「違和感」を無視してはいけない理由

天海夜 煌琉でござい。

 

今日は

「違和感」を無視してはいけない理由

というテーマで語っていきたい。

 

 

まず、僕は非常に嫌われることを恐れていた。

 

 

病的なまでに。

 

 

実際、距離を置かれたと感じたら

「嫌われたのかな…」

と気になってしまう。

 

 

というのも、自分が相手から距離を置く場合というのは、

大抵、相手が攻撃的だったり支配的だったり過干渉だったりなど…で

 

「本当に嫌われても構わないからとにかく離れたい」

「この人と一緒にいると、自分が不幸になってしまう」

「なんだか相手が驚異的に感じる」

 

などと判断したときである。

 

 

そのため、

自分がそのように距離を置かれると

「拒絶された」

「なんでだろう」

「あんなことしたからかな?」

などと思い悩んでしまうのである。

 

 

相手が何も言わずとも、人格否定をされたような気分になるのだ。

 

 

しかし、ここ数年は

「自分の気持ちに嘘をつかない生き方」を研究しまくっているため

「距離を置かれる」「拒絶される」「SNSでブロックされる」

などという行為も、

ストレス無く受け入れられるようになった。

 

 

逆に、僕自身も誰かと接している上で

「なんか嫌だな…」「なんか違う…」

などと「違和感」を感じたら

その違和感を最優先して、

その相手とは距離を置くことも、躊躇なくできるようになったのだ。

 

 

ただ、一口に違和感といっても、

「価値観は人それぞれ」なので、

 

自分が感じた「違和感」が

「この人はこういう人だ」と受け入れられるレベルだったり、

「この人というより、人間とはそういうものだ(自分もそうかもしれない)」

と割り切れることだったり、

もちろん、単なる誤解や思いすごしだったり

一時的にムカ着火ファイヤーなだっただけだったり

 

…などというのであれば、全く問題ない。

 

 

では、僕が

「この人とは距離を置こう」

と決断するレベルの違和感とは、

一体どれほどのものなのか。

 

 

それは、

「自分の信念を曲げて、

自分の気持に嘘をついて、

ストレスを感じてまで、

この人の価値観に合わせる必要がない」

 

と判断したときである。

 

 

つまり、僕自身の判断基準とは、

 

「相手の信念に、どうしても自分が賛同できない」

 

と感じた時である。

 

 

そこで、よくよく考えてみたら、

「自分が誰かと距離を置きたい」と思った時に、

その人のことが嫌いだからかというと、

必ずしもそうではないということがわかったのだ。

 

 

自分が「違和感」を感じるのは

相手自身がどうかというよりかは、

相手の考え、信念であることが多い。

 

 

 

 

そのため、逆に相手が僕から距離を置いたとしても、

それは必ずしも「嫌い」というわけではないだろうし、

万が一「嫌い」だからといって、

それは僕自身の価値を否定する意味でもない。

 

…ということがわかったのだ。

 

 

「相手の信念に合わせるか、合わせられないか」

「相手の価値観が合うか、合わないか」

ということが、判断基準となるのだ。

 

 

ここで大切なのは、

「自分が”相手の考え”をどう思うか」

であって、

「”相手自身”を否定しているかどうか」

ではない。

 

 

つまり、

相手の考えに賛同できないからという理由で距離を置くことは、

相手自身の人間性を、全面的に否定するわけではないのだ。

 

 

 

もちろん、

 

こちらを攻撃してくる人

こちらを尊重してくれる態度や心遣いが見られない人

権力を振りかざして、自分より弱い立場の人をいじめたりしている人

…など

 

こういう暴力的で攻撃的な地雷人間は徹底的に嫌うし、

距離を置くどころか縁を切ることにしているが。

 

 

 

 

わかりやすく動物に例えてみよう。

 

元々木の上で住むのに適した種と

土の中で住むのに適した種が

仲良く一緒に洞窟の中に住み始めたとする。

 

 

 

しかし、

元はといえば、それぞれが別の場所で生きるのに適していたから、

当然、だんだんと無理が生じてくるのである。

下手すりゃこのまま死んでしまうかもしれない。

 

誤解のないよう言っておくが

コリュ(作者)はリスさんももぐらさんも大好きですよ

 

 

そのため、それぞれが住むのに適した場所に戻っていくことにした。

 

 

 

 

 

すると、やはり元々の場所が一番住みやすく、

さらに、そこに住んでいる仲間と共生したら

皆同じような性質(価値観)であるため、

すごくウェイな気分になったり

 

かたや一人を満喫できるようになったり

 

それぞれにハッピーな毎日を送ったとさ。

 

 

 

…ということで、一件落着。

 

 

めでたしめでたし。

 

 

 

 

以上は今思いついた適当な物語だが、

なかなか理に適っていると思うし、

人間関係も同じようなものだと思われる。

 

 

ここで、種族が生き長らえることができ、

子孫をたくさん残せたのは、

自分自身の「違和感」に従ったからである。

 

 

そのため、

あなたがもし、特定の人に「違和感」を感じた時は

どうかその「心の声」を聞き逃さないでほしい。

 

 

その違和感を否定しようとするのではなく、

「なぜそう感じるのか?」と

深く心に問いかけてみてほしいんだ。

 

 

もしかしたら、その「違和感」には

あなたがより良く生きるためのヒントや、

次のステージに進むための階段が隠されているかもしれない。

 

 

「違和感」を感じたら、

それはあなた自身が発しているSOSである。

 

そのため、

「あなたが、あなた自身を知る良い機会」

だと考えれば、

むしろ違和感ウェルカムって思えるだろう。

 

 

日本で生きていると、同調圧力を感じることが多々あるかもしれない。

村八分やのけ者にされたり、いじめられたり…

それを恐れて、あなたは言いたいことを言えないのではないだろうか。

 

 

でもさ…

 

もっとわがままに生きて良いんだよ?

 

…と、僕は思う。

 

 

時代は目まぐるしいスピードで変化しているし、

人間だって本人が思う以上のスピードで成長する生き物だ。

 

 

誰かが決めた常識なんて、

きっといつかは滅びるだろう。

 

 

なぜ、そんな「誰が作ったかわからない、得体の知れないもの」にすがっているんだい?

 

なぜ、「誰かが作ったかわからない、得体の知れないもの」を

当然だと思っていて思考停止しているような人たちに

「嫌われたくない」と思うのかい?

 

そんな人達は、あなたにとって

「自分の信念を曲げてまでも尽くしたい、本当に大切な人たち」

なのか?

 

 

無理に周りに合わせようとして、

周囲の期待に応えようとして、

あなた自身の「違和感」を否定しないでほしい。

 

 

なぜなら、それはあなた自身にしか気づくことが出来ない、

「大切な宝物」なのだ。

 

 

権威ある学者だってお偉い政治家だって

その宝物に気づくことは出来ないだろう。

 

誰にも気づかれることが無ければ、

命が尽きるまで埋もれたままになってしまうのだ。

 

 

その宝物には

「世の中の既成概念を壊して、皆が幸せに生きられるアイデア」

が眠っているかもしれないのに。

 

 

これは非常にもったいないことだ。

 

 

そのアイデアが表に出て、世の中に広がっていくためには、

あなたが自分自身で気付いて、

その「違和感」という感情を呼び起こしていくしか無いのだ。

 

つまり、

あなた自身が、自分自身に嘘をつかずに生きていくことは

個人的なことでは決して無いのだ。

社会的な視点から見ても、とても大切なことなのだ。

 

 

たしかに、周りの人だって

それぞれの常識や価値観、信念を信じて生きている。

それを否定する必要はない。

 

 

そのかわり、

あなたは自分自身の常識や価値観、信念を守っていく必要がある。

 

誰に否定されたとしてもね。

 

 

なぜなら、

その信念は、あなたにしか守れないものだからだ。

 

それは、多数決で決まるものじゃないんだよ。

 

 

その信念を守るかどうかは、あなたが決めて良いことだ。

 

 

その信念が歪められる時に感じる「違和感」で

あなた自身の今後の生き方を決めることができる。

 

 

だから、その「違和感」は絶対に見落とさないでほしいし、

あなたの信念は、誰がなんと言おうと

絶対に守らないといけないんだよ。

 

 

 

「違和感」はしばし不安な感情を伴う。

他者に対して疑心暗鬼になることもある。

 

 

しかし僕は、「違和感」を

「僕が、僕自身を知ることができる機会」

だと思うようになってからは…

 

むしろ「違和感」を感じたら、

 

それは成長している証で、より自分自身が飛躍できる良いチャンスだ

 

そう思うようになったよね。

 

 

だから、他人から距離を置かれることで

自分を責めたり卑下したりする必要なんて全く無い。

 

相手は相手にとって心地良い生き方をしたいから、

こちらの考え方に迎合できなかっただけ。

 

 

嫌われても、嫌がられても仕方ない。

 

 

もっと自分の心に素直になって

自分の信念を貫いた生き方をしよう。

 

 

そう思ったんだ。

 

 

 

というわけで、「違和感」に関して

以上の内容をまとめると…

 

・あなた自身の信念を曲げてまで

違和感を感じる人に付き合う必要はない。

 

・あなたが誰かに「違和感」を感じたら、

それは自分の心が発している警告(SOS)だ。

その時はあなた自身の「心」に耳を傾けて、

あなた自身の「心」が発するメッセージに、素直に従おう。

 

・逆に、あなたから誰かが離れていったとしても、そっと見逃してあげよう。

その人はその人で大切にしているものがあり、

あなたがそれをコントロールする権利はない。

もちろん、あなたが誰かにコントロールされる義務も、全く無い。

 

・距離を置かれたからといって、必ずしも嫌われたとは限らないし、

あなた自身の価値観を否定されたわけではない。

ただし、あなた自身の大切なものを攻撃してくる人とは

今後、金輪際関わらなくて良い。

 

・「違和感」を感じたら、あなた自身がより成長できるチャンス。

その時は、環境を変えたり、新しいことを始めたり…

軌道修正していきながら、

「違和感のない」生き方を目指していこう。

 

 

 

ちなみに、今回の関連する内容として、

SNSのブロックに関して、以下のような考えも書いているので、

もし良ければこちら↓もご参考いただきたい。

 

 

 

 

「NO 違和感 , NO LIFE」

 

 

「違和感」がなければ人生じゃない。

 

 

「違和感」を、楽しもう。

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