以前、以下の記事↓で「自分の問題」と「相手の問題」を切り分ける、といった内容について説明した。
自分が楽になるためにも、相手を本当の意味で思いやるためにも、
「自分」と「相手」の領域は認識しておくことが大切なのだ。
今回はより情緒的な面、
「自分の感情」と「相手の感情」の切り分け方についてさらに深掘りしていきたい。
最近、ちょっと面倒なことが起きた。
いや、僕も言い方が悪かったなという反省はあったのだけれど、
明らかに相手が自分で事を招いたというか、
相手が勝手に思い込んで僕にきちんとした確認もせず勝手に話を進めていたのだ。
それで両者で認識が違っていたという事態が起きた。
さらに、自分で事を招いたにも関わらず、
「〇〇してもらえないと困るんですよ。」というようなことを僕に言ってきたのだ。
まぁ簡単に言うと…
「そんなの知るかよ(笑)。」と言いたくなるような出来事だった。
しかも、相手は相手でこちらを悪いと思っているフシがあるらしく、
自らの過失を認めつつも特にちゃんとした謝罪の言葉はなかった。
ただ、相手も一応相手自身のしたことは反省したようで、
事が起こった後はこちらにきちんと確認してきた。
そして、最終的には両者が妥協できる形で落ち着いたから別に良いんだけどね。
でもなんだかモヤッと来た、ぶっちゃけ。
俺が相手の立場だったら、きちんと確認しなかったこちらが悪いと思ってちゃんと謝るし、
実際、こちらの何気ない発言で相手が間違った認識で動いてしまっていたことは申し訳なく思った。
しかし、実際動く前に再確認するなどしてもらわなければ、そんな事情はわからないわけである。
さらに、「こちらも悪いところはあったけど、心底納得していない。」みたいな空気を
相手から感じ取ってしまったからだ。
あーーーーーーーーめんどくせーーーーーーー!!!!!!!!!
って思ったね(笑)。
…愚痴ってしまって申し訳ない。
でも、こういうトラブルって誰もが経験したことあると思うんだ。
「相手だって悪い部分があるのに、被害妄想が激しいなぁ。」
とか
「一方的にこちらが悪いみたいになるのは納得いかない。」
とか
このような感じで、
モヤモヤした感情になることはあなたも少なくないのではないか。
むしろ「そんなのしょっちゅうだよ!」っていう人もいるかもね。
でも、こういう出来事っていうのは、意味があって起こるんだよ。
こういう事態になった時、気をつけたいことがいくつかある。
まず…
相手のせいにするのは簡単だけれど、被害妄想的な考えにはならないこと。
起こってしまったことに対して、いつまでも怒っていたって仕方がない。
どう気をつけたら良いのか?自分の中での改善点を探し出すなり、
相手はどうしてほしかったのか?と考察するなりしよう。
次に…
例え相手があなたのせいにしてきても、そんなのは放っておこう。
これは簡単なことで、
そんなことに時間もエネルギーも奪われてしまうのは無駄なことだからだ。
自分のことは十分に愛せている分、自分に対する評価には無関心で、
「あぁ、そうですか。」と受け流す、
もしくは笑ってネタにするくらいが丁度よい。
※ちなみに僕としては、NON STYLEの井上さんみたいな生き方が理想だ。
![](https://tajimanimation.jp/wp-content/uploads/2018/09/hitohahito-300x225.jpg)
そして…
人がどう言おうと、あなたはあなたの内面だけに目を向けて、
自分が成長するような考え方を身に着けるようにしよう。
つまり、人間関係に置いて、こういうモヤッとした感情になった時に
ぜひ思い出してほしいことがある。
それは…
「相手の被害妄想、相手の自分に対する怒りの感情は相手の問題だ。」
ということである。
事態を招いた原因は、もちろん自分にもあるかもしれないが、
犯罪や暴力、権力の乱用などを除き、
大抵のことはどちらかが100%悪いということはないのである。
今回の場合、僕は
「僕自身も思い込みが強いため、
“もしかしたら”のことを考えて相手に確認しなかったのが問題だった。」
「相手が何も言わなければ(特に問題ないと思い込み)
こちらは何もしない、という受け身の姿勢が問題だった。」
という「自分の反省点」を明確にすることができた。
一方で、相手のことはどうだろう。
冒頭で相手の行為について「事前に確認してこなかった」と言ってしまったが、
相手は相手の問題なので、
正直、「推測はできるが、わからない。」というのが僕の答えだ。
誤解を恐れず言えば、
「相手の問題は相手の問題なんだから、僕には関係ない。」
ということである。
相手がキレようが泣こうがこちらのせいにしてこようが
徹底的に「他人は他人、自分は自分。」を貫く。
それが相手に対する本当の思いやりで、健全なメンタルを保つための姿勢なのだ。
一見逃げているように見えるけど、これがお互いにとってベストな考え方なんだよ。
どこまでが自分の責任で、自分が相手の機嫌を取らなくちゃいけなくて…
などと考え始めたらキリがないからね。
「自分が解決できる領域」と「自分には解決できない領域」
これらを区別することが大切なんだ。
![](https://tajimanimation.jp/wp-content/uploads/2018/09/ryouiki-300x225.jpg)
ここで、「相手を迷惑をかけてしまって自分ってダメな奴」とか
「何をしたら自分に対する印象を良くしてくれるかなぁ?」とか…
相手の考え方や感情に踏み込むような、余計なことを考えてはいけない。
というか、そんな事を考えたって仕方がない。
直接相手に聞くならともかく、
勝手に自分自身で思い込んでいるからだ。
それは「自分にとって解決できない領域」なのである。
もし問題が起きて、
あなたが「〇〇してきたのは明らかに相手が悪いのに!」と思ってしまったら、
それは「相手の問題に踏み込んでしまっている」ということだ。
ここでもう一度思い出してほしい。
「相手の被害妄想、相手の自分に対する怒りの感情は相手の問題だ。」
私は私の好きなように生きる。
それを嫌だと思う、文句があるのならご自由にどうぞ。
自分の人生を楽しく生きるのも、誰かを嫌ったり恨んだりするのも、
その人の自由であり、
その人の人生における「その人自身の責任」なのだ。
あなたが自分の身を捧げて削ってまで解決するべきことじゃない。
相手のことは、相手を信頼して、相手に任せよう。
例え一時的に嫌な感情になったとしても、
自己成長できる人は自分自身できちんと考えてくれるから。
なので、起きたことに対していつまでも怒ったり悲しんだりしないこと。
というわけで、まとめると
「他人があなたのせいにしようがあなたに不満を抱こうがそんなの関係ない。
それは相手の人生に対する相手自身の責任だからだ。
あなたはあなたの人生を、自分自身のために生きればよい。
それがあなたの人生に対するあなた自身の責任だ。」
…ということだ。
ただし、相手が明らかに名誉毀損や営業妨害に当たる行為をしてきたときは、
あなた自身の「正義」を守るためにも、徹底的に戦って良いと思うよ。
でもあなた(もしくは相手)に悪意がなくてことが起こった場合、
大概のことは、相手(あなた)がどのように受け取ろうが自己責任の範囲である。
それを捻くれた認識で捉えすぎてしまうと、人間嫌いになってしまうのである。
↓これについて、もしよければこちらの記事も参考にしてほしい。
別に人が好きにならなくても良いけど、
人に対してさほど期待しなければ嫌いにもならないと思うんだ。
あなたに対して怒り狂っている相手がいたとしても、
それに怯むこと無く、
「ふーん、そうなんだー。」とただただ眺めていればいい。
それから、相手の事情を把握した上で、
自分を客観視して解決策(改善点など)を見出してみよう。
急には難しくても、少しずつ、実践してみてほしい。
日常で一つ一つの出来事や感情に対して、
「これは自分の問題か?」「これは相手の問題か?」
って考えるのもおすすめ!
こういったことを続けていくうちに、
周囲の人に気を使いすぎて、相手のことを考えすぎて疲れてしまう…
そんなこともなくなるはずだ。
というか…そんなこと、もうしなくて良い。
自分のために生きていこうよ。