もう、地元の友人とは会わないと決めている理由

今は実家の宇都宮に戻ってこの文章を書いている。

 

 

地元に戻っても家族と会話して

周辺(画像のオリオン通りなど)をブラブラするくらいで

地元の友人と会う…なんてことはない。

 

そして、最近は民泊ホストの人と飲む機会が多い。

つい先日も先週も、ホストの人達と交流したばっかりだ。

 

もうここ最近で付き合う人のタイプがガラリと変わった。

 

それまでは学校やGID、LGBTの人とつるむことが多かった。

それはそれで楽しいし、その中で得られるものもある。

 

 

しかし、基本的にあまり人と遊ばないから

1人で過ごすことが多い。

 

仕事ではほとんど飲まないし、
学校の同窓会など行ったこともないし、
これからも行くつもりはない。

 

雇われの仕事での人間関係や、
かつて通っていた学校の人間関係など、
自分の人生の中で大して大切なものではない。

 

 

その理由は簡単。

 

 

思い出したくないことが圧倒的に多い。

 

 

…それももちろんだが(笑)

 

 

過去の話をしてもつまらないし、生産性がないのだ。

 

 

昔関わった人ことがある人々との話題なんて、

今の自分に必要でなければ、無理やり合わせる必要もないし。

 

 

過去の話云々については、民泊ホストの人達と話していて共感した話題だった。

 

 

もう学校に強制的に行かされる子供ではない。

 

 

なんでも自由に選択できる大人になったのだから
いつまでも集団というものに縛られている必要はないのだ。

 

それが自分の足かせになっているならなおさらだ。

 

特に、子供の価値観なんて狭い領域で培われたものでしかないのに。

 

 

いじめやスクールカーストなどというクソみたいな制度で、

尊くて大切な自己肯定感を失ってしまう人々がたくさんいる。

 

それは非常に勿体無いことだ。

 

 

↓ぜひ、中川淳一郎氏の記事を読んで頂きたい。

 

確かに、子供が純粋とか片腹痛いわ。

 

子供なんて、時には卑怯な手を使うよ。

 

 

実際僕は子供が嫌いではないが、
中学生くらいの子は未だに苦手だ。

 

俺だって真面目なふりして、

都合が悪くなったら人のせいにしてたし

どうしたら怒られないかにだけ意識が向いてしまっていて、

周囲は常に敵だらけで長いこと緊張状態にあった。

クラスメイトも異性に媚びているやつばっかりで、くだらないと思ってた。

 

 

「いい子だね」

 

 

そうやって大人たちの都合の良いように扱わないでほしい。

 

 

それが子どもたちの悲痛な叫びだ。

 


 

僕が中学生だった頃、当時のニュースでは、

自殺をしたり、誰かを殺してしまったりする子どもが増えていたが、

僕は彼ら彼女らの気持ちが痛いほどわかったのだ。

 

だから自分もそうなってしまう恐れがあり、

自分に一番恐怖心を抱いていたかもしれない。

 

 

そんな時代に関わった人達と会いたいとは

金輪際思わないだろうな。

 

たとえ相手が僕を嫌っていなくても。

 

 

いじめがあった際子供に

「自分に非があるのではないか考えろ」という大人も居るが、

それは子供達の人格形成に良い影響をもたらすとは思えない。

 

明らかに暴力を奮ってくる相手と仲良くなれだなんてそれこそ暴力同然だ。

 

 

今、自分にとって必要な人と人間関係を築いていけば良い。

 

無礼な人間には一切応じず、
自分が心地よく付き合える人と一緒にいるようにすれば良い。

 

 

そう伝えるのが良いと思う。

 

 

あと、仕事については、僕が正社員を避けていて、
色んなアルバイトをしているのも人間関係が面倒だからである。

 

 

仕事中に最低限「大人な」対応をしていれば
無理に飲み会やイベントごとに顔を出す必要もないと考えているのだ。

 

 

好き嫌いの問題ではなく、
仕事で嫌でも長くそこにいるのに、
それ以上別の機会でその人達と一緒にいたいとは思わないな。

 

 

でも芸術大学の人達は話が別
当時の友人で、気が合う人は今もタイミング合えば会っているかな。

 

やはり創り手というのは常に向上心や新しい発想がないといけないから
話していると良い刺激になるしね。

 

今後、自分の方向性によっては、

制作に協力をお願いしたいと思っている人達もたくさんいるし。

 

 

芸術関係の人とはこれからも交流を持ちたいし、新しい人とも関わりを持ちたい。

もちろん、現状を良い方向に変えたいと思っている、マイノリティの人達ともね。

 

 

そういう人達と面白いことをしたり、一緒に旅をしたりできればと思う。

あと、先日のブログでも「お墓問題」を少し話題に出したけど、
沖縄県民のやたら親戚の結びつきが強いのも
悪い方に働けば若い人々の自由を奪ってしまう恐れもある。

 

 

先日のブログ記事↓

 

 

「お墓の掃除なんてしたくない」

 

そう思っている若い人がいるのも事実だし、
そんな人達を否定して、村八分に追い込む。

 

そんなことをするのはやめよう。

 

 

伝統を続けるのなら、なぜそれが必要なのかわかるまで説明すること。

 

皆が心から「やりたい!」と思えるような仕組みに変えていくこと。

 

それが伝統的なものに理解を示しつつ、新しい価値観を生み出すことに繋がる。

 

最終的に合わなければ、家族も親戚からも離れるべきだ、と思うし
特に島に留まりがちな子供達には、どんどん外の世界に出ていってほしいと僕は思う。

 

地元が一番と感じれば帰ってくりゃいいしね。

 

当然だけど、僕も沖縄に来て始めて、

沖縄のことを知るようになったし、

同時に地元の良さもわかるようになった。

 

何が自分にとって心地よいのかなんて
踏み出してみなけりゃわからない。

 

過去を懐かしんで今を嘆くより
未来を考えて今何をすべきかを考えていきたい。

子供を持ちたいLGBTと、沖縄のお墓・仏壇問題

毎年のように行っているピンクドット沖縄に

今年も立ち寄った。

 

 

とは言っても、仕事の後に行ったので、ほぼ終わる頃だったけど。

 

MAX見たかったなー。

 

ライドオンタイムしたかったなー。

 

 

(そもそもこの曲を披露したのかどうかも不明だが。)

 

 

それはさておき、会場は清々しいくらいピンクに包まれていて、

なんだか幸せな気分になったな。

 

 

プライド・パレードなどでもそうだけど、

当事者もそうでない人も含めて、

皆が同じ思いでその場に居るという感覚が良いなと思うんだ。

 

 

会場では久しぶりに会う友人もいた。

 

そして、たまたまの流れで彼女と一緒に

子供を持ちたいLGBTの人達との交流会に招待してもらった。

 

 

実際僕の友人も、その場にいた人も同性愛のカップルで、

彼女たちは愛するパートナーとの子供を授かるために妊活中のようだった。

 

なんでも、「any sea」という、子供を持ちたいLGBTや、それを応援する人達、
精子提供者などなどが交流できるSNSのサイトも作られているらしい。

 

 

こういう情報は本当に欲しい人になかなか届かないからなぁ。

 

 

特に沖縄だとなかなか本土のイベントや交流会に行きにくいというのもあるし。

本気で子供をほしいと思っている人は、登録してもらいたいと思います。

 

僕も今は子供は全く考えていないけど、将来的にどうなるかは正直わからない。

 

 

産むのはパートナーだとしても、法律的な問題がつきまとうこともある。

 

 

特に沖縄はお墓問題とか、仏壇問題とか先祖との繋がりが大きいから、

 

精子提供者の男性側の家族にとっても、その話が無縁とはなりにくい。

 

僕はまだまだLGBTの子供の問題だったり、
沖縄の家族や親戚、先祖云々の問題に関しては、
勉強不足だし、あまり深く関わる機会も少ないんだけど、

 

人の家、特に民家を借りたり住んだりすることに関しては、
他県と比べても、故人の思いがこの世に留まりやすくて、
なかなか家族が自由にすることがしにくい環境なのかなと思った。

 

門限厳しいご家庭も多いし。

 

 

物に命が宿っているという考えもあるし。

 

 

沖縄に関しては興味深いことがたくさんある。

だから、10年もここに住んでいるわけだよ。

 

 

元々僕はスピリチュアルというか、霊的なことに結構興味がある。

沖縄には聖域と呼ばれる場所がたくさんあるし、

本土とはまた違った文化で、神聖な雰囲気が良いと思う。

 

 

つっても僕は本土の人間だから、

歴史や文化に対する価値観や考えは本土寄りかもしれないが。

 

 

沖縄の霊的なことも、今後もよく調べていけば、
僕が今後、民泊を通してやろうとしていることにも繋がるかもしれないな。

 

 

何はともあれ、子供を欲している人が皆、

どんな形であれ、無事に命を授かることができれば、

そんな環境が整えられるようになれば良いなと思う。

自分の人生を生きろ

今日はGIDの人達とビーチパーティだった。

 

 

その時に、昔コミュニティに来てくれていたことのある当事者の家族の方が、
今日、子どもを連れて来てくれた。

 

 

子供が生まれたからなのか、完全に母親の顔というか、
雰囲気がだいぶ柔らかい感じになっていた印象だった。

 

 

正直、だいぶ前に会ったきりだったから

なんとなくしか覚えていなかったけど…

 

とても懐かしいというか、感慨深い気持ちになった。

 

 

今年の夏に、僕は叔母や従姉妹達と一緒に牧場へ行った。
従姉妹の子どもも連れて。

 

 

 

 

犬の動きがシンクロしている(笑)。

 

 

その子供もだいぶ大きくなっていて、

僕はかなりその子に懐かれている。

 

 

昔は自分達が子どもで、皆で牧場へ行ったこともあったものだが、
今では皆が大人になった。

 

 

自分と同世代の人間も、どんどん結婚して子どもも生まれている人が多いのだろう。

 

 

僕はどうだろう。

 

 

成長しないまま子供のままで大人になってしまっていないだろうか。

 

 

だいぶ病んでいたのもあって、つい何年かまでは被害妄想の塊みたいな奴だった。

 

 

今は民泊のホストを始めたことで、

他の文化の人も受け入れるようになってきて、

ちょっとずつ変わってきた。

 

 

海外の人は大らかで優しい人が多い。

一部のホストに嫌われている一部の国の人でも、

僕の家に嫌な人は来たことはない。

 

 

むしろ、言葉の通じる日本人のほうが

分かり合えないこともあると悟ったのだ。

 

※その時の経験談をこちら↓で詳しく説明している。

 

 

今は、とにかく自分がやりたいことを実現できるような生活をしていきたい。

 

 

そのためには、ちょっとくらい辛い思いをしても構わない。

 

 

ただ、なんとなくだけど、一生独身な気がするし、

別にパートナーを見つけようとも思わない。

 

 

というか、人それぞれ自分の自由な生き方をすれば良いと思う。

 

 

子供を生みたい人は生んで、家庭を築けば良いと思うし、
特に興味がない人は、それ以外のことで世の中に貢献していけば良いと思うんだ。

 

 

つい先日も沖縄では内地に当たるお盆の日があったようだ。

 

 

親戚同士の結びつきが強いのは良いのだけれど、

自分達の古臭い考えに縛られて本人の生き方に干渉しだすと、

生きづらくなる人を生み出すだけで、誰も幸せにはならない。

 

 

また、そのようになっても、自分のことは自分で決めると思って
自分を妨げる全てのものは捨ててしまえば良いとさえ思う。

 

 

古い制度や価値観を重視するあまり、何が本当に大切なのかを見失ってはいけない。

 

 

私は私の思うように生きる。

 

 

それが尊重される時代になれば良いなと思う。

 

 

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「集団で群れ、誰かに追われる存在」よりも、

「常に孤高であり、夢を追う存在」であれ。