自由な時間を増やすために、スマホ離れを始めようと思う〜導入編〜

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だよ。

 

 

今日は、

 

「自由な時間を増やすために、スマホ離れを始めようと思う」

 

というテーマで語っていきたい。

 

 

実は、スマホに関してあまり利用歴が長くなく、

2年前の年末にiPhoneを購入してからになる。

 

 

※↓節約のためにiPodとガラケーの2台持ちをやめて、

docomoから格安ブランドに変更した時のことを書いた手記。

今の支出を見直して不必要なものを断捨離して、

貯金を増やして豊かになりたい人はぜひ参考にしてみてね。

 

 

 

 

その結果、iPhone一台にしたおかげで手軽になったのは良いのだけれど、

やはり依然として問題になっていたことは変わらなかった。

 

 

 

それは

 

「ついついスマホを見てしまう」癖だ。

 

 

 

 

 

そもそもなぜスマホを見てしまうのか、

ニュースサイトやSNSの情報を見てしまうのか

いろいろ調べて、考えてみた。

 

 

 

 

そもそもデジタルデバイスというのは、

人類の歴史から見ても、非常に新しいツールである。

 

 

元々人間というのは、

家族という狭い共同体の中で生きて、

特定の友人だけと仲良くしていれば良かった。

 

 

それが、デジタルデバイスの普及により

SNSによって多くの人と繋がりを持てるようになり、

「ともだち」の数も大幅に増えた。

 

 

その一方で、少人数の人としか深い関わりを持てないという

基本的なスタイルは変わらないものだから、

現代では友達の母数が増えた分、人との関係性が希薄になっているのも確かだ。

 

 

そして、寂しさや虚しさを紛らわすために、

より多くの繋がりを求めるようになり、

スマホから少し時間を置いただけでも

「繋がりがなくなってしまう!」という不安が生じ、

安心感を得るためにスマホに駆け込んでしまうのだ。

 

 

俗に言う、「スマホ依存症」ってやつだね。

 

 

 

 

また、SNSの人間関係は良い面もある一方、

悪口を言われるのが嫌で、グループを退会したいのに出来なくて悩んだり、

誰かのフォローを外されたりブロックされたりというだけで

傷ついてしまう人も多いという。

 

 

ぶっちゃけ、僕もそのタイプだった。

 

 

今ではもう関わりたくないと思った人に対してはブロックするし

抜けたいと思っているグループは頃合いを見て退会するか、

傍観者に徹することで状況を楽しんでいるので、

過去と比べればまだ、気持ちが楽になってきてはいる。

 

 

SNS上の人なんて永久的に仲良くなれるという保証もないし、

ちょっとしたことで一喜一憂するのも精神衛生上良くないし、

いちいち気に病んでしまう自分をどうにかしたいと思うようになってからは、

ちょっとずつ良い方向に変わりつつあるのだ。

 

 

※ちなみに、SNSのブロックは全然気にする必要はない。

SNS上の人間関係に悩んでいる方は、

もし良ければ↓こちらの手記も参考にしてみてね。

 

 

 

 

また、スマホ依存症のデメリットは、「繋がりが絶たれる恐怖」だけではない。

 

 

情報を手軽に得られるようになったおかげで

情報を得れば得るほど、「損をする恐怖」も感じるようになっていく。

 

 

僕の場合だと、ついついお得な情報や節約の情報も気になってしまうし、

災害などの「恐怖」に対する情報にも敏感になってしまっていたことに気づいた。

 

 

「この情報を逃せば、損をしたり、嫌な思いや危ない思いをしたりするかもしれない。

もしかしたら、知らなければ命を落とす情報もあるかもしれない。」

 

ってね。

 

 

 

 

情報に対する好奇心は、興奮や喜びを得られる一方で、

こうした不安感も常に含んでいたのだ。

 

 

記憶に新しいところ(というか、2020年6月も現在進行系か)だと

コロナウイルスに関する色々な情報などが流れていると思うけど、

 

大昔から人類はコミュニティなどで、

こうした「外的な要因」に対する情報を得ることで脅威から逃れ、

「命」を繋ぎ止めて来たのだ。

 

 

そのため、情報を得たら「教えたい!」と思うのは人間の特性上仕方のないことで、

間違った情報や風評も含め、様々な情報が飛び交う現象が起こるのは、

「そういうものだ」と受け止めて、気をつけるしか無いだろう。

 

 

その上で、情報に振り回されないためにも、

自分自身がネットリテラシーを高めて、

情報を選ぶ際の明確な判断基準を持っておく必要がある。

クリティカルシンキングを活用することも有効だ。

 

 

 

僕個人としては、コロナウイルスに関しては、

個人的に信頼できそうな情報源を見つけたので、

いちいち情報に流されるということは少なくなってきたけれど、

これからまた別の「異変」が世の中に訪れた時に、自分自身がスマホに逃げて、

情報を得るために莫大な時間を費やす可能性はあるだろう、と思う。

 

 

このような人間関係や脅威に振り回されないためにも、

 

「情報」による恩恵を受けつつ、

「情報」による被害を最小限に食い止めるためにも、

 

「情報断捨離」や「デジタルデトックス」は有効な方法だと考えている。

 

 

 

以上をまとめると、

 

人間関係や質の高い情報を得るために、

デジタルデバイスの恩恵を受けつつも、

ストレスを極力軽減させ、

自由な時間を増やして、本当にやりたいことに集中するためにも、

「無駄にスマホを触ってしまう時間」を減らす必要があると思ったのだ。

 

 

かくいう僕自身も、あまり多くの人と関係を持つことが出来ないし、

LINEも正直苦手に感じている部分もあるのだが、

ある程度世の中の恩恵を受けるには、

大多数に迎合していく必要もあるのだ。

 

 

 

その上で、「スマホからの心理的な開放」を目指しつつ

今できる限りのことを実践していきたい。

 

 

↑スマホから精神的に開放された時のイメージ画像

 

 

―こうして、僕の情報断捨離劇が幕を開けたのであった―

 

 

 

 

具体的に実践した方法については、次回↓にて説明しているので、

もしよろしければどうぞ。

 

 

※リンクは後日掲載します。

2020年をどんな年にしたいか考えてみた

2020年、あけましておめでとうございます。

 

 

 

↑ねずみ年ということで、ねずみモードにしてみた。

 

 

 

早速だが、2020年をどんな年にしたいか

考えてみたいと思う。

 

 

 

まず、2020年の干支は「子」である。

 

 

 

しかもただの「子」ではない。

 

 

 

「庚子(かのえね)」なのである。

 

 

 

↑こいつは「庚」以外の時でもこう言ってそうだよね。

 

 

 

 

ちなみに、「庚」にはどんな意味があるのかと言うと、

 

植物の生長が止まって新たな形に変化しようとする状態

 

 

だそうだ。

 

 

↑キモキャラ路線に変化したいのだろうか?

 

 

 

また、「庚」という字は、「更新」の「更」に通じてもいるようだ。

 

 

つまり、「前の状態を一新する、これまでのやり方を改める」

という意味にもとれるということだね。

 

 

その意味を知って、以前、僕にアドバイスをくれた人の話を思い出した。

 

 

↓その時の話を受けて、今後の方向性について考えたこと。

 

 

 

その人の話によると、

 

「”これは違う”と思うものを、完全に捨てなさい。」

 

だそうだ。

 

 

ちなみに、その時は干支の話を全くされなかった。

 

 

つまりこれは、完全に「僕に対してのメッセージ」だったのだ。

 

 

 

「前の状態を一新する、これまでのやり方を改める」

この「庚子」という年の意味と、

 

「これまでのことを捨てて、次のステージに進め」

という、自分に対するメッセージが重なったのだ。

 

 

以上のメッセージを受けて、

僕は、このように解釈した。

 

 

「これまでの経験や人間関係にしがみついていちゃダメ。

あなたが本当の意味で自由で、心地よくなれる…

そんなやり方や方向性、人間関係だけを構築していきなさい

 

何度でもリセットして良いから。

 

身の回りの整理整頓も忘れずにね☆」

 

 

↑このように考えたら、なんだかすごくしっくりしたのだ。

 

 

正直、それまで「思うように行かないな」と思うことが多々あった。

 

 

でもそれは、2019年の干支が「己亥」だったので、

「自分自身が新たな可能性を切り開くための準備期間」だと思えたら

それでよかったんだーと思えたのだ。

 

 

過ぎたことを振り返り、

出来なかったことに対して、自分はダメだと責める必要はない。

 

 

なぜなら、仮に「できなかった」と思っていても、

その事象は、「自分自身にとって必要だった」から、起こったことなのだ。

 

 

「タスク」という観点で見ると、

「やり残したことがいっぱいあったー!!」などと思ってしまったとしても、

長い自分の人生から見ると、大切な準備期間だった。

 

 

それがわかれば、もし今後の人生において、

「やりたいことがあっても、できなかった」

などという悔しい思いをしたとしても、

それが原因で自分の行動を阻害してしまうような悪循環には陥らないだろう。

 

 

そう考えれば、2019年という年があったことで、

自分がより大きく飛躍する可能性があると思われる。

 

 

 

…というわけで、以上を踏まえて、

2020年に意識していきたいことは、次のとおりだ。

 

 

①何事もシンプルに考えて、いらないものはどんどん断捨離。

 

②自分の中で新たな可能性を見出したら、どんどん切り開いていく。

 

③違ったらすぐにやり方を変える(トライアンドエラーの精神)。

 

④迷いがなくなったら、「より楽しくなるにはどうすれば良いか?」を追求していく。

 

⑤①〜④を繰り返して「これだ!」という方向性を見つけていく。

 

⑥あとはその状態をひたすら楽しみながら開拓していく。

 

 

 

そして、①〜⑥までをやり抜いた先の

2020年の大きな目標として、

以下のようなテーマを決めたのだった。

 

 

それは

 

「自分の心(潜在意識)が求めるニーズに応えよう」

 

ということだ。

 

 

もしあなたが誰かを喜ばせるにも、

 

「相手が何を求めているのか」を追求することは重要。

 

 

でも、それにはまずあなた自身からだ。

 

 

やりたくないことをやる必要なんて、全く無い。

 

 

あなたの自尊心を傷つけるような人や、

あなたが過剰に気を使ってしまうような人と

付き合う必要も、全く無い。

 

 

誰がどう思うか、ではなく、

あなたの心が欲していることを、素直に実現できるようになろう。

 

 

 

というわけで、2020年は「庚子」。

 

 

 

この年があなたにとって楽しく、新しい可能性が切り開ける一年になりますように。

 

 

人からもらった「悪いもの」なんて、いらない

天海夜 煌琉でございます。

 

 

今回のテーマは

「あなたが生きてきた過程で、人からもらった(悪い)ものなんて、いらない」

だ。

 

 

僕たちはどうしても、

生まれ育った環境や周囲の人の考え方に影響されがちである。

 

 

その、周囲の人の考え方が前向きで良いものだったら

その中で育った子供は、自立した考え方を持ち、

自己肯定感もあり、思いやりのある人物に成長することになるだろう。

 

 

しかし、大抵の場合は、

「あなたは〇〇だからできない」などと、

なにかと「できない理由」を決めつけられてしまいがちである。

 

 

 

そういった他者からの言動が積み重なると、

「自分って価値がない」

「自分ってダメな奴」など

自己肯定感を下げる原因にもなってしまう。

 

 

でも、よくよく考えてみよう。

 

 

「〇〇だから、自分にはできない」

「〇〇だから、自分はダメなんだ」

 

 

この「〇〇」だからという理由付け…

 

 

そんな考え方って、今のあなたが行動できないこと、

あなたが不安を抱えていることに関係あるのだろうか?

 

 

 

結論からすると…

 

「全く根拠はない」ということだ。

 

 

 

つまり、

あなたが行動する上で

「〇〇だからできない」と、

自分の可能性を決めつけることは、

全く無意味だということだ。

 

 

実際ハンデを利用して成功している人々、

逆境から立ち上がってきた人々なんて、

世の中にたくさんいるしね。

 

 

では、なんで根拠のないものを信じてしまっているのか?

 

 

それはたぶん、生きている過程で誰かから「もらった」んだろうね。

 

 

 

 

「もらった」というと

オカルトチックな話にも聞こえるが…

 

 

実際思い込んでしまっているということは、

「もらっちゃって」いるんだろう。

 

 

では、なぜ

本来なら生きていく上で必要のないものなのに

「もらっちゃった」んだろうか?

 

 

もし、あなたが嫌いなものを誰かが押し付けようとしたら、

あなたはそれを喜んで受け入れるだろうか?

 

 

いらないものは受け取る必要はない。

 

 

NOと言って拒否するか、

受け取ったふりして受け流すかして、

自分にとっていらないものは受け取らないこと、間に受けないことだ。

 

 

その時は

「断ったら相手に悪い」と思われるかもしれないが、

高い視点から見れば、その方法が自分にとっても相手にとっても、

良いことなのである。

 

 

ましてやあなたがネガティブになるような考え方なんて、全く不要だ。

 

 

なぜなら、全く根拠がないものだからだ。

 

 

 

それでも恐らく、あなたも含め、

多くの方がその「呪い」にかかってしまってるのだと思われる。

 

 

 

言い訳なんか、いらない。

 

嫌な思い込みも、いらない。

 

 

自分自身にかかった呪いは今すぐ解いてあげよう。

 

 

誰がその呪いを解くのか?

 

それは…

 

他の誰でもない。あなた自身だ。

 

 

あなた自身が本気になって考え方を変える決意をすれば、

いつだって呪いを解くことはできる。

 

 

「自分にはできない」

 

じゃなくて…

 

「やる」と決めたら、「やる」んだ。

 

 

 

人からもらった悪いものは、今すぐ捨てよう。

 

 

 

根拠なんて、ないから。

 

 

ちなみに、ネガティブな考え方を捨てる具体的な方法などは

当ブログでもいくつか紹介しているので、

ぜひ下記の記事などもご覧いただけたらと思う。

 

 

ハネジネズミのように天敵(嫌なこと)から身を護るための事前準備はこちら↓

 

「いろいろな意見があって当然」と思えるようになる考え方はこちら↓

 

SNSなどで「嫌われることを恐れなくなる」考え方はこちら↓

 

 

 

最後に…

 

あなたが本気で自分らしく自由に人生を送りたいなら、

あなたが必要なものだけを選択して、取り入れていこう。

 

 

いらないものは、断っちゃっていいから。

 

 

なにもない自分が、「捨てる」ことで気付いた「自分の力」

天海夜 煌琉でございます。

 

先日、こういう内容の文章を書いた。

 

 

 

個人的にここ最近の自分のテーマは「断捨離」だと思っている。

 

 

「捨てる」ということは、自分にとって必要なことだ。

 

 

今までの自分は「モノ」に執着していた。

 

ハマったジャンルのものは、とことんコレクションする傾向もあった。

 

それゆえに、なんだか「モノ」がないと自分が自分じゃないみたいな

不安定な状態にもなっていたんだ。

 

 

そして、僕自身、自分の心には埋められない空虚があるという自覚がある。

 

 

それ故に、本当は「いらないもの」でも、

何かに縋りたかったのだろう。

 

 

しかし、断捨離やミニマリストに関する情報を得るようになって、

本を読んだりYouTubeなどで動画を見るなど、

自分なりに色々と調べていった結果、

 

「いらないものを捨てることで、

本当にやりたいこと、会いたい人との時間を作ることが出来る」

 

って気付いたんだ。

 

 

今まで自分の周りに溢れていたモノや、

馴れ合いの延長線上のような、惰性的な人間関係では

寂しさが拭えるわけじゃない。

 

そして、誰かが作った

「これならうまくいくよ!」っていうノウハウなども

自分にとっては意味がないんだと思うようにもなった。

 

 

ブログに関しても

今までは、皆が読んでためになることを書かなくちゃって

気を張ってたんだなって思う。

 

自分を好きな人のことよりも、

自分のことを嫌いな人にどう思われるかを考えてしまう傾向にもあった。

 

 

でも、今はこうして

誰にどう思われるかあまり気にすること無く、

思ったことをそのまま書き起こすことが出来る。

 

 

それは「意味のないこだわり」を捨てられるよう

意識しているからだ。

 

 

それから、もしかしたら、

SNS関係はほとんどやめるかもしれない。

 

といのも、SNSというのは、実質監視社会だ。

 

 

僕自身、他者からの監視を嫌っているところがある。

 

 

僕が投稿しているのを見て、

 

「この人、この時間に投稿しているのに

なんで私のメッセージには返信してくれないの?」

 

などという面倒くさいことが起こり得るからだ。

 

そんなしがらみからは離れて、もっと自由に発信がしたい。

 

ブログの更新情報は載せたいから、アカウントは残しておくけど。

 

 

LINE@も廃止して、メルマガに変更するかもしれない。

 

読者様には申し訳ないが、僕自身、

LINEはなんだか「違う」と感じているからだ。

 

普段の知り合いとのやり取りも

LINEは手軽すぎるし既読マークもつくし

面倒だと感じ始めたグループもなかなかブロックできないし

「違う」とも思っているのだが、

多くの人にとって、連絡手段として主流になっているものだから

ある程度妥協するのは仕方がない。

(ちなみに、通知機能はオフにしている。)

 

いずれにせよ、

多くの人が勧める、「これが良いよ!」という方法や

多くの人が好んで使っている手段は

自分には合わないのかもしれない

 

…と思うようになってきたのだ。

 

 

何が自分にとって一番良い方法なのかは、自分にはわからない。

 

それは、誰に聞いてもわかるわけはない。

 

 

自分が一番しっくりくる方法を、自分自身で探していくしか無いし

自分が一番しっくりくる居場所も、自分自身で創り上げていくしか無いのだ。

 

 

 

それを明確にするには、どうすれば良いか?

 

 

それは、「捨てる」しかないのだろう。

 

 

いっぱいいっぱいの状態の箱では

物は詰められない。

 

 

四次元ポケットでもブラックホールでもあるまいし、

無限にものが入れられる空間なんてあるわけでもない。

 

 

皆が皆、持っている器はそれぞれ大きさが違うけど、

それでも、入れられるものには限界があるんだよ。

 

 

 

それに、生きている時間だって限られているしね。

 

明日もしかしたら事故に遭って死ぬかもしれない。

それは誰にもわからない。

 

 

 

だから僕らは、いらないものを捨てる必要があるんだ。

 

 

 

何かを捨てて生まれたスペースには、新しい空間が生まれる。

 

 

自分の思考に新しい空間があることで、

新たなアイデアが生まれる。

 

 

また、誰かとの関係が終わっても、

その人がいた空間に、新たな人が来てくれる。

 

 

ジタバタしなくても、焦らなくても良い。

それは自然なことなのだから。

 

 

これまで僕も、

自分が得たもの、築いたものを捨てることで

後悔するかもしれない。

 

 

そう思っていた。

 

 

だから、捨てるのが怖かった。

 

 

 

でも、自分はもう昔の自分ではない。

 

 

昔に比べれば知識も行動力もついてきたし、

失敗を重ねていくうちに判断力もついてきた。

 

それから、

「なんかこれ好き」「なんとなく嫌な感じ」など、

自分の直感も間違っていないのだと、確信を得るようになった。

 

 

僕は「本当に得たいことを得る力と、その可能性」を

十分に身に着けたんだ。

 

 

だから、何も恐れることはない。

 

 

人生は振り出しに戻ることばかり。

 

 

それでも良いんじゃない?

 

 

自分が本当に納得できる結果が得られるのなら

 

何百回でも何万回でも失敗してやるよ。

 

 

 

 

覚悟を決めなきゃ。

不要なコトは全て捨てようと思う

天海夜 煌琉だよ。

 

先日、ブログなど僕の活動の今後の方向性について、

信頼できる方に相談するという、非常に貴重でありがたい機会があった。

 

 

その方はスピリチュアルに精通している方で、

神秘的で、でもフレンドリーで非常に話しやすい雰囲気がある。

 

 

一方で、僕はわりと人のことが気になりすぎて慎重派だし

さらには見栄っ張りで負けず嫌いなところがあるので、

滅多に本心を人に話さないしあまり自己開示をしようとしない。

 

 

そんな自分でも、もやもやしていることを徐々に話しただけでも、

スッキリした回答をいただけたのだった。

 

 

詳細は控えるが、

その人が言うには、

僕が次のステージに進むために、必要な課題があると言う。

 

 

それは…

 

 

「不要なことを捨てる」こと。

 

 

 

 

不要なことというと、

 

正直何のことだろ?とは思った。

 

 

ただ、このところ人間関係に関する文章を書いていて、

「人間関係の断捨離や損切り」は自分のテーマではあると思った。

 

 

ただ、嫌いな人はもう関わらないと決めたわけだし、

なんか違うな、と思った人間関係はどんどん切り離しているつもりだ。

 

 

それなのに、まだ「完全に終わっていない」というのだ。

 

 

そう考えると、確かに

捨てきれていない人間関係もあるのかもしれないが…

 

 

嫌な人々、合わない人々との「嫌な思い出」が自分の中にまだ存在して

自分の行動を邪魔しているのかもしれない。

 

 

あと、心当たりがあるとすれば、

「周囲の人が自分をどう評価しているか」が

やっぱり気になるのかもしれない。

 

「もしかしたら悪口を言ってるんじゃないか」と

疑心暗鬼になっているのかもしれない。

 

 

人間不信になってしまってるのかもな。

 

 

もちろん、大切にしたい人間関係もたくさんあるけど。

 

 

人間関係の他に捨てるべきものと言えば、

ブログの文章など、自分の作品に関することかもしれない。

 

 

それはきっと、「今まで作ったもの、書いたことを全て捨てる」ということではない。

 

 

捨てるべきは「自分自身の、行き過ぎたこだわり」だ。

 

 

どうも自分は少しでも良く見せようと完璧主義になりすぎる。

人からなんやかんや言われるのを非常に嫌うから

それをされないために予防線を張ろうとしてしまう。

 

 

ブログの場合だと、文章を何回も練りすぎるんだ。

 

「この部分にこういうイラストを付け加えたい」

「この表現をこうしたらもっとわかりやすくなるかもな」と

それが一つや二つくらいならまだしも、

自分の思いやこだわりが重なりすぎるんだ。

 

 

そして、結果、文章が長くなる。

 

 

「こうしなければいけない」という義務になってくると、

執筆も憂鬱になってしまう。

 

 

 

そうではなく、

 

これからは、理屈ではなくて、

「降りてきた言葉」をそのまま書き起こしたい。

 

 

つまりフィーリングをそのまま形にしようと思うんだ。

 

 

これまでの自分はどうも

文章としての体裁や形を重要視する傾向にあった。

 

 

しかし、そういうこだわりが

「〇〇しなければならない」という義務感を生み出して、

自分を苦しませていたことに気付いたんだ。

 

 

他人にとってはそんなもの、どうでも良いのかもしれない。

 

 

しかし、なぜか自分は

「このレベルまで達しないと表に出せられない」と

ブログなど何かを作り出す上では、常にそう思っていたようだ。

 

 

完璧を目指すことは、自分の能力を過信することだ。

 

 

だって世の中に「完璧」などないのだから。

 

 

過信している状態では、

そりゃ思っていたものがなかなか出来なくて

さらに腰が重くなるという悪循環に陥りやすい。

 

 

しかし、思いついたことをそのまま書くだけならば、

もっと気軽に文章を書くことが出来るし、

更新頻度も高められるし、

見に来てくれる方々にとっても、よりライトで読みやすいものになるはずだ。

 

 

わかりにくい部分があってもいいじゃん。

 

通常のコミュニケーションだって伝わらないことだって多々あるのだし、

どんなにわかりやすくしようと頑張ったところで、

重箱の隅をつつくような指摘をしてくる輩はいるわけだ。

 

 

それならば、

自分自身が「楽しい!」と感じるやり方で

楽しく続けていくのが一番だ。

 

 

というわけで、これからは

もっと感覚的な執筆かつ

手首や足腰(?)もより軽やかに

発信活動を楽しんでいきたいと思いまする。

 

 

どうぞゆたしく。