恐怖心や正しさに囚われることなく心地よく生きるには

今日はKindleでこちらの書籍を読み終えた。

 

喜びから人生を生きる!: 臨死体験が教えてくれたこと(アニータ・ムアジャーニ著)
 

この書籍には末期がん患者だった著者の臨死体験により得られた考えが書かれている。

 

僕は最近ブログで「自分の本心に目を向けて心地よく生きていこう」というようなことをよく言っている。

 

 

それくらい自分がいかに楽に生きられるかというテーマは自分にとってすごく重要で、

書籍の内容もまるで

 

「この本は自分のためにあるのではないのかぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

 

と錯覚するくらいすんなり受け入れられた。

 

まぁ…もちろん錯覚なんだけども^^;

 

「楽に生きられる考え方」が身についていない時にこの書籍を読んでも
疑心暗鬼でしっくり来なかったかもしれない。

 

元々スピリチュアルの分野に興味はあっても
胡散臭さを感じてしまうような人間だったから
色々学んできてベストなタイミングで読めて良かったなぁと思う。

 

 

元々、人は誰しも素晴らしい存在である。

 

しかし、育っていく過程や人間関係の中で不当な扱いを受けたり
競争したり人と比べられたり
自分という人間を一辺倒な価値基準で判断されたり
ルールを守らないと罰せられたり怒られたり
それで傷いてしまい、
「嫌われないようにしなきゃ」「もっとちゃんとしなきゃ」
と自分の人生を生きられなくなってしまっている人も多い。

 

世の中にはルールとか宗教とか色々あるが、
そういったものがあることにより「正しさ」が生まれてしまい
それが人々の苦しみになってしまっている。

 

世間が定めた基準から少し違うというだけで
人々から非難されたり場合によっては差別を受けたりして
「自分は価値のない人間」と思うようになってしまうのだ。

 

だから自分を殺して自分自身の持つ本当のエネルギーに蓋をしてしまうのだ。

それが病気や不調として身体に現れる場合もある。

最悪の場合…自ら死を選んでしまう人もいるかもしれないね。

 

僕もあれこれ人をジャッジするのはできるだけしないようにしている。
いつかは完全にやめられるようになりたい。

 

「正しさ」に囚われること。

それの何がいけないかというと、

人を裁いたり批判したりすることって一見気持ちの良いように見えても、

結局の所自分を苦しめるだけだからだ。

 

そして世の中の基準や暗黙のルールに囚われて
人の顔色を伺って自己犠牲をしてしまうこともやめた。

自分の「楽しさ」や「快適さ」を重視するんだ。

 

そして、他人に寛容であるようになりたい。

 

それは決して自己犠牲からくるものではなく、
そうすることで自分が楽になるからだ。

 

実際、今は昔ほどイライラしなくなってきた気がする。

 

人間一人一人の違いとその素晴らしさを受け入れられるようになってきたからかもしれない。

 

そして、ネガティブな感情が生まれてもそれは否定する必要はない。
そんな自分も受け入れるのだ。

 

よくスピリチュアルは「ポジティブな言葉しか言わない」みたいな傾向にあるけど
僕はまさにそういうのがすごく苦手で(笑)

 

それを考えると、「どんな状況でもあるがままを受け入れる」という
この著者の考えが自分に合っていたと思う。

 

 

それと、がんなどの病気は決して闘うものではないことを知った。

 

もし身体に何らかの不調が現れたらそれは除去しようと敵対するのではなく、
身体からのメッセージとして受け止めて、共存するのだ。

 

多くの場合、恐怖で病気を消そうとしてしまうから状況が悪くなってしまうようだ。

 

そして、病気になってしまったことを悔やんだり自分を責めたりすることもしない。
自分をひたすら愛するのだ。

 

…こうして色々書いていくと抽象的だなと自分でも感じるのだが、
これは徐々にでも自分自身で実感していくしか無いだろう。

 

では、僕がこの書籍の内容をすんなり受け入れられた経緯は何かについて参考までに教えると、

様々な書籍を読んできたから、色んな人の考えに触れるきっかけを作ってきたから。

 

それももちろんだけれど、
最近はアーシングが習慣になっているから、それが一番影響しているのかもしれない。

 

 

裸足で大地に立ち、自然と一体感を覚えると、
「これが本来の自分なのだ」と思うんだよね。

 

自然に囲まれている時の自分は全ての悩みから解放されて

「自分が自分自身でいられる」時だから。

 

 

それが実生活にも影響するようになったのか、
仕事に対しても以前ほど完璧さを求めなくなり、
自分なりに毎日を楽しんで過ごせるようになった。

 

世の中には「正しさ」など無い。

 

他人の価値基準よりも、「自分がどう感じるのか」を最優先する。
少しでも違和感を覚えるのであれば、それは自分に合っていないのかもしれない。

 

色んな健康法を試してみてはいるけれど、
完璧に健康な人間になろうとして苦悩するのも
「自分は今すごく健康だ」と思って
毎日たくさん笑って楽しく過ごすのが一番良い健康法のかもしれない。

 

まだ起こってもいないことに不安や恐怖を感じる必要もない。

 

何よりこの書籍を読んで一番変化があったのは、

もし明日自分が難病にかかってしまっても、
今までの自分よりかは恐怖を感じないだろうと思ったことだった。

 

ま、起こってもないことを考えても仕方ないし、実際わからないけどね。

 

ただ、病気を「悪」ではなく「現象」として捉えることはできそうだし、
辛い時でも自分のことも愛せるはずだ。

 

実際、今だって昔に比べ身体に不調を感じることも増えてきたが、
それらも全てどういうわけか「大丈夫」と思えるようになっているしね。

 

多分実際、「大丈夫」だと思うし、今後も良くなっていくと思う。

よくわからないけど、そんな気がする。

 

自分の感覚を一番大切にしたいから。

 

 

最後に、もう一つ。

 

人間は多くの愛と可能性に満ちている存在だ。

 

皆さんが自分をより愛せるようになるためにも、
人の目を気にして自己犠牲にならずに、
自分が心地よくいられることだけに目を向けていこう。

 

そうすればあなたの未来はきっと開ける。

 

学校や会社なんて行かなくて良い理由

僕が人生で最も後悔していること。

 

それは好きでもない、むしろ嫌いだった学校に通い続け、
学生時代を病みながら過ごしたことだ。

 

毎朝嘔吐しながら無理矢理にでも学校に行くことなんて、
何もメリットがなかった。

 

親の機嫌や人の目なんて考えずに、
自分の気持ちを優先したら良かったのだ。

 

それは、堀江貴文さんの

「すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~」という本を読んで

確信した。

 

 

「なぜ学校に行くのだろう?」
「なぜ勉強するのだろう?」

 

これらは、日本国内で生きる誰もが必ず一度は抱く疑問だと思うが、
それも押し付けられたものだから、当然のことだろう。

 

本来、学びというものは自発的にするものだからだ。

 

自分が好きなもの、夢中になれるもの、没頭できるものに
時間や食事を忘れて打ち込むこと。

 

 

そうすることで、その分野に関しては詳しくなるし、
技術的なものであれば上達もする。

 

自分にとって好きなものだから、ストレスもないし、
我慢をする必要なんて無い。

 

楽しみながら成長できるのだ。

 

だから僕も最近では、「今を楽しもう」「夢中になろう」と
呼びかけているのである。

 

ところで、この書籍を読んで、
人間にはG型とL型というものがあるということを知った。

 

Gはグローバル、Lはローカル。

 

…ということでざっくり説明すると、

 

G型は世界規模で活動する人間。

天海夜 煌琉さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿


たけしさんも世界中から絶大な支持を受けている人の一人。

 

 

対するL型は特定の地域において活動する人間。

天海夜 煌琉さん(@koryu_aminumiya)がシェアした投稿


沖縄で生活していると、当然かもだけどローカルな有名人がたくさんいることに驚かされる。

 

要するに活動の拠点や判断基準が数カ所かつ外向きなのか
一箇所かつ内向きなのかということだろう。

 

だから、一見すると外向的か内向的かという分け方のようにも見えるが
おそらくそれは違くて、
外向的でもL型の人はいるだろうし、
内向的でもG型の人はいるだろう。

 

僕はおそらくG型よりのL型だと思う。

 

僕にとっては沖縄は地元ではないし、
好きではあるし可能性がある場所と考えてはいるが
ずっとそこにい続けるということもないかもしれない。

 

しかし、機会があれば今後、タイなどの国に移住することも考えているし、
それがいつになるかもわからない。

 

それから、自分が好きなものに関しても
G型やL型を当てはめてみた。

 

僕は最近色んなアーティストの曲を聞くのだが、
そのアーティストがG型とL型、
どちらよりの性格を持っているのかも気になるようになった。

 

アイドルやV系はファンとの一体感やストーリーを大切にしているので、
L型が圧倒的に多いとは思うが、
現在世界規模で活躍しているBABYMETALや
解散してしまったけれど世界中に沢山のファンがいたギルガメッシュなどは
G型に当てはまるのかなと思う。

 

メンバー個人の性格ではなく、グループとして考えたらそんな印象である。

 

 

…いや、もしかしたら人間、誰しもG型とL型、
どちらかの要素や性格があると思う。

 

書籍の中にあった比較表を見てみたけど
僕にはどちらの性質もバランス良く存在してたようだし。

 

好みや価値観など、自分の選択によってどちらになるかというものなのだろうな。

 

どちらにせよ、自分の可能性に蓋をするのは
最もやってはいけないことだし、
「教育」や「洗脳」によってそれをしてしまう人が多数いること。
人に価値観を押し付けて人の夢を奪ってしまう人も多数いること。

 

それが「生きていてもつまらない世界」を生み出すことになり、
「生きづらさ」を感じてしまう人もいることだろう。

 

現に日本はそういう国になっている。
だから自殺者が後をたたないのだ。

 

「幸せの形」なんて千差万別なのに、
世の中の一定の「幸せの価値基準」に当てはまらないから、
希望が見えないと思い込んでしまう人も多数いるのだ。

 

人間は本来やりたいことを好きなようにすることがニュートラルなあり方である。

 

それが、教育を受けてしまうことで、
N型人間というものになってしまう。

 

N=日本ということで、Nationalなのかな。
会社の言いなりになって動くような人間、
自分の頭で考えることができない人間と解釈している。

 

これは戦時中の「お国のため」思考を未だに引きずっているものであり、
最もあってはいけないあり方だそうな。

 

そんな人間になってしまうと、
「正解」を求めるような人間になってしまう。

 

これの何がいけないのかというと、
何かにつけて「答え探し」をするようになってしまう。

 

誰かが「正解」をくれるだろう、
そうすることで、自分は損をしない。

 

そんな他者依存をするような発想になってしまうのだ。

 

被害妄想という最も最悪な考え方も身についてしまうし、
自分自身が人の人権を無視して
他人を奴隷みたいに扱うようになってしまう可能性すらある。

 

現に日本はサービス業の人に対してちょっと厳しいところがあるし。
やってくれたことに感謝できなくなったら、人間として終わりだよね。
もちろん、世の中に「正解」など無いし、
誰か偉い人が与えてくれるものでもない。

 

それは自分で毎日を丁寧に生きながら探していくものである。

他の人に合ったやり方でも、自分に合うとは限らない。

自分の生き方は、自分で学びながら見つけていくものなのだ。

 

その人間が本来あるべき姿を捻じ曲げてしまうのが、

「学校」であり、

「教育」という名の「洗脳」である。

 

今、学校に行きたくないと本気で思っている子がいたら、
登校拒否をして好きなものに打ち込んで構わない。

 

僕はそれを推奨する。

 

現に、学校で学ぶことなんて、ほとんど無駄だからだ。

 

今はオンラインで好きな先生を選んで
興味のある分野に関しての学びが得られるからね。

 

嫌いな先生や苦手な先生、合わない先生から
受けたくもない授業を受ける必要なんて無いわけよ。

 

学校は人間関係や集団行動を学ぶ場所?

 

その発想すらが古いと思う。

 

 

自分の趣味や好みが合う人達、
人間的に尊敬できる人達と交わっていけばいいじゃん。

 

そんなコミュニティなら
皆自分のことを一人間として認めてくれる人ばかりだろうから、
健全な人格が出来上がってくるだろうし。

むしろ理想のあり方だよ。

 

住んでいる地域や専攻しているコースが一緒、
はたまた同じ歳などという理由だけで
無理やりクラスを組まされて、
好きでもない奴と長い時間同じ空間を共にする必要なんて無い。

 

大好きな友達だけ、個人的に会えばいいじゃん。

 

実際僕も中学の時、学校に行くのは地獄だったけど、
ダンス教室に行くのはとても楽しかったな。
毎日好きな音楽を聴いて、好きなだけ絵を描いて、
当時のめりこんでいたダンスに一生懸命になっていれば良かったのだ。

 

でも過去のことを後悔したって仕方ないし、
どうにもならない。

だから、これからの時代の子供達に向けて
今言えることを発信しているのである。

 

実際、学校に行くかどうかはその子自身が決めるものだが、
学校に行くか会社に行くのかだけが人生の選択肢ではないこと。
それは頭の隅にでも入れておいて欲しい。

 

命を断つなんて早合点過ぎる。

確かに世の中にはくだらない人間も多いが、
それ以上に素晴らしい人達もたくさんいる。

 

それに気づくのが早ければ早いほど、
自分の生き方を模索できるようになるから。

 

会社だって辞めたって構わない。

 

辞めたことが経歴のキズになるとか、
良い大学をでていれば就職に有利になるとか、
資格を持っていれば良いとか。

 

そんなもので人の価値を判断するような会社なんて
ロクなものがないだろうし。

 

実際僕も仕事の面接を受ける上で
「失礼な奴だな」と思うような人間を何人も見てきた。
現に一緒に働くことにならなかっただけ、マシだったのかな。
そういう人間は腐るほどいるし、
現に嫌な奴の下で働いたこともある。

 

でも、負けちゃいけない。

 

ビビりながらも、自分なりに反発したさ。

 

古い価値観を押し付けてくるような人間の意見なんて
聞く必要なんて無いんだよ。

 

その人があなたの人生に責任を取ってくれるわけじゃないし。

 

「自分の人生は自分で責任を持つこと。」

 

そんな考えで自分の好きなように行動していくことで、気持ちが楽になるからだ。

 

好きな人達と一緒に、好きな仕事ができたら最高だよね。

 

 

誰かが提示したものではない

「自分の生き方」を

試行錯誤しながら探してみよう。

 

それはあなたにしかわからないものだから。

 

 

 

正解などなくても、泥臭くても良い。

 

 

 

複雑に絡み合った木の根のようにもがきながら

天に向けて真っ直ぐそびえ立つ木の幹のように

全力で生きている人は美しい。

 

 

 

 

と、僕は思う。

自分の人生を生きろ

今日はGIDの人達とビーチパーティだった。

 

 

その時に、昔コミュニティに来てくれていたことのある当事者の家族の方が、
今日、子どもを連れて来てくれた。

 

 

子供が生まれたからなのか、完全に母親の顔というか、
雰囲気がだいぶ柔らかい感じになっていた印象だった。

 

 

正直、だいぶ前に会ったきりだったから

なんとなくしか覚えていなかったけど…

 

とても懐かしいというか、感慨深い気持ちになった。

 

 

今年の夏に、僕は叔母や従姉妹達と一緒に牧場へ行った。
従姉妹の子どもも連れて。

 

 

 

 

犬の動きがシンクロしている(笑)。

 

 

その子供もだいぶ大きくなっていて、

僕はかなりその子に懐かれている。

 

 

昔は自分達が子どもで、皆で牧場へ行ったこともあったものだが、
今では皆が大人になった。

 

 

自分と同世代の人間も、どんどん結婚して子どもも生まれている人が多いのだろう。

 

 

僕はどうだろう。

 

 

成長しないまま子供のままで大人になってしまっていないだろうか。

 

 

だいぶ病んでいたのもあって、つい何年かまでは被害妄想の塊みたいな奴だった。

 

 

今は民泊のホストを始めたことで、

他の文化の人も受け入れるようになってきて、

ちょっとずつ変わってきた。

 

 

海外の人は大らかで優しい人が多い。

一部のホストに嫌われている一部の国の人でも、

僕の家に嫌な人は来たことはない。

 

 

むしろ、言葉の通じる日本人のほうが

分かり合えないこともあると悟ったのだ。

 

※その時の経験談をこちら↓で詳しく説明している。

 

 

今は、とにかく自分がやりたいことを実現できるような生活をしていきたい。

 

 

そのためには、ちょっとくらい辛い思いをしても構わない。

 

 

ただ、なんとなくだけど、一生独身な気がするし、

別にパートナーを見つけようとも思わない。

 

 

というか、人それぞれ自分の自由な生き方をすれば良いと思う。

 

 

子供を生みたい人は生んで、家庭を築けば良いと思うし、
特に興味がない人は、それ以外のことで世の中に貢献していけば良いと思うんだ。

 

 

つい先日も沖縄では内地に当たるお盆の日があったようだ。

 

 

親戚同士の結びつきが強いのは良いのだけれど、

自分達の古臭い考えに縛られて本人の生き方に干渉しだすと、

生きづらくなる人を生み出すだけで、誰も幸せにはならない。

 

 

また、そのようになっても、自分のことは自分で決めると思って
自分を妨げる全てのものは捨ててしまえば良いとさえ思う。

 

 

古い制度や価値観を重視するあまり、何が本当に大切なのかを見失ってはいけない。

 

 

私は私の思うように生きる。

 

 

それが尊重される時代になれば良いなと思う。

 

 

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「集団で群れ、誰かに追われる存在」よりも、

「常に孤高であり、夢を追う存在」であれ。