一生、檻の中で飼いならされる猿のままで良いのかい?

ぶっちゃけた話、僕は過去にいくつかのMLMをやったことがある。

 

 

ただ、友達があまり多くないのと、

それもあってかとにかく嫌われるのが嫌だったため、

ビジネスとして行うまでには至らなかったが。

 

 

世の中には

「これをやればお金を稼げるよ!」

「すぐに儲かるよ!」

「一生遊んで暮らせるよ!」

などといった甘い話が転がっている。

 

 

それはまるでスイーツのようにすぐに飛びたくなるくらい

魅力的である。

 

実際はそんなことはないわけだし、

例えうまくいって大金を稼げたとしても

さらなる労働が待ち構えているという事実がある。

 

 

眼の前のスイーツだけに気をとらわれて

肥えてきたところを魔女に食べられるようなものだ。

 

 

本当に、夢を見る若い人達の思いを踏みにじる行為である。

 

 

しかし、恥ずかしながら僕も以前はそんな話を素直に信じていた。

豊かに楽しそうに毎日を生きている人達を見て

なぜ自分はうまくいかないのか…と悩んでいた。

 

 

その理由は簡単である。

 

 

自分の心の奥底にある”声”を聞こうとしなかったからだ。

 

 

それは「違和感」として

あなたの右斜め後ろくらいから

常にあなたの耳元へ囁いているのである。

 

 

 

何かの事業やプロジェクトなどの仕事に関わっているときもそう、

「一生を共に添い遂げたい」と思っていたパートナーと一緒にいるときもそう、

「気の合う友人」と思っていた人と接しているときもそう、

本来なら一匹狼なのにウェイ系の集まりに混じっているときもそう、

「成功者」の話に「〇〇さんはすごい!」「そうですね!」と同調しているときもそう、

 

 

「やめたほうが良いよ…」と囁いてくる

 

 

そんな「違和感」が常に心の奥底にあるのだ。

 

 

 

 

 

世の中を見回してみてみると、

大半の人々は「見ざる、聞かざる、言わざる」状態だ。

 

 

不都合なことを見て見ぬふりをし、

不都合なことを聞いても聞かないふりをし、

疑問や本音を言えないでいる。

 

 

猿には猿にしか出来ないことがある。

 

 

ライオンの真似したり象の真似したり

無理して他の動物になろうとしなくたって良いのだ。

 

 

「存在しないバナナ」のために

芸をし続ける必要もない。

 

 

つまり、本来もらえないお金のために

あくせく働く必要も全く無いのだ。

 

 

誰にも飼いならされない。

 

 

本来あるべき姿の猿に戻って

食べたいときに必要なだけ

大好きなバナナを食べれば良いのだ。

 

 

 

僕はもう心に決めた「やりたいこと」がある。

 

 

それに集中して、目に見えた結果が出るまでは

もう他のものには一切目もくれないだろう。

 

 

だからもう、惑わされることもない。

 

 

さらに、もともと直感が鋭いところもあり、

嫌なことも楽しいことも様々な経験をした上で、

「物事の本質」も見えるようになってきた。

 

 

もっと自分の感覚を信じて良い。

 

 

僕の魂は自由なものだ。

 

 

もっともっと遠くまで行きたがっているし、

もしかしたら宇宙を目指しているかもしれないのだ。

 

 


 

肉体として生きるために伴う

世の中の「ルール」や「マナー」「常識」

そんなものに縛られることは出来ないくらい

無限大の可能性を秘めている。

 

 

あなただってきっとそうだ。

 

 

どうか、あなた自身の魂がどこに行きたがっているのか

あなた自身の心に問いかけてみてほしい。

 

 

今はどこにも行きたくないなら、「その時」ではないのだろう。

 

逆に、外に飛び出す赦しが出たら、いよいよ飛び立つとき。

 

 

View this post on Instagram

 

雨呑家さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿

 

 

 

あなた自身を開放してあげて、

あなたが本来生きるべき人生を歩んでいこう。