父の死が教えてくれたこと①ーワガママ親父の入院拒否ー

ジェンダレス妖怪”コリュ”こと

天海夜 煌琉(あまみや こうりゅう)だよ。

 

 

実は先日、コリュの父親が亡くなった。

 

 

当然、失ったことの悲しみはあるけれど、

得られたこと(気づきや課題など)も多かった。

 

 

本日、9月8日は父の誕生日。

生きていれば68歳。

 

現代では100歳近い年齢でも元気な方も多いため、

死ぬにはまだまだ若すぎるというのもあるが、

こうして数字をまじまじと見ながら考えると、

自分とは意外とその半分以下しか、人生を共に過ごしていないことがわかった。

 

 

祖父母ではない、初めての肉親の死…

家族の死を受けて考えたこと、わかったことがたくさんある。

その内容を記録も兼ねて、何回かにわたって整理していきたいと思う。

 

 

 
 
 
 
 
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まず、訃報を受けたのは2020年8月31日。

 

その2日前からすでに容態が悪化して、

いつ亡くなってもおかしくない状態との連絡が来た。

 

 

ただ、メッセージのみで特に電話などもなかったので、

なんとなく大丈夫なのかな?という期待を持ってもいたのだ。

 

 

幸い、その際はちょうど、

信頼している理学療法士さんのメンテナンスを受けるついで旅の計画を立てていたため、

行き先が中部国際空港にはなるが、飛行機は取っていたのだ。

 

 

台風9号が来るとなると飛行機も欠航になる可能性もあるし、

2日ほど動けなくなるのが厄介だが、

それでも数日間もってくれたら、会うことはできるだろう…

 

それよりかは、メンテナンスの予定もあるし、

万が一台風の影響で9月2日の便も出なかったら厄介だ。

 

 

そんな感じで、ゆるく考えていたというか、

後ほど説明する入院までの経緯の事情もあり、

「今回も大丈夫なんじゃないか」と回復への希望を抱いていた。

 

 

しかし、乗る予定だった31日の便が欠航になり、

わずかに出ている31日朝の便も満席。

 

当日朝早く起きて、わざわざ空港まで行って、

唯一空きがある鹿児島行きへの振替が可能か聞いたが、

結局、元の便から「行き先変更」としての振替はできず、新規購入でしか対応してもらえないそうだ。

元の便もツアーで取っていたため問い合わせ先がANAのデスクとは異なり、

無料で取り消しができるか確実でないため、

その日は断念して台風に備えて帰宅することにした。

(もちろん、悪天候が理由なら便の取り消しはしてもらえるはずだが、

早朝だとツアーの問い合わせ先が受付時間外だったので、確認ができなかった。)

 

午後は午後でANAツアーの問い合わせ先に振替の便の変更をしたり、

台風の買い出しをしたりなどして慌ただしく、

風の勢いが強まる中、夕方にはいつの間にかベッドで寝落ちしてしまった。

 

 

その間に母親から訃報のメールが入っていたのだ。

 

すぐには何も返せなかったが、「お疲れ様」と言っておいた。

 

涙は出なかったが、なんだか悔しかった。

 

何も力になれなくて申し訳ないという気持ちもあったし、

自分の無力さを感じた。

 

 

 

 

 

しかし、仮に31日の鹿児島行きの便に乗れたとして、

飛行機や新幹線などに乗り継いだとしても、面会に間に合ったとは到底思えない。

 

 

連絡があったのが2日前の夜だったのだから、

前日の便に前倒しで乗れたら、それがベストだったかもしれないが、

いずれにせよコロナ禍だからか、家族ですら常に近くで付き添える状況ではなさそうだったので、

生前に会えた可能性は低かったと思われる。

 

それに、先にも言ったとおり、実は今回の連絡を受けて、特別驚いたわけではない。

 

というか、一度覚悟はしていたので、むしろ頑張って生きながらえたほうだと思う。

 

 

(これから入院までの経緯を話すが、

本人が死ぬまで数ヶ月会ってないものだから、以下は全て伝聞による情報になる。)

 

 

父はその数ヶ月前から過剰に痩せていて、

食事がまともにできない状態までになっていた。

 

 

一番最後に会ったのは昨年の12月なので、

その際は年々弱っていくような感じはしたものの、まだ元気だった。

 

 

せめて今年の春くらいに顔を出していたらまだ会えていたのだろうが、

過ぎたことを後悔しても仕方がない。

自分は他の理由で実家には1年以上帰らないと心に決めていたのだ。

 

 

ところが、7月くらいになって、

 

「父が食べなくなり、やせてきている。

トイレには行けるけど風呂には3ヶ月入っていない。」

 

…と、母から連絡がきたのだ。

 

 

さらには連絡があった一週間で急激に弱り、

喋ることもできない、

ベッドに上がるにも家族の介助が必要になってしまったとのこと。

 

 

そのような状態なのに本人が病院を拒み、往診をしようとすれば怒る、

救急車を呼ぶが本人が拒否していたため断られる(←そういう決まりなのは初めて知った)など、

我儘な頑固親父の扱いに家族も疲弊していたようだが、

姉の旦那家族を巻き込んで皆で説得し、ようやく入院する決心をしてくれたようだった。

 

 

当初はHCUに入っていたが、徐々に肌の血色が良くなり、容態も安定。

数日で一般病棟に移り、3週間ほどでリハビリテーション病院に移ることになった。

 

介護は必要になるものの、危険な状態は脱したということだ。

 

 

僕は連絡を受けてから帰る計画を立てていたのだが、

僕はちょうどその、まさにリハビリの病院に移る日に実家に帰ることになっていた。

 

 

移る前の病院では人数と時間に制限があるものの、面会が可能と聞いていた。

一方でリハビリテーションの面会は、コロナ禍の影響で月一回のみで予約が必要となってしまうのだ。

容態が悪化した際に、再び元の病院のHCUへ移されたというので、

そんな規則があるのでは、家族ですらほとんど会えなかったのではないかと思う。

 

 

そのため、7月に帰郷した際も父に会うことはできなかったし、

幸か不幸か、その後も棺に入るまで、衰弱しきった本人を目の辺りにすることもなかった。

 

 

 

タイミングが悪かったかもしれないが、

かといって容態が悪くなるたびに帰るなどしていてはこちらの負担も大きくなるし、

メールでのメッセージによる話だけではなんともいえないから、

その判断が難しかったというのはある。

 

 

それに、それまでの父に対する僕の感情は、

心配はもちろんあったが、どちらかというと怒りが勝っていた。

 

 

僕自身は、病院に行くのが必ずしも良いこととは思わない。

だから行かない選択をするのは自由だと思うが、

それでも、10年以上酒を5合以上飲んでこうなったのは、まさに本人の選択による結果だ。

(↑あとで聞いたのだが、自業自得なのは本人も自覚していたらしい)

それに、家族も含め周囲の人に迷惑をかけているのも明らか。

だから、決して同情などしないだろう。

 

 

…とね、なかなかひどいことを考えていたものだ。

 

 

今になって思えば、確かにそれは一理ある。

 

 

大人しく早めに入ってくれてたら、

もしかしたら助かったかもしれないしね。

 

 

しかし、「酒を呑む習慣が全て悪」とする考えが浅はかだということを、

「献体」によって明らかにされたのだ。

 

 

 

 

次回に続く。

 

 

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