ふと思った。
人に「期待」することと、人を「信頼」することー
似ているようで全く異なるものではないかと。
試しにgoo辞書で
「期待」と「信頼」
それぞれの言葉の意味を調べたら、以下のようになった。
「期待」とは…
[名](スル)あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。
当てにして心待ちにすること。
「信頼」とは…
[名](スル)信じて頼りにすること。頼りになると信じること。
また、その気持ち。
…なるほどなるほど。
これを受けて、私コリュの辞書では、このように定義した。
「期待」することは、受け身になること。
相手を自分の都合が良いように解釈して、意にそぐわないと失望すること。
被害妄想の原因も、一方的な相手への「期待」から生まれるものだ。
「信頼」することは、相手を信じること。
失敗しても、思うような結果が得られなくても、
ただただ愛情を注いで相手を見守ること。
人に期待してはいけない。
人から期待されるのも嫌だ。
人に期待することで、
妄想の中で自分勝手な「その人の人物像」が出来てしまうからだ。
それは現実に存在している「その人」ではない。
もちろん、僕自身が誰かから期待されるとしたら、
そんな僕は僕自身ではない。
その人が妄想の中で作り出した、「別の何か」だ。
そんなもの、怖くないか?
そうではなく…
ただ無条件で相手を信じられる、
人に与えられる…
そんな「人に信頼できる」人間になりたい。
人に期待して作り上げた「別の何か」ではなく、
あるがままの「その人」を受け入れよう。
そういうわけで…
僕は誰にも期待しないし、期待もされたくない。
自分が心から愛せる人だけを、信頼していたい。
ちなみに上のイラストは、理想の人物像(?)を形にしたものである。
自分が一番自分に期待してんじゃねーか!!!!!!!