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Life is a great big canvas;
throw all the paint on it you can.
人生はとても大きなキャンバス(画布)だ。
可能な限りその上に有るだけの絵の具を投げかけなさい。
という名言がある。
人生は自分自身で描いていくもの、という意味だろうか。
僕も昔はこの言葉に共感していた。
しかし今は、逆だと思う。
むしろ、人生とは…
現在起きている事象に
自分がどう意味づけしていくかが重要になる。
そう考えるようになった。
そう考えると人生はキャンバスではなくて、
どちらかと言えば、パレットだと思う。
パレットは色を作る道具ね。
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すべての物事は意味があるようでいて、意味が無い。
では、誰が意味づけしているのかというと、
他でもない、人間だ。
過去から現在において、
世の中の人が作った「価値感」だとか「伝統」だとか
そういうもので意味づけされている。
それなら、自分の好きなように色を塗ったってかまわないだろう。
自分で好きなように色を作って塗っていく、
つまりすでにある「意味あるもの」に自分で意味づけをしていくのだ。
大抵の人は幼少時代から大人まで完全に一人で生きてきたわけではないだろう。
むしろ、自分自身で人生をコントロールできた人なんて
ほとんどいないのではないか。
しかも、多くの場合は大人の影響で洗脳を受けているから、
さらに自分の行動を制限するようになる。
そうなると、自分自身で生み出せる色(意味)の数も限られてくる。
他にたくさんの種類の色があるのかもしれないのに、
緑しか知らなければ、緑を使うしか無いしな。
いや、もしかしたら本当は、
赤色は青色なのかもしれないし、
青色は赤色なのかもしれない…。
しかし、何も考えずに生きていると、
そんな可能性すら考える余地すら無くなる。
…まぁこれ以上言うとただの頭おかしい奴だから、ここまでにしておくけど。
ちなみに僕は最近、何かイラストなどを見た時に、
その人がどのような画風の絵を描くかというよりも、
その人がどのような配色をするのか
その人がどのような色づくりをするのか
他人の彩色や配色に関するセンスが気になってきたのである。
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上のイラストは、
LGBTのビーチパーティを開催した時に配布したフライヤーのデザインだ。
これは僕が作ったもの。
これを見て、とある人が聞いてきたんだ。
「コリュって沖縄の人なの?」って。
いや、僕は本土出身の妖怪だけど?
どうやら、沖縄の人は原色というか、鮮やかな色を好む人が多いらしい。
その人は僕のこの色使いを見て、沖縄の人っぽいと判断したそうだ。
ちなみに、沖縄の子供達の絵を見ていると、
本土の子供達との色使いの差が顕著に現れると聞いたことがある。
僕は教育者じゃないからわからないけど、
本土出身の、もしくは本土での生活経験がある美術の先生だったら、
それに気づくこともあるのかな。
もしくは逆のパターン。
沖縄の人が本土の学校で教えている場合だと、
本土の子供達の色使いに驚くことがあるのかな。
僕はたまたま自分の色使いが沖縄の人寄りだったんだろう。
和物が好きだし、淡い色の日本色も好きなんだけどな。
自分の表現においては、わりとハッキリした色使いをする傾向になるらしい。
普段あまり自己主張しない性格だから、
コントラストを強めることで自分の内面を吐き出しているのかもしれないな。
いずれにせよ、その人の生まれ育った環境が
その人の感性に大きく影響することは間違いない。
他の人の絵を見ていると、
自分じゃできないような色使いに驚かされることがある。
逆に、自分が当たり前のように使っている色も、
他の国や地域の人から見ればとても珍しいんだろうな。
キャンバスに何を描くかよりも、
どのように色付けをしていくか。
どのような色を作るか。
未完の絵に、皆が予想もできない配色で
独自の色で色を付けられたら…
自分にしか描けない人生と価値観が生まれるのだろう。
そして、「人生はパレットだ」と言ったところで、
星空でもあると思うんだ。
一つ一つの星…点と点を繋げて大きな線にしていく。
その線自体には大きな意味はないのかもしれないが、
自分で「星座」を作っていくなら、その線は重要な要素になり得る。
…偉そうなこと言ってるけど、
結局これら全て僕自身が作った「意味付け」だしね。
それに共感するのかしないのかも
逆にあなた自身がどう捉えるのかも
全てはあなた自身の「色」にかかっているのかもしれない。
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最終的には皆が「これは青だ!」と言うのを
「いや、赤だ!」と言い張るような、
そんな人間を目指してみるのも良いんじゃないかな?
少なくとも僕は、そんな妖怪になりたい。