「叱咤激励」という言葉の気持ち悪さ

僕は「叱咤激励」という言葉が大嫌いだ。

 

いや、誤解のないよう一言言っておくが、
言葉そのものは元々あるものだからどうでも良い。

 

厳密に言うと、
「叱咤激励」という言葉を当たり前に使っている人が大嫌い。

 

意見やアドバイスをもらいたい時に
素直に「アドバイスを下さい。」なら良いのだけど、
「叱咤激励して下さい!」という言葉を見かけるたびに、
なんだか引いてしまうのだ。

 

なんというか…
一見、「あなたの言葉はどんなことでも受け入れます」
というような潔さが感じられるんだけど、

 

人から「叱られたい」「応援されたい」「褒められたい」
そんな甘えが見えてしまう。

 

だから嫌いなんだ。

 

まぁ人間だし応援してもらいたいという感情を持つのは当然だとは思う。
なので、それをアピールするのも良いと思うけど、
「応援してね♪」というお願いではなく、
「強い口調で怒って欲しい」っていうのがよくわからない。

 

ドMなのか?

 

僕は他人の指図一切受けたくない人間、
ましてや命令されるなんて言語道断な人間だから、
全く気持ちがわからないんだよね。

 

特に日本人は叱られたいという感情が根付いてしまっている傾向があると思う。

 

僕は琉大在学時にとある学生団体の中で孤立していることがあった。
思い出すと辛くなるから、なるべく思い出さないようにしているんだけど。

 

その時は、僕のことを気にかけてくれているらしい人から、

 

「批判されているうちが花だよ」なんて言われたけど、

 

「は?何言ってんの?」って思ったものだ。

 

(「一番怖いのは、嫌われることではなく無関心」という意味なら
まぁわかる気もするが)

 

本当に心の底から自分のことを思って言ってくれている人は
その態度や言葉からもわかる。

 

だから、僕はそういう人の言葉ならわりと素直に受け入れるところがある。
それが感じなければ全部その人のエゴ、正義の押し付け、
クソリプに過ぎない。

 

それをある年齢の時から見抜いていた。

 

批判する人間、文句を言う人間って大抵人の話を聞いてないからな。
Twitterなどで誰か特定の人を皆がこぞって叩いているのも、「雰囲気」や「空気」もあるだろうし。
日本人は特に「村八分」みたいな傾向が強いし。

 

大抵の人が「怒られると成長する」「だから、悪いところがあったら叩く」
そう思い込んでいるのは、教育の影響なのかな?

 

その団体の人達も「辛いことがあるから成長する」と思い込んでいる人が多数だった。
加入当初はいろんなイベントを企画できて楽しいと思ってたけど、
なんだかカルト宗教みたいで気持ち悪いなと思って辞めた。

別に宗教自体を否定はしないが、
誤った価値観を信じ込んで人に害を与えることが問題なのである。

 

良い面に目をつければ良いんじゃない?と思うが。

 

でも、教育者にしろ、親にしろ、大抵悪い部分を注意するから。
その延長なんだろうな。

 

ハッキリ言って、やっていることはいじめと変わらないからね。

 

でも、その「いじめ」に負けてしまう人が多いのも事実。

 

芸能人や人気者は心無いリプが来ることもあると思うけど、
応援メッセージだけじゃなくて
毎日のように罵声を浴びせられたらそりゃ病んでしまうよね。

 

結果、謝る必要が無いことでも、謝ってしまう人だっているし。
発信や活動を辞めてしまう人もいる。

 

一方で、反抗期の子だとかグレる子とか
病んでしまう子とかが生まれてしまうのも、
結局は「誰か本気で叱ってくれる人」「自分を気にかけてくれる人」が欲しいからだ。

 

親や先生から一方的にガミガミ怒られていると、
そんな子が出てくるのも無理は無いと思う。

 

というか、すごく気持ちがわかる。

 

だから、わざと悪態をついたり、
相手を試すようなことをしたりしてしまうのだ。

 

それは厳密に言うと、「愛」を欲しているからの行動なのだろうけど。

 

決して誰かから罵倒されたいわけじゃない。

 

 

しかし、もう成人してしまったら立派な大人だ。

何もかもを他者に委ねてしまうのは問題がある。

 

大人だからということよりも、自分自身が幸せになれないからだ。

 

相手の気持ちを試すなんてことをいちいちしていても、
虚しくなるだけ。

 

自分自身も含め、結局は皆自分のことにしか興味ないからね。

 

大人なら、自分の幸せも自分自身で築いていかないといけない。

 

いつまでも過去のトラウマや物事の正義に拘っていてはいけない。
過去は過去だからだ。

 

 

俺だってジジイになっても
「世の中なんてくだらない」みたいな考えで死にたくは無い。

 

「素晴らしい世界に生まれて、俺は幸せだ」
そう思いながら死ねたら最高だよね。

 

そう考えたら、いつまでもひねくれた目で世界を見ていたらいけないと思った。

 

それに、物事の欠点ばかり目について文句を言ってばかりじゃ、
自分自身が生きていて楽しくないはずだ。

 

 

話を戻すと、

 

 

「叱咤激励」されることを待ち望んでいる人も、
「これから頑張るぞ!」と自立しているように見えるけれど、
結局は他者依存の精神が根付いている。
その精神が見え隠れしているのだ。

 

人から何かを指図されることが習慣になってしまったら、
結局のところ、自分自身も人を嫌な目に遭わせてしまう可能性すらある。

 

クソリプをかましてばかりの人間になってしまう可能性だ。

 

そうならないためには、自分自身で気づいて変えていかないといけない。

 

叱咤激励されて、
誰かに言われたからやる。

 

そうじゃなくて

 

常に自分の気持ちに従う。
常に自分でやる気を起こす。

 

やる気が起きる起きないは生理現象だし、
行動を起こすか起こさないかも自分自身だから、
自分自身が毎日を楽しく生きられるように工夫するしか無いと思う。

 

それにはワクワクすること、夢中になれることを追求すること。

 

僕も以前は依存心の強い人間だった。

 

でも今はできるだけ、自己責任だと思うようにしている。
自らがそう思うことで、他の人の言動に対してもそのような考えが持てるからだ。

 

だから、他人の顔色なんて伺わなくて済むし、
神経すり減らせてしまうほど他人に気を使わなくて済む。

 

かなりのコミュ症だったけど、

必要なことは勇気を出して人に聞けるようになった。

 

その結果、勝手な思い込みで相手を一方的に悪者扱いすることもなくなってきた。

 

今の自分があるのも、
自分の身にふりかかったことも、
全て自己責任。

 

逆に、良いことが起きたら、誰かのおかげ。
お世話になった人達に感謝の気持ちを持つ。

 

そう思うことで、より自分らしく生きられる…

 

それがわかりかけてきた。

 

何か困ったことが起きた時に
誰かに相談するのは良いことだ。

 

でも、他人に何と言われようが、
最終的な決定権を下すのは自分。

 

今の自分を本気で変えようと思った時に、
「叱咤激励の言葉」なんていらない。

 

 

「自分の好き嫌い」「やりたいことやりたくないこと」をハッキリさせながら、
目の前のことに、一生懸命取り組むこと。

 

 

やりたいこと、好きなことは気が済むまでやればよいし、
やりたくないこと、嫌いなことはやらなくたって良い。

 

 

とにかく、「今」を生きることだ。

 

 

「今の自分」や「心から夢中になれるもの」に興味がある人は、

他人の悪口を言うこと、クソリプを飛ばすことに興味がない。

 

そんなことしていても時間の無駄だからだ。

 

人生は長いようで短い。

 

少しでも楽しくなるように工夫しながら、のんびりと生きましょう。

 

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