「誕生日」という日について本気で考えてみた

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)でございます。

 

 

昨日、4月18日は僕の誕生日だった。

 

 

 

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誕生日を迎える前日までは一週間ほど、

所用で本土に行って実家でぬくぬくと過ごしていた。

 

 

その際に、東京でとある方のコミュニティの集まりがあったので

そちらにも参加してきた。

↑会場は広尾にある素敵なお店。

 

↑料理も最高に美味しかった!!

 

 

そこでの懇親会では初めてお会いする方が多かったのだが、

皆さんとても優しい方ばかりで

超人見知りな僕でもすぐに馴染んだのである。

 

 

すると、4月生まれであるコミュニティの主様の誕生日を祝う流れになり

僕も同じ4月生まれとして一緒に皆から祝ってもらい

とても幸せな気持ちになった。

 

 

僕としては、祝ってもらうことはもちろん、

自分と近い誕生日の人がいたことが

非常に嬉しかった。

 

 

ちなみに誕生日当日、那覇のケーキ屋さんでケーキを買った時も、

見知らぬ人が友人の誕生日ケーキを買いに来てたようで

「この世界には自分と同じ(近い)誕生日の人がいるんだな」

と思ったら、人知れず仲間を見つけたような気分になったものだ。

 

 

実際、その日も世界の何処かで新たな命が生まれていたかもしれないし、

逆に失われた命もあるかと思うが、

それはそれで輪廻というか、

いろんなものが巡り巡って回っているのだろうと思う。

 

 

 

 

また、誕生日の前日のフライトで

羽だから沖縄に戻ってきたわけだが…

 

 

 

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↑相変わらず好き勝手過ごしている(笑)

 

 

飛行機の中で、

自分の誕生日と平成最後のフライトを浮かれて祝っていたときに

 

「誕生日ってなんだろう」

 

って思うようになった。

 

 

さて、

「誕生日」は何かと言うと

他でもない、自分がこの世に生を受けた日である。

 

 

人によっては役所に届け出た日と

実際の誕生日が違う人もいるようだが

僕は恐らく同じだろう。

 

 

また、誕生日というのはすごく不思議な日で、

動物占いや数秘術、星座占いなど

強制的に占いの結果が決まってしまうのだから

すごく神秘的で、ある意味理不尽でもある。

(例えば…「あなたは牡羊座だから、こういう傾向があるよね」

などと占いによって決めつけられやすい。)

 

 

それは、誕生日というのが

「生まれて初めてこの世の光を浴びた日」だったり

「生まれて初めてこの世の空気に触れた日」だったり

色々な意味合いがあるからこそ

スピリチュアルな面も強くなるのだろうけど、

この辺はあまり詳しくないので、今回はあまり踏み込まない。

 

ただ、僕自身、スピリチュアルなことや

数秘術やマヤ暦などには興味津々なので、これから学んでいこうと思う。

 

 

 

それ以外の一般的な「誕生日」の認識としては、

 

「誕生日を皆から祝ってもらう」のが主流である。

 

 

 

かつては僕もそう思っていたし、

ついつい周囲から祝ってもらうのを

期待している自分がいる…

それもまた事実だった。

 

 

元々歳の離れた末っ子で、

欲しいものはほぼ与えてもらっていたからか、

それがなんとなく当たり前のように感じてしまっていたんだろうね。

 

 

そう考えると、本当は自分自身は豊かで満たされているのに

いつもどこか満たされない気持ちを抱えていたのだ。

昔から悩んでいた人間関係や性別不一致の問題も原因だったとは思うが。

 

 

しかし、こういった不満足になりやすい人々を始め、

「自分を特別と思うが故の他者への期待」

誰しもがあるはずだ。

 

 

相手が「わかってくれる」「察してくれる」と思い

自分自身の意思や要望を伝えない割に、

他者へ過剰な期待を抱いてしまうのだ。

 

特に日本人はこの傾向が強いと言われる。

 

 

しかし…

 

自分が心地よいと思う条件や環境、

大切にしている価値観というのは、人それぞれである。

 

それは予め伝えておかないと、

他者との健全な付き合い方が出来なくなる可能性があるのだ。

 

 

他者へ期待をする前に、

あなたがあなた自身を満足させられるように

「自分が最も快適に過ごせるにはどうすればよいか」を

常に考えて実行できるようにすることが肝心である。

 

 

 

つまり、これを誕生日として考えると、

 

「私は今日誕生日なんです!祝って下さーい!」

 

と言うことで、周囲の人が気持ちよくお祝いできる環境が出来上がるのだ。

 

 

僕も先日の懇親会で、それを実行することができた。

 

 

昔の僕なら遠慮してしまった可能性があるのだが、

ちょっとした勇気を振り絞ったおかげで

自分も含め、皆がハッピーになれたわけだし、

自己主張ができて本当に良かったと思う。

(酒の力もあったけど笑)

 

↑誕生日ケーキは別に用意されてあったけど、

コースの中で提供されたスイーツも美味だった。

 

 

↓このような「自分が快適に過ごせる考え方」については

以下の記事も参考にしてみてね。

 

 

 

一方で、

「他者の期待に応えようとした結果、生まれる悲劇」

というのも存在する。

 

 

例えば、お互いの絆が強い大所帯のコミュニティや

パリピの方々の間では

「大切な仲間」のためにお誕生日パーティを頻繁に開くことで

自分も含めた「大切な仲間」たちが金欠になりがち

…という深刻な事実もあるようだ。

 

 

さらに、普段から他者への気配りや思いやりを欠かせない人にとっては、

「自分が他の誰かを祝ってあげたのに、他の人からは祝ってもらえない」

…といった自体があったときに

不満を抱える人もいることだろう。

 

 

僕自身、一時期は自分が好かれるための義務感として人付き合いをしていたし

それ故自己犠牲的になり、不満を抱える傾向があったようにも思う。

 

 

だから、そういう付き合いで被害者意識を抱くようになったり

人間関係がギクシャクしたりするくらいなら

誕生日なんて別に祝ってもらわなくても良いかな?

と思うようにもなった。

 

 

基本的に誕生日当日は一人で過ごすことが多いので

それはそれで楽しいではあるのだが、

それでも、誰からも祝ってもらえないときは

ちょっと寂しい気持ちにもなったものだ。

(↑とことん面倒くさい奴)

 

 

 

 

しかし、ある日僕は疑問に思ったのだ。

 

 

 

「一体俺は誰のおかげでこの世に生まれてきたんだ?」

 

と。

 

 

「自分が生を受けたのは、紛れもなく、両親のおかげだ。」

 

 

「そして、ここまで生きてこれたのは

家族も含め、今まで支えてくれた周囲の人達のおかげだ。」

 

 

などと考えるようになったのだ。

 

 

そう、

 

 

誕生日は、自分が生まれてきたこと、

自分がこれまで関わってきた全ての人に

感謝する日なのである。

 

 

この考えに至ったおかげか、

今年は当日は休みをとってたということもあり、

今までの誕生日よりも穏やかに過ごせたような気がする。

 

 

いや、これまでの誕生日もほとんどが素晴らしいものだったのだが、

一度だけ、北海道のとあるゲストハウスに泊まったときに

理由はよくわからないが、オーナーさんから

塩対応(?)をされてしまったことがある。

 

彼は僕が誕生日だということを知らなかったようなので

仕方ないと言えば仕方ないのだが、

今では僕自身も学ぶことが多かった、貴重な経験だと思っている。

 

それは恐らく、彼自身も他者へ過剰な期待をしてしまい

彼自身が傷つくことや、他者を恐れているところがあったからだと思う。

 

宿のトイレに禁止事項というか、

過去の迷惑ゲストへの不満が書いてあったのだが

その内容がなんだか挑発的だったのだ。

あれではお客さんを不快に思わせるだけだろう。

 

↑その宿のチェックアウト後、支笏湖に立ち寄ったのだが

なんだか物悲しい気持ちにもなっていた。

 

 

しかし、実際に自分が民泊のホストだった時に

その時の経験が何度も頭をよぎったのだ。

 

「ゲスト(お客さん)を恐れるあまり、自分もあの時のオーナーと

似たようなことをしてしまっていはいないか?」と。

 

そして、色々と考えた結果、

 

「相手や自分にとって心地よい空間を作るのは、自分の心次第」

「自分が恐れていると、少なからず相手に伝わる」

 

という結論に行き着き、

「お互いに不快に思わずにサービスを提供するにはどうすれば良いか」

それを考える良いきっかけにもなったのだ。

 

 

 

その後は様々な経験を経て、

今の僕は「自分はこういうものだ」と開き直れるようになったし、

ネット上の発信もストレスなく出来るようになった。

 

さらに、「他者の問題は他者の問題」

と割り切れるようになったことで、

他者を必要以上に恐れなくなった。

 

口論はあまり得意じゃないから争いごとは極力避けたいけど、

すれ違う他人にイライラすることは激減したと思う。

 

 

その代わり、手に入れたのは

「全ての人に対する愛情」である。

 

 

見知らぬ他人や遠くの知人がSNS上で幸せにしていると

嫉妬心に駆られず、焦りを感じることもなく、

ただただ「良かったね」とほっこりした気分になれるのだ。

 

 

以前は人間嫌いの部分もあり、

どこか斜に構えていたところがあったものだが、

「全ての人の幸せを願うことが、自分の幸福度を高める」

と思うようになった。

 

 

ただ、自分が嫌いな人に対しても感謝し、愛おしく思うのは

正直、まだちょっと抵抗がある。

 

その場合は、無理にその人のことを考えなくても良いとは思う。

 

でも、その人がいたおかげで反骨精神を覚えた結果、

今の自分があるのなら

むしろ一番に感謝しなきゃいけない存在なのかもな。

 

 

そのような人々にも

いつか心から「ありがとう」と思えるようになれば良いね。

 

 

 

さて、幸運なことに元号が変わる直前、

平成最後の2019年4月に誕生日を迎えることができた。

 

 

これまでのことをまとめると…

今年の誕生日からは以下のことを学んだ。

 

「自分が幸せになるための要望を伝えることで

周囲の人も幸せになれる」

 

「祝ってもらった事実に対してだけではなく、

周囲の人に感謝の気持ちを伝える」

 

「すべての人々に愛を与える」

 

 

与えられる何かを依存的に待っているのではなく、

 

 

自分自身が常に「与える」「返す」精神を持ちながら

自分自身を幸せにしていくことが大切なのだと思った。

 

 

 

僕も、実際に親にメールで

「生んでくれてありがとう」

と送ったのだ。

 

 

ちょっと照れくさかったけど、その一言が全てだ。

 

後悔しないように、言いたいことは言えるときに言っておこう。

 

 

そう思いながら、美しい桜のように儚いこの命を

しみじみと感じたのだった。

 

 

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