不要なコトは全て捨てようと思う

天海夜 煌琉だよ。

 

先日、ブログなど僕の活動の今後の方向性について、

信頼できる方に相談するという、非常に貴重でありがたい機会があった。

 

 

その方はスピリチュアルに精通している方で、

神秘的で、でもフレンドリーで非常に話しやすい雰囲気がある。

 

 

一方で、僕はわりと人のことが気になりすぎて慎重派だし

さらには見栄っ張りで負けず嫌いなところがあるので、

滅多に本心を人に話さないしあまり自己開示をしようとしない。

 

 

そんな自分でも、もやもやしていることを徐々に話しただけでも、

スッキリした回答をいただけたのだった。

 

 

詳細は控えるが、

その人が言うには、

僕が次のステージに進むために、必要な課題があると言う。

 

 

それは…

 

 

「不要なことを捨てる」こと。

 

 

 

 

不要なことというと、

 

正直何のことだろ?とは思った。

 

 

ただ、このところ人間関係に関する文章を書いていて、

「人間関係の断捨離や損切り」は自分のテーマではあると思った。

 

 

ただ、嫌いな人はもう関わらないと決めたわけだし、

なんか違うな、と思った人間関係はどんどん切り離しているつもりだ。

 

 

それなのに、まだ「完全に終わっていない」というのだ。

 

 

そう考えると、確かに

捨てきれていない人間関係もあるのかもしれないが…

 

 

嫌な人々、合わない人々との「嫌な思い出」が自分の中にまだ存在して

自分の行動を邪魔しているのかもしれない。

 

 

あと、心当たりがあるとすれば、

「周囲の人が自分をどう評価しているか」が

やっぱり気になるのかもしれない。

 

「もしかしたら悪口を言ってるんじゃないか」と

疑心暗鬼になっているのかもしれない。

 

 

人間不信になってしまってるのかもな。

 

 

もちろん、大切にしたい人間関係もたくさんあるけど。

 

 

人間関係の他に捨てるべきものと言えば、

ブログの文章など、自分の作品に関することかもしれない。

 

 

それはきっと、「今まで作ったもの、書いたことを全て捨てる」ということではない。

 

 

捨てるべきは「自分自身の、行き過ぎたこだわり」だ。

 

 

どうも自分は少しでも良く見せようと完璧主義になりすぎる。

人からなんやかんや言われるのを非常に嫌うから

それをされないために予防線を張ろうとしてしまう。

 

 

ブログの場合だと、文章を何回も練りすぎるんだ。

 

「この部分にこういうイラストを付け加えたい」

「この表現をこうしたらもっとわかりやすくなるかもな」と

それが一つや二つくらいならまだしも、

自分の思いやこだわりが重なりすぎるんだ。

 

 

そして、結果、文章が長くなる。

 

 

「こうしなければいけない」という義務になってくると、

執筆も憂鬱になってしまう。

 

 

 

そうではなく、

 

これからは、理屈ではなくて、

「降りてきた言葉」をそのまま書き起こしたい。

 

 

つまりフィーリングをそのまま形にしようと思うんだ。

 

 

これまでの自分はどうも

文章としての体裁や形を重要視する傾向にあった。

 

 

しかし、そういうこだわりが

「〇〇しなければならない」という義務感を生み出して、

自分を苦しませていたことに気付いたんだ。

 

 

他人にとってはそんなもの、どうでも良いのかもしれない。

 

 

しかし、なぜか自分は

「このレベルまで達しないと表に出せられない」と

ブログなど何かを作り出す上では、常にそう思っていたようだ。

 

 

完璧を目指すことは、自分の能力を過信することだ。

 

 

だって世の中に「完璧」などないのだから。

 

 

過信している状態では、

そりゃ思っていたものがなかなか出来なくて

さらに腰が重くなるという悪循環に陥りやすい。

 

 

しかし、思いついたことをそのまま書くだけならば、

もっと気軽に文章を書くことが出来るし、

更新頻度も高められるし、

見に来てくれる方々にとっても、よりライトで読みやすいものになるはずだ。

 

 

わかりにくい部分があってもいいじゃん。

 

通常のコミュニケーションだって伝わらないことだって多々あるのだし、

どんなにわかりやすくしようと頑張ったところで、

重箱の隅をつつくような指摘をしてくる輩はいるわけだ。

 

 

それならば、

自分自身が「楽しい!」と感じるやり方で

楽しく続けていくのが一番だ。

 

 

というわけで、これからは

もっと感覚的な執筆かつ

手首や足腰(?)もより軽やかに

発信活動を楽しんでいきたいと思いまする。

 

 

どうぞゆたしく。