

そう思う人も多いことだろう。

 

 

というわけで、せっかくなので

ブログタイトルの意味について説明したいと思う。

 

 

なお、雨呑み者(アミヌミヤー)の意味はこれまでと同じであり、

こちら↓で説明しているので今回は省く。

 

 

 

今回は「がちまやー」という言葉を初めて聞いたという方のために

説明させていただこうと思う。

 

 

 

 

結論から言うと、

「がちまやー」の意味は、「食いしん坊」である。

 

 

「がちまやー」は沖縄の方言(うちなーぐち)であり、

島の中ではかなり一般的な言葉である。

 

 

参考↓

 

 

 

実際問題、僕は「でーじ がちまやー」である。

 

 

 

↑宜野湾市・「ちゃんぷる亭」さんの生姜焼き

 

 

 

つまり、「ものすごく食いしん坊」なのだ。

 

 

 

一人暮らしを始めてから料理はよくするし

いろんなものを作る。

 

 

 
 
 
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最近は自分で作るのが面倒だから、外食もよくする。

 

 

 

 
 
 
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食べ物への興味が半端ないので、

旅をする時はグルメが中心になるし

最近では毎日のようにどこか美味しいごはん屋さんはないか探しているし、

逆に通い慣れたところでも、

これまで頼んだことがないメニューを頼むことが多い。

 

 

 

 
 
 
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ちなみに、これくらい↑の量は朝飯前である。

(さすがにこれはちょっとお腹いっぱいになったかもだが)

 

 

 

それなのに太らないのでびっくりされることも多いが、

僕自身は決して太りにくい体型なのではなく、

食事で気をつけていることが多いかな。

 

 

実質1日1.5〜2食を実践してるし。

 

 

あとは、移動が主に原付きと自転車、徒歩なので

身体を動かす機会が多いのと、

こちらの本↓で紹介されているスクワットを

毎日やっているという感じだ。

 

 

また、僕のブログでもインスタでも、

沖縄を中心に、気に入った飲食店を紹介しているので

気になった方はぜひフォローいただければと思う。

 

 

沖縄では「がちまやー」というと、

単純に「食いしん坊」を意味することが多いだろうが天

 

 

 

僕の場合、「がちまやー」なのは、食べ物だけではないな。

 

 

 

昔からとにかく好奇心も旺盛で、

特に知識欲が旺盛である。

 

 

 
 
 
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↑神田昌典さんのツアーも3年連続で参加した。

 

 

このように、興味を持ったものはしっかり自分で調べたり、

本を読んだりセミナーを受けたりなどして理解を深めながら、

自分自身の中に取り入れたいという気持ちが強いのだ。

 

 

その知識を総合させることで、

様々なことを分析したり、

自分の思考を深めたり、

新しいアイデアを生み出したり、

自分のさらなる成長につながっていくからだ。

 

 

つまり、「知識」に対して「がちまやー」なのである。

 

 

知らないことを知りたい気持ちが強いのだ。

 

 

 

また、自分自身に対しても「がちまやー」である。

 

 

 

 

いや、自分で自分を食うのが好きな

カニバリズムなんじゃなくて…

 

 

「自分自身を知りたい」という気持ちがすごく強い。

 

 

 

もしかしたら自分自身なんて、

一生知ることができないものなのかもしれないが…

 

 

 

 

最近では、自然と一体になったとき、

自分自身が一番あるがままになれると感じる。

 

「自分が今、ここにいる。」ことを実感するのだ。

 

 

そんな体験を通して、自分を表現するための方法を

永遠と探していきたいと思っている。

 

 

要するに、表現方法を

自分なりに色々と試行錯誤していきたいんだよね。

 

 

表現力をいかに高めるか…

その気持ちに対してもすごく「がちまやー」なのである。

 

 

貪欲、という言ったほうがわかりやすいかもしれない。

 

 

本来の「がちまやー」の意味からちょっと逸れている気もするが、

向上心が旺盛だということだね。

 

 

「食欲」、「知識欲」、「表現力欲(?)」

 

 

こういった「欲の数々」が自分自身を表していると思った。

 

 

 

かつてはがっつく傾向がある、

欲まみれの自分を汚らわしく嫌だと思っていたが、

 

 

幸いなことにがっつく僕の周囲には、

まるでおばーの「カメーカメー攻撃」のように

たくさんのものを与えてくれる人々がいるわけである。

 

 

 

 

かつては自己愛が異様に低く、

「自分なんて存在価値がない」

「自分なんて大嫌い」

などと思っていた。

 

 

それに加えて引っ込み思案で、

周囲の人々に対して自分の要求や希望を

うまく伝えられないような奴だった。

 

 

物質的にも精神的にも何かを与えてくれる人がいても、

自分自身には何もないわけだから、

うまく返すことができなくて申し訳なく思っていた。

 

 

しかし、幸いなことに

自分には「生きること」に対しても「がちまやー」だった。

 

 

つまり、生への執着心は異様に強いのだ。

 

 

その気持ちがあったおかげで

自殺や自傷行為など、

自分自身を傷つけ、破壊させる一連の行動を防げたと思う。

(精神的にはだいぶ痛めつけていたと思うが)

 

 

どんな逆境でも乗り越えてみせる…

 

 

数えきれない絶望の中でも、そんな強い気持ちが奥底にあったのだろう。

 

 

「生きること」に対しても「がちまやー」だったのである。

 

 

 

そういうわけで、最近の自分は

自分の中に秘めている

とんでもないエネルギーを誇らしく思うようになり、

 

「自分を正しく愛することこそ、

周囲の人々に対する恩返し」

 

と考えるようになった。

 

 

様々な人々からの愛を受け取ってきたことで、

どんどん成長していく「がちまやー」な自分を

もっともっと愛したいと思ったし

さらに大きく成長させていきたいと思った。

 

 

そうやって僕は

「がちまやーな自分」を恥じることはなくなったのである。

 

 

がちまやーなあなたも

そうでないあなたも

 

 

ぜひ自分が興味をもったものは

とことん突き詰めていってほしい。

 

 

周りの人を巻き込んだってかまわない。

 

 

人は熱意に心を動かされるのだから。

 

 

あなたの欲しいもの、実現させたいことを

どんどん言葉に出して言うことで、

「あなたが欲しい」と思った時に

あなたに手を差し伸べてくれる人は必ずいるはずだ。

 

 

あなたがいることで、周囲の人も一緒に成長するし、

結果として周囲の人々を潤すことにも繋がり、

やがては、世界が良くなることにも繋がるのだ。

 

 

そう考えたら、

あなたが自分自身をもっともっと好きになれるように

まずは好きなこと、興味のあることに対して

「がちまやー」になってみるのも良いんじゃないかな?

 

…と思う。

 

 

 

 

…というわけで、

「がちまやー」の意味を説明したわけだが、いかがだったろうか。

 

 

元々4月になってからブログタイトルを変更しようとしていたし、

新しい元号になっても特に僕は何も変わらない。

 

 

しかし…

ちょうど13年前の同じ時期に

沖縄に来たばかりの自分と、

今の自分とでは、

だいぶ変化があったのは確かだ。

 

 

精神的な面はもちろん、

男性ホルモンも打ち始めたから、身体的な面も変わった。

 

 

過去には苦しんだ時期もあったが

今では自分でしか経験することができない、大きな財産になっている。

 

 

そのおかげで、今は特に裕福でなくても

自分なりに楽しく毎日を送れている。

 

 

もしあなたが辛い思いをしているなら、

その手助けとなれるように、

様々な考えや新しい視点を共有できれば良いな、と思う。

 

 

 

 

というわけで、これからも私、天海夜 煌琉を…

 

ゆたしくうにげーさびら。

 

 

(※↑「よろしくおねがいします。」の意味)

「自分に嘘をつく人生」と「自分を騙す人生」、どちらがお好き?

「自分に嘘をつくこと」と

「自分を騙すこと」

 

 

これらは一体どう違うのか?

 

 

考えていきたいと思う。

 

 

…とその前に

「嘘」がタイトルの好きな曲を一つ貼っておこう。

 

 

 

シドの「嘘」。

いつ聞いても良い曲だよね〜。

 

 

 

 

V系ってマイナーで歌詞も過激なものが多いし

誰もが知っている歌って限られる。

 

この曲はそんなに親しくない人とのカラオケでは必ず歌っていたほど

定番の曲だったな。

アニメの主題歌にもなってたしね。

 

 

↑収録アルバム「hikari」

 

 

 

 

 

他にも「嘘」がタイトルに入っている曲は

ムック(MUCC)の「嘘で歪む心臓」も大のお気に入りだ。

 

こちらの曲はベースラインがとても好きで、

自分でも耳コピしてベースで練習したほどだ。

 

もちろん曲のメロディーも好きで、

昭和の懐かしい感じと、ドロドロと暗い歌詞がたまらない。

 

個人的には、ベースは最近練習サボってるから

久しぶりに触ってあげなきゃなと思う。

 

↑収録アルバム「カップリング・ワースト」

 

 

上に挙げた2曲は、画像のリンク先でも試聴ができるので

機会があったらぜひ聞いてみてほしい。

 

 

…まぁそれは置いておいて…

 

 

最近、僕は寝る前にこう言ってから眠りにつくことにしている。

 

 

「よし、今日も5億人の命を救った☆」

 

 

もちろん、実際は救えてないんだけど(笑)

 

 

 

もちろん、誰かに対して

「私は5億人の命を救ってます」

などと言ったら嘘を付くことになるのだが、

(…というか、言われた方も「お前どこぞの教祖だよ」って思うだろうし

間違いなく病院行きを勧められるだろう。)

 

 

そうではなく…

 

 

その言葉に隠された本来の意味が

 

 

「お前はそれくらいのことを出来るポテンシャルがある!」

「お前はこんなところでくすぶっている場合じゃない!」

「お前を必要としてくれる人がいるんだぞ!」

 

 

といった意味だったら?

 

 

それなら自分自身に対して言うのは問題ないと思っている。

 

 

しかし、実際はそこまでの結果を出せていない。

 

 

つまり、「自分を騙している」ことになるのだ。

 

 

 

 

 

もしかしたらもしかすると、

あなたはなにかミスをしてしまった時に

このようなことを思うことはないだろうか?

 

 

「俺って何をやってもダメだ。」

「私ってこんな簡単なことも出来ないからクズだ。」

 

 

何だその暗いおまじないは。

あなたは暗黒世界の魔女なのか。

違うのなら今すぐやめなさい。

 

 

しかし、実をいうと、

僕も前はそういったネガティブな言葉ばかりを

自分にかけ続けていた。

 

 

自分の価値を下げるような言葉で自分を責め続けていたんだ。

 

 

 

 

 

しかし、気づいたんだ。

 

 

 

こうやって自分を責め続けることは、

悪い意味で「自分を騙している」ことになる。

 

 

本当は、自分自身はそんなに「ダメな奴」じゃないのに。

 

 

「自分は価値がない」と自らを騙すことで

自分の価値を低いものと決めつけてしまっていたのだ。

 

 

しかし、自分が自分自身の価値を下げることがどんなに虚しいことなのか…

 

他人が何を言ったところで、

最終的には嫌でも自分が自分を受け入れるしか無いんだぞ?

 

 

そう思ったら自分を否定することが

いかに愚かで意味のないことなのかがわかったんだ。

 

 

 

「嘘をつく人は信用できない。」

 

一般的にはそんな人が多いだろう。

 

 

僕も基本的に嘘は嫌いだ。

 

 

自分や誰かを守るために

つかざるを得ない時もあるのだが、

出来ることなら言いたくないと思う。

 

 

 

しかし、最近の僕は

 

「誰かが幸せになれる嘘や、

 誰も傷つかない嘘ならついてよいのでは?」

 

と思うようになった。

 

 

もちろん内容にもよるが。

 

 

僕が嘘を肯定するようになった理由は何故かというと…

 

 

まず、「自分に嘘をつくこと」と

「自分をだますこと」の違いを考えてみよう。

 

 

「自分に嘘をつく」のは

自分のやっていることに内心不安や違和感を持ちつつも

その気持ちに嘘をついて無理にでもポジティブに考え、

現状維持しよう、物事を進めようとすることだ。

 

 

例えば、なんとなーく入社した会社が

「なんとなーく社内の雰囲気悪いし

上司もまるで剥がすのに失敗したガムテープみたいにネチネチした性格で意地悪だなー

社食もクッソまずいしクレーマー多くて給料低いしきついなー」

 

 

などと思って嫌な予感がしているものの

「ここは大丈夫だ、」「あの人はきっといい人だ。」

「自分の選択は間違っていない。」

…といったように、無理矢理にでも自分に言い聞かせようとしていることだ。

 

そんなブラック企業とっととやめちまえ

 

つまり、自分に嘘をつくということは、

自分が感じている本当の気持に、蓋をしてしまっている状態ということだね。

 

 

これではいずれストレスが溜まって

身体を壊したり精神的に病んだりしてしまうだろう。

 

 

 

一方で「自分を騙す」ことは

 

現在の自分が「目標・憧れとしている状態」と程遠くても、

自分をその気にさせて自己肯定感を高め、

モチベーションを上げていくことである。

 

それを繰り返すことによって、

少しでも「目標・憧れとしている状態」に近づくことができる。

 

 

ある意味騙されてるぞ。

 

 

また、「自分を騙す」ことは良い使い方も悪い使い方も出来るものであり、

先に上げた例(「自分はダメだ」と思うこと)のように

自己肯定感を下げて自分を虐げる方法に使うことも出来る。

 

 

さらに、「自分を騙す」ことは他者にも使うことが可能だ。

つまり、ポジティブな言葉、もしくはネガティブな言葉を用いて

「相手を騙す」こともできるのだ。

 

 

その「相手を騙す」一例として、

 

女性にはどんな人にも「可愛い」と言ったほうが良い。

 

…というのがある。

 

 

 

「可愛い」と言われ続けることで、その人がもっと魅力的に可愛くなれるというのだ。

 

 

 

 

また、子供には「天才」と言い続けたほうが良い。

 

 

そうすることで自分を愛し自分に自信を持てる子になり、

どんな困難な目標も達成できる人物になる可能性が高まるからだ。

 

 

 

このように

「相手が欲しがっている言葉で(ある意味)相手をだますこと」

いくらでもやって良いと思うんだ。

 

 

もちろん嫌がってたらすぐに辞めるべきだけど

(可愛いと言われるのが嫌いな女性だっているわけだし)、

良い言葉をかけられて悪い気をする人はいないはずだ。

 

 

それで「騙された」相手がその気になって

自分が本来持っている力よりも

さらに高い力を発揮するようになれば「嘘も方便」であるし、

もしかしたら元々嘘でもないのかもしれない。

 

 

それが、「可愛い」と言われ続けた女性が美しくなり、

「天才」と言われ続けた子供が夢を叶えやすい性格になる所以である。

 

 

 

 

 

だから僕は

「現状よりもさらに良くなる確信がある、自分(相手)を騙す嘘」

であれば、嘘も悪くないと思うようになったんだ。

 

 

「お前はダメな奴だ」

なんて言ったって何も良いことなど起こらない。

 

 

負けず嫌いなタイプの人は闘争心を燃やすだろうが、

ネガティブな言葉を言われ続けることで、

大抵の人は自己否定をするようになってしまう。

 

 

リーズナブルなのに大盛り無料の定食屋のように

120%くらいボリューム増し増しで

ちょっとオーバーなくらいで良い。

 

相手や自分自身の良いところを

あなたなりの言葉で表現してあげよう。

 

(「褒める」って言えばわかりやすいのかもしれないが

僕は「褒める」って言葉自体あまり好きじゃない。

なんとなく上から目線でお前何様?感があるからだ。)

 

 

…というわけで今回は

「自分に嘘をつく」と「自分を騙すこと」の違いについて語った。

 

 

これらをまとめると

 

 

「自分に嘘をつく」のは良いことなど何もない!

 

「自分(相手)を騙す」ならポジティブな言葉を

(ちょっとくらいオーバーでも良いから)かけ続けろ!

 

 

あなたが自分自身を騙す言葉を見つけるのが難しければ、

まずは身近な人の良いところを見つけてみるのもありかもしれない。

 

 

「元気で明るい」「優しい」「デキる人」「面白い」「個性的」

「細かいところに気がつく」「いつも笑顔」「挨拶をしてくれる」

 

…などなど

 

こういった言葉の中に、心底自分が欲している言葉のヒントがあるかもしれない。

 

 

 

ぜひ、他人の良いところを探しながら

あなた自身の良いところを見つけ出し、

「なりたい自分像」になるために

自分自身を騙し続けてみてほしい。

 

 

騙されたと思ってやってみれば、

いつか本当に「なりたい自分」になれる日が来るかもしれない。