
天海夜 煌琉だよ。
皆聞いてくれ。
最近、「慮(おもんぱか)る」という言葉が
気になりすぎるんだ。
…と思ったら、有吉さんも過去に気になっていたとは…。
「”慮(おもんぱか)る”なんて言葉、初めて知った!」という方へ。
「慮(おもんぱか)る」言葉の意味はこんな感じ↓だ。
《「おもいはかる」の音変化。「おもんばかる」とも》周囲の状況などをよくよく考える。思いめぐらす。「相手の体面を―・る」
参考:コトバンク「慮る」
なるほど。
思い巡らすということね。
相手のことを配慮する習慣がある日本だからこそ
生まれた言葉という印象だ。
「慮(おもんぱか)る」って
漢字一文字とひらがな一文字なのに、
日本人の素晴らしさが現れている文字だよね。
うーん…好きだ。
ちなみになぜ「おもんぱかる」という発音になったのかは
調べればわかるので、あえてここでは言わない。
しかし、「慮(おもんぱか)る」の「ぱか」って
他の日本語にはあまり見られない響きだし
珍しいよね。
有吉さんのつぶやきにもあるように、
なんだかアルパカみたいだなって思った。
…なんてことを思って、書いた4コマ漫画がこちら↓
実際こんなアルパカいたら
首筋にドロップキック食らわしたいわぁ…(笑)
…さて、ここで一つ注意したいのは
「同情」や「忖度」と、「慮る」は違うということだ。
それぞれの意味は割愛するが、
ざっくり言うと、
同情も忖度も、どちらかといえば主観が入っているが、
慮るは客観的な思考というイメージ。
その点でオモンパカルンの思考には主観が入っているし
どちらかというと人間に対して同情しているというか、
「慮る」の完全に意味を勘違いしてるのかもだけど…
彼が本当の意味で「慮る」んだったら
↓こうなるのかな?
「今日はボクを見にたくさんの人が来てるね。
しかし皆やけに必死だよね。
アルパカを初めて見るのかな?
アルパカの大ファンなのかな?
いや、一番人気のパンダを見た後だからかもしれない。
それとも、久々のお休みでテンションが高いのかな?
動物園に来ること自体が嬉しいのだろうか?」
…このように、一方的な視点で物事を決めつけず、
様々な可能性を推測することだろう。
この辺の思考はクリティカル・シンキングを学ぶことで
俯瞰的に物事を見ることが出来るようになり、
一つの物事に対しても、
様々な可能性を思い巡らすことが出来るだろう。
適切な思考を身につけるには
僕が最近読んでいるクリティカル・シンキングの本↓も参考になる。
「クリティカル進化(シンカー)論―「OL進化論」で学ぶ思考の技法 」
(道田泰司&宮元博章・著)
…なーんて、偉そうなことを言ってるけど…
もしかしたら僕のこの思考自体が間違っているかもしれないし、
あとはご自身で調べて、学んでいただけたらと思う。
僕もついつい主観に寄った主張になりがちなので
(↑それはそれで相手の心に響くこともあるけどね)
クリティカルな思考をしっかり身に着けていきたいものだ。
ちなみにガチな話をすると…
最近、ニュースを見ていると、
死体や事件・事故現場にスマホを向けて
死んだ人やその人の遺族・関係者のことを考えない、
モラルのない行動をする人たちが目立つようになったよね。
この世に生きる全ての人々には価値観に違いはあっても、
人としてやって良いことと、悪いことはあるだろう。
しっかり慮ることができれば、
自分がされて嫌なことは、人にも出来ないはずだ。
だから僕は、このような行動をする人たちの思考が謎すぎて、
今はそういった問題に対して関心があり、慮っている状態だ。
今は手軽に情報が手に入って、
誰にも手軽に発信ができるようになった。
だからこそ、眼の前のことだけに反応するではなく、
時には想像力を働かせて、
「相手を慮(おもんぱか)る」ということも
必要だと思うのだ。
それが積み重なると、
だんだんと「周囲を慮(おもんぱか)る」ようになり
「日本を慮(おもんぱか)る」ようになり
「世界を慮(おもんぱか)る」ようにもなっていく。
思考のスケールが広がっていくんだろうね。
慮(おもんぱか)りぎるると、
慮(おもんぱか)りまくることになるし、
慮(おもんぱか)りまくりまくりすてぃになる。
↑これはさすがに長すぎるけど(笑)…
こんな感じで日々、様々なことを慮って
思考を深める習慣を身につけ、
周囲の人に配慮できるような行動が取れるよう、
自分自身のレベルを高めていきたいものだ。