「自分自身の監督」になって、自分の人生をセルフプロデュースしよう

僕は最近、

 

「他人の感情には振り回されるな。自分自身の気持ちを優先しろ。」

 

といった内容の文章を書いている。

 

 

逆に言うと、それは自分自身にも当てはまることで、

「自分の感情には振り回されるな。」とも言える。

 

 

「自分の感情に振り回されず、自分を客観視する。」

 

 

もしかしたら、この生き方を意識することで、

他人の批評も一切気にならなくならず、

ほんとうの意味で自分らしい人生を送れるのでは?と思った。

 

 

というわけで、今日は

 

「自分の感情に振り回されず、自分を客観視する。」

 

…このテーマについて考えていこうと思う。

 

 

 

最近…に限ったことじゃないけど、

街中、特に買い物している時とか、テレビをみている時とか

やたら感情を煽る表現が多いなと思う。

 

「あなたはこのままではダメですよ」

「今のままでは将来〇〇ですよ」

 

というような…

 

購買欲を煽るためなのか、

やたら不安にさせるような言葉をよく見かけるし、

 

「タイムセール中!」

 

「今買わないと損ですよ!」

 

といったセールもよく見かける。

 

実際それに飛びついて別に欲しくなかったものを

買ってしまった方も多いかと思う。

 

 

大丈夫、僕もその経験たくさんあるから(笑)。

 

 

その他、人の感情を煽る表現としては、

過激な活動家がヘイトスピーチを行っているデモとか

パワハラ、セクハラ上司がいる職場とか

 

 

まぁ色々あると思う。

 

 

…もう数え上げたらキリがないよね。

 

 

そんな人の言うことをいちいち真に受けていたら

身が持たないし、自分を見失ってしまうだろう。

 

 

疲れちゃうよね。

 

 

さて、こんなにたくさんの情報に溢れた現代。

 

 

こんな時、しっかりと自分を持って、

誰にも振り回されず、狼狽えないようにするにはどうすれば良いんだろう?

 

 

 

僕は以前、このような記事を書いたことがある。

 

 

 

「自分の人生の”主人公”にはなるな。」

 

 

これはつまり、どういうことかと言うと、

 

 

「自分の人生の主人公になる」というのは、

「自分の主観」で生きている状態ということなんだ。

 

 

それは結果どうなるというと、

いつまでも「動かされる側」になっちゃうんだよね。

 

 

感情的なものに左右されてしまうし、

基本、「情に厚い良い人」だからお涙頂戴の演出にも弱い。

要するに「カモ」的な扱いを受けてしまうこともあるだろう。

 

 

 

そういう「常に何かに煽られる生き方」をやめて、

 

「流行りには惑わされない。」

 

「自分は自分の選んだものだけを信じて生きる」

 

そんなかっこいい生き方をしたい!!

 

 

そんな生き方を実現するにはどうすればよいか。

 

 

そのためには…

 

 

 

「自分自身を一歩引いて見つめる存在」を

自分の中で作ってしまおう。

 

 

わかりやすく言うと、「監督」だ。

 

 

監督は監督でも、自分の人生の「監督」だ。

 

 

映画やアニメなどはもちろん、スポーツにも「監督」という存在は必要だよね。

 

 

自分をコントロールする「監督」がいるから、

作品は出来上がるし、選手なら勝てるように動いていける。

(かなり雑な表現だけど、実際そうだよね笑)

 

 

アートとスポーツで違うけれど、

両者に共通しているのは、

「目標(ゴール)を達成すること。」

 

 

これを自分の人生に当てはめると、

自分の中の監督が決めた「目標(ゴール)」。

つまり、「なりたい自分像」を明確にすることで

それに向かって「自分という人間」を動かしていける。

 

 

つまり、

 

「目標(ゴール)に向かって自分に指示する監督を、自分の中で作ろう」

 

ということなのだ。

 

 

 

「俺の人生」の主導権を握るのはこの俺だ!(By.監督)

 

 

例えば…

 

 

自分の中で「痩せたい!」という目標を決めたとする。

 

 

主人公である自分は「目の前のラーメンを食べたい。」という気持ちを抑えられない。

いや、もしかしたら欲望に勝てず食べてしまうかもしれないね。

 

 

 

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でも、外から見ているもう一人の自分、つまり監督が

「今後、こいつ(自分)は痩せるというシナリオにする。でなきゃ困る。」

って言うんだったらもうそれに従うしかない。

 

 

一度それを決めたら、ラーメンを目の前にしても、

「とりあえず我慢するか。」

「低カロリーのもので置き換えよう。」

という選択肢が生まれるはず。

 

それがなかなかうまくいかないから、困っている人もいるかもしれない。

 

でも僕だって昔太ってたのに

今は「細すぎ」と言われるくらいまでになったから、

やろうと思えばできるんだよ。

 

今だって結構大食らいだけど、

旅行と人と一緒にいる時以外は1日1.5食にしているからか、

食べてもあまり太らない。

 

しかも、好みも変わってくるのか、

昔ほど甘いものを好まなくなった。

 

 

…なぜそうなったかと言うと、

「こういう自分になりたい」

というイメージを明確にしていたからだと思う。

 

その時ちょうどヴィーガン料理にハマっていたから、

そんな自分が好きだというのもあったかもしれない。

今はもうしんどくなってやめた(笑)。

 

それにぷくぷくした自分よりもスッキリした自分のほうがかっこいいから

今の自分を維持しているわけ。

夜のストレッチとスクワット以外、特に運動はしてないけどね。

なるべく自転車で行動するようにはしているけど。

 

 

自分を客観視して、目標を決める監督が

「痩せる」という目標を決めたから、

「できている部分」と「できていない部分」も把握できるようになって、

自分(主人公)をコントロールできるようになったからだ。

 

 

わかりやすくダイエットを例にしたけれど、

これと似たようなことがどんなことにも応用できる。

 

 

「物事に応じない」自分になりたいのだったら、

いろんな出来事に慣れていくしかない。

 

「余裕のある」自分になりたいのだったら、

とにかく収入を増やして、時間を作るようにすること。

どうしたらそういう自分になれるのかを考えて

いろいろ勉強したり人の話を聞いたりしていく。

 

そういった過程の中で、自分にとって必要なことを取り入れて

いらないものを捨てていく。

 

成長するにはとにかく学んでいく、経験を積むしかないわけだし。

 

 

僕だってまだまだ成長したいと思っている。

 

挫折しそうになったこともあるけれど、

昔ほど不安から物を溜め込んでしまったり、

余計なものを買うこともなくなった。

 

 

寂しさや虚しさで必要以上に飲み会に参加することもなくなった。

 

 

それは僕の中の「監督」が

 

「お前(自分)はもうそれはそれは臆病者だし

どこに行っても浮いてしまって社会不適合者みたいな奴だ。

 

でも、この先、“自分自身の生き方がまさにアートだ”と言えるような、

将来的にカリスマ性のある奴になっていくんだ。

 

それにはそれに恥じない人格を、今から作っていく必要があるのだ。」

 

って決めているからだ。

 

 

 

いやーーー困った困った。

 

 

俺、超絶コミュ症だけどそんな風になれるのかな?

 

 

でも、そのおかげで

例え今苦しいことや嫌なことがあったとしても、

「大丈夫。」と思えるんだよね。

 

 

そう。

 

 

「監督」である自分は自分に支持を出せるわけだし、

「主人公」である自分はその過程を楽しむことができる。

 

 

うまくいかなくても、

例え人からバカにされたとしても、

その過程すら「美味しい」と思えるようになる。

何かにつけて一喜一憂しなくなるんだ。

 

 

だから…

 

 

どうせ人生の主人公になるなら、

監督から脚本まで何から何まで自分でセルフプロデュースできる、

そんな人物を目指していくのはいかがだろうか。

 

 

例えると、チャップリンみたいな!!!!

 

 

 

 

まとめると…

 

感情だけで自分を動かさない。というか、誰にも動かされない。

 

 

「人生の監督である自分」を自分の中に作って、

一歩引いた上で自分を見つめ、

その上で「なりたい自分」「目標(ゴール)」に向かって

「人生の主人公である自分」を動かしていこう。

 

 

そして…

 

誰も経験したことがない。他の誰にも置き換えられない。

 

「これが自分の人生!」

 

そう胸を張って言えるような人生を送りましょう。

人生の主人公にはなるな

「人生の主人公はあなただ!」

 

みたいな文章をよく目にすることがある。

 

結論から言えば、

主人公にはならないほうが良い。

 

僕は元々芸大生で、
アニメーションも作ったことがあれば、
絵本も作ったことがある。

 

小学生の時には漫画ばかり描いていた。

 

それからドラクエにハマっていて
一日中ゲームばっかりやっていることもあった。

 

2011年、2016年に開催されたドラクエ展に行ったこともあるくらいだ。
 

 

これらの経験を通して思ったのが、
物語を操作するのも
キャラクターをどうするか決めるのも
結局作者次第、つまり作り手次第なんだよなということだ。

映画だったら映画監督かな。

 

登場人物は決して自分の意志で動いているわけではないのだ。

 

ゲームの中のマリオやサトシ(ポケモンの)、勇者だって
自分で勝手に動くわけじゃないもんな。

プレイヤーである自分が好きなように動かしている。

 

 

そうなると…

 

自分自身をどう悲惨な目に遭わせてやろうか

 

 

それとも幸せな展開へと向かわせてやるのか

 

 

何と戦うのか

 

 

どんな選択をしていくのか

 

 

どんな珍しい経験をしていくのか

 

 

 

 

ホラー映画にするのか…

コメディ映画にするのか…

 

それを決めるのも自分自身である。

 

人生の主導権を持っているのは自分自身なのだ。

 

自分の生き方を考えるのが自分の役目であって
自分を操作しようとする誰かに動かされてはいけないんだよね。

 

 

ちなみに…

 

自分の人生がホラー映画になるのかコメディ映画になるのかは
自分のものの考え方でだいぶ左右される。

 

ならばいっそのこと自分で感情のコントロールが出来たほうが
自分にとって一番楽な生き方ができるはずだ。

 

もし良かったら以下の記事も参考にして、
湧き上がってきた負の感情に支配される前に、
「気づく作業」を意識的に行うようにするとよいかと思う。

 

魅力的なキャラクターに憧れることはあっても、

 

「動かされる側」にはならない。

 

「動かす側」になろう。

 

 

人生はキャンバスではない。パレットだ。

Life is a great big canvas;
throw all the paint on it you can.
人生はとても大きなキャンバス(画布)だ。
可能な限りその上に有るだけの絵の具を投げかけなさい。

 

という名言がある。

 

人生は自分自身で描いていくもの、という意味だろうか。

 

 

僕も昔はこの言葉に共感していた。

 

 

しかし今は、逆だと思う。

 

 

むしろ、人生とは…

 

現在起きている事象に
自分がどう意味づけしていくかが重要になる。

 

そう考えるようになった。

 

そう考えるとむしろキャンバスではなくて、
パレットだと思う。
色を作る道具ね。

 

これは画用紙だが。
 

すべての物事は意味があるようでいて、意味が無い。

 

では、誰が意味づけしているのかというと、
他でもない、人間だ。

 

過去から現在において、
世の中の人が作った「価値感」だとか「伝統」だとか
そういうもので意味づけされている。

 

それなら、自分の好きなように色を塗ったってかまわないだろう。

自分で好きなように色を作って塗っていく、

 

つまりすでにある「意味あるもの」に自分で意味づけをしていくのだ。

 

大抵の人は幼少時代から大人まで完全に一人で生きてきたわけではないだろう。

 

むしろ、自分自身で人生をコントロールできた人なんて
ほとんどいないのではないか。

 

しかも、多くの場合は大人の影響で洗脳を受けているから、
さらに自分の行動を制限するようになる。

 

そうなると、自分自身で生み出せる色(意味)の数も限られてくる。

 

他にたくさんの種類の色があるのかもしれないのに、
緑しか知らなければ、緑を使うしか無いしな。

 

いや、もしかしたら本当は、
赤色は青色なのかもしれないし、
青色は赤色なのかもしれない…。

 

しかし、何も考えずに生きていると、
そんな可能性すら考える余地すら無くなる。

 

…まぁこれ以上言うとただの頭おかしい奴だから、ここまでにしておくけど。

 

ちなみに僕は最近、何かイラストなどを見た時に、
その人がどのような画風の絵を描くかというよりも、

 

その人がどのような配色をするのか
その人がどのような色づくりをするのか

 

他人の彩色や配色に関するセンスが気になってきたのである。

 

 

上のイラストは、
LGBTのビーチパーティを開催した時に配布したフライヤーのデザインだ。

 

これは僕が作ったもの。

 

これを見て、とある人が聞いてきたんだ。

 

「コリュって沖縄の人なの?」って。

 

いや、僕は本土出身の妖怪だけど?

 

どうやら、沖縄の人は原色というか、鮮やかな色を好む人が多いらしい。

その人は僕のこの色使いを見て、沖縄の人っぽいと判断したそうだ。

 

沖縄の子供達の絵を見ていると、
本土の子供達との色使いの差が顕著に現れると聞いたことがある。

 

僕は教育者じゃないからわからないけど、
本土出身の、もしくは本土での生活経験がある美術の先生だったら、
それに気づくこともあるのかな。

 

もしくは逆のパターン。
沖縄の人が本土の学校で教えている場合だと、
本土の子供達の色使いに驚くことがあるのかな。

 

僕はたまたま自分の色使いが沖縄の人寄りだったんだろう。

和物が好きだし、淡い色の日本色も好きなんだけどな。

自分の表現においては、わりとハッキリした色使いをする傾向になるらしい。

普段あまり自己主張しない性格だから、
コントラストを強めることで自分の内面を吐き出しているのかもしれないな。

 

いずれにせよ、その人の生まれ育った環境が
その人の感性に大きく影響することは間違いない。

 

他の人の絵を見ていると、
自分じゃできないような色使いに驚かされることがある。

 

逆に、自分が当たり前のように使っている色も、
他の国や地域の人から見ればとても珍しいんだろうな。

 

キャンバスに何を描くかよりも、
どのように色付けをしていくか。
どのような色を作るか。

 

未完の絵に、皆が予想もできない配色で
独自の色で色を付けられたら…

自分にしか描けない人生と価値観が生まれるのだろう。

 

そして、「人生はパレットだ」と言ったところで、

星空でもあると思うんだ。

 

一つ一つの星…点と点を繋げて大きな線にしていく。

 

その線自体には大きな意味はないのかもしれないが、

自分で「星座」を作っていくなら、その線は重要な要素になり得る。

 

 

…偉そうなこと言ってるけど、
結局これら全て僕自身が作った「意味付け」だしね。

 

 

それに共感するのかしないのかも

逆にあなた自身がどう捉えるのかも

全てはあなた自身の「色」にかかっているのかもしれない。

 

 

 

最終的には皆が「これは青だ!」と言うのを
「いや、赤だ!」と言い張るような、

 

 

そんな人間を目指してみるのも良いんじゃないかな?

 

 

少なくとも僕は、そんな妖怪になりたい。

人生とは、星空のようなものだ

仮に今のあなたが不幸のドン底だからと言っても、悲観する必要はない。

 

今、この時が最悪だからといって、あなたの人生そのものが不幸の烙印を押されてしまうとは限らないからだ。

 

人生は、とある出来事だけを切り取った「点」ではない。

様々な点、つまり様々な出来事が繋がって「線(自分の人生)」を成り立たせている。

 

例えば、プラネタリウムで星座を見た時に、
一つ一つの星そのものは星座そのものではないことはわかる。
それぞれは独立していて、星座を構成している要素でしかない。

 

いくらシリウスなどの明るい星であったとしても、それだけでは他の星と繋ぐことができない。

どんなに光の弱い星でも、立派な星の一つなのである。

満点の星空では、そのような星でも否定されることなく存在することが出来る。

 

人生も同じようなものだ。

 

結婚して出産して老後も家族に囲まれて幸せに…といった人生像は、
実は、点の一部にすぎない。

 

人はそれぞれ千差万別の人生を送っているのだから、
皆同じような運命をたどるわけがないし、
幸せの形だって何億通り存在する。

 

さらに、人によって「幸せ」の定義は1つとは限らないから、
星の数ほどの数多の幸せが存在するということになる。

 

 

あなたの人生がオリオン座なのか、北斗七星なのか、蠍座なのか、
もしくはまだ見たことがない形の星座なのかは、
あなた自身が好きなように決められる。

 

様々な出来事や出会いを重ねて、

様々な星と星とをつなぎ合わせて、

自分の夜空をたくさんの星座で埋め尽くそうではないか。

「自己責任」は誰のため?

自己責任で生きるというと、ネガティブな印象があるかもしれない。

しかし、今の自分は自分自身が作り上げてきたもの。

 

だからこれからも良くなるかもしれないし、
悪くなるかもしれない。

 

それも自分次第。

今の一つ一つの選択が今後の自分を形成していく。

 

そう思ったら、少しでも今できることをやることをやった方が良いし、
何かが起きたら自分でなんとかしようと思うようになっていくことが大切。

 

人はなかなか変わることが出来ない。

 

しかし、今からでも異なった考え方を身につけるように習慣づければ、
少しずつでもなりたい自分になることができる。

 

これからの自分が少しでも良い生き方ができるように、
何よりも今の自分が一番心地よい気持ちでいられるように、
自分の人生に責任を持つ。

それが自己責任の本当の意味なのだろう。

 

だったら被害妄想ではなく、
自分の幸せのためにも自分で自分の責任を持った方が楽だし、
とことん自己責任で生きてやろうと決めた。

 

 

自分はまだまだ甘ちゃんな部分があるかもしれないけれど、
焦らなくて良い。

 

一歩ずつ進んでいこう。